リップスティック
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リップスティック 感想集

(1999年放送当時、当サイトBBSに投稿されたものから抜粋しました)


[1話]
第1話であそこまでストーリーとキャラクターを見せても、説明的に感じさせないのは、さすがだと思いました。
台詞ではやはり、有明さんの告白がとっても野島さんっぽいのかなぁ・・・?
ちょっと言えないような、文学的というか詩的な告白でしたね。
それを言ってる有明さんが、実はとても普通の人だ、というところが何とも面白かったです。

藍と同室の女の子たちのキャラクターも、個性的でわかりやすい設定でした。
ひとりひとりを丁寧に見せるドラマになってくれそうで、なんだか嬉しいです。
わずか4週間で、有明や藍がどれだけ人間として変わるのか、楽しみです。
[1話]
僕は今回のドラマを見るにあたり自分自身にある種のシールドを張るつもりでいました。
それは、限られた時間と空間の中、極限に追い込まれた心理状態でなければ探しに行けないのかという疑問。
それは野島さんが作る舞台設定への強い反発でもあります。
「本当の自分」というのが僕にはよく分からないけど、そんな極限状態にならなきゃ探しにいけないなんて思いたくないです。
でも、そんな僕を客観視する野島派のもう一人の僕がいます。

僕は有明のように「翼」を羽ばたかせるのを諦めてしまっているのかもしれない。
僕は野島さんの手法を拒んでいるのではなく、探すことを諦めた自分を認めることから逃げているのかもしれない。
鈍感なのか、僕は「絶望」とか「深淵」とか実感したことがない。
だからだろうか、「自分」が分からない。

どっちが「本当の自分」?
僕には分からない。
野島さんの鋭いセンスが僕の薄っぺらいシールドを破り、鈍感な僕の心をえぐるのか?
「世紀末の詩」の時のように、また僕は壊れそうになるのか?
本当に壊れてしまうのか?
多分それはないと思うけど。(きっと逃げるだろうから…)
「リップスティック」第一話の感想です。
[2話]
牧村というキャラクター、おもしろいですね。今後が楽しみです。
中途半端な愛情に対して牙をむく藍の行動は、胸がスカッとしました。
いいですねー、リップスティック。
なにがいいかって?
やっぱり「世紀末の詩」のゲストさんたち。
あー、あの子!って喜んでしまいました。
それにしても三上さんのナレーション聞くと、自動的に「この世の果て」を思い出しちゃう私です。
[3話]
なんか毎週一人の少女にスポットが当たっていきますね。来週(4話)はポッポみたいです。
そして5話以降どういう展開になっていくのか…楽しみですね。
閉鎖された空間...ということで、今までの野島ドラマほど大きな変化・展開はない印象です。あとまだ謎も多くすっきりしない感じもするんだけど、今作ではじっくりとキャラクターを見せていくってことなんでしょうか?
でも真白がかわいそうでした…。
野島さんは本当に、弱い立場というか悩みを持つ人物を描くのが上手いですね。
[3話]
僕が気になったのは、真白の母親です。
役者さんの演技がとっても上手で、そのリアルさにドキッとさせられました。
かわいそうというか同情に近い共感を僕は覚えました。
不器用で他に自分を表現するすべを知らない彼女が、なんか他人事には思えませんでした。

だから真白の涙が僕にはすごくまぶしかった。
汚れを知らない彼女の清純さを僕はうらやましく思った。
彼女の叫びはきっと多くの人の心を震わせたことだろう。
彼女は自分を表現する光をまだ失っていない。
でも母親は…

第3話を見て僕は涙がでなかったけど、こんなこと感じました。
僕はリップスティックに「人間・失格」以来の強烈な磁場を感じています。引き込まれるパワーですね。
なんてったって、牧村君が、あの「人間・失格」の留加を超える(?)狂気を秘めてるってのが凄いです。
[4話]
リップスティク4話見ました!
ボクも、なんで臆病でずる賢いどーしょもない奴にいつの間に、なってしまったのだろうと日頃ずーっと思っていたので、いしだ壱成(からポッポへの告白)に共感を覚えました。
久々にドラマにはまってしまいそうです。
[4話]
いしだ壱成のシーンには涙してしまいました。
「札付きの悪」と言っていたのは弱い自分を守るためだったんですね。
自分の弱い部分を見せられる人って、かっこいいと思いました。
[4話]
いしだ壱成が過去を告白したシーン、泣けました。
蝉におしっこをかけられ、それに対して怒る事ができなかった自分、、それはいじめの事ですよね。
野島さんはいじめについての心理描写がいつもリアルなのに驚かされます。
僕はいじめている側になにも言えない、勇気の無いただの傍観者でした。
[4話]
> 有明が最後に兄の死について藍に話すシーン、それを聞いて藍は涙しましたよね、
> そして「ごめん」と言いましたよね。
> この「ごめん」という言葉がとてもひっかっかた>のですが… 
> どういう意味の「ごめん」だったのでしょう?皆さんはどう感じましたか?

自分が思うに、有明の心の一番弱いところを口に出して言わせてしまった、弱い人間だということを認識させてしまったという、藍の”申し訳ない”という気持ちから出たのではないでしょうか。

今回の第4話は、いしだ壱成といい、三上博史といい、その人物の一番弱い面を告白する(他人に話す)ことによって気持ちが楽になり、聞いた人もその人物の心の傷を少しでも和らげられた(自分と同じ弱い人間だったんだ、自分でも人を救える)という慈愛が生まれるという流れでしたね。

自分も、なぜか涙が止まりませんでした…。同調できるくらい、弱い人間です。

この「リップスティック」は、口紅という意味からして、本来は唇を隠すものですが、逆の意味で唇から本当の人間の気持ちを吐き出させ、人間の弱さを肯定するものかもしれません。
[4話]
> 調査室での藍の残酷で容赦ない言葉を受け止める姿
> 最後に藍に辛い思いを告白する姿
> 有明先生苦痛が伝わってきてすごく悲しかった。
> 一体藍はああやって話させることで「直して」あげられると本気で考えているんでしょうか??
> それから、、好きな人に剥きだしの残酷な言葉をぶつけることもわたしには出来ません。
> 藍という少女は、、理解しにくいです。

藍は「直してあげたい」というより「自分には直せる」と信じる気持ちの方が強かったんじゃないでしょうか?
「ひとりよがり」に限りなく近い、それでいて美しい感情だと僕は思います。
[4話]
藍は本当にストレートだなと思います。気持ちを隠さない、いいように言うと正直と言うのでしょうか、悪く言うとわがままですね。でも、私はそういうのが気持ちいいと思います。
有明もきっと心の奥にもやもやした気持ちがあったんじゃないかと思います。藍によって直す事はまだできなくても、気持ちを話すことによって少しは癒やされる部分があると思います。
[4話]
1語1語きちんと聞いて理解しないと、訳が分からなくなる難しい会話になってきましたねぇ(ビデオの巻き戻し、やりまくり)。
野島さんの作品らしくなってきた証拠ですが。
[5話]
ストーリー的には、なんか予想外の展開へと動き出したって感じでしょうか。
後半ちょっと怖かったですね。
想像デートのシーンは、最初「え?」って感じだったけど、最後の「想像することの大切さ」という所で、納得できました。
現実的な道を選んできた有明には、想像するという事がどこか欠けていたんですね。
[5話]
5話まできましたが…。「早川 藍」のキャラについて行くのがだんだんしんどくなってきたかな?
女の私から見てもこのキャラは異常です。
野島さんがこのキャラでなにを言いたいのか、そろそろ種明かし?に入って欲しいんですけど…。
辛抱が足りないでしょうか?(確かにまだ半分もきてないんだけど)
今のところこのドラマ、ある意味「世紀末の詩」よりも難解です。
野島さんがなにを伝えたいのか、という意味では。
きっと私が今感じてるような表面的な、単純なものじゃないだろうと期待してます。
[5話]
恐い展開になってきましたね。
人は妖しい危険な匂いに惹かれるものです。
結局人間の一番の関心ゴトは「死」なのかもしれません。
裏返せば、それは「生きること」に他ならないのですが。

僕は「死」というよくわからないものが訳もなく恐いので、唯物論で武装して自分を守っているのですが、そんな僕が野島さんの描く唯物論とは正反対の世界に思い切りはまってしまってます。
そんでもって「大切なのは想像すること」みたいなことを言い切られてしまっては、ますます警戒しなければいけません。

牧村も有明も危険ですね。
たしかに彼らがいう観念の持つ力は認めざるをえない。
それが無ければ人生が味気ないものになってしまうだろう。
僕はロボットじゃないから。
でも僕には彼らが儚く、今にも消えてしまいそうな存在に思えてならない。
いや、この世の本質みたいなものは皆そんな存在なのかもしれない。

「精神が肉体を凌駕する。」

彼らは(特に牧村)は本当にこんなことを純粋に信じているのだろうか。
本当は誰よりも肉体の消滅を恐れていて、女性のみが持っている生命力を欲しているのではないのだろうか。

僕は彼らみたいに純粋にはなれない。
できれば長生きしたいですからね。
僕が思う「想像」とは、人生をおいしく料理するために不可欠な調味料みたいなものですね。
藍たち5人の少女の不思議な友情のような関係が好きです。5人とも存在感ありますね。
これからは、弱い存在である葛西が、ある意味で人間を超えた存在である牧村に立ち向かっていって欲しいです。
[6話]
6話は内容が濃かった。
”万年青年”野島氏の様々な自画像が散りばめられているという感じ。
愛、死、生命、想像力について、もがきながら手探りで脚本を書いているような感じがする。
今までの社会に対するメッセージ性よりも、もっと答えのない言葉と生命のあいだを凝視しているような。
こういう眼差しをドラマのストーリーに組み込んでいけるのか、それとも破錠してしまうのか、スリリングだ。
[7話]
7話で5人の少女が真白の為に泣くシーンがありました。
以前の回に壁際に並んで座って真白の叫びを聞くシーンがありましたが、両方とも暖かい友情があるのに、5人の間に距離が空いています。
以前の回の時はお互いの間に不自然な位隙間があったし、今回に至っては皆真白の側に寄ってくるのに、真白に触れる事なくソッポを向いたまま各々涙を流す。
友達の為に悲しんであげられるけど助けてあげる事は出来ない、それでもやっぱり一緒に泣いてあげる…という、頼りないながらも強い友情のあり方を私はこの二つのシーンから感じました。
[7話]
父親の子供を妊娠した、という展開は「見えてた」と言われればそれまでだけど、それでも、おろすかおろさないか最後まで迷って、おろすことに決めてもなお、混乱してしまう恐怖が伝わってきて、父親がやったことの「残酷さ」が印象に残りました。
そして、それを「真白」が必死で一人で乗り越えようとする時に、一緒に泣いてくれる友達…う〜ん、現実にはいないかもしれないけど、それを書くのが野島さんかな…。
[7話]
藍って、一筋縄ではいかないキャラクターですね。
前々回の「怖い目」といい、今回の「笑い」といい…あなたこんな落し方しますか〜!っていう。
あえて感情移入を拒むかのような、薄ら寒さすら感じるような藍の表現の向こうになにがあるのかと思うと、こりゃもう「なんだか凄ぇ」としか感じようがありません。
藍っていわゆる「理想像的ヒロイン」には見えないところがあるんで、今後の有明との関係がどういう方向に行くのかには、興味があります。
感情移入できなくても、「この人、これからどうなっちゃうんだろう〜??」という興味が湧いて、「リップスティック」は面白いドラマだと思います。
藍や少女たちは、とても大人びているところもあるし、子供っぽいところもある、魅力的なキャラクターですね。
鑑別所の大人の男性諸君は、少女たちに押され気味?あ、でも葛西は頑張ってますよね。
有明さんや牧村くんは、つかみどころがないだけに、今後の展開が楽しみですし…。
でも一番楽しみなのは千尋さんです!! 彼女の破滅的な恋愛願望の行方は、本当に楽しみです。
リップスティックすごいことになっていますね。
見えない永遠をめぐる四重奏。
こんな詩的なシナリオみたことがない。ひたすらため息。
[8話]
永遠というキーワードが頻出したリップの8話。
永遠という言葉に象徴されるものへの、憧憬、渇望、痛み、恐れ、拒否。という両義的な感情。
聖者の行進の主人公の名が永遠(とわ)だったことを考えても、野島さんのこのこだわりは本気でしょう。
これに共感のない人にとって、リップスティックって退屈なドラマでしょうね。
永遠、にこだわりのない人の方が健全なような気がするなあ。
伊藤歩のやっている役なんか、わりとそういうことがわからないタイプの人、という感じがします。
野島さんの分身キャラばかりでは息がつまるから、ホッとします。
リップステック…ストーリーというよりも、言葉の意味とか、わからないことが自分なりに理解できた時、楽しさを感じます。
知識欲を満たしてくれるというか。知識というほどのものではありませんが。
CMに入ると、自分がどれだけ入りこんでいたか気づかされます。番組放送中は本当に自分がTVにかじりついているのです。
リップを見てるといつも自分の才能というものを考えさせられます。本作での「想像」という言葉はデザインの道を歩いて行こうという私にとってはいつも考えさせられる言葉なので。
自分を許す気持ちと諦めの気持ち、僕には両者が良く似た感情に思えるのですが…。
過去はもう変えられない。過去を全部背負って未来へ飛ぼうとすると、重くて、とっても重くて壊れそうになる。
諦めない努力って難しいです。結局、忘れるしかないのか?
今後の葛西に期待です。
[9話]
9話はとっても美しかった。映像も台詞も…。
世界中の人が敵に回っても、本当に悪い人であったとしても、私だけは味方なんだ…って藍の台詞。
この台詞が嘘っぽく聞こえるか、現実的と受け止めるか…。私は、この台詞がとても好きです。
僕が味方になろう、約束するよ…って有明。
でも、10話で千尋さんと…って、有明の心がまだ読めない。もちろん藍の心も読めないです。
まだ、難しいドラマです…。
たとえば、人は普段ヒマワリそのものでなく、ヒマワリという対象が見えるから安心していられる。
たまに、見えてしまうヒマワリそのものの世界。
ヒマワリそのものが見えてしまう融合の世界に接近し、ヒマワリそのものを普段の分別の世界に表現できるのが芸術家。
しかしゴッホは、最後は耐えられなかった。自分が見るものに。
融合の次元のものを何とかして自分のものにしていこうとして、耐えられなくなって壊れていく。
さて有明はこの道へ入っていくのだろうか。
[11話]
昨日のリップ切なかったですね。全てにおいて。
ただ、とても淋しかったです、真白が…。真白の母親が…泥棒猫ってそれはないんじゃない!って思いました。
あとは、有明にびっくりしました。まさか有明がすべて兄の絵を書いていたとは。
早く来週が見たいですね。
[11話]
ドラマの中の出来事なのにもかかわらず、とても仲の良かった同級生か…あるいはほのかに心寄せていた少女が、現実に自殺してしまったときのような感覚に襲われた人は決して私だけではあるまい。
放送が終わった後、真っ暗の天井を見上げながらそんなことを考えていた。

いままで、ずっとだれかの為に生きようとした。憎んだ義父でさえも、母親の為にこらえようとした。
従属し、耐えれば死ぬことはなかったかもしれない。
だが、耐えるという選択肢が、母娘の関係をいつしか破綻させてしまうことを真白は気づいていたのだ。

だらしないけれども愛した母親を守るためには、自分の存在を消してしまう必要があった。
行き場の無い逃げ腰の自殺ではなく、確固たる目的に則った犠牲。
全てをささげることの困難さとせつなさ。

最期の最期まで、彼女は自分の意思を貫いたのではないかと思う。
折れて傷ついた翼で、血を流しながらも自分の意思で飛ぼうとしたのだ。
「母親の為に」という事が、彼女のアイデンティティそのものだったのだから。
[11話]
「母親を守るため」に真白は自殺したんだろうか?
それならば、まだ救われる。
でも…私にはそうは思えない。
「泥棒猫」と言われたことは真白にとって最後の砦を崩されたことだったのだと思う。
母親のためならどんなことだって、義父にレイプされたって、妊娠させられてその子をおろすことになったって耐えられた。
だけど、その母親に裏切られてしまった。母親のために耐えてたのに。

だから、もう真白には耐えられなかったのだと思う。
全てを失って自殺してしまったんだと…。
[11話]
>上記の発言に対して
うーん…そう解釈するなら、飛び降りる時の笑顔とか、「藍、恵理子、ぽっぽ…」とかつぶやいたこととか、繋がらないどころか死ぬ必要性としては薄いような…。
キャラクターの描写としても、真白が「すべてを失った状態」ではないと思うんですよね。
少なくとも彼女の顔は、「もうなにもかもダメで、諦めてしまった」顔じゃなかった。

このドラマなんですが、全般に渡って「絶望して死ぬ」、なんてシーンを描きたいわけじゃないように感じてます。
自殺(失明含む)シーンは多いのですけど、それぞれ理由があるわけで。
また、いくつもでてくるキーワード(有明と藍、有明と弘毅、弘毅と安奈それぞれの会話)からもそう思うんですよ。
真白が死んだ理由が「絶望」じゃあ、いままで10時間もかけて語ってきたものって一体?
[11話]
見終わった後、今まで味わったことのない気持ちになりました。
真白の自殺は確かに悲しいことだし、自殺を肯定する気ももちろんありませんが見ていて悲しい気持ちとともにある種の希望的なものも感じました。
真白が太陽に向かって飛び立っていったようなイメージがしたのです。
もしかすると、牧村が言っているように精神的な繋がりがあれば肉体は意味のないものだと考え、肉体の居場所はなくても藍たちの心の中でなら生き続けられると、存在場所を変えたのにすぎない行為だったのかもしれない。
[11話]
ドラマの中では、鑑別所の教官たちは真白の親があんなものと分かっているはずなのに、放置したまま、そこへ真白を返してしまったのが納得できないし、真白自身ももう少し賢いはず。
野島さんの思想としては、『純粋な人は生きにくい、生きられない』といういつもの考え方を強引に表現したかったのだろう。
葛西教官にそういうようなことを言わせていますね。
その考え方自体、おかしいんじゃないか?と前から思っているんですが。
[11話]
あの廃屋に辿り着くまでの展開がどうしても納得できないのだけど、あえてそこは目をつむり、なぜ真白が自殺を選らんだのかを考えたい。
傷ついた真白が向かったのは5人の思い出の場所。
真白にとって安らぎであるはずの過去の記憶も、彼女の汚れてしまった心を元通りにはできない。
見上げる先にはなにがあるのだろう。
真っ白い世界?
思い出の黄色いカーテンとともに飛び立てばそこに辿り着けるのだろうか?
すべての苦しみを帳消しにするほどのいっぱいの友情に包まれて彼女は真っ白な気持ちになれたのだろうか?それが真白にとっての幸せであったはずだから。
決定的な死を迎える、ほんの少し前でいいから…
最後まで誰かのために生きようとし続けた真白。
その彼女の死の意味を最終回でどう表現するのか、待ってみることにしましょう。
真白にも藍たちを待っていて欲しかったです。
[11話]
自殺者に対して世間の評価が低すぎる気がします。
社会の敗残者とか弱虫とか環境不適合者とか言ったように見なし、自殺を手助けしただけで犯罪者として社会的に糾弾して自殺に追い込んだり、同情はしても共感はしないと言う社会的な規制が当然のように私たちの頭の中に刷り込まれている気がするのです。
宗教的な意味合いでの自殺に対する反対論なら解らない事はないのですが、モラルとしての自殺に対する非難は、自殺に至る状況経過を単に見過ごしにすることにしか繋がらないと思います。
私の中には自殺は人の尊厳を守りうる最後の切り札だと言う気持ちが有るので「リップスティック」における真白の死は圧倒的な感動を与えてくれました。
正直に言うと自分が救われた気さえしました。
自殺は果たして忌むべき事なのでしょうか?
葛西教官の「純粋だからこそ自殺するのだ」と言う言葉は真理だとぼくには思えます。
[11話]
真白にとって母親が生きていくうえでの「よりどころ」だった。それがなくなったから、自殺した。
では、藍たちとの関係はなんだったの、ということになりますが、それは別のものということだと思います。
生きていくうえでの「よりどころ」というのは、その人のアイデンティティーに深く関わっているもので、母親がだめでも藍たちがいるから、いいじゃないか、といえるような単純なものではないと思います。
では、藍たちとの「友情」は?
それは真白にとっての「救い」だったのではないでしょうか。
そこに、野島さんは希望を見いだそうとしているのだ、と思います。
あの最後の「黄色いカーテン」を持ってとぶシーンは、「希望へ向かっての飛翔」、僕はそう観ました。

「リップ」は一種の象徴劇だと思います。
写実的なリアリズムとは違う「リアル」を描いているものだと思います。
そういう「リアル」がわかるかどうかは、人それぞれだと思います。
[11話]
有明の捻じ曲がった虚栄心には、共感を覚える。
今の世の中狡猾で残酷でないと、生きられないことをよく分かってるからだ。
社会の、汚れに敏感でそれにより歪みやすい人間が、本当の意味で純粋と思う。
彼は、純粋がゆえ暗闇になり、感受性の強さゆえ表舞台を嫌った。見えないものが見えすぎる悲劇だろう。
社会では、そんな人間を、世に名が売れれば天才と呼び、世に出なければ皆から馬鹿にされる。甘えてるの一言で一蹴される。

だが、藍に惚れた有明は、仮面を被ることをやめた。
藍によって自分が、純粋で、純粋=まとも、ということに、気がついたからだ。
有明は、社会に対してコンプレックスがあった。適応できない自分に…。
藍は、愛を与えてくれた上、自分が適応できないのは、まともすぎる精神世界をもっているからだと、気づかせてくれたANSER GIRLだったのだと思う。

程度の差はあれ、みんな自分は特別な存在だと思ってるはず。
この作品は、社会の矛盾で悩んでるのは、当たり前のことだから、まともなことだから、安心しなさいと訴えてる気がする。
悩みが大きいほど人間として、普通なんだと…。
[最終話]
矛盾や謎が多かったけど、そんなのどーでもいいやって思っちゃった。良かったです。ただそれだけ。
[最終話]
結局、野島氏は現代の軽薄な恋愛は、違うよっていいたかったんだなあ。
何度生まれ変わっても運命で、結ばれるものが、愛なんだろうな。
僕も、本当の人を探そうっと。
リップスティック面白かったです。
[最終話]
野島ドラマの最終回見終わった後って毎回放心状態になってしまうんですが、またなってしまいました。良かったです…。
ちゃんとしたハッピーエンドにはならないと思っていたので、安心しました(永遠=死じゃ悲しいですからね)。
これは野島さんの理想、希望なんでしょうね。
こういう、穏やかな永遠の愛はあるんだっていう…。
だからみんなも、本当の相手を求め探して欲しいという…。
全12話の完成度とか一般性という点ではあまり評価されないと思うけど、共感した人の心の中には生き続ける作品だと思います。
[最終話]
ラストシーンが終わったときとても深い余韻と感動と共に、その時その瞬間に「希望」を持つことの大切さを感じていました。
番組中盤から後半、こんなはずじゃないんだ、こんな風に二人が離れ離れになるなんて信じられない、絶対そうなって欲しくないって願っていた所に、ラストシーンでまったくのどんでん返しがありました。
私は本当にあれでとっても救われました。
[最終話]
YOUとI、友と愛、彼等の名前、ダブルミーニングだったのか。そうなのか。知らなかった。リップを最後まで見てわかりました。
矛盾してますが、なんだか現実感が湧かないんだけど、とてもリアルなドラマだったと思う。
僕の心奥深くにはいつもあるのに、毎日の生活では全然出て来ないというか、出せなくて、重要視されてないもの。
世間体ばかりで、みんな知らんふりしてるもの。
でもそれを本当になくしたなら、きっと生きることができなくなってしまうもの。
このドラマはそれを表現してくれた気がします。どうもありがとう。
どんなに辛くても、この大切な切符をしっかり握って生きていこう。
光と闇が手を取り、飛翔できるようにね。なんか抽象的表現ですみません。
[最終話]
「愛する人が生きていれば、自分も死なない」
リップスティックの中では現実より先にその法則が存在しています。
それがもし真理だったら、私も、今は会えてないけど、生きてる限りは、世界のどこかに愛する人がいるんだろうな。
[最終話]
藍と悠が再会した場所はきっとこの世の果てだろう。
ふたりは永遠という名のバスに乗り時空を超えて別次元へと飛び立っていった。
ふたりが身も心も少年と少女になるために…。
永遠という名のバスに乗るということは、この世の終わりを意味する。
そして同時に新たな世界の始まりも意味しているのだろう。
永遠という名のバスとは二つの世界を繋ぐGATE(ゲート)のようなものなのかな。
永遠という名のバスに乗らなくちゃ子供には戻れないの?誰か教えて…。
体は無理でもせめて心だけでも。
[最終話]
「ひまわりのように咲くことができれば、やり直しのきかない人生などない」と葛西は言った。
これはこの世を生き抜いてゆくものへの精一杯の応援歌だと思った。
永遠のバスには憧れるけど、そこに希望は見えない。
僕はひまわりになりたい。
[最終話]

> あまりにも男性にとって都合のいい女性像が描かれ過ぎていたこと、です。
> (「子供産んだら、母親になれよ!」という台詞にはぞっとしました)

野島氏描くところの「都合のいい女性像」というのは敢えて例えるなら「少年マンガ」のそれに近いですね。
しかし、「子供産んだら、女捨てて母親になれよ!」というセリフに関しては私には別の意味で、「三上よく言った!」と思えました。
母性のない、あるいは自己中で人の痛みの分からない母親が多すぎる世の中への叫びに聞こえたからです。

それにあの場面でこの短いセリフはその表面的な意味合いだけではなく多くの示唆を持っていたはずです。
何よりあの母親に、「あなたの罪を少なくとも私は知っている!」という有明教官の宣告でもあったわけで。
そしてそれは「それでも真白が許したように、私も許そう。でもあなたがやったことは決して認めないよ」という意味にも汲み取れました。

見るものに口当たりの良いドラマばかりではつまりません。
野島氏にはこれからも心打つ残酷なセリフの数々を発してもらいたいと思います。
現実にはもっともっと重い悲しみが存在するのですから。
[最終話]
ところで、野島ドラマを女性の方々が見てるってのが、結構僕としては驚きです。
だって野島ドラマに登場する女性、今回だったら特に真白とかは、正に男性が求める究極の女性像に近いものがあると思うんだけど。
結構男側のエゴが見え隠れするような。
女声の皆さん、どうですか?
言葉が足りないけど、真白って恋愛対象としての女性っていうより、グレートマザー、母親、マリアみたいなイメージですよね。包み込むような。
やっぱりどんなに否定しても、男はそんな女性像を心のどこかに抱えてると思う。
[最終話]
真白は男性が描く究極の女性像かもしれないとのことですが、女性の私から見てもなかなか魅力的なキャラクターではないかなと思っています。
思いやりがあるけれども優しいだけじゃなく、例えば安奈の恋愛に対する態度を諌める強さはきちんと持っているところに惹かれます。

「子供産んだら母親になれよ!」という台詞は、実の娘よりも再婚相手を選んだ母親に対する非難として当然でしょう。真白の母親は、女としても人間としても最低です。子供を守ろうとすらしないなら、親になる資格なんてないのです(母親だけじゃなく、父親になるのだって同じです)。

多少話しがずれますが、2、3日前、NHKで母親の再婚相手に2年間暴行を受けて亡くなった男の子のことが取り上げられていました。
真白の悲劇はドラマの中の話なんかではなくって現実なんだと思うとやりきれなかったですが、こういうエピソード(誰も信じたくないけれど、現実に起こっていること)の挿入の仕方は野島さんうまいですね。
[最終話]
終わってしまいましたが、いろいろ考えさせられることが残る、いいドラマでしたね。
さて、「リップスティック」の感想ですが、
1・男性にとってかなり理想化された女性像が多く描かれているなぁとは思いました。特に「母性」の強い女性が多く描かれているような印象を持ちました。
藍などは、小悪魔的でもあり、母性的でもあり、とても魅力的なキャラクターだったと思います。
真白も、母性が強いようで、弱さや純粋さもたくさんあって、ステキな女の子でした。

2・逆に男は…振りまわされっぱなしじゃないか!!というのも、情けなくって、面白かったです(笑)。
これが「女性の視点での感想」なのかなぁ?と思いますが…。

それにしても、人間のピュアな部分を強調して描くためには、何らかの犠牲(病気や精神的な闇など)が無いといけないのかなぁ、と野島さんのドラマを見るたびに思います。
その、人の持つ闇の部分に拒絶反応を示す人も多いことも、同時にしみじみ感じますね…。
目を背けることも、立ち向かうことも人それぞれだと思いますが…。
ただ、私はそういう野島さんの「闇を見つめる視線」が、とても好きです。
[最終話]
男の反論。リップに出てきた少女たちが男の究極の、理想の女性像だって?
誰が言ったの、そんなこと?
私は彼女たちに異性としての愛とか恋とかいった感情はほとんど抱かなかったけど。(役者さん自身の魅力はここでは置いときます。)
第一、あのキャラたちはぜんぜん艶っぽくない。

野島さんは男だから、男性の視点ってのは否定できない。
けど、それを認めた上で、野島さんは彼女たちが女性である前に人間であるということを強く意識して、描いていたように私には思えた。
彼女たちの魅力は、女性としてのそれというより、人としてのそれであるように感じたからだ。
女性にしてみれば当たり前のことかもしれないが、それを当たり前にできない愚かさが男にはある。
そしてまた、その愚かさに開き直ってしまう愚か者なのである、男とは。

物語の中盤までに描かれていたのは、(言葉にしてしまうと嘘っぽくなってしまうのだが)「友情」みたいなものに私には感じられた。
私はその描かれたものに深く共感した。
もしも多くの女性がこの共感より先に違和感を感じてしまったというのなら、私は、やっぱり男の方が「友」という言葉に弱く流されやすい存在なんだという偏見を抱かずにはいられない。

リップの話題とは少しそれてしまったようですが、強い女性に対する弱い男のささやかな抵抗と考えていただきたい。
[最終話]
今回のドラマもとうとう終わってしまいました…。なんかこの3ヶ月間とても早く過ぎ去ったような気がします。
第1話…藍が渋谷の街中を走って、偶然有明と出会うとこから始まり、さまざまな人たちとの出会い、最後は…。
とっても変化の激しい、でもなんだか暖かいドラマだったと私は思います。
“たとえば背中に翼を持っていても、ぼくたちは、きっと空を飛ぶことはできない…”
インパクトのある一番最初のナレーションの言葉ですが“翼”がどういう意味をもって、そのわけはなんだったのか私は大きな関心を持ち、見たあとはボーっとしてなぜかビデオを巻き戻して初めから見始めたりもしました。

若い頃、人間はひとりで生きていくことはできないという言葉を私は、そんなことはない、人間はそんなに弱くない、と思ってました。
でも今までの人生で、人間誰でも笑う時もあれば泣く時もあるし、他人に頼らなければ生きていけないことだってありえると考えを変えることができ、そして今回のドラマでその確信を得ることができました。
このBBSでは賛否両論な意見が出ましたが、見ている人それぞれの考えを聞くことができたのは、このドラマのおかげではないでしょうか。
“同じ考えを持つ人は存在しない”
私たちは人間である前に孤独な生き物であると思います。
でもそれを持ってこそ人間でありえるのではないでしょうか。
[最終話]
登場人物たちは、色んな過去のトラウマで、自分のために生きることがもうできなくなって、精神的な愛、永遠、優しさ、などに存在理由を求めていったのですね。
そのあたりの心境の変化をもうちょっと描写してほしかったけど、それは解釈する者の楽しみなのかな。

現代文明の下で自己実現のために生きている大半の視聴者にとって、このドラマが自己利益のために抑圧されていた心にカタルシスを与える、と同時に自己利益の心からの猛烈な反発も感じさせる、というのがよくわかりました。
環境問題とかの問題と同じところがありますね。

美しいけど虚構のお話し、とカッコのなかに入れて収めてしまうのか、それともマジで精神的な価値を追及していくのか、適当なバランスを取るのか、引き裂かれるのか。
野島さんに、そういう問いを突きつけられてると感じるんです。
野島さんも答えを持ってないから脚本を書けるんでしょうね。
[最終話]
新世紀のイヴは、もう決して赤いリンゴは食べないだろう。
旧世紀のイヴは悪魔にそそのかされて知恵を得るために赤いリンゴを食べ、アダムにも食べさせた。
知恵を得るかわりに、永遠の命を失った。
我々はその子孫である。

あれほど欲しかった知恵ってなんだろう。
死に至る物質的豊かさか。死に至る科学技術か。死に至る精神疾患か。死に至る経済成長か。死に至る新興宗教か。死に至る予言か。
結局、永遠とか、幸せからは、遙かに遠い知識だったのではないか。

価値観の転換。
一部の人々はもう気づいているのではないか?永遠とか幸せとは、成るものや勝ち取るものや掴むものではなく、感じるものだと。
物質的豊かさや科学や経済的成長とは、無縁な心が感じるものだと。

世界中の人が皆、敵になっても君の味方だ。
たった一人の理解者で救われる。
何も怖くない、どんな道でも行けるだろう。
愛し合う二人の周りに派生する無限大の可能性は、重力の法則から抜け出し、天空を目指すだろう。
重力に魂を引かれた者達からは光としか見えないかもしれない。
砂時計から時間を取り去れ!無限の可能性が二人を待っている。





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