[ 一覧に戻る ]

過去ログNo1
教えてください。  Name:ペーター
これは純粋な疑問です。
確か第三話で散骨を思い悩む朔太郎に、父・潤一郎が、「お前、おじいちゃんに変なこと頼まれたんだろう」と尋ねますよね。その後、一言二言、言葉を交わした後、朔太郎が「なんでお父さんじゃなくて、オレに頼むんだよ」みたいなことをいう。すると父は「そうかそうか、憶えてないか」といって、朔太郎が生まれた時の写真とその裏書「潤一郎に長男生まれる。偉大な詩人の名を取り、朔太郎と命名」(不正確かも)を見せます。この因果関係が良く分からないんですよ。これは「なんで俺なんだよ」という朔太郎の疑問の答えになってるんでしょうか? 祖父が命名したのは父である潤一郎もきっとそうでしょうし。もしかして「詩人の名前を持つ孫は、きっと自分の思いを理解してくれるロマンチストに違いない」と考えていたのか。でも「潤一郎」だって十分耽美派なわけだし…。もしかして、僕は何か大きな見落としをしているんでしょうか?

次はちょっとした解釈論。
第一話冒頭で、ラジオネーム「ジュリエット」のコメントを聞いて、雨の中朔太郎は公開放送の現場に向かう。これは、あの場にハガキ(?)を投稿した本人が来ている、という前提があったためでしょうか? 例えば、省略されたDJの後半のコメントにそういう言葉があったとか。だから朔太郎はあの場で必死に亜紀の姿を探した。
それとも、あのコメントを聞いた時点で熱に浮かされるように、すがる思いで駆けつけたのか。
なんか、どっちでもいいような問題ですけどね、個人的には納得できる必然性が欲しいというか…。

上記2点については、DVD完全版の未公開シーンにその答えがあるのでは、とちょっと期待してたものですから。

最後に、オヤジ視点によるちょっと違和感を覚えた台詞。
●第一話、妹・芙美子の「いまどき1000円なんて、あり得ないよ〜!」。
「あり得ない」というのはもちろん当時からある言葉ではあるけれど、あのニュアンスでの、中学生による使用は、ちょっと新し過ぎやしませんか?
●各話各所の「すごい」
本来の形容詞ではなく副詞(すごく)として使用。87年当時は恐らくそういうナラティブは無かったと記憶しています。
極めて完成度の高いドラマだけに、そんな些細な点が逆に目立つ。まあ、重箱の隅の難クセには違いないんだけど…。
...2005/01/29(Sat) 02:33 ID:gwCo5S6o    

             Re: 教えてください。  Name:にわかマニア
 「あり得ない」と「すごい」ですか・・・(-。-)y-゜゜゜
 まあ,テレビって,茶の間で家族一緒に見るものですから,いろんな世代が無理なく受け入れられるようにってところもあるのでしょうね。
 もっとも,現代劇だから10年前の流行がどうだったかが本人も覚えているだけに気になったりするのですが,これが時代劇だったらどうでしょうか。確かに,多少は古そうな言い回しを混ぜることで,「昔の話だよ」ということを伝えようとしてはいますが,例えば義経を徹頭徹尾,平安時代の語法と口調でやったとしたら,日本史と古典文学の専門家以外はチョンプンカンプンになってしまうでしょう。

 第1話のラジオの公開放送のシーンですが,「熱に浮かされるように、すがる思いで」というのは,そのとおりだと思います。投稿者をスタジオに呼んでいたというのは無理があるかもしれませんし,そうだとしても,スタジオまで行く間に番組が終わるかもしれませんが,局の担当者に,ひょっとすると知っている人からの投稿だったかもしれないので,どんな人からだったのか差し支えない範囲で教えてくれと頼むつもりで行ったその場所に,よく似た人影を見つけたということは考えられるかもしれません。

 最初の「なぜ孫か」については,原作とドラマで「子」(サクにとっては父)の描かれ方は違いますが,そんなことは実の子に頼めというサクに対して,「わしらは気が合う」というやりとりがあったり(47頁),「隔世遺伝」というコトバまで飛び出しています(33頁)から,原作のそうした流れを踏まえてのことだったと解釈できるのではないでしょうか。
...2005/01/29(Sat) 08:04 ID:4iMWbhu.    

             Re: 教えてください。  Name:ペーター
にわかマニアさん、どうも。
「あり得ない」「すごい」「ラジオ公開放送」については、まあ、そうですね。

しかし、最も気になっていた「なぜ孫か」については、うーん、という感じでしょうか。
確かに原作では朔太郎の父親は極めて現実的で無粋な人間と表現されていましたが、ドラマではそんな描かれ方ではなかったし、何か見落としているポイントがあったのではないかと、ホントにちょっと悩んでいた訳です。あるいは、何かが省略されていたのではないか、とか。でも、にわかマニアさんが言うのなら、そうなのかなあとも思ったり…。要するに、それだけ孫の朔太郎には思い入れがあった、ということなんですかね。(でも命名したのは、潤一郎も芙美子も、それに龍之介だってそうだろうし…ってクドイか)
...2005/01/29(Sat) 11:12 ID:gwCo5S6o    

             Re: 教えてください。  Name:hiro
「なぜ孫か?」について、
潤一郎が見せた意味は、「写真の裏にはその時々、おじいちゃんが言葉を書いている」ということではないでしょうか?
なので、サクもその場ではわからず、アルバムの写真一枚一枚をめくって読んでいったのだと思います。
亜紀に電話する場面(亜紀は学校へ骨の瓶を探しにいっていると気付くシーン)の前に、アルバムから出された写真が映されていますので、それら全部読んだのでしょう。
その中に自転車の写真がありましたので、「自転車の約束」も読んだと思われます。
サクは忘れていたようですが、結果として「自転車の約束」は守られてきたので、おじいちゃんにしてみれば、「自分とサクは大事な約束をする仲」で「サクは約束を守る人」と位置づけられていたということではないかと思います。

潤一郎が、なぜ、自転車の写真ではなく、一番最初の写真(生まれた時の写真)を見せたかは、「おじいちゃんと話してみなさい」という意味だと思います。
...2005/01/29(Sat) 13:06 ID:afavQqiw    

             Re: 教えてください。  Name:hiro
「あり得ない」「すごい」についてですが、ドラマでのセリフは時代にあまり縛られていないと同時に、地域にも縛られていないようです。
映画版は香川、ドラマ版は、私は愛媛説を推しています(明確ではありません)が、その土地の言葉ではありません。
ドラマ版第1話学校でのボウズのセリフ
「いやー、昨日さー、葬式の時にさ、急に雨がさ、降ったわけだよ・・・」
この「・・・さ、・・・さ」は標準語というより東京圏の言い方ですよね。
それこそ、地元では「あり得ない」です(笑)
...2005/01/29(Sat) 15:18 ID:afavQqiw    

             Re: 教えてください。  Name:にわかマニア
 hiroさんの投稿で思い出しました。
 「朔太郎とアキのいる風景」のサイトで,宇和島弁が紹介されていましたね。でも,全編,現地のコトバで統一されたら,字幕でもないと視聴者は混乱するかもしれませんね。
...2005/01/29(Sat) 16:19 ID:4iMWbhu.    

             Re: 教えてください。  Name:おじさん
ベーターさんの「なぜ孫か」との疑問は、おじさんもまったく同様でしたが、hiroさんの[3]ですっきりしました。

ただ、他にも、1.1987年には、全日空はすでにANAだったかな?  2.当時は、不織布のマスクはポピュラーだったかな?(まだガーゼのマスクが一般的ではなかったか)など時代に縛られてしまっている疑問も残っています。
...2005/01/29(Sat) 16:25 ID:rkNtkYbc    

             Re: 教えてください。  Name:おじさん
もう一つ教えてください。(スレッドの本線から外れてすみません)

なぜ、夏に「すき焼き」「海鮮なべ」を囲んだのでしょう。(一家団欒の演出はやはり鍋ですかね?)

DVDに涙しながら、つまんないところに引っ掛かっています。
...2005/01/29(Sat) 16:35 ID:rkNtkYbc    

             教えてください謙太郎の散骨  Name:小笠原ケータ
僕は謙太郎の散骨に関してさらに理解できていないところがあります。

(1) 第2話の謙太郎が散骨を依頼するところで朔太郎は「たぬきじじい」と言い放ちますが、この言葉は無くても話は通じたように思います。このセリフがドラマの中で果たした役割は?
(2) 自転車に乗れた回想シーンの直後、潤一郎がその時の写真を見て泣いています。これはいつのことなのか、なぜその場にいなかった彼がその写真を見て泣いているのか?

僕がこれらを分からないのは、謙太郎・潤一郎・朔太郎の三者の間で、他者とどのような関係があり、他者をどのように理解しているのか、分かっていないからだと思います。

どなたか考え方をご教授いただければ幸いです。
...2005/01/29(Sat) 22:31 ID:ARDsSiF2 <URL>   

             Re: 教えてください。  Name:ペーター
小笠原さんの質問ですが、
(1)確かに「たぬきじじい」の台詞は無くても話は通じますが、個人的にはこの台詞はすごく好きです。亜紀と朔太郎にサトさんの話をする謙太郎の些か過剰な演技に、僕はちょっと「引いて」しまったんですね。それまですごくいい感じの自然な演出が進んでいたのに、いきなり安っぽくなっちゃったなあと、これじゃあ感情移入できないなと。そんなちょっと冷めた気分を朔太郎の「たぬきじじい」の一言がリカバリーしてくれた。「ああ、そういうことだったのね」と。謙太郎による「劇中劇」というか「演出内演出」という前提だったのかと。その奥深さに、さらにこのドラマに対する信頼感が増したというか、あの一言でドラマとしての格がワンランク上がったと言ったら言い過ぎでしょうか。(ただし、謙太郎自身が実際どういうつもりだったのかは演出上、明らかにはされてませんが)
と、ここまで書いたところで、念のためDVDを見直したんですが、このシーン、途中まで「始まり」という優しくて情緒的な劇中曲が流れてますね(最後のほうは音楽なしですが)。ん? ということは、このシーン、若い女の子を前にした謙太郎の「半分芝居」ではなくて、割と本気の「感動シーン」だったのでしょうか? だとすると、上に書いた僕の感想はまったくオカシナ話になっちゃうなあ。さて、わからなくなってきました。どなたか助言を!

(2)潤一郎が写真を見ていたタイミングは分かりませんが、自転車の写真を見ていたのが単なる偶然だったとしても、あるいは、いわゆる「シンクロニシティ」だったとしても、いずれにせよ僕は違和感なく受け入れられます。
あのシーンは、実父が亡くなってまだ日が浅い時に、たまたま手にした古い写真を見て涙を流した、とシンプルに受け止めました。

それからhiroさん、「なぜ孫か?」僕もかなり納得できました。どうもありがとうございました。
...2005/01/30(Sun) 00:08 ID:5O.XttF.    

             Re: 教えてください。  Name:にわかマニア
>このシーン、若い女の子を前にした謙太郎の「半分芝居」ではなくて、割と本気の「感動シーン」だったのでしょうか? だとすると、上に書いた僕の感想はまったくオカシナ話になっちゃうなあ。

 おかしくもないと思いますよ。
 芝居だったとしたら,「冗談はそこまで」という感じでストップをかけたと解釈できますし,本気の感動シーンだったとしても,その前に亜紀の手に触ったりしているので,「昔の恋に涙したかと思ったら,若い子の手をちゃっかり握ったり,いい加減にしなさい。このセクハラ野郎」という意味を込めているとも解釈できるのではないでしょうか。
 
...2005/02/06(Sun) 08:38 ID:0EucPrzE    

             Re: 教えてください。  Name:say
謙太郎は意図通りに事を運ぶために用意周到なところがあるから、本気ではあってもより説得するために演技もしているんだろという思いがあってその悪賢さ(骨を盗ませるわけだし)を言っただけでは。
...2005/02/06(Sun) 22:23 ID:RyNVUJrs    

             Re: 教えてください。  Name:ペーター
まっ、そうですね。
謙太郎の些か大仰な振る舞いが仮に演出であったとしても、そこに語られる若かりし日の謙太郎とサトさんとの悲恋の物語は決してでまかせではない訳で、朔太郎に隔世遺伝することになった謙太郎の純真で一途な熱情に対する演出側からのある種の敬意が「始まり」という優しく清澄な音楽に託されたとも考えられるかもしれない。
謙太郎のアクションが大きくなっていくのに呼応するように音楽がフェイドアウト。して、「たぬきじじい!」一喝。なんというバランス感覚。

そういえば、池澤夏樹の『骨は珊瑚、眼は真珠』という確かシェイクスピアの「テンペスト」から引用したタイトルの味わい深い短編も「散骨」をひとつのモチーフにした物語でしたね。関係ないけど。「散骨」をモチーフにした物語ってけっこうありそうな気がします。
...2005/02/07(Mon) 17:53 ID:vuTw2Nc.    

             Re: 教えてください。  Name:ペーター
「始まり」フェイドアウトしてなかったかも…。
すいません、DVDが今手元にないので確認できませんが、もし違ってたら僕の脳内演出ということで…。
...2005/02/07(Mon) 18:03 ID:vuTw2Nc.    

             Re: 教えてください。  Name:小笠原ケータ
なるほど。
第1話で介にワインの飲ませ方を教えるような、異性に対する謙太郎の(従来の)キャラクターがまずあった。
朔ひとりに骨入手を依頼したときには、まず食べ物で釣って「たたってやる」などど脅迫作戦。(朔は拒否)
散骨の依頼=亜紀がいるときには、がらりと変わって泣き落とし作戦。(亜紀は同情)
それで、朔としては、その態度の変わり方に対して、亜紀と親しくされた嫉妬心もあって「たぬきじじい」と言い放った。つまり背景には亜紀への思いがある。
僕なりに、このように理解しました。

あーすっきりした。みなさん、ありがとうございました。
しかし、この朔の気持ちが分からなかった僕は少年の心を失っているんだなぁ。


ところで、例の泣くシーンを見ると、子ども朔の自転車写真に、なにか特に潤一郎にとって大きなことが隠されているように思えて気持ちが引っかかります。勘ぐり過ぎでしょうか。
...2005/02/08(Tue) 00:55 ID:h9dqihoc <URL>   

             Re: 教えてください。  Name:say
潤一郎との関係で言うと、何故サク(だけじゃないけど)の名前の命名はおじいちゃんだったのか、という事も関係していそうな気がします。
写真からサクがおじいちゃん子であっただろうと想像できますし、それはそれだけおじいちゃんがサクをかわいがったからだと思うし、おじいちゃんにとって初孫であったサクはとてつもなく愛おしい存在だったのかなと。
写真からはその当時の溢れんばかりの愛情を注ぐ親父の姿を潤一郎は思い出していたのかなと思いました。
...2005/02/21(Mon) 03:21 ID:B.qX6qMI    

  [ 一覧に戻る ]