優しい時間

「優しい時間」のテーマについて

THEME.
「優しい時間」に込められたテーマやメッセージを、倉本氏の発言から集めてみました

 10年周期の時計

[倉本聰]
森の時計に飾ってある壁掛けに「森の時計はゆっくり時を刻む」という言葉がありますが、 実はその後「だけど、人間の時間はどんどん早くなる」と続くんです。

以前、時計メーカーの方に「10年で1回りする時計を作ってほしい」とお願いしたとき、 最初は受けて頂いたんですが、結局断られてしまいました。 担当者いわく、今の技術は「早く」することや「正確」にすることには対応できるけど、 時計を「遅く」することはできないと言うんですよね。
(中略)

僕は「時計」と「時間」はまったく違うものだと実感したんです。 「時計」は単に約束ごとのために存在するもので、「時間」そのものではないと。 昔の人の生活は自然の時間に合わせたものだったけど、いつの間にかそういう生活が失われてしまったんでしょうね。 そんな思いをこの言葉に込めたんです。

(「TVJapan」2005年2月号 p.35より)

6話で時計メーカーに勤める訪問客(ペアルックの父)が似たようなことを言っています。(→6話あらすじ参照)
自然の流れの速度とは別に、人間は時計を使って時間を管理し始めた。その結果、おおらかな時の流れが失われてしまったのかもしれません。 そしてその時計は遅くなることはなく、どんどん早くなっていると…。
一方でこのドラマは「森の時計」という店名にもあるように、まさに森の中で流れているような時間が感じられます。 そんな忙しさのない、ゆったりとした時の流れが「優しい時間」の最大の魅力かもしれませんね。このようなゆったりとしたドマは今までなかったんじゃないでしょうか…。
時間と時計の違いについては「優しい時間フォトブック」内の対談でも倉本氏が語っています。



 本当の優しさとは…

僕は「優しい」という言葉の意味が最近すごく履き違えられてると思うんだけど、 本当の奥深い優しさっていうのは、厳しさに裏打ちされないと絶対出てこないものだと僕は思ってるんです。

友人が変なことをした時に、変なことをしても友人だから放置するのか、 変なことをした場合には、友人だからこそ言ってやるのかっていう問題がありますよね。

そういう時にしっかり言えるっていうことが友人だと僕は思うし、 その厳しさっていうのは持ってないと本当の友情には育っていかない。 本当の愛情ではないって気がしてしょうがないんですね。

(チャンネルα「優しい時間スペシャル」2005/1/13放送より)

僕は「優しさ」とは必ず「厳しさ」に裏付けられるものだと思うんです。
優しいだけでは、ただの「優しさごっこ」でしょ。
モノを買い与え、甘やかすのは「本当の優しさ」とは違うと思うんですよ。

今は「嫌われるんじゃないか」と思って子を叱れない親が多いじゃないですか。
でも「親」はどうしたって「親」なんだから、もっと毅然としないといけないんです。
叱られたくらいじゃ子どもは離れないし、親であることにもっと自信を持って欲しいですね。
(「TVJapan」2005年2月号 p.35より)

これは4話の音成さんの借金問題で問われていたテーマですが、勇吉と拓郎の関係にも言えるはずです。 優しさは場合によっては甘やかすことにもなってしまう。でも間違ったことをした時には、厳しく言えることが本当の優しさなのでは、と。 「厳しい人がいなければ世の中はどんどんダメになる」という4話ラストのめぐみの台詞にも納得してしまいました。でもそういった「本当の優しさ」を持つことは簡単なことではないですね。



 倒木更新

倒木更新

「エゾマツは自分の親木の上でしか育たないんですよ」

――北の森に生えるエゾマツの種は、土の上に落ちてもササや雨、霜などに邪魔されて根付くことができない。 倒れた親木の上でだけ、その養分を得て成長することができる。

「倒木更新とか森の中の子孫につなげる作業を見てると、後につなげるってことを考えないと本来いけないなと思いますね」

(「親子の絆を見つめて〜作家・倉本聰の挑戦」2005/1/9放送より)

この番組で「倒木更新」という自然現象を初めて知りました。
雪におおわれた北海道の森では、倒木(親)の上でしかエゾマツの種(子)は育つことができない。
親が身を呈して子の成長を支えるという子孫繁栄のサイクル。親子の絆が感じられる自然現象です。
「優しい時間」でも親と子の絆がやはり一番のテーマです。子は親を、親は子を想う優しさと共に、親子の断絶から雪解けまでの過程が描かれていきます。



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