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過去ログNo1
もう一つの結末(再会編)  Name:clice
山に向かう町外れのこの道を歩くのは初めてのような気がする。通ったことが無い訳ではない。最後にここにきたのは17年前にお爺ちゃんが死んだ時だ。山の麓に高い煙突が見えていて、子供のころ時折昇る煙に何かの工場なのかといつも不思議に思っていた。そしていつだったかお爺ちゃんにその事を聞くと、「あれはね死んだ人が高い高いお空に昇っていく場所なんだよ」「お爺ちゃんも死んだらあそこからお空にいくの?」「そうだよ、爺ちゃんも婆さんも、この町の人はみんないつかきっとな」そういって教えてくれた。
それからあの煙突から煙が出るたびに、誰かの大切な人がいなくなったんだと思うようになった。
緩やかな昇り道の両側に新緑に包まれた木立が並び、セミの声が夏を感じさせた。
上り詰めると広い駐車場があり、建物と空に真直ぐ伸びた高い煙突がすぐ目の前に見える。本当は17年前もう一度ここに来なければいけなかった。そして見届けなければいけなかったんだ、亜紀があの空に昇って行く事を・・。
「亜紀、君は本当に幸せだったのかい?最後の別れもできなかったこんな意気地なしの俺と出会って・・本当に」そしてポケットから取り出した小ビンを空にかざした。
その透き通る光の中で亜紀がきらきらと輝いていた。あの遠い夏の日の君のように・・。

朔太郎が宮浦に帰ってきて一週間が過ぎていた。亜紀の骨をどうしても撒けないまま時間だけが過ぎていった。いくら今まで休暇を取らなかったといっても、待ったのない仕事だ他のスタッフにいつまでも負担をかける訳にもいかなかった。そして心配してわざわざ来てくれた小林の事も気がかりだった。
両親も小林と一樹が泊まった2日間は本当に嬉しそうだった。本当なら年に1・2回はそうやって家族で帰省して、両親に孫の顔を見せることが俺の年齢だったら普通なんだろう。俺はずいぶんと親不孝をしてるのかもしれない、あの日からずっと・・。
帰ってきてからずっとあの事に触れなかった両親だったが、夕食の時ついに雄一郎が聞いた「朔太郎、廣瀬さんの所には挨拶に行ったのか?」「いや、行ってない」「どうして行かないんだ、こうして帰って来てるのに・・」「そうだよ朔太郎、亜紀ちゃんにちゃんと会ってあげなよ、もう出来るだろうこうして帰って来れたんだから」「廣瀬さんいつもお前の事気にしてくれてるんだぞ、朔君はどうしてますかって」「ところで何時までこっちにいるんだ、帰る前には一度行って来い」「ああ、分かった」朔太郎はそう生返事をした。
その時電話が鳴った。「はい松本でございます」富子が電話に出た。そして何か丁寧に挨拶をすると受話器を置いて「朔太郎、病院から電話だよ、何か急用じゃないのかい、ほら」と出るのを急かした。
電話は同じ病院に勤めている大学の同期の内科医の田村だった。「どうしたんだ、何かあったのか?」「どうしたじゃないよ、松本お前携帯ぐらい持ってけよ、探したんだぞいいからすぐ帰って来い」「お前骨髄バンクに登録してるよな、俺の患者とお前のHLAが一致したんだよ、緊急なんだいいか明日朝一で帰って来い、詳しい事はその時話す」そういって田村は電話を切った。
「どうしたんだ朔太郎」「仕事だ、明日帰るよ、廣瀬さんの・・亜紀の事はちゃんとするから、これ以上父さんや母さんには心配かけないから」「朔太郎、東京に戻ったら小林・・明希さんによろしく言ってね、また何時でも遊びに来てくださいってね、一樹君を連れて・・いいね」「ああ、分かった言っとくよ」そして朔太郎は朝一番の電車で東京に向かった。朔太郎が大学3年生の時、日本骨髄バンクが設立された。亜紀の白血病に無力で何もしてやれず悔しい思いをした事が、バンクへの登録に朔太郎を突き動かした。
あの日出来なかった事を誰かの為にしてあげたかった。それが亜紀の思いに答える事だと思っていた。しかし今日まで適合の連絡は入らなかった。

病院に戻ると第一内科の田村を訪ねた。田村は血液内科が専門で造血幹細胞移植のエキスパートだった。そしてそんな白血病の第一線で戦う友人を朔太郎は尊敬していた。
「よお、帰ってきたか、びっくりしたぞバンクの知り合いからHLA適合者がお前だって知らせを聞いたときには、この前入院してきた患者なんだが急性転化を起こしてるんだ、血小板の減少が著しくてな、このままなら脳内出血が起きる可能性がな・・これがカルテと検査データだ」「まだ高校2年生の女の子だぞ」そう言って渡されたカルテを見てその成年月日の欄の数字に朔太郎は釘付けになった。1987年10月24日、忘れもしない亜紀の命日だった。名前は広沢綾、都内の高校に通う女子高生だった。「松本、なにぼーっとしてんだよ、その数値だけど・・」田村の声が遠くに聞こえていた。そんな事があるのか、そんな・・。「それで患者は今どこに・・」「ああ無菌室だ302の・・」「話は後でまた聞くよ、ちょっと患者を見て来る」そう言うと朔太郎は彼女の病室に向かった。

恐る恐る病室の窓越しに見た朔太郎の目の前に亜紀がいた、眠ってるその彼女の姿はあの時の亜紀そのものだった。心臓が駆け足を始めて、冷や汗がでてきた。その様子を見ていたナースが思わず声をかけたくらいに朔太郎は動揺していた。
こんな事があるはずがない、あるはずがないんだ、そう思ってみても彼女の顔は記憶の中の亜紀にうりふたつだった。亜紀と同じ17歳の少女、そして残された時間があと僅かという事も・・。
その時、ふと亜紀の声が聞こえた気がした。
「朔ちゃん、彼女を助けてあげて、今の朔ちゃんだったらきっとできるよね」
朔太郎はポケットの小ビンを握り締め、そして今来た廊下を歩き始めていた。

続く

私も皆さんの投稿に刺激され、このBBSに文章を書きたくなってしまいました。以前に考えたプロットに加筆して投稿します。読んでいただけると幸いです。
...2004/11/18(Thu) 17:25 ID:BZhfAftM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
すみません、朔の父さんは潤一郎でしたね、恥ずかしいです。
...2004/11/18(Thu) 17:37 ID:BZhfAftM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:yosi
こっちでは初めまして、ドラマのBBSでは何時も読ませて頂いておりました
また違う世界の松本朔太郎ですね、これからも楽しみにしております
...2004/11/18(Thu) 17:51 ID:md0r7C4Q    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
早速読ませていただきました。亜紀が旅立った日に生まれた亜紀にそっくりな少女。17歳、そして急性白血病。まもなく消えようとする命のともしび。
そして、天国から朔を応援する亜紀。
 うまく言葉にできないのですが、まちがいなく読者の心に残る「素晴らしい作品」になるように思えてなりません。今後の展開を楽しみにしております。
                グーテンベルク
...2004/11/18(Thu) 19:18 ID:JRckhldo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜clice様〜
先日は、失礼いたしました。
お名前を見つけて、つい嬉しくなって書き込みしてしまいました。最後に書いて下さった物語は、あれを読んだ人なら忘れられない程素晴らしかったです。本当に。
このお話(再会編)は、clice様が公式HP(No.6-15)でお書きになった前段階ですね。今回お名前を発見してから私は、どこに書いたてあったかなぁと思い、久しぶりに公式BBS内を探し回りました。内容は覚えていたのですが、細かい表現を何とお書きになっていたか、もう一度読みたくなったので。
私などが感想を言うのも恐縮なのですが(でも言うの)、clice様のお書きになる物語は、特に場面が転換する際など、何とも言えない余韻があって、気持ちを直接表現せずに情景をきっちり描いていらっしゃる所が、かえって心の奥底まで響いてくるのです。緒形さんの声も、はるかちゃんの声も、はっきりと私には聞こえてきます。

(追記)
公式HPに最後に書いて下さった物語(No.17-7でしたっけ)。私は「AKI・KOBAYASHI」の下りがとても好きです。そこにclice様の「もう一つの結末」という優しさが感じられます。更に、
「・・・振り返った。何故そう思ったのかは分からなかった。」(正確でなくてすいません。)
ってところが、大好きです。
そして、最後の写真の描写。
カメラアングルまで見えるようです。
本当に素敵な物語、ありがとうございました。

(あんまり書いてると、また中毒症状になるので、やっぱり黙って静かに読ませて頂きますね。とても楽しみにしています。頑張って下さい!)
...2004/11/18(Thu) 19:20 ID:ll8GAoEs    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:朔五郎
初めまして。私も公式HPの中ではよく拝見しておりました。こちらにも書いて頂いて、嬉しく思っております。続きを楽しみにしております。
...2004/11/18(Thu) 21:42 ID:bnTxlF/Q    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:北のおじさん
はじめまして。 私も公式HPに書かれていたclice様の物語、拝見しました。
色々な話が掲載され、楽しみが増えました。続きをよろしくお願いします。
...2004/11/18(Thu) 22:26 ID:PNKNTR7Y    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
cliceさん、今晩は。はじめまして。
亜紀の声が聞こえたときはちょっとホロリときました。
続きを楽しみにしております。

※ここにきていろいろな方のストーリー投稿が増えて、楽しみが増えました。DVD発売に向けてさらに勢いづくのでしょうか?

朔五郎さんや私どもの書いたスレにも是非遊びに来て下さい。
(エール交換にやってきました)
...2004/11/18(Thu) 22:35 ID:HYn4VfNI    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
グーテンベルグ様、不二子様、朔五郎様、北のおじさん様、SATO様、感想ありがとうございました。この物語のもとになっているのは、不二子様に見つけていただいた公式HPの一回の投稿分で入るくらいの短い文章でプロットのようなものですが、まだあの時点ではドラマのラストがどうなるのかまったく分からなかった為、第1話最初の病院のシーンのようにせっかく医者になった朔太郎に自分の本来の場所で、医者らしい活躍をしてもらいたいなと思った事が最初にありました。公式HP上でもさんざん突っ込まれていた今朔の情けなさと、医者である必然性がドラマの中ではまったく感じられなかった為に(結局最後まで医者としてのシーンはなかったけど)イメージの中ででも緒形さんに白衣を着せて、朔太郎の本当の姿を想像してもらいたいと思いました。
そしてドラマの中ではありえないはるかちゃんとのシーンも、それを想像するのは楽しいものでした。
運命が再び交差する物語、あまり長い話にはならないと思いますが最後までよろしくお願いします。

不二子様へ
追記で書いていただいた事、自分が伝えたかった事そのままです。そのように感じていただいて本当に嬉しくおもいます。人は一つの人生の選択しかできません。もしかすると私たちもどこかで有り得たかも知れない運命と、一瞬の交差をしているかもしれません。そんな事を書いてみたいと思いました。でも書くときに一番最初に浮かんだのはラストの写真のカットなんですけど・・。
...2004/11/19(Fri) 01:13 ID:oqJmBZY2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
医局へ向かう廊下を歩きながら朔太郎は思っていた。一週間ぶりの職場はいつもと変わらぬ静かななかにも慌しさがあり決して一週間前と同じではなかった。この間どれだけの人の笑顔と悲しみが交差したことだろう。ここで寝泊りする事もたびたびで、長い休暇など取った事がなかったからか、つい今しがたまでは、ここに居た事が遠い昔のように感じていた。大学を出て医師になり医療の最先端でずっと今日までやってきた。目の前の小さなパレットの中にその人の人生、その人を大切に思う人たちの事、その命の重さを思いながらわずか数グラムのプラスチックと必死に戦ってきた10年だった。
しかし今、宮浦での一週間は朔太郎にとってすでに過去になっていた。朔太郎の前には救わなければいけない命があった。真直ぐに前を見据えた目には輝きが戻り、その後ろ姿はまぎれもない医師の姿だった。そして医局のドアに手をかけた、遠い日の約束を今果たすために・・。

「田村、話しの途中ですまなかった、それでどうなんだ容態は、助かるのか?」「さっきも話したように危険な状態だ、患者は慢性が急性転化していてそのスピードが速い。お前も知ってるだろ、この状態では骨髄移植しか助かる手立てが今のところない」「それで助かる確率は?」「かなり低いな、俺は神様じゃないから分からないが、彼女にとって今はお前が神様なのは間違いない」「データを見せてくれ」そういって朔太郎は彼女と自分のHLAデータを見比べた、そして驚きの表情を浮かべた。「田村、これって・・」「そうなんだよ、俺も長いことやってるけど、まったくの他人でここまで一致してるのは初めてだよ」そう言ってあきれたような素振りをしたが、その表情は嬉しそうだった。
「彼女は何時入院を?」「一週間前かな、ちょうどお前が倒れた日だ、それはそうとお前身体大丈夫だろうな」「ああ、それは大丈夫だ、実家に帰ってのんびりしたからな」
「そうか、しかし不思議な事も有るもんだな、あの子な親の話しでは自覚症状らしい症状は無かったらしいんだ、それがこんなに速く移行して、そして入院した病院に完璧な適合者が居たなんてさ・・」「お前ら呼び合ってるのかも知れないな、前世で恋人同士だったとかさ」そう言って田村は笑った。すべてがあの日から始まっているのか、7月2日、その日俺は過労で倒れて谷田部先生の手紙を読んだ。そして呼ばれるように宮浦に戻り遠い日の亜紀と自分に出会った、忘れかけた何かを思い出した、ずっと大切にしてきたその訳を・・。そして同じ時、君と同じ姿をした彼女がこの病院に・・あの時と同じ状態で・・。君が呼んだのか・・亜紀。俺にもう一度チャンスをくれるのか・・。
「それで、いいのか?ドナーは・・」「ああ、もちろんだ、約束だからな」「約束?なんだそれ」田村は訳が分からないといった顔をしたが、なんでもいいがとにかく患者を助けようといって、今後の治療内容について話し出した。
その後自分の部署に顔を出し、留守をスタッフに詫びて不在時の引継ぎ事項の軽いミーティングをした後、もう一度彼女の病室を覗いてそして病院を出た。
久しぶりの都会の夕暮れ、高いビルに阻まれ太陽が今どこにあるのかわからない、その事にさえ最近は気にも留めなくなっていた。しかし今、亜紀と一緒に防波堤から見た夕日が朔太郎には見えていた。同じ時には戻れない、でも明日はある、そうだろ亜紀。

明希は一樹の手を引いて家へ向かう坂道を昇っていた。「サク、まだ帰ってこないの?ぼくのこと嫌いになっちゃったかな」一樹はうつむきながらとぼとぼと歩いていた。誕生日に今年は朔太郎はきてくれなかった。サクが来るまで6歳にならないと明希を困らせたが、結局疲れて寝てしまった。「そうだね、ママも本当は帰ってきて欲しいけどねー」
街灯の明かりが灯り、家路を急ぐ人たちが行き交う坂道をこうやって一樹と二人で帰るのが明希にとっての毎日だった。一樹のもう一方の手を松本君が持ってこの坂道を昇ることができたらどんなにか幸せだろうとそう思っていた。しかし宮浦で見た彼は自分の知らない人のものだった。彼が命がけで恋した人、廣瀬亜紀さん、今も彼の心はその人のもの、
きっと素敵な人だったんだろうな、死んだ人には勝てないな、彼から明希と呼ばれる事が永遠に無いだろうと思うと自然に涙がでた。「ママ、また泣いてるの?」「違うよ、一樹、ごみが入っちゃつたの」そう言って明希は涙を拭った。
アパートの前まで来たとき明希の足が止まった。「どうして・・」その瞬間一樹が一直線に走り出した。「サクー」そう叫びながら朔太郎に飛びついた。
「小林、ただいま、今日帰ってきたよ、急に仕事の呼び出しがあってさ・・」そう照れながら朔太郎は明希を見た。「松本君、帰ってくるなら電話ぐらいしなよ、もうびっくりしたよ」「ごめん、でもさおかしいんだ、病院に行って街を歩くとさ帰って来たって感じがするんだ、もう俺の生きていく場所はここなんだなって思うんだ、いまさらだけど・・」
「そうだよ、松本君は最先端医療に携る東京のお医者さまなんだから・・さあ入って」
「一樹の誕生日のお祝いするって約束したけど、遅くなってごめん・・ケーキ買ってきたんだ」そう言うと持っていた包みを明希に渡した。明希の瞳に涙が溢れてきた、暗くて朔太郎には見えなかったが、さっと拭うとバッグから鍵を取り出しドアの前に向かった。

続く
...2004/11/19(Fri) 12:57 ID:oqJmBZY2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
続き、読ませていただきました。時の流れの中で出会った少女。これも運命なんでしょうか。それとも2人の再会なんでしょうか。頑張れ!彼女を助けてあげてくださいと呼びかけたくなります。この続きを楽しみにしております。
...2004/11/19(Fri) 21:28 ID:yey.tm.k    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
テレビ本編とリンクしていて、映像が目に浮かびます。4話・5話あたりの朔と明希とのやりとりが発展したような印象を受けます。
...2004/11/19(Fri) 21:41 ID:6SXqO5DU    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
朔太郎は明希のアパートのベランダに出て街の明かりを見ていた。今週から東京も熱帯夜が続いていたが、すこし高台に在る為か夜風も幾分爽やかだった。東京の昼間の喧騒はさっきまではそれが懐かしいと感じていたのに、こうして夜の街を見てると波の音と虫の声しかしない宮浦が、また懐かしく感じられ不思議なものだなと思っていた。
「どうしたの?」振り向くと明希が缶ビールを両手に持ってベランダに出てきた。「一樹寝たわ、はしゃぎ疲れてもうぐっすり、今日はありがと、松本君」「はい、これ」そう言って朔太郎にビールを差し出した。「あ、ありがとう、小林よく飲んだりするの?」「飲むわよ、たまに・・・シングルマザーも大変なんだから、飲まなきゃやってられない時もあるの」そう言ってビールを美味しそうに飲む明希を見て、朔太郎はなんだか微笑ましい気持ちになった、そして自分も飲みはじめた。
「松本君」明希は気になっていた事を恐る恐る切り出した。「廣瀬・・亜紀さんの骨は撒けたの?」「いや、撒けなかったんだ結局、それで急に呼び戻されたし」「そう」明希は精一杯気にしてない振りをして答えた。「俺さ、死のうとしたんだ、海で」「えっ」突然の朔太郎の言葉にビールを持つ手が止まり明希は自分の耳を疑った「でもぜんぜんだめで、溺れただけ」「馬鹿過ぎ」「俺もそう思う、その海さ亜紀が自殺しようとした海なんだ」そう言ってその時の事を朔太郎は話した。「松本君、今度は亜紀さんが助けてくれたんじゃないの?」「ああ、そうかもしれない。だけどさ俺、思ったんだ、本当は俺生きたいんだなって、生きなきゃだめなんだってやっと分かったよ」明希はほっとため息をつき笑顔で聞いた。「ねえ、もし亜紀さんの存在が無かったら松本君は一樹の事産めって言った?そうゆう形で亜紀さんは松本君の中で生きてるんじゃないのかな、忘れるとか忘れないとかじゃなくてもうずっと一緒にいるんだよ」そう言って明希は微笑んだ。
「小林、君にまた心配かけたくないから話しておきたい事があるんだ」「何?」明希はまた不安げな顔をして朔太郎を見た。「俺、実は骨髄バンクにドナーの登録をしてるんだ」「亜紀さんの事があったから?」「そう、俺、結局亜紀になんにもしてやることができなかったんだ、もしあの時バンクがあって適合する人がいて、移植手術を受けられたら亜紀は助かったかもしれない、だからもし俺の骨髄で誰かが助かるんだったら、その時は喜んでドナーになろうって思ったんだ」「亜紀もそれを望んでると思うし・・そして今俺の骨髄が適合した移植が必要な白血病の人がいるんだ」朔太郎の目の中にある強い意思のようなものを明希は感じていた。「それでドナーになるの?」「うん」「いつなの?それ」「まだはっきりしていないけど月末までには骨髄採取の為に入院する事になると思う、でもそんな大変な事じゃないから心配しなくても大丈夫だから」「分かった、応援するね。大丈夫だよ、きっと亜紀さんが守ってくれるよ、移植を受ける人助かるといいね」明希は笑顔でそう答えた。
しかし、世界を隔ててなお存在する二人の絆の強さに明希は自分の存在の頼りなさを思わずにはいられなかった。
朔太郎は夜空を見上げた。半分になりかけた月が黄色い光を放ち浮かんでいた。今まで誰にも話さず心に閉ざしていた事だった。それがこの数日で何かが変わろうとしていた、運命の歯車がゆっくりと動き始めているのを朔太郎は感じていた。
そして次の日、朔太郎に対して最終的にHLAの適合を確認する為の第3次検査が行われた。

続く
...2004/11/21(Sun) 23:34 ID:0161g3d.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Rezign
cliceさんガンバっす!(^-^)
...2004/11/22(Mon) 12:33 ID:c9K2WNso <URL>   

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
綾は目の前にある透明なビニール越しに見える白い天井を見上げていた。その朦朧とした意識の中でなぜ自分がここに居るのか必死に考えていた。個室にしては幾分広い部屋の真中に、まるで四角いテントのようなビニールの覆いがありその中にベッドがあった。
この中に寝かされて今日で何日経つのか考えるが頭がうまく働かない。一週間ほど前だろうか、数日前から急に身体がだるくなり吐き気もしたが、疲れてるのかな、風邪でもひいたかなぐらいに思っていた。熱もあったので市販の風邪薬を飲んでいたが一向に良くなる気配がなく、学校を休み部屋で寝ていたが急に身体ががたがたと震えだし、体温計で計ると40度を超えていた、そしてついには全身が痙攣を起こしたように震えが止まらなくなり、夜になっても治まらない為慌てた両親がタクシーでこの病院の緊急外来に連れてきた。それからいろんな検査をされ、気がつけば24時間点滴のチューブにつながれてここに居た。どうしてこんな事になってしまったんだろう、そう考えているうちまたぼんやりと意識が薄れていった。

綾はいつものように早起きしてランニングウェアに着替え一階に下りた。父親に声をかけると布団から手だけだしひらひら振った。「根性なし」そう言うと外に出た。この季節になるとこの時間でももう明るくなっている。「綾ちゃん、おはよう、今日お父さんは一緒じゃないの?」隣のパン屋のおばさんがそう声をかけた。「おばさん、おはようございます」「昨日、町内会の集まりで飲み過ぎたみたいです、でも最近お父さん、私のスピードについて来れないからなぁ」「いってらっしゃい」「いってきます」そう言って綾は早朝の街に走り出した。隣町にある神社の往復6kmがいつものコース、まだ車や人の通りもまばらな道をゆっくりとならすように走り、そして少しづつスピードを上げていく。ランニングキャップの後ろでポニーテールが揺れ、すらりと伸びた足がアスファルトを蹴っていく。短い神社の階段を上り境内に入る。「タロ、ジロ、おはよう」そう心の中で左右に並ぶ狛犬に挨拶をすると手を合わせた。子供の頃、父親に連れられて御祭りの縁日でここに来た時「このお犬何て言う名前なの?」と私が聞くと「タロとジロかな」と父はそう答えた。今だったら「南極物語じゃないそれ」って言うところだけど、その日以来その2匹は私の中でタロとジロになった。お父さんの走り仲間の人に聞くと、かなりの確率で神社を折り返しにしている。水が飲めるから、今日1日の祈願して、と答えはさまざまだが私は朝の境内の清々しさが好きだ。中には毎日どうか結婚できますようにと御祈りしてる人がいて、一度見たけど私なら・・やだっ・・と思う。

広沢綾の家は駅前から伸びる昔からある商店街の通りの一角でクリーニング店を経営していた。子供の頃は身体が弱く、一人娘だった為体が丈夫になるようにと小学生のころから父親と一緒にランニングをするようになった。それまでは運動会のかけっこも後ろから数えたほうが早く大嫌いだったのが、4年生になるころには1・2位を争うようになり、6年生の運動会ではリレーのアンカーで4人抜きをし、クラスを優勝に導いて一躍人気者になった。最初はいやいやだった父親とのランニングも、自分が速く走れることが分かると楽しくなり何時の頃からか生活の一部になっていた。
中学では陸上部に入り中距離の選手として活躍し、三年生の時の都の駅伝大会では区間記録をマークし、他校の生徒からも一目をかれるようになって今もそれは破られていない。
そんな娘を父親として誇りに思うと同時に、次第にきれいになっていく娘と毎朝一緒に走れる喜びを父親の正信は感じていた。市民ランナーとしてマラソン大会に時々出場していたが、昨年綾と一緒に参加し完走した河口湖マラソンのゴールでの娘とのツーショット写真は正信の宝物だった、そしてそれは綾も同じだった。友達にも「綾ほんとお父さんと仲良いよね」と言われていた。「うちの父親なんかうざいしくさいしもう最悪」なんてよく言ってるけどその気持ちが綾には良く分からなかった。ずっと汗まみれで働く父親の背中を見て育ってきたし、ランナーである父親は同年代の男性と比べてもはるかにスマートでかっこ良かった。ファザコンなのかな、彼氏が出来ないのもそのせいかな・・と思うこともあった。小学生の時、走るのが遅い自分に合わせて一緒に走ってくれた、そんな優しい父親が綾は大好きだった。
高校になっても陸上は続けていたが、次第に勉強が楽しくなり成績も上位になっていった。綾も自分の容姿が同級生の中でも目立つ存在であることは自覚していた。渋谷や原宿でスカウトに声をかけられることもたまにあった。男子の視線も気にしない素振りをしても内心は嬉しかったし、自信にもなった。友達は髪を染めたり、ピアスをしたりお化粧に夢中だけど、綾は健康的でナチュラルがいちばんかっこいいと思っていた。目標は長谷川理恵さん、あんな素敵な大人の女性に憧れていた。そしてその目標に一歩一歩近づいてるはずだった、ついこの前までは・・。

看護婦さんが点滴を替えに来た気配で目がさめた。先生も看護婦さんもこの部屋に入るとき、白衣の上からガウンをはおり、頭に帽子をかぶり、マスクをして目しか見えない。
私、「隔離されてるの?」そう先生に聞くと「先生たちがばい菌を持って入らないためだよ、広沢さんのせいじゃないよ」と言ってくれた。ただの風邪なんかじゃない事は明らかだった。そういえば身体も常にだるかったような気がする、でもいつも走っていて常に疲労があるしスポーツをしてる人は皆そんなもんだと思っていた。綾は薬と熱のせいで思考力の薄れた頭脳を全開にして考えた、そしてある記憶にたどり着いた。母ゆずりでテレビドラマは結構好きで良く見ていた。そしてあるアイドルの生還の物語のスペシャルドラマの中での病室のシーンに、ここがそっくりなのに気がついた、その人の病名は白血病だった。私、白血病なの・・。
綾はもう一つ気がついていた事があった。それは病室のガラス窓から時々自分を見ている男性の姿だった。白衣を着ているからお医者さんには違いがないが、自分を見つめる瞳が何か他の先生と違うものを感じていた。優しい目だがどこか苦しそうな切なそうな、患者としてではない一人の人間として、自分の事を心配しているようなそんな気がしていた。

続く
...2004/11/22(Mon) 14:35 ID:zlYrVClQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
夏の夜の、ベランダの風。
早朝の、白い空気。
病室の匂い。

しっかり、読ませて頂いております。
最後まで、頑張って下さい!!
お身体には、気を付けて。
...2004/11/22(Mon) 15:55 ID:WOEl1D0U    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ 
綾と亜紀。重なる部分もありますね。clice様の文章の書き方によって、広沢綾がここまでたどって来た時間がうまくかけていますね。そして、揺れ動く朔の心。続きを楽しみにしております。
...2004/11/22(Mon) 18:57 ID:xSiHuTVM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
この前の休みはもう遠い昔のようだ。それぞれの科から次々とまわって来る病理組織診検査依頼書に、患者の命の重みを感じながら顕微鏡と格闘する日常が始まったと朔太郎は感じていた。「はい病理です」部屋の電話が鳴った。「松本さん、第一内科の田村先生から2番に電話です」「はい、もしもし」「おう、松本、今日時間あるか?久しぶりにどうだ一杯」「今のところ大丈夫だがそっちはいいのか?」「駄目なら聞かないよ、じゃ後でまたかけるから」そう言って田村は電話を切った。そしてその夜、駅前の通りを少し入った洒落た居酒屋のボックスに二人はいた。

「この魚美味いな」そう言って田村は注文した刺身を次々口に運んだ。黒を基調にした落ち着いた店内で従業員が作務衣姿じゃなかったら、きっとカフェで通りそうだ。
「そう言えばお前の実家は海の側だったよな、たしか」朔太郎は大学時代もそれ以降も自分の昔の事をあまり話題にしなかった。そこに触れるとどうしても亜紀の事を思いだしてしまう事が辛かった。しかし田村とは気が合ってお互いの事も話す間柄だったので、その事には触れないようにして家の事や学生時代の事を話していた。「そう、宮浦っていう小さな港町だよ」「じゃこの前は久しぶりに美味い魚でもたらふく食ってきたか」そう言うとまた刺身に箸を伸ばした。「ところで松本、お前普段ちゃんと飯食ってるか?」「うちのナースの新人ちゃんに病理の松本先生はこの病院に住んでるんですか?って言われてるよお前、何時も朝洗面所で顔洗ってるみたいだけど・・って」「お前さーそんなんだから過労なんかで倒れるんだよ、そろそろ嫁さんもらったらどうだ、結婚はいいぞ早く家には帰るし飯もちゃんと食えるし、付合ってる女くらいいるんだろ」「いないよ、そんなの」「じゃあの小林だっけ、大学の時結構仲よかっただろ、その後どうなんだよ」「どうってただの友達だよ、それよりあの子の事はどうなんだよ」朔太郎はその話題も避けたかったが、広沢綾の事が何より知りたかった「そうだったな、悪い悪い、しかし今ドナーとしてお前だけが頼りなんだから心配してんだよ、お前の身体の事、もうあまり無理すんなよ」
そう言って今までの経過状況を話し始めた。

「3次検査の結果が出て問題が無ければ、両親と本人の同意を得てすぐにでも抗がん剤の集中投与と放射線照射の前処置に入る、そうなったらもう後戻りはできない」「それで検査結果はいつ頃でそうなんだ?」「通常は早くて2週間くらいだが、急いで欲しい旨伝えてある、今は一刻も早く移植を行うことが生存の確率を少しでも上げる唯一の手段だからな」「ところでお前、どうしてこの患者の事にそんなに真剣になるんだ?自分がドナーだってのは解かるが本当にそれだけなのか?」「お前、病棟でもちょっとした有名人になってるぞ、あれ以来日に何度もあの子の事見に来てるそうじゃないか」「ナースたちが噂してたぞ、まるで恋人を見るような目で心配そうに見つめてるてな」「惚れたのか?もし助かってもそりゃお前犯罪だぞ、それとも昔の恋人にでも似てるってか?」そう冗談めかして言って田村は笑った、そして朔太郎の表情を見て「似てるのか、それで今どうしてんだ彼女?」そう言って笑おうとした田村だったが、目の前の朔太郎の表情がみるみる強ばっていくのを見て冗談を言うのを止めた。大学時代から長い付合いだが松本のそんな表情を見るのは初めてだった。田村は直感した、この世界にいる者の勘だった。「死んだのか?もしかして白血病なのか?」朔太郎はゆっくりうなずいた。そして亜紀と過ごした日々の事を話し始めた。まるでパズルのピースが填まっていくように、松本に対して学生時代から疑問に思っていたいくつかの事柄が田村の中で一つに繋がっていった。
「それで何時なんだ、彼女が死んだのは?」「1987年10月24日だ」田村はその日付に記憶があった、そして思い出した「それってお前もしかして・・」そう言いかけて唾を飲み込んだ。朔太郎はうなずいた「そうだ広沢綾の生まれた日だ」田村の背中を何か分からないものが通り過ぎた、人間の命と運命の不思議さは人知を超えた所に存在している、この仕事をしているとそう思うことがたびたびあった。
「彼女の生まれ変わりだっていうのか?」「そんな事在る訳がない、しかし亜紀にそっくりなのは事実なんだ、しかも同じ白血病なんて・・」「そんなに似てるのか・・」田村も目の前にいる友人の想像を超えた告白に言葉を失っていた。

「俺があの日、亜紀を連れ出したりしなければ亜紀は死なずに済んだかもしれない、あのまま病室にいればあと1年は生き延びたろう。もしもう数年生き延びれば移植を受ける可能性だってあったかもしれないんだ。事実東海骨髄バンクが2年後にスタートしていたし、その中に同じHLAの人がいたかもしれないと思うと・・」朔太郎が長い間心の中に封じ込めてきた思いが堰を切ったように飛び出していった。「もしもの話しだろう?お前も知ってるじゃないか、白血病の患者でどれだけの人が骨髄の提供を受けられるか、そして仮に移植が成功してもその中で感染症やGVHD、そして再発で亡くなる人がどれだけいるか」「分かってる、分かってるさ、でもそのもしもの可能性さえ奪ったんだよ、俺、亜紀の、亜紀の事大好きだったのに、たった一人の大切な人の命を守れなかったんだよ俺は・・」そう言って自分を責める友人を田村は見ていられなかった。
「松本、お前それで医者になったのか・・」田村は思い出していた、大学時代松本は癌、とりわけ白血病に関する文献を読み漁っていた。女にも興味を示さずひたすら勉強に打ち込んでいた。だから自然と話題が一緒になり良く話すようになっていった。そして自分と同じ血液内科を専門にすると思っていた。「松本、白血病の事を必死になって勉強してたのもその為か・・亜紀さんの事があったから、じゃどうして臨床に行かなかったんだ?」
それも田村の疑問だった、自分と同じ道に進むと思っていた。
「研修でいろんな科を回り沢山の患者さんに接したけど、その間に亡くなった患者さんも何人もいたし、亡くなった人の多くはやはり癌だったんだ。早期に発見できずに手遅れになった人や術後再発した人もいたと思う。白血病の病棟では小学校6年生の女の子が、移植を待つ間に亡くなったんだ。母親が話してくれたんだ、その子の日記の最後のページに書いてあった事を、早く治ってそしていつか大好きな人のお嫁さんになりたいって」
「なんでこんなに人は癌になるんだろうって思ったんだ、昨日まで元気だった人がなんでってさ、でもできる部位によってそれぞれの専門の科の医者が担当するだろ」「そりゃそうだろ」「でもすべての癌患者に接する医者がいる事に気がついたんだ」「それが病理って訳か」田村は納得していた、こいつはすべての癌と戦うつもりだ。そうだ癌にかぎらずすべての病気を最終的に組織検査して確定するのは病理医の仕事だったと田村は思った。
こいつのどこにこんなエネルギーがあるんだ?亜紀さんを失ったことがこいつを突き動かしてるのか、贖罪なのか、今まで知らなかった友人の本当を知った気がした。
「そうだな、俺たち内科も、外科の連中もお前たち病理や放射線の連中がいなかったら診断一つ下せないもんな、今の医療はリハビリも含めて皆で一つのチームだからな」そう言って目の前のグラスを一気に空けた。
「よし分かった、彼女を助けよう、絶対」「恋人に2回も死なれちゃ俺なら立ち直れないからな、お前にまで死なれたら俺が困る」そう言って田村は朔太郎を励ました。「それはそうとなんで分かったんだ?亜紀の事」「勘だよ、勘、医者に必要なのは観察力と想像力だろ」「田所教授か」朔太郎は大学時代の恩師の言葉を思い出していた。勘の働かん奴には医者は務まらん・・が口癖だった。

続く
...2004/11/25(Thu) 13:09 ID:VsuWBQ6E    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
亜紀を、大切な人を守れなかった。朔が17年間も苦しんできた理由がよくわかります。今回は、今度こそは守ってあげれますようにと祈りたい気分です。命のかけがえのなさ、大切さがこの文章から力強く感じられます。いつも読ませていただきまして本当にありがとうございます。
       グーテンベルク
...2004/11/25(Thu) 19:21 ID:tuneEm2Y    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
グーテンベルク様
毎回のように感想をいただきありがとうございます。
今はまだ暗いトンネルの中で朔太郎の骨髄の適合だけが微かな希望の光です。いつかトンネルを抜けて明るい光が射し込んでくる事を願いつつキーボードを叩いています。またこのような事を題材に取った事もあり、登場人物や病気の事については出来るだけ丁寧に書いていきたいと思っています。これからもよろしくお願いします。
...2004/11/26(Fri) 11:22 ID:zDQqP7Bg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:DR
clice様
初めまして。久々にこちらのサイトを訪れ『もう一つの結末(再会編)』を読ませて頂きました。
色々な描写がとても丁寧に書かれてて読みごたえがありますね。
この先の物語も是非読ませて頂きたいと思います。

これからも頑張って下さい。
...2004/11/27(Sat) 16:43 ID:SREPDO..    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
こちらこそ、よろしくお願いします。私も明るい希望の光が差し込む事を願っております。私は命の大切さを知ることはみんなが幸せになるための第一歩だと信じております。そしてこの物語は命の大切さを知るのにもってこいの作品だと思います。これからも応援させていただきます。お互いに完成目指して頑張りましょう
...2004/11/27(Sat) 18:34 ID:4.g15nO2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
広沢家の台所で母親の和子は朝食の後片付けをしていた。綾のいない夫婦二人だけの食事がもう今日で何日になるのだろうと和子は思った。父親の正信もあの日以来すっかり無口になり会話らしい会話をしていない。今朝も食事を済ませるとすぐに仕事場に入って黙々とアイロンをかけている。いっぺんに歳を取ったように肩の落ちた背中を見ると、その悲しみと絶望感が痛いほど和子には分った、そして流しに綾の分がない二人分の食器を見つめると自然に涙があふれてきた。あの日を境にすべてが変わってしまっていた。

綾が高熱を出し救急外来のあるあの病院に連れて行ったのが2日の夜だった。受け付けで容態を説明すると看護婦がすぐに体温計を持ってきた。その間にも救急車が止まり交通事故だろうか、足から血を流した若い男性が運び込まれ、緑色の手術着を着た若い医師がてきぱきと指示を出しながらすぐに処置室へ運び込んだ。看護婦は計った体温計を見るとすぐに処置室の横に並ぶベッドに綾を寝かし、点滴の投与を始めて同時に採血や心電図などの検査を始めた、そしてその後医師に呼ばれこのまま入院になることを告げられた。
夜間に投与された点滴のおかげで綾の熱も朝には幾分和らいだ。そして内科の病室に移された後すぐに精密検査が始まった。熱も少し下がって話せるようになり、最初は不安半分興味半分で行ってくると笑顔を見せていた綾も、胸に大きな注射針を刺される検査から戻った時にはその笑顔は消えていた。「綾、大丈夫?また熱がある?」「お母さん、私ただの風邪じゃないの?これからどうなるの?なんか怖い」「大丈夫よ、少し眠りなさい」そう話していると看護婦が来て点滴を始め、綾も疲れたのか眠りについた。
その日の夕方、検査結果の説明があると夫婦で呼ばれ廊下の待合場所で少し待たされたあと診察室に通された。
田村と名乗ったその医師はカルテと検査データなのか何枚かの紙とを見比べながら淡々と説明を始めた。「娘さんの病気は白血病です。慢性状態から移行した急性転化という状態にあります。深刻な状態でこのままの状態では抗がん剤などの化学療法を施しても多くの場合もって半年だと考えられます」一瞬医師の言っている事が何の事か理解できなかった、白血病?もって半年?
「でも先生、3日前には何ともなかったんですよ、朝走って、元気に学校へ行って、そんな急におかしいじゃないですか」和子はそう医師に詰め寄った「自覚症状はあったはずですよ、身体がだるいとか、突然あざができるとか・・たぶんご両親の話しを聞くと運動をされてるそうですから、その疲れと勘違いしていたのかもしれませんね」
「慢性の白血病は人によって自覚症状がほとんど無く、血液検査などで分かることが多いんです、ましてやスポーツで鍛えて体力があるとなおさらかもしれません」夫婦共に呆然として医師の話しを聞いていた、すると今まで黙っていた正信が口を開いた。
「白血病には骨髄・・移植という方法が在るんじゃないんですか?その為のバンクが在るってテレビでCMが・・」「そうです、造血幹細胞移植といって白血病の悪い細胞と健康な人の細胞を入れ換える治療法です、いわゆる骨髄移植ですね。娘さんに効果の期待できる治療法は今のところこれだけです」「しかし移植を行う為には患者さんの白血球の型と健康な人のそれとが一致しないとだめなんです。一般的にその確率は兄弟で25%、両親とその兄弟で1%、他人同士なら500人から1万人に1人くらいという極めて低い確率です」「ですがこの方法しか助かる手立ては無い為、娘さんのHLAデータと一致するドナーがいないか骨髄バンクに照合を依頼します、娘さんにご兄弟は?」「いません」「そうですか、この後ご両親にもその為の採血を受けていただきます。ご両親にご兄弟がいらっしゃいましたらぜひご協力をお願いしたいのですが」と医師はそう説明した。
「それと治療の過程で娘さんの身体は免疫力が極めて低下する状態になりますので、健康な人なら問題ないような細菌などにも感染しやすい状態になってしまいます。もし感染症などににかかるとより深刻な事態になりますので、今後の治療は無菌室という病室で行います、よろしいでしょうか」「お願いします」そう言うほか今の私たちには無かった。
「希望を持っていきましょう」そう医師は言って説明を終えた。

入院手続きを終え、不安そうな表情を浮かべる娘に後ろ髪を引かれながら二人は病院を後にした。「大丈夫か?」「あなたこそ大丈夫?」「綾は強い子だ、生まれるときだって一度死にかけたのに元気に生まれてきたじゃないか、きっと大丈夫だ」「そうね、大丈夫よね」そう話しながら二人は家路についた。それが空しい希望であることは二人とも十分過ぎるほど分かっていた。
家に戻り着替えなどを用意する為2階にある綾の部屋に入った。建物は古いが窓にはプリント柄のパステルイエローのカーテンが掛かり、女の子らしくきちんと整理されて綾のお気に入りの部屋だった。壁に掛かったコルクボードには綾の写った沢山の写真が張ってあり、今までの綾の成長の記録がそこにあった。小学校の運動会、中学の卒業式、修学旅行での友達との写真、夏祭りの浴衣姿、ディズニーランドでミッキーと、昨年家族で行った万座での初めてのスキー姿は綾のお気に入りの一枚、数々の陸上部での写真とそして父親とのマラソン大会での写真、どの写真にも元気に笑ってる綾の姿が写っていた。机の上にはテスト勉強の途中だったのか英語の教科書と参考書がそのままになっていて、たった今までここで勉強をしていたかのようだった。ブレザーの制服がハンガーに掛かり、壁のカレンダーには期末テストや夏季講習、それとクラブの合宿の日程線が引かれ父親の誕生日には大きな赤丸がついていた。そのどれもが娘が確かにここに居た事を物語っていた。そして持ち主のいなくなった部屋は静かにその時間を止めていた。綾の着替えをタンスから取り出しながら、二度と娘がこの部屋に戻ることがないかもしれないと思うと胸が張り裂けるような気持ちだった。「なんで綾なの、なんで私の娘なのよ、どうしてよ」気がつけばそう叫んでいた。

綾がいつものようにシャワーを浴びてから台所の椅子に座った「あれ、お父さんは?」「まだ寝てるわよ、昨日飲み過ぎたんでしょ」「お母さんも甘いなー、ちょっと飲み過ぎたくらいで根性無いんだから」「お母さん、後で言ってやってよね、こんな美人の娘の誘いを断るともう一緒に走ってやんないぞって」「はいはい、美人はいいから早くご飯食べて、学校に遅れるわよ」「あっやっばい」「毎朝のんびりシャワーなんか浴びてるからよ」「だって走ると汗かくんだもん」「そんな事言ってるから・・結局駅まで走る事になるのはだーれ」「あっほんとやっばい、お母さんお弁当出来てる?」「ほら、そこにあるから早く着替えなさい」そしていつものようにばたばたと階段を駆け下りてきて「いってきまーす」と慌てて出ていく「やっぱり今日も走るんじゃない」

「あなた、病院に行ってきますね」返事の無い背中に声をかけて、和子は玄関の扉を開けた。いつもなら無いはずの綾の通学に使う靴がきれいに並んでいる。
道に出ると隣の奥さんが声をかけてきた「和ちゃん、綾ちゃんの具合はどう?」「芳江さん、おはようございます、まだ検査をしてるところで当分入院する事になりそうです」「あんなに元気だったのにねえ、どうしたのかねえ、これから病院かい?」「ええ、行ってきます」そう言って駅への道を歩き始めた。心配してもらうのは有難いけど答えに困って辛い、これからいつまでこんな日々が続くのだろうと和子は思った。まだ7月も最初だというのに気温はぐんぐん上がってもう30度を超えていた。東京上空に広がる青空が早々と夏の訪れを告げていたが、和子の目には灰色の風景のように映っていた。

続く
...2004/11/28(Sun) 00:54 ID:QkBAe3hQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:北のおじさん
clice様。

執筆お疲れ様です。 毎回引きずり込まれるように読ませていただいています。
まるで自分が綾の親や綾自身になったかのような気持ちです。
書き続けていく事は大変な事とは思いますが、頑張って下さい。
...2004/11/28(Sun) 20:46 ID:R.FPyQDQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
いつも執筆お疲れ様です。もし自分にとって大切な人がもし難病にかかったりしたら、多分私も「どうして・・なんで彼女なんだ」と叫んでしまうと思います。綾がたすかるように祈りたい気分です。続き、たのしみにしております。風邪がはやっているのでご注意ください。
      グーテンベルク
...2004/11/28(Sun) 21:30 ID:FdxTHqUs    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
今日は11月最後の日です。
いよいよ明日から12月になるわけですが、clice様へ伝言を。

私は勢い余って、静かに歩いている人をいきなり後ろから走って来て、大声で呼び止める様なマネをしてしまったのですが、私は多くの中の一人でしかありません。私がclice様の物語を鮮烈に覚えていたように、きっと他の方々もあの物語は心の何処かに引っ掛かっている思うのです。私はたまたまここでお見かけして、先程の様な事になりましたが、もしかしたら、この『再会編』をお読みになっている方々の中にも、本当はclice様へ一言何か伝えたかったと思いながら読み続けている人がいると思っています。
何が言いたいかと申しますと、
「お忙しい毎日とは思いますが、たまには”あちら”にもお顔を出して下さいませね。」
ということです。(出過ぎたお願いですいません、が!)

私のお願いごとはさておき、『再会編』の感想は本気で書いてると夕方まで掛かりそうです。いつも思うのは、大変描写が丁寧で、はっきりと映像が浮かんで来ることです。しかもその映像は、堤さんが監督されていると思える様な映像です。
細かい感想は、完成後に書かせていただくとして、「タロとジロ」の逸話が、大好きです。
...2004/11/30(Tue) 11:27 ID:5P1QEJ1Y    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
田村は午後の外来診察とその後に行われた医局のカンファレンスを終えて、血液内科の病棟を再び訪れていた。ナースステーションで各患者の容態を確認した後、ガウンと透明なビニールの帽子とマスクを付けて滅菌して無菌室に入った。綾は入院当初の簡易ユニットから2日前にビジネスホテルのシングルサイズ位の広さのこの無菌室に移動していた。部屋の一方はビニールのカーテンで仕切られ、もう一方は一面ガラス張りで面会者とインターフォンで話しが出来るようになっていて、テレビや冷蔵庫、電子レンジなども完備され綾にとっては以前の窮屈さからは少し開放されていた。しかし容態をモニターする為か監視カメラが設置され、24時間監視されているようなガラスの檻に入っているような感じがしていたし、熱の為意識が朦朧としている状態は変わらなかった。

「広沢さん、気分はどう?ご飯食べてる?」そう田村はビニール越しに綾に話しかけた。「先生、あんまり気分良くないです、ご飯も美味しくない」「気分が良くないのはお薬のせいだけど、あんまりひどいようだったら看護婦さんに言うんだよ、そしてできるだけ食べるようにしようね」「サラダかフルーツだったら食べられそうなんだけど、駄目ですか?」そう綾は頼むような目で話した。「それは駄目なんだ、この前も話したように広沢さんの骨髄が血液を造るのをさぼっているから、免疫といって身体をばい菌から守る力がとても弱くなってるんだ。だから健康な人なら何でもないような菌も身体に悪いので、先生たちもこうやって外からばい菌を持ちこまないようにしてるし、当然生の食べ物も駄目なんだよ」そう田村は優しく話した。「先生、私、お鮨大好きなんですけど・・」「江戸っ子だから?治るまではとうぶんの間我慢だね」そう冗談ぽく田村は話した。しかし24時間点滴が投与され、今も血小板の輸血が行われている。頭の良い娘だ、薄々自分の病気について気づいているかも知れないと田村は思った。
その後他の病室を見まわり、当直のナースに指示を出して病棟を後にした。

田村は地下にある職員用の駐車場に止めてある自分の車に乗りこんだ。キーを捻ると一瞬エンジンが咆哮を上げそして静かにアイドリングを始めた。BMW530Msport、E39と呼ばれる形式の最終型で、それまで乗ってきたE36、325iと呼ばれる小型のセダンから2年前に乗り換えていた。メルセデスと並び医者の代名詞のように思われるのは嫌だったが、父親が筋金入りのBMWファンでE30と呼ばれる小型車に乗っていたこともあり子供の時から身近だったし、最初に車を買うと言った時も、BMWにしろ俺が一緒に行ってやると中古車探しに付いてくる始末で結局乗る破目になった。しかし乗ってみれば分かると言った父親の言葉通り、やっぱりその魅力に取りつかれ今では人に同じ事を言っている。今の車に買いかえる時も反対などするはずも無く、買え買え俺も乗せろとそのことになるとまるで子供だ。そんな訳で3つある電動シートのポジションメモリーの3番目は当然の如く父親に合わせてあって、これも親孝行かなと思うと可笑しくなった。セレクターをDに入れ重いアクセルをゆっくりと踏むと車はしっとりとした動きで走り出した。病院の門に近づくと入れ替わりに救急車がたった今サイレンを消して入ってきた。西の空が赤く染まり夕闇が街を覆い始めていた。24時間休むこと無い病院のもう一つの戦いが今始まろうとしていた。松本に言った事を思い出した、そういえばERの連中も住んでるようなもんか、ここに・・。

田村俊介の家は東京近郊に在り教師をしている両親と姉の4人家族だった。小さい頃は転校も何度かしたが中学2年の時に一戸建てに移って以来そこが我が家になった。子供の頃から科学や自然に興味があって学校の成績も良かったが、野球や魚釣りや川遊びが好きな野生児でもあった。将来の夢は漠然としていて大学に行ってサラリーマンになるか、公務員になるのかといった現実的な未来が待っているのだろうぐらいに考えていた。しかし高校2年の秋運命と出会った。二つ上の姉の影響で聞き出したラジオのミュージックウエイブという番組を聞きながらテストの勉強をしていた時、偶然流れてきた曲に突然涙が溢れて止まらなくなった。アフリカの奥地の診療所に医師として赴任していて、日本にいるかつての恋人がよこした結婚を告げる手紙に返事を書いている文章が歌詞になっていた。日本の今に疑問を感じこのアフリカで自分とは何か、医療とは何か、患者と向き合うとは何か、を見つけたその医師の言葉は、医療の世界の事などまったく分からなくてもその伝えたいメッセージははっきりと理解できた。後半の「風に向かって立つライオンでありたい」の歌詞はその医師の真摯にして雄雄しい生き様に、聞いていて涙が止まらなかった。
そしてその歌が実際の医師をモデルにして書かれたものだと知ったとき、自分もこんな生き方がしてみたいとその日からその医師が人生の目標になった。
それから猛勉強をして医学部に入り、国家試験に合格して晴れて医者の仲間入りをした。
そしていつかアフリカで医療に携り、人の為に働き、尊敬されるいい医者になれると信じていた。しかし研修医になり知った医療の現実は想像とは違い厳しいものだった、自分の無力を嫌というほど知った。そして目の前にある現実に一つ一つ立ち向かっていくうちに今の場所にいた。もう一つ大学時代からの恋人と別れてまでアフリカにいけるほどの根性も持ち合わせていなかったのもある。今はその彼女と結婚して可愛い二人の女の子の良き父である。職場では豊富な経験と冷静な判断力で血液内科の要としてスタッフの信頼も厚く、患者とも一人一人きちんと向き合いその明るい人柄で同じように信頼されていた。
しかし医師として必要以上には感情を表に出さず、時としてクールに見える時もあるが、自分の患者が亡くなった時には、必ず帰り道が首都高一周分遅くなった。熱血漢でロマンチスト、とことん人間的、これが田村俊介だった。

田村は朔太郎の事を考えていた。松本も高校2年の11月に医者になるのを決めたと話していたが、理由は違っても同じ時に同じ道を目指すなんて、会ってもないのにほんと気が合う奴だ。しかしその理由が・・・。
綾のベッド脇のテーブルにランニング姿で父親と一緒に並んだ写真が置いてあった。マラソンのゴールだろうか、思いっきり出したピースサインに笑顔がこぼれていた。両親の話だと本当に走るのが大好きらしい、松本の話でも亜紀さんも陸上部の短距離の選手で、走るのが好きで足が速いのが自慢だったと言っていた。その亜紀さんが死んだ日に生まれ、同じ容姿で、特技も同じ、同じ白血病の発症とこの病院への入院、そして普通では有り得ない松本と彼女のHLAの完全な一致、これらは偶然なのかそれとも本当に亜紀さんの生れ変わりなのか・・・。医者としてはそんな事考えられないが、運命を超えた魂の絆が二人を呼び合っているのかも知れないと田村は思った。そしてもしそうなら彼女を守って欲しいと願わずにはいられなかった。

自宅の駐車場に車を入れ玄関を開けるとすぐそこに一人と一匹がいた。「俊ちゃんおかえりなさい」「彩香、俊ちゃんじゃなくてお父さん、なあパッチ」「オン」「あっ、俊ちゃんおかえり」そう言ってキッチンから妻の京子が顔を覗かせた。「ほら、ママだって俊ちゃんって言ってるよ」「ママはいいの、彩香はお父さん、分かった?」「はーい」「舞ちゃんも良い子にしてたかな?」「俊ちゃん、手洗ってからにして」

続く
...2004/12/01(Wed) 00:04 ID:1BQetong    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
clice 様

いつも(公式サイトでも)楽しませて頂いてます。
たとえ一度は閉ざされた希望でも、再び閉ざされない希望が輝く世界
は、明るく心を照らしてくれます。
深い余韻が残る物語をありがとうございます、これからもよろしくお
願いします。

p.s.私はclice様が公式サイトに書かれていた物語では、
「いたっ、朔ちゃん、おしり痛い」「空気減ってんじゃないの?空気」
「うっさいなー」亜紀が重いんだよ・・(中略)....好きよ、朔ちゃん。
がとても心に残っています。
...2004/12/01(Wed) 12:12 ID:oJkNL.JU    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
Marc様
いつも読んで頂いてありがとうございます。今書いている物語も一見重そうですが、実は小ネタや突っ込み所が結構あったりします。そうゆう所は誰か気づいてくれるかなと思いながら書いています。Marc様に感想を頂いた「初めての出会い」のラストも亜紀ならこんな風に言うだろうなと結構好きな所でした。
今のところこんなほのぼのとしたシーンはなかなか書けず(これからも結構重い)昨日入れた田村編のラストは楽しみました。職場で血液内科のエースと言われても娘に俊ちゃんと呼ばれ、免疫の専門家なのに帰ったら手を洗えと嫁さんに言われるそんな田村ちゃんが結構好きです。亜紀が病気にならずに朔と結婚して子供がいたら、こんな感じになってたかもしれませんね。
ちなみに田村は奥さんの「犬が買いたい」がきっかけで庭付き一戸建ての借家に引越し、その後二人の女の子が生まれ、犬の名前のパッチは田村が尊敬するアメリカの名医パッチ・アダムスから命名しています。犬種はゴールデンレトリバーとこれはお約束でしょうか。
...2004/12/01(Wed) 23:16 ID:1BQetong    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様
いつも読ませていただいております。
物語の中に小ネタを入れておくと、何度よんでも飽きのこない、そして読めば読むほど新たな発見があっていいですね。そして重い話の中に時に心和む話を添加する。上手いですね。
...2004/12/02(Thu) 18:28 ID:POHUijLI    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
正信は短い階段を上り鳥居をくぐった。いつもならこの時間は鳥の声しか聞こえないこの神社の境内も、まだ6時だというのにあたり一面に蝉の声が響きわたっていた。本堂の前で手を合わせた。今まで綾に怒られながらも時々さぼる日もあった朝のランニングは、綾の入院以後1日も欠かしてなく毎日神社にこうしてお参りをしていた。今の正信にとって綾の為にできる事は祈る事だけだった。
「お父さん、今日はどのコースで帰ろうか、どう久しぶりに心臓破りの坂に挑戦する?お父さんへろへろでもう私について来れないかもね」「ばか言え、誰がお前なんかに、よし勝負だ!」「受けた、今度は何買ってもらおうかな」「行くよ、お父さん」
階段へ続く石畳を一人歩きながら正信は思っていた。こうやって綾と過ごす朝の時間が変わりのないいつもの日常だった。最近本当にきれいになって我が娘ながらドキッとする事もしばしばで、ランニングパンツからすらりと伸びた長い足と後ろで束ねた長い髪が風に揺れ、その美しい横顔を見るとこうやって一緒に走れる自分が本当に幸せに思えていた。
時折すれ違う通勤途中の同世代のサラリーマンの視線を感じると少し優越感を覚えて嬉しかった。本当に素直な娘に育ってくれた、反抗期らしい反抗期も無かった気がする。
こうやって朝走ると不思議と普通照れてできないような挨拶を、すれ違う人に自然とするようになる。「おはようございます」と誰にでも声をかける習慣は娘を自然と思いやりのある優しい性格にしたのかもしれない。また走れる事でできた自信がその優しさの理由になっているだろうと正信は思っていた。いつかは自分から離れていくだろうが、その日が来るまではこうした親子の時間を大切にしたいと心から思っていた。そしてその日はまだまだ先のはずだった。

ここのところ夜になっても気温が下がらず寝苦しい日々が続いていたが、寝苦しいのは熱帯夜のせいばかりでは無かった。綾の白血病の告知を受けた後夫婦でHLAの検査を受けて、その適合にいちるの望みを託していたが先週それも空振りに終わっていた。またお互いの兄弟に頼んだ結果も同様だった。今は骨髄バンクの登録者の中に適合者がいる事を祈るだけだが、その確率は極めて小さくいまだ適合の連絡は無なかった。現在の登録者の中に適合者がいなければそれがどうゆう事を意味するかは明らかで、考えたくない事が頭の中を支配していた。そして眠れない日々が続いていた。最近妻とろくに話しをしていない、その事が分かって以来二人ともお互い顔を見るのが辛く感じていた。
食事を終え仕事を始めて、妻は病院に行く用意を始めた時電話が鳴った。
和子は電話を取りなにか丁寧に話していたが、突然大声を上げしきりに電話に頭を下げ、電話を切るやいなや仕事場に飛び込んで叫んだ「あなた、見つかったって」「見つかったって何が?」「綾よ、綾、綾の骨髄に適合する人が見つかったの、見つかったのよ」「ほんとか?」「今、田村先生から電話があったの、見つかったのよ、あなた・・・」そう言って和子は泣き出した。「良かった、良かった、ねえあなた・・・」「ああ」正信はそう答えるのが精一杯だった。まだ実感がわかなかった。そして和子は続けた「それでねあなた、今日、今後の移植手術に向けた話しをしたいので一緒に病院にきてくださいって、助かるのよね綾、助かるのよね」夫婦に久しぶりの笑顔が戻った、そして二人は病院に向かった。

病院に着いた二人はすぐに担当医の田村を訪ねた。そして綾の容態と移植についての説明を受けた。「昨日、ドナーになる方のHLAと綾さんのそれとの最終的な適合の確認が終わり、ほぼ完璧な適合状態にある事が分かりました。私も多くの例を見ていますけど、非血縁者でこれほどの一致は例がありません。綾さんは本当に運がいいです。しかしすでに綾さんの症状が進んでいる事もあり、移植手術は一刻も早く行うほうが良いと思います。
ドナーになる方の最終的な同意も得てありますので、すぐにでも移植に向けた準備を始められる体制はすでに取ってあります。あとは保護者の方と本人の同意があればすぐにでも始められます」「それで手術の手順はどのようなものなのでしょうか?」そう正信は田村に訊ねた。正信も家にあるパソコンのインターネットで、綾の発病以来白血病や骨髄移植についてはある程度知識を得ていてどのようなものか理解していた。またその為の治療が綾にとって大変苦しいものになることも分かっていた。
「まず、前処置と言ってまず10日間くらいかけて大量の抗がん剤を投与して、悪いガン細胞を抑えそれを放射線の照射で焼き殺します。その時正常な細胞や造血幹細胞も死滅します。そしてからっぽになった骨髄に正常な人の骨髄を入れて、それが増えていけば段々と新しい血液が造られていって健康な状態に戻っていきます」「生着と言って移植した骨髄が正常に機能し新しい血液を造り始めれば、うまくいって大体一ヶ月ちょっとですが無菌室から出て一般の病室に移る事ができると思います。そうなればとりあえず一安心です」「しかし、うまく生着するか、拒否反応がでないか、感染症その他の問題もあり今の時点では何ともいえません」「そして前処置は娘さんにとって想像を超えた苦しい体験になると思います。抗がん剤の影響で猛烈な吐き気や頭痛があり、ひどい口内炎やのどの腫れ、そして髪の毛が抜けるなど辛い事もあります。また放射線の照射で一時的ですが皮膚が火傷に近いような状態になる場合もあります」「それが移植前後かなりの期間続きますので綾さんにはそれに立ち向かう強い意思が必要です」二人は黙って田村の説明を聞いていた。和子も正信から話しを聞いていたので心の準備はできていた。「綾は強い子です。負けず嫌いで今まで頑張って自分の限界を乗り越えてきた子です。きっと大丈夫です。私は娘を信じます」そう正信は話した。「私もそう思います、私たちの娘ですから」とそう和子も続けた。
「そうですね、私もずっと診てきてそう思います。綾さんを信じましょう」「それと最後にお話しておきたいのですが・・」そう言っていったん話すのを止め二人を見た。「実は今回の移植の為の前処置での放射線照射の影響で、将来娘さんは不妊になると思います」「えっ」二人は一瞬顔を見合わせた。ネットで見た情報にもその記述は見かけなかった。「先生、それは本当なんでしょうか」正信が田村を見て言った。「ええ、そうです、過去の例からも・・そうなる可能性が極めて高いとしか私にもお話できません、しかし知っておいて頂きたい事です」「綾にはその事は・・」和子が訊ねた。「いえ、まだ高校2年のお嬢さんですし、今の状況で話す事ではないと思います」「そうですね、今はまず命が先決ですものね・・、お願いします、あの子を助けて下さい。あの子にはまだこれからいろんな可能性があるんです。幸せになってもらいたいんです。その為なら私たちどんな事でもします。お願いします」「お願いします」二人は田村にすがるように頭を下げた。
「分かりました、最善を尽くします」そう田村は優しい顔をして答えた。
「先ほどの・・、娘の事ですがいずれ時期を見て私が話す事にします」「和子・・」「あなた・・」和子は正信を見て分かってるという仕草で小さく頷いた、そしてもし娘が知った時の思うと母として女として娘が背負っていく辛さに涙が溢れそうになった。
「綾さんの今の状態は決して安心できるものではありませんが、入院してすぐに、またここまで一致したドナーが見つかることは普通はない事です。奇跡と言っていいと思います。綾さんはきっと誰かに守られていると思いますよ」二人にそう話しながら、本当にそうであって欲しいと田村は思っていた。

続く

                                                                           
...2004/12/03(Fri) 10:14 ID:Jcrz0MHs    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:thomas
cliceサンへ
本当にいつも楽しんで読ませていただいています!!
Cliceさんは本当に物知りで、ストーリーの構成・読者を引き付ける才能がありますね!!私は本当にこれが小説となって書店に並んでほしいと切実に思っています!!その時はいちファンとして徹夜してでも買いに行きます!!毎回毎回大変だとはおもいますがこれからも執筆活動がんばってください!!
...2004/12/03(Fri) 11:28 ID:3nZmSpHU    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
本当によく勉強されていますね。thomas様からのメッセージにもありましたが、これが小説になってほしいと思います。本当にすばらしい作品ですよ。
...2004/12/03(Fri) 21:41 ID:zYX.LPGY    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
clice様
 初めまして!けんといいます。「もうひとつの結末(再会編)」一気に読ませていただきました。綾と朔太郎のエピソードはとても神秘的で、ドラマテイストを残しつつこういう展開もあるのだなーととても感心させられました。
 これから、綾の病気が悪化してとても重い展開になりそうでつらいですが、きっと朔がついてるのだから、大丈夫と期待しつつ楽しみにしていますので、体に気をつけて頑張って下さい。
...2004/12/04(Sat) 00:10 ID:VILroOPs    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
thomas様、けん様、
そしてグーテンベルク様いつも感想をありがとうございます。現実の世界と虚構の世界、それとドラマの世界を一つにしながら物語を進めていきたいと思っています。進む時間軸は現実の7月2日からです。そして今現在の話の日付は7月20日です。いよいよ綾の移植に向けた前処置が始まります。そして新たなキャラクター森下瑞希登場・・・予定です。
...2004/12/04(Sat) 03:23 ID:eBgsd1zA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
午前中の組織標本の検査も一段落して、朔太郎はコーヒーカップを手にして窓のブラインドの隙間に指をかけた。射し込む光が眩しくて、一瞬目を細めたがそこから見える病院の中庭は芝生の緑がとても鮮やかで、木陰のベンチで語らう人たちや、照りつける太陽の下で元気にはしゃぐ子供たちの姿があり、その風景にどこか心が和むものを感じていた。しかし同時に今の一瞬をベッドの上で戦っている入院患者の人たち、そして綾の事を思うとこの対称的な世界を隔てているものが、いったい何なのかと考えずにはいられなかった。
人はどうして病気になるのだろう・・どうしてかな、亜紀。

今頃、適合するドナーが現れたことを、田村が綾の両親に説明してるのだろうかと朔太郎は思っていた。昨日3次検査で、最終的な適合が確認されたとの連絡が届き、夕方には骨髄バンクのコーディネイターと弁護士を交え、ドナーになる事への最終同意書類への調印が、病院の会議室の一室で行われていた。朔太郎の署名と印の押されたその書類は、その瞬間から命の書類へと変わった。
「私も長くこの仕事に携っていますが、今回のようなケースは初めてです。非血縁者間のほぼ完璧な適合は稀にはある事ですが、今回のように移植相手とそのドナーが同じ病院の患者と医師だなんて、こんな事もあるんですね、正直驚いてます」そうコーディネイターの村岡は話した。「そういう状況もあって、確認から同意の調印まで異例のスピードで進んだ訳なんですが、ここから先は本来のルールに基づき日程などの調整は私が行います。もちろん分かって頂けている事だと思いますが、患者とそのドナーに一切の接点が無い様にする事が移植のルールです。それは同じ病院で採取と移植が行えるのがもっとも望ましい事ですが、それはルールに反する事になります」「それは分かっています。今回の事も知っているのは私とこの松本、それと私の上司だけです」そう田村は話した。
「松本さんには実際の骨髄採取の為の入院以外にも、検査や自己採血の為に何度かその病院に通って頂かなければなりませんが、それはお願いできますか?」「もちろんです、田村の上司を通じて話は通してあります」そう朔太郎は答えた。「ではすぐに調整に入りましょう、採取については横浜の病院を予定しています。よろしくお願いします」そう言って村岡は部屋を後にした。
「松本、お前にとっては辛いだろうがこればっかりはな・・」「分かってるさ、当然だろ、それがルールだ、俺は彼女が元気になって自分が歩むべき人生に戻ってくれればそれでいい、彼女は亜紀じゃないんだからな」「そうだな、でもお前本当にそれでいいのか?」「どういう意味だよ」「そういう意味だよ」「分からない、しかしもし彼女が助かってくれたら、俺と亜紀のこの17年間に何か区切りがつく気がするんだ。だから頼む、どうか彼女を助けてやってくれ、この通りだ」そう言って朔太郎は田村に向かって頭を下げた。「やめろよ、そんな事、俺もあの娘に助かってもらいたい、お前の為じゃないぞ、それが俺の仕事だ」「しかし状況は厳しいぞ、いくら骨髄が完璧に適合してても症状が進んでるからな、うまく生着してくれるかどうかはやってみないと分からん。それにいつも思うがそこから先は、俺たち医者というよりもう神様の領域だな」「しかし松本、お前今回その領域に知り合いがいるだろ」「亜紀の事言ってるのか、無責任だぞ」「なに言ってる、俺たちが取れる責任なんてたかが知れてるぞ、最後は本人の生きたいという気持ちだけだ。それにな松本、すべてはドナーであるお前にかかってるんだ、今までみたいに無理するなよ」そう念を押すように田村は言った。「移植はワンチャンスだからな」「分かってる」そう自分に言い聞かせるように朔太郎は答えた。

田村は綾の病室に来ていた。「広沢さん、たった今ご両親とお話をしてきたんだけど、これから僕の言うことを落ち着いて聞いてくれるかな、実は今まで君の病気は骨髄不全症が原因の再生不良性貧血って説明してきたけど、本当の病名は白血病なんだ」そう穏やかに田村は綾に話した。綾の顔色が一瞬変わり、そして・・「私、死ぬんですか」綾の口から死という言葉が飛び出し一瞬田村は驚いたがすぐに平静になり言葉を続けた。「そんな事ないよ、今まで本当の病名を言わなかったのは、回復の見込みがはっきりしていなかったからなんだ、でもね広沢さんも聞いた事があると思うけど、骨髄移植といって広沢さんの悪くなった骨髄と、健康な人の骨髄を入れ替える治療の準備がすべてできたんだ、それに君の骨髄とまったく同じと言っていいほど適合するドナーの人も見つかって、喜んで提供するって言ってくれてるんだ。この治療をすれば広沢さんは良くなるんだよ、だから僕も広沢さんに告知する事にしたんだ。今は医療も本当に進歩していて、広沢さんがどんなイメージを持っているかは分からないけど、白血病も治る病気なんだよ、だから心配しなくて大丈夫だからね」「本当なんですか、私ずっと怖かったんです。私本当は白血病なんじゃないかって・・そうなら死んじゃうのかなって、ずっとずっと怖かったんです」綾は少し目に涙をためてそう言った。綾にとって田村の優しい説明と治るという言葉で、今まで一人潰されそうになっていた胸の不安が少し和らぐのを感じていた。
そして優しく田村は言葉を続けた。「それでね、その為の準備を始めたいんだ。まずね薬を強いものに変えて、血液の中で増えた悪い細胞をやっつけて減らして、そして放射線を照射して残りの悪い細胞を全部殺してしまうんだ、それが10日間くらいで、その後健康な人からもらった骨髄液を、今してる点滴と同じように身体に流し込むだけで、手術といっても別に身体にメスを入れる訳じゃないから安心していいよ」「ただ薬が強いので今よりもっと気分が悪くなり、吐いたり頭が痛くなったりする事があると思うんだ、でもそれも薬が効いている証拠だから辛くても我慢して欲しいんだ、分ってくれるかな」「はい」「放射線は例えば日焼けサロンに行ってるようなものだと思ってもらったらいいよ、ガングロっていうやつ?」田村はちょっと笑って優しく言った。「でも綾ちゃんは陸上部でがんばってるから、結構日焼けしてるしあんまり変わらないかな」「先生、それひどい」綾はちょっと膨れた顔をしたが、先ほどまでの緊張はなくなっていた。「ごめんごめん、健康的っていう意味で言ったんだよ、あれ、病気で入院してる人に健康的はおかしいか」「そうだよ、先生」そう言って綾は笑顔を見せた。
綾の緊張が解けたのを見て田村は話を続けた。「それともう一つ、綾ちゃんには少し辛い事だけど、強い薬の影響で毛髪が抜けるんだ、だからその前の髪を短くしていた方がいいんだ、せっかくきれいな長い髪なのに残念だけど」「先生、分ってる、今も少し抜けてるから」綾には白血病じゃないかと思った時から想像がついていた。テレビなどで知ってる白血病の患者はみんな髪がなくて、ニットの帽子やバンダナを巻いているような記憶があったからだった。「とにかく、綾ちゃんの病気を治す為に先生も一生懸命がんばるから、綾ちゃんも負けないでがんばろう」「はい、分りました」綾は田村の優しいが力強い話し方に不安が小さくなり、代わりに持ち前の負けん気が顔を出すのを感じていた。

続く
...2004/12/05(Sun) 20:39 ID:CMLeP6qY    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
こんばんわ。今回の話で、田村先生と綾のやりとりを読んでいて、なんだか本当に綾が亜紀のような感じがして、とても良かったです。これから、綾は、薬の投入でつらい治療になると思いますが、病気に負けないで頑張ってほしいです。では、次も楽しみにしていますので、頑張って下さい
...2004/12/05(Sun) 23:31 ID:8ix2ndfI    

             Cliceさんへ  Name:thomas
今回のお話もとてもよかったです(#^.^#)興奮!!!!
綾ちゃん頑張れって気持ちに駆られます!!
自分のせいで亜紀が死んだと思ってる朔に早く自身を取り戻してもらいたいです(>_<)
次も楽しみにしています!!
...2004/12/06(Mon) 14:09 ID:mZ906Hkc    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
早速読ませていただきました。
いよいよ骨髄移植の前準備が始まろうとしてますね。私も色々としらべましたが、抗がん剤と放射線による副作用は相当辛いそうですね。まさに命がけの治療だそうですね。綾ちゃん。どうか無事に治りますようにという気持ちです。
     グーテンベルク
...2004/12/06(Mon) 17:35 ID:VdF82g66    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
こんにちは、clice様

骨髄移植は移植を行なうことが決まった時点から後戻りが出来ない
(戻ることは許されない)患者にもドナーにも非常にシビアな治療
ですし、その工程自体も患者さんにはとても辛いと読み聞きします。

綾ちゃん、乗り越えてよい結果となって欲しいですね。

がんばれ > 綾ちゃん
...2004/12/06(Mon) 18:57 ID:vZJzgbIk    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
読んでいてすごく考えさせられます。絶対治るんだ、という気力で骨髄移植を乗り切っていくんですね。描かれ方がリアルで素晴らしいです。

田村先生にも綾ちゃんにも、そして朔にも頑張ってほしいです。

※ちょっとお遊びです。
 広沢綾の由来は・・・
 廣瀬亜紀から「広」
 長澤まさみから「沢」
 綾瀬はるかから「綾」
 それぞれ一文字ずつ取ったのかな、と思いました。

 
...2004/12/06(Mon) 21:12 ID:eBIlQRvw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
正面に広がる山並みがなだらかな曲線を描き、空には大きな白い雲がぽかんと浮かんでいる。両手をいっぱいに伸ばして背伸びをすると青い空に届きそうだ。道の両側に広がる田んぼも明るい緑色に染まっている。きれいな川が流れていて、橋の上から見ると川底の小石の上を、魚たちがきらきら輝きながら泳いでいる。川の両側に古い町並みが連なり、いつのまにか自転車の後ろで暖かい背中にもたれている。町並みが切れると海が見えてくる。左右に白い漁船がいっぱい並び、その真中を真直ぐ走り防波堤に駆け上がると、青い海が目の前に広がり遠くに水平線が見える。また空を見上げ手を伸ばす、何かがつかめそうな感じがしてもっと伸ばす。そしてぼんやりと目が覚めていった。

綾の意識の中で、夢の風景がうっすらとぼやけていき、病室の風景がそれに取って代わっていった。それでも山の稜線の形だけは、なんとなく覚えているような気がしていた。いつの頃からか時々この風景を夢に見ていた。そして見た後は、何とも言えない懐かしいような幸せな気持ちが残り好きだった。続きを見ようともう一回眠ろうとするがいつもそれっきりだった。風景は同じではっきりと見えているような気がするが、目が覚めて考えてもそこがどこだか分からず、行った記憶もなかった。
綾の両親は同じ町の生まれで、高校は別になったが子供の頃からの幼馴染同志だった。だから綾の家が父親の生まれた家で、母親の実家もすぐ近くにあり、3代続けば江戸っ子と言うなら綾はまさに江戸っ子だった、そしてこの商店街が故郷だった。学校の友達の多くは両親の故郷が地方にあり、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんの家に行った話を聞くと羨ましかった。「あたしも海や山がある田舎がほしーい」は休み明けにその話しを友達とする時の綾の口癖だった。だからそんな願望が、テレビなどで見た田舎の風景を、夢で見せるのかなと漠然と思っていた。しかしそれにしてはいつも同じ風景だし、本当にどこかにありそうな気もしていた。そしてあんな町が田舎で、親戚の家があって、海や山や川で遊んで、そんな夏休みが過ごしたいとずっと思っていたし、それは今も同じだった。
綾は目を覚ました。目の前に白い天井が広がり、右に少し首をふれば点滴のバックが下がりその管が胸まで伸びていた。そしてそれを毎朝見上げるたびにため息がでた。
ふと枕の辺りの感触がいつもと違い、頭に手を伸ばすと髪の毛に手が触れなかった。「そうか・・昨日切っちゃったっけ」そう一人呟いた。そして思い出していた。

正信は無菌室の一面に設けられた面会場所で、ガラス越しで手も触れる事のできない娘を見つめていた。会話は双方に備え付けられたインターフォンで行い、最初は綾も、ドラマで見る刑務所の面会みたいだねと和子に冗談を言っていたが、目の前にいるのに機械から聞こえる声は、どこか遠い世界から聞こえるようなそんな距離を感じさせ、綾にとっては自分が世界から切り離されているような感じがしていた。しかし同時にそれがかつて自分がいた世界と、今の自分をつなぐ唯一の物であり、そこから聞こえる母の声が自分が生きてる事を確認できる唯一の手段でもあった。
「今、田村先生から本当の事聞いたよ、やっぱり私白血病だったんだ」「大丈夫、綾、しっかりしなさいね」「うん、最初はドキッとしたけど、今は落ち着いてるから心配しないで、お母さん」「綾、本当か?無理してるんじゃないか?怖いなら怖いって言っていいんだぞ」「お父さん、大丈夫、ずっと怖かったけど、ちゃんと知ったら少し楽になった気がする」「それよりお父さんたちこそ最初に聞いたときはびっくりしたでしょ、ごめんね、いっぱい心配したでしょう?」綾は両親がこの事を知った時どんなに辛かったか想像した、自分ならとても絶えられそうになかった。「心配しない親がどこにいる、でも先生から聞いたんだろ、治療の事」「うん、聞いた、我慢して移植したら治るって」「父さんたちも聞いたよ、だから今は安心してるよ、ただ薬が強くて吐いたりするらしいのが心配だけど、頑張れよ、綾なら頑張れるよ、走ってるともっと苦しい事いっぱいあったろ」正信は綾が何度も自分の限界を乗り越えて、今の強さを手に入れたことを誰よりも知っていた。「うん」綾も思っていた、陸上は常に自分への挑戦だった。昨日の自分に勝てばもっと遠くへ、もっと速くなれる、それを教えてくれたのは父だった。
「でも、どうしてこんな事になっちゃったのかな」綾は自分の記憶にあるかぎり病気らしい病気はした事が無かった。「今までいっぱい頑張ってきたから、神様があんまりがんばらなくてもいい、少し休めって言ってるのさ」「そうよ、綾、お母さんもそう思うわよ」
「そうかな」「そうさ、父さんみたいに少しさぼってもいいってさ」「お父さんはさぼりすぎなの」綾はちょっと怒ったふりをして言った。「そうか?そうだったな」正信は綾とのこうゆうやり取りが好きだった。親子の距離がいちばん近いと感じれる瞬間だった。
「でも、今毎日ちゃんと走ってるぞ、綾の分までな」「そうなんだ」「でもお父さん、無理しないでね、もう若くないんだから」「そこらへんのおやじと一緒にするな、勝負するか?」「ほら、すぐそうやってむきになる、で結局私に負けるじゃない、お父さん」「そうか、そうだったな」そう言って正信は笑った。綾も笑顔になった。その二人の会話を隣で聞いていて、和子はおもわず涙が出そうになるのを慌てて拭った。その何気ない親子の会話が、和子にとってもいちばん幸せを感じる瞬間でもあった。そしてこんな日常がまた戻ってくることを、誰よりも願わずにはいられなかった。
「お父さん、タロとジロにおはようってちゃんと挨拶してる?私がいないと寂しがるからお父さんがしてね」「ああ、分かってるよ」「あーあ、当分入院なんだろうな、私また走れるようになるんだよね」「もちろんさ、ちゃんと治ったらすべて元通りになるさ」そう言いながら本当にそうなって欲しい、元気な綾に戻って欲しい、正信の願うことはただそれだけだった。「お父さん、そしたらトレーニングまた一からやり直しだから、その時はまた一緒に走ってくれる?」「ああ、小学生の時みたいに綾のペースで走ってやるよ、退屈だけどな」「なにそれ、もう」そう言って親子で笑った。
綾にとって正信は本当に大好きな存在だった。肩車してもらったり、並んで走ったり、自転車で二人乗りしたり、いつもその大きな暖かい背中に安心を感じながら育ってきた。お父さんが大丈夫って言うなら大丈夫、病気もきっと治る、そう綾は信じることにした。
そしてすこし考えたあと母親に言った「お母さん、明日来るときバンダナ持ってきて」「何するの?」和子は一瞬綾の言っている意味が分からなかった。「多分、もう私髪の毛ないと思うから、切るの、今日」「綾・・」二人はその意味を理解した。「ベリーショートっていうやつ、似合うかな私」「似合うわよ、きっと、私に似て綾美人だから」「言うかな、自分で・・ねえお父さん」「似合うさ、俺の初恋の人の娘だからな」「よく言うよ、二人とも・・」そう言って綾は笑った。そして、また何かを考えた後「今日、20日だよね、終業式か、みんなどうしてるかな、心配してるかな」そう呟き「お母さん、美幸に会いたい」「美幸ちゃん?」「うん、これから薬のせいで話しとかあんまりできなくなるかもしれないから、今のうちに会っておきたい」「分かったわ、帰ったら電話しとくね、美幸ちゃん心配してたわよ」「うん、お母さん、お願い」
「とにかく綾、頑張れよ、お父さんまた来るからな」「お父さん、無理しなくていいよ、夏はお店忙しいでしょ、ワイシャツ山積みなんじゃないの?」「そんなもん、ぱぱってやるさ」そう言って正信は和子を残して病院を後にした。そしてその後、病院内に在る美容室から出張してもらい綾は髪を切った。

「そっか、今日から夏休みか、だからあんな夢を見たのかも」そう綾は一人呟いた。
「広沢さん、おはよう、気分はどうですか?」そう声をかけたのは看護師の森下だった。
「おはようございます、いつもと変わりません、なんかぼんやりしてる」「じゃあ熱測ろうか、そして点滴も交換しますね」「はい」「綾ちゃん、今日からお薬の量が増えて、かなりきつくなると思うけど頑張ろうね」そう森下は優しく言った。綾もこれから始まる治療に緊張はしていても、負けるもんかという気持ちでいた。しかしその試練は綾が想像したものを遥かに超えていた。

続く
...2004/12/07(Tue) 11:27 ID:NL.ZQFKw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:北のおじさん
clice様。

いつも力作をありがとうございます。
豊富な知識と丁寧に書かれた作品に、毎回引きずり込まれています。
骨髄移植のための前処理、これから辛い展開になりそうですね。
少しでも綾ちゃんが楽になれるように祈りたい気持ちです。

綾ちゃん、本当に亜紀の生まれ変わりなんですね。
夢で見ている風景、亜紀と朔が住んでいた宮浦ですもの。
元気になれたなら、朔と一緒にさせたいと思ってしまうのは私だけでしょうか?
でもそれはやっぱり性犯罪かな?(笑)
...2004/12/07(Tue) 22:29 ID:AUU4mXZw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
clice様へ
執筆おつかれさまです。綾の骨髄移植前準備、ついにはじまりましたね。ぜひ辛い治療を耐え抜いて生きる喜びをつかんでほしいです。
 いつもすばらしい作品をありがとうございます。
     グーテンベルク
...2004/12/07(Tue) 23:15 ID:xg.7VROw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
clice様
今回のイントロは、宮浦の山々と流れる白い雲の風景が目の前に
浮かんできます。
綾ちゃん、頑張って病気に打ち勝って欲しいです。

ドラマを見返しても物語として人が亡くなってしまうのは、確かに
インパクトが強く心に残りますが、作られた物語としてはしょうが
ないと思いますけれど、生き続けて欲しいなと思ってしまいます。

朔&綾、歳の差17くらいでしたら大丈夫ですよね > 皆様!
...2004/12/08(Wed) 22:11 ID:m1ccbQrg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
森下瑞希は行き交う医師や同僚の看護師そして入院患者の人たちに挨拶をしながら、自分の勤務する病棟に向かって渡り廊下を歩いていた。「おはようございます、申し送り始めます」の婦長の一言で始まるナースステーションの1日の始まりは、婦長からの連絡事項に続き夜勤チームのリーダーから、昨晩から朝にかけての病棟内の動きについて報告があり、これを日勤として引き継ぐスタッフは聞き漏らさないように真剣に耳をかたむける。その後今日の各患者のケアのポイントを打ち合わせ、受け持ちの病室へ素早く別れていく。各病室のベッドの整備や清拭に続き患者の検温や血圧の測定、そして点滴の交換と消毒、その他細々とした作業をこなし午前中が慌しく過ぎていく。

森下は遅れて取った昼食を終え無菌治療病棟に入る廊下の角に設けられた休憩所で椅子に座る見慣れた女性に声をかけた。「広沢さん、少しお疲れじゃないんですか?」その女性は綾の母親の和子だった。「こんにちは、なんかちょっとぼーっとしちゃって」和子は森下を見上げそう答えた。「隣いいですか」そう言うと森下は和子の隣に座った。「お仕事はいいんですか?」「ええ、ちょっと遅れて食事を取ったのでまだ休憩時間です」「広沢さん、お嬢さんの入院以来ずっと毎日付き添いに来られてますけど、本当にお疲れじゃないんですか?少しお休みになられた方が・・このままではお母様の方がお身体壊されますよ」「それに今のお嬢さんの病室は無菌室ですので、付き添いと言っても患者さんに触れることも出来ませんし、私たちが常にお世話をいたしますのでご安心いただいてよろしいですよ」そう森下は優しく話した。「ええ、それはもう皆さんに良くしてもらってる事は十分わかっています、しかし少しでも長く綾の側に付いていてやりたいんです。私も心配だし綾も一人じゃ心細いと思うから」「そうですね、お気持ち良く分かります」「でも、今のあの子見てると辛くて見てられなくて、食べたものもすぐ吐いてしまうし、動くだけでも吐き気がするらしくて、それでここに」森下は和子の気持ちが手に取るように分かった。抗がん剤が患者に投与されると、血中の薬の成分が直接嘔吐中枢を刺激して嘔吐を誘発、その結果急性のものは投与後1〜2時間で吐き気を催しそれが4〜6時間程度続き、また同時に24時間連続で嘔気を感じる状態が投与終了まで続く場合もある。特に前処置状態の患者は、致死量を遥かに超える通常の数十倍に及ぶ大量の抗がん剤を投与される為、制吐剤を併用しても嘔気を十分に抑えることはできず、その苦しみは見ている者も辛くなるような状態になるからだった。
「そうだったんですか、分かります、目の前で我が子が苦しんでいるのに、背中もさすってあげられないんですから、お母様としてはお辛いですよね」「でも綾ちゃん頑張ってますよ、大人でも本当に辛い治療なんです。それを綾ちゃん必死に耐えてます、綾ちゃんが頑張れるのもこうしてお母さんがずっと付き添ってくれるからなんでしょうね」「どうか優しく励ましてあげてください、でもお母様も無理なさらずに、もし体調が悪くなるような事があるようでしたら、いつでも私たちに言って下さいね」和子は森下の優しい気遣いが嬉しかった。こんな人が面倒を見てくれるのなら綾の事も安心して任せられる、そう思っていた。「実はあの子、生まれるときに一度死にかけてるんです」森下は突然の話しに和子を見た。「予定日を過ぎても陣痛が来なくて、初産で陣痛自体がどんなものか分からなかったし、そしたら夕方近くになって急にお腹が張るような感じがして痛み出したんでそのまま入院したんです。でも陣痛が弱くてなかなか生まれなくて、そしたら朝近くなって急に陣痛が強くなって分娩室に入ったんです。しかし今度はなかなか出てこなくて」「そうですね、初産の人にはよくありますね、産道がうまく広がらなくて時間がかかる場合が」森下は今の内科勤務の前に産婦人科に1年いた事があった。「それでどうされたんですか?」「そしたら赤ちゃんの心音が弱くなったので、会陰切開と吸引で出したんですけど、生まれたとき仮死状態だったんです。そして先生が蘇生処置をしようとした時急におぎゃと泣き出して、それで無事生まれたんです」「それは何時ごろだったんですか?」
「私すぐに時計を見たから、5時38分でした」「そうですか、良かったですね」「その後、特に障害もなく、小さい時は身体が弱かったですけど、父親とランニングを始めてからは見違えるように元気になり、今では駅伝で都の記録を作れるぐらいにまでなって、健康に育ってくれたと思ってたんです、そしたら急にこんな事に・・」「大丈夫ですよ、そんなふうにして生まれてきたんだったら、綾ちゃんは生きようとする力が強いお子さんなんですよ、きっと頑張りますよ」そう言って森下は和子を励ました。そして和子に話し始めた。「そういえば私も一つ不思議な事が・・綾ちゃん先生に白血病の告知を受けた後、意外と平静だったんです」「それは私も思いました、もっと取り乱すんじゃないかって」和子もそれは感じていた。自分たちがあれほど絶望感に苛まれた事を考えると、高校生の綾がもし知ったらどうなるのかと・・。「そうなんです、大人の男性だって取り乱す人いっぱいいるんです」「それがまるで知っていたかのような感じで、再発して再入院してきた患者さんのような感じがする・・」そう森下が言いかけた時、和子は廊下をこちらに歩いてくる白のノースリーブにジーンズ姿のショートカットの活発そうな少女に気がついた。
「美幸ちゃん」「おばさん、さっそくお見舞いに来ました、これ良かったら飾ってください」そう言って遠藤美幸は花束を差し出した。「美幸ちゃん、実はね・・」そう和子が言いかけたところで森下が声をかけた。「じゃこれは私が、きれいなお花ね」と言って美幸から花束を受け取った。そして和子にむかって分かってますというような素振りで小さく頷いてその場を離れた。「美幸ちゃん、来てくれてありがとう、綾も待ってたのよ、会ってやって」そう言って和子は病棟の面会者通路の方へ美幸を案内した。

遠藤美幸は綾とは小学校の頃からの友達で、中高と同じ陸上部で一緒に過ごした親友だった。綾が「風邪ひいたみたい、熱があるから部活休むね」の言葉を最後に学校に来なくなり、先生に聞いても入院したと言うだけではっきりした事は教えてもらえず、綾の家に電話しても「今は会えないの」と言われ、そうゆう訳でもちろん綾の携帯がつながるはずもなく心配してたところ、綾の母親から電話をもらい今日この病院へ来ていた。
美幸はこんな大きな病院に来るのは初めてだったが、今から自分が向かおうとしている所が自分が普通にイメージする病室とはかなり異なり、何か普通じゃない事を感じ取っていた。そしてここよとドアを開け通された小さな部屋の大きなガラス窓の向こうに、ベッドに横たわり点滴をして頭に赤いバンダナを巻いた、変わり果てた親友の姿を見つけた。
「綾」そう声をかけるが聞こえてる様子はなかった。そうすると綾も美幸に気づいて微笑み、体を起こしてインターフォンを手に取ってこれこれというような仕草で美幸に教えた。そして美幸は受話器を手に取った。

続く
...2004/12/09(Thu) 13:22 ID:.LDw4NUg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「綾、どうしたの?大丈夫?ここどこなの?」「美幸、ごめんね心配させて、びっくりしたでしょ、なんかすごい所で、ここ無菌室って言うの。私白血病なんだって」「えっ」そう言って美幸は絶句した。「今ね、私の身体の血液がちゃんと作られなくなって、周りにあるいろんなばい菌にも抵抗力が無いんで、この部屋はそんな菌が入れなくする部屋なの」「あっ冷蔵庫や電子レンジもある、あれこれもしかしてトイレ?」美幸は部屋を見回したあとすぐ下を見てそう聞いた。「あの角にあるものは何?あの洗面台みたいなの」「あれ、シャワー、お風呂は別にあるけど普通はあれを使うの」「なんかすごいね、ここで暮らせるじゃない」そう言って興味津々で美幸は話したが「だからここから出れないんだって」という綾の言葉に一瞬はしゃいだ自分を恥ずかしく思った。綾もそれに気づき「すごいでしょ、ここの前にいた個室なんかベッドの周りが全部ビニールでまるでテントみたいだったんだから、それから比べれば快適よね、絶対」そう明るく振舞った。
「でもなんか殺風景だね、私お花持って来てさっき看護婦さんに渡したから、後で飾ってくれるよ」備え付けの設備以外本当に何も無い部屋で、花を持ってきて良かったな、綾も喜ぶとそう美幸は思っていた。「美幸、ごめんね、せっかくお花持って来てくれたのに、飾れないのここ」「いま言ったように菌の付いているような物はこの部屋に持ち込めないの、生の物は絶対だめだしこんな物も紫外線で殺菌してからじゃないとだめなんだよ」とそう言って写真立てを指差した。
美幸はそれでやっと分かった。入口でおばさんに花束を渡そうとした時、おばさんが何かを言いかけ、その時の表情が気になっていた。「そうか、それでおばさん・・」そう呟いた。そしてその事だけで綾の病状がただならぬものである事を美幸は感じ取っていた。
そして長い髪が自慢だった綾の頭にすでにその髪は無く、代わりにバンダナが巻かれていることも・・。

「綾、あんた髪は・・」「これ?切っちゃった、だって薬の影響で抜けるんだもん」「でも、治ったらすぐ生えるって、心配しないで大丈夫だから、それに男の子に見られるわけでもないし」そう綾は気にしてない素振りで話した。
美幸はさっき綾の言った白血病という言葉を思い出していた。美幸にとっても白血病と聞いてイメージするのは死だった。そしてあの元気で眩しく輝いていた友人が、ベッドの上で弱々しくしている姿を見ていると、その事が頭から離れなくなった。
学校や部活やテレビの話題など少し話しながら、美幸は次第に自分で自分に感情が抑えきれなくなっていた。そしてついに綾に向かってこう言った「綾、大丈夫だよね、治るんだよね、死んだりしないよね」美幸の顔は涙で溢れていた。
「大丈夫だよ、美幸もテレビで知ってるでしょ、骨髄移植って、その手術するの、もう少ししたら、だから大丈夫だって」「ほんとに?絶対だよ、小学校の運動会のリレーであたしがころんじゃって抜かれたのを、綾が4人抜いてゴールのテープを切ってくれた時あたし本当に嬉しかったの、それから綾があたしの目標になったの。中学校に入って一緒に陸上部に入って、リレーや駅伝をするようになって綾に誰よりも速くつなごうってそれで一生懸命練習頑張ったの、綾がいたからあたしここまで来れたんだよ」「綾がいなくなったりしたら私、誰にたすきを渡せばいいのよ」「美幸・・」そう言って顔をくしゃくしゃにして泣く親友を見て綾は本当に嬉しかった。そして「大丈夫だから、絶対治るから・・」そう言いかけた綾をまた吐き気が襲った。
「美幸、ごめん、むこう向いてて」そう言うと綾は面会窓のすぐ下のあるトイレに吐いた。繰り返し襲う嘔気が何も出なくなった胃を容赦なく絞り上げた。
美幸は親友のその苦しそうな顔を見て、思わず背中をさすってやりたいと思ったが、目の前の冷たいガラスが二人を隔てていてどうする事もできなかった。
ようやく綾の吐き気も治まり、口をゆすいで顔を上げると美幸がガラス面に手をあててそして言った。「綾、ここに、あたしの手に綾の手をあてて」綾は友の仕草に一瞬なんだろうと思ったが、言われるままに美幸の手に自分の手を重ねた。冷たいガラスを通して友の手の温もりが感じられる気がした。
「綾、今、あたしの元気のたすき綾に渡したからね、ゴールまでちゃんと走らなきゃだめだからね、途中でばてたりしないでよ、棄権なんかさせないからね」「綾はあたしたちチームのアンカーなんだから綾がいなけりゃあたしたち困るんだから、雅美も友子も由佳もみんな困るんだから、だから帰ってきてよね、元気になって、またみんなで一緒に走ろう、ねっ綾」「美幸・・うん、うん」綾の目にも涙が溢れていた。友の優しさが嬉しかった。「うん、約束する、走ろう、一緒に・・」「約束だよ」「約束」そう言って二人はガラス窓を隔てて指きりをした。絶対生きる、治ってみせる、友の涙にそう誓う綾だった。

続く
...2004/12/09(Thu) 13:26 ID:.LDw4NUg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
白血病との闘いの厳しさが上手く表現されていますね。そして厳しさの中にに友との会話で読者の心に温かさを感じさせる。上手いです。
 ぜひ、辛い治療に耐え抜いて生きる喜びを感じてほしいと思いました。
...2004/12/10(Fri) 23:11 ID:f8OeSWdg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「はあー」綾はテーブルの上に置かれた、ビニールで覆われた食事のお盆を見つめため息をついた。無菌室で出される食事のメニューは、他の病棟とそんなに変わるわけではないが、調理時に高圧蒸気で滅菌加熱され、そして料理一つ一つがビニールで包まれた上に、食事の前に電子レンジで加熱して初めて口にする事ができる。無菌食はその過程で菌も殺されるが、材料の風味も同時になくなりまったく味がしない、そんなふうに綾には思えていた。「今日は桃もほっかほかだ」そう一人呟いた。薬のせいで気持ち悪いけど食べなきゃ頑張れない、そう思って無理して食べるがやはり美味しくない。何で入院してるかにもよるだろうけど、退屈な入院期間中の唯一の楽しみが食事の時間だと思う。しかし好き嫌いなんて無くて食いしん坊だったのに、それさえ苦痛に思える自分がショックだった。そう思うとまたため息が出た。それとこうやって一人で食べる夕食が今までで何回あっただろうかと考えた。家業がクリーニング屋の為、小さい頃から食事はいつも家族と一緒だったし、それが綾にとっては当たり前の事のように思っていた。しかしそれって本当はとても幸せな事なんだなとあらためて思っていた。そして「よし」と気合を入れるとビニールを剥がしほうれん草を口にほうばった。

綾は最近夢をよく見ていた。その多くはどこから出てくるんだこんな設定というような支離滅裂な夢だったが、この無菌室ではない前の個室にいた頃が時々夢の中に現れた。ビニールのテントの中に居て、頭の上ではエアコンから常に清潔な空気が噴出す微かな音がしていて、両親がマスクを付けて側に立っていた。そして高校生くらいの男の子がいて、その男の子と楽しそうに話している自分がいた。ラジオを聞いたり、本を読んだり、そして先生や友達が見舞いに来てくれていた。左側の窓から明るい光が射し込み、みんな笑顔で幸せな穏やかな時間が流れていた。しかし夢が覚めて思い出すと、部屋の配置や窓の位置が自分のいた病室と違っていたり、友達や先生が見舞いに来た事もないし、その男の子が誰なのか分からない、少なくとも同級生にはいない気がした。しかしどこかで会っているようなそんな感じもしていた。まあ夢だから支離滅裂なのはいつもの事かと考えていたが、あの風景と同じように夢から覚める時に、なぜだか幸せな気持ちが残るのを感じていたし、それとその男の子の事を思い出すと、何か切ない思いが胸の奥をキュンと締めつけた。

頑張って食べた夕食だったが、その後また強い吐き気に襲われ全部吐いてしまい、結局栄養剤の点滴を追加される事になった。「はあー」そしていつものため息がでた。
その夜、綾はまた夢を見ていた。夢の中で以前の病室に戻っていた。昼間の明るさとは一転して窓から冷たい月の光が射し込み、病室は藍色の静けさの中エアコンの微かな音だけが聞こえていた。迫ってくる死の恐怖に脅えながらそこから逃げ出したいが身体に力が入らない。今にもベッドの床が消えてなくなり、深い闇の中に落ち込んでしまいそうな気がして、必死に上に手を伸ばすが空しく宙をさまようだけだった。
気がつくとベッドの脇にあの男の子が座っていた。月明かりが影をつくり顔はよく見えないが、彼のことを見ていると恐怖がすーっと消えていくのを感じた。傍らに彼の存在を感じ安心して眠りに付こうとした時、月の光が角度を変え彼の顔を一瞬照らした。その日に焼けた男らしい顔立ちの中にある澄んだ瞳が、真直ぐに自分を見つめていた。しかしその表情は優しく微笑んではいたがどこか不安そうに自分を見つめ、瞳には悲しみの色が浮かんでいた。その瞳を見つめるうちに綾の中で何かが思い出されそうになり必死に考えるが分からない、そしてまた眠りに落ちていった。
ビニールの向こう側のざわめきで目が覚めた。まどの外が明るくなり足音や物音が病棟に響き始めて、また病院の1日がゆっくりと動き始めた。窓の外に目をやった時、昨日見た夢の風景がそこにすっと浮かび上がり、その瞬間綾の記憶の中で二つのものが一つに重なり合った。その男の子の瞳はこの無菌室に移る前の病室で、その窓から自分を見つめていた医師の瞳と同じだった。

朝食のスープを無理をして流し込んだ。吐けばまた一本点滴が増えるだけだし、今日は吐きませんようにと祈りながら朝食を食べた。今や薬を食べてる量のほうがはるかに多い気がしていた。検温の時間になり森下が綾の病室に来た。体温計を渡しながら綾は森下に尋ねてみようと思った。「森下さん、一つ聞いてもいいですか?」「なあに、綾ちゃん」「森下さん知ってるかどうか分かりませんけど、私が入院してすぐに入った個室があるじゃないですか」「アイソレーターがある302号ね、それがどうかしたの?」「あの時まだ熱が高くていつだったのかはっきりと覚えてないんですけど、窓から何回か私を見ている先生がいたんですよ、森下さん誰だか知ってますか?」「田村先生の他に若い先生が何人かいるけど、その先生と違って田村先生くらいの人なんですけど」「誰だろ、あっ松本先生かな、病理の・・」「病理って何ですか?」「病理って言うのはね、病気で入院した患者さんや外来で診察に来て、検査した悪いと思われる部分の組織を調べてどんな病気か特定する先生の事なの」「綾ちゃんの白血病の細胞も松本先生がいる病理が調べるのよ」「そうなんだ」「そう言えばみんな噂してたっけ」「噂?何ですそれ?」「うん、実はね綾ちゃんが入院して一週間目くらいの時ね、松本先生が綾ちゃんを見てすごく驚いた様子だったらしいの、それから何回か来て綾ちゃんを見てたらしいんだけど、それがまるで恋人でも見つめるような心配そうな目で見てたらしいの」「まあ若いナースの話しだから、そう見えたって事でただの噂話だから気にしないで」「森下さんだって若いじゃないですか、美人だし」「ありがと、でもお世辞言っても薬少なくならないわよ」「ばれたか」そう言って綾は笑った。元々人見知りをしない性格の綾だったが、急に変わった環境と病気に対する不安からやはりナーバスになって、誰とでも気軽に話せるといった状態じゃなかった。しかしいつも優しく接してくれる森下には気を許していろんな話しをし、森下もそれに答えてくれていた。「松本先生ってどんな人なんですか?」綾はそう森下に尋ねた。「私も良くは知らないけど、田村先生とは大学が同期で仲がいいらしいわよ」「そうそう、これも若い娘が言ってたけど松本先生ってこの病院に住んでるみたいって」「そうなんですか?」「そんな訳ないじゃない、病理っていろんな科からひっきりなしに検査組織が回ってきてそれだけでも大変なのに、術中迅速診断と言って手術中に患者さんから摘出した部分が、悪い所か良い所かをすぐ病理の先生が調べて、それを手術してる外科の先生に伝えて正確な手術にするようにするの。だから手術が深夜に及ぶと松本先生もその為に待機して結局徹夜になったりするのよ」「たぶん、この病院の中でもっとも忙しく責任の重いドクターの一人だと思うわ」「そうなんだ、すごいね松本先生って、そんな忙しい先生がなんで私を見に来てたんだろう?」綾は森下の話で自分が気になった人が優秀な先生と知って少し嬉しくなった。それと同時になぜ自分を見てたのか余計に興味が出てきた。
「それは私にも分からないな、田村先生なら知ってるかもしれないけど」「そうですね、変な事聞いてすみません」「いいのよ、じゃあ点滴変えようか」

続く
...2004/12/12(Sun) 00:42 ID:sHs0O40M    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「今日も暑いなー、絶対おかしいぞ、今年の夏は、もう外は35度はあるな」そう言って田村は病理の窓から外を見た。「松本、今日日曜だぞ、お前なんでこんな所いるんだよ」「なんでって、居るから来たんだろ、お前こそどうしたんだよマイホームパパは」「いいんだよ、嫁さん子供たち連れて実家に帰ってるから」「喧嘩でもしたのか」「俺が?京子ちゃんと?ばか言うな、法事の手伝いで帰ってんだよ、それに本気で喧嘩しなんかしてみろ、怖いぞ女は、お前も結婚なんかするなよ」「田村、お前、この前と言ってることぜんぜん違うぞ」「そうかー、いいんだよ俺の事なんか、ほら」そう言って田村は冷えた缶コーヒーを朔太郎に渡した。

土曜日の午後、田村は回診で綾の病室を訪れていた。「綾ちゃん、気分はどう?吐き気は相変わらずかな?」「先生、今日はまだ吐いてません」「そうだね、点滴で栄養は取れるけど、お腹の中が空っぽなのは辛いもんね、できるだけ食べて安静にして胃に刺激を与えないようにしよう」「それと明日からお薬が違うものに変わります、今度は点滴で入るけどまたちょっときついかも知れないね」「先生、ちょっとですか、ぜんぜんちょっとじゃないんですけど」そう言って田村に膨れた顔をして見せた。田村も不思議と綾のこうゆう表情は好きだった。「移植は一週間後だけど、検査の結果も今のところは順調だから頑張ろうね」
「田村先生、先生は松本先生っていう方とお友達なんですか?」そう綾は思いきって田村に聞いた。「どうしてそんな事聞くの?」田村は一瞬びっくりしたが、しかしすぐに平静を装った。「前の個室の時、時々私を見に来てた先生がいたのを看護婦さんに聞いたら、それは松本先生って人だろうって教えてくれたんです」「松本先生は内科の先生じゃないそうですから、どうしてその先生が私のこと何回も見に来たのかなと思って・・、そしたら田村先生とお友達みたいよって看護婦さんが言ってたので、先生に聞いてみようと思ったんです」「確かに松本先生とは大学時代からの友達だけど、それはたぶんあれじゃないかな」「あれってなんですか?」「うん、綾ちゃんが入院した日と同じ日にあいつもちょっと過労でね、一週間ほど休暇を取ってたから、あいつ責任感が強いから、綾ちゃんの事話したら、本来なら自分が検査する患者さんだったからってそれで気になって見に来てたんだと思うよ」「そうなんですか、それで松本先生もう大丈夫なんですか?」「えっ綾ちゃん、松本の事心配してるの?」「そうゆう訳じゃないけど」綾は田村にそう答えながら、何で話したこともない人の事が心配になるんだろうと思っていた。「大丈夫だよ、確かにあいつは働き過ぎだけど、過労っていってもちょっと疲れただけだから、一週間実家に帰ってのんびりしてきたみたいで、もうばりばり仕事してるよ」「実家って、松本先生独身なんですか?」「えっ、あーそうだけど・・」「そうなんだ、ふーん」「ふーんって綾ちゃん、人の事心配してる暇ないんだよ、綾ちゃんが大変な病気なんだから、余計な心配なんかしないで綾ちゃんは自分の身体の事だけ考えよう」「分かりました、ありがとう、先生」

「広沢綾の移植日は予定どうり今度の土曜日になったよ、そっちにも連絡あっただろう」「ああ、今週あと一回自己採血に行って、金曜日に入院する予定になってる。それであの娘の今の状態はどうなんだよ」「うん、今のところは予想した数値に近い状態で推移してるよ」「今日からエンドキサンを入れてそして放射線に進む、今も吐き気がひどく出ているみたいだから、これからさらに辛くなるかもしれんな、でも本当に辛いのは移植後だけどな」「そうか、ありがとう」「なあ松本、進歩したんだよな、俺たちがやってる今の治療は、お前が亜紀さんを失った頃から比べればさ・・」「そうだよ、骨髄バンクだけじゃない、積み重ねたデーターや検査技術、最新の医療設備、点滴のルート確保にしたってそうだ、患者にとってより負担の少ない治療のおかげで、沢山の人が病気を治して社会復帰したり、大切な人のもとに帰っていけるようになってるさ」朔太郎はそう田村に答えた。「それでもあの娘みたいに辛い命がけの治療をしなくちゃいけない、そして母親になる喜びも諦めなきゃいけない、この段階に来るといつも思うんだよ」「卵子保存も技術としては確率されつつある、しかしあの娘にはその採取をする時間もない、常にそうだ、何かを得る為には何かを失わなければならない」田村は悔しかった。白血病の細胞を殺す為に正常な機能も一緒に破壊されるしかない事が・・。「俺たち、俺と亜紀さ、まだ高校生だったけど、俺は亜紀と結婚するって思ってたんだ。亜紀もそう思ってくれてたと思う」「亜紀がまだ倒れる前、二人で夢島って無人島でキャンプしたんだ。二人で将来の夢とか話してさ、俺が亜紀と結婚してるって話したら驚いた顔してたけど、でも嬉しそうだった、俺にはそう思えたんだ」「この前帰った時、見つけたんだよその時に吹き込んだ未来の俺に宛てたテープを・・」「そこから聞こえる亜紀の声はかすれかすれだったけど、ずっと一緒に手をつないでいたいって、亜紀と俺と子供と一緒に手をつないで歩きたいって、それが幸せなんだって、亜紀もいつか母になる自分を夢に見てたと思うんだ」「亜紀にとっても俺にとっても、それはいつか来るささやかな未来だったはずなんだ。亜紀や俺の両親にとってもそうだったはずなんだ」「だから俺は恨むよそれを奪っていった白血病を、そしてそれだけじゃない、がんや心臓病やその他多くの難病をさ、俺みたいな思い、他の人にしてほしくないんだよ」「松本・・そんなつもりで話したんじゃないんだ」目の前の友にとって亜紀さんの存在が、どんなに大切だったのか田村はあらためて感じていた。
「でも、亜紀はこう言ってたんだ、『何かを失う事は、何かを得る事だと思わない?』って、亜紀を失ったから今俺は医者をしてると思ってるし、沢山の人の尊い命のお陰で、今より多くの人が助かってると思う」「あの娘も、失うものはあるかもしれないけど、助かったらきっとそれ以上の未来を手に入れるよ、亜紀が手にするはずだった未来のように、だから俺たちが助けなきゃいけないんだ」「そうだな、松本」
「それはそうと、綾ちゃん、お前の事俺に聞いてきたぞ、ナースにお前の事聞いたみたいだけど、お前が見てたの気づいてたみたいだな、でも何でだ?」「お前が過労で休んだって言ったら心配そうな顔してさ、お前の顔と一緒だよ」「なんでそんな余計なこと言うんだよ」「ついな、はずみだよはずみ」「あの娘もしかしたら・・・そんな訳はないか」しかし田村は松本の事を聞いた綾のあの一瞬の表情が気になっていた。

続く
...2004/12/14(Tue) 00:17 ID:WXzyo.oE    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
clice様
二人の魂は、異なる場所と身体であってもお互い惹かれあう
ものなのでしょうか?
ますます、目が離せません。
次の公開を待つ日々は楽しいです、今年も後半月余りとなり
寒くなって来ました、お体にお気をつけて下さい。
...2004/12/14(Tue) 08:30 ID:uqh47D0Y    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 CLICE様へ
こんばんは。グーテンベルクです。亜紀が時間を越えて朔に会いに来た様に思えてなりません。骨髄移植が上手くいっても高確率で母親になることができない綾。切ないですけど、命にはかえられないですからね。絶対に助かってほしいです。今後の展開を楽しみにしております。これからもお体に気を付けてください。
...2004/12/14(Tue) 19:14 ID:iza6Cpjc    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
clice様へ
 お久しぶりです。けんです。一気に読ませていただきました。綾も朔の存在に気づきはじめましたね。しかも気になる存在に・・・これはもう亜紀が綾の体を借りて朔に会いに来たように私も思えてなりません。今後綾が朔とどのように接してくるのか、それと朔の過去を知った綾の反応は等興味は尽きません。闘病のシーンはつらいのですが、今後どんな展開になっていくのか楽しみにしていますので、マイペースで頑張って下さい
...2004/12/16(Thu) 03:35 ID:jzLimg6s    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
朔太郎は屋上に続く階段を昇りドアのノブに手をかけた。誰もいない場所から見る空は、ここが一瞬東京であることを忘れさせるような澄みきった青空だった。昼休みのこの時間、太陽は真上にあり照り付ける日差しが、コンクリートの床にうっすらと陽炎をつくっていた。日陰に座り手に持った小さな黒い箱の蓋を開け、ポケットから取り出したオレンジ色のケースに収められた銀色のディスクを収めた。そしてイヤホンを両耳にはめてスタートボタンを押した。心臓がドキドキしていた。初めて学校の下足室で亜紀から受け取ったウォークマンを持って屋上に駆け上がりスタートボタンを押した時のように・・あの日もこんな澄みきった青空に白い雲が流れていた。

土曜日の夜、相変わらず続く吐き気にうんざりしながらも、綾の頭の中は今日二人から聞いた朔太郎の事でいっぱいだった。いろんな科の組織検査を一手に引きうけるような優秀な先生、病院に寝泊りするくらい仕事に責任を持って頑張る先生、そして頑張り過ぎて過労で倒れた先生、それでも自分を心配して何回も見に来てくれた先生、少し日焼けした顔に瞳の優しい先生、そして独身。綾の中で朔太郎のイメージがどんどん膨れ上がっていった。そして今自分が命にかかわる病気の真っ最中である事などすっかり忘れていた。
「おはよう、綾ちゃん、気分はどう?」森下はいつものように綾に声をかけた。「もう最悪、ウエーって感じです。もうすっかり洗面器と仲良しになりました」「冗談が言えるくらいなら大丈夫ね、綾ちゃんタフね」森下は感心していた。一刻を争うような状態で入院したにもかかわらず、一時の危険な状態を脱して白血球値も順調に下がってきていた。身体中のいたるところに針を刺される数々の検査、そしてこの前処置と大人でも泣き叫ぶ人がいるくらい辛い治療と白血病の告知を、受け止めて耐えている姿にこの少女のどこにそれを支える力があるのだろうかと思っていた。「伊達に陸上やってません、練習や駅伝のレースの本番はもっと苦しいもん。でも見えてるゴールならそこまで走ればいいから頑張れる、そう決めたの」「そうね、その通りね」「うん、でも経験無いから分からないけど二日酔いってこんな感じなのかな、これじゃお父さんも私が誘っても走れない訳だね」「そうかもね、実は私も時々ね」「えっ、森下さんがですか?そんな風には全然見えないけど」「看護師もね、飲まなきゃやってられない時もあるのよ」「そうなんだ、大人の世界も大変ですね」「ナマ言って、お薬2倍にしよっかな」「げっそれは勘弁してください」そう言って二人は笑った。看護師の森下にとって苦しい戦いをしてる患者と、こうやって笑顔で話せる事は何よりの救いだった。本当に強い女の子だと思った。

昨日先生が話した薬が今日から点滴で入る事になった。頭が朦朧として気分の悪さもさらにひどくなり頭痛ももしてきた。しかし綾の頭の中は常に一つの事でいっぱいで、それはこの耐えられないような苦しみから綾を少しだけ救っていた。気晴らしに家から持ってきてもらっていた、愛用の携帯用MDプレイヤーを聞いていた時ある事に気がついた。それは買う時に迷ったけど使うこともあるかもと選んだ録音機能のあるタイプだった。そしてその時一緒に買ったジャックを差し込めば、本体と一体になるマイクを持っていた事を思い出した。「あれ確か机の引出しに入れたままだったっけ」そう独り言を言うと、付き添いで来てる母親に明日朝持ってきてもらう事と、新品のMDを買ってきてもらう事を頼んだ。
無菌室に物を持ちこむには時間がかかる。どんな些細な物でも紫外線で滅菌しなければ無菌室の中には入れられない。雑誌やCDなんかでもまる1日かかるが、時間なんか嫌と言うほどあるので特に早く欲しいと思った事は無かった。しかし中に物を入れるのがこれほど待ち遠しい思ったのは初めてで、夜になってやっともらえた。
綾は自分のしようとしてる事がひどく唐突で無謀な事である事は分かっていたが、思った事はすぐに行動に移さないと気が済まない性格と、日ごろからやらないで後悔するよりやって後悔するほうがいいと思っていた事もあって、この大胆な行動に出る事にした。
そして、「まあいっか、届くだけでも・・・よし」そう言って録音ボタンを押した。
「こんにちは、広沢綾といいます。突然でごめんなさい。私は松本先生もご存知だと思いますけど、今血液内科って言う病棟の無菌室っていう所に入院しています。高校2年生です。病名は白血病です。どうしてこんな事になっちゃったか自分でも良く分かりません。先月の終わりから具合が悪くなって、風邪かなと思っていたら急にすごい熱が出て、両親にこの病院の救急外来に連れてきてもらってそのまま入院になりました。最初このまま死んだらどうしようってすごく怖かったけど、今は骨髄移植という手術を受けられることになって、その為の前処置っていう治療を受けています。その手術は今度の土曜日の予定です。すごく吐き気がしたり、頭が痛かったり泣きそうなくらい辛いですけど、今は頑張ってその手術を乗り越えようと思っています。田村先生や看護婦さんから松本先生は病理という仕事をしていてとても忙しいドクターだって聞きました。どうしてそんな忙しい先生が私の事見に来てくれたんだろうって、ちょっと不思議に思っています。でも嬉しかったです。先生に見られてるときなんか安心しました。先生も過労でお休みされたって田村先生から聞きました。私たちの病気を治すために一生懸命頑張ってくれていると思いますが、松本先生も自分の身体大事にしてくださいね。それと忙しい先生だから無理かもしれませんが、お返事が頂けると嬉しいです。それではお仕事頑張ってください。失礼します。」そう吹き込むと停止ボタンを押してMDを取りだしケースに入れた。
そして次の朝の回診の時、綾は心臓が壊れるかと思うくらいドキドキする気持ちを抑えながら、松本先生に渡して欲しいとそのMDを田村に渡した。何て言われるかと思ったが、不思議とあっさり受け取ってくれたので拍子抜けしたが、先生が病室を離れた後思わず一人でガッツポーズをした。

昼休みに入ってすぐ、田村が部屋に来てこのMDを渡していった。「松本、綾ちゃんからお前にって、これ」「おい、どうゆう事だよ」「さあ、ラブレターなんじゃないの、たぶん」「たぶんってさー」「俺、ただのぱしりだから、ちゃんと聞いてやれ、後は自分で決めろ、じゃあな」そう言って田村は戻って行った。その後すぐ若い検査技師にこのMDプレイヤーを借りてこの屋上に来ていた。
朔太郎はストップボタンを押して、再度スタートボタンを押しもう一回聞いた。喋り方は少し違ってもその声は亜紀の声に似ていた。ほんの3週間前に聞いた17年前のカセットテープから聞こえてきた亜紀の声と同じだった。しかしこの声の持ち主は2004年の今を生きていて、目の前に見える建物に入院している少女のものだ、動揺はしていてもその事だけははっきり分かっていた。だが同時に朔太郎の中に懐かしい感覚が蘇るのを感じていた。亜紀と付合いはじめた頃のあの幸せでわくわくする感じ、朔太郎が17年心の闇の中に閉じ込めていた感覚が今戻ろうとしていた。
その日の帰り道、駅前の家電ショップで朔太郎は録音機能のあるMDプレイヤーを買った。17年の時を隔てて今、二人の声の交換日記が再び始まろうとしていた。

続く
...2004/12/16(Thu) 13:37 ID:Eo3TdiGE    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
clice様
 こんばんわ。今回の話でいよいよ綾が朔太郎の事意識しだしましたね。だけど、まさか朔太郎と会っていないのに、カセットではないけどMDで録音なんてなかなか大胆なことをすると思いました。だけど、亜紀でも同じ事をやっただろうなあーと思いました。
 今までの話が、序章でこれからが本編な感じがしますね。これから、朔太郎と綾のMDでの交換日記が始まりますね。とても楽しみにしていますので、執筆活動頑張って下さい。
...2004/12/17(Fri) 00:19 ID:8fSohxos    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:thomas
Clice様
おはようございます★
もう毎回毎回楽しみで仕方がありません!!
どんどん話がつながっていっていき、話も本題になっていってるのでもうチェックは欠かせません!!!
いつか綾ちゃんが亜紀の魂(自分の前世)を蘇えらしたとしたら綾ちゃんはどうなってしまうのか・・・、綾ちゃんと朔は付き合うのか・・・、その時綾の両親は2人の年齢差に戸惑いを感じないのか・・・などなどいろいろな思いが交錯しています!
でも、朔には幸せになってもらいたいです。
本当は亜紀ちゃんと幸せになってもらいたかったのですが・・・(涙)!!
ではでは、執筆活動頑張ってください。
...2004/12/17(Fri) 10:53 ID:o20rz402    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「聞いたよ、あの娘のMD」朔太郎は病院の正面玄関のホールを見下ろす、吹き抜けの廊下の手すりにもたれながら田村に話した。一階の受け付けの前では沢山の人が診察の順番を待ち、各科につながる廊下も看護師や受診する人たちがひっきりなしに通り、いつもと変わらない病院の午後の風景がそこにあった。「それでどうなんだ、やっぱラブレターか?」そう少しふざけて言ったが、田村はどうして綾が直接会ってもいない松本のことをそう思うのか不思議だった。しかし綾の様子は松本のことを意識している、それは綾の話し方や表情からも明らかだった。「そんな訳ないだろ、俺が見に行ってた事を不思議に思ってるのさ」「でも普通するか?それだけの事で、自分が生きるか死ぬかの瀬戸際にあるっていうのに」「それはわかんないけど」「あれは恋だね、一目見てお前のことピーンと来たのさ。女の子はよくやるだろ、友達に頼んで手紙渡してもらったりさ、まっさすがに今はないか。しかしもしかすると本当にあの娘の中の亜紀さんがそうさせているのかもしれないな」「なあ松本、お前だって本当はそう思ってるんじゃないのか?だからあの娘のことこんなに一生懸命になるんじゃないのか?」「分からないよ、でも昨日あの娘の声を聞いて思った、亜紀に似てる、話し方は少しちがうけど雰囲気は亜紀と同じ気がした。なんか高校の時に戻ったような気がしたよ」「それでどうするんだ、これから」「とりあえず返事を入れたよ」そう言ってポケットからディスクを取り出し田村に渡した。「あの娘に、移植の前に渡して欲しいんだ。もし俺があの娘を元気づけられるのなら俺はそうしてやりたいんだ。側に付いててやることはできないけど、あの娘の為にできることは何でもしてやりたいいんだよ」「そうか、分かった預かるよ、でも一つ言っとくが、お前先でまた辛くなるぞ、あの娘にとってもさ」「それは分かってる、あの娘を傷つけるような事は絶対しないよ」「それならいいんだ、主治医としては患者が明るく希望を持って病気と戦う事が一番望ましいからな、愛する力に勝る特効薬は無いってな」そう言って田村は笑った。「それはそうと少しやばいな、台風」そう田村は呟いた。「ああ、俺も心配してる、逸れてくれれば良いが・・」朔太郎もそう答えた。
水曜日の東京も朝から良い天気で気温もぐんぐん上がり、台風の接近など想像もできないような青空が広がっていた。しかし関東の南南東海上500kmの位置には台風10号があり西北西に進んでいた。もし日本に接近して北よりにコースを変えれば綾の移植の日、31日の土曜日にちょうど関東を直撃するコースになりそうな感じだった。朔太郎はドナーと患者の一切の接点を無くす為、横浜の病院で骨髄の採取を受けそれを東京のこの病院へ運んで綾に移植する予定になっていた。すでに移植日は決定しすべてがそのスケジュールで動いていた。もし台風が東京に上陸して交通機関に影響が出て、高速道路の封鎖や一般道の渋滞や通行止め、電車の運転中止などでもし骨髄液が運ばれず移植が受けられなければ、綾にとって深刻な事態も予想された。そして台風は日本に近づけば必ず北から東へとコースを変えていた。

「綾ちゃん、気分はどう?まだ悪い?」「うん、昨日より少し良いかも・・、田村先生はちょっととか言ったけど全然ちょっとじゃないですよ、あの薬が平気な人絶対いないと思うな」「そうね、でも強いお薬は昨日で終わりだから、今日からはさっき先生も話されたと思うけど放射線治療の番ね」「それ何処でするんですか?」「外来診療棟の地下一階に放射線治療の設備があるの、そこまでは綾ちゃんが前入ってた個室のテントみたいなアイソレーターの付いたストレッチャーで行くのよ。今日はこれからと午後の二回、明日も同じね、久しぶりに外が見れるわよ」森下の言葉を聞いて綾は少し嬉しくなった。入院当初は検査でいろんな所に行ったけど、この無菌室に入ってからは病棟の外には出ていなかった。毎日来てくれる母親ともいつもガラス越しのインターフォンでの会話だった為、少なくとも往復の間はすぐ側で会えるのが嬉しかった。そして少しして森下がそのストレッチャーを無菌室の入口に運んできた。
「これに乗って行くんだ」狭いけどベッドに乗ったまま移動するようなもので一瞬快適かなと思ったけど、動く振動でまた気分が悪くなったらどうしようとそっちが心配になった。でも基本的に好奇心旺盛な綾はこれに乗るのがちょっと楽しみだった。「なんかお魚屋さんのガラスケースみたいですね、これ」「そお?」森下は綾のそのちょっと天然っぽい表現がおかしかった。「私はさしづめピンク色のタイかな」「フグの間違いじゃない」「あっ森下さん、今のレッドカード」そう言って綾は得意の脹れ顔をした。「ほら、お顔がそうなってるわよ、綾ちゃんは身体にいっぱい針が刺さってるから、ハリセンボンかな」「森下さん、それ全然冗談になってないです」「そうだったわね、ごめんごめん」でも綾は森下の言った事が実は間違いじゃない事に今はまだ気づかなかった。
無菌病棟の入口はドアが二重になっていて、綾はそこを通る時改めて自分がいる病室が大変な所なんだと思った。ドアを出ると和子が待っていた。「綾、具合どう?大丈夫?気分悪くない?」「さっきまた吐き気止め飲んだから、お母さんがこんな側にいるの久しぶり、いっつもガラスの向こうだから、こうしてるとなんか安心する」「そうね、ほんとに」和子も娘をこうやってすぐ側で見ていられるのが本当に嬉しかった。「じゃあ行きましょうか」そう言って森下はストレッチャーを押し出した。
放射線治療部門のフロアには病棟のエレベーターで地下一階まで降り、そこから通路を通って行けるようになっているが、久しぶりだからと病院内が少し見えるように、渡り廊下を通って外来診療棟のエレベーターで降りるルートを森下は選んだ。長い廊下に出ると綾は少しだけ開放感を覚えた。いったん外に出ると病院の中とはいえまったく別世界で、行き交う人たちの姿の中に綾は不思議に生命力のような物を感じた。今までそんな事思いもしなかった。生きているということは綾にとって当たり前の事だった。しかし今、二重の扉のそのまた中の小さな部屋だけでしか生きられない自分の事を考えると、当たり前に毎日が過ごせるということがどんなにか素晴らしい事なのか初めて分かった気がした。そしてこの病院には自分のような人が沢山いて、森下さんや田村先生、そして松本先生のような人たちが必死になってその人たちの生きる力の手助けをしてくれている。綾は入院してこれまで会った沢山の人たちの事を思い出した。多くの医師や看護師、検査機械を担当する検査技師の人たち、部屋の掃除をしてくれる人まで、きっと知らない所にも自分の為に働いてくれている人が沢山いるのだろうと思った。今自分の目に見えているこの巨大な病院が、そんな多くの人たちによって動かされているかと思うと素直な感動を覚えた。
「お母さん」「なあに綾」「私もまたこの廊下歩けるようになるよね」綾の素直な思いだった。「当たり前じゃない、歩けるに決まってるじゃない」そしてそれは和子の願いだった。「そうだよね、当たり前だよね」そう綾は前を見て言った。

エレベーターが地下一階で止まりドアが開くとすぐそこに放射線治療部門の受け付けがあった。パステルカラーの待合席や熱帯魚の水槽や観葉植物が置かれ柔らかい雰囲気のする場所だった。しかし廊下を曲がり奥に進むといくつものオレンジ色の鋼鉄製の扉があり、その扉の中央に見たことのある黄色と黒のマークが描いてあり、入口の柔らかさと対称的な何か物々しい雰囲気が漂っていた。「お母様はあちらの待合室でお待ち下さい、2時間くらいかかると思います」そう森下は和子に話し綾を連れて扉の向こうに消えた。ゴンという音とともに閉まった鋼鉄製の扉を見つめ和子は思っていた。今この時から綾の母親になる夢が消える、もしその夢を奪うのならどうかあの子の命をお助けください、手を合わせそう祈らずにはいられなかった。
扉に先の細い通路を進むと天井の高い広い部屋に出た。リニアック室と呼ばれるその部屋の中央に天井までとどきそうな白い大きな機械があって、その湾曲した大きなアーム部分に丸い開口部がありそこから治療に使うX線や電子線が照射される仕組みになっていた。
機械に下にも作動式のベッドが有ったが、乗ってきたストレッチャーのままその機械の下に固定された。そして技師の人が身体の中心を合わせると部屋を出ていき、後はマイクからの指示だけでその広くて白い部屋の中に綾は一人取り残された。そして全身照射と呼ばれる前処置の最終段階の放射線治療が始まった。

綾は真上にある丸い放射線の照射口を見上げていた。もうどのくらいたっただろうか、身動きもできないまま時間がとても長く感じられる、熱や光のようなものは感じない、しかし何か見えないものに身体を貫かれているようなそんな微かな恐怖を綾は覚えていた。 
技師の人が退屈するだろうと言ってCDをかけてくれていた。その柔らかい音楽にまどろみながら綾は朔太郎の事を考えていた。時間が経つにつれ自分のした唐突な行為が恥ずかしくなり自己嫌悪を感じていた。「ばかなことしたかな、変な子って思われるよきっと」そう綾は一人呟いた。そして返事など返って来そうにない感じがした。
放射線は熱くも痛くも無かったが、時間がたつうちに皮膚がちりちりした感じがして、身体の中が次第に熱を帯びていくのを感じた。その火照りは次第に倦怠感に変わり治療が終わり部屋を出る頃には、すっかりぐったりして来た時の元気は完全に無くなっていた。

続く
...2004/12/19(Sun) 07:21 ID:oqJmBZY2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:thomas
遂に綾ちゃんはお母さんになるという夢が消えて(完璧に消えたとは書いてませんでしたが高い確率で・・・)しまいましたね(:_;)”生きる”のが最優先っていうのはわかるのですがどうしても否めない気持ちになってしまいます。生きている、という事をあたりまえのように考えていますが、今このときを一生懸命に生きている人がいるのですね。
あと、Cliceさんの小説の中で朔が「側に付いててやることはできないけど」っていう表現が柴咲コウの「ただそばにいることさえできないけど」っていう歌詞と重なりすごくジーンとしました!!お互い(朔と亜紀)そばにいてあげられなかったけど相手のことを考えているのが伝わります。
では長くなってしまってすみません。
Cliceさんこれからもがんばって下さい☆ミ
...2004/12/20(Mon) 11:11 ID:MH5HuZfw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
Thomas様、けん様、Marc様、グーテンベルク様、そして読んで頂いてる皆様cliceです、いつもありがとうございます。ふとした事から書き始めて気がつけば一ヶ月が過ぎてしまいました。このサイトを知ったのも書き始める少し前で、沢山の方が朔と亜紀の物語を書いてるのを見つけたときは嬉しかったのを覚えています。皆さんと同じくドラマを見ている時から、もしもの話しがつい頭を過ぎる事があり、ドラマ終了後に少し物語りのようなものを、本当は感想を書く公式BBSに「まっいっか最後だし」と亜紀のような感じで書きました、まさに書き逃げという感じですね。その時は亜紀がもし死ななかったらというような話しは、ドラマの関係者の方に失礼にあたると思う気持ちがありました。でも朔と亜紀をオーストラリアに行かせてあげたい気持ちがあって、結局書いて投稿しました。同じように思ってくれる人もいるだろうと少し期待した気持ちでした。
ただ長くは書けないし読む上での効果も狙い、移植の為転院する朝から飛行機の機内にいきなり話しを飛ばしました。その過程で亜紀の移植の為の闘病や不妊の事実を付きつけられた廣瀬夫妻の心の葛藤や苦しみ、その事を知った上でなお変わらぬ愛情を注ぐ朔、そして移植による後遺症やその後の長い制限された生活に耐えて、今度は朔に追いつこうと頑張る亜紀、再発の不安と不妊によって朔の愛情を受けて良いのかどうか苦しむ亜紀、それでも二人はともに歩いていこうとするそんな物語が存在する事をいつか書きたい気持ちがありました。二人の幸せはお互いの苦しみや悲しみをも分かち合った上でのものである事を書きたいと思いました。しかし何気なく書き始めたこの話も気がつけば長くなりそうな気がした事と、取ったテーマからちゃんと書かなければいけないと考え、移植の過程と取り巻く人たちの気持ちやその後については、亜紀ではなく綾という主人公を通して皆さんに読んでもらいたいと思いました。
この話しは一番最初に思いついた朔と亜紀のその後の物語ですが、自分にとってはドラマの感想というかアンサーストーリーのような気持ちで書いています。ドラマ本編が亜紀との出会いと別れを経験した朔の成長の物語とするならば、これは亜紀の命を受け継いだ綾の成長の物語です。ちゃんと成長させられるのかは自身がありませんが、ドラマの中の亜紀の言葉「何かを失う事は、何かを得る事だと思わない?」のように亜紀自信の死によって始まったその後を、綾としてどう変えていくのかがこの物語のテーマです。
そうでなくてもファンタジー色が強くなりますので、それを支えるディテールはちゃんと書けてるかどうか分かりませんが、自分が分かったり経験したりした範囲でできるだけリアルにしたいと思っています。物語の中の日付での天気なども東京の今年の実際のものにしています。そしていくつかの偶然が、あまり考えずに書き始めた話を支えてくれています。
主人公の広沢綾の名前は廣瀬亜紀に限りなく近い別の名前という事からですが、綾という名前はこれ以外にはないと思って決めた唯一の事です。
いただく感想では内容について触れてくれるものがとても嬉しいです。もう年内には絶対終わりそうになくて、公式HPのほうにもまだお邪魔できていませんが、ここらで不二子さんにはドンと一回突っ込んでもらいたい気がちょっとします。
これからそれぞれの人の別々の人生が綾の登場で再び交差を始めようとしています。今後も読んで頂けると嬉しく思います。
...2004/12/20(Mon) 15:10 ID:gQyBq8jo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
こんばんは。グーテンベルクです。物語、とてもリアルに書かれておりますね。命がけの治療の辛さ、綾の必死で闘う姿がありありと表現されていると思います。それと綾の「ばかなことしたかな、変な子って思われるよきっと」のところでは高校生らしさがよくわかりました。これからどのような展開になるのか、とても楽しみです。長編になるようですが決して無理をせずに頑張ってください。
...2004/12/20(Mon) 21:32 ID:0oIx5gj2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜Clice様〜
ご無沙汰しております。
だま〜ってはおりますが、それはもういつもいつも読ませて頂いては、感心することばかりなのです。
この物語の感想を書こうと思えば、それなりに整理してきちんとしたものを書かねば、と思わせる様なお話です。とてもではありませんが、私が安易に突っ込みを出来る類のものではありません。
がしかし、私は私の拙い語彙を駆使していつも書きまくるのです。(笑)
すいません、今ちょっと落ち着いて書ける環境になくなってきましたので、静かな時に書かせていただきますね。

一つだけ。
「風に立つライオン」は、田村の性格を示すのに十分な逸話で、私は過去にこの曲を一度しか聴いてはいないはずなのですが、このお話で曲が蘇ってくるのを感じ、そして涙が溢れました。
...2004/12/20(Mon) 21:56 ID:w8lwDAf.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
こんにちは、clice様

台風!、横浜−都内は交通機関が止まると意外に遠いものですね
ひょっとしてE39の出番でしょうか首都高それとも湾岸回り?
いやもっと別の展開が!
ああっ!...毎回楽しみにしております。
MDでの交換MSG、メールと違って(院内では携帯使えません
が)かたちがあるもので想いが取りかわされるのは素敵ですね。

いつも密度の高い物語をありがとうございます、無理はなさらな
いでください。
...2004/12/21(Tue) 08:30 ID:ICRguUIY    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜clice様〜
昨日は、失礼いたしました。
たまに書くもんだからclice様を大文字にしてしまい、申し訳ありませんでした。

で、感想です。
まず私が一番最初に言いたいのは、
「この物語を書いて下さって、ありがとうございます。」
という事です。
勿論、clice様はご自身の意志でお書きになっておられるわけですが、それを内に留めず、私達の目に触れる機会を与えて下さったことに、心から感謝しています。
素晴らしい才能を目の前に出来ること自体が、”心動かされる瞬間”の一つだと思っています。

「見てきたような嘘」というのは、ある小説家の方が何かの本読まれて賞賛された一言でした。(何だったかは、忘れました)
ものを書かれる方は、そのテーマに対して読者よりも少なからず知識を持っていなくては説得力に欠けるでしょうし、何よりも筆が止まってしまうのではと想像できます。「見てきたような嘘」を書く為には、ある程度の取材、もしくはご自身が体験していなければ、想像だけでは話を進めて行かれないことも多々あるでしょう。clice様のお話は、私に言わせれば「見てきたような嘘にも程がある」と言うほど、精密に描かれていて、特に病院内の描写はまるで写真で撮ってきたように感じます。昨日clice様が書かれていたように、この話は架空の物語ではありますが、描写に関しては「嘘」はないと、それが物語をリアルにさせている一番の要因だと思います。

それで私はというと、必ず映像が浮かんできます。
この話は私にとってはドラマと同じです。ドラマを観るときは、キャラクターのことを考えます。それは、話が進むにつれて、登場人物のの性格が判明してきて、無意識のうちに頭の何処かに台詞のリストを作っているのです。「サクだったら、この場合はきっとこう言う」「亜紀だったら・・・」と。自然にそうやって、頭の中で言葉が選ばれていきます。
clice様は、公式HPでもそのことを強く意識なさったとここで書いていらっしゃいましたが、実は私などは、そこにこそ作品に引き込まれていくかどうかが掛かっている、重要な事項なのです。
この『もう一つの結末(再会編)』でも、言葉には気を付けていらっしゃるところが伺えます。限りなく、亜紀=綾ですが、亜紀≠綾です。それは、やはり綾が発する言葉が示しています。特に、森下看護士との会話は、同じ状況だったとしても亜紀だったらこうは言わないだろう、彼女は「綾」なのだと強く認識させるものだと感じました。
そして、どの登場人物もその人にあった”それなり”の言葉を発します。だから、声が聞こえてくるのです。
昨日も書きましたが、田村はああいう性格で、私はきっとこれをお書きになっているclice様も、あの曲を聴いて心が動かされる様な方なのだ、と勝手に想像してしまいます。あれは、本当に一度聴いたら忘れられない曲ですね。素敵な曲です。

clice様は、登場人物の設定のため”ネタ”が仕込まれていると仰っていましたが、”ネタ”というか、私にはしっかりとした設計書と思えて、話は元に戻りますが、それがあるからこそ人物がしっかりと立ち上がって来ると感じます。

あと私は、描かれているほんの少しの幸せに、大きな幸せを見出しては涙するタイプなので、「タロとジロ」の話が好きなのも、幼い頃の綾と父の笑顔が見えたからなのです。

それから、綾について話す朔と田村の会話も好きです。ほんと、それっぽいですよね。

だから、もう。
まとめるの下手なんで書き始めると、夕方まで掛かるというのは嘘じゃないんですよね。これは、私が思っている事の1/5くらい、いやもっと少ないかもしれません。
年末年始は色々とあり、PCから離れてしまう環境にあります。ですので、もしその間にこの物語が書きあがってしまっても、私の知らない間に絶対過去ログなど(そんなこと絶対ないと思いますが)には行かないで下さいませ!(笑)

完成の日を楽しみにしております。
お身体に気を付けて、頑張ってください。


P.S.〜全然関係ないんですけど、私はここの決まりがよく分かってなくって、
「どうなったら過去ログに行ってしまうのですか?」
一番下に行ってしまうと、自動的に過去ログに行ってしまうのですか?それとも、管理人様が件数を
チェックしておられるのでしょうか?
どなたか教えていただけたらと思います。
...2004/12/21(Tue) 12:18 ID:5bfI0kXw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
綾はその日二回目の放射線治療を終えて無菌室に戻っていた。放射線を受けることがこんなにきついとは綾は思っていなかった。全身が火照って身体の中に熱がこもったままになったような感じだった。看護婦さんが氷枕を用意してくれてたけど、その冷たささえ感じなくなってしまっていた。意識が朦朧として頭の中まで茹で上がってしまったような気がした。そして時間が経つにつれ顔や身体が腫れあがってきた。鏡を見ると皮膚が少し浅黒くなっていた。陸上をやっているのでクラスの女の子よりは日焼けしてると思うけど、元々色白なほうなのでそれほどでもないと思っていた。しかしそれとは明らかに違う変化が自分の身体に現れていた。このままあと2日もこんな事してたらきっと丸焼けになった豚みたいにパンパンになってしまうような気がしていた。夜になってシャワーを浴びた。立っているのも辛かったが、流れ落ちるお湯の感触が疲れた身体に染み渡った。そして倦怠感で本を読んだり音楽を聴く気力も無く、テレビを少し見て早めに眠った。テレビの天気予報で関東の南海上にある台風の進路について話していた。今後北よりに進路を変えれば週末には関東に上陸するかもしれないというような内容だった。そしてその夜東京に久しぶりの雨が降った。

正信は雨に濡れた坂道を走っていた。夜にかけて降った雨は今は止んでいたが、雲が低くゆっくりと西へ流れていた。綾が入院してから1日も欠かさず続けている朝のランニングも今日で何日になっただろうか、あの日以来町内会の飲み会も遠慮して好きな酒も断っていた。神社の境内も今朝はひんやりとした空気に包まれて、行き交う通勤のサラリーマンも思い思いに手に傘を持ち出勤していた。正信は手を合わせた。今朝、家を出るときも先にテレビをつけて天気予報を見た。台風が西に向かうスピードが落ちていた。やはりこっちに来るのか、正信も骨髄バンクのコーディネイターからドナーの骨髄液が他の場所から運ばれて来る事は聞いていた。どうか綾の移植が無事に成功しますようにと正信は祈った、何回も何回も祈った。
毎日走りこんでいても坂道はきつい。しかし正信はあえてこのコースを選んで走った。正信は我が子が辛い治療に必死で耐えているのに、何もできない自分が腹立たしかった。せめてこの瞬間だけでも綾と苦しみを分け合いたい、そんな気持ちだった。息が荒くなり苦しい、坂道のてっぺんが見えてきた。「お父さん、あと少し、ファイト」綾のいつもの声が聞こえる気がする。正信は蹴り足に力を加えさらに身体を押し出し最後の直線を駆け上がった。

田村もコーディネイターの村岡と連絡を取り、万が一に備えて搬送ルートの検討に入っていた。台風10号は時速8Km程度までその速度を落としていたが、それでも西にゆっくりと動いていた。すべての関係者がこの台風の行方を固唾を飲んで見守っていた。そして金曜日、台風はさらに速度を落としやや北よりに向きを変えた。そして綾にとってあと二回の放射線治療を残すのみとなった前処置最後の朝がきた。

朔太郎は約束の10時に横浜の病院に着けるように早めに家を出た。そして少しだけ遠回りをして近くにある神社の階段を上った。雨に濡れた境内はそこだけ時間が止まっているような感じがした。朔太郎にとっての東京はこうした古いものが今も息づいている街でもあった。東京に来て17年、アパートと大学そして病院との往復がほとんどで、お洒落な街や観光スポットなんかほとんど知らなかった。華やかな東京の街に一人でいる自分は似合わない気がしていた。すこし分かるのは医学書を探す為の神田周辺くらいだろうか、それでも少し表通りから入ると都内にはまだ懐かしさを感じさせる風景がいたるところにあって、遠い日の面影を探すようにそこを歩くこともたまにあった。
本堂の前で手を合わせた。祈ることは一つだった。そして低く流れる雲を見上げ、駅までの道を歩き始めた。

約束の10時少し前に朔太郎は横浜の病院に着いた。市の中心部に位置し血液内科は骨髄移植に十分な実績を持つ総合病院で、いくつかの交通機関にも隣接している為採取後の骨髄液の搬送も迅速に行なえる立地であった。受け付けのロビーではすでにコーディネイターの村岡が待っていた。「松本さん、おはようございます」朔太郎を見つけ村岡は手を振り声をかけた。「今日はよろしくお願いします」「こちらこそ、よろしくお願いします」朔太郎は村岡にそう言って頭を下げた。「いやだな松本さん、本来ならこちらがお願いする立場なんですから、頭なんか下げられたら申し訳ないですよ」「いや、私の病院の患者でもありますから」そう朔太郎は答えた、そして村岡に尋ねた。「台風が気がかりですけど搬送については大丈夫でしょうか」「田村先生ともルートについては打ち合わせしました。その時の状況を見て最善の方法を取るようにします。病院の選定にはその点も考慮していますし、この場所はどのルートでも選択できる立地ですから安心してください」「それとどうやら台風は再び西に速度を上げはじめたようですよ。このままのコースで行けば夕方くらいには関東は台風の影響圏から外れると思います」「そうですか、そう願いたいです」「しかし昨日の朝の時点では本当に心配しました。もし飛行機で運ぶ距離だったらドキドキものですよ、しかし台風が西に進むなんて初めてじゃないですか?こんな事あるんですね、松本さんの一致の件にしてもそうですが、偶然もここまでくると患者さん本当に何かに守られてるような気がしますね、きっと移植は成功しますよ」そう村岡は明るく言った。そして朔太郎は受け付けで入院手続きを済ませ病室に入った。
入院後さっそく身長・体重の測定、血液・尿検査、心電図とレントゲン撮影など骨髄採取の手術の為の身体検査と、麻酔科の医師による問診が行なわれ、無事に問題ない事が確認され明日予定通り綾に対しての朔太郎からの骨髄の移植が行なわれる事になった。

病室は上の階の個室が用意されていた。木目調の柔らかな内装の部屋だった。明日の手術に備えて夜9時以降は絶食になる、明日の事も考え夕食も少なめにして早めにベッドに入った。南に面した窓からは横浜の街の明かりと、遠くに東京湾に浮かぶ船の明かりが微かに見えていた。夕方には天気も回復していた。村岡の言葉じゃないが本当にこんな事があるのか信じられない気がしていた。空を見上げると雲の切れ間から星が明るく瞬いていた。朔太郎はそれをずっと見上げていた。「あの娘のこと守ってくれてるのか、亜紀」
その夜朔太郎は夢を見た。宮浦の八幡様の夏祭りの縁日を亜紀と歩いていた。白地に紫の花柄と青い帯の浴衣を着た亜紀は透き通るような美しさだった。「朔ちゃん、朔ちゃん、ほら金魚すくい、ねっしよっか」そう言って亜紀は俺の手を引っ張って、小さな色とりどりの金魚の泳ぐ水を張った長い箱の前に座った。「おじさん、二つ下さい」そう言って丸い紙の張ったすくう道具を手に取って一つを俺にくれた。亜紀の目はお気に入りを探して左右にくるくる動いていた。俺は横に座りそのきれいな横顔とうなじに見とれていた。金魚を追って亜紀が俺の前へ手を伸ばす。身体ご触れると湯上りの石鹸の匂いがした。「あー破れちゃった、ねっほら、つぎ朔ちゃんの番、あれ取って、あの尻尾の大きい黒いやつ」そう言われて取ろうとするが水につけたとたん紙が破れた。「もー朔ちゃん、へたなんだから、取るまでやるよ、おじさん、二つ」そう言って亜紀と二人で必死になって、小さい赤と黒の金魚を一匹ずつ取った。気がつけば介ちゃんと智世、坊主もいた。智世は黄色に丸い花柄に赤い帯の浴衣を着て、手に水の入った風船を下げていた。「お前、亜紀ちゃんと比べたらまるで七五三だな」そう介ちゃんが智世をからかった。「なにー竜之介、もう一回言ってみなさいよ、イカ焼き買ってやんないからね」「へーだ、こちとら漁師のせがれだ、そんなもん食い飽きてんだよ」またいつもの口喧嘩を始めた。それを亜紀は優しそうな顔で見ていた。坊主はきょろきょろと周りを見ている。「坊主、お前、寺の息子が神社の祭りに来ていいのかよ」介ちゃんが突っ込む。「いいんだよ、うちの仏さんは心が広いんだよ」と分かったような分からないような話をしている。
鈴を鳴らして手を合わせた。「亜紀、なんてお願いしたの?」「私はね、朔ちゃんと来年も一緒に、ここでこうして手を合わせる事ができますようにって、朔ちゃんは?」「俺も亜紀と同じ」そう俺は答えた。「朔ちゃん、他になんかないの?」「なんかって?」「うーん、たとえばいい大学に入れますようにとか、たとえばお医者さんになれますようにとか」「それって、お願いしても無理っていうか、その」「じゃあ、私がお願いしよっかな、朔ちゃんがすっごいお医者さんになれますようにって」そう言って亜紀はまた手を合わせた。
「いいよ、俺は亜紀と一緒に居られればそれだけで」「私も・・、ねえ朔ちゃん、来年も一緒にここでこうしていられるよね」「当たり前じゃない」「そうだよね、当たり前だよね、そっか、神様も二つは叶えてくれないか、やっぱり」そう言って亜紀は少しだけ寂しそうに笑った。そして二人は手をつないで今来た道を歩き始めた。
目が覚めた。亜紀の石鹸の香りが残っている気がした。そしてまた泣いていた。窓の向こう東京湾がオレンジ色に染まり朝日が病室を照らし始めた。朔太郎と綾にとって運命の1日が今静かに始まろうとしていた。

続く
...2004/12/22(Wed) 01:06 ID:zlYrVClQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
いつも次回が気になって読んでおります。

台風が来たりして、緊張感が増してきましたね。
固唾を呑んで次回を楽しみにしております。
...2004/12/22(Wed) 01:12 ID:WIkc1Meo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
こんばんわ。いよいよ、綾の骨髄移植が、はじまりますね。次回も楽しみにしていますので、頑張って下さい
...2004/12/22(Wed) 03:54 ID:MVzA89C2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:管理人
>不二子さん
はじめまして^^
「一番下に行ってしまうと、自動的に過去ログに行ってしまうのですか?」というので合っていますよ。現行のログファイル容量を大きくしすぎると、読み込みに時間がかかったりサーバ負荷が高まるなどの理由で、このような仕組みになっています。
...2004/12/22(Wed) 22:25 ID:GhMBjsTY    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
>管理人様
こちらこそはじめまして。
お世話になっております。
質問にお答え頂き、ありがとうございました。

全体である一定の容量が決まっていて、それを超えると、「一番下」から順次自動的に過去ログに行ってしまう。

っていうことですね。
だから、とても投稿が増えてきたりすると、一番下でなくても、過去ログ行きの可能性がある、というふうに理解しましたが。
どっちにしても、下の方は危ない!ってことですよね。
お忙しいところ、ありがとうございました。


>clice様
管理人様から、お答え頂きましたので、そういうことみたいです。
だから、下の方には近寄らないようにして下さいませ!!(笑)
...2004/12/23(Thu) 09:11 ID:ff/cZ4jE    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
7月最後の土曜日、こっちに来るのかと思われた台風も四国の方に逸れ、雲の間から青空が覗いていた。午前中の約束だった紹介してもらっていた客との契約を済ませ、明希は駅への道を歩いていた。通り掛かりの神社の参道ではフリーマーケットに人波ができていて、思い思いに品物を手に取って値踏みをしている姿が見えた。両側の木立からは蝉の声がこだましてこの東京にまた夏が戻ってきていた。坂道を下り通りに出て橋を渡ると、そこから見えるビルと木立に挟まれた外堀の穏やかな風景は、どこかヨーロッパの運河を思わせて心が和んだ。そして西口の改札を抜けホームへの階段を下った。
「一樹、ごめんね、ママこれからお仕事なの、一人でお留守番してくれる?」「僕なら平気だよ、ちゃんとお留守番してる」「お昼には帰って来るからね、そうだ今日はお外に食べに行こうか」「やったー、僕ハンバーグがいい」「じゃあ、行ってくるね」「行ってらっしゃい、ママ」保険の外交は普通の会社勤めのようにはいかず、契約を取る為には土曜や日曜にもこうして仕事に出なければいけない事があった。そんな生活がこれからも続き、その度ごとに一樹に一人で寂しい思いをさせるかと思うと胸が痛んだ。
JR中央線はこの場所で緩やかにカーブしている為、駅のホームもそれに合わせ湾曲した形になっていた。いつもならビジネスマンや学生で溢れているホームも、今日は買い物や散策の人たちだけが思い思いの場所で電車を待っていた。オレンジ色の電車がゆっくりとホームに入ってきてドアが開いた。乗りこもうとした時携帯が鳴った。足を止め電車を見送り携帯を手に取った。「もしもし、小林です」「明希さん?」「はい」「松本です、朔太郎の母です」電話の相手は富子だった。

富子は土曜日という事もあって朔太郎の自宅に電話をかけた。これまで一度も帰って来なかった息子がこの前本当に久しぶりに家に戻ってきた。17年という歳月が息子の中で亜紀さんへの思いをどう変化させたか知るよしもなかったが、帰って来れたという事は少しは思い出になり始めているのだろうと富子は思った。これまで特別な事以外は電話をするのも控えていたが、お盆にはまた帰って来ないかと思ってそれで電話をしていた。自宅の電話は留守電になっていた。携帯もつながらない為仕方なく病院に電話をした。
「はい病理検査室です」「お仕事中すみません、松本の母でございます。松本は居りますでしょうか」「松本先生のお母様ですか」レジデントの斉藤が電話に出た。「松本先生昨日からお休みされてるんですよ、理由は聞いてないんですけど先生ここのところずっと働き詰で、この前も過労で倒れられてそれでお休みされたんで、もしかするとまたお疲れになったのかもしれないですね」「えっ、あの子が、朔太郎が倒れたんですか?」「はい、あれ、ご存知じゃなかったんですか?それでご実家に帰られたものと思っていましたけど」「はい、帰っては来ましたけどそんな事は何も・・」「そうですか、分かりました、どうもありがとうございました」そう言って富子は電話を切った。そして少し考えたあと電話の横のアドレス帳をめくり、この前来たときに聞いていた小林明希の携帯の番号をダイヤルした。

「あっ松本君のお母さん、小林です、どうもこの前は突然おじゃましてしまってすみませんでした。帰りにお土産まで頂いてしまって、一樹もすごく喜んで、あの子海でお魚釣りとかした事なかったから・・あのお父様もその後お変わりなく?」「ええ、一樹君もお元気?」「はい、元気にしてます、また行きたいとか言ってます」「ええ、またぜひ遊びに来てくださいな」「あの、今日は何か?」突然の富子からの電話に何事だろうと明希は思った。「あの、朔太郎の事なんですけど」「松本君?」「あの、朔太郎この前倒れたんですか?今日病院に電話して初めて知って、この前帰って来たときはそんな事何も話さなかったし、明希さんはその事は・・」「すみません、松本君に心配するからご両親には言うなって口止めされてたので、でもたいした事ないんですよ、すこし疲れがたまってただけで、ご心配されなくても良いと思います。って私が言うのも変ですね、すみません」「いえ、明希さん、私あなたのような人があの子の側に居てくれたことを知って本当に嬉しかったんです。これからもどうかあの子のことお願いします」「いえ、私は別に、それに松本君には他に・・」「廣瀬・・亜紀さんの事ね」明希は富子にそう聞かれて答えに困った、それで話しを変えた。「あの、それで松本君が何か?」「ええ、あの子昨日からまた病院を休んでるみたいで、家の電話も携帯も出ないし、どこでどうしているのか、明希さんなら何か聞いてるかと思って電話したんです」「そうだったんですか、それなら心配ないですよ、松本君なら今横浜の病院に入院して・・、あっいや、病気とかじゃないんです、松本君ドナーになったんです」「ドナー?」富子はその言葉に聞き覚えがあったがすぐには何か分からなかった。「ええ、骨髄移植のドナーです。白血病の人に自分の健康な骨髄を提供するんです。松本君それに登録してて適合する患者さんが現れて、それでその人に提供する為昨日から入院してるんです。私もそれ以上の詳しい事は聞いてないんですけど」「あの子がドナーに・・」富子の脳裏にあの時のことがはっきりと写し出された。
自宅で亜紀に白血病だと告白された夜の事、病院に見舞いに行った時の点滴につながれた亜紀の姿、亜紀の病状が進んでいくのに苦しむ息子の姿、疲れを隠し一時の幸せを噛締めるように花嫁姿でカメラの前に立った亜紀とそれを見守る息子の姿、覚悟を決めて旅立つ朝の息子の顔、そして亜紀の死を知って狂ったように泣き叫ぶ息子、最後に見た荷物を持って振り向かずに玄関を出ていく息子の後姿を・・。
「あの子がドナーに・・、やはりあの子亜紀さんのことずっと・・」「ええ、松本君言ってました。俺は亜紀に何もしてやれなかったって、あの時もし骨髄移植を受けられたら亜紀は助かったかもしれないって、だから今度もし誰かが自分を必要としたら喜んで提供するんだって、言ってました」「明希さん・・」「私、何も知らなかったから、松本君いつもにこにこしてて優しくて、本当に優しくて、でもずっと亜紀さんの事で自分を責めて苦しんでいたなんて、私知らなかったんです」明希は涙声になった。「ごめんなさい、私・・」「いいんですよ、確かに息子は、朔太郎は廣瀬亜紀さんの事を命がけで好きになってそれは今も変わらないかもしれないけど、あなたの事もあの子は好きなんだと思いますよ、自分で気づいていないだけできっとあなたの事必要としてると思いますよ」「そうでしょうか」「きっとそうですよ、ほんとにあの子は昔っから肝心な事には気がつかない子なんだから、そんなんでほんとに医者なんてやっていけてんのかね」「お母さん、松本君すごいお医者様なんですよ、あんな大きな病院なのに松本君のような病理医は何人もいないんです、それでいつも忙しくて、徹夜徹夜で家にも戻れなくて、それでも沢山の人の病気を見つける為にいつも頑張ってるんです。そんな松本君を亜紀さんはいつも頑張れって言ってたんだと思います。そして松本君もそれに答えてきたんだと思います。そんなふうに誰かのこと好きになるなんて、好きになってもらえるなんて本当に素敵なことだと思います。私そんな亜紀さんが羨ましいです」
気がつけば次の電車がホームに入ってきた。ドアが開き小さな女の子を連れた若い夫婦が3人で手をつないで電車から降りてきた。代わりに恋人同志だろうか並んで電車に乗りこんでいく幸せそうな光景がそこにあった。
「お母さん、私、松本君の事好きです。一樹のお父さんになって欲しいと思っています。あの子、松本君の事本当の父親のようにずっと思っていて、一樹もそれを望んでいると思います」「それは私たちもよ、この前あなたたちが泊まってくれたとき、本当に孫が来たような気がしたんですよ、それはあの人もそうよ。私たち本当に嬉しかったのよ、だからあなたと朔太郎がそうなってくれたらどんなにいいか・・」富子はそう思っていた、朔太郎には手に届く幸せをつかんでもらいたかった。
「私、待ちます。松本君が私たちの事本当に必要だって思えるまで、もしかしたらそんな日は来ないかも知れないけど、私の事、明希って呼んではくれないかもしれないけど、それでも良いんです。私、好きだから、いつかそんな日が来ることを待ちます。そして私たちの事を振り向いてくれたら亜紀さんと一緒に家族になろうと思います。だって私が好きになる前から彼は亜紀さんと一緒だったし、そんな松本君を私は好きになったんだから」
「ありがとう、明希さん」富子は電話口でそう言いながら頭を下げた。
「松本君には私から連絡します。今日お母さんから電話があった事伝えます。たぶん病院で携帯の電源切ってると思いますから、それと入院は4日ぐらいって言ってたから来週にでも、すみません、なんか私ったらいろいろ喋っちゃって」そう言って涙を拭いながら明希は笑った。そして電話を切ると2番ホームにゆっくりと入ってきた電車に乗りこんでいった。

続く
...2004/12/23(Thu) 12:46 ID:OYeRwznc    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
こんばんわ。今回の話は朔太郎と明希の会話でしたが、その会話ところどころドラマを思い出させる話があり、ちょっと感動しました。それと、綾と朔太郎の話だと思っていたので、明希の事すっかり忘れていました。だけど、明希が出て来たことで、綾にとっては最大のライバルになりそうですね。明希にとっても・・だけど、明希は、朔太郎の両親と会ってるし、一樹もいるので有利ですよね。私個人としては、年の差はあるけど、綾とうまくいってほしいのですが・・・
 綾の病気も今後どうなるか興味も湧きますが、この3人の関係もどうなるか楽しみにしていますので、体に気をつけて頑張って下さい。
...2004/12/23(Thu) 23:55 ID:xxXz7uVg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:松本ハム太郎
今日のお昼ぐらいかな?次のがアップされるの
凄く楽しみです。
...2004/12/25(Sat) 11:26 ID:Mey4qeuo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
こんばんは。グーテンベルクです。いつも執筆お疲れ様です。明希の意思、素晴らしいですね。心の中で亜紀が生きている朔を思う明希の姿に感動いたしました。どういった結末になるかわかりませんが、素晴らしい物語になりそうですね。今後を楽しみにしております。
...2004/12/25(Sat) 21:45 ID:1FBoYe1.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
明希の朔を待つ気持ち、そして亜紀と一緒に家族になるという気持ち、泣けてきますね。モロ演歌の世界ですね(笑)
...2004/12/26(Sun) 19:28 ID:BMnExQcg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
綾は恐怖に脅えていた。ベッドに縛り付けられたまま断崖絶壁にいた。ベッドから顔を出して下を見るとどのくらいの高さがあるのか地面がまったく見えない。ベッドは少しづつ崖の外にはみ出していた。汗が身体中から噴出し、心臓が周りに聞こえるくらい音をたてて動き出した。縛られている紐を必死に外そうとするが解けない。よく見るとそれは点滴の透明なチューブだった。胸から伸びたチューブがぐるぐる巻きになって自分の身体をベッドに縛り付けていた。手を伸ばすが空しく空中をさまようだけで何処にも届かず何もつかめない。そしてかろうじて崖の端にかかっていたベッドの最後の足が外れた。強烈なマイナスの加速度が身体を襲い、真っ暗な空間に落ちていこうとした次の瞬間、伸ばした手を誰かがつかんだ。その握り締めた暖かい手と力強い腕が自分の身体を闇の中から引き上げていく、そして気がつけば両足は病室の床に立ち、強い力で抱きしめられその人の胸の中にいた。その人の心臓の鼓動が自分の胸に伝わり、優しい声が恐怖を拭い去った。そして前髪が微かにかかる優しい瞳に見つめられキスをした。
窓の外が明るくなり、床に靴音とかちゃかちゃという器具の触れ合う音が病室に響き始め綾は目を覚ました。次第に薄れていく情景を記憶に留めようと必死に思い出そうとするが、その夢は断片を残し消えていった。そして唇に微かな感触だけが残っていた。

「おはよう、綾ちゃん。いよいよ今日ね、気分はどう?」「不思議ですね、昨日まであんなにきつかったのに今は気分いいです。緊張してるせいかな・・なんかドキドキしてる」「あっでも頭重いかな、身体もだるいし、吐き気もしそう、もう森下さんが言うから現実に戻ったじゃないですか」「あれ、なんかいい夢でも見たのかな?」そう言って森下は綾の顔を覗きこんだ。「秘密です」そう言って綾は笑った。確かに少しだけ晴れ晴れとした気分だった、昨日までの辛い前処置を乗り越えた充実感がレースの予選を終え決勝に残った時の感覚に似ていた。入院してからずっと先の見えない不安に押しつぶされそうな気持ちだったが、白血病と告知され同時にこの骨髄移植手術の事も知らされ、この10日間ただ今日の日の為にやってきた。振りかえればあっという間だった気がするが、この日の為に何年も待っている人や、移植を受けられないまま亡くなる同じ病気の人が沢山いるという話を聞くと、こんなに早く移植を受けられる自分は本当に幸せなんだと綾は思っていた。そして今日見ず知らずの自分の為に手術台に上り、自分の身体にも危険が及ぶかもしれない骨髄の提供をしてくれる人のことを思うと胸がいっぱいになっていった。

「おはよう、綾ちゃん。いよいよ今日だね」田村も病室にやってきた。「おはようございます、田村先生。先生で何回目だろそう言われるの、他の先生や看護婦さんからも会うたびに言われて、なんかどんどん緊張してきました」「そうだよ、もちろん一番頑張ったのは綾ちゃんだけど、他の先生も看護婦さんたちもみんなが綾ちゃんを応援してきたんだよ。そして今日綾ちゃんに骨髄を提供してくれるドナーの人もね、みんなにとって今日は待ちに待った日なんだよ」「そうですよね、沢山の人のお陰ですよね、私元気にならなくっちゃね、先生」そう綾は心から思った。「今から僕がそのドナーの人の提供してくれる骨髄液を受け取りに行ってくるから、移植手術は夕方から行なう予定になってるからね」「先生が行くんですか、何処に・・あっそれは聞いちゃいけなかったんですね」「そう、綾ちゃんの初恋の人が誰かぐらい秘密かな」そう優しく田村は言った。「ほんと、それは絶対秘密です」そう綾も笑顔で答えた。「でも、どんな人なんだろね、先生」綾はもちろん田村は知っているだろうと思っていたが、ドナーと患者はお互いに知る事ができないのが移植のルールだと言うことも聞いて理解していた。でも誰か分からない人を助ける為にドナーになるなんて、きっと優しい人なんだろうなと綾は思った。そしてそんな優しい人から生きる力をもらえると思うと安心してその時を待てる気がした。
「そうだ、それと綾ちゃんに渡す物があったんだ」「何ですか?先生」綾は不思議そうに田村を見た。「はい、これ、松本先生から」そう言って田村はポケットから滅菌済みと書かれたビニールパックを取りだし、中に入っているMDを綾に渡した。
受け取った綾の表情が見る見る変わっていくのを田村は感じた。「えーほんとかな、嘘みたい、先生ありがとう」微かな期待はあっても絶対無理と諦めていた綾にとって朔太郎からの返事は何より嬉しかった。「松本は用事があって今日病院にはいないけど、綾ちゃんの移植が無事に終わるよう祈ってるって言ってたよ」「ほんとですか?よし、頑張ろう」
「じゃ綾ちゃん、夕方にまたね」そう言って田村は綾の病室を後にした。

朔太郎はストレッチャーに乗って手術室へ向かっていた。手術は11時から行なわれる予定になっていた。検温や血圧測定の後、輸血のルート確保も兼ねる水分補給の為の点滴が開始され、手術着に着替え弛緩剤と麻酔の為の導入剤を筋肉注射されて手術前の処置を終えていた。手術は血液内科部長の藤谷医師のチームによって行なわれることとなっていた。骨髄の採取は腰の骨から針を刺して注射器で一回5ccづつゆっくりと骨髄を吸い出していく作業を、数ヶ所に刺した針から繰り返し行っていき、採取された骨髄液は固まらないように培養液を混ぜ、金属のメッシュで2回濾過して骨のかけらや血の塊を取り除いた後血液バッグに詰められ運べるようにする。そして輸血と同じように患者の静脈から体内に入る仕組みになっていた。手術室に入るとすでに医師たちが準備していた。昨日会っていた藤谷が声をかけた。「松本さん、今日はよろしくお願いします」「藤谷先生、こちらこそよろしくお願いたします」ここから先は担当医師にすべてを託す気持ちで朔太郎はそう言った。「事情は聞いてますよ、どうか安心して私に任せて下さい。患者を救う為お互い頑張りましょう」藤谷は力強くそう答えた。やがて麻酔がかけられ朔太郎の意識はゆっくりと薄れていき、骨髄採取の手術が始まった。
麻酔がかけられてる状態ではその間の意識は完全になくなるのが普通だった。しかし朔太郎は夢を見ていた。自分の寝ている手術台の隣にもう一つ台があってそこに亜紀が寝ていた。亜紀の腕と自分の腕が透明なチューブでつながれて赤い血が亜紀の身体へどんどん流れていた。その手を亜紀のほうに伸ばすと亜紀も手を伸ばし朔太郎の手を握り優しく微笑んだ。「亜紀、今助けるから、俺亜紀のこと絶対助けるから、もう少しだから」「朔ちゃん、私感じるよ、今私の中に流れてる朔ちゃんの血はとってもあったかい。朔ちゃんの掌と同じようにあったかくて、まるで朔ちゃんの腕の中にいるみたいだね。朔ちゃん、私たちやっと一つになれたんだね、私幸せだね。ずっと握っていてね、私の手、ずっと・・」そしてまたぼんやりと意識が薄れていった。

田村は病院に到着し骨髄液の搬送の準備が整うのを待っていた。そして午後一時30分、藤谷が赤いプラスチックの輸送用のケースをもって田村のもとに現れた。「お待たせしました、田村先生。藤谷です」そう言って藤谷は輸送ケースを田村に差し出した。「お疲れ様でした、藤谷先生。確かに受け取りました」そう言って慎重に藤谷からケースを受け取った。「930ml頂けました。移植には十分な量だと思います。松本さんには頑張ってもらいました。松本さんは田村先生と同期でお友達とか」「ええ、松本のやつ、随分気前よくくれたもんですね」「そうですね、ほんとに」「今日は本当にありがとうございました。これからは私の仕事です。藤谷先生のチームと一緒に仕事ができて光栄に思います」
「いえ、こちらこそ、患者さん助かるよう祈っています。そして今度逆のケースがありましたら、その時はよろしくお願いします」「分かりました、その時は任せてください」「また一緒にやりましょう」「ぜひ」そう言って二人の医師は固く手を握った。共に白血病の最前線で戦う者同志の立場を超えた友情を二人は感じていた。そして朔太郎の骨髄液を乗せた車は高速に入り第三京浜を都内に向かって走り始めた。

「松本さん、終わりましたよ」そう呼びかける医師の言葉で目が覚めた。朔太郎の手術は終わりすでに隣の回復室にいた。まだ麻酔の影響でぼんやりしていた。「松本さん、たった今松本さんから頂いた骨髄液、田村先生に渡しました。無事に東京に向かいましたよ、お疲れ様でした。後はゆっくり休んでください」そう言って藤谷は部屋を後にした。
「行ったぞ、綾、頑張れよ。亜紀、あの娘のこと見守ってくれよな」朔太郎はそう心の中で呟いた。朔太郎の命のたすきが今綾に向かって手渡された。

続く
...2004/12/28(Tue) 19:12 ID:QkBAe3hQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:松本ハム太郎
cliceさん
ありがとうございます。
移植関係が細かく書かれていますね。
調べるのが大変だったのでは?
次は、綾への移植編ですね
楽しみです
...2004/12/30(Thu) 00:01 ID:/AiO2bH6    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
こんばんわ。今回の話綾の移植前の夢の話や朔の骨髄移植の様子なんかとても素人でない感じがして、とても感動しましたし、すごいと思いました。
 次回はいよいよ朔の骨髄液が、綾に移植されるんですね。とても楽しみにしていますので、頑張って下さい。
...2004/12/30(Thu) 02:05 ID:UeY2I84.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:夕妃
初めまして。夕妃(ゆうひ)といいます。
cliceさんの作品、全て読んでいます。
移植についての説明が、すごい細かくてcliceさんが本当に医者なんじゃないかと思うぐらいです。
綾への移植、そしてこれから朔と綾の関わりがすごい気になります。
期待しています。頑張ってください。
...2004/12/30(Thu) 03:53 ID:e6RtYCnQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
clice様へ
こんばんは。グーテンベルクです。朔の夢のところではとても感動いたしました。朔の心の中で生き続ける亜紀。思わず涙してしまいました。これからも期待しております。マイペースで頑張ってください。
...2004/12/30(Thu) 20:18 ID:kfdySFtM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
熱々になったパイナップルの最後の一切れを口に入れながら綾は窓の外を見た。心配した台風も逸れてくれて太陽が雲間から顔を出すたびに部屋の中が明るくなった。もうドナーの人の手術は終わったのだろうか、田村先生は向こうに着いたのだろうか、それとテーブルの上にあるMD、そんな事を考えているとなにか胸がいっぱいになりご飯も半分残したが、パイナップルを口の中でもぐもぐしていると、これが酢豚だったら、ハンバーグにのってたらどんなに良いだろうと、こんな時でもそんな想像をしている自分が可笑しかった。無菌食はちゃんとしたご飯の形をしているのだが、それでもこのチンして食べる食事は何か宇宙食を連想してしまう。考えてみたらここはベッドはもちろんシャワーもトイレもテレビも電子レンジも必要なものはなんでも有り、それぞれがコンパクトに収まっていてまるでスペースシャトルのような宇宙船の一室のような気がした。そしてこのビニールの向こう側は綾にとって決して生身で出れない宇宙空間のようなものだった。

この無菌室のことを先生や看護婦さんはクラス100と呼んでいた。田村先生の話ではクラス100と言うのは、NASAアメリカ航空宇宙局の基準で、1立方フィートの中に100万分の1メートル以下の粒子が100個以下というとってもきれいな空気の事で、それがどのくらいか想像もできないけど普通の外ではそれが200万〜300万個、きれいな部屋でも100万個の微粒子が空気中にあるそうで、その中にはいろんな菌やウイルスのようなものもいっぱいいるよと言っていた。それを健康な人は吸い込んでも身体の中の免疫力、白血球が攻撃してやっつけて守ってくれているから、普段は何ともなく生きる事ができるということだった。自分の身体の中で日々そんな闘いが繰り広げられているなんて、何かとても不思議な気がするが命ってすごいなって素直に思えた。今までの治療で悪い細胞と一緒にそんな白血球の数も少なくなっているのでこの部屋が必要だけど、移植後は白血球もいったんゼロになるけど、移植された骨髄がどんどん血液を作り出すようになって白血球の数が2000を超えるようになったらこの部屋を出れるよと教えてくれた。「だから今は吐き気がするー、気分が最悪ーとか言ってても、この部屋にいるからで、このまま外に出て何もしないと死んじゃうよ」とちょっと驚かされたが「でも決して怖い事じゃないよ、それが身体の仕組だからその仕組をちゃんと分かって対処していけば、病気になった身体を健康な状態に戻せるんだよ」と言って、いろんな話を分かりやすく話してくれていた。病気になって今日まで綾にとっては毎日が想像もしなかったような事の連続だった。しかしそこで体験したり聞いたりした事は、自分が病気という事とは別に綾の好奇心を毎日刺激した。それでもこの部屋での生活はやはり息苦しく、今日これから移植を受けて、その骨髄がどんどん血液を作っていけばここから出ていける、綾は移植によって自分の身体の一部になるその骨髄液に早く「頑張れー」って声をかけたいようなそんな気持ちになっていた。

昼食のお膳を下げてもらい少し横になった。看護婦さんたちも休憩の時間でいなくなり病室が急に静かになった。今日は両親も移植の間ずっとついていてくれるみたいで、「お父さんといっしょに午後からくるからね」と昨日帰る前にお母さんが言っていた。横を向きベッドサイドにあるライトのアームスタンドに掛けた赤い紐を見た。それは美幸が持って来てくれた駅伝に使うたすきだった。学校の名前の周りに美幸、雅美、友子、由佳の4人のチームメイトがそれぞれ寄せ書きをしてくれていた。「綾頑張れ、負けないで、みんな応援してるよ、ラストファイト」それぞれの文字が黒いマジックで書いてあった。綾は思い出していた。最後の5区のスタートラインで仲間からこのたすきを受け取る瞬間の事を・・。少しでも速くつなぐその一生懸命な気持ちでそれまで走ってきた4人の思いの詰まったたすき、そのたすきを肩から掛けて走るから苦しさは5分の1、楽しさは5倍って思える気持ち。そしてみんなのパワーをもらって走り出すあの瞬間を・・。そんな駅伝が大好き、走りたいみんなと一緒に、そんな気持ちを感じたくてたすきに手を伸ばした。届けてくれた美幸とみんなの気持ちが嬉しかった。「もらったよみんなの思い、私走るよ、ゴールまで頑張って走るから、待っててそれまで」綾はたすきを握り締め心の中でそう呟いた。

綾はまた身体を起こし台の上からMDプレイヤーと戻ってきたオレンジ色のディスクを手に取った。胸がドキドキしていた。なんて入ってるんだろう、どんな声なんだろう、早く聞きたい気持ちとは裏腹に受け取ったときの嬉しさがどこかへ行って、聞くのが怖いそんな気持ちがどんどん大きくなっていった。自分らしくないぞ、そう言い聞かせてイヤホンを両耳にはめてディスクを入れスタートボタンを押した。
穏やかな優しい声がイヤホンから聞こえてきた。「こんにちは、松本朔太郎です。田村先生からこのディスクをもらった時は、突然だったのでちょっとびっくりしました」「ごめんなさい」綾は聞きながらそう言ってちょっと頭を下げた。「でも嬉しかったですよ、移植の前処置の途中でとっても苦しいと思うけど、元気そうな声で安心しました。突然具合が悪くなって入院して、ビニールのカーテンの中で誰とも会えなくて寂しくて苦しくて不安で、怖くてどうしようもなかったと思います。僕もこの前体調をこわしてこの病院にちょっとだけ入院したんだけど、まさか医者である自分が入院する事になるとは思いませんでした。知り合いには医者の不養生だって笑われました。確かに可笑しいよね、でも今はもう大丈夫だから、なんか君まで心配させちゃってごめんなさい。
人はなんで病気になるんだろうっていつも思います。昨日まで普通にできてそして明日もできるはずだったのに、急に何もかもができなくなってなんでだろうって、それがどんなに辛いことか僕にはよく分かります。でも信じて欲しいんだ。絶対治るって、病気に負けないって自分のこと信じて欲しいんだ。君のことを心配している君の大切な人たちの所に絶対帰るってそう強く思って下さい。そして明日を歩いていって欲しいんだ。
担当医の先生たちも看護師の人たちもその為に君が頑張れるようみんな応援しています。
僕も応援してる、そして信じてます。それでも辛くなったり、なにか話したくなったらその時は僕に言ってください。・・・がんばれ」
綾はもう一度繰り返して聞いた。想像した通りの優しい声だった。自分のことすごく分かってくれてるような気がした、信じるっていう言葉が嬉しかった。今までの緊張がすっと消えていき暖かいものが綾の心を包んでいくのを感じた。「そうか、松本先生、朔太郎って言うのか・・」そう呟いた綾のにやけた顔はそれからしばらく続いていた。

「綾ちゃん、今、田村先生から連絡があって、無事ドナーの方から頂いた骨髄液を受け取ってこっちに向かってるって、良かったわね」そう電話を受けた森下が急いで綾に伝えてくれた。「ほんとですか」綾はイヤホンを外し森下を見た。「あれ、なんかご機嫌そうね」朝からかなり緊張していたように思えたし、昼食も残したようで移植前だから当然かなと森下は思っていたが、イヤホンを耳にはめてリズムを取って音楽を聴いてるその姿が森下の目には不思議に写った。「えーだって嬉しいじゃないですか、これから移植だし、ねっ森下さん」そう綾はニコニコ顔で答えた。「そうね、そうよね」森下はそう言いながらリラックスして移植を受けられればそれが一番かとそう思った。そしてナースステーションへ戻りながら振り返えると、綾はまたイヤホンをはめてリズムを取っていた。

続く
...2004/12/31(Fri) 12:39 ID:XReZFoUI    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
綾の移植は来年に持ち越す事になりそうです。今年は本当にいろんな事がありました。良い事も悪い事も沢山あった1年でした。今降っている雪が今年1年の悪かった事を真っ白にして、来る年が皆様にとって良い1年になりますよう心よりお祈りいたします。

私もいい年にして欲しいです。俺もだ。私もできれば。私はどうなるのよー。(by綾、朔太郎、明希、亜紀)
...2004/12/31(Fri) 13:41 ID:XReZFoUI    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:北のおじさん
clice様。

毎回楽しみにさせていただいています。
これからの展開が楽しみです。
clice様も良い1年になりますように心よりお祈りいたします。
...2004/12/31(Fri) 19:29 ID:ldOVOgmM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
こんばんは。グーテンベルクです。朔のメッセージとてもよかったですね。病気に対抗するのに必要な希望・・・それがたくさん入っているように思えました。
素晴らしい作品をありがとうございます。それではよいお年を!
...2004/12/31(Fri) 21:25 ID:QBQZ1m1k    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:あき
私の名前も17歳の「亜紀」って言います。このテレビゃ映画が始まって名前を聞いたときビックリしました…ヶド何故か嬉しかったです。
そのついでに、誕生日まで同じでした。生まれた時間ゎ違うのですが…。偶然か、運命かわかりません…私ゎテレビゃ、映画を見て泣くことゎ全くなかったのですが、せかちゅーを見ていたら自然と涙が溢れてきました!すごく心打たれました。
「亜紀」みたいな子の分まで生きていきたいと思わされました。同じ日に生まれ、同じ名前がついた運命として…。
...2005/01/01(Sat) 04:08 ID:9lBszA2A    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
明けましておめでとうございます。けんです。綾への朔のメッセージとても良かったです。
 今年も続編を楽しみにしていますので、マイペースで頑張って下さい。
...2005/01/01(Sat) 05:39 ID:e3x.eytU    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。

前回の感想は、後から読んでも余りにもまとまりがなくて・・・、すみません。あれじゃ、1/5どころか1/50くらいです。
読み返して、私が「これを書かなければ」と思っていた事が抜けているのに気付き、早速書かせていただいています。

「運命の交差」。それはclice様が掲げていらっしゃるテーマの中の一つと思います。その意味も含めて、今までのところ私が最も心震えた瞬間は、

[48]・・・綾の記憶の中で二つのものが一つに重なり合った。

ここです。大好き。これだけは言いたかった。

物語は、更に重要な局面を迎えます。
年末年始、急激に冬モードになりましたので、どうぞお身体に気を付けて頑張って下さい。
...2005/01/04(Tue) 13:11 ID:szgpL.Tg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
clice様

2005年が明けました、今まで心から癒される作品をありがとう
ございました。

これからも楽しみにしています、よろしくお願いします♪

p.s."私はどうなるのよー。"って、何かいいですね。
...2005/01/04(Tue) 18:20 ID:pg1zeea6    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
来て見たら、真ん中当たりまで下がってるのを発見してしまったので、すみませんが書き込みます。[78]に限定して一つだけ感想を。
MDプレーヤーの朔太郎の最後の言葉、はっとしました。すぐそこではないのだけれど、どこか近くに亜紀がいるのを感じました。

あと、この前田村の事を「ああゆう性格」と、また誤解を招きかねない事を書いてしまったのですが、私が思っているのは、
”本当は心の一番奥底には熱いものが流れているのに、表面は実にクール。むしろ、自分が熱い人間だということを他人に悟られまいとするタイプで、朔太郎よりも一歩後ろから物事を判断出来る冷静な人。それでいて、柔らかさも持っている。”
という印象を持っています。
もしclice様が、この田村に相当する役者さんを思い描いていらっしゃたら、書き上がった後に是非お聞かせ頂ければと思います。
度々、失礼いたしました。
...2005/01/07(Fri) 18:06 ID:pa4ovYsE    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
午後2時50分、田村を乗せた車は病院の門をくぐりゆっくりと敷地内に入った。
駐車スペースに車が止まると田村はほっとため息をついた。患者の命がこのケースの中にあると思うとそれは当然の事だった。そしてケースを抱えて車を降り、綾の待つ病棟へ向かって通路を歩き出した。

「田村先生、お疲れ様でした」森下は入ってきた田村にそう声をかけ、他の看護師たちも口々に挨拶をしてほっとした表情を浮かべた。「お疲れ様、なんとか無事に運べたよ。どう、広沢さんの様子は?」「午前中はかなり緊張していた様子でしたが、今は随分リラックスしてるようです。先ほどご両親も見えられました」「そう」彼女の不安が和らいだとしたらそれは松本からのメッセージを聞いたからなんだろうなと田村は思った。
田村は窓越しで見守る両親に頭を下げ綾に声をかけた。「綾ちゃん、ドナーの方から頂いた骨髄液受け取ってきたよ」そう言って田村はケースの蓋を開けた。
「これがそうなんだ、想像したよりすごいきれい」そう言ってケースの中でバックに入って脹れた濃く赤い液体を興味津々に見つめた。そして「これが私の身体の中で元気な血液を造ってくれるんだ、なんか不思議ですね、先生ありがとう」そう言って綾は嬉しそうな表情を浮かべた。「今着いたばかりなんだけど、実際に綾ちゃんの身体に移植するのにはもう少し後になるからね」「そうなんですか、夕方くらいって先生言ってたから早いなって思ってましたけど」「そう、ドナーの人と綾ちゃんの血液型が違うからね、同じだったらそのまま移植できるんだけど、今回は頂いた骨髄液の中から造血幹細胞だけを取り出したものを移植するので、その分離する作業に2時間くらいかかるんだ。だから移植は予定通り夕方からかな」「そうなんだ」「じゃ後でね」そう言ってケースを持って田村は病室を後にした。

「お父さん、今先生に見せてもらったよ、ドナーの人からの骨髄液、とってもきれいだった」綾は心配そうに見てる父親にインターフォン越しに話しかけた。「ああ、ここからは良く見えなかったけど、お父さんもお母さんも安心したよ、今日までよく頑張ったな、綾」「安心するのまだ早いよお父さん、移植これからだし、でも時間は予定通りだって」「そうか、頑張れよ、お父さんたちずっとここにいるからな」「うん、それとお父さん、明日8月1日はお父さん誕生日だよね、ごめんね、私こんなんでプレゼントもあげられなくて」「何言ってるんだ、今日こうしてお前が移植を受けられる事が、それが父さんにとっては一番のプレゼントだ。明日、元気な声聞かせてくれよ、そしたら父さん他に何もいらないよ」「お父さん・・」綾の瞳に涙が溢れてその一滴が頬を伝った。「うん、約束する」「絶対だぞ」「うん、絶対」正信も涙が溢れるのをこらえきれなくなった。綾がうつむいた隙にさっと拭うと受話器を和子に渡した。
「お父さん泣き虫ね、ねっ綾」後を向いて目を擦ってる夫を見て、和子もこみ上げそうになるものを抑えて笑顔で話した。「ほんとだね」綾も涙を拭いながら微笑んだ。
「お母さん」「なあに綾」「私、お母さんに謝らなきゃ、薬のせいで気分悪くてすごくイライラした時、お母さんに随分ひどい事言った気がする」「ばかね、そんなこと気にしてないわよ、でもほんと頑張ったわね、お母さんなんか綾の辛そうな顔毎日見てたから、もう泣き疲れて涙も枯れちゃったわ、だからほら」そう言って和子はまた笑顔を見せた。「お母さん、強いね」「そうよ、女は強いの、綾も私の娘だから強いわよ」「そうだね」

正信も和子も思い出していた。田村に綾の移植について説明を受けた時の事を・・。
「それで先生、移植をして綾の助かる確率はどのくらいなんですか?」正信の問いかけに田村は一瞬うつむきそして二人に話し始めた。「骨髄移植は急性白血病ならば寛解期と言って白血病細胞を化学療法により一旦少なくした時期に、慢性も同様に症状の進んでない状態で移植を行なうのがベストです。しかし綾さんの場合は急性転化と言って症状が進んだ状態です。もちろん一般的な過去のデータですが、この場合の生存率は移植後1ヶ月で80%、3ヶ月で50%、そして2年後の生存率は12%です」「そんな・・」和子は言葉を詰まらせた。最初このままでは半年の命と言われ骨髄移植をすれば助かると思っていたのに、それでも多くの場合もって2年だなんて再び絶望の淵に立たされたような気がした、そしてそれは正信も同じだった。
田村は二人を見た、その落胆は当然だと思った、自分が親ならそう思うだろう。自分も子供ができて初めてこんな時の親の気持ちが分かるようになった。しかしそれは冷徹な事実だった。「しかし綾さんはこんなに早くドナーが見つかり、そしてその適合状態は最高です。今のところは順調に移植に進めそうな状態で推移してますので、綾さんの生命力を信じましょう」そう田村は優しく二人に話した。

正信はいつものように明るく母親と話す娘を見ていた。あと数時間で綾にとってそして自分たちにとっての運命の時を迎える。それは希望であると同時に最初で最後の選択だった。綾は自分たち二人にとってすべてだった。素直で優しくそして美しく育った大切な宝物だった。小さかった頃身体が弱くよく熱をだして夜中に二人で病院に走った。運動会ではいつもうつむいて地面に指で絵を描いていたあの子が、いつのまにかかけっこで1等賞を取って大きな声で友達を応援するようになった。仕事が忙しい時に夕飯を自分が作ると言って、綾の作った不揃いの形のコロッケをみんなで笑って食べたこと、迷い犬を連れかえって飼いたいと駄々をこねて、名前をつけて可愛がってたのにある日飼い主が見つかり、別れる時泣きながらいつまでも手を振っていたあの子の姿、そんなことが次々思い出され、肩車をした時のあの子の重さが今も肩に残っている気がした。
いつか自分の知らない男を連れてきて、その横ではにかむそんな綾の姿を見る日がきっと来るのだろう。しかし来て欲しくないと思ったそんな未来さえも自分たちにはあるだろうかと正信は思った。綾のいなくなった夫婦二人だけの世界、それが自分たちの未来かもしれないと思うとそんな世界は想像もしたくなかったが、これから先にどんな未来が待っているのかもう神様にしか分からないと思った。「助けて下さい、綾を、私たちの大切な娘を助けて下さい」そう心の中で祈っていた。

続く
...2005/01/10(Mon) 13:13 ID:z/KIornA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「お父さん、カメラ持ってきてくれた?」「ああ、持ってきたぞ、今日は綾の記念日だからなばっちり撮ってやるよ」「まだなんとか髪の毛あるし、顔腫れちゃってちょっとモデルとしてはどうかと思うけど、そこはお父さんの腕で可愛く撮ってよね」「まかしとけ」
正信も世の親と一緒で、一人娘の成長の記録をずっと写真に収めてきた。もともと好きなこともあってカメラも何台も持っていたが、最近はもっぱらデジタルカメラばかりを使うようになっていた。綾もそんな父親の影響で写真は大好きで、中学に入る頃には正信のデジカメを借りて何かあると写真を撮っていた。綾の部屋の壁には自分で撮った写真や、父親が撮ってくれた写真がいっぱい貼ってあり、そこだけさながら写真館のようになっていた。病気の深刻さから今まで、入院中の娘の写真を撮るような気にはとてもなれなかったが、今日は綾の方から写真を撮って欲しいと言ってきていた。
「ねえお父さん、私のは?」「ほら、これだろ、お前のお気に入りは」そう言って正信はもう一台のデジカメを綾に見せた。それは綾がずっと使っている小さなサイズのデジカメだった。「やったー、それそれ」「あとで看護婦さんに渡しとくよ、でもどうしたんだ急に」「撮るの写真、入院中退屈だし、ここにいると毎日がほんと不思議な事ばっか起きるんだよね、普通なら絶対経験できない事ばかりだからなんか興味あってさ」「それに・・残しておきたいんだ、自分の今の姿・・、おもいっきり変な顔ばっかり撮って、元気になってから見て爆笑するの、こんな事もあったって・・それって面白いでしょ」「そうだな、面白そうだな」そう言いながら正信は思っていた、そんな日が来ればいいと・・。
何年か後に綾の撮った写真を見て、家族みんなで笑える日が来ればいいと・・そう思っていた。そして綾も感じているのかもしれないと思った、それが自分の最後の写真になるかもしれないということを・・。
「じゃあどんどん撮れよ、お父さんどんどんプリントしてやるからさ」「うん、それと中に入れて記録するやつの代わりも欲しいな、いっぱい入るやつ、いいかな?」「いいさ、買っとくよ」

午後5時30分、先ほどより一回り小さなバックを持って田村が病室に現れ、いよいよ綾への骨髄移植の手術が開始された。2本ある点滴のルートの一本にそのバックがつながれ、ゆっくりと流れてくるその赤い液体を綾は見つめていた。今までの前処置ですでに綾の骨髄は空っぽの状態になっていた。そしてこの朔太郎の骨髄の細胞が血液と一緒に綾の身体の中を巡り、空っぽになった骨髄に入りこんで綾の新しい命になる。
流れてくる液体が綾の身体の中に入った瞬間、綾は不思議な感覚を覚えた。とても暖かい胸の中に抱かれているような感じ、自分の中で欠けていた何かが埋め合わされていくような感覚、求めてたものと一つになるような幸福感が綾の心を優しく包んでいた。
先生や看護婦さんも移植は第2の誕生日だよって言っていた。人は生まれた時のことは憶えてないけれど、この誰か分からない人からもらった命で、新しく生れ変わる今日のこの瞬間のことを綾は絶対に憶えておこうと思った。

「どう、綾ちゃん、何か変わった事はない?身体に変化を感じたらすぐに言うんだよ」「ううん、今のところは別に何も・・でも気のせいかな、暖かい感じがするよ先生」「そうだね、そう感じる人は多いみたいだね、ドナーの人の暖かい命だからね」「ほんとだね、幸せだね私、そんな優しさをもらえて」そう言いながら一滴一滴落ちていく赤いしずくを綾は見つめた。田村も患者の一瞬の変化も見逃すまいと綾を注意深く見つめていた。そして田村は朔太郎のことを思った。「松本、今お前の命がこの娘の中に流れてるぞ、暖かいって言ってるぞ、もしこの娘が亜紀さんならお前たちやっと一緒になれたんじゃないのか?なあ、松本」そう田村は心の中で呟いた。
「でも先生、最初に見せてもらった時と比べて随分減っちゃったね、バックの中身」そう言って少しだけ不安そうな顔で田村を見た。「綾ちゃん、それは全然心配いらないよ、それどころか今回ドナーの人からもらえた造血幹細胞の数は200億個くらいで、普通移植に必要な数は100〜150億個くらいあれば大丈夫なんだけど、綾ちゃんの場合はその2倍近くもある訳だからそれだけドナーの人から生きる力をもらえたって事だよ」「それってすごい事なんだよね」「すごいさ、感謝しなきゃねドナーの人に」「はい」綾は素直な気持ちでそう答えた。
「ところで先生、血液型が変わるとやっぱり性格も変わるのかな、私B型だったんだけど今度はO型になっちゃうんだよね」「あっそれ必ず聞かれるね、移植後にはっきりとした性格の変化があったっていう報告は無いから、我々の間では性格と血液型の関係は無いという事になってるけどどうなんだろうね、よく本に書かれてる血液型の性格のとこはけっこう当たってる気がするけどね」「田村先生は何型ですか?ちょっと待って当てますね」そう言って綾は田村をじっと見て少し考えた。「A型って感じじゃないんですよね、分かったABでしょ先生」「当たり、よく分かったね」「AB型の人はね先生、頭脳明晰で観察力に優れてて合理的な考え方をする人が多いんですよ、それで駆け引き上手で話しも上手いの、それでスマートなんだけどみんなに分け隔てなく接するんですよ、それってまんま先生っていう感じじゃないですか」「すごいね綾ちゃん」田村は少し感心していた。「だって女子高生ですからね、血液型の事は任せてって感じですよ」綾はちょっとだけ得意そうな顔をしたが「でも考えてみたらお医者さんってみんなそんな感じですよね、やっぱり」と急に自信の無さそうな顔になった。
「医者もいろいろいるからね」と綾を見て田村はさりげなくフォローして片目をつむった。「やっぱり、先生のそんなとこ絶対ABですよ」そう言って綾は笑った。
「先生、お父さんたち心配そうにこっち見てるけど、こんなお気楽な話してるなんて思ってないでしょうね」そう言って綾は二人の方を見た。その時正信がカメラを構えたので笑顔でVサインを出した。田村も並んで写ってくれていた。綾は思っていた。田村と話していると本当に自分が病気なのか分からなくなる時がある、患者を不安にさせないその接し方は本当にすごいと思った。今自分が穏やかな気持ちでいられるのも田村先生が担当医だからに違いない、こんな医者になれたらいいなと綾はその時思った。

「ねえ先生、一つ聞いてもいいですか?」「ん、何?」「田村先生はどうしてお医者さんになろうと思ったんですか?」「どうして?」「なんとなく聞いてみたくて」「僕はねアフリカに行きたかったんだよ」「アフリカですか?お医者さんとして?」「そう、高校生の時に感銘を受けた医師がいてね、その人はアフリカの診療所で働いていたんだ。決して満足とはいえない設備のもとで現地の人の為に必死でね、だから自分もそんな生き方がしてみたいと思ったんだよ」「で先生、アフリカ行ったの?」「いや、結局行かなかったんだ」「どうしてなんですか?」「うん、一つは医者の世界が自分が思ったほど甘い世界じゃなかったことと、人を助けることに場所は関係無いって分かったから、それと・・」
「それと?」「それと好きな人がいたからね、その人を置いていけるほど根性がなかったんだよ」「その人が先生の奥さん?」「そう」「先生、それ逆だよ、その人のこと大好きだったからできなかったんだよ。その人のこと一生大切にしようって思ったんでしょ、それって根性あると思うけどな私」「そうかな」「そうだよ先生、いいなー自分の夢と同じ位好きな人ができて、そしてその人のことを選ぶなんて、素敵だね先生。私もしたいなそんな素敵な恋愛」「できるさ、綾ちゃんなら、そんなこと言って綾ちゃんもてるだろう」
「よくわかんないんですよね、恋するってことが・・憧れと恋は違うと思うし・・」「綾ちゃん、どんな人がタイプなの」「んー、優しくてあったかくて一生懸命な人、でも完璧じゃなくてちょっとへたれなとこもある人」「たとえば?」「たとえば・・・お父さん」
「それは厳しいな・・」「どうしてですか?」「父親が理想と言われると勝ち目ないもんな、男としては・・」「そうなんだ」「大変だな、綾ちゃんを好きになるやつは・・」
「田村先生、あの、ところで松本先生はどうして医者になろうと思ったか先生知ってますか?」「さあ、どうだったかな、自分で聞いてみるといいよ、いつか」「そうですね」
田村は思っていた。綾にとって松本は単なる憧れか、父親のイメージを重ねているだけか、それとも・・・、その答えがでるのかどうかこれからの綾の容態にすべてがかかっていた。

移植は始まって40分が過ぎようとしていた。田村は話しながら注意深く綾の様子を観察していたが、特に変わった兆候は見られなかった。綾の話し方にも変化は無く最初の段階での拒否反応は出なかったことで田村はほっと胸をなでおろした。
そして6時20分綾への移植手術は終了した。

続く
...2005/01/10(Mon) 13:24 ID:z/KIornA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
2005年も明けて気がつけばもう10日です。仕事柄年末年始にまったく休めなくて、随分ご無沙汰してしまいました。時々見ては下がっていってるなと思っていましたが、不二子様には再度上げてもらってありがとうございます。やっと綾の移植が終わりましたが、まだ午後6時20分ですからほんとに長い7月31日です。なんか読んでる皆さんが疲れますよね。
不二子様も書かれていましたが、読んでいただいてる方がそれぞれどのような人をイメージするのか聞いてみたい気がしますが、田村と森下はある役者さんをイメージして書いています。正信と和子の綾の両親もこんな感じの人というイメージで、仮に映像で見たらこの役者さんがいいなと思ってはいます。
これからは今までと同じようなペースで書きたいと思いますが、早く最後の1行に到達したいです。これからもよろしくお願いします。
...2005/01/10(Mon) 17:10 ID:z/KIornA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
いよいよ綾の移植が始まりましたね。
読んでいて物凄いリアリティーがありまして、こちらまで緊張してきました(笑)

田村先生については、私の勝手な想像ですが、「白い巨塔」で江口洋介氏が演じた里見医師をイメージしています。(役者のイメージというよりも、役者が演じた人物が先に思い浮かびました。)もしイメージが合わなければ御免なさい。

最後まで終わってから役者さんのイメージを皆で当てはめていくのも面白いかも知れませんね。
...2005/01/10(Mon) 17:51 ID:YBMCY2KA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:hiro
実は、私は
サク:中居正広 田村:上川隆也
のイメージで読んでおりました。
ドラマ「白い影」のコンビです。
"少数派"だと思いますが・・・(笑)
...2005/01/10(Mon) 23:29 ID:f8OeSWdg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜clice様〜
お帰りなさいませ。
年明け早々、見事な展開で満足しています。

父・正信の祈り、私はどうも”幸せだったあの頃”というような、懐古の情に弱いようです。不揃いのコロッケも、子犬に振った手も、今は遠い思い出。だから尚更、美しく蘇ってきます。
それから、ハッキリキッパリ言いますと、私は田村が好きです。もし『血液内科・田村俊介』とかゆうドラマがあったら絶対観ると思います。ですから、おのずと彼に設定する役者さんも、頭の中では私の好きな役者さんになってます。ですが、ドラマのキャストとして考えると、緒形さんとのバランスがあり、主役が二人って感じになってしまい、実際にはこんな設定は無理なのかな、などと余計な心配を楽しんでいます。正信、和子もイメージはあるのですが、役者さんに当てはめると年齢が合わなくて何だか変なことになってます。森下看護師だけは、この人って思う女優さんがいます。
hiro様が仰るように、朔太郎を緒形さんじゃなくすると、物凄く新鮮な印象を受けます。考えてもみませんでした。

というように、頭の中ではそれぞれの登場人物が実に活発に動いています。楽しいことも考えますが、一番なのはやはり物語そのものです。「早く最後の1行に到達したい」とのお言葉でしたが(笑)、私としては最後の1行を読みたい様な、読みたくない様な・・・。嬉しい様な、寂しい様な。
これもドラマと一緒かもしれません。
執筆、頑張って下さい。
...2005/01/11(Tue) 11:31 ID:txQycbxw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
田村は自分の靴音だけが響く渡り廊下を医局へ向かって歩いていた。廊下の大きなガラス窓から見える夜空は黒く澄み渡り、台風の接近など無かったような都会の夜を丸い月が照らしていた。遠くに聞こえた救急車のサイレンが次第に近づいてきていた。土曜日の夜になると不思議に急患が多くなるが、そういえば上の娘も小さい頃、熱を出すのは決まって土曜日の夜だった。子供がただの風邪で熱を出すだけでも親にとってこれほど心配で不安な事はない、今日なんかは親にとって救急外来の連中は神様に見えるだろうなきっと・・そう田村は思った。ふと今日の綾の両親の顔が思い出された。無事移植が終わって挨拶をした時の二人のほっとしたような、しかしそれでも不安で縋るような表情が目に焼き付いていた。
これからも彼らは1日が終わるたびに安堵し、そして明日への不安を繰り返すのだろう。
安心して眠れる夜を二人に1日でも早く迎えさせてあげたいと思ったが、それがいつになるのか今はまだ始まったばかりだった。

この時間医局には誰もおらず、コーヒーカップを手にして自分のデスクに座ると電話が鳴った。「はい第一内科」「田村か?」「かかってくると思ったよ、松本」「でどうなんだ?あの娘の様子は・・、いや大丈夫だとは思うんだ、なんかあればこっちにも連絡あるだろうし・・」その不安そうな声が妙に松本らしくて田村は少し可笑しかった。「大丈夫だよ、移植中もその後も特に変化は見られないよ、今のところは・・どうやら最初のハードルは越えたようだ。今様子を見てきたが、姫はすやすやとおやすみだったよ、今日は朝から緊張してよっぽど疲れたんだろうな」「そうか、よかった」朔太郎はそう言ってほっとため息をついた。医師としての頭では大丈夫だという事は分かっていたし、田村を信頼していた。しかし心は不安でいっぱいで今むしょうに綾の顔が見たかった。亜紀ではないと自分に言い聞かせてはいたが、できるなら側についててやりたかった。
「ところでお前はどうなんだよ、ずいぶん気前よくくれたけど腰痛いだろう」「ああ、少しな、先に電話のプリペイドカード買えば良かったと後悔してるよ」「そんくらいナースに頼めよ、変わんないな、なんでも一人で背負い過ぎなんだよお前、だから17年も亜紀さんの事・・」「分かってるよ、変わんなきゃって・・思ってはいるんだ」「まっいいさ、その生真面目さがお前らしいし亜紀さんもお前のそんなとこ好きになったんだろうからな、それにお前の気持ちは分からないでもないよ、あの娘見てるとな・・」「それで田村、渡してくれたのかMD?」「ああ、今朝な、聞いたと思うぞ」「それでどうなのかな」「どうって、お前さ、高校生じゃないんだからさ・・まあいい、ナースの話では御機嫌だったみたいだな」「そうか、安心したよ」「ほんとにお前たちときたら・・」田村は少し呆れた様に言ったが、時を超えてもなお相手を思いやるこの不思議な運命の二人を少し羨ましく思った。そしてこれからのあの娘の未来はその運命に委ねられるに違いないとその時思った。
「とにかくお前はゆっくり寝てろ、後は俺にまかせろよ、いいな」「分かったよ、ありがとう、頼むよ」「じゃあな」そう言って田村は電話を切った。机に向かい書類に目を通し始めた時また電話が鳴った。一般病棟からの呼び出しの電話だった。「患者は一人じゃないか」そう呟くと冷めかけたコーヒーを飲み干し小走りに部屋を出ていった。

朔太郎も受話器を置いた。田村と話して気持ちが少し楽になっていた。そしてもう一度受話器を取り記憶してる番号を押し始めた。
明希は風呂上りの髪をバスタオルで拭きながらソファーに座った、そしてテレビのリモコンを手に取りスイッチを押そうとした時電話が鳴った。リモコンをテーブルの上に置き電話に出た。「はい、小林です」「小林」「松本君?どうしたの今入院してるんじゃ」「そう、でもなんか話したくてさ」「移植・・終わったの?」「なんとか無事にね」「よかったね、亜紀さんも喜んでると思うよ」「一樹は寝たの?」「うちの王子様はさっきね、今日昼間はしゃいだからもうぐっすり」「何かあったの?」「ちょっと外に食事にね、それからデパートに行ったりして・・そのくらいかな」「そう、一樹嬉しかったんだ、小林といっぱい遊べてさ」「最近仕事が忙しくて一人にさせる事が多かったから寂しかったのかなって、そのくらいしかしてやれないんだけどね」「松本君は疲れてるんじゃないの、痛みとかあるんでしょう、無理しなくていいよ」本当はもっと話したかった。こうやって電話をかけてきてくれたことが本当に嬉しかった。松本君の事が好きって・・その一言が言えればどんなにいいか、でもその気持ちとは裏腹に素直に飛び込めない自分がいた。それでも待ってるっていう姿だけを見せる自分がいて、そんな自分が嫌だった。
「ちょっとね、さっき電話をかける為のプリペイドカードを、廊下の自動販売機に買いに行くだけで大変でさ」「そんな無理して電話しなくてもいいのに」「いや、病院にも用事があったから、でも小林にはちゃんと終わったこと言っときたくてさ、いつも心配させてるから」「ほんとだよ、いつまでも心配してくれる人なんていないよ、私・・」明希はその先を言いかけて言葉を飲んだ。そして思い出したふりをして話を続けた。
「そういえば今日、松本君のお母様から電話があったの」「母さんから?」「なにか用事があったんじゃないのかな、家にも病院にもいないからって私のところに・・。ほら、この前お家にお邪魔した時に番号聞かれてたから」「母さん何か言ってた?君に」「特には、でもこの前過労で倒れたこと聞かれちゃった、たぶん病院に電話した時聞いたんじゃないかな、それと今ドナーで入院してる事つい喋っちゃって、ごめん、余計なことだったよね」「いや、そんなことないけど」「電話してあげて、待ってらっしゃると思うから、じゃ遅いから切るね、電話ありがとう、おやすみなさい松本君」「おやすみ小林」そう言って朔太郎は受話器を置いた。
朔太郎は電話をかけてきたという富子のことを考えていた。用事ってなんだろ、その事も気になったがドナーになったのを知ってどう思ったんだろうか、また心配させたんじゃないのか、そちらの方が気になっていた。そして彼女とどんな話をしたんだろうかということも・・。母さんは彼女のことを気に入ってた様子だったし、父さんもまんざらではない感じだった。一樹のことがきっと孫のような気がしたんだと思った。しかし俺は・・・。

いつからだろうか、もうずっと前からか、亜紀のことが忘れられないと思いながら、彼女の、小林の優しさにずっと甘えてきた。一樹を産むことに賛成したのも、相談にのっていたのも友達としてなのか、命が大切だからなのか、それとも・・・。認めるのが怖かったからじゃないのか、亜紀を忘れようとしている自分が・・・。
ふとあの時の坊主の言葉が頭を過ぎった。学校を辞めて東京の彼女の所へ行こうとしたスケちゃんに言ったあの言葉が・・・「誰に支えてもらってたと思ってんだよ」
朔太郎は電話の横に置いたガラスの小ビンを見た。その中の亜紀はずっと変わることのない白い粉の姿でそこにいた。「今、君は何処にいるんだ、俺はどうすればいいのかな・・亜紀」

窓から見える澄みきった夜空には丸く輝く月が浮かんでいた。朔太郎は見えるはずも無い東京の方向を見た、そしてもう一人の亜紀のことを思った。それぞれの人がそれぞれの思いを胸に長かった7月の最後の1日が今終わろうとしていた。

続く
...2005/01/11(Tue) 15:46 ID:a3aumuWU    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
ドラマのDVDを観ていますが、今サクと明希の裏ストーリーを観ているようで良いですね。
...2005/01/11(Tue) 18:41 ID:r/voG2wg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
こんばんわ。けんです。3話分一気に読ませていただきました。綾の骨髄移植うまくいくといいですね。それと、綾が移植しても、2年くらいしか生きられないというのもちょっとショックですが、きっと朔も亜紀も応援しているのだから、奇蹟が起きますよね。私は、そう信じています。
 それと、田村先生とてもいい人ですね。私も江口洋介さんを思い浮かびますね。後、明希と朔の関係はどうなっていくのか気になりますね。それも綾がカギを握っている感じがしますね。これからの展開とても楽しみにしていますので、執筆活動頑張って下さい。
...2005/01/13(Thu) 03:26 ID:hSsCF04E    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
次第に明るくなる窓からの光で綾は薄っすらと目を覚ました。夢を見てたような気がするが、ぐっすり眠ったせいか何も思い出さなかった。ベッドサイドの時計を見ると6時少し前だった。いつもならウエアに着替えて通りに出てる時間だった。急いでベッドから起きあがり早く着替えて一階に下りなきゃと思ったが、ふと右側を見ると透明なビニールが垂れ、頭の上からはエアコンのシューシューという微かな音が聞こえていて、ここが自分の部屋ではなく、昨日までいた無菌室だということに気づいて綾の意識は現実に戻ってきた。そして部屋の中を見回すと胸にためていた息をゆっくり吐き出した。「朝か・・・良かった」そしてこれまでの出来事を思い出した。昨日までが元気で毎日が楽しかった日々から遠ざかるばかりだとしたら、移植を受けた今日からはそれに再び近づいていける最初の朝だった。「なんか走りたい・・」身体を通り過ぎていく風を早く感じたいと思った。

窓を見ると正信が手を振り立っていた。「お父さん、おはよう」「ああ、おはよう、目、覚めたか」「うん」「気分どうだ、悪くないか?」「お父さん、なんかお医者さんみたいだよ」「そうか?」「お父さん、ずっといてくれたんだ」正信も和子も昨日の夜はずっと綾についていてこの面会室で一夜を明かした。「昨日そう言ったろ」「そうか、そうだったね」「あれ、お母さんは?」「さっきまでいたけど化粧室じゃないかな」
「お父さん、誕生日おめでとう」「ありがとう、なんか今までで一番嬉しいかもしれないな、今日綾にそう言われるのがさ」「お父さん・・私もちゃんと言えて嬉しい」「ねえ、お父さん、写真撮って、写真」「あっ、そうだな」そう言って正信はカメラの電源を入れモニターを見ながら綾にズームした。「移植後最初の記念すべき朝だからちゃんと可愛く撮ってよね」「まかせなさい、撮るぞ」綾はベッドから足を下ろし、座るような姿勢で少し神妙な面持ちで真直ぐにカメラを見た、そしてフラッシュが光った。
「お父さん、一緒に写ろう」綾は点滴のラインを注意して伸ばしながらガラスに顔を近づけた。正信も綾の横に並んで腕を伸ばし自分たちに向けシャッターを押した。そしてモニターを見てそれを綾に見せた。「うわ、なんかひどい顔」「そうか、可愛いぞ、お父さん好きだけどな、綾の顔」「これ見てそんなこと言ってくれるの、きっとお父さんだけだよ」綾の顔は放射線の照射で腫れて浅黒く変わっていた。
「この顔写真に撮ったら後で見て爆笑どころか落ち込むなーきっと」綾は自分の今の顔の状態を見て本当にがっかりした。ここまでひどくなってるとは思わなかった。
「いいじゃないか、それも今の綾の本当の姿だ、今だけさ、治ればすぐに元通りになるさ」「そうかな」「あたりまえだ、これから1日1日良くなっていくさ」「そうだね」
「お父さん・・・お父さんは元気でいてくれなきゃだめだからね・・・って病気の娘に言われるとなんかジーンとするでしょ」「なに言ってる」正信はまた涙が出そうになった。本当は不安だろうに明るく振舞おうとする綾がそこにいた。
「お父さん、ほんとに辛いのは今日からみたいだけど、それを乗り切れば先生も後は良くなるばかりだからって、頑張るから私」「じゃお父さんも綾の分まで走るの頑張るか」「うん、それ任せたからね、あーあ今日から8月か、高校2年の夏休みって人生で一番楽しい時なのに、ほんとつまんない時に病気になったよね私」「でもお前早く治らないともう一回やることになるぞ、2年生」「えーそれはやだ」正信は思っていた。とにかく今は1日1日をそうやって精一杯生きて欲しい、今願う事はそれだけだった。

朔太郎は昨日の電話で明希に聞いた富子からの電話が気になり、久しく押すことのなかった番号にダイヤルした。「はい、松本です」電話に出たのは潤一郎だった。「父さん」「朔太郎か、どうした」「いや、母さんいるかな」「ああいるけど、お前白血病の人のドナーになったんだってな」「聞いたの、母さんに」「ああ、母さん泣いてたよ、その話を明希さんに聞いて。いや泣くっていってもお前のことずっと心配してたからな、お前が亜紀ちゃんの為にできなかった事を、他の誰かにしてやれただけでも嬉しかったんじゃないか」「ごめん」「別にお前が謝ることないだろう、それで終わったのか」「ああ、無事昨日終わった」「そうか、少しは楽になったのか、朔太郎」「どうかな、楽になったのかな、今はまだ分かんないよ」「でも亜紀ちゃんの供養にはなるだろ、ちゃんと報告してあげたらどうだ、お前お盆は帰って来るのか?爺ちゃんの墓参りも出て行ってからしたこと無いだろ」「今月は・・帰れないよ、この前まとめて休み取ったし、今もこれで休んでるからさ」「そうか・・」「母さんに代わって」「ああ、待ってろ」潤一郎は後ろで待ってた富子にすぐに受話器を渡した。「朔太郎、それでお前身体は大丈夫なのかい?痛いんだろ、切ったりしたのかい?」「切ったりはしないよ、注射器で吸い出すだけだから大丈夫だよ、痛みはあるけどこれもたいした事ないから心配しなくていいよ、明日には退院するから」「そうかい、それなら良かったよ、ご苦労さん、いいことしたね、その白血病の人助かるといいね、あんな辛い思いする人が一人でもいなくなればねえ」「ああ、そうだね母さん、それで何だったの、電話?」「いやね、今父さんが聞いただろ、今度のお盆にまた帰ってこないかと思ってね、それで電話したんだよ」「そうだったの、父さんにも言ったけど今度は帰れないよ、また当分休めないから」「でも朔太郎、もういいんだろう、もう帰って来れるんだよね、ここに・・お前の故郷なんだから」「ああ、帰るよ、でも今は・・もう少し待ってて、母さん」受話器から聞こえる二人の声はそれなりに老いを感じさせた。亜紀が死んでからこの17年、両親も自分と同じように苦しんできたんだということが電話を通して伝わってきた。自分が逃げ出したことが二人をこんなに長く苦しめてきたということを・・。

富子は受話器を戻し潤一郎を見た。「それであいつなんて・・」「帰れないって」富子は少し気落ちした様子で茶の間に座った。「そうか」「もういいのかと思ったんだけどね」「17年経って、やっとあいつなりに区切りをつけようと思ったんだろ、だから骨を撒こうと思って帰ってきたんだろう。本当はいまさらそんなこと、してもしなくても変わりゃしないんだろうが・・でもあの朔太郎が必死に勉強して医者になったんだって、結局は亜紀ちゃんの為だろう、忘れることなんてできるもんか、そんな必要はないんだよ。ほんとばか正直なんだからあいつは、誰に似たのか・・」「ほんとだね、それがあの子の良いところなんだろうけどね、亜紀ちゃんがもし元気であの子の側にいてくれたら、あの子たちほんとに幸せになったんだろうけどね、あたしはね、あの日亜紀ちゃんと一緒に晩御飯の仕度をした日のことが今でも忘れられないんだよ、亜紀ちゃんがお嫁さんで来たような気がしてさ、あんないい娘がなんでかね・・」そう言って富子は目頭を押さえた。「俺もそう思うけど、こればっかりは仕方ないだろう」「これが運命なのかね、あの子とあたしたちの・・・でもあたしたちはまだ幸せかね、芙美子が結婚して孫の顔も見れたし、しかし廣瀬さんのご夫婦は寂しかったろうね、この17年、ねえあんた」「そうだな真さんは自分の事務所があったからまだいいだろうが、綾子さんは火の消えたような家にずっと一人きりだからな、それは寂しかっただろうな。真さんも最近は若い人にみんな任せてるみたいだから一緒にいる時間も増えただろうが、それでも子供のいない寂しさは辛いだろう」「そうだね、朔太郎みたいに帰ってこなくても、東京で元気に働いているってだけで親としては幸せだからね」
「それで朔太郎はどうするつもりなんだ、小林・・明希さんのことは・・」「また連れて帰ってきてくれたらいいんですけどね、きっとお互い好きなんだろうし、なんかきっかけさえあればいいんだろうけど・・」「あいつがドナーになった事で、あいつの気持ちの中で区切りがつけばいいんだがな」「一樹くん、可愛かったわね、あんた」「ああ、そうだな」「お茶でも入れましょうか」そう言って富子は立ち上がり台所へ向かった。
台風の通過で風向きも南に変わり少し蒸し暑くなってきたが、昨日までの雨も上がって次第に雲も薄くなり宮浦の海もその色を取り戻し始めていた。

続く
...2005/01/13(Thu) 13:07 ID:c9TVclik    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
私のくだらない話を、書かせてもらっていいですか?

高校の時の国語の先生が少し変わった人で、古文の時間に清少納言の事をボロクソに言い、紫式部を褒めちぎっていました。
清少納言をけなすのは、「枕草子」における書きっぷりが、彼女の性格を現していて「こんな根性悪い女は最悪だ!」とまで言ってました。(笑)どういうところが根性悪いかというと、いちいち自分の感性をひけらかして「こんな私って凄いでしょ」って言わんばかりのところが大嫌いだそうです。
逆に紫式部はいつも物事を裏の面から見る性格で、その先生の例えだと、
御所車に乗った人を”雅”と言い放つのが清少納言で、御所車を引いている方に目が行き、”もののあわれ”を感じるのが紫式部
って言ってました。
そんなこともあり、しばらくは私も清少納言のことはそんなに好きじゃなかったのですが、大人になってから彼女のそんな性格も、変に陰湿よりは結構分かりやすくていい人じゃん、ぐらいまでは思うようになりました。

なぜ、こんなことを思い出したのかというと、森下さんの脚本は素晴らしかったのですが、私が一つだけ引っ掛かる所といえば、物事の因果関係が多すぎるかなあという点でした。あそこのアレは、こっちのコレに繋がる、といった様なことです。そういうのはサスペンスでは不可欠な事ですが、このような作品に多用すると、一瞬、ほんの一瞬だけですが「私って凄いでしょ」の空気を感じなくもなかったのです。勿論森下さんがそんなこと考えて書いていらっしゃたとは思えないし、根性悪いなどとは思ってもいないのですが、観る側が勝手に感じてしまうのです。だから、台本のト書きの部分を何とお書きになったのか読ませてもらいたいくらいです。少しは謎がとけるかもしれません。
私が言うのも大変失礼なのですが、clice様の書きっぷりは、物凄く淡々としていらっしゃいますよね。とても過不足ないと感じます。そして、いつも「続く」の後の静かな余韻が大好きです。

執筆で忙しいのに、ほんと変な話でした。思い出したことを、無頓着に書き込みました。
すいません、失礼いたします。
...2005/01/14(Fri) 12:19 ID:fgEqJOyg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:にわかマニア
 物語の展開とは直接の関係はないのですが,直前の書き込みに関連して,割り込み失礼いたします。

>森下さんの脚本は素晴らしかったのですが、・・・物事の因果関係が多すぎるかなあ・・・ほんの一瞬だけですが「私って凄いでしょ」の空気を感じなくもなかったのです。

 これは別に,ドラマの脚本家の責任ではなく,原作がそもそもそういう複雑な構造なのです。表のテーマの他にも隠されたテーマが存在し,しかも,繰り返しの技法に徹底してこだわった造りになっており,いたる所に伏線が張り巡らされているのです。たかだか200頁程度の作品に「謎解き本」が登場し,ここのサイトの「謎解き」スレでも延々と議論が続いているということ自体,そうした性格を物語っているのです。
 つまり,この作品の映像化にあたっては,読者に代わって行間に込められたメッセージを解読して,それを映像として判り易く観衆に伝えるという,とてつもなく難しい作業が必要となってくるのです。行定さんや堤さん,石丸さんや森下さんたちは,こうした難事業に取り組んで,映画やドラマを全国のファンにプレゼントしてくれたのです。
 確かに,映像を見ていて,原作のあの部分をここまで読み込んでいるのかと関心することはしばしばでしたが,決して「ひけらかしている」という嫌らしさは微塵も感じませんでした。
 皆さんも,もし宜しかったら,具体的な話は「謎解き」コーナーで続けませんか。
...2005/01/14(Fri) 12:44 ID:EtPIoLbQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜にわかマニア様〜
はじめまして。不二子と申します。
何処へお返事したものかと迷いましたが、そもそも私が、ここへ書いた事が始まりなので、こちらへ書かせて頂きます。再び、にわかマニア様のお目に止まることを希望いたします。すいません。
『世界の中心で、愛をさけぶ』について御教授頂きましてありがとうございます。私の書き込みが、森下さん並びに作品を汚すものと捉えられたら、これは全て私の文章の不備によるものです。大変申し訳ありませんでした。
かねてから、にわかマニア様には、大変深い造詣を持って本作品に触れられている事、存じておりました。大概の場合、多くのスレッドで絡まってしまった糸を解く様に論点を整理して下さり、私の様な初心者には唸ることばかりです。
今「初心者」と書きましたが、これは決して謙ってなどいるのではないのです。私は書くことこそ度々行っていますが、本作品の私の判断材料は全てドラマでしかありません。わたくしは、原作も、映画も、ましてや「謎解き本」も手にはしておらず、本当にこちらの皆様方に比べるとおかしい程の初心者です。ですので、たった一つ言い訳をさせていただけるとしたら、原作を知らない者がドラマを観たらこんな感想もある、という一点だけです。先程、にわかマニア様に教えて頂いたので、原作の複雑な構造に従ってこの物語が書かれていることは判りました。
ただ、ドラマの事を言わせて頂ければ、石丸P様はじめ多くのスタッフの皆様がこの作品に深い愛情を注いでこられたことは、重々承知しています。それは、ドラマならどの現場でもそうだと思います。そして、毎回毎回ギリギリまで台本の打ち合わせをしておられたのも知っております。私の様に公式HPにおいて、毎度拙い書き込みを続けてこられたのはスタッフの皆様のお陰ですし、私の立場から言えば感謝こそすれ、汚すものなどでは到底ありません。
これは、私の勝手な思い込みですが、もし私がスタッフだったらいいことも悪いことも全て知らせて欲しいと思います。世に出してみなければ、人の感想は聞けないものですから、創り上げる前は大変な議論があると想像いたします。それが当たっているかどうか、スタッフの皆様にこそ感想を届けなければと、いつも思っておりました。前述の様な事を一瞬でも思ったのは、「どうしてここまで合わせてくる必要があるかな?」と感じたのがそもそもの始まりだと思います。決して否定は致しません。公式HPにも似た様なことを書いたことがあります。この謎を解くためには、どう足掻いても原作を読まなくては始まらないのだと思います。

にわかマニア様、反論の意味でお書きになられたわけではないと理解しております。広義を教えて頂き、ありがとうございました。(嫌味じゃないですよ、本当に。)
ところで、こちらの物語はお読みになっていらっしゃいますか?
...2005/01/14(Fri) 16:39 ID:fgEqJOyg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:にわかマニア
 不二子様
 いろいろな人といろいろな議論を重ねてきましたが,その度に思うのは,「これだけ様々な切り口から議論できるなんて,何と奥の深い作品なんだろう」ということなのです。上手い例えではないかもしれませんが,入口をくぐって奥の広場に行く途中に3つの庭があって,全部回っても楽しいし,1箇所だけでとことん楽しむこともできる,そんな感じがするのです。言ってみれば,間口の広さと奥行きの深さをともに兼ね備えているということなのでしょう。

 話は変わりますが,朝日新聞社が築地ではなく,まだ有楽町にあった頃,今は東京放送に移籍した筑紫哲也がキャスターを努める「こちらデスク」という番組が朝日放送系列で放映されていて,時折,有楽町の編集局にカメラを持ち込み,記者たちのホットな議論が電波を通じて茶の間に伝わってきました。完成品しか目に触れる機会のない読者にとって,どのように記事や社説ができていくのか,その舞台裏を見るのも,結構興味深いものがありました。
 ドラマについても,「完成された台本」を「完璧な演技」で収録したものを流す本番の他に,「台本は完成品」だが,演じる俳優が演技をトチッタのをわざと流す「NG集」というお遊び企画がありますよね。これをもっと進めて,「ボツになった台本」,「幻の台本」特集をやってみるのも面白いかもしれませんね。
 あるいは,「ドラマ○○を作った人々」というタイトルで,台本づくりや撮影の醍醐味をドラマ仕立てで作ってみるのも面白いかもしれません。どこか,そういう勇気ある放送局はないものでしょうかね。
...2005/01/14(Fri) 20:25 ID:QCGg4OuM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:にわかマニア
 スレ主様
 せっかくの物語のスレに間借りする形で,横道にそれた議論での割り込みをしてしまい,失礼いたしました。
 今,ここのサイトでは,5つの続編・別伝が展開されています(うち1つは収束を迎えたようですが)。それぞれ,亜紀が一命を取りとめ,仲間たちとの支え合いの中から「その後」を生きる「たー坊版」と「グーテンベルク版」,第二世代を中心に物語が展開する「共作版」,残されたテープの独自の解釈が特徴の「Apo版」,ドナーとなった今サクと運命の日に生まれた患者を描くこの物語と,いずれも味わい深く,それぞれの良さが生きていると感じます。それぞれの筆者がそれぞれの思いを込めて描くことができるのも,元の作品の懐の深さを表していると思います。
 物語の方は,いよいよ移植手術も終わりましたが,朔と綾をはじめ,田村や小林たちが織り成す人間模様のこれからの展開を楽しみにしています。
...2005/01/14(Fri) 20:46 ID:QCGg4OuM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「こんにちは、広沢綾です。この前はお返事頂いてありがとうございました。移植の日の朝に田村先生からもらって聞きました。あの日は朝からすごく緊張してて、だって先生も看護婦さんも会う人会う人みんな今日だねって言うんですよ、そんな事言われると余計緊張するじゃないですか、でもそんな時このMDが戻ってきて、すっごい嬉しかったです。正直に白状するとちょっと聞くのが怖くて・・。なんか先生突然そんなのもらって、きっと変な娘って思ったかもって考えたらちょっと落ち込んじゃって、でも松本先生の声は優しくて、信じるって言ってもらえたのが嬉しかったです。お陰で無事移植も終わりました。私の為に自分の骨髄を提供してくれたドナーの人には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。今日で2日目だけどまだ白血球も他の数値も高いみたいなんで今のところ元気です。でも田村先生はこれからだよとか言って脅かすんですよ。
お母さんもなんか他の患者さんのお母さんと友達になったみたいで、その人の娘さんも移植してその後大変だったっていう話を聞いたそうです。
やっぱこれから大変になるのかな、でも今はがんばろうって思っています。
先生も無理しないで下さい」

朔太郎は退院し今日4日ぶりに病院に出勤した。その後の綾の経過が聞きたくて昼休みに田村を訪ねたところ、綾はまた朔太郎に宛てて新しいメッセージを吹き込んだMDを田村に預けていた。そしてその夜机に向かい吹き込んでは聞き、そして首を捻りながらまた最初からと一人それを繰り返していた。
「こんにちは、松本朔太郎です。移植が無事終わったって聞いて僕もほっとしてます。元気そうな声で安心しました。なんか田村先生に脅かされたんだって・・、僕からあんまり脅かすなって言っとくよ。でも移植された骨髄が新しい血液を作り出す間、今の血液の力がどんどん弱くなるのでその間は確かに身体がだるく辛くなると思います。でも辛かったと思う今までの前処置を乗り越えてこれたんだから大丈夫だよ、自分の力を信じよう。あせらなくていいから」
朔太郎はストップボタンを押した。「何やってんだろ俺」そう一人呟くと椅子にもたれ手を組んで背伸びをし、変わり映えのしない部屋の中を見回した。本棚には医学書が縦横に並び机の上にはノートパソコン、ベッドにソファにテレビ、ウッドラックには雑誌や小物、そしてビデオテープとCDやDVDが無造作に置かれ典型的な独身男性の部屋だった。ただラックの一段だけきれいに整理され、そこにいくつかのカメラが置いてあった。
ふとそこに目が止まると立ち上がりその中の一つを手に取った。
その鈍く光るシルバーのボディにはSPOTMATICの文字が今でもはっきりと読み取れ、ファインダーを覗き焦点リングを回すとその50mmF1.4のレンズを通してぼんやりとした部屋の風景が静かに重なり合った。

「朔、どうだ、すごいだろう」「すごいね、お爺ちゃん、見えるよ、はっきり見える」「朔、このカメラに付いているレンズはな50mmと言ってな、ほらここに書いてあるだろう」そう言って謙太郎はレンズ正面の周りに書いてある数字を指差した。
「何この数字?」「この数字でなレンズを通して見える広さが分かるんだよ、数字が小さいとな人間の目で見えるものより広い範囲が写ってな、数字が大きいと逆にそれが狭くなって要は遠くのものが大きく写るんだよ。望遠レンズって言うやつだな」「じゃお爺ちゃん、この50mmはどうなの?」「このレンズがな人間の目に一番近くてな、朔、お前がこのカメラで撮った写真はな、お前の目が見たものと同じなんだよ。だからな朔、もしお前にいつか好きな人ができてその人のことを写真に撮りたいって思ったら、その時はこのレンズで撮ってあげなさい。朔の目に映ったまんまのその人が写真の中にいるはずだからな」朔太郎は思い出していた。謙太郎の写真館ではじめてこのカメラを手にした時の事を・・。その時のお爺ちゃんの言葉を憶えていた、だからあの時、夢島に行く時、このカメラを持っていったんだ、大好きな人を写真に撮る為に・・。

「朔、このカメラはなアサヒペンタックスSPと言ってな、爺ちゃんはお前が生まれる前からこいつを使ってるがまだまだ現役なんだぞ、爺ちゃんと同じにな・・。お前が生まれた時の写真もこのカメラで撮ったんだぞ」「レンズが良くてな、人を撮るにはこいつが一番なんだ、特に女はな、綺麗に撮れるんだぞ」「ふーん、そうなの」「まっお前にはまだ早いかな」「お爺ちゃん、教えてよ写真の撮り方」「そうか朔も興味あるか」「うん」「ほら朔、覗いてごらん、横のほうにプラスとマイナスって見えるところがあるだろう、そしてその辺に棒があるだろう?」「うん」「それ今どこに見える?」「マイナスのとこ」「そしたらここを回してごらん」「ここ?」「そうだ、これがな絞りと言ってレンズから入る光を調節するとこだ」そう言われてレンズの周りにあるリングを朔太郎は回した。「どうだ、棒は動いたか?」「うん、プラスのほうに上がった」「じゃ今度はこっちだ、カメラの上に数字が書いてあるダイアルがあるだろう」「ある」「それをゆっくり回してごらん」朔太郎は謙太郎に言われた通りダイヤルを大きな数字のほうへカチカチと回した。「あっ、棒がちょうど真中になったよ」「朔が今回したのがシャッタースピードで今が60だろ、これは60分の1秒でシャッターが切れるってことだ」「棒が真中になるように今の二つを回して、そしてこのレバーでフイルムを巻いて、このシャッターボタンを押せば写真が撮れるんだ」「ほら朔、押してみろ、パシャっと音がしたろ、フイルムが入っていたら、今このレンズを通して朔が見たものが写真に写るんだ、どうだ、面白いか?」朔太郎は面白くなって謙太郎に教えてもらった二つを回して、棒を真中に合わせてはシャッターを切った。「朔、爺ちゃんに何でも聞け、写真の事はみんな教えてやるからな」「うん、お爺ちゃん、僕もお爺ちゃんみたいに写真上手になって、今度は僕がお爺ちゃんを撮ってあげるよ」「そうか、朔が撮ってくれるか、楽しみだな朔」

ファインダーを覗きながら朔太郎は絞りのリングを回した。ファインダーの端に見える露出計の針は動かないままだった。もういつからかそれは壊れて作動しなくなっていた。
朔太郎は東京に出て来る時にこのカメラだけは持ってきていた。亜紀の写真やテープは封印しても、このレンズを通して亜紀を撮り、亜紀に見せたかった空の風景を撮ったこのカメラを、朔太郎は自分の分身のような気がして手放すことができなかった。
朔太郎はファインダーを覗いたまま部屋の中を見回した、そして自分の机の方向を見てリングを回しピントを合わせた。レンズの先の机の上で白く輝く亜紀がファインダーの中で静かにその時を止めていた。朔太郎はレバーを巻いた。ファインダーの先に眩しい光の中で輝く亜紀の笑顔が見える気がした。
「いいかい、撮るよ、亜紀」フォーカルプレーンの乾いたシャッター音が一人きりの夜の部屋に静かに響いた。

続く
...2005/01/16(Sun) 22:49 ID:Eo3TdiGE    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
こんばんわ。今回の話とても良かったし、すごいと思いました。それは、朔と謙太郎との回想シーンは、写真の事が詳しくないと、あそこまで細かく話せないと思い脱帽しました。すごいですね。cliceさんは、写真には詳しいのですか?病院の描写といい改めて驚かされました。これからも続編期待していますので、頑張って下さい。
...2005/01/17(Mon) 03:47 ID:8fSohxos    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「こんばんは、広沢綾です。あっこんにちはかな、8月4日夜です。田村先生が帰る前に渡してくれたのでまた入れちゃいました。今日の夕食はしっかり火の通ったオムレツでした。もう吐き気とは慣れっこなので食べれるだけ食べてます。これもお母さんから聞いたんですけど、この無菌食は病棟の患者さんの間ではチンめしって呼ばれてるんだって、先生知ってました?なんか言えてますよね。お母さん最近周りからいろんな話を仕入れてくるんですよ、結構笑える話が多くてお母さんと二人で爆笑してます。でもほんとはそうじゃない話も聞いていると思うけど、私の前ではいつも笑顔でいてくれてそんなお母さんが大好きです。松本先生のお母さんってどんな人なんですか?私のお母さんは高島礼子さん似の美人ですよ。私は結構お母さん似かもしれません、なんて。
先生、実は悲しいお知らせがあります。ついに髪の毛が抜け始めました。やっぱりショックでガーンという感じです。以前から少しづつ抜けてはいたけど、実際にそうなると結構落ち込みます。少し身体もだるくなってきたし口内炎もできてしまいました。あーあついに来たかって感じです。
それと松本先生、私のこと綾って呼んで下さい。田村先生や看護婦さんたちもみんなそう呼んでくれるし、先生もね」

「あの娘・・綾ちゃん、声は元気そうにしてるけどかなり辛くなってきてるんじゃないか、髪も抜けたって言ってたし」朔太郎は昼休みにいつものように吹き抜けの廊下の手すりにもたれながら田村に話しかけた。「聞いたのか、あの娘から」田村はやや驚いた様子で朔太郎を見た。「ああ・・」「しかしお前、初めて言ったな綾って、いつもあの娘とか彼女とか言ってたのに、どうゆう心境の変化だよ」「やめようかと思ってさ、無理するの。それとちゃんと向き合わないといけないって思うから」「そうか、あの娘、お前にどんな話してんだいつも」「どんなってまだ3回だよ。普通の話だよ、今どうだとか・・そんな事だよ、お前が脅かすって言ってたぞ」「綾ちゃんはほんといい娘だよ。頭の回転が速いし、ユーモアもある、たぶん育った環境だな。商店街育ちで子供の時から周りの大人たちと普通に話してたんだろ、父親とも仲が良さそうだし、きっと周りから良い愛情を受けて育ったんじゃないかな、それはあの娘を見てれば分かるよ」
「そしてなにより病気に対して前向きなのがいいよ。守らなくちゃいけない事が沢山あるし、薬だって飲むのは辛いはずだ、嫌がる患者も多いからな・・。抗真菌薬のファンギゾンシロップの、あのオレンジ色したドロッとしたやつなんか例外なく患者に評判悪いからな。あの娘それを文句も言わず飲むしナース達にも可愛がられてるよ。今時珍しいよあんな素直な娘は・・。だからつい俺もあの娘と話すのが楽しくてな」「今の数値はどうなんだ?」「白血球値は100を切るまで下がってきた」「免疫抑制剤は何を?」「FK506を軸にしてる。非血縁者といってもHLAがこれだけ一致してるからな、GVHDのリスクは少ないだろうが逆にGVL効果の減少で、再発のリスクが上がるからそのへんの落とし所を慎重にしないとな。できれば早期に薬剤は減量の方向に持っていきたいとは思ってるが、まだ始まったばかりだ何が起きるか分からんよ」「頼りにしてるよ」朔太郎は心の底からそう思っていた。綾を助ける事ができるとすれば、それは田村の今までの経験から得た適切な判断力だけが頼りだと思った。
「それでさ、これまた頼んでもいいかな?」そう言ってポケットからMDの入ったケースを取り出した。「いいけど、ちゃんと向き合うんじゃなかったのか?」「もう少し頼むよ」「分かったよ」田村は朔太郎を見た。綾の事を話す時の表情も以前のような切羽詰ったような感じは少し薄れたような気がしていた。もしかすると自分が知らなかった頃の松本に少しだけ戻り始めてるのかなとその時田村は思った。

「お母さん、見て口の中」綾はうがいをした後、ガラス窓の向こう側の母親に向かって大きく口を開けて見せた。「綾、白いプツプツがいくつも・・痛いでしょう」そう言いながら和子は顔をしかめた。「どんどん増えてきちゃって・・、うがいしないといけないけどしみるとすっごく痛い。それとやっぱり味覚が変になってる、放射線のせいかな、前はそれほど気にならなかったこのうがい薬の味がすっごく気持ち悪い。のども痛いし吐くたびに痛くなるみたいなんだよ、もー最悪だね」「綾・・」抗がん剤が終わり移植の後少し吐き気も落ち着いていたようだったが、ここ数日また吐き気も強まってきているみたいで、前処置の放射線の影響からくるのどの腫れた部分を、吐いた胃酸が通る時の痛みが綾を苦しめ始めているのを見て和子は自分の事のように辛くなるのを感じた。
「ごめんね、お母さん。お母さんにはつい愚痴っちゃうね」「いいのよ、綾」「看護婦さんはみんな優しくしてくれるし、やっぱ言えないから・・」「あれ、私ならいいのかな?」「そうじゃないよ、そうじゃないけど・・やっぱお母さんだから・・」綾はそう言ってすこしうつむいた。「ばかね、嘘よ、なんでも聞くわよ、どんどん愚痴りなさい」
「ねえ綾、この前話したでしょう、この病棟に綾と同じ白血病で入院してる人のお母さんと知り合いになったって」「うん、その人も移植したんだよね」綾は緊急入院して以来、ずっと個室で無菌状態で隔離されていた為、病棟に他にどんな患者が入院してるのかまったく分からず興味があった。「小野田さん、娘さんは百合子さんって言ってね、綾と同じように骨髄バンクを通してドナーが見つかって6月に移植したそうよ。そして無事生着して今は4人部屋にいるんだって」「その人いくつなの?」「20歳って言ってたかな、看護学校の生徒さんなんだって」「そうか、看護婦目指してるんだ、その人・・。ねえ何で看護婦さんになろうって思ったのかな?」「それは聞いてないけど、その娘さんも移植の後、綾と同じように口内炎がひどくてうがいが辛かったのを、また別の患者さんの家族に教えてもらって、緑茶でね、うがいしたらこれが良かったそうよ」「そうなんだ」「お母さん作ってあげるから綾もやってみたら、さっぱりしていいみたいよ」「そっか緑茶か・・、ほんとさっぱりしそうだね、お母さん。緑茶ってカテキンって成分があるんでしょ、あれって殺菌作用があるんだよね、なんか裏技だね、伊藤家の食卓の病院版って感じ」「じゃ今から作ろうか、無菌室は作り置きできないから、お母さん毎日朝作って持ってこようね」「お母さん、お願い」「お安い御用よ」和子は綾が入院して以来ほとんど毎日面会時間は付き添っていたが、完全看護の為娘に何もしてやれない事が歯がゆく思えていた。これから綾の為にうがい用の緑茶を作っていくことは、自分にとっての励みにもなると和子は思った。
和子はベッドに戻る娘の姿を見た。この2日で綾の髪は急激に抜け始め所々地肌が見えていた。「これからバンダナがいよいよ手放せなくなりそう」と明るく話す娘の笑顔が和子には切なく思えてしかたなかった。そしてもしもという事があっても、娘をこんな姿では絶対に逝かせたくないと和子は強く思った。

続く
...2005/01/18(Tue) 13:59 ID:BZhfAftM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:hiro
cliceさま
 いつも楽しく読ませていただいております。
 静かに淡々と、それでいて、しっとりと重厚に進んでいってますね。
 詳細な設定にいつも感心します。
 20歳で看護学校に行っている・・・というところで、私は"ある人"を想像してしまいました。
 その方は看護師で21歳発病ですでにお亡くなりになられていますが、未だに闘病生活時に書かれたHPが残っています。

 今後の展開楽しみにしております。
 寒いですが、お体に気をつけて無理をなさらぬよう・・・
 (と言いながら首を長くして待っていたりするのですが(^_^;))
...2005/01/18(Tue) 22:41 ID:XmfZS7Iw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
こんばんわ。今回の話は、けっこう重い話になってきましたね。だけど、白血病と戦う綾の姿に感動しましたね。綾が病気に対して前向きでいられるのも両親や朔太郎の存在があるのかもしれないですね。今後ますます綾の病気はひどくなるにつれて、朔太郎の存在も大きくなると私は思います。
 これからの展開楽しみにしていますので、執筆活動頑張って下さい
...2005/01/19(Wed) 02:52 ID:Qes/blGE    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
こんにちは、Clice 様

SPは私にとっても青春時代を共にすごした懐かしい相棒でした、
そういえば、声もかけられなかったあの子の写真を撮ったのも
SPでした(もちろん別の理由でしたが)、ファインダー越しに
浮かび上がる亜紀の姿は、朔太郎の心に焼き付き生き続けてい
るのでしょうか?
これからも、続きを楽しみにしています。
...2005/01/20(Thu) 09:02 ID:Shc9A2Wo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「綾ちゃん、おはよう、検温しようか」「森下さん、おはようございます。なんかすごくだるいです。熱あるのかな」そう言って綾は体温計を森下に見せた。「37度5分か、少しあるわね、だるいのはそれもあるのかな」「森下さん、前に言ったじゃないですか、お顔がフグみたいだって」「ごめんごめん、憶えてた?」「あれもしかしてこの事?」そう言って綾は森下に口内炎で白く腫れた口の中を見せた。「ずいぶんできちゃったわね、痛いでしょ、あとで先生に見てもらおうね」「森下さんの言う通り腫れてほんとフグみたいになっちゃった」「移植した後の患者さんはだいたいみんなそうなるみたいなの、だからそれもちょっとあったかな・・」そう言って森下は綾の体温を表に記入しながら優しく微笑んだ。

「綾ちゃん、少し熱あるみたいだね、じゃあ口を大きく開けてみて」田村はペンライトで照らしながら綾の口内から喉にかけて注意深く観察した。「はい、いいよ、かなり腫れてるね、今朝の食事は食べたの」「少しだけ、飲みこむ時にすっごく痛くて」「これ以上ひどくなると食事が取れなくなるかもしれないから、その時は栄養剤を点滴で入れようか」「はい、でもまだスープとかだったらゆっくり飲めば大丈夫だから、先生」「頑張るね」「だって私、食いしん坊なんですよね、お腹の中になんか入ってないと機嫌悪くなるんですよ」「そうか、それは困るね、じゃご機嫌を取らないとね」そう言って田村は松本からのMDを綾の前で組んだ手の中にそっと置いた。自分の手の中のそれを見つめる綾の瞳はみるみる大きくなり、田村の方を向き直り嬉しそうに微笑んで頭を下げた。
「そしたら綾ちゃん、痛み止めを処方しよう、それと血小板の数値がかなり低くなってきたのでその輸血も今日するからね」「分りました」「綾ちゃん、なんか移植らしくなってきたね」「先生、楽しんでるでしょう」「順調だって言ってるんだよ」「ほんとですか?なんか怪しいな」そんな話をしながら笑顔を見せる綾の表情の中には、これからへの微かな不安の色が見え隠れしていて、それは田村にもはっきりと見て取れた。

「こんにちは松本朔太郎です」「こんにちは」綾はイヤホンから流れる朔太郎の声に返事をするように小さく呟いた。「僕の田舎は宮浦っていう小さな海辺の町なんだけど、うちの母さんはそこの漁協の市場で働いていたんだ。だからお世辞にも上品じゃなくて、いつも魚の匂いがして、そういえば晩ご飯のおかずもいつも魚だったっけ。感情の起伏の激しい人でね、怒ると怖くて、で仕事で疲れると「疲れたー、勝手に何か食べて」って晩ご飯作らないし、なんていい加減な母親だって思ったこともあったよ。
そんな時は人のいい父さんが台所に立ってたりしてさ、ほんとのんきな家族だったと今考えればそう思う。普段は僕のことを朔って呼んでたけど、たまに朔太郎って呼ばれる時があって、そんな時の真剣な母さんの顔は今でも憶えてるよ。ほんとに感情が先にくる人なんだけど、いつも真直ぐで優しい人かな、でももうずっとこっちにいるから随分と寂しい思いをさせてるかもしれないと最近反省しています・・・・綾ちゃんの家はどんな感じなの?、うちはそんな感じかな」イヤホンから流れる朔太郎の声はそこで終わった。
綾はイヤホンを外して起こしたベッドにもたれて目を閉じた。「海辺の町か・・」綾は朔太郎の故郷の町を想像した。青い海と空があって、後ろは山で町の中を川が流れてて、そして港には白い漁船と真直ぐな防波堤、そんな風景が綾の脳裏に次々浮かんできた。
母親の顔も想像したがぼんやりとしたイメージが浮かぶだけでそれ以上は無理だった。
綾はゆっくりと目を開けた。すごく幸せな感じが綾を包んでいた。朔太郎が自分に母親の事を飾らずに話してくれたことが嬉しかったし、なにより初めて綾って名前で呼んでくれたことが嬉しかった。
「行ってみたいな」夢の中に出て来る田舎のイメージと朔太郎の故郷の風景が重なり、窓から射し込む明るい光の向こうに、遠い宮浦の海と空を想像して綾は一人呟いた。そして窓を見つめている時、またフラッシュバックのように脳裏に一瞬何かが浮かんだと思うと、窓の向こうに重なっては消えた。そしてその瞬間何か切ない思いがまた綾の胸をキュンと締め付けた。「この気持ち何だろ・・」

「こんにちは、広沢綾です。うちの両親は商店街でクリーニング屋をやっていて木造の古い2階建ての家がお店兼自宅です。お父さんは若い頃はサラリーマンをしていたそうですけど、お爺ちゃんが死んで今のお店を継いだそうです。その時私は生まれてたんだけど、小さかったので今の家の記憶しかありません。お婆ちゃんも私が小学生の時に病気で死んじゃって、それ以来ずっと家族3人で暮らしてます。でもお母さんの実家も同じ町内にあって、お爺ちゃんもお婆ちゃんも元気なので寂しくはないです。時々お母さんに内緒でお小遣いもくれるし・・。だから私には先生みたいな故郷っていうのがないんですよ。
お爺ちゃん、お婆ちゃん久しぶり遊びに来たよ・・って言いたいけど自転車で5分だし、それってなんか損してる気がしませんか?学校の友達のほとんどに田舎があって夏休みに遊びに行ったりしてるのがなんか羨ましかったな・・、でその話しお父さんにしたら俺もだって言ってた、なんか可笑しいでしょ、うちのお父さん。
でもうちのお父さんとお母さんって幼なじみなんですよ、ずっとお互いのことが好きで、大人になってもそれは変わらなくて、それで結婚するなんてなんか純愛ですよね。
私とお父さん仲いいんですよ、お父さんいつも優しいし・・私、お母さんの若い頃にすごく似てるみたいなんですよ、だからお父さん私の中にそんな若い頃の自分たちのことを重ねてるのかなって思います。父親と娘って血がつながってるけど永遠の恋人って感じがするじゃないですか、私はそれって素敵だなって思う。とりあえずお父さんまあかっこいいし・・そんな感じですね、先生にも幼なじみっているんですか?教えてほしいな」
綾はストップボタンを押した、そしてのどに手をやった。ずっと喋ってるとのどが痛くてちゃんと声が出てるか不安になった。もちろん松本先生は病気の事も今の症状の事も分かってるだろうけど、それでもできれば心配はかけたくなかった。再生して聞いてみると特に変には聞こえなかったので、安心して取り出したMDをケースに収めた。

先ほど森下が用意した血小板の輸血が始まっていた。もう入院してから数え切れないくらいの点滴のバックを見ているけど、輸血もいったい何度目だろと綾は思った。輸血といっても血小板は赤くなく白いミルクといった感じだった。それが最初は不思議だったが、ここには不思議な事が多すぎて綾にとっては知りたいことだらけだった。「そう写真写真と・・」そう呟くと父親から借りたデジカメで血小板のバックと自分の姿を写した。そしてそのポタポタと落ちる液体を見てるうちにうとうとして綾は眠りに落ちていった。

続く
...2005/01/20(Thu) 10:44 ID:gQyBq8jo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
けん様、SATO様、hiro様、Marc様、グーテンベルク様、北のおじさん様そしてにわかマニア様、不二子様いつも感想を寄せていただいてありがとうございます。綾の移植が終わって話も半分を過ぎましたが、淡々ととhiro様にはいって頂きましたが、ラストにつなげるためについ省略できなくて、話がだんだん長くなってきてしまいました。公式BBSの終了期間の内に書き終えて同時に卒業したいと思っていましたが、すでに今月中にはまた終わりそうになくなってきました。実はこの話を書いていて常に自分の中に怖いという気持ちがあります。それはいろんな怖さですけど、自分がこんな題材を書いて良いのかということと、ディテールや登場人物の内面と気持ちの変化がちゃんと書いていけるだろうかという怖さ、そしてこれからも書けるのかという怖さ、もちろんどのくらいの人の目に止まっているか、どう思われているかという怖さといろいろです。そのすべてに自信などあるはずもなく、ただどうしても最後まで書きたいという気持ちがあり、このBBSに書かせてもらってることをありがたく感じています。そして拙い文章に感想を寄せていただいた皆様には本当に感謝をしています。
私も生死にかかわるような事をずっと以前に経験し、その時に経験した自分の身体の変化は記憶に染み付いていて、同じような状態になるとその時の恐怖が蘇っていました。それは多分一生忘れないでしょう。白血病の患者の方々はそれとは比べ物にならない不安を抱えて、治療や生活をされているんだという事をこの話を書いていて思います。
移植が終わればそれで治るという事ではなく、本人もそれを見守る医師たちも次の瞬間にも再発や急変するかもしれない、無菌室から個室や4人部屋へ、そして無菌治療棟を出て一般病棟へと退院する一つの区切りの中でも日々戦っているんだということを知ると、綾のこれからの話がより大事だけども書いていけるのかやはり怖い気がします。

SATO様の言われた田村が江口洋介さんというのは、ど真ん中のストライクです。自分の中の田村のイメージは長身で野性味のある男っぽい外見と優しい内面を持ち合わせた人物で、かつ三枚目の要素のある人を想像していましたが、最近なんか少し田村がかっこよくなってきたので江口洋介さんは田村の喋り方からしてもまんまかもしれません。
横浜の病院で藤谷医師から骨髄液の入ったケースを受け取り、がっちり握手をするシーンは江口さんだったら決まるだろうなとSATO様とけん様の書きこみを見てそう思いました。そして写真については詳しくはありませんが少しだけ分かります。SPは友人の物を借りて使った経験があります。Marc様のように使ってた人が読んでるのを聞くとやはり怖いですね。とにかく前に進めようと思います。
...2005/01/20(Thu) 13:09 ID:gQyBq8jo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
 こんばんは。グーテンベルクです。いつも心に残るストーリーを読ませていただきましてありがとうございます。clice様の言うとおり、白血病の怖いところの一つが骨髄移植が終わっても拒絶反応がおこったり、再発したりすることがあることだそうですね。そういった恐怖や不安と闘うといった物語は少ないと思います。だから、ぜひ最後まで書き続けてほしいと思います。もしかしたらこの物語を読んでくわしい現実を知った読者がより副作用の少ない治療法を開発する可能性だってあるかもしれません。これからもぜひ頑張ってください。応援させていただきます。
...2005/01/20(Thu) 22:55 ID:zEdYUaGU    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:thomas
 Clice様へ
こんにちは。Cliceさんの文章はいつも本当に心に響いてくるものがあり、こんな才能があるなんてうらやしいと思っていました。しかし書き込みをみて才能だけではなく努力、ストーリーを読む多くの人へのプレッシャーetc・・読み自分がいかに努力なしに羨ましがっているかをしり反省しています。
私も父が心臓の病気(といいますか、心臓、すい臓、胃、胆のうが・・・)にかかりこれまでに入院、手術を何度かしているので病を持った人のいる家族の苦しみというのは分かります。私自身父の命の保障は取れませんという同意書にサインを書かされました。
丁度1年前の今頃でした。手が震えてしまいました。
家族の1人でも倒れると家族がバラバラになるのは本当に辛いですよね(T_T)あっ今は退院して家族で暮らしてます☆
あとあとこのサイトって今月でおわりなんですか???
知りませんでした(>_<)
終わってしまったあとはどこでCliceさんの小説を読めますか??
...2005/01/21(Fri) 11:00 ID:F17O8NoA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
Thomas様へ
今ちょうどこちらを開けたら書きこみがありましたので拝見しました。時々寄せていただける感想を嬉しく思っています。今月で終わるのはTBSの「世界の中心で、愛をさけぶ」の公式HPの方の事です。昨年9月末で一旦BBSの書きこみは終了していたのが、DVDの発売や再放送に合わせて12月からの2ヶ月限定で再開しています。放送時にそちらを見つけて多くの人の感想や意見に共感したり考えさせられたりして、たまにですが書きこみもしていました。それで最初はこの話ではない亜紀と朔のその後を期間中に公式HPの方に書きたいと思っていたのですが、こちらをその後見つけてつい今のようになっています。こちらのサイトはずっと続くと思います。
できれば早くラストに持っていきたいのが正直な気持ちですが、当分先になりそうです、今のペースでは絶対に・・。
Thomas様へ、反省なんてとんでもないです。綾本人よりも両親や周りの人のほうがはるかに深刻に感じていると思いますが、綾、綾の両親、朔太郎、田村それぞれが綾の病気や綾についての思いが異なり、それをちゃんと書けるかがどうかが大切なので、読んだ人がもしそれを自然に受け取ってくれているかどうかがつねに気になる所です。
もし少しでもそうならいいのですが・・。
...2005/01/21(Fri) 12:00 ID:0161g3d.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜clice様〜
先日は、大変大変失礼いたしました。
そして、あちらでもこちらでも生のお声が聞けた様で、とても嬉しく思いました。

色んな意味での「恐怖」を感じていらっしゃるとの言葉は、「ものを書く」ことに対して、常に背筋を正しておられるclice様の真摯な姿勢に裏打ちされたものだと思います。thomas様も仰っていた様に、努力なしでこの領域に達せたとは、とても思えません。だからこそ、尊敬の念を抱いているのです。
で、この場においては、私にも一つの「恐怖」があります。それは、この物語のお邪魔になることの恐怖です。私は、先日の様につい軽々しく思ったことを文字にしてしまい、大変ご迷惑をお掛けしました。反省するとともに、二度とそうはなりたくないと希望しています。
clice様にはどうか時間に捉われず、最後までご自身の納得のいかれる様に書き尽くして頂きたいと、それを願うばかりです。もしかしたらこれが、私の『セカチュウ』における、最後の夢なのかもしれません。
どうぞ、迷わず前へ進めて下さい。
私は、最後まで読んでいます。
必ず読んでいます。

(追記)
和子さんが高島礼子さん似っていうので、私の中の和子像の修正が効きました。正信さんにしても、頭の中で、何とかもう少しカッコ良くしなきゃと思っている次第です。(だって、どう考えても変だから・・・)私が最初に思い浮かべた両親をclice様が聞いたら、可笑し過ぎてそれこそ物語が書けなくなってしまうかもしれない。だから、是非書き上がった後にお知らせしたいと思います。楽しみにしていて下さい。(笑)
...2005/01/21(Fri) 13:45 ID:5bfI0kXw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
正信は両親の仏壇に手を合わせていた。「父さん、母さん、綾のこと守ってやってくれよ、これからがあの子にとってほんとの正念場なんだ。もらった骨髄がちゃんと新しい血を作ってくれないと、あの子ほんとに死んじまうんだよ。頼むよ、なっ父さん、母さん」
そして目を閉じて手を合わせ仏壇に向かって頭を下げた。
「あなた、ご飯の用意できましたよ」和子が台所から声をかけた。「ああ、今行く」正信はそう言うと立ち上がり居間に向かった。
「あなた、今日うちの両親を綾の所に連れて行こうと思うの」和子は正信にご飯のお茶碗を渡しながらそう話しかけた。「御父さん、腰はもういいのか?」「ええ、大分いいみたい、二人とも綾に会いたがってるし、それに今がいいと思うの」「そうだな、ほんとは俺が連れてってやりたいんだがご覧の通り山積みだからな」正信はそう言って仕事場の方へ目をやり、山のように積まれたワイシャツを見てため息をついた。「大丈夫よ、タクシーで連れて行くわ」「そうしてくれ、綾も喜ぶよ。うちの両親が早く死んじまったから、お前の両親があいつのこと可愛がってくれて、綾にとっては唯一の祖父母だからな」「じゃ私、後片付けしたら向こうの家に行きますね」
「今日も暑くなりそうだな」正信は外の方を見てそう言うと手に持ったお椀の中の納豆をくるくるかき回した。

和子は通りに出て歩き出し、ガラス越しに隣のパン屋の奥さんに挨拶をした。すると芳江は待ってと手で合図すると、並べてるいくつかの菓子パンを袋に詰めばたばたと表に出てきた。「和ちゃん、病院行くんだろ?商売物で悪いけどこれ綾ちゃんに持っていってあげてよ」「芳江さん、すみませんいつも・・」「パンは食べれるんだろ、綾ちゃん」「ええ」「じゃあ、持ってって、看護婦さんの分も入れといたからさ、もう1ヶ月かい、和ちゃんも毎日じゃ大変だね」「あの子の事を思えば私なんかぜんぜん・・、今日うちの両親を綾の所に連れて行こうと思ってるんですよ、これから」「そうかい、そうしてやりなよ、喜ぶよ綾ちゃん。あたしも毎日朝綾ちゃんと話すのが日課のようなものだったから、なんか寂しくてね」芳江は思い出すようにしてそう言った。
「早く良くなるといいね」「ええ、ほんとに、じゃあ行ってきます」そう言って芳江に頭を下げると通りを歩き出した。通りの店々もシャッターが開き、行き交う人々も多くなって商店街に日曜の朝の活気が訪れようとしていた。

「大きな病院だな、中村先生のところの病院とはえらい違いだ」昼過ぎに3人を乗せたタクシーが敷地内に入り建物が見渡せると、和子の父の政雄の口から素直な感想が飛び出した。「そりゃそうですよ、あなた、あそこはただの整形外科なんだから、比べちゃ先生が可哀相ですよ」母の幸恵がそんな夫を少し呆れ顔で見た。政雄は持病の腰痛で近所の病院に最近はずっと世話になっていた。「でもねお母さん、良かったのここの救急外来に連れて来て・・。後で先生に聞いたら、連れて来たときはかなり危険な状態だったそうなの。もし見てくれるとこがなかったり、ちゃんとした処置が受けられなかったらあの子危なかったかもしれないのよ。それに結果的に白血病と分かっても、この病院にはその治療の為の専門の科と医療施設があって、良い先生にあの子のこと診てもらえたから、だからあの子助かったのよ」和子は両親に移植が成功したことは伝えたが、これからの回復の可能性については心配をさせるだけなので、詳しいことを話すのは止めていた。
タクシーは休日の入口も兼ねる救急外来棟の玄関の前に停車し3人はそこで降りた。
救急外来とはいっても普通の病院くらいの受付があり、ホールは診察を待つ人たちやお見舞いの人たちで賑わいを見せていた。
エレベーターホールの横には書店や美容室、花屋に喫茶店、そしてコンビニのような売店があり、患者や見舞い客にとって必要なものはすべてこの一画で賄えそうであった。
「それで綾はどこに入院してるの?」広い病院の中で自分たちがどこにいるかも分からず幸恵は娘に訊ねた。「向こうの病棟の3階にある無菌治療病棟ってとこなの」「何なのそこ?」幸恵は聞き覚えのない名前にその意味が分からなかった。「治療の過程で身体の免疫が弱くなる人が、他の細菌なんかの感染を予防する為にそこで治療する施設なんだけど、普通の病室と違うので二人ともびっくりしないでね」和子は両親を見てそう言った。
「なんか怖そうね」「そうね、確かに・・」長い廊下を歩き病棟のエレベーターの前に来た。「お父さん、腰は大丈夫」少し歩いたので政雄を心配して和子は声をかけた。
「平気だよ、このくらい、痛けりゃ今来た所で診てもらうさ」そう言って政雄は笑った。
「あなた、保険証はどうするんですか、私持ってきてませんよ」長く連れ添ったあうんの呼吸で幸恵はすかさず夫に突っ込みを入れた。そんな二人を見て和子は自分の両親ながら微笑ましいと思うと同時に、自分たち夫婦の未来を想像した。こんなふうに笑って話せるのかどうかと・・。エレベーターを降り、廊下を歩き大きなガラス張りのナースステーションの前に来ると、和子はガラス越しに看護師に挨拶をして慣れた様子でインターフォンを手に取った。
「広沢です」「広沢さん、こんにちは」看護師1年目の浦田が受話器を取って返事をした。「こんにちは、今日は私の両親も見舞いに来てるんです」浦田は和子の隣で自分に向かって挨拶をする年配の夫婦を見た。「どうぞ、綾ちゃん、今日はお母さんが遅いから心配してましたよ」そう言って受け付けから左側に入る無菌室へ続く通路の方へ左手を向けてどうぞと合図をした。

綾はお粥に変えてもらった昼食を喉の痛みを我慢しながらも食べ、音楽を聴きながら雑誌をぱらぱらとめくっていた。熱は今日は下がっていたが身体のだるさは変わらなかった。髪の毛もさらに抜けて耳の上あたりはまだ残っていたが、頭の上の方の毛はほとんど抜けていた。視線の左、ガラス窓に人影が見えたので母親が来たんだと綾は思い目をやると、そこには良く知っている人が二人立っていた。
「お爺ちゃん、お婆ちゃん」思わず綾は聞こえるはずもない二人に呼びかけた。
政雄と幸恵の二人は変わり果てた孫の姿を見て愕然として、一瞬その場に立ち尽くした。
二人とも娘から孫の病状は聞いていたが、実際に自分の目で見るとそのショックは想像を超えて、幸恵は口に手を当てたまま言葉が見つからなかった。
和子はインターフォンを手に取り、綾に向かって目で合図するとそれを両親に手渡した。
綾はすでに受話器に手をかけていつでも取れるようにしていた。

「綾ちゃん、あんた、その頭・・」受話器を受け取って幸恵が話し始めたがそこで言葉が詰まった。「えへへ、こんなになっちゃった」そう言って綾は右手で自分の頭を撫でながら恥ずかしそうに二人を見た。「お婆ちゃん・・、二人ともお見舞いに来てくれたんだ」綾の変わらない声に幸恵はやっと我にかえり話し始めた。「綾ちゃん、辛かったろう、髪の毛もそんなになって、今身体大丈夫かい」「うん、大丈夫だよ。薬の副作用で抜けちゃったけど、治ればすぐ生えるから心配しないでいいよ、お婆ちゃん」綾はできるだけ明るく返事をした。「私は綾ちゃんが白血病ってあの娘から聞いた時にはもうびっくりして、早く会いに来たかったけど面会ができない状態だからって言うからね、もう心配で心配でたまらなかったんだよ。それにお父さんの持病の腰痛がででたもんだから・・、でも声を聞いたら思ったより元気そうなんで安心したよ」幸恵の目に写った綾の姿の変化は髪の毛だけではなかった。顔の色は以前の健康そうな日焼けと違って浅黒く、顔は腫れてるのかむくんでいるのか、娘の若い頃に似た以前の面長の涼しげな顔立ちとはまるで別人のように幸恵には思えた。
「綾ちゃん、ご飯はちゃんと食べれるのかい?なんかちゃんと火の通ったものじゃないとだめだそうじゃないか」「薬のせいでね、吐いたりするときもあるんだけど食べれるだけ食べるようにしてる。でもねお婆ちゃん、生物がだめでね、果物なんか全然食べられないんだよ、缶詰のものはデザートで付くけどいつも湯気立ってるから味なんてしないもん」
「そう和子から聞いてね、お婆ちゃんプリン買ってきたよ、綾の好きな駅前のケーキ屋さんの・・、プリンはいいんだろ?」そう言って幸恵は手に下げた洒落た文字の入った紙袋を持ち上げて見せた。それを見た綾の目がみるみる大きくなり「えーあそこのケーキ屋さんのプリン?お婆ちゃん買ってきてくれたの、嬉しい、私大好きなの」そう言って見せた綾の笑顔は大好きな可愛い孫のいつもの最上の笑顔だった。そしてそれは幸恵の横で見てる政雄にとっても同じだった。
「それとお不動さんのお札もらってきたからね、きっとご利益があるよ。綾ちゃんの病気もお不動さんが守ってくれてすぐに良くなるよ」そう言ってバックからそれを取り出して綾から見えるようにガラスに立てかけた。そして「お爺ちゃんに代わるから」と言って受話器を夫に渡した。

「お爺ちゃん、腰大丈夫?ありがとうお見舞いに来てくれて」「なあにこれしき、お前の顔を見たらすぐに良くなったよ」政雄は腰に手をあてて背筋を伸ばして大袈裟にして見せた。「お爺ちゃん、私ちょうど昨日お爺ちゃんとお婆ちゃんのこと考えてたんだよ、そしたら今日来てくれてびっくりしちゃった、なんか以心伝心だね、お爺ちゃん」「そうか、そいつは嬉しいな、頑張って早く良くなるんだぞ」「うん」
二人が綾と話してる間、和子はまた正面に回ってインターフォンを鳴らし浦田がまた受話器を取った。「今日、森下さんは」「いますよ、ちょっと待ってください」そう言って受話器を置くと席を立った。
「チーフ、森下チーフ、広沢さんが呼ばれてます」浦田のよく通る声が病棟に響き、しばらくして森下が出てきた。「こんにちは、今日はお爺様とお婆様がご面会なんですね、確か初めてですか?綾ちゃん嬉しそうですね」「ええ、私の両親なんですけど、主人の両親はもう他界していて綾にとっては二人が唯一の祖父母なんです」「そうなんですか」「それでこれ母が綾にって買ってきたんですけど、後で綾に渡していただけませんか?プリンは大丈夫なんですよね」「ええ、綾ちゃん好きですからね、喉が痛くて柔らかいものじゃないと苦しいみたいですから、プリンなら大喜びですね」「そしてこれ皆さんでどうぞ、綾にも好きそうなものを渡していただければ助かります」そう言って和子は芳江から預かったパンの袋も一緒に森下に渡した。
「すみません、ありがとうございます。じゃあ確かにお預かりしました」そう言って森下は病棟に戻って行った。
和子は少し廊下を歩いて窓のところまで来た。そこから見上げる青空は今日も晴れ渡り、所々に白い雲が浮かんでいた。和子は一人で少しの間その空を見つめたあと、手を組んで身体を伸ばし少しほっとした表情を浮かべてまた病室のほうへ戻って行った。

続く
...2005/01/22(Sat) 08:09 ID:zlYrVClQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「綾です、今日、田村先生お休みだったのでまた入れちゃいました。昨日、お爺ちゃんとお婆ちゃんの事話してたら、今日なんとお母さんと一緒に二人がお見舞いに来てくれました。もーびっくり、噂をすればってやつなのかな・・。久しぶりにいろんな話をしました。お爺ちゃんもお婆ちゃんも私の姿が変わったのにびっくりして、お婆ちゃんはちょっと泣いちゃって私もつられてまた泣いちゃいました。それはびっくりしますよね、二人が知ってる私は髪が長くて元気に笑ってる女の子だったから・・。
先生もびっくりするかな、今の私に会ったら・・。でも先生はお医者さんだからそんな患者さんはいっぱい見てるからそんなことないか・・。
でもお爺ちゃんとお婆ちゃんに会えてほんと嬉しかったです。お爺ちゃんたちが近くに住んでて損したみたいって言ったけど、それちょっと撤回します。やっぱり会いたい時に会えるって幸せなことですよね、ずっと遠くにいたり離れ離れで会えないのはやっぱり寂しいですよね。そんな訳で今日はちょっと良い日でした」
綾の録音した声は終わっていたが、朔太郎はイヤホンをしたまま手の中のMDプレイヤーを見つめていた。パソコンの微かな作動音以外は音のしなくなった病理検査室で一人残業の手を止めて聞いていた。声や雰囲気は似ていても亜紀とは違う喋り方の綾、まったく違う環境で亜紀の17年とは違う人生を生きてきた綾、しかし家族に愛されて幸せに育ってきたということはその内容から伝わってくる。そんな家族のことを屈託なく話す綾の声が朔太郎には愛しく思えてしかたなかった。

綾はぐったりとして白い天井を見上げていた。日曜日祖父母たちが帰った後急に疲れがでたのか、その夜からベッドから起きあがるのも辛いほどの脱力感に襲われていた。それでもうがいや歯磨きやシャワーなど、身体を清潔にする作業はしなければならずそれらをするたびに体力が奪われていく気がしていた。お粥に変えてもらった食事もついに喉を通らなくなり、舐めるようになんとか飲めるスープが唯一口にできる物になっていた。
次の日から栄養剤の点滴が始まり、再び食事が取れるようになるまでこれが綾の体力を支える命綱になった。そして日曜日の夕食の後食べたお土産のプリンが綾にとってのこれまでの食事で一番美味しい食べ物の記憶になった。

「綾ちゃん、どう気分は?」「先生、猛烈にだるいです。もう起きあがるのも身体が嫌って言ってるみたい」「そうだろうね、昨日の検査で白血球の数値がついに0になったよ。
赤血球やヘモグロビンなんかの数値も下がってきたし、これから当分今の状態が続くかもしれないね。だから身体動かすのも辛いだろうけど、それでもいろいろしなくちゃいけないし、もし一人じゃできそうもない時には看護婦さんに手伝ってもらうようにしようね。遠慮なんかしちゃだめだよ、もし転んでどこかをぶつけたりしたらそっちの方が大変だからね」「分かった、先生」綾は力なくそう答えた。「それと今日また血小板の輸血をしよう、それで少し数値を回復させよう。とにかく今はできるだけゆったりと安静にするようにね、いいかい」「うん」「先生、あの、今日は松本先生からは・・?」綾は縋るような目で田村を見た。綾の瞳はまるで会えない恋人を待ちわびるようなそんな切ない輝きがすると田村は思った。

「預かってるよ、ほら」そう言って田村は綾にMDを見せた。すると綾の瞳はその輝きを増し嬉しそうに笑顔を見せた。変わっていく綾の表情を見ていて田村は、綾の気持ちを聞いてみたい衝動を押さえきれずついに切り出した。
「ねえ、綾ちゃん、一つ聞いていいかい?」「何?先生」「綾ちゃんはどうしてそんなに松本のことが気になるの?」「どうしてって言われても・・」綾はついにその時が来たと思った。今まで田村は何も聞かずにMDを受け取ってくれていて、綾にとってはそっちの方が余程不思議だった。「私、あの時まだ熱があって意識も朦朧としてたんですけど、窓からこっちを見てる松本先生の顔はちゃんと覚えてるんですよ。その時の私を見る松本先生の瞳が・・」「瞳?」「うん、その瞳のことを思い出すとこの辺がすごく苦しくなってきて・・それでなんか気になるっていうか」そう言って胸に手をやりながら綾は恥ずかしそうに答えた。「聞いたらその人は病理の松本先生っていう人で、田村先生のお友達って聞いたからそれで・・変ですか?・・変ですよね、やっぱり・・」
「変じゃないけど、好きなの?松本のこと」「良く分かりません、こんな気持ち初めてだし・・」そう言って綾はうつむき、組んだ手の中で細い指だけが動いていた。「そうか」
「でも、私、知りたいんです、松本先生のこと」そう言って自分を見上げる綾の瞳には、直向な願いがこめられているような気がした。
「分かったよ、それでどうなの?あいつの声を聞いて・・」「うん、真面目そうで優しそうな気がする、それと暖ったかそうな感じが・・」「そうだね、それがあいつのいいところかもしれないね、それとついでに不器用なとことかさ」「不器用?」そう聞いて綾は一瞬何かを考える仕草をすると「不器用か・・そうか、だから松本先生は外科じゃないんだ、ふーん・・なるほど」綾は一人納得するように呟いた。「綾ちゃん、その不器用は違うだろ」「えへ」綾はちょっと舌を出しておどけたように微笑んだ。
田村はいつものこの娘に戻ったなと思った。そして今自分に見せた戸惑いの表情は、そのまま今の松本の表情でもある気がしていた。

綾は田村に今の気持ちを素直に話したことで、少しだけ心の中が軽くなった気がした。「好きなの?」って聞かれたときはドキッとしたけど、今までに感じたことのない感情が自分の中に生まれていることは確かだった。自分と倍くらい年が離れていることは分かっているけど、不思議にそのことは気にならなくて、会いたいという気持ちだけが強くなっていくのを感じた。綾は戻ってきたMDをプレイヤーにセットしてスタートボタンを押した。そしてMDから流れる優しい声が穏やかに綾を包んでいった。
「こんにちは、松本朔太郎です。移植から今日で10日ですね。田村先生の話では今のところ順調な様子で安心しました。今君の身体の中では移植された骨髄の細胞が新しい血液を作り出そうと一生懸命頑張ってるところだと思います。そして寿命を終える今身体を流れている血液と少しずつ入れ替わって、ある時期から猛烈な勢いで増え始めると思います。それがいつになるのかは僕にははっきりとは分からないけど、それはもう遠くないと思うよ。それまでは苦しいと思うけど、もう最初のゴールはすぐそこに見えてると思う。
生着が確定すれば無菌室から出て、お父さんやお母さんや友達にも直接会えるようになるね、あと少しだよ。
お爺ちゃんたちがお見舞いに来てくれた話を聞いてさ、僕も自分のお爺ちゃんを思い出したよ。僕のお爺ちゃんは町で写真館をしてたんだけど、僕が高校生の時に亡くなって今その写真館は父親が継いでるんだ。お爺ちゃんにはいろんな事を教えてもらったな、綾ちゃん僕の幼なじみのことを聞いただろ、その一人に介ちゃんって友達がいてさ、名前は龍之介なんだけどなぜか介ちゃんって読んでいて、よくお爺ちゃんのとこで飲んだり食べたりしてたんだ。他の仲間ともなんかあるとお爺ちゃんの写真館に集まって遊んでた。
田舎だったからね、よく釣りとかして遊んでさ、もうずっとみんなには会ってないからどうしてるかなって思う・・、あの頃はほんと毎日が楽しかった、そんな毎日がずっと続くと思ってたけど・・・・・で今は仕事仕事の毎日なんだけどね」
聞き終えて綾は朔太郎の声の中に微かな陰りを感じていた。それは過ぎ去った過去を懐かしむ郷愁とは違う何か悲しいもののような気がした。そして綾は自分を見つめる瞳の中に感じたものとそれが同じなのではないかと、ふとそんな思いが心を過ぎった。

続く
...2005/01/25(Tue) 12:39 ID:VsuWBQ6E    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
執筆お疲れさまです。
骨髄移植は成功しましたが、それでメデタシメデタシで終わらないのですね。そこにリアリティを感じます。
私も正信や和子と同じように祈る気持ちで読ませていただいております。

余談ですが、和子は高島礼子さんみたいな美人ですか・・・そうすると、父親の正信は高島さんが出ているお酒のCMで相手役をしているあの方でしょうか?
...2005/01/25(Tue) 19:31 ID:7.BohKBo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
こんばんは。グーテンベルクです。いつも構想と執筆、お疲れ様です。相当リアルに書かれておりますね。事実、骨髄移植が成功してもそれで助かるとは限らないそうですね。それが白血病の恐ろしいところなのでしょうね。clice様の作品を読ませていただいてとても勉強になっております。続きを楽しみにしておりますのでこれからもよろしくおねがいします。
...2005/01/27(Thu) 21:24 ID:4.g15nO2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
Clice 様
本当に内容が濃い物語をいつもありがとうございます。

ここしばらく商用でとても遠い大地で過ごしています、
こんなところでも停電しなければNetが使えてしまうこ
とは凄いことと思いますが、
そんなところでclice様のUpされる物語を読むのは大変
嬉しいひと時です。
(今地図を見てみればウルルより少し赤道寄りみたいで
す、緯度だけはせかちゅうに近いのも何かの縁ですね)
...2005/01/28(Fri) 07:59 ID:c90Mxj3E    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
午後7時30分、夜勤を引き継ぐメンバーに申し送りを済ませ、森下は長日勤が終わる8時までの間それぞれの病室を見回り、患者さんたち一人一人に声をかけながら容態や注意点が無いか確認していた。この無菌治療病棟を担当するようになって3年、今ではチーフナースとしてトップリーダーを任されるようになっていた。夏季休暇を交代で取るこの時期は、内科の一般病棟からの応援で勤務シフトを組んでいることもあって、自分の休暇を後回しにしても病棟に慣れない看護師たちへの指示や引き継ぎにはより慎重を心がけるようにしていた。お盆の時期一般病棟では一時帰宅する患者さんも多くなるが、この病棟ではそれができる人は一人もいなかった。患者さんの中には一時帰宅することもこの病棟から出ることすらできずに亡くなってしまう方もいる、それがこの病棟の現実だった。それだけに担当した患者さんがこの病棟を出て一般病棟に移り、そして退院していく姿を見送る時が森下にとって一番嬉しく充実感を感じる時でもあり、それは看護師すべてにとって同じであるだろうなと思った。

「チーフ、後は私たちに任せてどうぞ上がられて下さい」浦田はナースステーションに戻ってきた森下に声をかけた。「浦田さんの任せてはちょっと心配なのよね」「えー、そうですか?」「嘘よ、夜勤はうちのメンバーがやってくれるから安心してるわよ」「良かった」そう言って浦田は胸を撫で下ろした。看護師1年目でいきなりこの病棟に配属され、時々失敗もするが患者さんの為に常に一生懸命で、そしていっぱい泣いて看護師としてどんどん成長していることを森下は誰よりも知っていた。
「301の河野さんの点滴交換は10時からキロサイドを2400mgとソリタT3とを3時間だったわね、吐き気が強くでてるみたいだから注意してあげててね。宮内さんは微熱があるので要注意。あと広沢さんの様子も気をつけててね、今が大事な時だから・・今日も綾ちゃん1日起きれなかったみたいね」森下は綾のいる無菌室の方を見て心配そうに言った。「分かりました、私が気をつけてます」浦田は真剣な表情でそう返事をした。「お願いね、じゃあ、帰ります。お疲れ様でした」森下は他のスタッフにもそう挨拶して病棟を後にした。「お疲れ様でした」皆口々にそう挨拶を返した。

綾はトイレが近くなり目を覚ました。寝ているとはいっても完全に眠っている訳でもなく、身体がだるくうつらうつらしている状態を繰り返していた。今日も食事は取ってなく栄養剤の点滴が入っていた。栄養剤を点滴で取ると水分ばかりなのでどうしてもトイレが近くなった。無菌室はすべてがコンパクトにまとまっているので、トイレはベッドのすぐ横に有り、その時はごそごそと身体を起こし用が済めばすぐにベッドに戻れるのがありがたかった。時計を見ると夜10時少し前だった。
喉が乾いたので冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取りだし少し飲んだ。水が喉を通り抜け喉が上下するときに、何とも言えない痛みがはしるのが耐えられない感じがした。起きたついでに母親が毎日作ってくれる緑茶でうがいをした。市販のペットボトルの物よりはるかに爽やかで口の中がさっぱりした。そのせいか少し目が覚めて次第に眠気も何処かに消えていくようだった。
綾はベッドに身体を起こしライトのスイッチをつけてテーブルの上のMDプレイヤーを手に取った。そして小さく声を出してみた。口を開けると痛いが話せないほどの痛みではない、また朔太郎に話をしたくて録音ボタンを押した。

「こんばんは、松本先生、綾です。でもこんにちはかな、先生いつも返事を入れてくれてありがとうございます。こうやって先生とお話するのは今の私にとってすごく楽しみな時間になりました。
今日は12日、今は夜の10時です。もう消灯時間は過ぎちゃったんだけど、身体がだるくて昨日からずっと眠り姫状態で、今日も1日ずっと寝てたので、なんか目が冴えてきちゃって・・。だからなんか先生に会いたいな・・っと贅沢なことを考えたりします。
2日前に0になった白血球が昨日はまた30になりました。これってドナーの人からもらった骨髄が新しい血液を作ってるってことなのかな、そうだったらすごく嬉しいんだけど・・。松本先生が言ってくれたようにこのまま少しずつ増えていって、どこかでドーンと一気に増えてくれないかな・・。田村先生は白血球が増えてくると口内炎や喉の腫れも自然と良くなるからって言ってくれてるので、早くそうならないかと思います。
明日からお盆ですね、先生も田舎に帰っちゃうのかな、そうだったらこれを聞いてくれるのもずっと先になるかもしれませんね。この病棟のチーフナースの森下さんも、この時期休む人が多くなるので私はいつも休めないのってぼやいてました。
うちのクリーニング屋もお盆の間はお休みです。だから明日きっとお父さん来ると思う。いつも忙しく働いてるお父さんがちょっとのんびりできる時間だから、本当はゆっくり休んで欲しいけど・・・心配ばっかりかける悪い娘です。
お盆が過ぎると夏も残りわずかですね、これが私の高校2年の夏休みかと思うとちょっと寂しいです。昨年は友達の美幸たちと浴衣を着て、隅田川の花火大会に行きました。やっぱりすごい人出だったんだけど、結構いい場所で見れたんですよ。昨年は江戸ができて400年とかで、その当時の「和火」って言う花火が上がるからみんなで行こうって行ったんだけど、どれがそうだったか全然分かりませんでした。でもどれもすごい綺麗でした。今年も行きたかったなー、みんなと約束してたんだけど・・・。
まっ仕方ないですね、うん、来年がある。頑張ろう」
綾はストップボタンを押した。独り言のようにマイクに向かって話してた自分の声も消えて、静まりかえった病室で聞こえるのはエアコンから吹出す微かな風の音だけになった。
綾の心を急に寂しさが覆った。それは最後の花火が終わった後の物悲しい感じに似ていた。会いたかった、こうやってマイクではなく会っていろんな話をしたかった。そして聞いてみたかった・・・。

「綾ちゃん、起きてるの?」声をかけたのは看護師の浦田だった。「浦田さん、夜勤ですか?ご苦労様です」「どういたしまして」そう言って頭を下げる仕草をして浦田は笑った。「明かりがついてたから、どうしたのかなって思ってね、眠れない?」「うん、ちょっと、今日もまる1日眠ってたから・・。浦田さんもお盆ずっと仕事ですか?」「帰るわよ、夜勤が明けたら、と言っても実家は千葉なんだけどね。でも田舎なのこれが結構・・」「千葉ってどの辺なんですか?」「内房の方」「海が見えるとこ?」「ええ、どうして?」「なんか最近海の見える田舎に憧れちゃって」「ご両親の田舎は海の無い所なの?」「うちは両親とも地元だから」「いいじゃない、私はそっちに憧れるな、渋谷だって代官山だって近いし、羨ましいよ」「そうかな、でもうちのとこただの商店街ですよ」綾は少し首を傾げながら言った。「それでもいいの、女の子にとっては」浦田の言葉には少し力が入っていた。「でも、この季節になると田舎もいいかな、やっぱり・・夏だし」浦田は少し遠い所を見るような素振りをした。「でしょう、羨ましいな」綾も相槌を打った。「無いものねだりだね、私達」浦田は綾を見て優しく言った。「そうですね」綾もそう言って小さなため息をついた。
「じゃあ、寝ようか、もう遅いから」浦田は綾にそう言うとナースステーションに戻って言った。「海か・・」綾は暗い窓の方を見ながらそう一人呟くと明かりを消した。

続く
...2005/01/29(Sat) 07:29 ID:xtiW1LvY    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:hiro
cliceさま
いつも楽しく拝見させていただいております。
執筆おつかれさまです。

サクの骨髄液がゆっくりと、しっかりと綾のものになていっているようです。
また、綾の心がより強くサクを求めているように感じます。
今後のストーリー楽しみにしております。

愛読者の一人より。
...2005/01/29(Sat) 14:52 ID:afavQqiw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
clioe様
 こんばんわ。お久しぶりです。今まで仕事で見れなかったので、今日3話読ませていただきました。綾の骨髄移植成功したのに、薬の副作用で綾の痛々しい姿、読んでいる私まで辛い気持ちになります。だけど、そんな時こそ朔の存在がクローズアップされてますね。あとちょっと気になるところがあったのですが、MDで朔が田舎の話をしたときの綾の反応が昔を思い出しているしぐさをしていますね。私はそのしぐさは、もしかしたら、綾の中に亜紀の存在もあるのかなあと思ったのですが、考えすぎでしょうか?もしよろしかったら教えて下さい。
 では、執筆活動大変だと思いますが、マイペースで頑張って下さい
...2005/01/31(Mon) 02:57 ID:ceUmB/KE    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「まだ居たのか、松本」「居ると思ったから来たんだろ」「まあな、ほら」そう言って田村は朔太郎に冷えた缶コーヒーを渡して隣の椅子を引き出し腰掛けた。
「あっ、サンキュー」そう言って朔太郎は指で蓋を開けるとゴクリと一口飲んだ。
「もう誰も居ないのか?」田村は病理の部屋を見まわしながら聞いた。「ここはね、みんな早々と帰ったよ、週末だからね・・お盆だし」「そうだな、病棟のナース達もこの時期は勤務割に苦労してるよ、まっ俺らもだが・・お前は帰らなくてよかったのか?実家」そう言って田村も手に持ったコーヒーを口に運んだ。
「俺は先月帰ったし、この前の移植でまた休んだから・・母親からは帰ってきて欲しいって電話はあったけど・・もう休めないよ」「綾ちゃんか、あの娘の事が心配なんだろ、お前」コーヒーを飲みながら田村はさらりと言い、そして横目で朔太郎を見た。
「するだろ、普通、俺がドナーなんだし」図星を突かれた朔太郎は一瞬動揺し田村に言い返した。「いいよ、そうむきにならなくても分かってるから、それは俺も同じだよ。もっとも俺の場合、心配な患者はあの娘だけじゃないが大切に思ってるのはお前と一緒だ」田村はそんな朔太郎の表情を見ながら思った。
「松本、お前、なんか変わったな」「そうか?」朔太郎はそう言った田村を不思議そうな表情で見た。「ああ、前だったら今みたいに自分の感情をすぐ表に出したりしなかったろ、なんかあってもそれを飲みこんで、で結局笑ってるようなそんなやつだったよ、俺の知ってる松本朔太郎は・・」田村は大学時代、そして医者になってからの友人の姿を思い出していた。人とぶつかるのを避け、傷つくことを恐れるように距離を置いて、心の中の熱いものを無理にしまい込んでるようなそんな男だったと思った。「なんか自然だよその方が」「そうかな・・、そうだな、きっと・・」朔太郎は遠い所を見るような目で呟いた。
「俺はこの17年間ずっと逃げつづけていたのかもしれないな、亜紀の死からも、自分自身からも・・・きっと怖かったんだよ、誰かと別れることになるのが、あの時と同じ思いをすることがさ・・。この前はあんな事言ったけど、臨床に行かなかったのだって本当はそれが理由かもしれない」そう言って朔太郎は視線を落とした。
「かもな、でどうなんだ?今は・・」「今は・・・自分の手であの娘を治療してやれないのは悔しいかな、やっぱり」それは朔太郎の本心だった。ドナーとして骨髄の提供が終わった今、朔太郎にとってこの瞬間にも治療することも、側についてやることさえできない自分がどうしようもなく無力に感じていた。
「正直だな・・じゃ変わるか、俺と、お前だって医者なんだから、白血病の事はその辺の内科医より遥かに詳しいだろ、なあ」「何言ってんだよ、そんなことできるわけないだろ」朔太郎はまたむきになって言い返した。「だな、そりゃ無理か」「無理に決まってんだろ」「でも俺にもできないぞ、お前のやってる仕事は」そう言って田村は目の前の顕微鏡や部屋の中を見た。「俺らはもう自分たちの道を歩いてるんだよ、今までに積み上げた経験で自分たちにしかできない方法でな・・。その場所で最大限の力を発揮すればいいんだよ、それが結果的に誰かの為になるんだから」「そうだけど」「あの娘の治療の事は俺にまかせろよ」朔太郎は目の前の友を見た、医者として人として信頼できるこの田村が朔太郎にはとても大きく見えた。
「松本、お前にもあるんじゃないか、あの娘の為にしてやれる事が何か・・」「何かって?」「そりゃ俺はお前らじゃないから分からないけどさ、お前なら分かるんじゃないかと思ってね、あの娘が何を求めているのかさ。それにこれだって今のあの娘にとってはもう大切な心の支えだろ」そう言って田村はポケットからオレンジ色のディスクを取り出して朔太郎に差し出した。そして朔太郎はそれを受け取ると黙って握り締めた。
「あーあ、明日はまた当直だよ、お盆だってのによ、何でこんなに働くかね俺たちは」「そうだな、奥さん怒ってるだろう」「嫁さんは娘たち連れて実家に帰ってるよ」「また喧嘩したのか?」「またって何だよ、違うよ、孫の顔を見せに帰っただけなの」「ふーん、そう」朔太郎はさっきまでの優秀な内科医の顔とは違う一面を見せる田村が少し可笑しかった。「お前、やっぱ、変わったな」そして田村もそんな表情を見せるようになった友人を嬉しく思っていた。

朔太郎は駅までの道を歩きながらいつしか綾のことを考えてる自分に気づいた。いつものように屈託無く話す彼女の声はどこか苦しげで弱々しい感じがしていた。移植した患者の多くが移植後2週目からが一番苦しかったという印象を持つように、以前の血液の寿命が終わるこの頃に血液のすべての数値が下がり、患者は新しい血液が作られることを祈りながらただ苦しみに耐えるだけの日々を送ることになる。綾の移植から明日でちょうど2週間が経ち、普通ならばそろそろ白血球の数値が上昇を始めても良い頃だった。
改札を抜けホームに出た。そして何気なく目に入った壁に貼ってあるポスターに朔太郎の足が止まった。電車が入って来たが、それにも気づかず一心にそれを見つめると朔太郎はある決心をした。
そして次の電車がホームに入って来た時ポケットの中の携帯が鳴った。電話は明希からだった。「松本君、今いいの」「いいよ、どうしたの」朔太郎の声と一緒に駅のホームのざわめきが明希の耳に届いた。「そこ駅?今帰るところ?」「そう、今日も残業でね」「毎日大変ね、無理するとまた身体壊すわよ、この前入院したところはもういいの?痛くないの?」「大丈夫だよ、あの後少し痛んだけど今はもう何とも無いんだ」「そう、良かった、やっぱりちょっと心配かなって」「ごめん、心配させて」「もう、そうやってすぐ・・別に謝ることじゃないよ」「そうだね、悪い」「そうだよ」「で小林、何?」「うん、別に用事って訳じゃないんだけど、明日は休みでしょ、久しぶりに家に来ない?一樹がねサクは・・って言うもんだから」「ごめん、明日も出なくちゃいけないんだ、片付けなきゃいけない仕事あってさ」「じゃあ、夜は?食事だけでもしに来たら?」「夜は・・駄目なんだ、明日は・・ちょっと用事があるんだ」「そう、忙しいもんね松本君、ごめんね無理言って」「いや、無理じゃないけど・・一樹にはまた時間作るよ。小林、お盆なのに実家帰ったりしないの?お家の人、一樹の顔見たいんじゃないの」「と思うけどね・・うるさいのよ、帰ると・・。再婚しないのかとか、見合いしろとかいろいろね・・もうそんな気無いのに・・ねえ」「そうなの?」明希は一瞬返事に困った。そしてまたはぐらかすように話題を変えた。「松本君は?帰らなかったの?」「あれから家に電話したんだ。母親はねお盆にまた帰ってきて欲しかったみたいなんだけど、先月結構休んでみんなに迷惑かけたからね」「そう、患者さんの命を預かるお医者様としては仕方ないわね、じゃあ、また電話するね」「じゃあ」そう言って朔太郎は電話を切った。そしてすぐ後にホームに入ってきた電車に乗り込んで行った。

明希も自宅で受話器を置いた。「ねえ、ママ、サク明日来るって?」一樹が明希の袖を引っ張りながらせがむ様に言った。「一樹、サクねえ、お仕事だって、残念だね」「僕、つまんないよ、どうしてサクは来てくれないの?」「松本君はお医者様だからね、病気の人の為に一生懸命なの、分かってあげようね」明希には一樹の寂しさが痛いほど分かった。そしてその寂しさは自分では埋められないものかもしれないと思った。
「じゃあ、僕、病気になる。そしたらサクも来てくれるよね、ママ」「ばかなこと言わないの、一樹」明希は少し強い口調で叱るように言った。そしてすぐに一樹を抱きしめて優しく話しかけた。「ねえ、一樹、明日お爺ちゃんの家に行こうか?」「お爺ちゃん?ママの?」一樹は母親を見上げながら少しキョトンとした表情を浮かべた。「うん、電車に乗って・・、行く?」「うん、行く」電車の一言で一樹の顔に笑顔が戻った。「よーし、じゃあ早起きしないといけないから、もう寝ようか」「うん、おやすみなさい」「おやすみ、一樹」隣の部屋に向かう一樹に手を振った後明希は切ったばかりの電話機を見た。一樹の寂しさは自分自身の寂しさでもあると明希は思った。

日曜日の朝、いつものように綾の意識に微かな病棟のざわめきが届き、綾はゆっくりと目を開けた。天井を見上げながらそのままぼんやりしていると、お腹のあたりから音がして空腹感が綾を現実の世界にはっきりと引き戻した。
「お腹すいたな」綾は独り言のように呟いた。昨日でまる4日、口から何も食べ物を取っていなかった。高カロリーの点滴で栄養は十分に取れていて、意識もはっきりして体力もあったが、胃の中は常にからっぽで飢餓状態っていうほど大袈裟ではないが、それは綾の精神を貧しくしていた。昨日両親が見舞いに来ていたが、ちょっとしたことでイライラしてつい二人にあたってしまった事を思い出し、綾の心は後悔の念で一杯になっていた。
「なんであんなこと言ったかな、せっかくお父さん来てくれたのに・・ほんと悪い娘だよ」そうまた一人呟き心の中で二人に謝った。
そして何気なく窓の方に目をやると、想像もしなかった光景が目の前に広がり綾は瞼を擦りながら我が目を疑った。そしてゆっくりとベッドから起きあがると面会室のガラス窓に歩み寄った。そして恐る恐るガラス窓の向こう側を覗きこむと、壁にもたれて男性が一人眠っていた。綾はガラス窓を2回ドンドンと叩くと男性は気がつき、瞼を擦りながらゆっくりと目を開けそして綾を見上げた。
「やあ、おはよう」男性は寝ぼけ眼で綾を見て右手を上げてそう言った。そしてそのまま両手を伸ばして大きなあくびをした。
「松本先生」綾はそれ以上言葉が出ずに朔太郎を見てその場に立ち尽くした。そしてそれが二人が最初に交わした言葉だった。もちろんガラス窓に遮られお互いの耳には届かなかったが、朔太郎にも綾にも相手が何を言ったかは何故かはっきりと理解できた。

朔太郎は立ちあがり綾を見た。綾も目の前に立ちあがった朔太郎を見つめた。朔太郎の目の前にはあの時の亜紀の姿にそっくりな女の子が立っていた。綾の目の前にはどこか頼り無さそうだが、優しそうな目をした男性が頭を掻きながら立っていた。そして二人はお互いを見つめ合った。時間にすればきっと一瞬だったんだろうが、二人にとってはその時は永遠の時のように感じられた。
綾は一瞬の後我に帰り後ずさりしてインターフォンに手をかけた。朔太郎もすぐに同じように受話器を手に取った。
「松本先生」「やあ、おはよう」初めての会話もやはり同じ言葉だった。そしてそれはお互いにとってすでに聞きなれた声だった。「松本先生、これ先生が撮ったの?」「うん、そう」無菌室と面会室を隔てるガラス窓の3分の1くらいの面に、大小に引き伸ばされた色鮮やかな花火の写真が貼ってあった。それはレインボーブリッジの上の夜空に煌びやかに色とりどりの大輪の花を咲かせていた。
「これ東京湾の花火大会だ、もしかして昨日?これ先生」「そう7時から晴海埠頭で、きれいだった」朔太郎は思い出すようにそう言った。「私が花火の話したの聞いてくれたんだ先生、嬉しい・・」「びっくりした?」「びっくりするよ、だって突然なんだもん、こんなの想像もしないよ、先生」「ごめん、ごめん、そんなに驚かすつもりは無かったんだ、いやちょっとあったかな」そう言って朔太郎は首を傾げながら笑った。
「だって先生きっとお休みでMD聞いてくれるのずっと後だと思ってたから・・それに先生が会いに来てくれるなんて思ってもいなかったし・・嬉しい・・」そう言いながら綾は目に大粒の涙を浮かべ、それは拭っても拭っても止まらなかった。そして綾は起きたままの姿で朔太郎の前に立ってることにようやく気がついた。そして綾は慌ててバンダナに手をかけようとした時、インターフォンから綾を呼ぶ声がした。
「綾」「先生」「綾ちゃんはそのままでいいんだよ、気にしなくても、病気なんだから」
朔太郎はそう優しく綾に言った。「だって先生」綾はバンダナを握ったまま俯いて恥ずかしそうに言った。「綾ちゃん、俺は医者だよ、田村の前でも同じように気にするかい?」
「そんなことはないけど・・」「じゃあ、俺の前でも気にしない、いい?」「うん」そう言うと綾は笑顔を見せた。そしてその後綾は「場所は何処?カメラは何?どうして撮ったの?」と朔太郎を質問攻めにした。朔太郎も得意げに答えて二人の距離は瞬く間に無くなっていった。

続く
...2005/02/01(Tue) 13:25 ID:1BQetong    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
こんにちは、clice様
今回も展開と内容が素晴らしいです、ありがとうございます!
綾ちゃんがインタフォンに手をかけたときに、急に強い日光に照
らされました。振り返って見上げればロビーの大きなガラス窓を
通して英国の青い空とちょっと灰色の雲が流れていました。
...2005/02/01(Tue) 18:45 ID:zMu7n1f2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:kuniさん
こんにちは、clicce様
昨年12月にこのサイトをみて、再会編を読ませていただいております。本文の構成といい、描写といい、とてもすばらしく感嘆しております。物語が掲載されるたびにワードに落とし、編集して一冊の本にしております。この本がいつ完成されるのか楽しみでたまりません。娘もこの本の大ファンで、二人して掲載されるのを楽しみにしております。お忙しい中での執筆とは思いますが、身体に気をつけて、連載をお願いいたします。
駄文で失礼いたします。
...2005/02/02(Wed) 12:50 ID:24C/c6fU    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
すみません、お名前間違ってしまいました。
編集で修正してあります。
...2005/02/02(Wed) 23:53 ID:eyERxmfQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「綺麗だね先生、これ何処から撮ったの?」綾はガラスに貼られた花火の写真を見ながら目を輝かせた。「品川埠頭、近い所は人が多そうだし、どうせならレインボーブリッジも入れたかったしね。実際そこも人が多かったんだけど、三脚立てないといけないから結構早く行って場所取りしたんだ」朔太郎は明希に電話で嘘をついた事に心が痛んだが、どうしても綾に今年の夏の花火を見せてやりたかった。そしてそれは自分にしか出来ないと思った。「三脚?あっあのカメラ載せる台の事?それで撮るの?」「そう、じゃないとぶれるからね」「そうなんだ、これはデジカメじゃないよね」綾も父親に習って自宅のプリンターで写真をプリントすることがあるが、一番大きくてもA4サイズで目の前の写真の何枚かはその倍くらいの大きさがあった。
「そう、普通の一眼レフ、もちろんフイルムのやつね。昔ね、お爺ちゃんから教えてもらったんだ、撮り方」朔太郎は思い出していた、あの日の事を・・。

あれは中学2年の夏・・。「お爺ちゃん、星の写真の撮り方を教えてよ」「どうしたサク、また急に」「ボウズ達と話しててさ、秋の文化祭のクラスの発表の時に、星とか星座とかについてやったらどうかって事になってさ、で結局俺が写真撮る事になったんだよ。お爺ちゃんに教わって普通の写真は撮れるけど、夜空の写真は暗いだろ、どうやって撮るのか分からないよ」「そうかサク、じゃあ夜また来い。今日は晴れてていい星空だぞ、撮ってみるか、なあ」「うん、分かったよお爺ちゃん」
そして夜の防波堤で・・。「サク、三脚を立てろ」「分かった、こう?」「そうだ、三本とも同じように伸ばせ、そしてそのカメラを上の台にしっかりねじを締めて固定しろ」朔太郎はカメラを習って以来、最初に手にしたペンタックスSPを時々借りて使い、この日も謙太郎はそれを持ってきていた。「サク、これがレリーズだ、シャッターを切る道具だな」そう言って謙太郎はビニールのチューブの先に押すレバーの付いた物を取り出した。
「これ、お爺ちゃんがいつも写真館で写真を撮る時に使ってるやつだ」「そうだ、これをな、こうやってシャッタ−ボタンの穴にねじ込むんだ、ほら押してみろ」謙太郎はフイルムレバーを巻いて朔太郎にレリーズを持たせた。朔太郎がそれを押すとカシャっという音がしてシャッターが切れた。「ほら、切れたろ、じゃあ次はシャッタースピードの数字のところをこのBに合わせてごらん」そう言って謙太郎はカメラの上部に付いているダイヤルの数字の終わりにあるBの文字を指差した。「何、このBって」「これはバルブって言って、これにすればボタンを押してる間シャッターが閉じないんだ。夜の星空は暗いだろ、だからシャッターを長く開けてないと写らないんだよ。その理屈はサクはもう分かるだろ」「うん、なんとなく・・。じゃあ、どの位開けとくの、シャッター」「最低でも1〜2分はな、もちろん10分でも20分でもいいんだぞ。ただ星は動いてるからな、その時は星が流れて写るがそれもまたいいもんだ。まっそれはいろいろな時間で撮ってみて、経験で憶えていけばいい」「そうか、今から撮ろうよ、お爺ちゃん」そう言って朔太郎はファインダーを覗き夜空にピントを合わせた。
「じゃあ、絞りはどうするのお爺ちゃん」「鋭いな、サク。絞ればそれだけ時間がかかるからF2〜4位の開け気味でいいと思うぞ。しかしな、今教えた方法を使えばこのままカメラを水平にして夜の港や海だって綺麗に撮れるぞ。それも後でやってみるか、なあ」「じゃあ、お爺ちゃん、花火なんかの撮り方もこれと一緒なんだ」朔太郎は写真に興味が出てきてから、写真館に置いてある写真雑誌なんかを時々見るようになって、それにはよく読者からの投稿の欄に花火の写真が載っていた。
「そうだ、まったく同じだぞ。ただ花火は光が強いから絞りはF8か11で時間はそうだな、ドンと上がってから消えるまででいいんじゃないか、せいぜい5〜10秒位だな」その時の謙太郎の話を聞いて、いつか花火の写真も撮ってみたいと朔太郎は思った。

「じゃあ、これはそうやって撮ったんだ」「そう、上がったって思ってから、いちにっさんって数えてね」「でも花火だけじゃなくてレインボーブリッジを入れるところがセンスいいよね、先生」「そう?」朔太郎は綾が写真の事を理解しているのが嬉しかった。会うまでの不安はもうすでになく、朔太郎にとってはこの一時はもう亜紀といた時の自分のような気がしていた。「私も写真よく撮るんですよ、って言ってもデジカメなんだけど・・。お父さんが好きで私の写真を小さい頃からよく撮ってくれたんですよ、いつからか私も借りて友達を撮ったりして、私の部屋の壁はそんな写真でいっぱいなんですよ。でも先生も写真が好きだなんてなんか嬉しいな」そう言って綾は笑顔になった。
そして綾は何か思い出すとテーブルの引き出しからカメラを取り出してそれを朔太郎に見せた。小さなモニターに写し出される数々の写真は、移植後に起きた綾の周りのいろいろな出来事を記録していた。そしてそれを見ながら二人で笑った。
「この時の田村先生の顔可笑しいの、これがお父さんとお母さん、お母さん美人でしょ、私これでも結構お母さん似なの、今はこんなんだけど・・」そう言って綾は少しだけ俯いて寂しそうな表情を浮かべたが、すぐに向き直りまた笑顔になった。
「すぐに良くなるよ、今の腫れも顔の色も一時的なものだから大丈夫だよ、保証する」「そうかな、だって先生担当医じゃないじゃない?」綾はちょっとからかうような顔をした。「それでも保証する、不満?」「不満じゃないけど・・まっいいか、先生がそう言うなら、期待しましょう」「ああ、期待して」そう言ってまた二人で笑った。綾も感じていた。なんで会ったばかりで、また年もずっと上の男性と、ずっと前からの友達みたいにこうやって話をしているのか自分自身がとても不思議だった。しかしこの人といると心地良い、それだけは確かだった。

そんな二人のことを後ろで見ている二人がいた。「私、綾ちゃんのあんな笑顔初めて見ました」「俺もだよ、松本のあんな顔初めて見た」それは当直だった田村と夜勤の森下だった。「しかし、松本もよくやるもんだな、あんな恥ずかしい事、俺にはできんね」そう言って田村はあきれたという表情をしたが、なぜか嬉しそうだった。「あら、素敵じゃないですか、綾ちゃん嬉しいでしょうね、松本先生と会えて・・」森下はそう言って笑顔で話す二人を優しい表情で見た。「えっ、知ってたの、森下君。二人のこと・・」「田村先生、当たり前でしょう、普通気づきますよ、滅菌灯に時々MDが入っていてそれに松本先生へって書いてあるんだもん」「ばれてたんだ」田村は頭を掻くふりをした。
「注意力や観察力が必要なのはナースも同じなんですよ」「こりゃ失敬、でもいつ来たんだ、あいつ」「まだ暗いうちだったかな、受け付けで子犬のような目で頼むんだもの、松本先生、でどうぞって優しく通してあげました、これで良かったんでしょ、先生」「ああ、ありがとう」「でも松本先生と綾ちゃん、こうしてるとまるで昔からの恋人同志みたいに見えますね、でも初めてなんですよね、会うの・・」「そうでもないんじゃないか?」「どうゆう意味ですか?」「さあね」

続く
...2005/02/03(Thu) 13:36 ID:Jcrz0MHs    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
clice様
 こんばんは。2話一気に読ませていただきました。朔と綾初めて会話しましたね。しかもお互い初めて会ったのに、昔からの恋人同士な感じは、現実的には医者と患者でしかも年も離れているので、ありえないと思いますが、綾と朔に関しては関係ないですよね。これからの二人の展開楽しみにしています。それに反して、明希はちょっとかわいそうですが・・・しょうがないですね。私はたぶん朔は、綾の中に亜紀の存在を今は無意識だと思いますが、求めてるのかもしれませんね。だから、今後明希に入り込む余地は難しくなると思うのですが・・どうでしょうか?また次回楽しみにしていますので、頑張って下さい。
...2005/02/07(Mon) 03:52 ID:ZrelRHK6    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「まもなく上野です・・到着のホームは21番、降り口は左側です・・本日は新幹線をご利用いただき・・」車内に流れるアナウンスが短かった旅の終わりを教えていた。明希は次第に近づいてくる住み慣れた都会の明かりを列車の窓からぼんやりと眺めていた。
「ママ、もうすぐ上野だって」「そうだね、楽しかった?一樹、お爺ちゃんのとこ」「うん、お寺の大きな木でセミ取りしたのが楽しかったよ、僕」「また行きたい?お爺ちゃんのとこ」「うん、ママは?」「ママは・・どうかな・・行きたいのかな・・」そう言って明希は窓際の席に座る一樹を優しく抱きしめながらまた窓の外を見た。流れ去っていくビルの明かりがこの3日の出来事を、まるで走馬灯のように明希に思い出させていた。そして変わっていく運命の微かな予感に明希の心は脅えていた。

土曜日の早朝、帰省客や行楽客で賑わう東京駅の新幹線ホームに、白と青の車体に赤のラインの入った流線的なフォルムの列車がゆっくりと滑り込んできた。明希はひと列車見送って今入ってきた7時52分発のあさま553号の自由席のカラフルなシートに、一樹を連れてなんとか座ることができた。実家のある長野までは新幹線の開通で、松本経由で時間のかかった以前とは比べ物にならないくらい速くなったが、だからといって明希にとっての故郷が近くなった訳ではなかった。両親も都会で一人で子供を育てる娘のことを心配してくれて何かと言ってくるが、その気持ちは嬉しく思うもののそのことについてどこか素直になれない自分がいた。しかし先月宮浦に行った時、松本夫妻が一樹をまるで孫のように可愛がってくれたのを見て、その姿が自分の両親に重なっていた。だからふと帰る気持ちになったのかと、ゆっくりと後へ流れてゆくホームの風景を眺めながら明希は思っていた。
長野駅から地下の私鉄のホームに向かうと、ベージュに赤のラインの入った丸顔のレトロチックな3両編成の電車が発車を待っていた。「ママ、僕この電車憶えてるよ、前にも乗ったよね」「そうだよ、一樹、可愛いよね、ママも大好き」一樹は明希の手を振りほどいて車内に駆け込むと、白いヘッドカバーの掛かった使い込まれた茶色のシートに手を広げて座った。千曲川を越え学校の校庭をかすめ北須坂を過ぎた頃から、それまでのりんご畑がクリの木に変わりのどかな田園の風景が広がっていた。明希は市内の高校に通う為、毎日のようにこの電車に乗り同じ風景を眺めてきた。都会に憧れた高校時代、ただの田舎の風景にしか映らなかったこの景色に今はなぜか心癒される感じがしていた。
「着いた、降りよう、一樹」散策の観光客に混じってホームに下りると、照りつける太陽を遮る木製の屋根の間を信州の爽やかな風が吹き抜けていった。発車のベルが鳴り電車がゆっくりと動き出すと、一樹は立ち止まり振り返って、山に向かって真直ぐに走り去っていく電車をいつまでも見つめていた。「行こう、一樹」そう明希が呼ぶと一樹は走って明希の手を握り、そして並んで改札口へ歩いて行った。

駅前の通りを抜け角を曲がり少し歩くと、古い街道沿いにある白壁の土蔵と趣のある瓦屋根の古い建物の前に出た。微かに香る懐かしい匂いに足を止め、また歩き出そうとした時後から呼ぶ声がした。「明希ちゃん?」その声に振りかえると「やっぱり明希ちゃんだ、お久しぶり、元気そうね」店の中から出てきた品の良さそうな婦人が話しかけてきた。「こんにちは、おばさん、ご無沙汰してます」「もうすっかり都会の女性ね、素敵になって・・この坊やは明希ちゃんの・・?」婦人は男の子を見て明希にそう訊ねた。「ええ、ほら一樹、ご挨拶は?」「こんにちは」一樹は頭を下げ婦人に挨拶をした。「そう・・・ちょっと待ってて」そう言うと婦人はまた店に入っていき、誰かを呼ぶ声がした。そしてすぐにシャツとネクタイ姿に藍染めの半纏を着た、日焼けした顔が精悍な感じの男性が飛び出してきた。
「明希ちゃん」その男性は明希を見てそう呼んだ。「高岡君?」明希は目の前に現れた男性を驚きの表情で見つめた。その男性の半纏には高岡味噌醸造の白い文字が入っていた。
「高岡君、どうしたの?お店継いだの?あんなに嫌がってたのに・・」高岡健一は小学校からの同級生で、長野市内の同じ高校に通った明希のボーイフレンドだった。そしてこれは健一にとっても明希にとっても思いもかけない再会だった。
「ああ、結局ね・・明希ちゃんこそ、帰省でこっちに?でも何年振り?10年・・いやもっとか・・。大学の時、高校の同窓会で会ったきりかな」そう懐かしそうに考える仕草をすると健一は明希を見た、そして隠れるように後に立つ一樹に目をやった。「その子は明希ちゃんの?」「そう、一樹って言うの」「そうか、結婚したんだ、そりゃそうだよな」健一は一人納得するように言って「それで、今は名前は何て・・」そう聞いた。
「小林なの、今も・・」明希は明るく振舞うようにしてそう答えた。「えっ」健一は一瞬その意味が分からないという顔をした。「別れたの、でもその時もうこの子がお腹にいて・・それで一人で・・」「そうか、そうだったの」健一は納得したというよりほっとした表情を浮かべ、そして思い直したように明希に話した。「ねえ、明希ちゃん、時間あるんだろ?」「うん、今駅に着いたとこ」「じゃあ、ちょっと寄っていかないか?」「えっ、でも」「いいから、ほら入って」そう言うと健一は明希の手を引いて暖簾をくぐった。

太い柱や高い天井が歴史を感じさせる店内には、いろいろな種類の味噌が樽に入ったまま置いてあって、それ以外にも味噌を加工した数々の商品が豊富に並べてあり、老舗の重厚感と現代的なセンスが調和した落ち着いた雰囲気を形作っていた。今も観光客らしい数人の年配の女性が見本の味噌漬を口に運び熱心に品定めをしていた。
「なんか、変わったね、昔はただのお味噌屋さんって感じだったのに」そう言って明希は店内を感心しながら見回し、そして健一を見た。「あっ、ごめん、私ったら」「いいよ、その通りだから・・、俺も嫌だったんだ、古臭くて、しかも田舎だろ、ぜったい後なんか継がないって思ってたし」「いつも言ってたもんね高岡君」「ああ、こっちに座って」そう言って健一は店の奥の椅子とテーブルのあるコーナーに二人を案内した。そこは民芸調にアレンジされたちょっとしたギャラリーのようになっていた。
「ここでお客さんに休憩してもらったり、試食してもらったりしてるんだ」そう言って健一はそこから見える店内を感慨深そうに眺めた。「昔はただ広いだけだったからね・・親父が身体を壊して入院してさ・・4年前なんだけど、蔵の方は職人がいるから大丈夫なんだけど、経営の方がお袋一人じゃ大変なんで結局帰ってきたんだ。親父も今じゃすっかりぴんぴんして今も蔵で仕込みしてるよ。でお前の好きなようにやってみろって言われて、蔵にあった昔の道具なんかを飾ったりして、店内を今みたいに改装したんだ。どう?」
「うん、いいと思うよ。なんかすごく落ち着いてて、ちょっとお洒落な感じがして素敵だよ。センスいいね高岡君」「お客のニーズや経営の事なんかも都会で会社勤めした経験がすごく役に立ってるんだ。昔は卸がほとんどだったけど、今はこうして一般の人に買ってもらって、結構遠くから来てくれる人も多いんだ。またネットでホームページを立ち上げてからは、通販も増えたしそれでここを知ってくれたお客さんも多くて、これからは田舎が不利っていう事は無いと思うんだ」そう真剣な表情で話す健一が明希には眩しく見えた。
「ふーん、頑張ってるんだ・・高岡君、結婚は?したんでしょう?」明希はそう言って店内を見回したがそれらしい人はいなかった。「それが・・まだ一人なんだ。なんか仕事に追われてて暇なくてさ」健一はそう言って照れたように頭を掻いた。
そうしてるうちに健一の母親がお茶とお菓子を持って現れた。そして手持ち無沙汰そうにしてる一樹に差し出した。「はい、一樹君、どうぞ」「ありがとう」そう言って一樹は出されたロールケーキを美味しそうに頬張った。
「明希ちゃん、健一ね、あなたより素敵な人が現れないからってまだ一人なのよ、どう思う」そう言って母親の美津子は明希にお茶を差し出しながら二人を見た。「お袋、何ばかなこと言ってんだよ、ほらお客さん呼んでるぞ、・・とにもう」健一は照れてあせりながらそう言った。「何言ってるの、私が呼び止めたから久しぶりに会えたんでしょ、あなた達」「いいから」「はいはい、明希ちゃん、ゆっくりしてってね」そう言って美津子はもう一度息子の顔を横目で見ながらカウンターへ戻っていった。
「そうなの?」明希も健一の顔を覗きこむようにして意地悪っぽく聞いた。「君までなんだよ」健一の顔は照れて真っ赤になっていた。明希はすっかり逞しくなった幼馴染のそんな姿に、一緒に過ごした日々の甘酸っぱい思い出が蘇るのを感じた。そしてしばらく世間話をした後明希は席を立った。
「じゃあ、そろそろ行くね、私」「待って、送るよ」そう言って健一は母親に何か言ってばたばたと出ていき、すぐに車を店の前に回した。二人を乗せた車はのんびりした町並みを抜け穏やかな栗畑が見渡せる一軒の家の前に止まった。
「ありがとう、高岡君」「明希ちゃん、いつまでいるの?こっちに・・」車を降りた明希に健一は真剣な表情で聞いた。「2・3日かな」「明日、時間あるかな?会えないかな?また・・」車越しに真直ぐに自分を見て話す健一に明希の心も動いた。
「うん、電話して」そう明希は優しく答えた。「分かった、電話するよ、じゃあ」そう言って健一は車を出した。走り去っていく車を見送った後、一樹の手を引いて玄関に向かって歩き出した。

「んー気持ちいい」明希は里山から広がる栗畑を眺めながら、両手を組んで大きく伸びをした。寺から町へと続くこの小道は、明希の家にも続いている二人にとって歩きなれた思い出の詰まった場所だった。
「一樹君はよかったの?」「高岡君とって言ったらうちの両親が相手してくれるって、久しぶりに孫が来て嬉しいのよ」「俺、昔の信用はまだ生きてんだ」「そうみたいね」
「よく歩いたよな、ここ」道にせり出すように枝を伸ばした木立を見上げながら、健一は懐かしそうに話した。「わざわざ遠回りしてね」明希もそんな健一を見ながら笑顔で言った。「だって駅から真直ぐ歩けば俺んちの前を先に通るからさ、それじゃもう送れないだろ」「そうだね」明希もその頃を懐かしく思い出していた。
長野市内の同じ高校に進学した二人は、毎朝同じ電車で通学し帰りも放課後それぞれの部活の後、待ち合わせて同じ電車で帰って来た。そして明希を家まで送って帰るのが健一にとっては日課のようなものだった。「考えたらいつも一緒だったよね、私たち・・。高岡君の部活が遅い時なんか、よく駅前の本屋で立ち読みしながら待ってたりしてたよね」「そうそう、で俺が来たら、明希ちゃんがこれ読むまで待ってとか言って、で俺もまた別の漫画読み始めて、結局いつも電車乗り遅れてたっけ」「懐かしいね」「ああ、でも俺は幸せだったよ、そんな毎日が」「私もかな、ねえ、もしかしてまだやってるの?野球」
「やってるよ、町の商工会の若手が中心で草野球のチームを作ってるんだ」「日焼けしてるからそうじゃないかなーってね」「明希ちゃんは、テニスはやってないの」「大学の時はね、ちょっとやってたんだけど、今はね、全然」「そう、もったいないな、うちの野球部やサッカー部の連中はみんな君に憧れてたんだぜ」「ほんとに?」「そうさ、俺なんかいっつも冷やかされてたんだから」「私にじゃなくスコートに・・じゃないの?」「かな」健一は首を傾げ少しおどけて答えた。「・・とにもう」明希も少し脹れた顔をして、そして笑った。
「でも、それはほんとだよ、あの頃の君はほんと可愛くてさ、陰で泣いたやついっぱいいると思うよ」「あの頃は?」明希は健一の顔を覗きこむようにして言った。「訂正、今もです」「よろしい」明希は満足そうな顔をして「でもそれは高岡君もだよ、バレンタインデーの時、女子からいっぱいチョコもらってたでしょ、鞄に隠してたの知ってるよ」「ばれてた」「ばればれだよ」「なんで別れちゃったのかな、俺達」健一は遠い目をして呟いた。「そうね、なんでだろ、きっと近すぎたのかな、私達」明希も雲の流れる空を見上げながらそう呟いた。

少し歩くと宿場町の名残を漂わせる白壁の土蔵や、格子戸のある古い家並みの続く通りへ出た。街道沿いには酒蔵や商家が立ち並びかつてのこの町の繁栄を今に伝えていた。日曜日ということもあって散策の観光客とも時折すれ違った。
「こうしてると俺達も散策に来た夫婦か恋人同志に見えるのかな」健一は横を歩く明希を見てそう言った。「そうかもね、おもいっきり地元なんだけどね」そう言って明希も笑いながらこの一時を楽しんでいた。「でも、変わったろ、酒蔵や俺達地元で昔から商売してる連中が中心になって始めた町興しも軌道に乗ってきて、もともと寺や古い町並みが残る
雰囲気のある土地だったし、今は結構訪れる人も多くなったんだ」「そうだね、あの頃は都会に憧れてたからそんな良い所が見えなかったのかもしれないね」「それは俺もだよ」「それってさ、私達、歳を取ったって事?」「それを言うなら大人になっただろ」「そうか、そうだね」明希はそんなふうに感じた自分が少し可笑しかった。「でも俺、帰ってきて良かったって思ってるよ。明希ちゃんは東京だけど、俺は関西の大学に行っただろ、家の仕事あれだけ嫌ってたのに就職したのが結局食品メーカーでさ、その時味噌が日本人にとってどれだけ大事か、親父が作ってる味噌がどれだけいいかやっと分かったんだよ、だから今はこの仕事にやりがいを感じてるんだ」「なんか素敵になったね、高岡君」「えっ今が?」「はい訂正します。あの頃も素敵でした」「よろしい・・ってね」「もう」そう言って二人で笑った。その姿はあの頃と変わらない仲のいい恋人同志そのままだった。
「食事しない?この先の酒蔵に素敵な店が出来たんだ」「知ってる」「じゃあ、決まり」
そう言って二人は石畳の歩道を少し早足で歩いた。

続く
...2005/02/07(Mon) 13:19 ID:NL.ZQFKw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
健一と明希は食事をしグラスを傾けながら懐かしい思い出話に時を忘れた。この17年の歳月は二人が積み上げてきた時間の前に一瞬で過去になっていった。
店を出て少し歩くと通りの角に石のご神体が祭ってある一画があった。「あっ市神さま、お祈りしない?」「じゃあ、俺も」「よくお祈りしたよね、テスト前に」「でもこれ商売繁栄を願ったものじゃなかったか?」「いいの、願いは届くんだから」そう言って手を合わせる明希を見て、健一は明希が今何を思っているのか知りたかった。そして健一も願っていた。ずっと思い続けた女性と再びめぐり合った幸せを、そしてその願いが叶うことを・・。

二人はまた少し歩き千曲川沿いの道に出た。所々の中州と流れる清流の向こうに北信五岳の山々が変わらない故郷の風景を二人の前に見せていた。道沿いの桜並木の下に来たとき、健一は立ち止まりその風に揺れる木立を見上げそして明希を見た。
「明希ちゃん、俺後悔してるんだ。君が東京へ行く日、ここで自分の気持ちをちゃんと言えなかったこと・・・なんで平気な振りなんかしたんだろうって、手放したらそれで終わりだって分かってたのに」「高岡君・・」川面に目をやってそう話す健一の告白を明希は何も言えずに黙って聞いた。「大学に入って俺もまた恋をしたし、明希ちゃんもそうだと思う、それでいいと思ってたんだ、でも違ってた。俺の心の中にはずっと同じ女性がいて、俺はその女性のことが好きで、その女性じゃなきゃだめなんだってやっと分かったんだ」「お袋の言ったことは本当なんだ。誰と会っても君と同じように話せないし、君と一緒だった時のようには笑えないんだ」そして健一は向き直り明希を真直ぐ見て言った。
「帰って来ないか、今日みたいにもう一度俺の前で笑ってくれないか、そして俺の仕事手伝ってくれないか・・女将さんとしてさ」明希には目の前の健一が一瞬朔太郎に見えた。
ただ一つ違っているのは17年間思い続けて、その真直ぐに見た先にいるのが死んでしまった恋人ではなく、今ここにいる自分自身だということだった。
「高岡君、一樹がいるのよ、私」「うちはさ、古いだけで別に旧家でもなんでもないし、親父もお袋もそんなこと気にする人じゃないよ。それにお袋は昔から君のこと気に入ってたし、君が一人だって知ってお袋喜んでたんだぜ」「一樹君には、俺、冬になったらスキー教えてやるよ、ここじゃそれが父親の仕事だからな、なっそうだろ」明希は健一の突然のプロポーズにしばらくの間言葉が見つからなかった。
「俺、取引先回りに月に一度東京に行ってるんだ。また会ってくれよ。返事はその時でいいからさ、ただ一つだけ分かって欲しいんだ。俺、明希ちゃんのこと幸せにするからさ、必ずするからさ」健一は真直ぐ明希の目を見てそう言った。
「ばか、もう、強引なんだから」明希はやっとのことでそう言った。
「いつからこんなに強引になったの?前はそんなじゃ・・」「商売を自分でやるようになってからかな、チャンスは逃がしちゃだめだってね」健一は今までの真剣な表情からまたいつもの笑顔に戻った。「ばか」明希は潤んできた瞳をさっと拭うと優しく微笑んだ。

「まもなく東京駅に到着いたします。到着のホームは21番、降り口は左側です。どなた様もお忘れ物の無いように・・」明希達を乗せたあさま502号は高層ビルの間を抜け、段階的な微かな減速のショックを感じさせながら、滑るように東京駅の新幹線ホームに入っていった。プシューというドアの開く音と共に帰省客や出張のサラリーマン達が次々とホームに降り立っていった。「さあ、降りよう、一樹」「うん」明希は一樹を連れて列車を降りた。「何かお腹すいちゃったね」「僕も」「何食べようか」「僕、ハンバーグ」「そっか、王子様はハンバーグか、ようし行こう」そう言って明希は一樹の手を握り出口へ向かって歩き出した。

続く
...2005/02/07(Mon) 13:25 ID:NL.ZQFKw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
こんにちわ。今回のお話、明希の話でしたね。明希にもこんな幼なじみがいる設定は私としては、ちょっとほっとしています。なぜなら、昨日お話したように朔も綾もお互い好きになっていくような感じがしたからです。そうなると明希がかわいそうな気がしたので、こういう幼なじみの男性が登場する事は、明希も幸せになれるようでとても良かったと思いました。しかし裏を返せば、明希と朔は結ばれないという解釈でよろしいのでしょうか?
...2005/02/07(Mon) 14:01 ID:ZrelRHK6    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
立て続けのアップお疲れさまでした。
明希がどちらを選ぶか?気になる展開になってきましたね。
一樹の気持ちが大きなカギを握っていると思います。
...2005/02/07(Mon) 18:20 ID:JTycUfhI    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
こんにちは、clice様

「松本経由で時間のかかった以前とは比べ物にならないくらい...」
う〜ん、意味深です。
明希の帰省編を読みながら、昔は松本にも止まってたよねと思って
いたのですが..、これから物語の流れが大きく変わるのでしょうか?
続編を待つ楽しい時間が続きます。
(今、思い起こしますとドラマ本放送時の1週間は待ち遠しくまた
苦しかった日々でした)
...2005/02/09(Wed) 08:27 ID:JorcNuME    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「あなた、お代わりしましょうか?」「あっ、頼む」そう言って正信は和子に茶碗を差し出した。綾の白血球の数値が上昇して2・3日の内にも生着が確定しそうだと聞いて、夫婦二人きりの広沢家の食卓もいつもより明るい雰囲気が漂っていた。「今日、帰り際に田村先生と少し話せたの、先生今のところは順調だって言われてたわ。今日の検査で白血球の数値が1000を超えたからもう生着は間違い無いだろうって、良かったわね、あなた」そう言いながら和子は正信によそった茶碗を渡した。
「じゃあ、あと少しであの部屋からも出れるかもしれないな」「小野田さんのお嬢さんは移植からちょうど3週間目だったって、個室に移ったの」「でもまだあの病棟にいるんだろ、その人」「ええ、そこから先はなかなか大変みたい、やはり身内からの移植の方が快復は早いみたいね、でもいいじゃない、綾にとっても、私達にとっても1歩前進よ」和子はそう自分を元気づけるように言った。「そうだな」正信は長かったこれまでを振りかえった。しかし、移植が受けられなければ決して到達できない、快復への確かな証である生着も、今はまだ通過点の一つに過ぎないこともまた確かな事だった。

「はい、あなた、お茶」和子は食事を終えて拭きあげたテーブルの上に冷えた麦茶のグラスを並べた。「綾ね、あの日以来ご機嫌なのよ」「ああ、花火の写真か」「今日もずっと見てたわ、あの子」日曜日に面会に行った二人は、面会室のガラスに貼られた大小の花火の写真を見て驚いた。綾に聞いてもニコニコして秘密としか言わず、日直の看護師も知らないようで、その日は狐につままれたような感じで帰宅していた。そして和子は昨日なんとか綾からこれまでの事を聞き出し、デジカメに残ったその時撮った朔太郎の写真も見せてもらっていた。「あの子がそんなことしてたなんてね・・」和子は頼まれて綾の部屋からMDに取り付けるマイクと新しいMDを持って行ったが、いったい何に使うんだろうと不思議に思っていたその訳がようやく分かった。
「でどんなやつなんだ、そいつ」正信は綾が医者の誰かとこっそりMDで声のやり取りをしていたことが、心配というより少々ショックで一人娘を持つ父親としては当然の反応だった。「写真で見る限りでは優しそうな人よ、田村先生の大学の同期で病理っていう組織検査などを担当するお医者さんなんだって」「田村先生と同期って、あの先生30過ぎだろ、綾はまだ16だぞ」「あら、あの子、あなたが思ってるよりずっと大人よ、それにあの頃って年上の男性に憧れるものよ」「そうかもしれないが・・」「でも、あなただってもし今入院したら、若い看護婦さんにポーっとなるんじゃないの」和子は夫を横目で見ながら皮肉っぽく言った。「ばっばかなこと言うなよ、そんなことある訳ないだろ」正信はあせって否定したが「どうだか・・」和子には図星に思えていた。
「そうは言っても心配は心配だから、今日その事を田村先生に聞いてみたのね」「それで先生なんて」「そりゃびっくりしますよね、私もやるもんだなーと思いましたって笑ってらしたけど、大体の事情を話してくれたの、先生私に・・」

「それで綾さんにはG−CSFという白血球を増やす効果のある薬を投与していて、毎日の検査結果でも白血球の数値は確実に上昇してきています。明日、明後日と更に数値が上昇すれば移植したドナーの骨髄が綾さんの身体に生着したと思って間違いないと思います。そしたら週末までには無菌室を開放できるかもしれません。よく頑張りましたね、綾さん」田村は無菌病棟入口の横にある相談室で和子に綾の状況を伝えていた。「ありがとうございます、先生」「ええ、でもまだ移植後の一つのステップをクリアーしたに過ぎません。でも大きな前進ですよ、まだまだこれからですが一つ一つクリアーして行きましょう」そう田村はいつもの淡々とした口調で話した。
「先生、実はもう一つお聞きしたい事があるんですが」そう和子は田村に切り出した。「何でしょうか?」「はい、あの、松本先生という方の事なんですが、その方どういう・・綾からは昨日少し今までの事を聞いたんですけど、日曜日は私達びっくりして・・綾はニコニコして秘密とか言ってるし・・」和子はそう聞きにくそうに話した。
「花火の写真の事ですよね、そりゃびっくりしますよね、私も見たときはあいつもやるもんだなーって思いました。ご両親が心配されるのは当然だと思います」そう言って田村は急に真面目な顔をした。
「彼は・・松本は私の大学の同期で、この病院で病理医という患者の身体から採取した組織細胞を顕微鏡で観察して病気の種類などを特定するセクションの医師をしています。だから綾さんからマルクで採取した細胞組織の検査も彼のところが担当します。うちのような規模の病院でも病理医の数は少なくて、我々や患者さんにとって彼は頼りになる存在なんです」「そんな先生がどうして綾のことを・・」「実はあいつ、昔自分の恋人を白血病で亡くしてるんです。医者になったのもそれが動機みたいですが、ちょうど綾さんと同じくらいで、しかも似てるんだそうです。その彼女が綾さんに・・それで他人事に思えなかったんじゃないでしょうか?綾さんの入院はあいつが休暇中だったんで、後でカルテを見て歳が近いんで気になって見に来た時、そのことに気づいたそうです」田村は和子の心配を解消する程度に真実を話した。「あいつはその時のことで、本人はもちろん周りの人たち、特にご両親の苦しみは嫌というほど知ってると思うんです。だから綾さんにはなんとしても助かってもらいたい、誰よりもそう願ってると思います」「そうだったんですか」和子は田村の話でその医師が綾に優しくしてくれる理由が分かったような気がした。
「でも綾も同時にその先生のことが気になったんですよね、それはなぜでしょう?」「それは分かりませんが、あいつに何か感じるものがあったんじゃないでしょうか?異性に興味を持つのは大体最初は理由なんか無い気がします。でも綾さんにとって耐える以外に無い今の状況で、松本の存在はとても大切なものになってると思いますよ、それは分かってやって下さいお願いします」田村は医師としてではなく個人として和子に頭を下げた。
「そうですね、それは分かります、あの子の顔を見てると・・恋をしてる顔ですものね。安心しました。話していただいて・・正直明日が分からない今のあの子がそんな気持ちを持ってるっていうだけで、母親としては嬉しい気がします。どうもありがとうございました」和子は自分の娘が好意を持っている男性が、娘のすべてを理解してくれる人であることが分かっただけでも嬉しかった。
「でも綾はまだそのことは知らないんですよね、そんなことは話してませんでしたから」
「松本が話すか、綾さんが聞くか、いずれ知ることになるんでしょうがそれは二人の問題ですから、今はできればそっと見守ってあげて下さい。でも優秀で優しいほんといいやつなんですよ、あいつは」

「と言う訳なの、それであの写真も綾を喜ばそうと思って撮ってくれたのよ。素敵じゃない、嬉しいわよ女としては」そう和子は田村から聞いた事情を夫に話した。
「じゃあ、なんで俺に頼まないんだよ、土曜の花火大会の日だって病室に行ったじゃないか、俺だってあのくらいの写真撮るのは簡単だぞ」正信は悔しそうに文句を言った。「何、あなた妬いてるの?あの日は綾イライラしてそんなこと頼むような雰囲気じゃなかったでしょう。それに松本先生だって綾に頼まれた訳じゃないのよ、夏休みなのにずっと病室に居て、外に出ることもできない綾だから、それで花火を見せてあげたいって思って撮ってきてくれたんでしょう。そんな綾の気持ちに気づいた先生の勝ちね」父親としてライバル心を燃やす夫の気持ちが分からなくもなかったが、あからさまに悔しがるその姿は見てて少し可笑しかった。
「でもほんとに素敵な写真だったじゃない、優しい人なんじゃないの?」「それはそう思うよ、さっきは簡単って言ったけど、実際はあれだけの写真を撮るのはそう簡単な事じゃないよ、それに撮ったやつの人柄は絵に出るしな」正信は自分で撮る状況を想像してその人のことが少し理解できそうな気がした。「そう、それは良かったわ、綾も今度誕生日が来れば17歳、少しづつ大人になっていくわ、でも誰かさんのお陰で少々ファザコン気味だし、誰かさんは娘離れができそうもないし、今から大変ね」和子は空になったグラスを流しに運びながらそう言った。
「なあ、和子、来年綾と一緒に3人で花火大会を見に行こう、なっ」正信は台所に向かってそう言った。「そうね、あなた、楽しみね」和子は洗い物をしながらそう答えた。

続く
...2005/02/10(Thu) 11:01 ID:z/KIornA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
kuni様、プリントアウトしていただいて恐縮します。Marc様、遠い空の下で読んでいただけること嬉しく思います。いつも感想を頂くけん様、hiro様、SATO様、グーテンベルク様、そして不二子様ありがとうございます。
今だ移植後18日目ですが、なんとか前には進んでいるようです。ここまで結構書いてきた気がしますが、これからのエピソードのメモを見てるとついため息が出ます。なんかどんどん長くなっていってるような気が・・・。そんな訳で1話でも多く、また早くアップしたい気持ちが先行して、いつもこういう形でのご返事をお許し下さい。
Marc様が仰っていたように、ドラマ放映中は一週間がとても長く感じましたが、今書いている3日ぐらいの間隔が自分にはとても長く感じています。書き終えるのはいつだーと思うとやはり少々ため息が出ます。それでもドラマ1クール11話(最終回拡大版)に置き換えると8話くらいには来ているようです。書いていて特に意識はしていなかったのですが、振りかえればなにかドラマのようなパターンを描いているような気がしてきました。ならばこれから畳み掛けるような展開が・・(いったい何の話なんだこれ?)というようにいけば面白いんでしょうが、これまで通り丁寧には書いていきたいと思います。
明希の帰省は書いていて楽しい時間でした。健一と歩く明希は本来はこんな感じなんだろうなと、自分で書いていて変ですが妙に納得しています。どうして長野なのと聞かれれば、桜井幸子さんの明希のイメージがなんとなく自分の中では、信州の澄みきった水と空気とそして大地を感じさせるものがあったので、とりあえずこの話の中では長野です。というか他の所が思い浮かびませんでした。実は登場する人物の名前も綾以外はほとんど最初に頭に浮かんだ名前を使っています。もし名前で人物のイメージが想像できるならば・・あんな感じです。高校時代の明希は頭の中では高校教師の時の桜井さんが動いていました。朔も最初は緒形さんだけだったのですが、綾との時間が過ぎていくうちに微かに山田君が重なってきています。
健一はそれぞれ好きな俳優さんをイメージしてもらえたら嬉しいですが、自分の中では葛山信吾さんがイメージかもしれません。これが東幹久さんになるといよいよラストが分からなくなりそうです。これからもできるだけ早く書いていきたいと思いますので、読んでいただけると嬉しく思います。
...2005/02/10(Thu) 13:53 ID:z/KIornA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
こんばんわ。毎回楽しみに読ませていただいてます。今回のお話は綾の両親の会話でしたね。綾の父親の反応私は、まだ独身で子供がいないのですが、なんとなくわかる気がします。父親としては寂しいかもしれないですね。これから、どのような展開になるか楽しみです。
 それと私も明希のイメージは、桜井幸子さんのイメージですね。もちろん朔は緒方さんと山田君で綾はもちろん綾瀬はるかちゃんですね。あと田村は江口洋介さん・綾の両親は、ドラマのイメージで手塚さん・三浦さんかな。そして、健一は上川隆也さんなんてどうでしょう。長丁場になるそうですが、マイペースで執筆活動頑張って下さい
...2005/02/11(Fri) 23:47 ID:moz4.j4I    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
綾の両親ですが、綾本人がで母親のことを「高島礼子似の美人」と紹介していたので、母親は高島礼子さん、父親は村田雄浩さんをイメージしています。このお二方、お酒のCMで息の合った夫婦を演じていましたもので・・・これは私のイメージに過ぎませんので、悪しからず。
...2005/02/12(Sat) 00:05 ID:7vT.cc8s    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
木曜日の午後、綾は起こしたベッドにもたれてぼんやりテレビを見ていた。天気予報では台風の情報を伝えていたが、日本海へ進んだ台風へ吹き込む南風でこの日の東京は、お盆を過ぎたというのに猛烈な残暑に見舞われていた。病室の窓から射し込む光の強さでその事が綾にも微かに感じられたが、エアコンの効いた無菌室の中ではこうしたテレビの映像か母親や看護師達との雑談の中でしか季節を感じる事ができなかった。
綾はまた窓に貼られた写真を見た。すっかり日も落ちて人ごみの熱気の中、時折吹く海風の心地よい涼しさを感じながら、次々と打ち上げられる色とりどりの花火を見上げている自分を想像した。浴衣を着て人ごみの中で離れないようにしっかりと手をつないで歩く。ドンという大きな音に立ち止まり見上げると空一面を覆うように光の花が咲き、続いてバリバリという音とともに赤や黄色や青の光のシャワーが夜空を覆う。人々のざわめきと歓声の中ふと隣に目をやると、花火を見つめる瞳がその光に輝きその優しそうな横顔が赤く染まっていた。つないだ手の彼の温もりに安心を感じながらまた見上げる空に眩い光とともに一際大きな花が咲いた。

「綾ちゃん・・綾ちゃん」薄っすらと呼ぶ声に振りかえると「綾ちゃん、聞こえてる?」森下がビニール越しに呼びかけていた。「あっ、森下さん」「どうしたの、ぼーっとしちゃって」そう言って森下は綾が見ていた窓際を見た。「ふーん、そうか、ごめんね、入ってる世界を邪魔しちゃたみたいね」綾はそう言われて一瞬の後その意味を理解して顔を赤らめた。「もー違うって、そんなんじゃ・・」綾は手を振って必死にごまかした。「どうかな?」「もー森下さん、意地悪なんだから」綾は俯いてもじもじした。
「では改めて、広沢さん、午後の検温ですよ」森下はそう真面目な口調で言った後微笑んだ。「もー森下さん・・」綾も笑顔を見せた。
「綾ちゃん、おめでと、もう生着間違いないみたいね。休み明けで今日来たら綾ちゃんの血液データが一気に上がってるんだもん、びっくりしちゃった。顔の腫れも少し引いた?」森下は日曜日の夜勤明けの後から昨日まで夏休みを取っていたが、3日ぶりに見た綾の顔の腫れも幾分引いてそのきれいな顔立ちが戻ってきてるように感じた。
「うん、口内炎も喉の腫れも少し良くなって来てるみたい。またご飯少し食べれるようになったんですよ」綾は嬉しそうに言った。「そう、良かったわね。早く3食とも食べれるようになってこれ取れるといいね」そう言って森下は吊るされた栄養剤の点滴を見た。
「じゃあ、そろそろお引越しかな?」白血球の数値が上昇して2000を切らなくなると、生着が確定したとして患者の無菌室から準無菌室である個室への移動が決まる。
「うん、朝、田村先生からもそう言われた。今日の検査結果を見て週末の無菌室開放を決めようって、それってそこから先に出られるってことですよね」そう言って綾はビニールが切れた先の床に引かれた赤いラインを見た。森下も綾の目線の先を見た。無菌室の入口は特にドアなどある訳ではなく、透明なビニール製の仕切が一部切れて開け放しになっていた。ただ室内のエアコンから常にフィルターを通した清潔な空気が外に出ていく為、エアカーテンのように外の空気は逆流しない仕組になっていて、床の赤いラインだけがそこから先が患者にとって別世界であることを示しているだけだった。出ようと思えば簡単に踏み越えられるその線の先は、前処置から生着までの過程にある患者の今までの努力をすべて無駄にする場所で、中に居る患者にとってそのストレスは想像できないくらい大きいだろうなと森下は思った。
「綾ちゃん、そこから出れたら何を一番にしたい?」森下はそう綾に聞いた。「お風呂、ここに入る時薬湯に入ったじゃないですか、そこにまた行けるんですよね?思いっきりシャワーを浴びたい。そこカーテンすると狭くて・・それにこれもあるし」そう言って綾は部屋の角にある収納式のシャワー台と胸から延びる4mの点滴のチューブを見た。「そうね、4mラインはたぶん明日くらいには取れるんじゃないかしら、そしたら点滴台を持って移動できるようになるから行動範囲もぐっと広がるわね」そう言って森下は無菌室の中を見た。「でもこの病棟の中だけですよね」綾はそう聞いた。「当然、でもすごいことよ、それ」森下はきっぱりとそして優しく言った。「ですね、窓から直接外が見てみたいな」そう言って窓の方をまた見た。

「あれから松本先生には会ったの?」森下は唐突にそう聞いた。
綾は振り返り「ううん、でもMDはまたもらった。森下さん知ってたんだMDのこと・・田村先生が森下君にばれてたごめんって言ってた」綾は今度は恥ずかしがらずにそう言った。「ほんと、しっかりばれてました。最初に私に聞いてきた時からそうなのかなって・・、でも綾ちゃんが頑張れたのは松本先生のこともあるのかもしれないかな。でどうだったのこの前話した時?」「なんか不思議なんですよ、直接話すのもちろん初めてなんだけどなんか全然そんな気がしなくて・・。それに年上のお医者さんと話してるって感じもあんまりしなくて、田村先生とはまた別の感じ。なんか昔から知ってる人みたいな感じだった。変でしょう?」綾は森下に自分の中の不思議な感覚を伝えようとするが上手く言葉に表現できなかった。「それは私も感じたな、すごく仲良さそうだったもの綾ちゃんと松本先生」綾は驚いた顔をして「えー森下さん見てたんですか?」「だって話しに夢中で気がつかないんだもん二人とも、田村先生が「面会時間じゃないですよ」って止めなきゃ昼まででも話してそうだったもんね」「えへへ・・・じゃまた来るっとか言ってこそこそ帰る先生可笑しかったですね」綾は照れ笑いをした。「ほんと、子犬みたいよね」「あっそれ言えてるかも、今頃くしゃみしてますね松本先生」自分の前で見せた朔太郎の人懐っこい笑顔を綾は思い出していた。「そういえばあの時、田村先生変な事言ってたのよね」森下が思い出したように言った。「変な事って?」「二人があまりに自然に見えたから、会うの初めてなんですよねって言ったら、そうでもないみたいなこと言ったのね、どうゆう意味なんだろうね」綾は意味が分からないという顔をした。「でも時々いない?会ったその日に友達になっちゃうような人って」森下は少し弾んだ声でそう綾に言った。「いるいる」綾も同じように答えた。「そんな人って自分に似てたり価値観が一緒だったりするのかなって思うけど、どっかでつながってる部分があるのかもしれないね」そう森下はしみじみとした感じで話した。
「先生、最初に綾ちゃんに何て言ったの?」森下は綾に優しくそう聞いた。「松本先生、寝ぼけ眼で、頭掻いて「やあ、おはよう」って多分・・」「多分?」「うん、だってガラスで聞こえないから」「あっそうか」森下は面会室を仕切るガラス窓を見た。
「うん、そう言ったと思う。インターフォンで話しても最初は「おはよう」って・・なんかいい言葉ですよね「おはよう」って・・。飾らなくて、でもどんな言葉より近くに感じられて私大好きなんですよ。だから先生がそう言った時、私なんか嬉しくって感動しちゃった」そうはにかみながら話す綾を森下は優しい目で見た。
「良かったね」「うん、でもまた会いに来てくれるかな、松本先生」綾は俯いてそう呟いた。「来てくれるんじゃない、だってばれちゃったし・・あっいけない、ちょっとお喋りしすぎたかな、じゃあお大事に」そう言って病室を離れる森下に綾は手を振った。
今の森下との会話で綾はまた朔太郎と話した時のことを思い出し、つけっぱなしにしていたテレビを消してMDプレイヤーに手を伸ばした。イヤホンを耳にはめてスタートボタンを押した。
「松本朔太郎です。なんか朝早くに行ってびっくりさせたみたいでごめんなさい。でも少しでも早く見せたかったし、やっぱり驚く君の顔が見たかったのがほんとの気持ちです。それにあの時間なら誰にも会わないし・・でもいい大人としては少々非常識だったと反省しています。でも君の嬉しそうな顔が見られて本当に良かったです。
しかし、その後お家の人びっくりしたよねきっと、その事は田村から聞きました・・・」
実際に会ってから聞く声は、想像してた時と違って話す時のちょっとした仕草が思い出されてより朔太郎を身近に感じさせた。そして綾の胸を少しだけ絞めつけた。

続く
...2005/02/15(Tue) 17:30 ID:Lflt.8hQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
こんばんは。グーテンベルクです。もう一つの結末(再会編)、いつも楽しみみしております。綾ちゃん、ついに無菌室から準無菌室へと移れましたね。まだまだ乗り越えなければならない試練はたくさんありますが、読んでいる私は少しホッとしました。もうすぐ執筆開始から3ヶ月ですね。これからも無理をせず頑張ってください。
...2005/02/15(Tue) 19:50 ID:lfLrShRg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
こんばんわ。けんです。いつも楽しみに読ませていただいています。綾ちゃん、無菌室から出られそうで良かったですね。これを機に徐々に病気が治ってくればいいですね。それと同時に綾と朔の関係も日増しに親近感が湧いてきている感じがしていいですね。これからの展開楽しみにしていますので、頑張って下さい。
...2005/02/16(Wed) 23:27 ID:jzLimg6s    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
土曜日の朝、綾はいつもより早く目を覚ました。昨日の検査結果で今日の午後から無菌室を開放にすると決まったことが嬉しくて、遠足の前の小学生のように興奮してなかなか寝つけないまま朝を迎えた。
入院してからすぐに個室でのアイソレーターの中での治療が始まり、そのまま7月半ばにはこの無菌室に移った為、綾は実際にはこの病棟の中を自分の足でほとんど歩いていなかった。1ヶ月以上もベッドの上に居れば普通はどんな人でもすぐには歩けないものだが、長い点滴のチューブのお陰で狭い無菌室の中は自由に歩けたし、またそうしないといけなかった為、綾の足の筋肉は普段鍛えていたこともあって歩けないほどには落ちていなかった。そして今週に入って白血球が増え始め、週末ぐらいには無菌室から出れるかもしれないと聞いてからは、無理しない程度に軽いストレッチングで身体を慣らすことを始めていた。そして今朝もベッドの上でゆっくりと身体を動かした後、自分の足で歩けることを再確認するようにベッドから降りて下半身を慣らしていった。

「おはよう、綾ちゃん」「あっ先生、おはようございます」綾は読んでいた雑誌をテーブルに置いて田村を見上げた。「今日は調子良いみたいだね」「あれ先生、分かります?」「そりゃ分かるさ、今雑誌読んでただろ?」「うん」「今みたいにテーブルの上に雑誌や小説があれば調子が良い。漫画だったらいまいち調子が良くない、何も無いとぐったりモードの1日ていう感じかな、だろ」「うーん、観察力鋭いですね、先生」綾は感心するような仕草をして田村を見た。「いちおう医者だからね、で何読んでたの?」そう田村に聞かれて綾は読んでいた雑誌の表紙を見せた。その表紙にはバトンを持ってガッツポーズでゴールラインを駆け抜ける少女の写真が載っていた。
「陸上の雑誌か・・さすが体育会系少女だね」「これでも勉強も得意なの」綾は顔を膨らました。「失礼しました、で・・」「今月号。お母さんが買ってきてくれたの。見てたらみんなすごいなーって思って」綾はそう言ってパラパラとページをめくった。「走りたいかい?」高校女子のレースの写真のページを見つめる綾の瞳を見て田村は聞いた。「うん、だって私もここにいたんだなって思うと、やっぱりね」そう言って赤いトラックの写真を見つめた。
「あっでもこれも見てたんだよ、先生」そう言ってオリンピック完全ガイドと書かれた付録の小冊子を見せた。「そうか、綾ちゃんは何応援してるの?」「それはやっぱり女子バレーでしょう。大友愛選手のファンなんですよ私、先生は?」「僕?やっぱりメグ・カナかな」「あー先生、おじさんっぽい」そう言って綾は横目で田村を見た。「なんだよ、それ」「えへへ、でも韓国に負けちゃったから、後がないから心配。でも明日のケニア戦は絶対勝つ」そう言って綾は拳を握った。「力入ってるねー、でも明日はいよいよ女子マラソンだろ?日本では夜中か」「うん、それは当然。絶対金メダル取ってもらいたいですよね、やっぱり。森下さんは名前が同じだから野口選手を応援してるって」「そうか、森下君、瑞希だったねそう言えば」「私は坂本直子選手に頑張ってほしいな、坂本選手もお父さんが市民ランナーでそれで走ることに興味持ったんだって、そんなとこ私と一緒だし、だから」そう言って綾はベッドサイドの写真立てを手に取った。
「いつかお父さんとフルを走りたいな。この写真の河口湖も私は11kmのファンランだったし、お父さんは私とホノルルを走るのが夢みたい」田村は微笑みながら写真を見つめる綾の瞳の中に微かな憂いを色を感じた。
「走れるさ、ちゃんと良くなったら、今日はその第1歩だろ。午後食事と薬が終わったら出てみようか、歩けるかい?」「うん、大丈夫。朝も少し慣らしたし、これでも鍛えてるんですよ私」そう綾は力強く言った。「ころんじゃだめだぞ」血小板の数値はまだ低く綾の身体はちょっとした衝撃で内出血を起こしやすい状態だった。しかしそれは綾も十分理解していて常に注意を心がけていた。「もー、ころばないって、先生」「なら安心、それとこれからの事だけど、個室への移動はちょっと予定が延びたので来週になってからかな。それと白血球の増加で感染リスクが減ったから、食べ物の制限も一部緩和できるようになるし、食事も夕食からは普通の加熱食に変わります。うがい薬もイソジンだけでいいかもしれないね」そう聞いた綾の表情がみるみる変わった。「えっ、じゃああのシロップはもういいの?先生」綾は恐る恐る田村に聞いた。「そう、もう止めてもいいかな」「やったー」綾は両手を握って喜んだ。「ほんと嬉しそうだね、そんなに嫌いだった?」「好きな人いる?でも偉いでしょ、ちゃんとやったよ私」少し誇らしそうな顔で田村を見た。「あと、部屋に物を持ち込むのももう滅菌しなくて大丈夫だよ」「ほんとに、先生」「ああ、食べ物以外はね、制限が緩和できるものについては後でその表を君とお母さんに渡すようにするよ」「やったー、先生大好き」そう言って綾は笑顔で田村を見た。「おっ、いいね、この位でそう言われると・・。じゃあ退院って言ったら結婚してって言われるかな?」そう言って田村は綾の顔をビニール越しに覗き込んだ。「それは言いません」綾はそうきっぱり言うとまた笑った。

綾は鏡と何度もにらめっこをしながらこのところのお気に入りの青のバンダナを頭に巻いた。髪を切って無菌室に入った時は、そんな自分の姿が嫌で常にバンダナを巻いていたが、次第に面倒になり恥ずかしさもいつしか薄れて、完全に髪が抜け落ちた最近ではそのままの姿でいることも多くなっていた。「最近女の子捨ててたからな・・これから気をつけなきゃ」そう独り呟くと、ピンクのパジャマの襟を直しながら「よし」と自分にOKを出した。
点滴の4mラインはすでに昨日外され、今は通常の点滴棒からのラインに換えられていた。綾は右手で点滴棒を握ると床の赤いラインの前に立った。そして深呼吸すると左足でそこを踏み越えて、点滴棒をカラカラと押しながらしっかりとした足どりで無菌室ブロックのフロアに出た。するとその瞬間見守っていた看護師達が一斉に拍手をして口々に「おめでとう」と声をかけ、綾の無菌室脱出を暖かく祝った。綾は想像もしていなかった出迎えに驚きと感激で一瞬立ち止まり、そして笑顔で「ありがとうございます」とみんなに挨拶した。

「綾ちゃん、おめでとう。ここまで良く頑張ったわね、お母さんも外で待ってるわよ」森下が近寄りそう声をかけて病棟のフロアに続く自動ドアの方を見た。「森下さん、ありがとうございます、私おかしくないかな」そう言って自分の姿を森下に見せた。「似合ってるわよ、可愛いわよ、綾ちゃん」綾は森下にそう優しく声をかけられ、次第にこみ上げる気持ちが押さえきれず瞳を潤ませた。「あっごめんなさい、泣けてきちゃった」そう言って左手で涙を拭おうとするが、涙の雫は次々と瞳に溢れ綾の頬を濡らした。
「ほらほら、泣いてたらみんなに笑われるわよ」そう言って森下は綾にハンカチを渡して二人で出口へと歩き出した。
自動ドアが開きフロアへ踏み出すと綾はまた一斉に拍手で迎えられた。目の前に和子と田村が立ち、取り巻くようにレジデントの医師や看護師、そしてすぐ前にある一面ガラス張りのラウンジのようなデイルームと呼ばれる休憩所にいた患者たちがまた「おめでとう」と声をかけてくれた。その中の年配の男性患者が「お嬢ちゃん、頑張ったな、おめでとう」とまるで自分の娘を見るような優しい顔で綾に声をかけた。綾は声にならず何回もみんなに頭を下げた。そして綾は母親を見た。和子も目の前にしっかりとした足どりで立つ娘を見た。
「綾」「お母さん」和子は歩みより、そしてその存在を確かめるように娘をしっかりと抱きしめた。生きている、私の娘は生きている、回した腕と身体に感じる娘の温もりが長かった日々の辛さを一瞬で消し去った。綾も母親の温もりを懐かしむようにまたその胸に抱かれた。そして和子は取り巻く人々に向かって「ありがとうございます。皆さんのおかげです。本当にありがとうございます」と何度も何度も頭を下げた。

「綾ちゃん、どうかな?地球に戻ってきた感じは」そう言って田村は綾の前で右手を上げた。綾もその意味を一瞬で理解して右手を伸ばしハイタッチをした。
「うーん、重力を感じますね」それは綾にとって素直な感想だった。「なかなかナイスな答えだね、綾ちゃん」そう言って笑った後田村は綾に目配せをして廊下の先を見た。
そこには白衣を着た男性がじっとこちらを見つめていた。綾はそれが誰であるかすぐに分かった。そして朔太郎に向かって右手を伸ばして満面の笑顔でVサインを出した。
朔太郎も右手を伸ばして親指を立てた。廊下で隔てた20mほどの距離は、この前ガラスを隔てて会った時よりもさらに二人を身近に感じさせていた。
和子が綾の目線の先の男性を見て「だあれ?」と綾に聞いた。綾は小さな声で「松本先生」と和子に答えた。そして和子はその男性に頭を下げると、朔太郎も和子に向かって深深と頭を下げた。

続く
...2005/02/18(Fri) 13:28 ID:BZhfAftM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜clice様〜
ご無沙汰しております。
「綾」も「物語」も、ある一点へと向かう様子が読んでいて大変感慨深く、思わずキーボードを叩いてしまいました。この様子を何と説明したらよいか、分かりません。分かりませんが、実に爽やかな気持ちです。
もしかしたら「書くこと」において喜びを表現するのは、苦悩を描写する事よりもずっと難しい作業ではないかと想像致します。風の様に自然と流れてきた、この暖かい空気を感じて、まるで病院の外の萌える緑と青い空が見えるようでした。
大きなループを描いて辿り着く場所を、この目で見極めたいと思います。
どうか、お身体に気を付けて執筆下さいませ。
...2005/02/18(Fri) 14:52 ID:ll8GAoEs    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
こんばんわ。けんです。今回の話綾ちゃんとうとう無菌室から出られましたね。これで退院への一歩前進ですね。綾と母のシーンはとても感動しました。まるでドラマの一シーンをみている感じでした。それと朔と綾もこれからは、もっと親密になるような感じがして今後が楽しみです。では、体に気をつけて執筆活動頑張って下さい。
...2005/02/22(Tue) 01:57 ID:MVzA89C2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:kuniさん
こんにちは、kuniさんです。綾ちゃんが無菌室を出たシーンを思うと我が子のことのようにうれしく思っています。これで亜紀さんのことを少しは吹っ切れるのでしょうか。また、明希さんとの展開も少し気になります。まだまだ、寒い日が続きますがお体ご自愛の上、執筆活動に励んでください。続編を子供ともども楽しみに待っています。
...2005/02/22(Tue) 10:04 ID:1xEhsxU6    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
無菌室から出てきた綾と朔太郎の20メートルの会話が微笑ましく、感動的でもありました。
...2005/02/22(Tue) 21:49 ID:.liclPII    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「公園の緑がきれいだね、先生」綾はデイルームの窓際に朔太郎と二人立って外を眺めていた。病棟の建物のちょうど端に位置するこの場所は、南と西に向いた2面をガラス窓で覆われて、病院の敷地に道路を挟んで隣接する公園の風景が一望でき、この無菌治療病棟に入院する患者やその家族にとっての憩いの場所になっていた。本棚には小説やエッセイなどの読み物と一緒に、病気や薬の副作用についての本も並べられて自由に閲覧することができ、患者や家族にとってのコミュニケーションの場でもあった。北海道に再上陸した台風も東に抜けて気温もわずかに下がり、土曜日のこの時間東京も爽やかな青空に包まれて、この部屋も午後の明るい光に満ち溢れていた。綾は入院以来初めて自分の足でこの場所に立ち、目に入るものすべてが新鮮で言葉に表せないくらいの開放感と安らぎを感じていた。

「あっジョギングしてる、いいなあ」公園脇の歩道を外国人の女性が帽子の後ろから束ねた金髪をなびかせて軽やかな足どりで駆け抜けていった。「先生はジョギングしたりしないの?」綾は隣に立つ朔太郎にそう話しかけた。「俺?うーん、全然」「だめですよ、お医者さんは体力勝負なんでしょ、自分の健康は自分で守らないと」綾は諭すような口調で言い「はい」朔太郎は素直に頷いた。「よろしい・・・って病気の私が言っても全然説得力無いですね」そう言って綾は朔太郎を見て微笑んだ。『朔ちゃん、ご飯ちゃんと食べてる?運動はしてる?』朔太郎は綾を見ながらまるで亜紀にそう言われているような気がした。そしてこんなふうに亜紀のことを思い出したことは無かったように思った。「そんなことないよ、俺も考えなきゃな」「ほんと?」綾は朔太郎の顔を覗きこんだ。「私が治ったら一緒に走ってあげようか、どう、皇居1周とか・・ねっ先生?」綾はニコニコ顔で言った。「えー1周っていったい何キロなの」「1周はねだいたい5キロぐらい、楽勝でしょ」「どこが・・」「えー楽勝じゃない、お父さんとよく走りに行くんだ・・っていうか好きなのお父さんが、ほらあそこお父さん位の年齢の人が沢山走ってるじゃない、だから寂しく無いんだよねきっと・・それにすぐライバル意識燃やすし、負けず嫌いだからうちのお父さん」「好きなんだ、お父さんのこと」「うん、大好き」綾は明るくそう答えた。朔太郎は亜紀のことを思い出していた。父親のことを嫌っていた亜紀、不器用で厳しく接することでしか愛情を表現できなかった父親、しかし誰よりも娘のことを愛してた父親の本当の優しさを、亜紀は残り少ない時間の中で初めて知ったのかもしれない。もしもこの娘が亜紀の魂を受け継いでいるのなら、そのすれ違い失った時間を埋め合わせるように今を生きているのかもしれないと朔太郎は思った。いや、きっとそうであって欲しいと・・・。

「綾ったらあんなに楽しそうに・・いったいどんな話をしてるのかしら、あの子」和子はデイルームに設けられた席から窓際で楽しそうに話す二人を見ていた。「ほんとですね、何を話しているのか、あいつ」田村もそう言って目を細めながら二人を見た。
「あの子、一人っ子なので父親が可愛がっていつも友達のようにしてるんですけど、あの子のあんな表情を見るときっと妬きますね、あの人」そう言って和子は微笑んだ。
「田村先生はお子さんは?」「ええ、娘が二人います。まだ3歳と1歳ですけど」「じゃあ、今が可愛い盛りですね。でもそのうち大変に・・」「ですかね、でもその気持ちはなんとなく分かるな・・でもまだまだ先ですから。上の娘は母親の真似をして私のこと俊ちゃんって呼びますからね、全然父親の威厳はないですよ。でも年頃になると話もしてもらえなくなるんでしょうか、それも寂しいですけどね」「そんなことありませんよ、きっと。綾はいつも言ってますよ、田村先生は優しくて面白いって」「面白いですか・・そうですね医者は患者を笑わせてなんぼだと思ってますから、私」和子はそう言いきる田村が可笑しくて思わずクスッと笑った。「あっ可笑しいですか?でも笑うことは患者の免疫力を上げる働きがあるんですよ、私はそう思っています」田村はそうにこやかな表情で話した。「いえ、私良かったと思ってるんです、綾がこの病院に入院できて本当に・・。田村先生のような方に診て頂いて、あの子がここまで来れたのも先生や皆さんのお陰ですから、もし厳しい現実ばかり突きつけられたらあの子も私達もきっと耐えられなかったと思うんです」それは和子にとって偽らざる気持ちだった。綾が苦しい治療の中でも笑顔でいられたのは、つねに明るく接してくれる医師や看護師の人たちの優しさと励ましがあったからなのだという事を。
「でもまだまだ厳しいですよ、これからも」田村は急に真面目な顔をして言った。「今は薬を使って白血球を増やしています。それで細菌に対する抵抗力は増えますので感染症のリスクが減り、今日は健常者並の数値ですからこうして無菌室からは出ることができましたが、これはまだ本物ではないんです。薬を止めればすぐに1000位まで数値が下がります。それから自分の力で増やしていけるかどうかが今後の課題ですね。それと生着してからはもう一つの問題が出てきます」「GVHDの事ですね」和子も他の患者の家族と話したり、正信とネットで調べたりしてだいたいの事は知っていた。「そうです。移植されたドナーの正常な血液の細胞が綾さんの身体を異物、即ち敵と見なし攻撃を始めるいわゆる拒否反応の事なんですが、その為に移植するHLAが細部まで一致してる事が望ましい訳で、この差が大きいほどそれが起きるリスクが高まります。幸い綾さんとドナーのHLAは非血縁者間としてはこれ以上無いくらい一致していますが、もちろんまったく同じではないので、GVHDは何らかの形で必ず出てきます。急性のものは皮膚や肝臓、消化管を標的臓器として発症します。しかし綾さんの場合、移植後3週間たって今のところ急性の重篤なものは出ていませんから、1ヶ月経って出なければ100日までに出る可能性はわずかだと思います。しかしその後は慢性のGVHDが現れてきます。そちらは病変が多臓器にわたりますし、場合によっては長い戦いになるかもしれません。その為に免疫抑制剤でコントロールしているのですが、まったく出ないとこれがまた問題なんです」「再発ですか・・」和子にとって絶対に医師から聞きたくない言葉だった。「そうです。皆さん良く勉強されますからね」そう言って田村は何気に本棚の方を見た。
「再発は移植前の治療で根絶できなかった白血病の細胞が再び増殖するからなんですが、ドナーの細胞は残った悪い細胞を敵と見なし攻撃しますので増えることができなくなります。これをGVL効果と言いますが再発の予防効果があり長期存命に重要な役割をします。だから理想は患者の身体に障害が起きない程度にGVHDが出るのが一番良いんですが、それには個人差があって今の時点ではなんとも・・どちらにしてもそれを上手くコントロールしていくことが大事で、予防しながら現れる症状に一つ一つ対処していくしかありません。これから先はあいつがたよりですね」そう言って田村は朔太郎を見た。「松本先生がですか?」和子も娘と仲良さそうに話すその医師を見た。

「GVHDが綾さんに今後どんな形で現れるか分かりませんが、発症した場合その部分の組織を切り取って生検と言われる病理診断をするんですけど、その診断を担当するのが松本のいる病理検査室です。この前もお話しましたが、あいつああしていて結構頼りになる男なんです。うちだけじゃありませんからね、内科、外科の各部門問わず彼らが患者の病巣の組織を顕微鏡で調べ確定診断を下し、我々担当医はその診断を基にその後の治療方針を決定する訳ですから、あいつがいないと困りますね」田村は友人を持ち上げる訳ではなく、医師として正直な感想を和子に話した。確かに母親に心配させないよう援護する気持ちはもちろんあったが・・。

「でも皇居の周りを走るのは私も結構好きなんだ。軽いアップダウンもあるしずっとお堀沿いに走るから気持ちいいんですよ。三宅坂から警視庁の辺りなんか眺めがすごくいいし、お父さんは消防庁の前あたりの風景が渋くて好きみたい。でもいろんな人が思い思いのスタイルで走っていてほんと楽しいんですよ。先生もきっと好きになると思うけどな」そう言って綾は遠くを見るような目をした。朔太郎はそんな綾の横顔を見た。それは教室で、帰り道で、防波堤でいつも隣にいた亜紀の横顔そのままだった。ただ似ているだけではない、彼女のちょっとした仕草が亜紀を感じさせた。不思議だった、自分の隣で笑顔で話す綾を見てると、17年という時間などまるで存在しなかったかのように思えた。朔太郎の瞳に薄っすらと涙が浮んだ。朔太郎は視線をそらし綾に気づかれないようにそっと拭った。
「あれー先生、目赤くなってるよ」綾は朔太郎の顔を覗きこんだ。振り向いた朔太郎の目は赤く潤んでいた。「ごみが入ったんだよ」朔太郎は慌てて言い訳をした。「嘘だ、ここクリーンルームだよ、先生」綾はからかうような口調で言ったあと微笑んで「ありがとう、松本先生・・・実は私もさっき泣いちゃったんだ。先生がどうして私のことを気にかけてくれるのか聞いてみたいけど・・」「綾ちゃん」朔太郎は綾を見た。「でも、今はいい、こうやって会いに来てくれるだけで嬉しいから・・でもいつか教えて、ねっ」そう言って微笑む綾に朔太郎は小さく頷いた。
「でも一緒に走るのは約束しよう、先生」「えー俺はいいよ」「写真のお礼に私がコーチしてあげるから」「いいって、じゃあ考えさせて」「だーめ、はい約束」そう言って綾は指切りの仕草をした。綾の勢いに押しきられた朔太郎は仕方なく右手の小指を差し出した。綾の細い指が朔太郎の指に触れた。二人はつないだ手を小さく上下に動かして指切りをした。「やったー、楽しみだなー」そう言って綾はまた窓の外を見た。

「あいつ、何してんだか」田村の目に窓際で指切りをする二人の姿が入った。和子は綾が自分から小指を差し出すのを見ていた。「ほんと、何を約束したんでしょう。でもどんな約束でも今のあの子にとってはきっと希望と同じですから」和子はそう言って二人を見た。「そうですね」田村も同じ気持ちだった。「さて、そろそろ邪魔しますか、あのままにしてると夜まで話していそうだから」「そうですね」和子もそう言って微笑んだ。
そして田村が席を立とうとした時、看護師の浦田が二人の座ってる席にやってきた。
「田村先生、婦長が呼ばれてます」「どこ?」「一般病棟のナースステーションです」「分かった、じゃあ浦田君、広沢さんをそろそろ病室に」そう浦田に指示をして和子を見た。「それでは広沢さん、私はこれで」「どうもありがとうございました」和子は立ち上がると深深とお辞儀をした。田村は二人に目をやったが声をかけずに廊下を出口に向かった。

「綾ちゃん、本当に走るの好きなんだね、陸上やってるんだって、どんな種目なの?」「私は中長距離、どっちかと言うとトラックより一般路の方が好き。景色が変わっていくのと風を感じられるのが好きなんですよ、だから駅伝が一番好き」「短距離は?100mとか」「100mですか?嫌いじゃないけどちょっと苦手なんですよ、クラウチングスタート。だってドキドキするんだもん・・あれ」「ふーん」朔太郎は亜紀の練習を手伝った放課後を思い出した。「何ですか?」「いや、同じ事言うなって思ってさ」「誰と?」「友達、高校の時の・・その人も陸上部でね、短距離だったから」朔太郎はしみじみとした口調で話した。「その人、先生の彼女?」「えっ」綾はそんな朔太郎の表情から図星だと思った。「あーやっぱり彼女なんだ、その人どんな人?可愛かった?今どうしてるの?」綾はまたからかうような表情をしてニコニコと朔太郎に詰め寄った。
その時浦田が横に来て声をかけた。「綾ちゃん、今日はこれくらいでそろそろ病室に戻ろうか」「えーまだいいでしょう?」「だーめ、先生もそう仰ってるから、これ以上はもう疲れるから・・具合悪くなったらまた出れないわよ」浦田はそう諭すように言った。
「そうよ綾、無理しないで」和子も横に来てそう言った。「もー、大丈夫なんだけどな」綾は顔を脹らましながら朔太郎を見た。朔太郎も優しく頷き、綾も諦めて「じゃあ先生、また」そう言ってまた点滴棒を押しながら、浦田と一緒に無菌室ブロックの自動ドアの向こうに消えた。朔太郎と和子は振り返りながら手を振るそんな綾を並んで見送っていた。

「ねえ、綾ちゃん、松本先生といつの間に仲良くなったの?あの写真、松本先生が撮ってくれたそうじゃない、ねえ、教えなさいよ」浦田は朔太郎が最初に病室を訪れた時、噂をした当の本人だった。「えへへ、秘密です」「えーなにそれ、教えなさいって」「どうしよっかなー」「まあいいわ、部屋に戻ったらちゃんとうがいと手洗いしなさいよ」「はーい」綾はニコニコ顔でカラカラと点滴棒を押しながら病室へ戻っていった。
 
続く
...2005/02/24(Thu) 10:10 ID:0JsvpOM.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「綾ったらあんなに嬉しそうにして・・松本先生、今日はどうもありがとうございました」和子は朔太郎に丁寧に頭を下げた。「綾さんの回復も順調みたいで安心しました。それに私の方こそお邪魔したみたいですみません」朔太郎も頭を下げた。「いえ、綾の為にいろいろしていただいて、主人はちょっと妬いてましたけど、素敵な写真をありがとうございました」そう言って和子は微笑んだ。朔太郎も照れて頭を掻きながらまた頭を下げた。そして和子は朔太郎を見て「先生はお時間よろしいんですか?」そう訊ねた。「ええ、大丈夫ですけど」「そうですか、良かったら少しお話してもよろしいですか?」「はい」朔太郎はそう答えて二人は窓際の席に座った。
3組ある席のひとつには30代の夫婦の姿があった。和子はその男性を時々見かけていた。いつもスーツ姿だった為営業マンだろうかと思っていたが、横にいる女性はパジャマ姿で短く刈った髪に白いニットの帽子をかぶり、これから彼女の前処置が始まるのだろうかと和子は思った。テーブルの上で手を握り合う二人の指に銀色の指輪が光っていた。

「先生が綾にいろいろ良くしてくれる訳、田村先生から聞きました」和子は率直に話した。「ええ、私もその事は田村から聞きました。彼に話したのも最近になってからなんです」朔太郎も素直に答えた。「お気持ち良く分かります。辛い思いをされたという事、今の私には痛いほど・・正直、綾がこんな事になるまではドラマの中の出来事のような、自分には関係ないまるで他人事のように思っていたんです。それがいざ自分の家族に降りかかると、こんなにも残酷で辛い現実なんだという事が初めて分かって正直気が変になりそうでした。でもあの子の母親は私だけなんだから、私が挫けたらあの子はどうなるの、頑張らなきゃって・・それで今日までやってこれたようなものです」和子はなぜか初めて会うこの男性に自分の気持ちを正直に話した。医師としてではなく、同じ現実を体験した者同士分かり合える気がした。
朔太郎も和子と話していて亜紀の母親の綾子を思い出した。こうやって病院の待合室で何度も話した。毎日の看護で疲れ果てていても、娘の回復を信じ気丈に、そして優しく亜紀を見守っていた。いつも笑顔で接してくれて時には慰められもした。自分が亜紀の側にいることができたのも綾子の優しさと強さがあったからだった。そんな母親の辛さと悲しみを自分は今まで考えたことがあっただろうか・・・朔太郎は自分を諭した父親の言葉の意味が今になって分かる気がした。

「先生はご出身はどちらですか?」「私は四国です。愛媛県の松山はご存知ですか?」「ええ、場所は・・よく小説やドラマの舞台なんかになりますよね、あの『坊ちゃん』で有名な」和子はテレビドラマで見た風景を思い出そうとした。「その松山から海沿いに北に30キロちょっと行った所にある宮浦という小さな港町です。すぐ近くに今治という少し大きな街もありますけど、のんびりした静かな町で、夕日が海に沈むのがとってもきれいなところです」朔太郎はそう言いながら思い出していた。亜紀と一緒に防波堤から見た夕日を・・・。「じゃあ高校まではそちらに・・」「ええ、大学はこっちに、田村とは同じ大学で同期なんです」「先生はやはりその方の事があったから医者の道に進もうと思われたんですか?」「はい・・僕は彼女の為に結局何もしてやれなかった気がするんです・・だから、遅いかもしれないけど自分の力で彼女を奪った病気と戦ってみたかったんです。その時はそれが彼女にできる自分の精一杯の事だと思ったから・・」朔太郎は目を落とし、そして窓の外を見た。鳩が2羽並んで窓を横切り飛び去るのが見えた。
「それで綾のことを・・綾似てるんだそうですね、その人に・・」「ええ、彼女が入院したのも高校2年の夏でしたから」朔太郎はそう言って目の前の女性を見た。和子の目元や面影は確かに彼女が綾の母親だということを示していた。
綾と亜紀、同じ姿をしたこの二人が和子と綾子というそれぞれ別々の母親から生まれたという事実をどう説明したらいいのだろう。偶然・・奇跡、それとも運命・・朔太郎にはまだその答は分からなかった。

「私最近、綾は見えない何かに守られてるようなそんな気がしてるんです。最初はもちろん混乱してそんなことも考えられなかったのですが、この病院に入院できたこと、普通では助からないかもしれない状況からすぐにドナーの方が見つかって移植が受けられたこと、そして先生や田村先生のような方に出会えたこと・・普通ドナーの方が見つかってもその方の意思の確認や手続きでかなり時間がかかるそうなんですよね、それがまるで待ってくれてたかのように最短で移植まで進んで、誰に聞いても普通は絶対に有り得ない事だって・・・。
皆さん移植まで何回も何回もコーディネイトを重ねて、やっと移植に漕ぎつけてある方がほとんどなんですよね。それからすると綾の場合はまさに奇跡としか言い様がない気がします」そう言ってふと先ほどの二人を見た。あの女性はドナーが現れるのをいったいどのくらい待ったのだろうか、ご主人はその間どんな思いで妻のことを見守ったのだろうか・・。もしこれから移植なら成功して欲しい、今日の綾のように再び手を握れる日が来ればいいと和子は思った。
「綾さんを守っているものがあるとすれば、それはやはりご両親の愛情なんだと思います。綾さんから聞きました。お母さんは毎日側に居てくれるって・・だから安心できる、寂しくないんだって・・。だから辛い治療も乗り越えられたし、そんな母親の愛情が綾さんにとっての一番の支えなんだと僕は思います。彼女の母親も彼女のこと本当に毎日毎日、朝も晩も付きっきりで介護していました。もう心身共に疲れ切ってさっき仰られたように気が変になりそうな毎日だったかもしれません。それでもいつも明るく笑って、そして僕を励ましてくれました。本当に優しい素敵な人でした。彼女は死んだけどそんな両親の愛情を最後までいっぱい受けて、幸せだったんじゃないかと今は思います」
そんな母親から病気は亜紀を奪っていった。彼女にとっての17年はいったいどんな時間だったんだろうかと朔太郎は今思い始めていた。

「松本先生、今日はありがとうございました。これからもあの子の話し相手になってやって下さい。どうやらあの子先生のこと気に入ったみたいです」そう言って和子は微笑んだ。「はあ」朔太郎はまた頭を掻き、そして和子を見た。「僕も綾さんには元気になってもらいたいです。いや絶対にそうならなきゃいけないんです。彼女の人生はこれからなんですから・・」「そうですね、ほんとに・・」
朔太郎を見送った和子は二人が見ていた窓に立って外を見た。太陽はまだ高く夏の午後の光が街を照らしていた。公園沿いの歩道を若い夫婦が歩いていた。父親が小さい子を抱き、幼稚園くらいの女の子が母親と手をつないで、もう片方の手にしっかりと風船の紐が握られそれが風に揺れていた。和子はそんな姿を見えなくなるまでずっと見つめていた。

その日の夜、綾は少し熱を出した。そして彼女の身体に微かなGVHDの兆候が現れ始めた。

続く
...2005/02/24(Thu) 10:14 ID:0JsvpOM.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
こんにちは。グーテンベルクです。執筆お疲れ様です。骨髄移植後に発生する様々な問題、まだまだ綾の闘病生活は続くようですね。私も職場にいるかつて臨床検査技師だった方に聞いてみましたが、移植後、拒絶反応で命を落とすこともあると聞きました。今後、綾がどのよな経過をたどるのか、心配して見ております。clice様のこの作品、とても素晴らしい作品になると思います。これからも頑張ってください。
...2005/02/24(Thu) 16:54 ID:4yBzgBlY    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「おはよう、綾ちゃん。気分はどう?」「おはようございます。お腹の具合が相変わらず良くないみたい。吐き気もまたひどくなって昨日の夜も吐いたんだ」「下痢は?」「ひどくはないけど続いてる。吐き気や下痢は良くなったと思ってたんだけどな」そう言って綾はベッドから身体を起こした。「そうね、先生もお薬で様子を見ようって仰ってたから大丈夫よ。あっ写真、きれいに張ったね」「いいでしょう、森下さん」そう言って綾はベッドの横の壁に貼った花火の写真を見た。1ヶ月以上を過ごした無菌室と昨日さよならしてこの個室に移っていた。無菌病棟内に個室は4床あってそれぞれのベッドにアイソレーターが設置され準無菌室として機能していた。そのためアイソレーターは無菌室と同等のクラス100環境を作り出せ、窓側も無菌室と同じく二重になっていて、部屋に家族が入れない状態ではここで面会ができるようになっていた。
「こうして近くで見ると大きいね」森下は貼られた2枚の写真を覗きこんだ。「これ四つ切って言うんだって、お父さんが言ってた」「お父さんはこの写真を見てなんて?」「いいんじゃないかって気にしてない素振りだったけど、あれは相当気にしてるね」「良く分かるのね」「だって長く娘やってますからね」「そうね」森下はまた夜空に色鮮やかに大輪の花を咲かせた写真を見て微笑んだ。

「でも、どう新しい部屋の感想は?」「ここ最初に入った302の部屋と同じですよね、でもあの時はこのビニールが全部出てて、なんかテントの中にいるような感じだったから部屋の広さが全然実感できなくて、なんかやっと普通に入院してるって感じです。それにお布団がふかふかなのが嬉しいな、無菌室のベッドはちょっとカチカチだったんですよ、だからちょっとセレブな気分」綾は部屋の中を見まわしながら森下に話した。「そうね」森下もそれは知ってたのかクスッと笑った。「でも、一番はこうやって直に部屋に来てもらえることですね。やっぱりお母さんがうれしそう」綾はしみじみとした感じで言った。「普通はどんなに病気が重くてもそれが当たり前なんだけど、綾ちゃんが経験したことは普通じゃなかったからね。でもここもあんまり長くは居れないかもよ」「えー移ったばっかりなのに」「病院はそんなとこなの。すぐじゃないわよ、でも次は4床でそれで経過が良ければ晴れて一般病棟へお引越しね、廊下が綾ちゃんを待ってるわよ」「ですね、早くそうなるといいな」綾は顔を上げてその時のことを想像した。
「そうだ、森下さん、これ見て」そう言って綾はベッドサイドのテーブルの上からアルバムを手に取って森下に渡した。その中には朔太郎が撮った花火の写真と一緒に、綾が移植後に撮り溜めた数々の写真がプリントされて貼ってあった。「お父さんがプリントしてくれたの、森下さんの写真もありますよ、でも先生も看護婦さんたちもみんなガウン着てマスクしてるから誰が誰だか良くわかんないけど」ページを開くたびに綾が過ごしてきた時間がリアルに切り取られていた。綾にとって移植から後の無菌室でのこの3週間ほどの出来事は、まるで夢の中の出来事のように思えたが、こうして写真を見るとそれが事実だったとあらためて実感することができた。
「じゃあ、ちょうど良かったわね、はいこれ、綾ちゃんが無菌室を脱出した時の記念写真」そう言って森下は四角い封筒を綾に渡した。「あっこれ森下さんと並んで撮ってもらった時のだ、森下さんやっぱり美人ですね、スタイルいいもの、もてるでしょ、なんで独身なの?」「綾ちゃん、触れてはいけないことを言ったわね、それあげない」「やーごめんなさい」そう言って綾は封筒を胸に隠す仕草をした。そして取り出す写真の1枚に綾の目が止まった。それはデイルームの窓をバックに並んで撮った朔太郎との写真だった。
「きれいに撮れてるわね」「うん、ありがとう、森下さん」「じゃあ、点滴交換しようか」綾は森下が部屋を出た後、もらった写真を1枚1枚丁寧にアルバムに貼った。
そして懐かしそうにそれをいつまでも眺めていた。

この頃綾の身体に二つの嬉しい変化があった。その一つは皮膚の再生だった。無菌室が開放になってからは感染症防止に毎日浴びるシャワーを病棟の浴室に行ってやっていたが、ある日擦るタオルが所々黒くなってるのに気づいた。放射線で焼けて変色した肌が角質化して擦るとぽろぽろと落ちていった。そしてその下には新しくて白い皮膚が生まれていた。「やったー、白くなってる」綾はシャワールームの中で飛び跳ねて喜んだ。
その話を田村にすると「強く擦ると傷口から感染症を起こすかもしれないから、絶対に強く擦っちゃだめだからね」と注意をされたが、擦るたびに白くなる自分の肌を見ると、嬉しくてつい強く擦ってしまっていた。それからは全身が白く粉を吹いたようになったが、シャワーを浴びるたびにそれらは石鹸の泡と一緒に流れていき、肌は日に日に白くなっていった。そしてその肌は元気だった頃よりさらに白くなっていた。中学校の頃からずっと部活で陸上をやっていて常に日に焼けて小麦色の肌をしていたが、周りのみんなも同じなので特に気にもしていなかった。黒さでいえばテニス部の女の子が一番日に焼けていて、自分達の方がまだましな位に思っていた。綾は思いもしていなかった自分の肌の白さを見るたびに、嬉しくなってつい顔もにやけてしまい、おしゃれをして街を歩く自分の姿を想像したりした。
もう一つは味覚の回復だった。大量の抗がん剤の影響か移植後は味がどんどん分からなくなり、何を口にしても美味しいと感じられなくなっていた。うがい薬などはそれだけで吐き気を催し、無菌食のご飯は砂を噛むような感じがして、それがさらに食欲を無くす原因だったが、食事も普通の加熱食に戻り、デザートのプリンやりんごジュースの甘さが感じられるようになってくると、他のおかずの味も少しずつ分かるようになっていった。相変わらずご飯だけはその匂いで気持ち悪くなる気がして苦手だったが、健康な時には当たり前のようにあった味覚を一度失ってみて、綾は美味しいということがこんなにも幸せなものかという事を生まれて初めて知った気がした。

午後になって吐き気も治まり気分も少し良くなった。綾は気分転換に病室を出ていつものように点滴棒をカラカラと押しながらデイルームへ向かった。今週に入ってからは毎日曇り空で今にも降り出しそうな雲が東京の街を低く覆っていた。
デイルームに入り綾は数人の患者達と挨拶を交わした。今まで会ったこの病棟の入院患者は皆大人達ばかりで年配の人もいたが、もともと人見知りをしない性格で大人達に囲まれて育った為、近所のおじちゃんやおばちゃんのような感じで話をしてすぐに皆から可愛がられた。
綾は一番奥の窓際の席に若い女性が座っているのを見つけた。声をかけようと近づくとその女性も気づき、読んでいた本を置いて会釈をした。綾も頭を下げて挨拶をを返し、席に近づいて話しかけた。「こんにちは、あのもしかして小野田さんですか?」綾はその女性が母親が話していた人だと思った。彼女は頷きそして綾の話しかけた。「綾ちゃんね」「はい、そうです」「こんにちは、母から話はよく聞いてて早く会いたいなって思ってたの、よろしくね」笑顔でそう話す彼女は、白に小さなプリント模様の入ったパジャマに薄手のニットの帽子を被り、笑うと小さなえくぼができるチャーミングな女性だった。
そしてこれが綾と小野田百合子との初めての出会いだった。

続く
...2005/03/01(Tue) 11:24 ID:1BQetong    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
こんばんわ。久しぶりです。けんです。ちょっと出張に行っていて10日ぶりに帰ってきました。そして、3話連続読ませていただきました。綾の病気少しずつですが、回復してきましたね。こっちも読んでいてホットしています。それと朔太郎との外でのシーンでもう少しで亜紀の事を言うシーンがあったのですが、いずれは亜紀の事を告白するとおもいますが、その時の綾の態度がどんな態度になるのかちょっと気になりますね。もしかしたら、その告白がもとで二人の距離も縮まるかも・・・ちょっと妄想が入ってすいません。いずれも今後の二人に注目していきたいです。それと、朔の出身地四国の宮浦にしているみたいですが、これは映画とドラマの設定を混ぜたんですよね。もしかしたらと思っていたもんで・・後最後に小野田百合子という新しい登場人物が出てきましたね。この小野田百合子は綾と同じ白血病の患者の設定ですよね?今後どのように綾と絡んでいくのか楽しみです。
 長くなりましたが、これからも楽しみに読ませていただきますので、マイペースで執筆活動頑張って下さい。
...2005/03/06(Sun) 03:29 ID:gC24x4eE    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
けん様、kuniさん様、SATO様、そして不二子様、グーテンベルク様いつも感想を頂きありがとうございます。気がつけば4月ももうすぐそこまで来ていて、「あいくるしい」も始まります、少々焦り気味です。あと1ヶ月・・終わりそうにないです。
それとポカリスエットの新しいCMではるかちゃん走ってますね。綾のイメージがそのままそこにあるようでちょっと嬉しいです。元気な時は「遅刻するー」とか言って、あんな感じで綾は駅まで走っていたんじゃないでしょうか。
今回、今書いている話の中で宮浦の場所を愛媛県の今治市近郊に設定しました。それはこれからの物語の展開の上ではっきりと特定したほうが、話にディテールが付けやすいのが理由です。今までもそうやって現実と虚構を混ぜてきましたので、できれば同じようにリアルに感じてもらえればと思いました。
宮浦の場所として決めたのは、今治市の反対側(西側)の斎灘に面した大西町です。実はこの町が宮浦のモデルではないかと思うくらい、ドラマの中に登場する設定をかなりの部分満たしています。地図でロケ地の松崎と比べてもらえれば分かりますが、町のサイズや形、山に挟まれ川が町の中を流れている事、弓状に海に面して夕日が海に沈む角度もほぼ一緒、港の左前方4kmほどの場所に怪島という小さな島があること、JRの鉄道(予讃線)が町を通っていることなど。ドラマの中で夢島から近い場所に宮浦とは違う町が見えますが、これは実際に怪島に近い亀岡の風景と思えば良いし、また朔が亜紀の病院に向かう為学校の横の道を自転車で山の方に向かいますが、そうしたらまた海がありその海に面した高台に稲代総合病院があります。自転車で行けるくらいですし、綾子も亜紀をそこに最初はただの診察で連れて行った訳ですから離れててもせいぜい7〜8km位だと思います。大西町はこの設定に完璧に答え同じように山側に7kmほど行くとまた海に出て、ドラマの中に登場する少し大きな街(航空券を買う、病院からタクシーで向かった少し大きな駅)今治市に出ます。
街の少し北に街を見下ろせる近見山がありますが、この場所に稲代総合病院があると考えれば設定とほぼ同じになります。実際に麓に県立病院があるようです。
ドラマの中に登場する車のナンバーが愛媛ですのでそれが一番の理由ですが、愛媛県の中でこの条件を満たす場所はここだけです。大西町は今年近隣の町と一緒に今治市と合併しましたが、以前は越智郡大西町です。それで私の話の中では越智郡が稲代郡、大西町が宮浦町、北にある波方町と大浜町の辺りが北宮浦、ドラマの中の稲代空港はそのまま松山空港という設定にしました。大西町の皆さんごめんなさい。現実の変化はそのまま物語に生かしたいと思っています。この設定についてにわかマニア様には別のスレッドで取り上げていただきました。嬉しかったです、ありがとうございました。
...2005/03/07(Mon) 13:56 ID:NL.ZQFKw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
8月に「セカチュー」が舞台化されますので、その頃までは何だかんだ言っても話題になっていると思います。ですから8月目標でいけばいいのでは?慌てずにじっくりと素敵なストーリーをこれからも展開していってください。楽しみにしてます。

私どもも別のスレッドでやはり続編ものを投稿中ですが、8月までは抜けられないと覚悟しております(^^)
...2005/03/07(Mon) 19:12 ID:De0tAJd2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:hiro
cliceさま
いつも愛読させていただいております。
私自身が愛媛県人で、今治近郊、松山近郊に住んでおりました。
最初に「舞台が愛媛」といった時に、第一感が今治西部(旧越智郡)でした。
なぜかといいますと、風景がぴったりくるところが多かったのです。
高い建物が少ない。木造の建物が多い。釣りをする人の姿もよく見かけます。道も決して広くない・・・
おっしゃるとおり、今治市の一部も含めてしまうとかなりいい感じですね。
自ら、カルテに書かれていた市外局番「089-」にこだわるかどうかで、混乱しましたが、1987年当時、「089-」は存在しない(現在は松山市近郊の市外局番)ので県内であればOKだと思います。
「時間」をキーワードにすると伊予郡松前町あたりが有力になるのですが、ちょっと都会過ぎるのです。

cliceさんのストーリーでは、「大西町説」支持させていただきます(^^)/

これからも楽しみにしております。
お体には気をつけてください。
...2005/03/07(Mon) 23:46 ID:s.Ve.6TI    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:にわかマニア
 そう言えば,本四備讃線の開業で宇高連絡船が廃止されるより5年早く廃止された仁堀連絡船というのがありましたね。
 呉線の仁方(広島県呉市)と予讃本線の堀江(愛媛県松山市)を結んでいたこの航路,宇高航路の影に隠れて,目立たない存在でしたが,本四架橋のルートとして,児島ー坂出ルートと並んで尾道ー今治ルートが取り上げられたのも,この航路の存在があったのでしょうね。
 長く東京に住んでいると,本四連絡と言うと,どうしても高松の方に目が向きがちですが,広島と今治・松山って,結構近いですね。そう言えば,高校(広島市内)の同級生に松山から通っているのが何人かいました。
 ちなみに,地元以外の皆さんのご参考までにご案内しますと,堀江駅(別に株の買占めをする人たちの住む町ではありませんが)は,松山の3駅今治寄り(約10分)で,大西(宮浦)からだと50分(どちらも急行は通過)かかります。
...2005/03/08(Tue) 02:51 ID:Jvgk2YLQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「ここ、いいですか?」「どうぞ、座って」百合子はにこやかにそう答え、綾は彼女に向かい合うように座った。「綾ちゃん、良かったね無事生着して、おめでとう」「ありがとうございます。小野田さんにそう言われるとすごく嬉しい、だって経験者ですからね、私にとって先輩だもん」「先輩か・・あんまりなりたくない先輩だよ、それ」「あっごめんなさい、私ったら」「いいのよ、冗談。ほんとの事だもんね」そう言って百合子は微笑んだ。「私、小野田さんにもっと早く会えるかなって思ってたんですけど」「綾ちゃん、百合子でいいよ」「じゃあ百合子さん・・あの、具合悪かったとか」綾はそう心配そうに聞いた。「ありがと、ちょっとね。あっでもね今日は調子いいんだよ、綾ちゃんは?」「実は私もお腹の調子がいまいち・・土曜日は出れてはしゃぎ過ぎたのか夜になって熱出ちゃったし、次の日から下痢とまた吐き気がひどくなってきて、先生は薬で様子みようかって。でも今はまあまあです」綾はそう明るく答えた。「なんかお互い同じこと言ってるね」「ほんとですね」「はぁー」百合子と綾は二人同時に小さなため息をついた。「あれ、百合子さんも」「綾ちゃんだって」「可笑しい」「そうね」そしてお互い顔を見合わせて笑った。

「降ればいいのにね、雨」百合子は窓の外に目をやりそう呟いた。「どうしてですか?」「雨が降るとね、公園の木たちも嬉しそうなんだよ。葉っぱの1枚1枚がきれいな緑色に染まって、生きてるってことをね、全身で伝えようとしてるみたい。空から降る雨はね、そんな彼らへの天からの命の恵みなのかもね」「なんか素敵ですね、そんなふうに思えるなんて」「綾ちゃんはそう思わない?」「あんまり考えたこと無かったかも・・あっでも私も雨上がりの緑は好きです。私近くの神社まで毎朝走ってたんですけど、木に囲まれた境内の朝のひんやりした空気が好きなんですよ。雨上がりなんかは特にそう、百合子さんも木好きなんですね」「そうね、好きになったかな・・入院してるとね、どうしても窓から見る外の景色が楽しみだったりするじゃない。そんな時ね、この公園の沢山の木を見てると元気をもらえる気がするの」百合子はそう言ってまた窓の外を見た。
「ねえ、綾ちゃん。毎朝走ってたって言ったけど、いつも何キロくらい走ってるの?」「6キロくらいかな、その日によって帰りのコースを変えるけどだいたいその位です」「毎日?」「だいたい」「すごいね」「あっでも、もう習慣みたいなものだから、百合子さんもジョギングなんかしてるんですか?」「ううん、でも高校の時はやってたのよ、陸上」「えっそうなんですか、何やってたんですか?」綾は急に目を輝かせて聞いた。
「私は高跳び」「棒高跳び?」「こらこら、わざとでしょ」「えへ・・そうなんだ、部活でやってる娘いるけどかっこいいなって思いますもん」「綾ちゃんも陸上やってるんだって、駅伝が得意って聞いたよ」「もううちのお母さん、何でも話してるんですね、困ったもんだ。百合子さんはどうして高跳びやろうと思ったんですか?」「中学の時にね、最初は遊びのような感じだったんだけど、ある時背面ですごく上手く跳べてね、それが嬉しくてそれからはずっとかな」「私もそうなんですよ、小学校の時はかけっこ苦手で、運動会なんか大嫌いだったんですけど、お父さんとランニング始めてからなんか速く走れるようになって、気がついたらずっとやってて・・じゃあ百合子さんは高校の間ずっと高跳びを?」「ううん、途中で病気になっちゃったからね、綾ちゃんは今は高校・・?」「2年です」「一緒なんだね、私が白血病になった時と・・」「えっ」母親から移植の為のドナーを待ったという話しは聞いていたが、綾は百合子が自分と同じように最近発病したものと思っていた。

「百合子さん、私、お母さんから看護学校に行ってるって聞いてたから、病気になったのそんなに前って知らなかった」綾は驚きの様子を隠せなかった。
「うん、私の病気は化学療法で十分治癒が望めるタイプだったし、3年間寛解を保っていたからこのまま良くなるんじゃないかって期待を持ってたけど、そんなに上手くはいかなかったね」「それって再発したってことですか?」「そうかな」「そんな・・」「それはショックだったよ、思いっきり落ち込んだもの、看護学校に入って憧れのナースになる第1歩を踏み出したばかりだったのになんでなのってね。でも予感もあったかな、そんな病気だしね、綾ちゃんの病気はどんなタイプなの?」「私は慢性骨髄性白血病って言われました。それが急性に変わってる状態だって」「そうだったの」今度は百合子の顔色が一瞬変わった。それがどのくらい深刻な状態かは百合子には良く分かっていた。白血病の中でももっとも治癒が難しい症状だった。しかし目の前にいる少女は、その状態から移植し無事生着して、今自分の前で明るく笑っている。それは百合子にとって何より嬉しくまさに希望を見た思いだった。
「百合子さんの病名は何になるんですか?」「私はね、急性骨髄性白血病なの。その中でもまたそれぞれ種類があって、M3っていう薬で効果が望めるタイプなの」「でも再発したんでしょ」綾は不安そうな表情で聞いた。「そうよね、でもね、薬だけでもちゃんと治る人もいるんだよ。骨髄移植にはそれなりのリスクがあるし、すべての人に適合するドナーが現れるわけじゃないし、その人その人で治療の取り組みは違うの、でも完治の為には綾ちゃんや私が受けたような骨髄移植が、やっぱり一番の治療方法である事は事実ね。でも大変だったね、お互い」「ですね」そう言って二人は笑った。その意味を知っている者だけが分かる笑顔だった。
「百合子さんも最初は風邪だと思ったんですか?」「そう、ずっと身体がだるくて長引くなーって思ってたらいきなり高熱が出て、そのまま入院、綾ちゃんは?」「私も一緒です。ほんとはずっと前から病気だったはずなんだけど、全然自覚症状なくてだるいのは練習のせいだと思ってました。だからいきなり高熱が出た時は、私の身体どうなっちゃったんだろうってすごく怖かった」綾はその時の恐怖を思い出した。
「私はそれから入院と退院の繰り返しで、部活もそれっきりになったの。でも綾ちゃんと話しててなんか思い出しちゃった、跳んでた時のこと・・。タイミングを取って踏み切るとね、一瞬天地が逆さまになって、そして青い空しか見えなくなるの。背中にバーの気配を感じながら、滑るように身体がその上を越えていった時はきっといい気持ちだったよね・・・ずっと忘れてたみたい、ありがと、思い出させてくれて」百合子はそう言って微笑んだ。綾も百合子が身体を反らせバーの上を越えていく姿を想像した。
「綾ちゃん、治ったらまた走るの?」「はい、そのつもり」綾は明るく答えた。「そうよね、私もまた走ってみようかな」「そうですよ、移植したら完治するんでしょう、絶対できますよ」「なんか私のほうが励まされてるみたいね、私が先輩じゃなかったっけ」「あれ、そうですね」そう言って二人で笑った。
「ねえ、綾ちゃん、がんばろうね」「はい、百合子さんも」「うん」
そのうち二人の話は音楽の話から好きな芸能人、はてはどこそこのケーキ屋が美味しいとかと、女の子らしい話題に次々と転んでいった。

続く
...2005/03/08(Tue) 16:14 ID:jwIjZ8V.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:kuniさん
いつも、楽しみにどきどきしながら拝見しております。ポカリスエットのCMのはるかチャンは、まさに「綾」の元気なときそのものですね。ちなみに、155がレスされていたと思っていましたが、勘違いだったのでしょうか。
...2005/03/15(Tue) 17:02 ID:ErKjphR2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「それでは、私達はこれで、どうぞお大事になさって下さい」廣瀬夫妻は知り合いが入院した病室を見舞いに訪れていた。「今日はどうもありがとうございました」少し髪に白いものが混じったぼってりとした体つきの婦人が二人に深深とお辞儀をした。そして日に焼けて短く刈り込んだ頭にやはり白髪が混じった60過ぎの男性が、ベッドに横たわったままで二人に話しかけた。「真さん、奥さんも今日はすまなかったな、俺の為にわざわざ。なんか嫌な事を思い出させちまったんじゃないかって・・こいつがよ、余計な事しやがるからよ」「何が余計な事だよ、あんた。社長さんにはちゃんとお知らせしてないといけないだろ」「もう、おまえは大袈裟なんだよ」男性は隣の妻に吐き捨てるように言い、そして二人に向き直り身体を起こすようにして「真さん、ほんとすまねえなあ。仕事は若いやつがちゃんとやるから、これからもよろしくたのむよ。俺も早く治してまたばりばりやるからよ」そう言って頭を下げた。
「何言ってるんですか、私こそ棟梁には世話になりっぱなしで、仕事の方は息子の幸二さんが若い人をまとめて、頑張ってくれてますから安心して静養して下さい」「そうです片山さん、早く良くなってまた主人の力になってやって下さいね、お願いします」真と綾子はそう男性に声をかけそして病室を後にした。
階段から続く廊下を曲がるとナースステーションがあり、ドアの横のプレートに片山清二と書かれた細い名札が入った、二人が訪れた406号室はそのすぐ前だった。そしてその廊下の突き当たりにある病室は二人にとって決して忘れることができない場所だった。病棟の風景はナースステーションの中のパソコンのモニターが薄い液晶の物に変わった以外は、あの頃と何一つ変わってない気がした。二人の視線は自然と廊下の奥の部屋に注がれた。
あのドアを開けると、亜紀がベッドから起き上がり自分達に笑いかけるような気がして、真は廊下の奥に向かって歩きだそうとした。「あなた」綾子が声をかけた。「ん・・」真はその声に振り向き、そして我に帰った。「あなた、行きましょう」「ああ」そして二人は振り返りその灰色のドアを見つめた後エレベーターの方へ歩き出した。

二人はエレベーターを降りロビーに出た。「君まで来なくてよかったんだぞ」「そんな訳にはいかないでしょう、片山さんはずっと長い間、あなたのところの仕事を請け負ってくれた大工さんじゃないですか」「だからといって、来たくはなかったろう、ここには・・」そう言って真は入院患者や見舞い客が行き交うロビーに目をやった。「それはあなたも同じなんじゃないですか、ほんとは私もさっき、あのドアを開けると「お母さん」って亜紀ちゃんが言いそうな気がして、思わず足が向きそうになったんですよ」「君もか」「ええ・・・、あれからもう17年になるんですね、こうしてるとつい昨日の事みたい・・・」日曜日の待合室には平日の喧騒は無かったが、ソファーや自動販売機の前のテーブル席では、見舞い客と患者たちが思い思いに大切な時を過ごしていた。しかし待合室のパステルカラーのソファーや壁に掛かる絵、若者の服装、売店の商品など目にするいくつもの変化が、やはり過ぎ去った時の流れというものを否応無く二人に感じさせた。

「はい、あなた」綾子は開いたテーブル席に座った真にコーヒーを差し出した。「あっ、ありがとう。棟梁は胃ガンだそうだ、奥さんが話してくれた」「そのこと、片山さんは?」「いや、胃潰瘍だと言ってあるそうだ」「そうなの、奥様心配でしょうね」「そうだな、でも昔と違って治療法や薬も進歩してるし、それにほら、あの人は丈夫が取柄だから」「そうね、そうだといいわね・・」そう言って綾子はコーヒーを手にしたまま窓の外を見た。ロビーの外のベランダにも人の姿が目立ち、気持ち良さそうに風にあたりながら広がる景色を楽しんでいた。
稲代総合病院は今治市の北に位置する北宮浦町の波方浜の港を見下ろす海に面した高台に在り、稲代郡北部の総合病院として近隣の市町村の住民だけでなく、対岸の大島や伯方島、大三島といった島々の島民にとっても長く頼りにされてきた存在だった。東に開けたベランダからは海が一望でき、来島海峡や大島、そしてそれに連なる瀬戸内海に浮ぶ島々がまるで箱庭のように目の前に広がっていた。
「亜紀ちゃんも好きでしたね、ここからの景色が・・。あなた、久しぶりに私達も外に出てみませんか?」綾子は真をベランダに連れ出すと爽やかな風が二人を包んだ。

「んーいい天気・・風が気持ちいいね、お母さん」「そうね、亜紀ちゃん」「あっ、船、どこ行くんだろうね」「ねえ、亜紀ちゃん、マスクは?ちゃんとするように先生に言われてるでしょう」「いいじゃない、ちょっとくらい、人ごみの中にいる訳じゃないんだし、こんなにきれいな空気なんだよ、もったいないじゃない」「じゃあ、ちょっとだけよ」
亜紀は綾子と一緒に入院以来初めてこのベランダに出ていた。1ヶ月以上に渡るクリーンユニットでの寛解導入の為の辛い治療に耐えて、健康を取り戻せたように思えていた亜紀は、朔太郎にもやっと会えて退院の日と近づいてくるオーストラリアへの修学旅行に思いを馳せていた。周りの森に鳥たちの声が木霊し、晴れ渡る9月の空の色を写す様に海も青く染まって、瀬戸内を結ぶフェリーが白い引き波を立てて走るのが見えていた。
「ねえ、亜紀ちゃん、朔君テープの事何か言ってた?」「テープ?何の事?」「そうか、話さないでくれたんだ・・」綾子は小さく呟いた。「お母さん、朔がどうかしたの?ねえ、テープって何の事?」「亜紀ちゃん、お母さん亜紀ちゃんに謝らなければいけない事があるの」「何?」「実はね、この病院に入院してる事朔君知らなかったの、朔君だけじゃないのよ、誰にも知らせないで下さいって先生にお願いしてたの」「じゃあ、もしかして朔にテープ渡してくれてなかったの?だから朔ちゃんテープ返してくれなかったの?テープ断ちしてるっていうのも嘘だったの?」「ごめんね」「なんで?私ずっと寂しかったんだよ」亜紀は恨むような目で綾子を見た。「亜紀ちゃんの症状が思ったより重くて、治療中は絶対に面会謝絶だったの、朔君が会いに来ても会わせる訳にはいかなかったし、それに夢島の事もあるでしょう、それで・・」「お父さんね、お父さんがお母さんからテープ取り上げたんでしょう、ひどい」亜紀は以前父親にテープを捨てられた時の怒りが蘇るのを感じた。「亜紀ちゃん、お父さんのこと悪く思わないで、お父さん亜紀ちゃんのことが心配で心配でしょうがないの。亜紀ちゃんにボーイフレンドができたってだけで心配なのに、その彼と家を抜け出してキャンプに行って、挙句に倒れて救急車で運ばれてそのまま入院でしょう、お父さんじゃなくったって・・お母さんも朔君にはちょっと辛くあたったの」「それは分かるけど・・でも朔、そんな事一言も言ってなかったよ」「そうね、さすが亜紀ちゃんが好きになった人だけあるわね」綾子は優しくそう言った。
「でしょう、朔は絶対いいやつなんだって、お父さんだって朔のことちゃんと知れば絶対気に入ると思うけどな・・あれ、でも朔ちゃん私のテープ聞いてたよ、その事話してたもの」亜紀は不思議そうに首を傾げた。「この前智世ちゃん達がお見舞いに来た時に渡したみたいよ、お父さん・・朔君にテープ」「お父さんが?」「お父さんだって亜紀ちゃんが寂しがっているのは知ってたし、朔君にも悪い事したって思ってるの、ただ一人娘の父親としては複雑なのよ、分かってあげて」「そうなんだ、でもお父さん、最近すごく優しくなった、前は頑張って勉強しろってそればっかだったのに・・あんな優しいお父さん見たの私初めて」亜紀の記憶にはいつも機嫌が悪そうな父親の顔しか浮かばなかった。
「何言ってるの、忘れたの、お父さん小さい頃から亜紀ちゃんのこと本当に目の中に入れても痛くないくらい可愛がってたのよ、ただお父さんも次第に仕事の責任が重くなってきて、そして独立してこっちに事務所を構える事になったりしたでしょう、だから亜紀ちゃんとちゃんと向き合いたくてもその余裕がなくて、だからいつもあんな言い方しかできなかったんだと思うのよ、亜紀ちゃんだってもっと甘えればお父さんもまた違ったと思うけどな」「だってそんなの苦手だもん」亜紀は照れ臭そうに顔を俯けた。「ほらね、ほんと似たもの同士なんだから」「じゃあ、私が病気になって良かったのかな、お父さんが優しくなって・・退院してもそのままだったらいいけど・・」亜紀は独り言のように呟いた。

「ねえ、お母さん、お父さん朔のことどう思ってるのかな」「あれで結構気に入ってるんじゃない」「ほんと?」「そうよ、会えばいろいろ口煩く言ってるけど、あれってお父さんなりのコミュニケーションの取り方なんだと思うわよ」「なんか、お父さんらしいね」亜紀はそんな父親の姿と、その前で畏まって小さくなっている朔太郎を想像してくすりと微笑んだ。
「ねえ、お母さんはどうしてお父さんだったの?」「なあに、急に?」「どうしてお父さんと結婚したの?その頃のお父さんってどんな感じだったの?ほら、前に聞いた時はぐらかされちゃったし・・、ねえ、聞かせて」母が好きになった廣瀬真という人物、自分の知らない父親の姿を亜紀は知りたくなった。
「これは知ってると思うけど、私とお父さんは東京で同じ大学に通ってたの。お父さんのサークルの人とお母さんの友達が親しかったので、良く一緒に遊びに行ってるうちにいつのまにかね。あの頃のお父さんはね、今からは想像もできないけどかなりののんびり屋さんで、亜紀ちゃんから聞いてた朔君みたいな感じかな」「ほんとに、全然想像できない」
「ほんとなのよ、まあ優柔不断って訳じゃないけど、デートなんかも私の方がリードしてたのかな。それでお互い大好きになって、卒業したら結婚を考えていたんだけど、お母さんのお父さんが厳しい人でね」「お爺ちゃん?それもなんかピンとこないけど」亜紀の知ってる綾子の父親はいつも物静かな温厚な人物だった。「そうね、亜紀には優しいものねお爺ちゃん」「うん」「それでそのことを父に言ったら当然のように反対されてね、そんなどこの馬の骨か分からないやつに娘はやれんって、お父さんさんざん言われてね、であの通り負けず嫌いな性格でしょ、「じゃあ一級建築士の資格を取りますからお嬢さんを下さい」って言ったの、お父さん。その性格は誰かさんにしっかり遺伝してるけど」「もう・・それでどうしたの、お父さん」「その頃はいずれ取れたらくらいに思ってたみたいだけど、そう父に大見得を切っちゃったものだからやるしかなくなって、それから変わったのよお父さん。卒業して建設会社に就職して3年後にほんとに取っちゃったの資格、そしたら父も反対する理由がなくなって、それで晴れて結婚、そしてすぐに亜紀ちゃん、あなたが生まれたって訳。きっとその時にお父さん頑張る癖が付いちゃったのね、あなたを頑張って大切に育てなきゃってね・・。どう、そうやって育てられた感想は?」「すごいね、お父さん、なんかちょっと見直しちゃった」亜紀は母親の話に素直に感動していた。そして自分達の恋愛に心の中でそっと重ね合わせた。「これでいい?」「うん、ありがとう、お母さん」「じゃあ、なんで亜紀ちゃんは朔君なの?」綾子はちょっとからかうような表情で亜紀に聞いた。
「それはいいって、もう、お母さんの意地悪」亜紀は照れて頬を脹らませ、綾子もそんな娘を見て微笑んだ。綾子はいつかは亜紀にこの事を話す時が来ると思っていたが、それは亜紀がもう少し大人になってから・・その時にはきっと自分で父親のことを理解するだろう・・そう思っていた。しかし今日話せて良かったのかもしれないと綾子は思った。父親がどんなに娘のことを大切に思い愛していたのかを・・それを知るにはもう早すぎることはなかった。
「ねえ、お母さん、朔も頑張るかな、お父さんに反対されたら」亜紀ははにかみながらそう言った。「亜紀ちゃん・・・案外似ているのかもよあの二人」「そうかな、そうだといいけど」「今だって頑張ってるじゃない、朔君」「どうゆうこと?」「だってここまで毎日自転車で登ってくるんでしょ」そう言って綾子は下に見える港の風景を見下ろした。
「そうだね、考えたらすごいね、ここ結構高いもんね」「そろそろ来る頃なんじゃない?朔君。いいわね、愛されて・・」「もう、そんなんじゃないって」「じゃあ、どんなの?」「もう」爽やかな風が吹き抜けるベランダに母と娘の幸せな一時がそこにあった。
「亜紀」そう呼ぶ声に振り返ると、顔に汗をいっぱいかいて息を切らした朔太郎が立っていた。「朔ちゃん」亜紀が顔をほころばせて答えた。「ほらね、噂をすれば・・」「ほんと」二人は小声で囁き合った。「亜紀、ここにいたの、こんにちは、おばさん」「こんにちは、朔君。亜紀の疑いを解いてあげたからね」「へっ?」朔太郎は綾子の言った意味が分からずきょとんとした。「浮気なんかしてないって」「えっ?何の話?」「もう、お母さんたら・・」「じゃあ、ごゆっくり、亜紀ちゃんマスク、してね」そう言って綾子はロビーの方へ歩き出した。「ねえ、今日学校どうだった?」「それがさ、また介ちゃんとボウズがさ・・・」綾子は振り返り仲良さそうに語らう二人を見た。幸せそうなその横顔は青い空と海に包まれまるで1枚の絵のようにそこにあった。しかし時はその一瞬を永遠に止める事なくまた儚く過ぎていった。

「変わったな、ここからの景色も」「ほんとですね、あんな大きな物が出来ちゃうんですからね」真と綾子はベランダから望むパノラマのような瀬戸内の風景の中にそびえる長大な建造物の姿を見ていた。それは右手に見える波止浜の港の向こう側の糸山から馬島、武志島を繋ぎ対岸の大島まで真直ぐに伸びる全長約4kmの世界初の3連吊橋で、通称瀬戸内しまなみ海道と呼ばれる愛媛県の今治と広島県の尾道とを結ぶ西瀬戸自動車道が走っている来島海峡大橋だった。
あいにくの曇り空で遠くの島影も灰色の空と海に挟まれ霞んで見えていたが、目の前に見えるその吊橋は風景の中でひときわ優美な姿を浮かべていた。

続く
...2005/03/15(Tue) 17:21 ID:Lflt.8hQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「せっかくの景色なのに残念ね」「台風が来てるからな・・今度のは明日の夜あたりにはまたこっちに来るかもしれないな」「今年は多いですね」「そうだな、でも台風は子供の頃から慣れっこだよ」「ほんと、私もこっちに引っ越してからびっくりしました、もう何年になるんですかね、こっちに住んで・・」「亜紀が中学に上がる前の年だったから23年前だよ」「早いですね・・時間の経つのは・・」「都会育ちのお嬢さんだったからな、君は・・寂しかったろう、知り合いもいないこんな田舎に越して来て・・」「そんなことありませんよ、あなたと一緒だったし、亜紀ちゃんがいたから・・・」「しかし・・」真は妻の顔を見た、自分と同じで髪に白いものも混じり始めて、染めてはいても老いが隠せない年齢になったのだということを改めて感じた。
「私は憧れてたんですよ、こんな田舎での暮らしに・・。子供の頃から田舎のある友達が羨ましかったし、結婚してからもアパート暮らしだったでしょう、広い庭で花や木を育ててみたいってずっと思ってたの。それに亜紀ちゃんも都会ではなく自然の豊かな場所でのびのびと育って欲しかったし、だから幸せだったですよ、亜紀ちゃんがいなくなってからも・・私は・・」「そうだったな、亜紀も最初は嫌がるんじゃないかって思ったけど、すぐに気に入って・・最初に借りた今治の家もすぐ側に海があったし、変なやつでフナムシが大のお気に入りだったよな、あいつ」真は今治に引っ越してすぐに3人で釣りに行った時、防波堤で熱心にフナムシを見つめていた亜紀の姿を思い出した。
「あれはまだあの子が小さかった時、あなたよく私達を海に連れて行ったじゃないですか、あなたが釣りに夢中になってる間あの子フナムシを見つけては、じっと見たり石を投げたりして遊んでたんですよ。あの子にとってフナムシはあなたに遊んでもらった大切な思い出なんですよ、だからいつだったか帰りに近くの店であなたが買ってやったフナムシのゴムのおもちゃをずっと大切に持ってましたよ」「そうだったのか」「ええ、それをあなたもあの子もいつのまにか忘れて・・あなたは仕事仕事の毎日、亜紀ちゃんはそんなあなたを嫌って・・」「あの頃は、立ち上げたばかりの設計事務所を軌道に乗せるので頭がいっぱいだったからな、もっと一緒にいてやれば良かった・・」「そうでしたね、でもあの子、女の子なのに不思議と青い色が好きだったじゃないですか、海と空のきれいなこの町で暮らせたのは嬉しかったと思いますよ」

「でも俺は今でも時々思うんだ・・もしこっちに帰ってこないであのまま東京にいたらどんなだっただろうかって、亜紀が白血病になってもここじゃなく東京の大学病院で治療を受けていたら、もしかしたら助かっていたんじゃないかって・・そんなことをふと思うんだよ。そうじゃなくても松山や広島の大きな病院だったらもしかしたらって・・君はそう思ったことはないか?」「後悔・・してるんですか?帰って来た事」「分からないんだ、もっと違う未来もあったんじゃないかってね・・、今更思ってもどうしようもないんだが」「思わなかったって言えば嘘になりますね、この病院に最初に連れてきたのは私だし、出ていた症状に気づいてあなたの言うように大学病院に亜紀を連れていってたらって何度も思いました。転院も考えたじゃないですか、でも病気の進行が早くてもう動かせる状態じゃなかったし、なによりあの子がそれを嫌がったでしょう」
「朔か・・」「ええ、でももし松山や広島の病院に入院してたとしたら、そして朔君に出会ってなかったら、あの子一人ぼっちで寂しく死んでいったかもしれません、最後まで大好きな人と一緒にいれて、亜紀ちゃんは幸せだったと思いますよ」
「あいつ、どうしてるのかな」「あの朔君がお医者さまですからね・・・いつだったか亜紀ちゃんとあなたの若い頃の話をしたことがありましたよ」「俺の?」「ええ、あの子が知りたがって・・きっと私達の若い頃に今の自分達を重ねたかったのかもしれませんね、それであなたと朔君が似てるかもってあの子に・・」「俺とあいつがか?」「ええ、似てますよ、あなたあの頃もっともらしく朔君に言葉遣いや何かを注意してましたけど、あれってみんなあなたが私の父に言われてたことでしょう?」「そうだったかな」真は思い出そうとして首を捻った。
「私の父もほんとはあなたのこと気に入ってたみたいですよ、後で母から聞いたんですけど、だからあなたが朔君に同じようにしてるのを見て、何か嬉しかったのを憶えてますよ、二人して同じような男性を好きになって・・親子なんだなって、あなたが頑張って建築士の試験に合格したように朔君もお医者さまになって、自分の娘ながら男を見る目があるなって・・」「それは今だからだろう、亜紀が元気だったらあいつが医者になったかどうか怪しいもんだ」「それはそうでしょうけど、その能力はあったってことでしょう?あなたと同じように・・それに亜紀ちゃんが元気だったらきっとあの二人結婚してたと思うわ」「それは分からんだろう」「いいえ、きっと・・あの子私に似て一途だから・・もし二人が結婚したいって言ってあなたが反対したら、朔君きっとあの時のあなたみたいに死に物狂いで頑張ったんでしょうね・・・そして今もきっと頑張ってる・・・亜紀ちゃんの為に・・・だってあの日、亜紀ちゃんは朔君のお嫁さんになったんだもの」綾子は思わず目頭を押さえた。

「この前、潤一郎さんと話したよ、朔君、白血病の患者の人のドナーになったそうだ」
「朔君が?」「ああ、忘れてないんだなって思ったよ、亜紀のこと・・もうそろそろ自由にしてあげたいな・・きっと辛かっただろうな、医者として患者の命と向かい合うのは」
「そうね、今までも沢山の人の命を救ったんでしょうね、亜紀ちゃんもそんな朔君を誇らしく思ってるわね、きっと・・」
「私、やはり今日ここに来て良かったと思いますよ、もっと嫌な事を思い出すかと思ってたんですが、思い出すのはあの子と話した事や笑った顔ばかり・・」「俺もだよ、今は亜紀が笑ってる顔しか思い出さない」「もっと思い出してあげましょう、それがあの子が私達の娘でいたっていう証だから・・・今日の夜は久しぶりに亜紀ちゃんの好きだったものでも作りましょうか?」「そうだな、それがいい」
雲が低く垂れ込め辺りが薄暗くなった為か、夕方にはまだ早い時間だがヒグラシの声が物悲しく響き、暑かった夏の終わりを静かに告げていた。

「なあ、犬でも飼わないか?」駐車場に向かいながら真はふいに綾子に話しかけた。「どうしたんです、急に」「いや、君も一人で寂しいんじゃないかって思ってね」「じゃあ、あなたが仕事を完全に若い人に任せて家にいるようになったら考えましょうか」「それじゃあ一人じゃないじゃないか」「散歩は誰が連れて行くんです?」「そうか」「楽しみにしてますよ、それまでもう少し仕事頑張ってくださいね」そう言って綾子は車に乗りこみ、2人を乗せた車は坂道をゆっくりと下って行った。

続く
...2005/03/15(Tue) 17:27 ID:Lflt.8hQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
こんにちは、clice様

この物語でこんなに長く亜紀が登場したのは初めてです、いつかは
廣瀬夫妻が物語に出て来られるとは思っていましたが...思い出と今
の違いは有っても亜紀と一緒の回なんて、昨夏の思い出がよみがえ
って来ます。
この物語を読み進むめば進むほど、廣瀬夫妻を綾に会わせてあげた
いとおもうのは私だけでしょうか?
でも、廣瀬夫妻には辛いことかなとも思ってしまいます。

続編楽しみにしています。
...2005/03/15(Tue) 18:58 ID:.UTLXg4w    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:ペーター
以前から愛読させてもらっていますが最高です。
どうか本当の小説家になってください。
というかcliceさんは、もう立派な小説家ですね。

そんなcliceさんにお願い、というより、ご提案が
あるんですが、聞いてもらえたらうれしいです。

これはおそらくcliceさんが縦スクロールの長さを意識した上での配慮なんだろうとは思いますが、「」で閉じられる会話部分が改行されないまま、いくつも続きますよね。
できればこれ、可読性の点からも一人の発話(「…」)ひとつが終わる度に改行してもらえるとうれしいんですが…。
省スペースを意図されているんだろうなあとは思いつつ、でもcliceさんが書かれている上質な物語だったら、スペースなんか思う存分ぜいたくに使って欲しいと思う次第です。

どんな結末になるのか楽しみ半分、でも、いつまでも読み続けたい、終わって欲しくない物語でもあります。
...2005/03/15(Tue) 19:05 ID:xd0/La1E    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:hiro
綾が回復していく話が続いていたので、何となく頭から離れていたのですが、
そうですよね。cliceさまのストーリーでは、亜紀は死んでいるのですよね。

本編の景色に今治の景色をみごとに当てはめていると思います。
私自身、思い描ける場所なので、正直、やられてしまいます・・・

cliceさまのストーリーは先が読めない分、いつも待ち遠しく感じております。
さりとて、かなりきつい作業かとも想像します。
cliceさまのペースでじっくり進めていってください。

それでは
...2005/03/16(Wed) 05:32 ID:aY4s.YbE    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:凍れる音楽
涙は悲しい事を洗い流し、雪は悲しみを被い尽くす。人生が二度有れば。もう少し時間を下さい。まだ決心がつきません。登録するまで、
...2005/03/16(Wed) 11:20 ID:DHsOtRWY    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
こんにちは。たー坊です。
こちらにお邪魔するのは初めてなのですが、時々、拝読させて頂いております。
clice様のストーリーは、読んでいるうちに引き込まれていく感覚でとても素晴らしいと思います。
これからも期待しております。
...2005/03/17(Thu) 12:54 ID:6jZZqJWk    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様、こんばんは。グーテンベルクです。この物語も随分長くなってきましたが、先がよめなくていつもドキドキしながら読んでおります。構想、執筆、なにかと大変だとは思いますがマイペースで頑張ってください。次の話が読める日を楽しみにしております。
...2005/03/29(Tue) 21:54 ID:np/rWV/Q    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けんけん
clice様
 お久し振りです。けんです。突然ですが、このサイトに同じハンドルネームが出ていたので、これから、けん改めけんけんとしますので、よろしくお願いします。さて、この話に初めて廣瀬夫妻がでて来ましたね。この話を読んだ感想で、もし亜紀に似ている綾に廣瀬夫妻が会ったらどういう反応するのだろう?と思いました。他の人も思っているみたいですが、もし良かったら、どんな形でもいいので、綾と廣瀬夫妻が出会うシーンも検討してみてはいかがでしょうか?確かに廣瀬夫妻にとってはつらい出会いになるかもしれませんが・・・どうかよろしくお願いします。これからもマイペースで執筆活動頑張って下さい。
...2005/03/29(Tue) 23:43 ID:wE8vy4tk    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
移植から1ヶ月が過ぎ季節は9月になっていた。白血球の増加を促すG−CSF製剤グランの投与で綾の白血球数も一時良好な値を示していたが、やはりそれを中止した時点から数値は急激に下がり始め、その為再度投与が行われ、9月に入ってからは2600〜800位の値を安定して維持していた。それにより病室での入室者のガウン着用の義務も解除されて、綾の入院生活はまた1歩普通の状態に近づいていた。
綾が個室に移ってからは朔太郎も仕事の合間に時々病室を訪ねていた。話しながらくるくると表情を変える明るい綾の姿は、元気な頃の亜紀を思わせてとても愛らしく、綾と過ごすそんな時間は朔太郎の失った17年を少しずつだが確実に埋めていった。
吐き気や下痢などの軽いGVHDと思われる症状はあるものの、次第に健康を取り戻していく綾の様子は朔太郎にとって何より嬉しかった。そしてこれまでの治療の成果が問われる綾に対しての移植後最初のマルクが行われた。

正午近く朔太郎はマスクをしたことを確かめて綾の病室の304号のドアをノックした。
「どう?綾ちゃん、調子は?」「先生」綾は振り向き読んでいた本を置いて、顔を綻ばせながら朔太郎を見た。そして朔太郎はそのままベッドの横の丸椅子に腰掛けた
「いいの?先生・・仕事」「ほら、もう昼休みだから」そう言って朔太郎はベッドサイドの時計を目で指した。時間は11時58分を指していた。それを見て綾はくすりと笑い「先生、検査棟からダッシュで来たでしょう」朔太郎を見てそう言った。「えっ」そう言われて朔太郎はきょとんとして、改めて時計を見てまだ12時前であることに気がついた。「もう、先生、サボり?」「違うよ」「じゃあ、仕事中?」綾は悪戯っぽい笑顔で朔太郎を見た。「なんだよ、心配して様子見に来てやってるのに」「ふーん、来てやってるんだ」綾はわざと意地悪っぽく言った。「分かりました、帰ります、じゃあ」そう言って朔太郎は怒った振りをして椅子から立ち上がりドアに手をかけた。
「嘘、先生、帰らないで」本当に部屋から出ていきそうになった朔太郎を見て、綾は慌てて声をかけた。そしてそのままドアが開くとそこに田村が立っていた。
「何してるの、お前?」「何って・・ちょっと様子を見に・・」「様子って・・担当医かお前は・・」「じゃあ、お見舞い」「お見舞いってねえ・・お前、仕事いいのかよ?」田村は呆れた顔で朔太郎を見た。マスクから見える二つの瞳が驚いてオドオドしてる様子が田村には可笑しかった。
「同じこと言われてるね、先生」綾もその様子が可笑しくてくすくすと笑った。
「お前、最近良く来てるらしいな、俺に断りもなく」「ちゃんと言ってるよ、彼女たちには・・」「お前、いつからそんなに仕事暇になったんだよ」「暇じゃないよ、お前だって今日は外来の診察日だろ、なんでここにいるんだよ」「今週は違うんだよ、松本、お前さては俺のいない時を狙ってるな」「そんな訳ないだろ」「いいやそうだ」「田村、お前はあの娘の父親かよ」「悪い虫が付くのは防がないとな、お前、雑菌なんか持ち込んでないだろうな」「するか、そんなこと」「いいや、怪しい、お前だけガウン着用を復活させよう」「なんだよ、それ・・・ふーん、分かったぞ、田村、お前また奥さんと喧嘩しただろ、それでか」「またって何だ、またって・・勝手に納得するな、俺と京子ちゃんはラブラブなの、恋人いない歴17年の人間に言われたかないね」「なんだと」「なんだよ」
その時コンコンと開いたドアをノックする音がして、二人が振り向くと昼食の配膳用のカートを運んできた森下が立っていた。

「何してるんですか、先生方?」綾の病室の前に来るとドアが開いていて、目の前で白衣を着てマスクをした二人のドクターが、顔を突き合わして低レベルな言い合いをしていた。
「病院コントですか?患者さんのリクレーションの出し物にはいいかもしれませんね、でも練習なら病室の外でやって下さい」森下は呆れ顔で二人にそう言った。
「はい」二人は同時に答えた。「くっくっ・・・わはは・・・」森下の前でしゅんとする二人を見て、さっきから笑いをこらえていた綾がベッドの上でけらけらと笑い転げた。
「ひっひっ・・・あーもうお腹痛くなる・・松本先生、17年も恋人いないってほんとなの?」綾は腹を押さえながら涙目で二人を見た。「そうなんだよ、こいつ、ぜんぜんもてない寂しいやつなんだよ」「大きな御世話だ」「だからあんまり一緒にいると、免疫の低下してる綾ちゃんにこいつのバカがうつるからね」「バカはうつるのか、どこの研究機関の発表だよ、WHOか、アメリカのCDCか、それとも国立感染症研究所か、どこだよ」
「お二人とも、いい加減にして下さい」森下が目を三角にして窘めるような口調で言った。「いったいどうしたんですか?・・田村先生、松本先生も・・」そう言って森下は小さな溜息をついた。「はいはい、これから患者さんはお食事ですから、用が無いんだったら出ていって下さい、分かりました?先生方」「はい」二人は仲良く返事をした。
「じゃあ、また」朔太郎は頷くようにして綾を見た。「じゃあ、またね先生」綾も笑顔で手を振って答えた。「おっ、今日のお昼はカレーか・・美味そうだな、綾ちゃん、ちゃんと食べるんだよ」田村はカートに乗ったトレーを見て言った。
「うん」綾も田村に頷き返した。「そういや腹減ったな、俺達も食いに行くか」「ああ」朔太郎も田村との漫才みたいな会話の後で、自分のお腹もすっかりと空いてるのを感じた。そして二人は綾の病室を出た。
「しかし、お前、今日はいやに・・」「ほら」廊下に出た朔太郎は、話しかける田村に手に持っていたファイルを渡した。田村はそれを開くと立ち止まりしばらく読んでから、そして朔太郎の方を見た。「そうか・・」「ああ」朔太郎も頷いた。「そりゃテンションも上がるな」田村も納得した。「異常細胞もフィラデルフィア染色体も採取した骨髄からは発見されなかったよ」そう話す朔太郎の顔は先ほどまでと違う医師の顔になっていた。「そうか、やったな」田村は思わず朔太郎の肩を叩いた。「ああ、そうだな、でもまあ一回で判断できる事じゃないしな」朔太郎は平静をよそおって話したが「何言ってる、顔は笑ってるぞ」そう言って田村は笑った。
「よし、じゃあ昼飯は松本、お前のおごりな、スペシャル定食、小鉢も付けろよ」「なんでそうなるんだよ、お前がおごれよ、担当医だろ」「何言ってる、ほんとは嬉しいくせに・・だからおごられてやるって言ってんだよ」「それはこっちの台詞だよ」「松本、だいたい誰がお前達を・・」「うるさーい、静かにして下さい」病室の前で話す二人の声は次第に大きくなって部屋の中にも聞こえていた。そして森下の声が廊下に響いた。「お昼くらいどっちがおごったっていいじゃないですか、もう早く食べに行ってきて下さい」そう言って森下はすっかり呆れ果てた様子で病室に戻り、昼食のトレーをベッドの横のテーブルの上に置いた。

「もうほんとしょうがない先生方ね」「あれって私に合わしてくれてるんですよね」「綾ちゃんのレベルはそんなに低くないでしょう、本質的に子供なのよ、あれが血液内科と病理のエースだなんて・・患者さんが知ったら引いちゃうわね」森下は二人が出ていったドアの方を見て溜息をつくように言った。「あの・・私も一応患者なんですけど・・」「そうよね・・見なかったことにしようか」「ですね・・でもほんと仲いいんですね、田村先生と松本先生」「でもね、あんなふうに二人が笑うの見るのほんとに最近・・前はあんな感じじゃなかったな・・」「そうなんですか?」「田村先生はともかく松本先生はね・・前は感情を表に出さないで黙々と仕事をしてるっていう印象だったから・・だから最近の松本先生にはちょっとびっくりかな」「そうなんだ、私の前ではすごく普通で、だから私松本先生がお医者さんなの時々忘れてるもん」「そうなのよね、綾ちゃんの前ではまるで少年のような表情になるものね、松本先生、それは私も不思議・・でもそれは綾ちゃんも同じかな」「同じって?」「なんか嬉しそう・・じゃない?何でかな?」「もー森下さん、他の人の食事冷めちゃいますよ」「いっけなーい、じゃあ綾ちゃん、ちゃんと食べてね」そう言うと森下はそそくさと部屋を出ていった。
綾は昼食のトレーをテーブルに乗せると覆ってるラップを取った。カレーの美味しそうな香りがぷうーんと辺りに漂い、苦手なご飯の匂いを覆い隠して食欲を刺激した。スプーンで一口頬張ると甘いカレーの風味が口いっぱいに広がって、綾の味覚は確実に戻ってきていた。「おいひい」そう独り言のように呟きながら、綾は今しがたの3人のコメディーのようなやり取りを思い出していた。そして思い出し笑いをするように顔もいつしか綻んでいた。

綾のマルクの結果は移植された朔太郎の骨髄細胞の順調な増殖を示していた。末梢血管から採取される血液中にはガン化した芽球である白血病細胞や、その発症因子となるフィラデルフィア染色体はすでに見つかっていなかったが、骨髄の中から発見される可能性はゼロではなかった。朔太郎は採取された骨髄標本を祈るような気持ちで丹念に繰り返し繰り返し顕微鏡で調べた。そしてそれが見つからないことを自ら確認し確定診断の書類にサインをした。
今回のマルクでそれらが骨髄の中からも見つからなかったことで、綾への治療の成果がまた一つ確かなものになり、朔太郎と田村はその検査結果に胸を撫で下ろした。そしてどちらが昼食をおごるか話しながら、無菌病棟の二重になったドアを抜けて廊下へと出た。
するとちょうどその時、受付の前にいた女性が二人を見つけ声をかけた。
「松本君」朔太郎は突然の呼びかけに受付の方を振り向くと、スーツ姿の明希が受話器を持ったまま二人に向かって手を振っていた。
「あっ、すみません、今本人出てきました」明希はインターフォンに出た看護師に朔太郎に会ったことを告げて二人の方に向き直った。

続く
...2005/04/03(Sun) 08:10 ID:Jcrz0MHs    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:kuniさん
cliceさん、長編大作いつも娘ともども楽しみに読ませていただいております。綾ちゃんが良くなってきて、また、朔太郎が昔のように明るくなってきたことは、大変良かったと思います。でも、明希さんの昔の恋人からのプロポーズの問題もあり、なかなか、目が離せない展開になってきましたね。
...2005/04/04(Mon) 13:09 ID:tvKxlTDY    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜clice様〜
『あいくるしい』の池辺さんじゃないけど、元気でいらして良かったです。(笑)
物語は秋に差し掛かり、明希が病院に現れたことで、またぐっと深い展開になりそうですね。朔太郎の心模様、楽しみにしています。
マイペースで、頑張って下さいませ。
...2005/04/04(Mon) 18:10 ID:szgpL.Tg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:hiro
cliceさま
ドラマであったセリフが別の人物から語られているのに、懐かしさは感じても違和感を感じないのが、さすがです。
既に、原作以上の長編になっており大変だとは思いますが、応援しておりますので、"ぼちぼち"執筆頑張ってください。
...2005/04/04(Mon) 18:43 ID:hxLR.C4I    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
こんにちは、clice様。

新作、ありがとうございました。
18日間待ち遠しい日々でした、最近は新しいスレッドが立つことが少ない
のですが、下がって行くのを見守ることは過去ログ行きは無いとは思いな
がらも、ドキドキしますね。
(これも楽しみの一つ!...かっ、かな?)

ももせ駅での亜紀の言葉を思い出しながら、応援しております。
...2005/04/05(Tue) 14:00 ID:3AM7xwgw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「小林・・あれ、どうしたの」朔太郎は突然現れた明希に驚いて一瞬どきりとした。
明希は朔太郎と一緒に出てきた白衣を着た背の高い男性に懐かしい面影を見つけた。
「あれっ、もしかして田村君?」そう呼ばれて田村は大学時代の記憶の中にある可憐な笑顔を思い出した。
「小林?・・・あれ、久しぶりだなあ、俺こんな美人のいる店にツケがあったっけって一瞬ドキッとしたよ」「相変わらずね、そのとぼけたところ・・」「卒業以来かな・・じゃあ10年ぶり位か?」「もうそんなになるの?なんかあっという間ね」「噂はこいつから聞いてるよ」「どんな噂?」「いや相変わらず綺麗だって」「嘘ばっかり」明希は田村のその変わらない話し方に急に懐かしい気持ちになった。
「どうかしたの」朔太郎は決まり悪そうに聞いた。「ごめんなさい、別に用事じゃないの、仕事で近くまできたからお昼でも一緒にどうかと思って・・これからなんでしょう?」
「ああ、まだだけど」「そうなんだよ、ちょうど俺らも飯にしようって言ってたところでさ、君も一緒にどう」田村は懐かしさと二人への興味もあって明希を誘った。「いいの?」「いいのいいの、ちょうどあいつがおごるって言ってたところだから」「田村、誰がそんなこと・・」「まあ堅いこと言うな、あいつ、意外とケチだろ、君と飯食ったら割り勘とか言ってんじゃないの」「それはないかな」明希は小首を傾げて考える仕草をした。
「ほんとに?向こうの棟の上に職員用の食堂があってさこれがけっこう美味いんだよ、そのうえ安いし、まっそこならケチの松本でも大丈夫でしょ、なっ」「誰がケチだよ」田村は明希を連れてすたすたと渡り廊下に向かって歩いて行き、朔太郎はその後ろからとぼとぼとついて行った。

田村と朔太郎は先にメニューを選んで窓際の席に移動した。
「松本、彼女知ってるのか?あの娘のこと・・」「いや、話したりしてないよ、ただドナーになったことは話したけど・・この前も過労で倒れた時にいろいろ心配させたからさ」
「でも、亜紀さんのことは知ってんだろ?」「ああ、それは話した、この前病院抜け出して宮浦に帰った時、心配して来たんだ小林、家に・・」「家って宮浦のか?四国だろお前の実家」「ああ、その時うちの両親に亜紀のことを聞いたみたいでさ」「お前、この前ただの友達って言わなかったか?彼女のこと・・つきあってるのか?」「友達だよ」「それって友達って言わないだろ普通、お前彼女の気持ち・・」そう言いかけた時、トレーの上にいくつものお皿を乗せた明希が、満足そうな表情をして二人の座ったテーブルにやって来た。
「ごめん、ごめん、待った?ほんといろいろメニューがあるのね、目移りしちゃった、でもいい眺めね、ここ」澄み渡る青空の下で、最上階から見渡せる公園や街並みの風景が、ランチタイムの穏やかな時間を明るく演出していた。
「すごいな」「小林、そんなに食べるの」二人は同時に声をかけた。「だってお腹空くのよ、仕事で歩くから・・それにほんと安いのね、美味しくて安いランチのお店って探すの結構大変なのよ、近くに来たらまた寄ろうかな」そう言って明希は運んできた料理に箸を伸ばした。
「仕事何してるの?」田村が尋ねた。「営業、保険のおばさんよ」「保険のお姉さんの間違いだろ」「ありがと、そんなこと言ってくれるの田村君だけよ、いつも女の子そうやってくどいてるんじゃないの?お医者さんって医療機器や薬品の営業の人の接待攻勢がすごいんでしょ、女の子のいる店なんかに良く行ってたりして」「ないない、まったまには誘われもするけどさ」「こいつは奥さんが怖いの」朔太郎がぼそりと言った。
「松本、それは違うって言ってるだろ、お前も結婚してみれば分かるよ」「田村君の奥さんってもしかして京子さん?」「あれ、知ってたっけ」「もしかしたらそうかなーと思って・・そう、結婚したんだ・・麻田さんとはね教養課程でよく同じ講義取ってて顔は知ってたの、だからいつだったか田村君が連れて来た時、あれって感じでそれから時々話したりしてたんだよ・・良かったね、大事にしてる?」「してますとも」「子供はいるの?」「女の子が二人ね、上の子は三つなんだけど、これがもうおませでかみさんが二人いる感じだよ」「名前は何て言うの」「上の子が彩香、下は舞」「可愛い名前ね」明希には田村夫婦と子供達との幸せそうな家庭が見えるような気がした。
そして朔太郎は二人の話を聞きながらただもくもくと箸を口に運んでいた。

「うちもいるのよ一人」「えっ、小林独りなんじゃ・・」「そうなんだけどね、一樹って言うの、もう来年は小学校なんだよ」「そうか・・でも可愛いだろ」そう言いながら田村は横目でちらりと朔太郎を見た。そして朔太郎も田村の視線の意味は分かっていた。
「まあね、うちの王子様かな」「いいな、俺のとこは二人とも女の子だろ、男の子はやっぱり欲しいよな」「でも女の子だったら田村君、目の中に入れても痛くないくらい可愛がってるんじゃないの」「今はいいよ、でもそのうちウザイとか言われたりしてな」「そんなことないよ」「そうだといいけどさ」そして二人はそれからしばらくお互いの子供の話しを続けた。
「じゃあ、俺先に行くわ」田村は食事を終えるとそう言って席を立った。「田村君、もう行っちゃうの」「松本に話あったんだろ、俺これでも結構忙しくてさ、今日は楽しかったよ」「私も・・京子さんによろしく言ってね」「ああ、言っとくよ、じゃあまた」そう言って田村は食べ終った自分のトレーを持って席を離れた。

「変わらないね、田村君」明希は出ていく田村に手を振りながら言った。「あいつ、ほんとお喋りだろ」「でも、優しいね・・いいお医者さんなんだろうね」「ああ、内科医としてはすごく優秀でナース達からも信頼されてるよ、俺もあいつのことは尊敬してるし」
「松本君と田村君、ほんといいコンビよね、田村君はずっと喋ってて、松本君はいつも隣で皆が話すの黙って聞いてて、そうかと思うと時々ぼそって突っ込んで、なんか大学の時に戻ったみたい」明希はふと学生時代の二人の姿を思い出した。
「松本君、何かいいことでもあったの?」「なんで?」「なんか嬉しそうだよ」明希は少し会わない間に朔太郎の印象が随分変わった気がした。やはりドナーになった事が彼の心
の中の重荷を少しだけ軽くしたのだろうと明希は思った。
「田村の・・あいつの患者でね白血病の女の子がいるんだけど・・」
「白血病?」明希は朔太郎の言葉にどきりとした。「あいつの専門は血液内科だから白血病の治療が仕事なんだよ」「じゃあ、さっき松本君達が出てきた所って・・」「そう、無菌治療病棟って言って白血病なんかのガン治療の化学療法で、免疫が著しく低下した患者が菌に侵されないようにそれを防いで治療する場所なんだ」「そうなの」明希は電話に出た病理の若い医師にこの場所を教えてもらい訪ねて来たが、その施設の物々しさに微かな恐れを感じていた。
「それで、その女の子も骨髄移植を受けたんだけど、2日前の検査でその娘の身体からガン化した細胞が消えたんだ」「それ、松本君が調べるの?」「そう、それが病理の仕事だからね」朔太郎はそう明希に話しながら、綾の組織から白血病細胞が見つからなかった時の嬉しさを思い出していた。病理医になって良かったと心の底から思った瞬間だった。
「やっぱり松本君、お医者さんなんだね」明希は朔太郎を見て微笑んだ。
「どうして?」「だって、そうやって患者さんが治るのが自分のことみたいに嬉しそうだもの、その子早く良くなるといいね」「そうだね」明希の優しそうな笑顔を見て、朔太郎の心はチクリと痛んだ。明希に余計な心配をかけたくないという気持ちは嘘ではなかったが、それ以上に綾のことを明希に隠してることで、後ろめたい気持ちを感じていることもまた事実だった。

「それで小林・・」「あっでも、ここほんといいところだね、眺めもいいし、安くて美味しいし、松本君たち贅沢だよ」そう言って明希は話をそらすように窓の外を見た。
「職員だけでかなりの人数がいるからね、時間も不規則だし外に食事になんか行けないからだいたいみんなここで食事してるんじゃないかな」「じゃあ、松本君も結構お世話になってるんだ」「そうだね」二人がそうやって話す間にも沢山の人が入れ替わり立ち代り食事に訪れ、数人で談笑する看護師のグループやトレーを返すのも慌しく足早に出ていく医師の姿など、いつもと変わらない病院のお昼の風景なんだろうなと明希は思った。
「あのね」「あのさ」しばらくの沈黙の後二人は同時に話し出した。
「あっ、小林から」「いいよ、松本君から」「あの、一樹はどうしてるの?この前せっかく食事に誘ってもらったのに行けなくてさ、ずっと気にはなってたんだ」「そのつもりは無かったんだけど、帰ったの実家に・・松本君が言ったように両親も久しぶりに孫に会えて嬉しかったみたい。一樹もご機嫌でそれはそれで良かったかなって」「そうだったの、長野だったっけ、小林の田舎?」「そう、松本君は海の側、私の所は山の側でそんな田舎を持った両親だったら、子供達は夏休みや冬休みが楽しそうね、きっと・・」考えなくそんな言葉がつい口から出ていた。「あーもうほんと、子供の頃は海の側に住むの憧れたわ、水遊びといえば川かプールだったし・・だって小学校の時、将来の夢はって聞かれて「海を見ること」って真面目に答える子が必ずいるんだよ」そう明希は慌ててごまかした。「ほんとに?」朔太郎は思わず吹出しそうになった。「あっ、笑ってるけどほんとなんだって」明希のその何気ない一言が二人の気まずさを吹き飛ばした。
「冬は雪結構降るんだろ」「そうだよ、最近は温暖化なのか少なくはなったけど、それでも街の人の感覚じゃすごいと思うよ、きっと」「だろうね、俺の田舎なんて雪なんかほとんど降らないもの、だからスキーなんかしたこと無くってさ、小林はやれるんだろ、スキー」「うちの田舎じゃ男の子も女の子も子供の時からみんなするよ、だって冬の体育の授業はスキーやスケートだもん」「それすごいね」「松本君の所だってみんな泳げるんでしょう?」
「みんなじゃないけど、大体はね・・だって夏の遊びってそれと魚釣りぐらいしかないし」「そうだね、そういえば上手かったね釣るの」明希は宮浦に行った時のことを思い出した。そしてまた明希の心に微かな陰が落ちた。そしてそれを振り払うように明希は続けた。「松本君も冬になったら遊びに来れば、うちの田舎・・教えてあげるよスキー、レッスン料は・・まけてあげる」

「それで、小林の話って・・」「あのね、近くに来たって言うのはね嘘じゃないんだけど・・ほんとはちょっとだけ時間を潰しちゃった」そう言って明希は照れ臭そうに微笑んだ。
「なんとなく松本君の顔が見たくなっちゃったっていうか・・最近電話でしか話してなかったし・・ねえ、今度の日曜日、用事あるの?」「いや、予定は無いけど」「ねえ、どこか行かない?」
「一樹がせがんでるの?」朔太郎は結局夏の間一樹と一度も遊んでやれなかったことが気になっていた。
「私が行きたいの・・連れてって、どこか・・」明希の精一杯の言葉だった。

続く
...2005/04/08(Fri) 13:16 ID:PW5h./wY    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「ママ、見て見て、お魚さんがいっぱいだよ」「すごいね、まるで海の中にいるみたいだね、一樹」数万匹の熱帯魚が泳ぐ水槽の中を、通り抜けるように上に伸びるエスカレーターに3人は乗っていた。海中散歩をしているような360度見渡せる透明なチューブの中で、一樹は興味一杯の表情で目をくるくるさせながら色とりどりの魚たちを目で追い、明希はそんな嬉しそうな一樹の手を握りながら、隣で同じように水槽の中を見上げてる朔太郎の横顔を見ていた。

「私が行きたいの・・連れてって、どこか・・」「小林・・」朔太郎は突然の明希からのデートの誘いに、それまでの冗談めいた喋り方ではない、そのどこか思いつめたようなものを感じどきりとした。
「あっ、私、突然何言ってるんだろうね、ごめんね、やっぱり忘れて松本君・・」明希は勇気を振り絞って言ってはみたものの、その唐突な言い方に穴があったら入りたいくらい恥ずかしくなり、朔太郎の顔がまともに見れなくなった。
「行こうか、日曜、一樹も連れてどこか・・」「いいの?無理しなくていいのよ、松本君は別に一樹の父親でもなんでもないんだから」「違うよ、俺が行きたいんだよ、それじゃ駄目かな」朔太郎はその時本心でそう思った。「駄目じゃないよ・・いいよ」精一杯の笑顔で答えた明希の瞳は微かに潤んでいた。
目の前で少女のように恥らうこの美しい女性を朔太郎はずっと好きだった。しかしそれを認めることは亜紀を裏切ることだった。なによりも真直ぐに自分を見てくれた亜紀を、忘れてしまう自分が怖くて許せなかった。
しかし亜紀は綾として新しい人生を今生きようとしている、亜紀と生きた17年がゆっくりと終わろうとしているのを朔太郎は感じていた。

「なんか落ち着くねここ」パノラマのような大水槽の、神秘的な青い光の中を泳ぐ無数の魚たちの姿を見ながら、明希は朔太郎に話しかけた。
横須賀市に程近い横浜市金沢地区の海沿いに、東京ドーム18個分の巨大な人工島をまるごと使った水族館や遊園地、そしてマリーナを併せ持つアミューズメントパークがあり、朔太郎はこの爽やかな秋晴れの日曜日、明希と一樹を連れてここを訪れていた。
9月に入って2回目の日曜日となる今日は、先週が急に冷え込んだ雨混じりの天気だった為か、カップルや家族連れの人出で賑わい、広い敷地も人々の笑い声に包まれていた。
「松本君、やっぱり海が好きなのね」「別にそういう訳でもないけどなんか落ち着くんだ、それにこんなとこ独りじゃ来れないし・・」「それはそうだね」明希はくすりと笑いながら言った。「小林はいいじゃない、来ようと思えば一樹を連れていつでも来れるから」「それはそうだけど・・でもそうかな、この歳になると仕事のふりでもしないと独りじゃ寂しくて絶対来れないよね・・それは女も一緒よ」明希はしみじみとそう言った。
「じゃあさ、小林、今日は堂々と楽しもうよ」「そうだね、思いっきり遊んじゃおうか、一樹がいれば無敵だもんね・・私達」「なあに、ママ、無敵って・・」一樹の言葉に二人は顔を見合わせて微笑んだ。「一樹と一緒でママは嬉しいってこと」「僕もだよ、サクとママが一緒で僕嬉しい」「なま言っちゃって」明希は一樹の頭を優しく撫でた。
「そうか、じゃあ一樹、次はイルカさん見に行こうか」「うん」

「次はイルカ君たちみんなが一斉にジャンプします」女性の飼育係のMCに合わせて、7頭のバンドウイルカとカマイルカが見事なジャンプを披露し、水族館の4階に設けられた巨大プールのスタジアムに水飛沫と観客達の拍手と歓声が鳴り響いた。
「すごい、すごい」朔太郎と明希は一樹を挟んで3人で中段の席に座り、繰り広げられるイルカやアシカ達のパフォーマンスや、ぬいぐるみによる歌やお笑いのショーを声を上げながら楽しんだ。その時その3人が仲の良い家族であることを疑うものは、きっとその場には誰もいなかっただろう。
その後3人は海に面した南国風のレストランで昼食を取った。目の前のマリーナには船尾に思い思いの文字の書かれた数多くの白い優雅な船体が係留され、海風が吹き抜けると、ハリヤードシートがその高いマストをたたいて鳴るカンカンという音が時折辺りに響いた。
朔太郎と一樹は大きな海老がコロコロ入ったカレーを口一杯に頬張り、明希はまるで親子のようなそんな二人を優しい微笑みで眺めた。
食事を終えてお腹一杯になった3人は、再び元気一杯の一樹に手を引っ張られながら、沢山のアトラクションが立ち並ぶ敷地の方へ歩き出した。

広い敷地のいたる所で動物たちのショーや芸人達のパフォーマンスが行なわれ、明るい太陽の下恋人達や友達のグループ、そして子供を連れた親子達が思い思いの休日を過ごしていた。人気のアトラクションには順番待ちの列ができていたが、一樹を肩車する朔太郎を見ていると、明希にとってはそんな時間さえ幸せに思えた。
3人を乗せたボートが急な斜面を水面に向かって勢いよく滑り降りた。
「きゃー」乗客の声に混じって明希の悲鳴が響き渡り、朔太郎と一樹は並んで余裕の表情でそんな彼女を見た。大きな水飛沫が飛んでボートが水面に激突すると、船首に立っていた女性の船頭がその衝撃で3メートルも上に飛びあがった。乗客は皆驚きの表情で呆気に取られていたが、もちろんこれは彼女のパフォーマンスでそれを知った乗客から一斉に拍手と歓声が起こった。3人も顔を見合わせながら彼女の笑顔に惜しみない拍手をした。
チューブ型のボートに乗っての激流下りで水飛沫を浴びたり、一樹も乗れる4人乗りのミニコースターで悲鳴を上げたり、最大65度まで揺れ動く宙吊りの大きな船に乗るアトラクションでやっぱり悲鳴を上げる明希を見て笑ったり、3人は次々と挑戦しては叫んだり笑ったりして楽しい時を過ごした。テレビドラマやCMにも使われたアメリカ製の趣あるクラッシックな木製のメリーゴーランドでは、一樹と明希が乗って朔太郎はそんな二人の笑顔をカメラを待ち構えて撮ったりもした。

「松本君、あれベイブリッジかな」「そうじゃない、たぶん・・」地上90メートルの高さまでゆっくりと回転しながら昇っていく、ドーナッツ型の展望室に3人は乗りこみ、目の前に広がる東京湾や小さくなっていく地上の風景を食い入るように見ていた。
雲一つ無いような青空の下、房総半島や遠く東京のビル郡が見え、小型の漁船やボートに混じって大型の貨物船や灰色の護衛艦が大きな波を引きながらゆっくりと動いているのが見えた。「あそこで松本君ドナーの手術を受けたんだね」そう言って明希はその白い優美な姿を見せるベイブリッジがそびえる横浜の方を見た。「ああ、そうだね」朔太郎も病室の窓から見えた横浜の風景を思い出した。
「なんかもうずっと前のことのような気がするね、でもちゃんと話してくれて嬉しかった、今こうしてるのもその事があったからかなーって思うの、もう思い出にできるんだよね、亜紀さんのこと・・」「どうかな・・そうしないといけないとは思う」「でも無理にしなくてもいいんだよ、亜紀さんはもう松本君の中にずっといるんだから」「小林・・」「・・とやっぱり思うよ、私は・・・この前病院に行った時思ったの、松本君お医者さんの顔してた、きっと亜紀さんがずっと松本君のこと頑張れって応援してくれてたんだよね、そして松本君もそれに答え続けてきた、すごいよねそんな恋ができて・・羨ましいと思う、でもそろそろその応援を私が代わりたいなって思うっていうか・・・あれもう何言ってるんだろう・・ねえ」「小林・・」「ほら一樹、見て見て大きなお船だね」朔太郎は一樹を抱き上げて笑顔を見せるその美しい横顔を見た。そしてまたボウズの言葉を思い出した。
「ねえ、サク、僕次あれ乗りたい」そう言う一樹の視線の先の眼下に、半分が海に突き出した形のこの施設を代表するジェットコースターが見えていた。
「一樹、あれは一樹にはまだ無理かな」「どうして?」「一樹がもう少し大きくなったら乗れるかな」「じゃあ、僕がもう少し大きくなったら、サク一緒に乗ってくれる?」
「・・・ああ、その時が来たらね」「ママ、僕早く大きくなる」「じゃあ、いっぱいご飯食べなきゃね」明希は一樹にそう話しながら朔太郎のことを見ていた。

すっかり日も暮れて夕闇が辺りを覆い、建物のライトアップされた光が水面に揺れ、幻想的で美しい夜景を二人の前に見せていた。二人はハーバー沿いに張られた雰囲気のある木製の歩道を歩きながら楽しかった休日の余韻に浸っていた。
「一樹もうすっかり寝ちゃったわね」一樹は遊び疲れ、朔太郎の背中で静かな寝息を立てていた。「今日1日良く遊んだからね」「嬉しかったと思うよ、一樹・・松本君にこんなにいっぱい遊んでもらえて・・」「俺も楽しかったよ、なんかほんと久しぶりだ、こんなに動いたの」「だね、いつも部屋で顕微鏡と睨めっこだもんね」「ほんと、健康に悪いよ」「ほんとだよ、この前みたいのはよしてよね」「はい」朔太郎は素直に返事をした。
「ありがとう、松本君、今日のこと一樹も私もきっと忘れないと思う」「俺もさ」
夜風にあたりながら肩を寄せ合う恋人達や、テイクアウトの食事をつまみながら夜景を楽しんでる人達の前を、白い大型のヨットがゆっくりと入ってきた。デッキの上ではクルー達が慌しくセールをたたみ、スキッパーはその大きな船体を自分達のバースへと慎重に操っていった。そして遠くの方から大型船の汽笛の音が聞こえ、それは歩いていく二人の耳にも静かに届いていた。

続く
...2005/04/12(Tue) 12:47 ID:sHs0O40M    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜clice様〜
ついに綾瀬はるかちゃんは「みちる」となり、桜井幸子さんは「スナック夕鶴のママ」として活躍する3ヶ月が始まりました。
しか〜し、こちらの物語ではしかっり「亜紀」と「明希」、そして「綾」です。
ご安心下さい。

桜井幸子さんって、彼女だけが持っている独特の雰囲気のある女優さんですよね。野島さんが、その彼女を多く起用するのは分かる気がします。泣いている顔よりも、笑顔の方が、より切ない女優さんです。
ですから、彼女が心に何か引っ掛かりを持って、精一杯しゃべる時は、いつも柔らかな笑顔を想像します。辛ければ辛いほど、うつむいて泣いたりなどはしないのです。例え涙を流したとしても、微笑んでいるところを想像してしまいます。「アキは一人でいいかな・・・」と窓際のイスにもたれかかった様に。
[170][171]は、言葉には現れない、微妙な二人の間の空気が感じられました。そして、明希はいつものように、朔太郎には柔らかく微笑みながら、話しているのでしょう。そういった情景が目に浮かんできました。
...2005/04/12(Tue) 14:41 ID:QxyfSKjQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
cliceさま
明希がサクに告白らしき言葉を漏らしましたね。故郷で幼馴染にプロポーズされているので、サクの態度次第でどちらを選ぶか賭けに出たのでしょうか?
今後の展開が興味深いです。

不二子さま
綾瀬はるかちゃん、桜井幸子さんの話題に便乗ですが、緒形直人さんはなんと!智世役だった本仮屋ユイカちゃんのお父さんになってしまいました!
でも、この物語を読むとやっぱり「朔太郎」ですよね!

※「ファイト」は録画して観てますが、仕事上のトラブル(?)で苦悩する緒形さんの表情がサクのマンマでした。
...2005/04/12(Tue) 22:49 ID:2IcNg6tc    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:ペーター
毎度毎度、本当に情景が目に浮かぶようです。
より正確に言えば、読んだ先から映像に変換しています。
でも欲を言えば、この話をホントの映像で見てみたい。もちろん無理は承知なんですけどね。
...2005/04/13(Wed) 01:32 ID:xdRO5hVk    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜SATO様〜
こんにちは。コメント頂き有難うございます。
よく考えたら、こちらの物語はドラマのある時点を境にして、「もう一つの」という方向に切り替わっています。明希に亜紀のことを話しているので、転換点は多分ドラマの5話が終わった辺りぐらいなのかなぁと思うのですが、正確なことはclice様しか分かりません。スタートがドラマなので、とりあえず私の頭の中では、ここの登場人物は、皆さんドラマから移動してきてもらってます。(笑)
緒形さんは、デビュー当時から元気溌剌!っていうよりかは、何かに悩んでる青年の役が多くて、今でもやっぱり苦悩してる姿がよく似合う方ですよね。NHKでも朝から悩んでいらっしゃるのですね。今度観てみます。ありがとうございました。

ごめんなさい。上の記述↑について訂正させて下さい。
[12]で朔が「死のうとしたんだ」と言ってますから、5話じゃなくて、もうちょっと後ですね。でも、この物語では一樹は宮浦へ一人旅していないと思うから(笑)やっぱりその辺りなのでしょうか。7話でしたっけ?あら・・・。
...2005/04/13(Wed) 10:04 ID:90l6UXx6    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
こんばんは、グーテンベルクです。とても深い物語をいつも頭の中で想像しながら読ませていただいております。朔と一つになった亜紀の心の存在を感じます。そして、どうやらその事を感じ取っている小林明希。それでも、亜紀を含めて朔を思う明希。その思いが届くことを祈らずにおれません。素晴らしい物語を読ませていただきましてありがとうございます。

 不二子様へ
こんばんは、お久しぶりです。グーテンベルクです。不二子様のおっしゃるとおり、桜井幸子さんは柔らかな笑顔でろいろな感情を視聴者に伝える技を持っているのかもしれません。ドラマで明希を演じていたときも笑顔なのにどこか切なさを感じました。きっとclice様の物語でも明希は柔らかな笑顔で朔を見守っていると思います。

 
...2005/04/13(Wed) 19:57 ID:KBvP.mFw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
いつもこの物語を読んでいただいてる皆様、cliceです。
自分が書きたいからだけではここまでこれなかったように思います。感想を寄せていただく皆様の励ましのメッセージが自分を支えてくれています。ありがとうございます。
不二子様お久しぶりです、ほんととうとう4月になっちゃいましたね、でもここまでくると結構開き直っていたりします。書けるだけ書いてやろうと・・そしたらそのうち終わるだろうと今は思っています。以前不二子様が、これが私の最後の夢かもしれませんと仰っていただいたことがずっと心に残っています。ああ、そう思ってもらえるような文章にしなきゃと・・お陰でなんとか頑張れています。でもまだまだですね。ちなみにこの話の分岐点は7話の時点で一樹が来ないその後です。
ペーター様感想ありがとうございます。読みながら映像が想像していただけてることが嬉しいです。私自身、絵が先にあってそれを文章に置き換えて書いていますので、だから書いていてこのカットは文章より絵で見せたいよねとかつい思ってしまい、気分だけ結構監督だったりします、あくまでも気分だけ・・。だからこれからラストにかけても、頭の中の絵を文章にちゃんとできるんだろうかとそれが気がかりです。
今回の話も桜井さんのいろんな表情を想像しながら書きました。綾がずっと病室の中なので、桜井さんにはこの話の中ではこれからも、あちこちロケに行ってもらいたいと思っています。これからどうなっていくのか、ここまでくると結構想像されてしまうと思いますが、えーそうなの?・・を目指して書いていけたらと思います。
...2005/04/14(Thu) 00:30 ID:WXzyo.oE    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
お疲れ様です。
いつも素晴らしい物語を届けていただきましてありがとうございます。

先日は私のストーリーに感想を頂きましてありがとうございました。また、お返事が送れたことをお詫び申し上げます。

物語もだいぶ進行し、私自身も一読者として毎回楽しみにしております。
clice様のストーリーは毎回素晴らしく、私も勉強になることが多々ございます。

これからもお互いに頑張りましょう。
...2005/04/18(Mon) 20:56 ID:PLl.Z5WQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
clice様
焦らず続きの構想を練って下さい。私はテレビを観ていたときから、17年間、朔がどのような思いで生きてきたのか、興味がありました。このストーリーでそれを解き明かしていただいているように思います。これからも楽しみにしております。


「ファイト」を観ていて、ふと緒形直人さんの奥さんが桜井幸子さんで、本仮屋ユイカちゃんの弟が一樹役の男の子だったら・・・などと想像することがあります。でも、これから一家離散の運命が待っているので、桜井さんと一樹でなくてよかったとも思いました。随分身勝手なセカチュー熱に浮かされる一ファンでした。
...2005/04/22(Fri) 00:27 ID:33qO70Nc    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「ねえ、お母さん」「なあに、綾」「お母さん、お父さんと結婚して幸せ?」
穏やかな月曜日の午後の病室、綾は昼食を終えて母親の入れてくれたお茶を飲みながら和子に話しかけた。
「どうしたの?・・急にそんなこと聞いて」「ねえ、いいから教えて」「幸せよ」和子は娘の問いかけに素直にそう答えた。「お父さん以外の人は考えなかったの?お母さん美人だし、もてたでしょ」「それはちょっとはね」和子は自慢げに微笑んで言った。
「でも綾だって私の若い頃に負けてないわよ」「そうかな」綾は母親からそう言われて照れて首を傾げる振りした。「何言ってるの、自信あるくせに」「もう、私の話じゃないの、お母さんのこと聞いてるんだから・・どうしてお父さんだったの?」「どうしてかな、なんとなくそう思ってたのかな・・お父さんと一緒だと本当の自分でいられるのよ。ねえ綾、人ってね、したい事とできる事は違うって思わない?」「どういう意味なの?」「人にはそれぞれ与えられた力っていうのか得手不得手があって、たとえば、綾は走る事無理してやってる訳じゃないでしょう?」「うん」綾は頷いた。
「でもそれが苦手な人もいるわよね」「たぶん・・」「男女の関係もそれと同じ気がするの、どんなにその人のことが好きでも、その為に無理をしなくちゃいけないような関係は本当じゃないと思うのよ、好きだって思うことは大切だけど、その人の前で自然に笑ったり、泣いたり、怒ったりできる人が一番なのよ、きっと・・だからそんな人と出会えることが幸せなんだってお母さんは思うな」「じゃあ、お父さんはお母さんにとってそういう人なんだ、でもお母さんが泣いたり怒ったりするとこあんまり見たことないよ、私」「馬鹿ね、あたりまえでしょ、無いから幸せなの」「あっ、そうか」「でも子供の頃はお父さんのこと怒ってばっかりだった気がするわね・・ほんと世話の焼ける人だったのよ、お父さん」和子はしみじみとした口調で言った。
「そうか、幼馴染だもんねお父さんとお母さん、なんかいいね、いいことも悪いことも何でも知ってる間柄って・・憧れるな」「綾、でもね、きっとそれは時間じゃないの、綾も出会うわ・・お互いがお互いを大切に思えるようなそんな人と・・」和子は信じていた、綾にもそんな素敵な恋愛ができる日がきっと来ると・・。
「でもほんとどうしたの?」「昨日、お父さん嬉しそうだったじゃない?でもそんなお父さんを見てるお母さんの顔が幸せそうだったから・・だから、なんとなくね」
「お父さん、ほんと嬉しかったのよ、この前のあなたの検査結果が夢みたいだったから・・それに美幸ちゃんもお見舞いに来てくれてたし、まるで娘が二人いるような気がしてたんじゃない?」「もう、美幸も調子いいんだよね、娘は私だっていうの」

9月の第2日曜日、正信と和子は綾の友達の遠藤美幸と病院のロビーで待ち合わせて綾の病室を訪れていた。美幸は移植が無事成功して、綾が回復していくのは綾の両親や綾本人からの電話で知っていたが、両親や親族以外の面会は無菌治療病棟では原則禁止されているので、会いたいと思っても簡単に面会に行くことができなかった。そんな美幸の気持ちを和子は察して、綾も会いたそうにしていたので今日美幸も連れて3人で来ていた。
「さあ、美幸ちゃん、入って」美幸は和子にそう言われてどきどきしながら病室に足を踏み入れた。電話では以前と変わらない綾の元気そうな声だったが、移植前の無菌室で見た変わり果てた親友の姿が美幸の目には焼き付いていた。そして部屋に入ると綾がベッドから両手いっぱいに手を振っていた。
「美幸」「綾、良かったよ、元気そうで」美幸は久しぶりに見る友の明るい笑顔に今までの不安も消えていく気がした。「うん、なんとかね、美幸だって元気そうじゃん」
「私?私はもち元気よ、でも綾、あんた色白くなったね」「美幸はまた黒くなったんじゃない?」「ほんと、美幸ちゃん、すっかり小麦色で健康美人ね」「おばさんまで・・やめようよ、親友との感動の再会の言葉としては悲し過ぎます」そう言って美幸は頬を膨らませた。「そうだね・・ねえ、陸上部のみんなは?」「みんな頑張ってるよ、秋の新人戦に向けて・・綾のいない分自分達がやらなきゃって、一年生達も結構タイム上げてきてるし、今年はいいとこいくかもしれない・・。でね400mリレーは私がアンカーやることになったんだよ、今まで綾に渡すことしか考えてなかったから、もう超ビビリまくりだよ」「大丈夫だよ、美幸はセンスいいんだから、やれるって」「ほんと?」「ほんと、でも・・転ばないでね」綾は心配そうな表情をする振りをして、そしてにっこり笑った。
「綾、やめてよね、私それトラウマなんだから」「ごめんごめん」そう言って二人で笑った。そして綾は友の顔を見つめ深く息をすると美幸に話しかけた。
「美幸、手出して」美幸は言われるままに右手を差し出し、綾はそれを両手でそっと握り締めた。「美幸、はい、この前のお返し、今私の元気美幸にあげたよ」「綾・・」「・・と言ってもちょっとだけだけどね、あんまりあげると退院が延びちゃう・・・」そう言いかけて友の顔を見ると、美幸は瞳に大粒の涙をいっぱい溜めていた。「美幸・・」「だって綾の手あったかいんだもん・・もう心配したんだから、いっぱいいっぱいしたんだから」美幸は左手で涙を拭おうとするが、その隙間から涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。「ありがと、美幸・・泣かないでよ・・美幸が泣いたら私まで泣けてくるじゃない」そういう綾もすでに半べその状態だった。
「あらあら、二人とも・・いい女が台無しよ」そう言って和子はそっと二人の前にティッシュの箱を差し出した。そして次々と取り出す二人を正信も和子も優しく見つめた。

ひとしきり泣いた後美幸が話しかけた。「綾、今退院って言ったけど、できるの退院?」
「まだわかんないよ、でも先生が次のマルクの結果次第では見えてくるかもって」「マルクって何?」「マルクっていうのはね、骨髄を抜き取る検査のことでね、ワインのコルク抜きみたいなこんな太い針をここに刺して、注射器で骨の中にある骨髄を吸い出すの」そう言って綾は自分の胸の場所を手で押さえた。「うえ、痛そう」美幸は顔をしかめた。
「うん、ちゃんと麻酔をしてからするんだけど、最初は凄く痛かった。でも痛いっていうより怖いのが先かな、上半身裸でベッドに寝かされて、先生が胸骨を触って刺す場所をマークしたら消毒して、後は顔まで覆う布をかけられてしまうから見えないのでそれが怖いの」「じゃあ、胸見られたりする?」美幸の言葉に綾は小さく頷いた。
「でね、針がぐりぐりって入ってくるんだけど、もし突き抜けたらどうしようとか思うともうほんと怖いんだから」綾の話に美幸はまるで自分の胸に針が突き刺さっていくような感じがした。「突きぬけたら?」「肺に針が刺さっちゃう」「嘘」美幸は綾の言葉にどきっとして目を丸くした。「大丈夫だよ、先生達はベテランだからそれは無いけど、それでももしもって事あるじゃない、そう思うとね・・それに抜き取る時胸がぐぐーって引っ張られて、その時は痛みが走るよ」綾も話しててその時の恐怖と緊張感が蘇る気がした。
「ごめん、綾、もういいよ、ごめんね」「いいって、もう慣れたよ」たった一つの検査でさえその怖さは想像もできないのに、目の前で元気に笑ってる友は、今日までいったいどのくらいの恐怖と苦しみに耐えてきたんだろうかと美幸は思った。そしてそんな綾の強さを本当に凄いと思った。
「でも、退院って言葉が言えるくらいまで来たんだ・・ほんと良かったね、じゃあマルクだっけ、その痛そうなやつ、次の検査でもいい結果が出るように思いっきりブスッってやってもらえば、ねっ綾」美幸は明るく言った。「ほんと、頑張ってね、綾」「もう、お母さんまで・・代わってやろうとか思わないかな・・」「俺は聞いてるだけでダメだね」「この人、男のくせに注射嫌いなのよ」「えっ知らなかった、そうなのお父さん?」正信は手をひらひらさせて顔を背け、綾は父親の以外な一面を知って思わずにんまりした。

「美幸ちゃんはいつもどの位走るの?」日焼けした顔にショートカットがよく似合う美幸に正信は話しかけた。「駅伝では私だいたい4区なので3キロか5キロですけど、練習では毎日結構走ってます。でも綾おじさんと毎朝6キロ走ってたんでしょう、さすがにそれは真似できないですよね、しかも病気だったなんて」そう言って美幸は綾を見た。
「それは気がつかなかったっていうか・・」綾は小首を傾げながら言った。「普通気がつくでしょ、きついなとか・・なんでそんなに頑張るかな・・」「別に頑張るのが好きな訳じゃないけど・・」「まあ、そこが綾の凄いところっていうか、単に負けず嫌いなんだよね、お陰で私まで頑張る破目になって、それはそれで感謝してるけど」それは美幸の本心だった、綾が一緒に走ってくれなかったらここまで頑張れなかったことを、何より自分が一番分かっていた。
「父さんもそうだな、いつのまにか習慣になったけど、綾が一緒に走ってくれるから毎朝走れてるようなとこあるしな」「美幸、こんなこと言ってるけど、お父さん結構根性無しでよくサボるんだよ」「根性無しは余計だ、誰のお陰で速くなったと思ってるんだ」「自分のお陰です」「お前そんなんだから彼氏の一人もできないんだよ」「何でそこに話しが行く訳?できないんじゃなくて、作らないだけです」「これだからな、ほんと可愛くないだろ」正信は呆れたような口振りをしたが、娘とこんな会話ができるようになる日を心から待ちわびていた。「そーそー、綾は黙ってればいい女なんだけど・・」美幸もまた以前と変わらない親友の姿に、嬉しくてつい口も軽くなった。「何よ、美幸まで・・」2対1で形勢が不利になった綾は、またいつもの得意の膨れ顔になった。
「でも、綾とおじさん、ほんと仲いいですよね、私羨ましい」「美幸ちゃんはお父さんとあんまり話さないの?」和子が聞いた。「母とは良く話しますけど、父とはほとんど・・なんか話題が無いっていうか、べつに嫌いとかじゃないけど・・照れなのかな・・でもみんなそうですよ、だから綾は変わってるの」そう言って美幸は綾を見た。「そんな変人みたいに言わないで」「このファザコン娘」「美幸・・」綾は手を上げて怒った振りをしたが、久しぶりの親友との飾らないそんな会話を綾は心から楽しんでいた。
「ねえ、美幸ちゃん、今度おじさん達とマラソン大会出てみないか?」「えーどこですか?」「これからの季節、近場でも結構開催されるけど、自然の中を走るのは気持ちいいぞ」「綾、去年はおじさんと河口湖走ったんだよね」「うん」そう言って綾は写真立ての中で笑ってる自分と父親の姿を見た。「高校生はだいたい10キロが普通だけど、走るの好きな人ばかりだからね、距離に関係無くみんな遠足気分で楽しいぞ、今年はこいつがこんなだから・・どう美幸ちゃん」「いいなー、行きます行きます、連れてって下さい」「お父さん」「お前はお留守番」「そーそー綾はお留守番」美幸も続けた。「私も行きたい」綾はせがむような表情になり「しょうがない、じゃあ応援だけでもさせてやるか、なあ美幸ちゃん」正信はそう美幸に言い「はい、綾、応援決定」美幸は右手を上げて笑顔で答えた。
「じゃあ、綾、頑張って早く退院しないと美幸ちゃんに娘の座奪われそうね」和子は3人の会話を微笑ましく聞き、娘に優しくそう言った。
「ほんとだよ、お父さん、娘は私だからね」
その部屋にいる誰もが今はまだ分からない綾の退院の日を夢見ていた。そして窓から明るい陽光が射し込む午後の病室はそんな4人の明るい笑い声で溢れていた。

続く
...2005/04/22(Fri) 12:41 ID:zlYrVClQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「じゃあ、綾、お母さん達ちょっとデイルームにいるから、美幸ちゃんとゆっくりお話しなさい。美幸ちゃん、綾のことよろしくね」「はい」「ありがとうお母さん」美幸と綾は両親を見送ると久しぶりの仲良し二人組の時間になった。
「美幸、あんた、調子良過ぎだよ」「いいじゃない、だっておじさんかっこいいんだから・・この際娘の座GET!・・なんてね」「もう、娘は私なの」そう言って二人で笑った。
「でも、綾がファザコン気味なの分かる気がするな」「だからそのファザコンは止めてって」「いいじゃん、その通りなんだから・・大好きなんでしょ、おじさんのこと・・」「うん、好き」「はぁー・・、あんたにその顔でそんなこと言われたら、天にも舞い上がりそうな奴らがうちの学校の男どもの中にもうじゃうじゃいるっていうのにねー、ほんともったいない」美幸は深く溜息をつきながら言った。
「いいじゃない別に・・だってピンってくる人いないんだもん、美幸はどうなの?この前サッカー部の男の子から告白されたって嬉しそうに言ってたじゃない」「綾、それいつの話よ」「いつって・・私がこうなる前だから・・あれ、いつだっけ?」「もう、遥か昔、それに嬉しそうになんかしてません」「ほんと?」綾は悪戯っぽい笑顔を浮かべて言った。「それはちょっとはいいかなーって思ったけど・・あれは一時の気の迷いでした、だから綾、聞かないで、お願い」そう言って美幸は綾に向かって目をつむり両手を合わせ、そしてゆっくり片目を開けて綾を見た。
「ふーん、そうなんだ・・いろいろあったんだね、私、なんか浦島太郎になったみたいな気分だよ・・知ってる?病棟の患者さん達、外のことシャバって言うんだよ」「シャバってあの、やくざ屋さんなんかが言う?」「たぶんね、でもそれがなんとなく分かる自分が悲しいよ」「じゃあさ、綾が退院する時、病院の玄関にみんなで並んで「お嬢、お勤めご苦労さんでした」って言ってあげようか、ごくせんみたいに・・どう?」「おまえら、心配かけたなって・・・いったい何物なのよ、私」そう言って綾はくすっと笑い、美幸もつられて吹き出して二人はにこやかに笑った。

美幸は話しながら見回すように部屋の中を眺めた。最初に訪れた無菌室に比べれば、遥かに広くいかにも個室という感じだったが、ドラマなんかで良く見るイメージとはどこか違っていた。普通は壁にそのままベッドが付けてあるが、ベッドはやや中央に置かれ、頭の側には大きな白い機械がベッドと一体に取りつけてあった。そして上部にはアームが伸び、透明なビニールがまるでカーテンのようにたたまれていた。
窓も二重になっていて、まるで綾の居た無菌室の中から外をみているような錯覚を覚え、親友がずっと一人で見ていた風景がどんなだったか少しだけ分かる気がした。
テレビや冷蔵庫も備え付けられていて、ベッドサイドのテーブルの上には、小説や漫画の本と一緒に教科書と参考書がしおりがはさまれた状態で置いてあり、ライトのアームには移植前に仲間と寄書きした赤いたすきが掛けてあった。そして花などの無い殺風景な部屋の中に、消毒用のアルコールの匂いだけが微かにしていた。
「ねえ綾、このベッドなんか凄くない?」「これでしょ、これはアイソレーターって言って、このビニールでベッドの周りを覆ってしまうと、無菌室と同じ状態を作り出せるの、ほら、最初テントみたいなとこに入ったって言ったじゃない、それがこれだよ。今、私には必要ないから使ってはないけど、この中でずっといるって思ったら、あの無菌室のほうが絶対快適なんだから」そう言って綾は後を振り向き、壁のようにそびえる白い機械を見た。
「でも綾、今思ったけど、これってビニールじゃなくて、もしレースのカーテンだったら、なんかお姫様ベッドぽくない?」そう美幸に言われ綾は想像してみた。「ほんと、言われればそうだね」美幸には垂れ下がるビニールがそれを連想させたが、この中で高熱や吐き気に苦しんだ綾にとっては、そんなのん気な考えが思いつくはずもなかった。

「それで、どうなの・・病気の具合?」病室の中を眺めているうち美幸の心にまた不安が広がってきた。「うん、ぼちぼちかな・・熱が出たり、吐き気やお腹の具合が悪かったりいろいろあるけど、でも電話でも話したように少しずつ良くはなってるみたい」「ほんとだよね、ほんと良くなってるんだよね」「大丈夫だよ、だってほらこうして会えてるじゃん、まあマスクはしてもらってるけど・・」「そうだよね・・ほんとは、今日綾に会うの少し怖かったんだ、うわー綾が凄い事になってたらどうしようって・・そう思ったら私・・」「分かるよ、美幸の気持ち・・自分が一番怖かったもん、もう顔なんかこんな腫れて赤黒くなって、ほんと凄い事になってたんだから・・先生や看護婦さんはそのうちきれいになるよって言ってくれるんだけど、その時は信じられなくて鏡を見ては、悲しいのか悔しいのか分からなくて毎日泣いてたの、だから皮膚が再生してるんだって分かった時はシャワールームで飛び跳ねたもん、私」「うん、きれいになったよ、綾はもともと色白だし美人顔だから」透き通るような白い肌になった友を、美幸は嬉しいと同時に少しだけ羨ましいと思った。しかし頭には青いバンダナが巻かれていて、見えている部分にも毛髪は見えず心なしか眉毛も薄く感じられた。
綾はそんな美幸の視線に気づき先に自分から話題にした。「でもこっちはまだこんななんだよ」そう言って綾は照れ笑いをしながら巻いていたバンダナを取った。
「綾・・」美幸はやはり一瞬絶句した。「どう、一休さんみたいで可愛いでしょ」「可愛いけど・・自分で言う?」「えへへ・・でも看護婦さんたちもみんな可愛いって言ってくれて、それはありがたいって思った。見ちゃったごめんとか言われたら、そっちの方が落ち込むもんね、でね最近は年配の男の患者さんに「俺、もう薬のせいでこんなになっちゃたぜ」とか言われて「私もこんなんです」って見せて「うおー嬢ちゃんには負けたぜ」とか言って勝負に勝ったりするんだよ」「綾、あんた・・」そう言って美幸は溜息をつき「ほんと強くなったね・・前から頑張り屋で強い娘だったけど、なんかそれに拍車がかかってない?」「そう?」「そうだよ、でもあのポニーテールで男子の視線を釘づけにしてた綾がねー」「してないしてない」綾は右手を振りながら照れた。
「そんな勝負に勝ったとか言ってるなんて、男子達が聞いたら卒倒もんだね」こんどは美幸が意地悪そうな微笑をした。「美幸、そんなこと絶対喋っちゃだめだからね」「言うわけないでしょ、親友を信じなさい」「ほんとかな、目が笑ってるんだけど・・」
美幸はちょっとある想像をして、自分でうけて思わずぷっと吹き出した。
「美幸、何が可笑しいのよ、見せなきゃよかった」綾は横を向いて口を尖らせた。
「あのさ・・フフッ・・あっごめん、あのね、綾もしね、もし退院しても頭そのままだったらどうするの?」「そんな訳ないでしょ、ちゃんと生えるわよ、決まってるでしょ」
「生えなかったら?」「だから、生えるの・・たぶん、それにカツラだって今はいいのいっぱいあるって他の患者さん達とも話してるんだから」「それはそう思うけど・・私は秘密は守るよ、でも綾の高校生活が随分スリリングになると思って・・・ぷっ」美幸は自分の想像が頭から離れず笑うのをこらえるのに必死だった。
「美幸、あんたほんと怒るよ」綾は今度は半分本気で手を上げた。「綾、元気になって良かったね・・・ぷっ」「美幸・・」

「ねえ綾、ちょっと聞いていい?」「もう変なことだったら答えないからね」綾は少し不機嫌そうな振りをして答えた。
「違うよ、その写真、花火の・・それ東京湾の花火大会だよね?」美幸はベッドの横に貼られた、大きく引き伸ばされた写真がさっきから気になっていた。「うん」返事した綾の表情はとたんに柔らかくなった。「綺麗だね、誰が撮ったの?おじさん?」美幸は綾の写真好きが走るのと同じく父親ゆずりなのを知っていた。
「これ?これは・・」綾は急に口篭もった。「そっか、今年行けなかったもんね、綾・・それでおじさん・・この大きさになんか愛情を感じるよね、綾」「うん・・そうなのかな・・」「あれ?綾のお父さんが撮ってくれたんじゃないの?」美幸の問いかけに綾はもじもじして、その表情の変化を美幸は見逃さなかった。「あれあれ、怪しいな・・誰の写真なんだ?こら、白状しろ」「これは・・お父さんだよ、決まってるじゃん」「ふーん、綾、あんた墓穴掘ったね・・じゃあ、聞いてこよ、おじさんに・・」そう言って美幸は立ち上がった。「美幸・・分かったよ、分かったから、もう・・教えるって・・」綾の諦めたような表情に美幸はにこにこ顔で聞いた。
「誰?誰、誰、誰・・ねー誰よ?」「先生だよ」「先生って?この病院の?なんで?」
「それは・・私がずっと病室から出られないから・・花火の話とかしたし・・それだけだよ」「それだけでいちいち患者にそんなことするかな?だってこんな大きな病院だよ、入院患者だってきっと凄い数だよ」「知らないわよ、きっと先生の趣味なんじゃないの、いっぱいプリントしたからくれたとか・・」「ふーん、じゃあなんでそんなとこに大事そうに貼ってる訳?ねえ、その先生に胸見られた?」美幸は悪戯っぽく聞いた。
「見られてません」綾は思いっきり頬を膨らませた。
「何向きになってるの、顔赤いよ、あんたさては・・好きなんだ、その先生のこと・・」
「何言ってるの、そんなことある訳ないじゃない」「ほんとかな・・ふーん、綾がねー・・」美幸は長い付合いの中で、こんなに顔を赤らませはにかむ綾の表情を見るのは初めてだった。「・・で、かっこいいの?その先生・・」「知らない」

「・・ほんとに美幸は・・私が病気なの忘れてるんじゃないのかな・・ねえ、お母さん」
綾は父親が早速プリントしてくれた昨日までの写真を見ながら母親に話しかけた。
「綾は病人扱いしてもらいたいの?」「そうじゃないけど・・」「美幸ちゃんは綾と普通にお喋りできる日を本当に待ってたの・・美幸ちゃん嬉しそうだったわよ、病院を出る時・・「よし、私もがんばろー」って言って・・綾はいいお友達を持ったわね、大切にしなきゃね」和子は微笑みながらそう話しかけた。
「うん、分かってる」そう言って綾は1枚の写真を手に取った。それは綾のデジカメで昨日病室で父親に撮ってもらった美幸とのツーショットの写真だった。
綾はベッドの上で、美幸は傍らに座り、二人仲良くピースサインを出していた。
綾はそれをしばらく眺めると、脇に置いたアルバムを開き、1枚1枚丁寧に貼っていった。そして小学校からずっと一緒に歩んできた、少しだけ大人っぽくなった親友同士が、アルバムのページの中で二人仲良く微笑んでいた。

続く
...2005/04/26(Tue) 12:02 ID:zDQqP7Bg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
こんばんは、グーテンベルクです。綾も次第に元気になっているようで読んでいると嬉しくなって来ます。辛い試練を次々と乗り越えてゆく綾、そしてそれを見守る者たち・・・。本当に素晴らしい物語だと思います。いつか元気になった綾の姿を見て(読んで)みたいです。これからも無理をせずに頑張ってください。応援いたします。
...2005/04/28(Thu) 19:17 ID:g5arKo5k    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
clice様
毎回の執筆、お疲れ様です。
病気の回復具合と、髪を失ったのにも関わらず、逞しく強くなった綾に、とても感心しております。
また、親友との会話。他愛もない中にも衝撃的な事実にも、ありのまま受け入れた美幸に、智世と富子の2人が存在しているような感覚を覚えました。
参考にさせて頂きたくともできない、とても高い完成度のこの作品に、これからも期待しております。
...2005/04/29(Fri) 21:10 ID:x.srlg1.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「綾、じゃあお母さん、帰るわね」和子は読みかけの雑誌をバッグにしまい、ベッドの上で教科書とにらめっこする娘に声をかけた。ここ数日は綾の体調もよく、美幸と学校の話をして、自分の授業の遅れに焦りが出たのか、時折教科書や参考書を取り出しては頭を抱えている娘の姿を和子は微笑ましく見ていた。
白血球や赤血球、血小板などの血液の各数値も、日々変化するものの概ね安定していて、心配されたGVHDも今のところ重篤なものに発展する兆候はなさそうだった。免疫抑制剤のFK506は飲み薬に変わり、栄養剤の点滴も止められて点滴の数も一本だけになった。そして3週間近く過ごしたこの個室にさよならして、綾は明日4人部屋へ移ることが決まっていた。
「ねえ、お母さん、そろそろ衣替えの季節だよね、お店忙しいんじゃないの?」帰り支度をする母親に綾は話しかけた。
「私、大丈夫だよ・・お母さんがずっと毎日来てくれて、安心だったし全然寂しく無かったけど、その分お父さん大変だったと思うし、だからもう・・・ねっお母さん」
「綾、あなたはそんな心配しなくていいのよ、お父さんもそれは分かってるんだから」「お母さん、私これでもクリーニング屋の娘だよ、ずっとお父さんとお母さんの背中見て大きくなったんだから・・忙しくなるの分かるもん、だからあんまりお父さんに無理させられないよ」綾は熱気のこもる作業場で、汗をかきながらアイロンをかけている父親の姿が目に浮んだ。
「綾、お父さんがどうして頑張れるか分かる?それはあなたがいるからよ、綾がこの病院で一生懸命頑張ってるから・・お母さんを毎日病院に来させてるのはお父さんなの、そして綾が今日はこんなだったってお母さんが話すでしょ、それを聞くのが今はお父さんの毎日の楽しみなの、だからね、お母さんがもし病院に来なかったらお父さん心配で、きっと仕事が全然手につかないと思うわよ、いいの?それでも・・」「お母さん・・」
綾は思い出していた、ずっと見てきた大好きな父親の後姿を・・。

「いらっしゃいませ、あっ、おばさん、こんにちは、ちょっと待っててね」綾はカウンターの後の棚からカッターシャツを数枚取りだし、脇のハンガーに掛かった沢山の仕上物の中から、タグの番号を見ながらグレーのズボンを2本取り出すと、それぞれに付いた番号のシールを丁寧に剥がし、カウンターに置かれたお客の控えにてきぱきと貼っていった。
そして後に沢山置いてある紙袋から丁度いい大きさの物を選ぶと、それらを丁寧につめて
待っている男性客に「どうもありがとうございました」と笑顔で手渡した。
「今日は綾ちゃんが店番かい?日曜日なのにえらいね」エプロン姿のふくよかな食肉店の奥さんが、紙袋に入れた洋服をカウンターの上に置きながら綾に話しかけた。
「はい、お母さんちょっと午後から出てて・・お爺ちゃんの腰の具合がまた悪いみたいなんですよ、それで・・」「そう、心配だね、でも綾ちゃんが店番してると和子さんも安心だ、お客さんも増えるよ、なんてたって綾ちゃんはうちの商店街でも指折りの看板娘だからね」「もう、おばさん、上手いんだから」綾は婦人にそう言われて、照れて微笑み「正信さん、あんた幸せもんだよ、綾ちゃんがこんなしっかりもののいい娘さんに育ってさ」婦人は、横の作業場でTシャツ姿でアイロンをかけている正信に、カウンター越しに声をかけた。
「みなさんに可愛がってもらってるお陰ですよ、でも最近はこうやって手伝ってくれるんでうちのも助かってます」正信は手を休めないまま大声で答えた。「だって・・頼りにされてるんだね」婦人は紙袋から次々と洋服を取り出しながら話しかけ、綾も笑顔で頷いた。そして綾は1枚づつ伝票に記入しながら染み抜きの有無を訊ね、該当するものには注意深く書き込んでいった。
「じゃあ、確かにお預かりしました」そう言って綾は控えを婦人に渡し「いつもありがとうございます」と笑顔で頭を下げた。
「そうそう、今日は豚ロースと合挽きが特売で安いって和子さんに言っといてね」婦人は思い出したように振り返るとそう綾に話した。「ほんと?じゃあ今日はとんかつってお母さんに言わなきゃね、おばさん」「ねえ、お父さんも晩ご飯とんかつ食べたくない?」綾は父親の背中に呼びかけた。「いいな、久しぶりに・・」正信もまた大声で答えた。
「だって・・」そう言って綾は玄関を出ていく婦人に笑顔で手を振った。
綾は預かった洗濯物を運びながら父親の方を見た。スチームの熱気でむっとする作業場で、時折腰に手をあてて背中を伸ばしながら、正信はもくもくとアイロンをかけていた。その背中は汗でびっしょりになっていて、それが小さな頃からずっと見てきた父親の後姿だった。
「ん、どうした?」後ろに立つ綾に気づき正信は振り返った。「ううん、何でも無いよ」そう言って綾は首を振り、抱えていた衣服を振り分けながらカゴに移した。
そしてピンポーンっとチャイムの音が聞こえ、「綾、お客さんだぞ」と父親の呼ぶ声に振り返ると、正信は額の汗を拭い、またシャツにアイロンをかけ始めた。
綾はそんな父親の後姿に目をやりながらぱたぱたとカウンターに出ていき、「すみません、いらっしゃいませ」と綾の明るい声が店内に響いた。

「綾はお父さんがどうしてマラソン始めたか知ってる?」和子は椅子をベッドの脇に寄せて座り、娘の傍らで話しかけた。「ううん、そう言えば聞いたこと無い」一緒に走り始めた時から、父親の走る姿は綾にとってごく当たり前の事で、その理由など考えたことも無かった。
「お父さんね、家族を守る勇気が欲しかったの」「勇気?」「そうよ、あの人頑固だけど小さい頃から飽きっぽくて、あなたがよく根性無しって言うように、本当は弱いところのある人なの」「あれは冗談だもん・・」「分かってるわよ、でもほんとなの、だから、あなたがおぎゃって泣いて無事に生まれた時、お父さん誓ったのよ・・どんな事があってもお前達のことは俺が守ってみせるって、その為に強くなるって・・それから少ししてかな、お父さん走り始めたの・・」「そうだったんだ」「今は仲間もできて、もうすっかり自分の楽しみになってるけど、お陰で健康で若々しくて素敵でしょ、お父さん」「お母さん、それのろけ?」「そうよ」和子はそう言って優しく微笑んだ。
「ご馳走様です、確かにフルを走れる父親は娘としても鼻高々だけどね」「だから、あなたの為だったら少々の事はへっちゃらよ、お父さん、スタミナあるんだから・・」和子は自慢気に言った。「お母さん、もしかしてラブラブなのはそのせい?」綾はそんな母親の様子に意味ありげな笑顔を浮かべ「ばかね、何変な想像してるの」和子は娘の言葉に一瞬どぎまぎし「えへへ」綾は自分の言葉に照れ笑いをした。
そして帰る母親を手を振って見送ると、「よし」っと自分に掛け声をかけて、綾はまた参考書とにらめっこを始めた。

続く
...2005/05/03(Tue) 12:54 ID:zLE5CIgM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:ベティの夫
cliceさんの素晴らしい物語を読み、影ながら応援しています。大事な人の命を、本当に丁寧に表現されていますね。
ここ1週間の無念に感じる事、それは忌まわしいJR事故です。この路線を私が利用し、二人の息子達が毎日通学に乗車しています。
事故の後、会社側もそして被害者顔の組合も、本当に107人の命の重さを思っているのか。愛する家族とさよならも言えないで永遠の別れを突然迎えたと言うのに。
願わくは、本気で再発防止に取り組む心を持ってほしいものです。
亜紀という女の子の生きザマを見、残された朔たちのその後の物語の重さを考えると、現実の世界は少し悲しくなります。
それだけに、cliceさんの作品は、今、現実に起こっているとしか思えません。
素晴らしい作品をありがとう。・・・そしてこれからもよろしくお願いします。
...2005/05/03(Tue) 15:00 ID:ApNJPyRo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
朔太郎はまるで目覚めることを拒否するように、左右に張り出したヘッドレストに頭を埋め、夢と現実の狭間を行き来していた。しかし瞼に届く明るい光と周囲のざわめきが彼を否応無く現実の世界に呼び戻し、朔太郎は薄っすらとその瞼を開いた。
一瞬その場所が何処か分からなかったが、3−4−3の配列で並ぶブルーグレーのシートには髪の色もさまざまの沢山の人が座り、通路ではブーメランをモチーフにした茶色のユニフォームを着た客室乗務員が飲み物のサービスをしていて、自分の座っている場所が飛んでいる飛行機の機内である事がその時分かった。
朔太郎の右側はすぐ通路で、左の窓側に二つ席があった。ゆっくりとそちらを見ると窓際に座る子供がしきりと窓の方を指差し、隣に座る母親と思われる女性が右手でその肩ほどの長さの髪をかきあげて、その隙間から覗くきれいな耳に銀色のイヤリングが光っていた。窓からは太陽の光を反射して輝く翼と大きな2基のエンジンが見え、それが発する金属音と微かな振動が機内にも伝わっていた。
そしてそれを眺めるうちにまた眠くなり、シートにもたれようと思ったその時、細い指先が朔太郎の肩に触れた。
「ねえ、起きたの?」その声に振り向くと隣で明希が微笑んでいた。
「シドニーまで後1時間位かな、とうとう来ちゃったねオーストラリア」「小林・・?」
「ママ、すごいね、雲があんな下にあるよ」そう言って少年が振り向いた。「一樹・・えっ?いったいどういう事?小林・・オーストラリアって・・」「パパ、また寝ぼけてるよ、ねえママ」「そうだね、パパお仕事ずっと忙しかったからね」そう言って明希は一樹の髪を優しく撫でた。
「小林、一樹今パパって言ったけど・・それに俺達なんで飛行機になんか・・」朔太郎は今の状況がまったく飲み込めず、必死にその答えを探しながら周りを見回した。
「ほんとに寝ぼけてるの?昨日の夜機内サービスのワイン飲み過ぎたんじゃない?一樹が夏休みになったら、家族でオーストラリアに旅行に行こうって言ったのは、あなたよ」
「俺?」「そう、それに止めてくれる、その小林って言うの・・私は松本です。松本明希、あなたの妻でしょ」明希はやっとそう呼ばれる日々が終わったと思っていたので、たとえ寝ぼけてるとはいっても少し許せない気持ちがした。
「もうほんとしょうがないパパね、ほら一樹、見て見て、あれお船かな?小っちゃいね」
朔太郎は必死に記憶を探った。俺達は結局結婚したんだろうか?あれからどのくらい経ったのだろうか?綾は今どうしてる・・・。いくら考えてもひどい二日酔いのように頭が働かず、隣で明希と一樹は楽しそうに窓から見える紺碧の空と海を見つめていた。

そうしているうちにワゴンサービスがすぐ後までやってきた。「コーヒーでも飲んでとりあえず頭をはっきりさせよう」朔太郎はそう呟き、乗務員が横に来るのを待った。
そしてワゴンが横に止まった。朔太郎はこの機体がカンタス航空のボーイング747−300型機である事を、前席に背のポケットに挟まれたパンフレットと緊急時の案内で気づいていて、前の方でサービスをしている金髪の女性のように当然英語で話しかけられると思っていた。その為二人の分も一緒に答えようと明希に声をかけた。
「小林、飲み物来たけど、何にする?」そう朔太郎が言った時、「お飲み物はいかがですか?」と女性はきれいな日本語で話しかけた。朔太郎はその透明感ある声に聞き覚えがあり振り向くと、髪を後で纏めた色白の美しい女性が、優しい微笑みをたたえて立っていた。「綾ちゃん・・・君・・・」
朔太郎は一瞬「亜紀」と言いそうになったが、さすがにそれが口から出ることは無く、亜紀と同じ面影を持つ女性はこの世に綾をおいて他にはいなかった。そしてそう言いかけた時、「あなた、いつまでそんなこと・・私は明希です」明希が朔太郎の左手を握りそう言った。するとその女性も明希に向かって話しかけた。
「奥様のお名前もアキって仰られるんですか?私も亜紀なんですよ」そう話す女性の胸のプレートにはAKI・HIROSEの文字が入っていた。

朔太郎は我が目と耳を疑った。しかし彼女は確かに自分のことを亜紀と言い、プレートにもその名前が・・「亜紀、亜紀なのか」朔太郎は掴み掛からんばかりの勢いで、その女性に問いただした。しかし女性はその問いかけを気にもせず、二人分のコーヒーと一樹にはオレンジジュースをそれぞれカップに注ぎ、それを引き出したテーブルの上に置いた。
そして「朔ちゃん・・いえ松本様、そして奥様、一樹君も・・このオーストラリアのご旅行が皆様にとって素晴らしいものになりますよう、私も心からお祈りいたしております」女性はそう言って丁寧に礼をして微笑み、その場を立ち去って行った。
「亜紀、待ってくれ、待ってくれよ、違うんだよ、これは違うんだって・・亜紀・・・」朔太郎は立ちあがって追いかけようとするが、シートベルトが外れず立ち上がることが出来なかった。「亜紀・・行かないでくれ・・・」そう叫ぶ声にも振りかえることはなく、女性は満席の乗客の間を抜けて視界から消えていった。
「きれいな女性ね、あなた」そう言う明希の声が小さく聞こえていた。
「亜紀・・・・」
そして目が覚めた。閉めたカーテンの隙間から光が射し込み、朝を告げる鳥の鳴き声が朔太郎の部屋にも届いていた。

いつものように慌しく職員が出入りする病院の食堂で、朔太郎は外を見ながら一人遅めの昼食を取っていた。今朝方みた夢が頭から離れず、料理に伸ばす箸の仕草もどこか空ろだった。
「ここいいですか?」そう声をかけられ振り向くと、白いナース服姿の森下が定食の乗ったトレーを手にして立っていた。
「どうされたんです?松本先生、ぼーっとしちゃって」「森下君・・君も今から食事?」「ええ、私はいつもみんなが戻ってきた後なんですけど、今日は忙しくて」「大変だね、チーフも」「松本先生こそ生検山盛りですか?」「それもあるけど、午前中のオペが押したみたいでね」「術中迅速ですか、お疲れ様です」「森下君、あの・・広沢さんの様子はどう?」「綾ちゃんですか?ここ数日は体調いいみたいですよ、日曜日にお友達がお見舞いに来て、綾ちゃんも学校の事が気になりだしたのかな・・検温の時に参考書広げてました」「そう・・学校行きたいだろうね」朔太郎は9月に入って初めて、病室にお見舞いに行けるようになった時の亜紀の様子を思い出した。ベッドの横のテーブルには、何冊もの教科書と参考書がしおりが挟まれた状態で積まれていて、先生に頼んで持っていったテストのプリントを必死になって解いていた、授業に遅れないように、学校に戻れると信じて・・。
「このまま順調なら、あと40日位でしょうか・・私はドクターじゃないですから分かりませんけど、そうなったらいいですね」「うん、そうだね」そうなったらいい、それは朔太郎の願いだったが・・。
「綾ちゃん、言わないけど気にしてましたよ、先生が来ないこと・・まさか私が怒ったからですか?」森下はあの日以来朔太郎が綾の病室を訪れてない事を知って気にしていた。「まさか、違うよ」「そうですよね、良かった」
「何、気にしてたの?」「ちょっと・・ですね」そう言って森下は右手でそれを示す仕草をした。「でも、綾ちゃんが寂しそうにしてるのは気になって・・なんか彼女、妹のような気がするんですよね、私兄弟男ばかりだから・・」「長女なんだ」「分かります?」「なんかそんな感じがした」朔太郎は弟たちを叱るしっかり者の姉というイメージを森下に感じていた。
「もちろん患者さんと必要以上に親しくなっちゃいけないことは分かってます、私自信ずいぶん辛い思いをしましたし・・でも私達ナースは自分の親や兄弟、時には子供のように思って日々患者さんのお世話をしてるんですよ、そう思わないとできないし・・でもナースはそれで成長していくんですよね、患者さんが退院する喜びと、別れの悲しみを経験して・・だから若い娘によく言うんですよ、いっぱい笑っていっぱい泣きなさいって・・」朔太郎にそう話しながら、今までにお世話した沢山の患者の一人一人の顔が浮んできて、森下は少しだけ涙腺が緩みそうになるのを感じた。
「あっ、ごめんなさい先生、私一人でお喋りしてますね、なんか喋り方がおばさん化してません?今から若い娘とか言ってたらやばいですよね」そう言って森下は照れ笑いをするように話した。

「森下君はいくつに・・ごめん、何年目になるの?」「先生、それ同じことだと思いますよ」そう言って溜息をつき「7年目です」と答えた。
「独身だよね、結婚は・・しないの?」「先生、それセクハラ、ドクターはそんなことナースに聞いちゃいけませんよ」「ごめん、君達とあんまり話したこと無かったから・・気をつけるよ」そう言って朔太郎はすまなそうに頭を下げた。
森下も別に怒った訳ではなく、気にならないと言えば嘘だが、よく言われるようになってから随分と経っていた。そして目の前のドクターにはそんな冗談が言える気がした。
「まあいいです、松本先生だから許します」そうまた溜息をつく振りをして言った。
「ごめん」朔太郎は再び謝った。「先生だってまだお独りでしょう、どうなんですか?」
「俺は・・仕事仕事でそんな暇無かったから・・」「それは私達も同じですよ、何日か置きに夜勤があって・・そう言えば先生もよくお泊りしてましたね」そう言って森下はくすっと笑い話しを続けた「それに土日祝日関係無いし、帰ってもぐったりしてるし、職場では親しくなる前に戦友みたいになっちゃうし・・たとえば救命センターの立花さん、私の1年先輩なんですけど、ドクターが放してくれなくて「一人患者さん救うたびに、私の婚期が逃げていく」が口癖なんですよ・・これ私が言ったって言わないで下さいね」そう言って森下はまた笑った。患者に直接接しているのは彼女達看護師で、人の命を預かる責任と時には苦しい思いもする決して楽な仕事ではないが、それでも笑っていられる彼女達がいるから患者は安心できるんだと、そんな彼女達を朔太郎は改めて凄いと思った。
「できる人ほど幸せに縁遠い世界かもしれませんね、ここ・・でも見つける人は見つけるんですよね、結局、そんな人に出会うかどうかですね」そう言って森下は窓の外に目をやり遠くを眺めた。朔太郎はそんな森下の横顔を見た。きれいな横顔だった。
「あっ、いけない、私ばっかりお喋りしてしまって・・先生聞き上手ですね、私先生のこと素敵だと思いますよ、綾ちゃんに会ってやって下さいね、待ってますよ、きっと・・」
そう言って森下は食べたトレーを持って立ち上がり「お先に失礼します」と朔太郎に挨拶をしてぱたぱたとした足取りで食堂を出て行った。

その日の夕方、朔太郎は304号の綾の病室のドアをノックした。
「はい」という声にゆっくりとドアを開け病室に中に入った。
綾はベッドの上で振り向き、前のテーブルには読みかけの参考書が置かれていた。
顔の色は本当に白くなりその涼しげな顔立ちは亜紀そのままだった。
朔太郎は一瞬「朔ちゃん」と呼びかけられることを期待した。
しかし顔を綻ばせながら綾の口から出た言葉は「先生」だった。
「どう、調子は?」「まあまあ・・かな?、先生はどうなの、仕事忙しいの?」
「うん、ぼちぼち・・かな」「何それ・・よく分かんないけど・・まあいっか、あのね、先生、私4人部屋に移るんだ、明日・・」「聞いたよ、良かったな」「うん、それでね・・・」
綾は久しぶりに会えた嬉しさで、次々と会わなかった間の出来事を朔太郎に話した。
くるくると表情を変え話す綾の姿は、朔太郎の心に優しく染みていった。
そしてそんな穏やかな時は二人の間でゆっくりと過ぎていった。

続く
...2005/05/05(Thu) 13:29 ID:TIl8FMo6    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜clice様〜
先日は、丁寧なコメントを頂きましてありがとうございました。
たまにやって来ては、ボソッと言って帰るだけの私ですが、「最後の夢かも」と言ったのはもちろん本心ですし、その他も全部本当のことです。

さて物語ですが、[186]には引っ掛かってしまいました。(笑)
「えっ?そこから始まるの?」って感じでした。お見事・・・。
ちなみに私は、そういう「現実」をお書きになられていたとしても、全く問題なく受け入れられますし、「手法」の面でも「物語」の面でも、この先どうやって書いていかれるんだろうって、いつもワクワクしています。
[184]は、クリーニング屋さんの蒸気が伝わって来るようでした。

どうぞお身体に気を付けて、ゆっくりと、素晴らしい作品を完成させて下さい。
...2005/05/06(Fri) 09:46 ID:Bu.FmxM.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:グーテンベルク
 clice様へ
こんばんは、グーテンベルクです。今回もよませていただきました。朔が見た夢・・・亜紀の事が忘れられず、なおかつ小林明希のことも大切にしたいという朔の気持ちが伝わってきました。朔が持つ優しさゆえに見た夢なのかもしれないと思っております。いつも素晴らしい物語をありがとうございます。これからもお互いに頑張っていきましょう。
...2005/05/08(Sun) 20:21 ID:/napU.n6    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:yamabito
>cliceさんへ
 先週から一気に読ませていただきました。
続編を楽しみにしています。
 みなさん、アナザーストーリーを書かれていてどれも秀作ですね。
 原作の素晴らしさを再認識している次第です。
...2005/05/17(Tue) 20:43 ID:O2xyK/3I    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
お疲れ様です。
遅ればせながら読ませていただきました。
今回は冒頭からとても驚きました。わたしとしてもあっては欲しくない展開でしたので。
次回からも驚きの展開を期待しております。
...2005/05/18(Wed) 22:08 ID:PLl.Z5WQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:アーネン
重みのある、とても素晴らしい物語をいつも楽しみにしております。これからも頑張ってください。応援してます
...2005/05/20(Fri) 22:01 ID:0oIx5gj2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
冒頭の朔の夢が幻想的でした。
おい、朔、明希とはどうするつもりなんだ・・・と良い意味でハラハラしております。
...2005/05/26(Thu) 23:26 ID:F62y3.uY    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
皆様、ご無沙汰してすみません。
その間に書き込んでいただいたベティの夫様、不二子様、グーテンベルク様、yamabito様、たー坊様、アーネン様、SATO様ありがとうございました。
以前より5月はもう時間がとれないことが分かっていましたので、それまでに書き終えたいと思っていましたが、だらだらと書いているうちに時間切れになってしまいました。
今までの仕事に区切りをつけ、6月からは新しい生活が始まることになりそうですが、少し止まってしまった綾ちゃんの物語をまた書いていきたいと思います。
本当なら書き終えているはずなのに、いまだドラマなら8話あたりでうろうろしていますので、結末までにはもうしばらくかかりそうですが、これからも読んでいただければ嬉しく思います。
...2005/05/28(Sat) 07:46 ID:QkBAe3hQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
お疲れ様です。
じっくりと環境を整えてから、再び執筆なさってください。
一読者として楽しみにしております。
...2005/05/29(Sun) 19:14 ID:x.srlg1.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けんけん
こんばんわ。お久し振りです。けんけんです。やっと引っ越しも終り生活も落ち着いてきたので、またこのサイトに戻って来ました。やっといま全部読ませていただきました。綾の病気も少しずつ良くなってきて良かったですね。そして、朔との関係もこれからどうなるか楽しみです。あと明希との関係も・・また楽しみにしていますので、執筆活動頑張って下さい。
...2005/05/29(Sun) 22:40 ID:q67UFQQw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
緒形直人さんの演技を観ていて思うのですが、苦悩の表情、泣き顔、苦手な人の前でアタフタする表情その他諸々、目や表情の演技が上手ですね。
「セカチュー」では17年も亜紀の死から卒業出来ずに苦しむ朔太郎、「ファイト」では一家離散に追い込まれて苦悩する父親、演技が上手い役者さんだからこそ、心に響くものがあるのでしょうね。
...2005/06/05(Sun) 14:46 ID:UXAdiEM.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
下に落ちかかっていたので、あげます
...2005/06/07(Tue) 23:03 ID:HT.WOHMA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
そろそろあげておきます。
...2005/06/14(Tue) 21:05 ID:Y.JyDB5A    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
川沿いの国道を左折して、一台の銀色のミニバンが学校へ続く真直ぐな道を走っていた。田んぼはすっかり稲刈りも終わって茶色い地面が再び顔を出し、刈り取った茎からは所々また緑色の新しい葉が伸びようとしていた。道の両側には、下校途中の生徒達が思い思いに友達同士お喋りしながら家路を目指し、どのくらい時間が流れても変わらない、いつもの放課後の風景がそこにあった。
智世はその列を慎重に避けながら、懐かしい校門をくぐり外来者用の駐車場に車を止めると、後のドアを開けてダンボール箱を取り出し、それを抱えて校舎の方へ歩き出した。

「それではここにサインをお願いします」職員室の受付で、智世は伝票を差し出した。
応対した同年代くらいのジャージ姿の男性教諭は、ダンボールの中の商品をさっと確認すると、自分の机から印鑑を取り出してその伝票に慣れた手つきで押した。
「毎度ありがとうございます」智世は職員室中に響くような大きな声で挨拶をすると、伝票をエプロンのポケットにしまい込んで出口に向かった。
先生達や生徒が出入りする職員室のざわめきや、校内に流れる放送部のアナウンスが、何度訪れてもあの頃へと一瞬でタイムスリップするような気持ちにさせた。
職員室の入口で、すれ違った女子生徒にこんにちはと挨拶され、どこか面映い気持ちがしてたその時、「では、失礼します」という聞き覚えのある声に振り向くと、バインダーや書類を抱えた谷田部が隣の部屋から丁度出てきたところだった。
「上田、聞こえてたよ、あんたの声、隣の部屋まで」青いポロシャツに紺のジャージ姿で首からストップウオッチを下げた谷田部が、昔と変わらない笑顔で智世に話しかけた。「谷田部先生・・」「悪いね、いつも持ってきてもらって」「先生・・私のほうこそすみません、いつも注文してもらって」智世は恩師に頭を下げた。
「何言ってるの、私があんた達にしてやれる事なんてこれくらいなんだから」
谷田部は運動部の顧問達に声をかけて、各クラブで使用する消炎剤やテーピング用品など、活動費の範囲内で買える物についてはまとめて智世の店に注文して、智世はそれを時々配達していた。
「それにあんたのとこには特別安くしてもらってるし、あれで儲けあるの?」「それは経営努力でなんとか・・それに私も運動部の先輩として、後輩達の役に立ててたら嬉しいし・・先生、これからもなにとぞ上田薬局をよろしくお願いします」そう言って智世はまたあらたまったように頭を下げると、その変わらないきりっとした顔立ちから笑顔がこぼれた。
「時間あるんでしょう?どう、久しぶりに練習見てく?ちょっと待っててね、これ置いてくから」そう言って谷田部は抱えた書類の束を持って職員室の中に入っていった。

校舎を出てグラウンドに向かう途中の中庭では、あちこちで生徒達がベニヤで作った看板に絵を描いたり、劇で使う大道具らしきものを作ったりと、にぎやかな笑い声とともに近づく文化祭の準備に追われていた。
「またこの季節がやってきたんですね、先生また今年もロミオとジュリエットやるんですか?」「そうよ、悪い」「悪くはないけど、先生のクラスになった生徒には同情するな、だって文化祭の出し物決める権利最初から無いんだもん、もう何回続けてるんですか?」
「いいのよ、伝統なんだから、それに一つとして同じ内容にはならないんだよ、生徒が違えば劇も違うの、思えばあんた達が最初だったね」「そうなんですか?」「そうだよ、でも後にも先にも、あんなはちゃめちゃなロミオとジュリエットは無かったけどね」「そうですね、大うけでしたもんね」「語り草だよ・・松本があんな変な演出をするから、それから後もみんなどこかしら捻ろうとして、正統派の劇が何回あっただろうね・・どう伝統をつくった気分は」谷田部は思い出すように一呼吸置いて、そして智世に話しかけた。
「あの時は入院してる亜紀を喜ばせようと思って・・でも知ってたんですね、先生と朔はもう・・朔、どんな気持ちだったろう・・この季節がやってくるとどうしても思い出してしまって・・」智世は頭を下げながらすれ違った数人の女生徒のグループを振りかえった。手に手にペンキやボール紙を抱えて楽しそうに歩いていく、左端のやや背の高い女の娘の頭の後ろでポニーテールが揺れていた。
「そうだね、忘れようにも忘れられないね・・廣瀬に見せに行ったんでしょう、あんた達・・廣瀬、笑ってた?」「ええ、ベッドの上でお腹抱えて・・」「そう、じゃあ、成功は廣瀬の保証付きだったんだ」「ですね、亜紀・・レベル高かったから」「そうだったね、勉強もスポーツも何事にも一生懸命で、もうちょっと力抜けばって教師の私が思うくらいに・・みんなに無理やり決められたジュリエット役も、嫌なら辞めればって言っても、一旦引き受けたからって聞かなかったし・・ほんと頑固なとこあったよね、廣瀬」
「亜紀らしい・・もし亜紀がジュリエットやってたらどんなだったんだろう、それはそれで語り草になってたでしょうね、私も見てみたかったな・・亜紀のジュリエット・・せめて高校生の間くらいは元気でいることできなかったのかなって・・一緒に思い出もっといっぱい作りたかったなって・・今更ですけどね」智世は小さな溜息をつき、唇を引いて笑顔を装った。

中庭の木立を抜け、校舎とグラウンドを隔てた道路に出ると、お揃いのユニフォームを着た女子バスケット部の女の子達が、すれ違いざま口々に二人に挨拶をしながら声を上げてロードワークに出ていった。
「いいですね、運動部の子達は・・今も昔も元気で礼儀正しくて・・まっ先生が怖いっていう噂もあるけど」「そう?私は昔から優しいわよ」「ほんとですか?鬼の谷田部って言われてたの知ってます?教室でもそうだったけど練習もきつかったですよ」
「何言ってるの、あんただって鬼キャプテンって言われてたよ、廣瀬がいなくなって、3年生も引退して意気消沈してた女子陸上部を、あんたが引っ張ってきたんじゃない、そのでっかい声で・・あんた自信も記録を伸ばしたけど、あのときの1・2年生はその頑張りと厳しい練習でぐっと伸びたからね、県大会常連の今のうちの陸上部の伝統は、上田、あんたが作ったようなもんだよ」「先生・・」
「ごめん、つい上田って言ってしまうね、今は大林だっけ」「そんな気にしないで下さい、先生に大林って言われてもなんかピンとこないし、それに先生だって谷田部なんだから」「あっ、その言い方、刺あるよ、あんた」「あっ、ごめんなさい」智世は慌てて謝ったが、顔は笑っていた。

道路からスロープを右に下り、開け放された青い鉄の門を抜けると体育館が在り、その先に懐かしいグラウンドが見えていた。
体育館から聞こえるボールの弾む音ときゅっきゅっというシューズの音、キーンという金属バットの音とグラウンドに響く掛け声が、時が流れても変わらない、自分の青春があった場所が確かに今もここにある事を智世は感じた。

「亜紀ちゃんは元気?今2年生になったんだっけ」
「ええ、おかげさまで毎日元気に走って学校行ってます」「そう、この前まで一緒についてきてたと思ったのに、大きくなるのはあっという間ね」「ほんとですね、かけっこが大好きなのはいいんですが、あわてんぼでうっかり屋さんなのは名前負けしてますね、いっつも転んではヒザ小僧擦りむいて、その度に絆創膏貼ってやってるとああ我が子なんだって思ったりして・・でも泣かないで我慢強いのは名前のおかげかも」
「そう」谷田部は微笑み、教え子二人の親友の絆が、次の世代に間違い無く引き継がれていくであろう事に、心温まる感じがしていた。
体育館を曲がりグラウンドに出ると左手の緑の芝生の中に、茶色い土のトラックと、白線が引かれた6本の真直ぐに伸びるレーンが見えて、部員がそれぞれ自分の競技の練習をする中、短中距離の選手が熱心にスタートの練習に汗を流してる様子が見えた。
ホイッスルの音と一斉に駆け出す靴音、風の匂いと、グラウンドの土と緑の匂いが、懐かしいあの頃を智世の脳裏になぜか急に写し出した。まるでそれは昨日の出来事のように・・鮮明に・・。

6月の第3土曜日、朝のホームルームの時間に担任の谷田部から、学年主任でこのクラスの副担任でもある生物の村田先生が、昨夜入院中の病院で亡くなった事を知らされ、皆一様に驚きを隠せないでいた。そして亜紀や智世の目にもその時の谷田部先生の姿が、いつになく動揺している様子に写っていた。
谷田部はお通夜は今晩7時から、告別式は明日の12時から禅海寺で執り行われる予定である事、明日の式へはこのクラスが代表として参列する事、他には1年生の時に村田先生に担任をしてもらった生徒が参列の予定であることなどを告げた。
「廣瀬、ちょっと」谷田部は教壇から右手で合図をして亜紀を呼ぶと、そのまま教室を出て廊下で立ち話を始めた。亜紀は時折頷きながら谷田部の話しを聞くと、神妙な面持ちで席に戻ってきた。
「亜紀、今先生と何話してたの」智世は気になって声をかけた。
「弔辞を読んでくれないかって」「弔辞?亜紀が?」智世は思わず声を張り上げた。
「声大きいよ」亜紀は周りを見回し、右手の人差し指を唇にあてながら話した。
「ごめん、明日のお葬式の時?」智世は急に小声になった。
「うん」「すごいじゃない、亜紀、生徒代表だなんて」「そうだけど・・そんなやったこともないこと突然言われても、しかも明日だよ、どんなこと言えばいいのかも分からないし」「そうだよね・・でも亜紀ならできるよ、先生もそう思ったから亜紀に話したんじゃない、それに亜紀さ、村田先生によく質問してたじゃない、たぶんこのクラスで亜紀が一番村田先生と話してると思うよ、だからそんなこと話せば?」
「うん、考えてみるよ、あっそれとね、今日部活行けないからって、先生達これから手伝いやなんかいろいろあるみたい」ホームルームの後、ざわついていた教室もチャイムが鳴り、1時限目の教師が教室に入ってくると急に静かになった。

「あれ、なんか静かだね」智世は放課後、亜紀と一緒に部室に向かう途中、体育館の脇を通りながらいつもと違う雰囲気を感じた。
「今日、先生達いないから部活休みのとこもあるみたい」「そっか・・それで」いつもなら体育館からはボールの弾む音や掛け声が響き、武道場からは竹刀があたるパシパシという音やドスンという畳の音が、怒号のような叫び声とともにあたりに響き渡り、運動場の周りは生徒達の活気のある声で満ち溢れていた。
「智世、先輩が今日はキャプテンもいないし、自主トレにしようって、どうしようか?」トレーニングウエアに着替えた亜紀が、伸ばした左手を右手で抱えこんでストレッチしながら智世に話しかけた。
「じゃあさ、ランニング行く?県予選も近いしいつものメニューだけでもやろうか」
智世も右手を首の後で抱えながら横目で亜紀を見て答えた。
「そうだね、じゃあ、行こうか」十分に身体をほぐした二人は、門を出て下校途中の生徒の横をすり抜けるように追い越しながら、並んで元気に走り出した。
川沿いを町に向かって走り、白壁の土蔵の並ぶ通りを抜けて、港を曲がり神社までの往復5キロほどの距離がいつものランニングコース、今日は亜紀が前を走りながらペースを配分して智世を引っ張っていく。
潮の香りのする海風をいっぱいに浴びながら、白く並んだ漁船の横を走りぬけると、目の前に広がる瀬戸内の海が太陽の光を反射してきらきらと輝き、遠くの島影と青い空に浮ぶ真っ白い雲がすぐそこまで来ている夏を二人に感じさせた。

神社の横手にある所々苔むした古い石段を息を切らして駆け上がると、広いきれいな境内に出た。「水だー」智世は境内の脇の手洗いの水場に一目散に駆けこむと、置いてあるひしゃくでごくごくと水を飲み始めた。
「智世、行儀悪いよ」「じゃあ、亜紀は飲まないの?」「もちろん・・飲む」そう言って亜紀もひしゃくで湧き出す冷たい水をすくって口に運んだ。柔らかい水の味と金のひしゃくの冷たい感触が、顔いっぱいに汗をかいた口元に一瞬の清涼感を運んできた。
「あー気持ちいい、やっぱ階段はきついねー」「そうだね」「ねえ亜紀、お参りしていかない?」「えっ、でもお賽銭持ってないよ」「いいのよ、こんなのは気持ちだから」「そういうもんかな」「そういうもんなの、ほら」そう言って智世は亜紀の手を引っ張って本堂の前に立ち、がらがらと鈴を鳴らして手を合わせた。
「ねえ、亜紀は何てお願いしたの?」「んーとね、県予選を自己ベストで通過できますようにとか、期末の成績が上がりますようにとか」「さすが優等生、頼み事も違うわ」「それと・・」「それと?」「それと、明日の弔辞が上手く読めますようにって・・」
「亜紀」智世は一瞬目を円くして亜紀を見た。「ん、私なんか変なこと言った?」
「亜紀、寺での行事のことを神社で頼むなんて大胆だね、しかもタダで・・罰当たるんじゃない」「何よ、智世がお金無くてもいいって言ったんじゃない」
「そうだけど、普通しないでしょ」一見すべてに完璧に見える亜紀が、実は結構天然なところがあるのをこれまでの付合いで智世は知っていた。
ともすると同姓には煙たがられる存在になりがちな、美人の優等生の典型のような亜紀が、智世にとって身近で親しみの持てる存在に感じられるのも、そんなことが理由の一つでもあった。
「最後の願いは無かった事にして下さい、なにとぞお願いします」亜紀は慌てて本堂に駆けより手を合わせた。「これでよし・・っと」そう呟き振りかえって、また小走りで智世の横に並んだ。「今、さっきのお願い取り消してきたから、もう大丈夫」そう言って亜紀はすました顔をした。「亜紀、たぶん遅いと思うよ」「遅くないの、大丈夫なの」「そうかな」「明日、なんかあったらそれ智世のせいだからね」亜紀は頬を膨らまして智世を見た。「おっと、そうくるか」「じゃあ、智世は何てお願いしたの?わらわに白状せい」亜紀は意地悪っぽい微笑みをしながら智世に詰め寄った。

続く
...2005/06/20(Mon) 07:52 ID:gQyBq8jo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「あんた、いつの時代の人なのよ」呆れ顔をしながら、智世はこんなところも自分しか知らない亜紀の一面なのかなと思っていた。
「あたしは・・まっいろいろよ」「いろいろって?」「亜紀と一緒、とにかく県予選をパスして県大会に行く、後はおまけよおまけ」「ふーん、分かったぞよ、コロッケパンの殿方のことじゃな」亜紀は智世の顔を覗きこんだ。
「知ってるよ、智世がいつも大木君の分までコロッケパン買ってるの」「亜紀・・」

境内の高い銀杏の木の脇の、木蔭のベンチに腰掛けると、爽やかな風が汗をかいた身体を優しく通り抜けていった。
「なんか羨ましいなって思って」「あいつはそんなんじゃないって、ただの腐れ縁っていうか・・」「それでもいいじゃない、わらわもコロッケパンが食べたいぞよ」
「ねえ、亜紀は好きな人いないの?」「んーどうかな、今は勉強と部活が大事だし、それに、うちってお父さん厳しいからそんなの無理っぽいね」「もったいないな、亜紀見てるやついっぱいいると思うけどな」「そんなこと無いよ」「あるって、でもまっ亜紀に言い寄れるようなやつ、うちの学校にはいないか」智世は溜息をつくように言い、両手を組んで「んー」っと上に伸ばし「はあー」っと大きく息を吐き出した。
「もうすぐ夏だね、期末と県予選が終わったら夏休み、あと1ヶ月、それまでいろいろあるよね」「だね」「ねえ亜紀、今年はさ、この神社の夏祭り浴衣着て行かない?」
「それ、私も智世に言おうと思ってたんだ、今年ね、お母さんが新しい浴衣作ってくれるって、この前お母さんと今治に買い物に行った時、実は柄もう決めてきたんだ」
「えーどんなの?」「夏まで秘密」「じゃあさ、花火大会もそれ着て行こうよ」
「大木君誘って?」亜紀はまた悪戯っぽく智世に言った。
「あいつ誘うと、自動的に朔とボウズも付いてくるよ」「松本君?いいよ、智世の幼馴染なんでしょ」「亜紀がいいならいいけど・・じゃあさ約束だよ、ドタキャンは無しだからね、じゃあ指切り」そう言って二人は指切りをした。
「やったー、よーし、来年は受験だし、今年の夏は思いっきり遊ぶぞ」智世は右手を握り、亜紀の思わぬ提案にそのきりっとした顔立ちの中の瞳が急に輝きを増した。
そして亜紀も密かに微笑みながらその日に思いを馳せた。

「ねえ、亜紀は大学どうするの?こっち?それとも・・」「うん、東京の大学にしようと思う・・私ね、出版社に入りたいんだ、ほら、出版社ってほとんどが東京だし、就職活動もこっちの大学じゃ難しいと思うから、それに叔父さんが東京にいるし・・あっお母さんの弟ね、下宿させてもらって通う話はできてるみたいなの」「そうか、亜紀はもともと東京育ちの都会っ子だもんね・・」智世は急に亜紀が遠くに行ってしまうような、そんな胸騒ぎがして怖くなった。
「智世は?どうするの?」「あたしはたぶん家から通えるとこ、やっぱ松山かな」
「智世は家が薬局だし、一人娘だからお店継がないといけないんじゃない?」「どうだろ、あんまり期待はしてないみたいだけどね・・それに今の成績じゃ薬学部はやっぱ無理でしょ」「そんなことないよ、頑張ろう、私も頑張るからさ、ねっ智世」「亜紀・・」
「ねえ、亜紀・・亜紀が東京の大学に行ったら遊びに行っていい?」「もちろん、いいよ」「じゃあ、渋谷とか原宿とか案内してよ、あたし109に行ってみたいんだ」
「聞いた事あるけど何処にあるの?それ・・」「知らないの、東京にいたのに、渋谷の駅前、ほらよくテレビに映るじゃない、なんか丸いビル」「あっそうか、だっていたの小学生の時だよ、お母さんと行ったことあると思うけど、名前までは知らないよ、渋谷で知ってるのハチ公くらいだもん」「亜紀、それたぶん日本中の人が知ってると思う」
「そっか、そだね、でもね私大好きだよこの町も、智世も・・だからずっと友達でいようね」「亜紀・・もちろんだよ」
「じゃあ、智世、また少し駆け上がりやって帰ろうか」そう言って亜紀は立ち上がり、腕を伸ばしたり、身体を反らしたりして、自らを練習モードに切り替えていった。

「智世、あそこ曲がったら、校門までダッシュしない?」二人は国道沿いの道を戻り、校舎へ続く一本道に曲がる角まで来ていて、亜紀が智世の前に出てそう言った。
「えー」「いくよ」「待ってよ、亜紀」
帰り道は智世が前を走っていたが、遠回りしたことと、少しペースを上げ過ぎたことで智世はややばて始めていた。
最後の500m位の直線を亜紀は全力でダッシュした。校門が近づいてきた時、ふと後を走っていた智世の気配がしなくなり、スピードを緩め振り返ると、智世が道の途中で屈みみ込んでいた。
「智世、大丈夫?」亜紀は智世のところに急いで駆け寄り声をかけた。
「頑張りすぎだよ、亜紀」「いつものメニューだけでもやろうかって言ったのは智世だよ、県予選頑張るんでしょ」「そうだけど・・ハアハア・・飛ばしすぎだよ・・もーダメ」そう言って智世は完全に道に座り込んだ。
「もう、しょうがないな」そう言うと亜紀も智世の横にしゃがみ、汗をかいた胸元をぱたぱたさせた。田んぼを渡る爽やかな風が二人の間を優しく吹き抜けていった。

「亜紀、何見てるの?」「智世、見て見て、ほら、おたまじゃくし、こんなにいっぱい」
「ほんと、うじゃうじゃいるね」「可愛いよね」「そおー」「可愛いじゃない、なんか一生懸命生きてるって感じで」「亜紀ってさ、顔に似合わずほんと変なもの好きだよね、フナムシとかさ・・あたしはダメ、ハチとかクモとか昆虫系は全然ダメ」「そうだね、でも生きてるってことには違いないし、できるならそっとしておきたいって思うよ」「亜紀は優しいのよね、うちはほらそいつらの天敵だから・・」そう言って智世はにやりとした。
亜紀はその表情にピンときて思わず叫んだ。「殺虫剤」「ピンポーン、ゴキブリホイホイも有るわよ」「それは許す」そう言って二人は顔を見合わせて笑った。
「ハチって言ったらさ、去年の今ごろ神社であたしがハチに驚いて、亜紀の足捻挫させちゃったんだよね」「そんなこともあったね」亜紀は今思い出したようなふりをしたが、亜紀にとっては決して忘れることのない、大切な思い出の日だった。
「今更だけどごめんね」「いいよ、おじさんに手当てしてもらって私の方こそ迷惑かけたし、あの後すぐに良くなったっんだから、それにいいこともあったし・・」「ん、何が?」「ううん、何でもないよ」亜紀は素知らぬふりをしたが、その日、足を痛めて歩けなくなった亜紀を、ちょうど通りかかった朔太郎に、薬局である智世の家まで自転車の後に乗せて運んで手当てしてもらい、その後家まで送ってもらって、それが二人が声を交わした最初の出会いだった。
そしてその日以来、亜紀は朔太郎のことをずっと見てきた。

「でもさ、亜紀、これ今はまだいいけど、いずれこんなになるんだよ」智世は田んぼに張られた水の中で元気に泳ぐおたまじゃくしを指差し、両手で成長したカエルの大きさを丸く作って見せた。
「うちの前って田んぼじゃない、夏になったら時々そんなのが家の庭歩いてたりするんだよね、その時は木の枝でつんつんして田んぼに帰してあげるの」亜紀はその仕草をにこにこしながら話した。「気持ち悪い、まさかつかんだりしないよね」
「しないよさすがに・・でも今治の家から今の家に引っ越した最初の夏は驚いたよ、カエルの声があんなにうるさいと思わなかったもの」「でもこの子たちこんなにいるのに、これみんな大人のカエルになるのかな、そんなに沢山見ないよね」智世は不思議そうに田んぼの中を見つめた。
「それはね、この子達の多くが鳥や昆虫などの他の生き物に食べられちゃうからだよ、生き残る確率が低い生物ほど沢山卵を産むんだって、前に村田先生が話してくれた」
「食物連鎖ってそういうことだよね、強い生き物が弱い生き物をたべて、そしてその強い生き物が死ぬとバクテリアがその死骸を分解して、土となりまた新たな生き物を育てる母となるって・・、いま目の前にいるこの子達の何匹が大人になって鳴くことや飛び跳ねることができるんだろうね」亜紀も水に指を入れるとさっと散っていくこの小さな命を見つめた。「最初から死ぬ為に生まれる命か・・なんか悲しいね」智世はぼそっと言った。
「そだね、でもその死にはちゃんと意味があるよね」「亜紀、じゃあさ、人はどうなんだろう、あたしも亜紀も一人っ子じゃない」智世はふとそんな事を思った自分が怖くなった。「だから一人っ子は強いんだよ、智世も私も」しかし亜紀はそんな智世の不安を振り払うように明るい笑顔で話した。
「でも人は何の為に生まれてそして死んでいくのかな、あたし達もいずれは死んで、その時それが何かの為になるのかな」「きっとなるよ、この世界に無駄なものなんてないんだから・・」「智世、明日の村田先生の弔辞、そんなことを話してみようかな、村田先生に教わった事」「うん、先生も喜ぶよ、そうやって亜紀に見送ってもらえたら・・頑張ってね、生徒代表」智世はそう言って亜紀の背中をポンと叩いた。
「さあ、戻ろう」そう言って智世は立ちあがりパタパタとお尻を払った。

数人の下校途中の生徒とすれ違いながら、亜紀と智世は学校に向かって歩いていると、1台の自転車が前から走ってきた。
「あっ、サクだ」そう言う智世の声に亜紀はドキッっとした。
「よお、お二人さん」キーっというブレーキの音とともに二人の目の前で自転車が止まり、後ろに乗った龍之介が右手を上げて声をかけた。
「松本君・・大木君も」亜紀に呼ばれて朔太郎も小さく頷いて答えた。
「龍之介も一緒か、あんたらほんと飽きないね、あれ、ボウズは?」「あいつはほら実家の手伝いで速攻で帰ったよ、今ごろ親父さんにこき使われてんじゃねーの、ご愁傷さま」そう言って龍之介がふざけて両手を合わせた。
「廣瀬、今日も練習なの?谷田部いないんじゃないの?」朔太郎が亜紀にぼそっと話しかけた。「う、うん自主トレ」亜紀も突然現れた朔太郎に少しどぎまぎし、ついそっけない言い方をした。
「見れば分かるでしょ、あたし達はあんたらみたいに暇じゃないの」智世がいつもの調子で二人に向かって言い返してる時、亜紀は朔太郎の自転車を見ていた。
「松本君、自転車の鍵新しいのに変えたの?」「ああ、前の鍵、とうとうスペアまで無くしちゃってさ」「ほんと、あんたぼーっとしてるから・・今まで何回鍵変えたのよ、鍵なんか付けなくても誰もこのボロ自転車なんか盗っていったりしないわよ」「ボロって言うな」「キーホルダーかなんか付ければいいのに」亜紀が思いつたふりをして話した。
「ほんとだよね、でもこいつ、それでも無くすんじゃないの、よっぽど大事なものでも付けとかないとさ、なっおまえさん」龍之介が横から朔太郎の顔を覗きこみ、そのまま振り返るようにして二人を見た。
亜紀はトレーニングウエア姿で朔太郎の前に立っている事が急に恥ずかしくなった。
体育の授業でもこんなに近くになることはなかった。そしてそれは朔太郎も同じだった。
亜紀のすらりと伸びた足と豊かな胸がまぶしくて、まともに目を合わせることができなかった。
「ほらほら、いつまで見とれてんの、乙女の生足は安くないわよ」智世がそんな亜紀の気持ちを知ってか知らずか、絶妙のタイミングで気まずい雰囲気をぶち壊した。
「誰がお前の大根なんかに金払うかよ、廣瀬のはいいけど」「なにー龍之介、こんなにすらりと伸びた大根がどこにあるっていうのよ」「町のスーパーに3本いくらで売ってんじゃないの」「じゃその大根でキックをお見舞いしてやろうじゃないの」「そんなへろへろキックはきっくませーん、なんちゃって」「何くだらない駄じゃれ言ってんのよ」「ナイスだろ、ブース、じゃあな廣瀬」龍之介はいつものように智世をからかうと、朔太郎の背中を突ついて合図をした。
「じゃあ」朔太郎は亜紀にぼそっと挨拶すると「うん」亜紀も小声で答えた。
「龍之介ー、明日お葬式ちゃんと来いよ、12時からだからね、サクー、あんたも寝坊するんじゃないわよ」智世は走り去っていく二人の背中に大声で叫んだ。
「龍之介のやつ、絶対来ないわね」智世は小さくなっていく二人を見ながら独り言のように言った。「どうして?」「あいつ式とか名のついたものには出ないって決めてんのよ、いっぱしの反抗のつもりかしら、ほんと子供なんだから」智世は呆れ果てたような口振りで言った。
「智世、智世って大木君のお母さんみたいだね」そう言って亜紀はクスッと笑い、国道を走っていく小さくなった自転車を見た。
「亜紀、やめてよね」「智世、最後もう一回競争」「亜紀、ほんと元気だね」「いくよ」「よし」「よーい、ドン」

続く
...2005/06/20(Mon) 07:57 ID:gQyBq8jo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
ピッと鳴るホイッスルを合図に数人の女子が一斉にスタートした。
その中でも一際早く飛び出した生徒が、他の生徒をぐんぐん引き離しそしてスピードを落として笑顔を見せた。
「速いですね、あの子」智世はそのショートカットですらりと均整のとれた体つきの女の子に注目した。「麻田だね、うん、速いよあの子は、今の2年生の中ではダントツだね」
「中学からやってたんでしょうか?」「みたいだね、負けず嫌いでまるで誰かさんそっくりだよ」「じゃあ今年も大丈夫ですね、県大会」「あの子ならインターハイも夢じゃないよ、本人もそのつもりみたいだし」「それは頼もしいですね」「ほんと、伝統はちゃんと生きてるよ」「ええ」そう言いながら二人は次々とスタートを繰り返す生徒達を見ていた。

「上田、聞いたよ、あんた廣瀬の月命日には毎月必ずお墓参りしてるんだって」「先生、誰からそれを・・?」「池田久美」「ああ・・それで」智世は谷田部がどうして知ったかその訳が分かった。「あんた達、ほんと仲悪かったけどね・・」「ですね」
「あの娘も今では花屋を切り盛りするしっかり者のいいお母さんになって・・みんな頑張ってるね」「久美とはよく話するんですよ、同じ町で店をやるもの同士気も合って、なんか似た者同士っていうか、今では子供の事とか、旦那の愚痴とか近所の奥さん同士の他愛も無い話題で盛り上がったりしてます」「変われば変わるものね」谷田部はそうやって今では仲良くしてるかつての教え子達のことを微笑ましく思った。
「それで、あの娘のところで花を?」「ええ、そのことは久美もちゃんと分かってくれてるみたい・・いつも金額以上の立派な花束作ってくれて・・あの娘なりに亜紀のことは気にかけてくれてるんですよ、その気持ちは嬉しい」「そう」谷田部は潤んできた瞳をさっと拭った。
「それで、どんな話をするの、廣瀬と・・」「一緒です、子供の話しや旦那のこと、ちょっとだけ昔話もしたりして・・黙って聞いてくれるんですよね、亜紀」智世の頬にも光るものが一筋流れた。
「でも、亜紀は昔のまんまで微笑んで・・私は少しだけおばさんになっちゃった、これからその差はどんどん広がっていくのかな、それはちょっとやだなって言うと、智世は変わらないよって言ってくれるの・・ううっ・・私変わった?先生・・変わっちゃったかな・・ううっ」そう言って智世は溢れるものがこらえきれなくなって泣いた。
谷田部もまた溢れるものをさっと拭うと笑顔で言った。
「心配しなくても、上田、あんたは変わらないよ、そのきりっとした顔も大きな声も昔のまんま、大丈夫、変わったりしてないから」「ほんと、先生」「ほんとだよ」
「先生、あいつ、朔からはあれから何か連絡ありました?」「いや、あれっきり、何も」
「そうですか、帰って来たのならなんで私のところに顔ださないのよ、ほんとあのバカ、今度会ったらとっちめてやらなきゃ、ねえ先生」智世も涙を拭うと、すぐにいつもの顔に戻った。
「松本はまだ廣瀬のことは忘れてない、たぶん一生忘れることはないだろうね、でも人はそれでも生きていかなくちゃいけないから・・どっかで折り合いをつけて・・もう少し見守ってやろう、松本がどう折り合いをつけるか・・それは変わっていくってことじゃないんだから」「はい」
「廣瀬はやっぱりすごいよ、ほんとうにいろんなものをみんなに残していった」
「ほんと、亜紀はすごい、すごいよ・・亜紀」
ピッとホイッスルが鳴る瞬間、全身のばねを一点に集めるようにして麻田香織はペダルを蹴り出し、猛烈な勢いでダッシュを始めた。その伸びやかな両足が地面を蹴り、身体中で風を感じるようにしてぐんぐん加速していった。亜紀が走った同じ場所を、亜紀と同じように、昨日の自分に勝つ為に、まだ見ぬ明日を夢見て・・。

続く
...2005/06/20(Mon) 08:01 ID:gQyBq8jo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜clice様〜
お久しぶりです。そして、お疲れ様でございます。

ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』という作品を思う時、私の中では一番に、「昼下がりの宮浦」の風景をイメージします。澄んだ空気と、風と海と空。そこに、サクと亜紀がいてもいなくても、いつもと同じ様に流れる、穏やかな時間が心を和ませるのです。

clice様の濃紺の文字を見ると、本気でほっとします。(笑)今回のように、宮浦のことを書いて下さると尚更です。本当にドラマと同じなんですね。空気が。「はぁ〜・・・」って感心しながら、物語に感動もし、そして癒されています。
これから暑くなりますが、体調に気をつけて頑張って下さい。
...2005/06/22(Wed) 10:34 ID:WOEl1D0U    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
不二子様
こちらこそお久しぶりです、そしてありがとうございます。
諸々の事情でずいぶんと間を空けてしまいました。
その間気にかけて書き込みをして頂いた皆様、ありがとうございました。
とりあえずは一段落しましたので、また書いていきたいと思います。
ところで不二子様、私もあなた様の紫色の文字を見つけるとほっといたします。
書き込みを頂けるという事は、なんとか読めるものになっているのかと少しだけ安心します。これはもちろん他の皆様の感想も同様で、けっこう小心者で送った瞬間から不安だらけで、CMではありませんがちっちぇー俺でございます。

今回は智世をテーマに書いてみました。なんか特別編のような印象がありますが、時間の流れは本編のままで、前回の話の次の日、綾が4人部屋に移動したその日くらいの宮浦で、最後の章につながる部分も含みながら、自分にとっての気分転換でもありました。
私の話では宮浦は四国愛媛県の今治市に統合された大西町をその場所とし、ロケ地である松崎の風景をそこにすっぽり入れ込む形でイメージしています。
話の中で稲刈りが終わっていることになっていますが、四国は早ければ8月後半から稲刈りを始めるようなので、愛媛のこの地区もこの時期はもう終わっているだろうなと思いました。
実際の大西町は造船の町で、巨大なドックが港にあり、高いクレーンが空に伸びて、もし修理やなんかで大型のタンカーでも入ってたら、それだけでもう風景が全然違って見えると思います。
磯村一路監督の映画「がんばっていきまっしょい」のロケ地が実は大西町で、最初のシーンで田中麗奈さん演じる悦子が、ボート部の練習を防波堤の上で眺めているカットがありますが、その後に見える風景が大西町です。
その時のボート部のクラブハウスはその九王の鴨池海岸に立てられ、目の前に見える弓杖島の小島や、遠くにまるで夢島の位置関係で似たような形で見える怪島、そして町の南側に連なる山々の高さや形はドラマの中の松崎に本当によく似ています。
それでイメージの中では造船所とクレーンを、CG処理で消した大西町が私の話の宮浦という感じでしょうか。

不二子様も仰っているようにドラマが心に残り、繰り返し見ても飽きない理由の一つはその風景だと思います。それはそのような場所に住んでいなくても、ある年齢以上の人なら誰もがもつような原風景と体験の記憶であり、日本中の何処にでもあるような風景の組み合わせだからでしょう。海は無くても山や田んぼや用水路はある、校舎や運動場での記憶は誰にでも同様にあり、鳥の声や波の音、森や神社の境内のひんやりした空気、古い町並みもそれを知っているから誰もが懐かしいと思うし、それは安心感となって画面の中で俳優達を支えています。そしてそれに輪をかけて山田君やはるかちゃん、そしてみんなのあまりにも自然な演技が、画面の中に嘘を見つけられない、だから何回見ても心地よい、そんなことが「世界の中心で、愛をさけぶ」の魅力だと私は思います。
それと1話の中に明るさ、切なさ、躍動感や静けさ、笑えるようなシーンや苦しくなるような気持ち、張られた伏線、亜紀の笑顔と朔の苦悩とあらゆる要素がぎゅっと詰り、それが他に代わるものの無い密度の濃いこのドラマ独特の雰囲気を作っているように思います。
自分の書いているこの話もそのドラマの雰囲気を壊さないように、また同時に連想してもらえるように、映像ではカットカットで入る風景や、人物の周りの物をできるだけ書きたいと思っていますが、それはどのように読んでる方達に届いているのでしょうか、文字にするというのは難しい作業だとほんと思います。これを書き始めてから、あらゆる物書きの方々に敬意の念を持つようになりました。

今回ドラマの中の亜紀と智世を書けたことで結構ストレス発散になりました。
亜紀の姫言葉は書くことないだろうなと思っていましたので、本人にすらすら言ってもらってほっとしてます。
綾は亜紀の雰囲気を持ってはいても現代っ娘なので、言葉の使い方もつねに気をつけてないと不自然になりそうだし、なにより今だ病室の中なので、綾ちゃん同様しこたまストレスが溜まってました。その点ではたー坊さんとグーテンベルクさんがほんと羨ましいです。
お気づきと思いますが、今回の話はドラマの4話の智世版です。
私は平川監督が担当したこの4話が特に好きで、人によっては番外編みたいに感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私はドラマではこの話が肝のような気がして、自分が好きということもありますが、私の話でも陸上を中心に持ってきています。
亜紀がもっとも亜紀らしいのは走っている時で、それをはるかちゃんが全身で表現できた
からこそこのドラマは成功したんだと思っています。
ランナー御用達の雑誌に「ランナーズ」と「クリール」の2誌がありますが、実は昨年ドラマが放送されていた時期、「クリール」の表紙は智世でした。昨年の4月号から今年の1月号までが本仮屋ユイカちゃんがカバーガールとして智世スマイルで走っていました。
同時期の「ランナーズ」がもし亜紀であればと当時は思いました。
実際は映画「チルソクの夏」でやはり陸上の選手としてひたすら走っていた、郁子役の水谷妃里ちゃんが1年間同様に表紙を飾っていて、もし「ランナーズ」の表紙をこれからでもはるかちゃんが飾ってくれたら、宮浦高校陸上部の親友同士がランニング雑誌2誌の表紙をそれぞれ飾ることとなり、それは嬉しいことなんですが・・。
裏話をすれば「チルソクの夏」の郁子が綾や百合子に結構影響しています。
不二子様や皆様がもしまだ観ていらっしゃらなければ、おすすめしたい映画です。
陸上ネタは書いていて、実は時々くどいかなと自分でも思ったりしますが、走る感覚を上手く文章に置きかえられないのがもどかしくて、その点はこれからも自分の課題です。
そしてこれからがいよいよ本題で、綾はどうなる、明希は、どうする朔ちゃん、そして周りの人々は・・と同時に進行するそれぞれの人生がどう交わり、離れていくのか・・頑張って書いてみます。これからもよろしくお願いします。
...2005/06/22(Wed) 17:47 ID:zlYrVClQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
隠れ智世ファンの私にとって、cliceさまの作品中で智世と会えるとは思いもよらず、嬉しかったです。エプロン姿の智世って結構サマになっているように思いますよ。
cliceさまはオバサンになった智世のキャラをどのように想像されてますか?私は智世のあの飾らない性格はそのままに、朔の母・富子と谷田部先生のキャラも入り混じったお母さんになっているような気がします。
...2005/06/22(Wed) 20:29 ID:DP1WdM7w    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
お疲れ様です。
智世と谷田部先生の会話は見事でした。
自然とドラマでの朔と谷田部先生がグランドで会話しているシーンが目に浮かびました。

先日は、私のストーリーにご感想を頂きましてありがとうございました。
次回も楽しみにしております。
...2005/06/23(Thu) 22:19 ID:7v.A7ves    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:にわかマニア
>ドラマの4話が特に好きで、・・・番外編みたいに感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、・・・この話が肝のような気がして・・・

 clice様もそうでしたか。
 「帰宅部」っぽい描かれ方だった原作に対して,陸上部という設定にしたのは映画からでしたが,同じ陸上部でも,第4話を入れることで,「孤高のヒロイン像」と評された映画版とは一味違った描き方になっていますね。みんなが帰った後のスタンドで「結局は一人だと思っていたけど違った」という一言を入れることで,「孤高のランナー」像とは異なるヒロイン像を提示し,「すれ違う人生の中でごくたまに」というメッセージを込めるあたり,なかなかの構成だと思いました。
 少なくとも,第4話を「サイドストーリー」と位置づけるにしても,全体で11話分の分量を持たせるための単なる「付け足し」ではなく,全体を通じたテーマの一翼をきちんと担い,製作側のメッセージがこもったストーリーだと思いました。

 さて,物語の方は,一般病床に移ったとはいえ,まだまだ闘病生活が続きますね。心温まる支え合いがこの先どのように展開していくのか,楽しみにしています。
...2005/06/24(Fri) 08:42 ID:FjstThm.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「やばい、遅刻だー」百合子はばたばたと階段を駆け下り、車庫からお気に入りの真っ赤なマウンテンバイクを引き出すと、前に取り付けたカゴに鞄を放り込んだ。
そして慌てて家を出ようとしたその時、母親の美佐子が玄関から手を伸ばして「百合ちゃん、お弁当、忘れてるわよ」と大きな声で叫んだ。
「いっけない、ありがと、お母さん、じゃあ、行ってきます」百合子は右手で敬礼の真似事をすると、その紙袋を無造作にカゴに放り込み自転車にまたがった。
道の正面には真っ青な海が広がり、朝日を反射して水面がキラキラと光っていた。
ピーヒョロロと鳴く声に見上げると、頭のすぐ上に1羽のトンビが、大きな翼を広げて海から吹き上げてくる風に乗り、そのクサビ型の尻尾をちょこちょこと動かしながら、絶妙なバランスで空中に止まっていた。
「また、君なの、じっと見ててもお弁当やんないぞ、いーだ」百合子は左の羽の先が少し切れたそのトンビにあかんべーをすると、坂道を海に向かって真直ぐに下って行った。
離合待ちの緑色とベージュの2色で塗り分けられたレトロな電車を追い抜いて、打ち寄せる波と水平線に時折目をやりながら、百合子は全速力で学校を目指した。
そして力いっぱいペダルを漕いで坂道を上ると、遅れて校門をくぐるもう一人の生徒の脇をすり抜けるようにしながら校内に滑り込んだ。

「セーフ」百合子はたった今出て行く先生と入れ違いに教室に駆け込み、開け放された窓際の自分の席に座って制服の胸元をぱたぱたさせた。
「百合っぺ、遅いぞ、先生にトイレって言っといてあげたから」「サンキュ、夏実」「小野田さん、朝から下痢でお腹ピーピーだそうですって・・」「夏実、嘘つくのにももっとましなのあるでしょ」「冗談よ、ほら、ホームルームのプリント、風で飛びそうだったから」そう言って田中夏実は百合子に中間テストの試験日程が書かれた一枚の紙を渡した。
「あちゃー、いきなり古文から?やる気そがれるな」「どうしたの?百合っぺが遅刻だなんて珍しいじゃん、ん、さてはテストに気合入ってるな?」「違う違う、なんか最近眠くてさ、疲れてんのかな、あーでも全速力で来たからマジ疲れた」そう言って百合子は机に伏せた。「おーい、授業中に寝るな」「ごめん、寝そう」
1時限目を知らせるチャイムが鳴り、男性教師とALTの金髪で背の高い女性教師が教室に入ってきた。
「Goodmorning、Everybody」「Goodmorning、Miss・・・」騒がしかった教室が急に静かになり生徒が一斉に返事をした。そして美しいキングスイングリッシュがその口元から流れると、海から吹く5月の爽やかな風が教室の中を優しく吹きぬけ、時折かき上げるその金髪をふんわりと揺らした。

にぎやかな青春の音で満ちたグラウンドで、百合子は体育館脇で練習前のストレッチに汗を流していた。前屈の後思いっきり身体を後ろに反らせると、ひっくり返った体育館の前で、白いTシャツの上に黄色のタンクトップのゲームベストを着た夏実が逆さまに立っていた。「百合っぺ、今日帰り寄ってく?いつものとこ」「そうだね、OK」「調子どう?予選会いけそう?」「なんとか、でも問題はその先だから・・夏実は?この前の県予選、残念だったね」「うん、先輩達も悔しがってる、でもインハイの予選会がもうすぐだから、頭切り替えてやるっきゃないって感じ」「夏実はすごいよ、2年生でバスケット部のレギュラーナンバーもらってるんだもん」「百合っぺだって、百合っぺより高く跳べる娘、この学校にはいないんじゃない?」「よその高校にはいっぱいいるんだな、これが」「そっか、だよね、とにかくガンバ・・じゃあ、後でね」そう言って手を振りながら夏実は体育館に戻って行った。

百合子はタイミングを取りながら弧を描くように助走し、バーの手前で両手を大きく後に反らすと、その反動を使って左足で思いきり踏み切りった。そして右肩を持ち上げるようにして身体を捻ると、その瞬間遠くの空と海が逆さまになり、バーの上をするりと越えると埋もれるような感触とともに緑色のクッションの上に落ちた。
「先輩、上げますか?」ポール脇に立つ1年生が起き上がる百合子に聞いた。
「うん、じゃあ3センチ上げてみて」「はい」と返事をすると両方のポールの目盛を慎重に合わせて、スタート位置で待つ百合子に手を上げて「OKです」と合図をした。
ふたたびスタートして踏み切るが、身体がクッションに沈み込むと同時に、バーがカランという音とともに落ちた。何度挑戦しても結果は変わらなかった。
「先輩、もう一度下げますか?」「うーん」と頭を捻ってると、部員達を見ていた顧問の体育教師が近寄り声をかけた。
「小野田、腰上げろ、もっと腹筋使え、それとスタート位置を少しだけ後に下げてみろ」
その言葉を頭の中で反復しながら、百合子は目印に置いた小石を少しだけ後に下げて深呼吸をすると、前後に身体を揺らすようにしてタイミングを取りスタートを切った。
曲走の最後で思いっきり踏み切り、その168センチの細くしなやかな身体がバーの上でくるりと捻られると、百合子はお腹にギュッと力をいれた。
すると百合子の身体はバーの上をするりと通り抜けて、ボスッという音とともに再びクッションに埋もれた。
「やったー、先輩」すぐ横で歓声を上げる1年生の声が聞こえ、百合子は顔を上げると、その真っ白いバーは、太陽の光を反射して輝きながら微動だにせずそこにあった。
「小野田、そのタイミングだ、忘れるなよ」という教師の言葉を少しキョトンとしながら聞いて頷くと、もう一度バーを見上げて「よし」と呟いた。
そして百合子は立ち上がり、その頬にえくぼが二つ小さく覗いていた。

百合子と夏実は自転車を止める間ももどかしく店内に駆け込むと、少し悩んだあげく結局いつも頼むものを注文した。そして二人は海に面したテラスの赤いテーブルに腰掛けると、百合子は大きな口を開けて、お気に入りのメンチカツバーガーをガブリと頬張った。
「あー疲れた、でもここに来て海を見ながらこれ食べるとほっとする、シアワセ」
「私も・・海なんか毎日見てるのに、なんかほっとするんだよね」夏実はそうやって夕日に輝く水平線を見た。
道路から海に張り出すようにして広がる駐車場には、ドライブ途中の車が数多く止まり、店の周りにもバイクや自転車が溢れて、店内やテラスは学校帰りの学生とサーファーや観光客で夕方の賑わいを見せていた。
波間にはウインドサーフィンのセールがいくつも連なり、江ノ島の上に傾く太陽がその白いセールを微かに赤く染めていた。
「百合っぺ、ここ、ケチャップ付いてるよ」そう言って夏実は自分の口元を指差した。
「ありがと」百合子は慌ててナプキンで拭おうとした時、夏実は百合子の肘の所が丸く青アザのようになってるのに気がついた。「あれ、肘、どうしたの?」「どこ?」「ここ」そう言われて百合子は右手を曲げながら見た。確かに肘の付け根辺りが青くアザのようになってはいたが、別に痛みなどは感じなかった。

続く
...2005/06/27(Mon) 08:33 ID:52YoEJ1M    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「今日、何回もバーを落としたから、その時当たったのかな」百合子は首を捻った。
「そのくらいでそんななるの?」「わかんないけど、別に痛くないし大丈夫じゃない」「でも怪我しないようにしないとね、体育館のコートも汗で滑るからさ、転ぶと痛いの」「ほんとだよ、部活やってると色は黒くなるし、怪我するし、髪伸ばせないし、陸上部なんてみんなこんなんだよ、たまに試合で他校の娘がポニーにしてるの見ると、ほんと羨ましいって思うもん」「それはバスケ部だっておんなじだよ、でも汗かくじゃん」「そうなんだよね・・おしゃれ・・したいよね」そう言って百合子は、目の前の防波堤で彼氏と二人楽しそうに海を見ている、白いカットソーに長い髪の似合うきれいな女性を、手に持ったシェイクをストローで口に運びながらぼーっと眺めていた。
「したいよね・・私達ってさ、いっつも女二人でいると思わない?」夏実もそう言って溜息をついた。「思う思う、何が悲しくて、湘南の海見ながら私らみたいないい女が二人こうして黄昏てる訳、ねえ」そう言って百合子は夏実を見ると首を振り「いかん、いかん、アスリートは元気が一番、君達、江ノ島と由比ガ浜の間を走って往復できるかね」と握った手の右手の人差し指だけをちょこちょこ動かして、独り言のように呟いた。
「百合っぺ、それ誰に話してんのよ」夏実はぷっと吹き出して笑い、百合子も笑顔でシェイクの残りを思いっきり吸った。
「ねえ、百合っぺ、中間テスト終わったらさ、日曜日横浜行かない?」「えっ、いいね、行こう行こう、ラーメン、ラーメン、中華街」「って百合っぺ、食べるとこばっかじゃん」「だって、横浜だもん」

5月21日の日曜日、午後ににわか雨の予報が出ていたが、空を見上げると所々青空が覗き、うす雲が覆う暑くもない行楽にはもってこいの天気だった。
鎌倉駅に到着する銀色に緑のラインの入ったスマートな車両からは、鎌倉や江ノ島方面に行く観光客が次々と降り立ち、賑やかな東口には鶴岡八幡や近隣の寺、路地に連なる趣のある店を訪ね歩く、鎌倉散策の観光客の人の波ができていた。
百合子と夏実が待ち合わせた西口も、隣り合うように建っている江ノ電の鎌倉駅に向かう人々が、足早に目的地を目指して次々と出てきていた。
「私ら、なんかこの人達と逆のことしてない?」百合子は改札を抜けながら夏実に話しかけた。「お蕎麦屋さんだってさ、3食蕎麦食べると思う?それといっしょよ、たまにだからいいんじゃない?」「かもね、でも私はちょっと鎌倉の町には興味あるかな、でも夏実は思いっきり地元だもんね、大仏さんの近くだし、ザ鎌倉って感じ?」「私はちょっとやだな、なんかさ、知らない人がいっつも家の側歩いてるみたいで、みんなが写真撮ったりしてるの見ても、気持ち分かるけどそんな珍しいかなって思うの」「そんなもんなんだ」「そうだよ、何、百合っぺのとこだってさ、まんま湘南でーすって感じじゃん、あれって卑怯だぞ、知らない人には」「私らって、相当贅沢なこと言ってるよね」百合子はホームに入ってくる電車を眺めながら話した。
「ほんと、ほんと、横浜の娘も私達見てそんなこと言ってたりして」「言ってる、言ってる」「じゃあ、言われにいこう、いざ横浜へ」二人は声をそろえてそう言うと、ドアが開いた列車に乗り込んだ。そしてドアが閉まると、二人を乗せた電車はするすると鎌倉駅のホームを滑り出していった。

「あちゃー、やっぱり降ってきちゃったね」百合子は江ノ電の窓を濡らすように降ってきた雨を見て言った。「じゃあ、百合っぺ、私降りるね」「大丈夫?濡れるよ」「大丈夫、家すぐそこだし・・今日、楽しかったね、じゃあ、また明日、バイバイ」そう言って夏実は長谷駅で電車を降りた。
百合子はゆっくりと走る電車の窓に顔をつけて、通り過ぎる家並みをぼんやりと眺めていた。電車が海岸沿いに出ると、低く垂れこめた雲と時折叩きつけるように降る雨で、遠くの水平線も灰色に霞んでいた。
電車を降り、改札を抜けて、雨宿りする他の乗客と同じく空を仰いで見ても、次第に強くなる雨は一向に止む気配は無く、百合子は途方にくれていた。
藤沢行きの次の電車が止まり、降りた乗客らが改札から一人また一人と出てきて、百合子はその中に父親の姿を見つけた。
「お父さん」「百合子・・どうした、そうか・・捕まってるのか」そう言って父親の洋一は前の道路を濡らす雨を見た。
「迎えにきてもらおうと思ったんだけど、お母さんいないみたい、買い物かもね・・あれ、お父さん、傘・・なんで?」「基地を出る時、借りてきた、降るの分かってたからな」「あっ、そうか・・さすがだね」「そういうこと、ほら、入ってけ、一緒に帰ろう」
そう言って洋一は傘を開くと、娘を手招きして呼んだ。

「お前、どこか行ってたのか?」踏み切りを渡りながら洋一は娘に聞いた。
「うん、友達と横浜に行ってたんだ」「そうか」「お父さんは?昨日当直だったんでしょ、でも遅くない?」「お父さんも横浜行ってたからな」「そうなんだ、奇遇だね、何、また模型屋さん?」「よく分かるな」「お父さんの行動パターンはお見通しだよ、また買ってきたでしょ」そう言って百合子は父親の鞄を見た。「百合子、お母さんには言うなよ」「まっ、お父さんの趣味だからね、娘としてはかばってあげよう、でも」「でも、なんだ?」「ばれてるよ、お父さん」
百合子の父親の洋一は海上自衛官で、横須賀基地に所属する護衛艦勤務の三等海佐であり、ねっからの船好きで模型作りは子供の頃からの趣味であった。
坂道を上りながら百合子は父親を見上げた。日焼けして背の高い父親の姿は娘にとっては誇らしく、子供の頃よく連れていってもらった基地のお祭りで、人ごみの中で肩車されて見た、父親の乗るスマートな灰色の護衛艦の姿は、今でも百合子の瞳にしっかりと焼き付いていた。
「なんか久しぶりだね、こうやってお父さんと話すの」「そうだな、お前、学校はどうなんだ?試験終わったのか?」「終わったよ」「それで?」「うーん」百合子は首を捻った。「その様子だと撃沈されたな」「古文はたぶん・・海面に生存者なし・・って感じ」
「っとにもう、最悪だな」「お父さんと同じく頭が理系なんだよ、きっと」「クラブは?試合出るのか?」「うん、来月予選会」「そうか、頑張れよ」「なんかこうやって話したし、観に来る?お父さん」「そうだな、お父さんの艦だ海に出てなかったら、その時はお母さんと応援に行くか」「うん、あんまり期待しないけど、楽しみにしてる」「そうか」
洋一は並んで歩く娘の身長がずいぶんと高くなったことに気がついた。そして少しだけおしゃれした娘が、女性としてもいつのまにかきれいになったことに・・。
「あっ、お父さん、今、娘と相合傘できて嬉しいとか思ったでしょ」百合子は父親の視線に気づいた。「誰が、そんなこと・・」「あっ、照れてる照れてる」
「お前、いるのか、その、何だ・・あれ」洋一は娘とこんなに話せる機会はないと、思い切って聞いてみた。「あれって?」「あれはあれだよ、ほら」「あれじゃ分かんないよ、何?もしかして彼氏?」百合子はすぐにピンときてたが悪戯っぽく言ってみた。
「ああ、どうなんだ、付合ってるやつとかいるのか?」「知りたい?」百合子はそう言って父親の顔を覗き込んだ。
「いるのか・・」「あのね・・秘密」「お前、お父さんをからかうなよ」「嘘、嘘、いないよ、それは・・いたらって思うけど」百合子は、正直に自分の気持ちを父親に話せることが不思議だったが、しかしそれが嬉しい気もしていた。
「そうか、いないか」洋一はフッっと小さなため息をつきながらそう言った。
「お父さん、そんなに露骨に安心しないでよね、なんか傷つくな」「ん?そうか?百合子は今のままで十分可愛い、お父さん、そう思うぞ・・走ったり跳んだり、今くらいの年齢の時に身体を作るのは大事なことだよ」
洋一は本気でほっとした、もちろんただ少し先に伸びたっていうだけで、いずれその日が来るのはしかたないと思っているが、今はまだもう少しそのままでいて欲しい、それが正直な気持ちだった。
「百合子は将来の事何か考えてるのか?なりたいものとかしたい仕事とか、どうなんだ?」「そうだね、まだ分かんないよ」「でも、今は大学出ても就職厳しいっていうじゃないか」「お父さん、それもしかして自分とこにリクルートしようとか思ってる?」
「そんなこと思ってないよ、お前もお父さんの娘だから少しは知ってると思うし、ただお父さんは、百合子が自分らしくいれる場所を見つけて欲しいって思ってるだけさ」
「お父さんが船好きなように」「ああ、そうだよ」「お父さん、子供の頃から決めてたの?船乗りになるって」「そんなことを小学校の時作文に書いた気がするな、百合子は看護婦さんだったっけ」「よく覚えてるね、お父さん」「親は子供のことは忘れないんだよ、絶対」「そうか、私、看護婦さんになりたかったのか、なんか、すっごいベタだね」「忘れたのか?」「忘れてはないけど、憧れだけじゃできない仕事だろうなって思うし・・」「百合子、お父さん、一つだけお前にアドバイスできることがあるとしたら、どんな仕事でもそれを続ける動機は結局はそれが好きかどうかってことさ、憧れってのは立派な動機だぞ、苦しいことはそのおまけだよ、百合子は陸上やっててそのこと知ってるだろ」「お父さん・・」
家までの道を相合傘で帰る父親と娘は、日ごろできないいろんな話に時を忘れた。
それは突然の雨がくれた素敵なプレゼントだった。
肩と肩が触れ合うような距離で、父親は娘を、娘は父親を、少しだけ照れくさく感じながらも、笑って、見つめて、家族の事や自分自身の事を、まるで打ち明け話でもするように話しながら歩いた・・恋人同士の最初のデートの時の会話にも似て・・・。
そしてその日が洋一にとって、娘の屈託のない笑顔を見た最後の日になった。
2000年5月22日、突然、百合子の身体は壊れ始めた。
翌週、横浜の総合病院で医師により告げられた病名は、急性骨髄性白血病M3型・急性前骨髄球性白血病、それはまるで目の前に置かれた砂時計がサラサラと静かに時を刻むように、百合子の命のカウントダウンが始まった瞬間だった。

百合っぺ、お身体の具合どうですか?私も毎日元気に横浜の大学まで通っています。
移植が終わってもうすぐ3ヶ月になりますね。
前の入院も長かったけど、今度も長くて退屈してない?でも今度は本当に良くなる訳だから、少々長くても気楽にのんびり身体直そうね。
なんたって百合っぺはしぶといから絶対大丈夫、ガンバだよ。
湘南の海もやっと静かになりました。これから紅葉の季節になり、今度は鎌倉が賑やかになるけど、でも本当にきれいな季節がやってきます。やっぱり大好きな町です。
百合っぺが退院したら、ゆっくりとお寺めぐりでもしない?じつは私も意外と知らないんだ、裏路地を歩いて、ちょっと渋めのお店でお茶なんかして、大人っぽい時間を過ごさない?ハンバーガーかぶりつくのはそろそろ卒業。
でも、美味しかったけどね・・やっぱりたまにはいいか、湘南育ちだもんね。
じゃあ、またお手紙します。                    by 夏実

「百合子さん、何読んでるんですか?」検査から帰って来た綾が声をかけた。
「綾ちゃん、お帰り、うん、手紙、友達からの」そう言って百合子は便箋を折りたたみ、大切そうに封筒に戻した。
「手紙っていいですよね、なんかあったかい気持ちがして・・メールみたいにばんばんやり取りしないから、ずっと書いた人の気持ちが残るっていうか、ほんと嬉しいって思いますよね」「そうだね、ほんとそう・・」そう言って百合子は、その薄いピンク色の封筒に書かれた懐かしい友の住所を見つめた。
「小野田さん、じゃあ検査行きましょうか」そう言って浦田が車椅子を押して病室に入ってきた。
「じゃあ、私の番、綾ちゃん、行ってきます」百合子は車椅子に乗り込むと、綾に向かって敬礼の真似事をして笑顔を見せた。そしてマスクを付けると、浦田はゆっくりと車椅子を押して病室を出ていった。
百合子に宛てた友の手紙は、ベッドの横のテーブルの上に大切に置かれ、その横の写真立てには、灰色の護衛艦の艦橋をバックに、真っ白い制服に身を包んだ背の高い男性の前で、お下げの可愛い女の子がその白い帽子をちょこんと被って、カメラに向かって敬礼をしている姿が写った写真が入っていた。
優しそうな目をした父親の前で、誇らしそうに微笑んで・・。

続く
...2005/06/27(Mon) 08:37 ID:52YoEJ1M    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
特別編を経ての本編再開を楽しみにしておりました。
百合子さんは、綾ちゃんの闘病仲間でしたよね。最初は忘れていたのですが、読み進めているうちに思い出しました(スミマセン)

私事ですが、鎌倉が好きで3ヶ月に一回程度のぺースで訪れています。新宿から出る「銀色に緑のスマートな電車」や江ノ電をよく使っているので、情景が目に浮かぶようでした。夏美の自宅は長谷にあることになっていますが、どの辺りかななどと勝手に想像してしまいました(ストーカーになるつもりはありませんよ)。百合子の家は七里ガ浜あたりでしょうか?
...2005/06/27(Mon) 22:53 ID:HCrcfUZg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
clice様

先日は丁寧なコメント、ありがとうございました。

百合子さん。トンビに「いーだ」するなんて、めちゃくちゃ可愛くて、大喜びしてしまいました(笑)。スレンダー美人で、背が高くて、看護婦さんを目指しているような堅実なところもあって、・・・と、実在の女優さんに当てはめて考えていたのですが、中々うまくいかなくて・・・。「いーだ」で、少し範囲が狭まりました。(笑)
それにしても、手紙から綾のところまで行くなんて、素晴らしいです。はい。

先日お話いただいた『チルソクの夏』は主演の水谷妃里さんがとてもいいという話を、風の噂に聞いたことがあります。いづれ観るかもしれないなとは思っていましたので、clice様が推薦なさったことで、ぐっと近づいたと思います。

ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』は全11話なわけですが、各話ごとにパッと思い浮べるシーンがあります。私の場合4話は特別で、実は、サクと亜紀よりも「競技場」のことを思い浮べます。
亜紀が12秒91で走る前、一瞬競技場の全体が映る場面がありますが、そこのシーンのことです。主題曲の「かたちあるもの」がかかった瞬間ですね。私は何故かあそこが大好きで、リアルタイムで観ていた時は、あの直後の亜紀の走りのアップで、「このままドラマが終わってくれてもいい」と思う程感動しました。
案外7〜9話ぐらいは微妙で、「一つ、これをイメージする」とは決め難いのですが、4話に関しては決まって、この「競技場」のことを思い浮かべます。おそらく、二人のことを競技場だけは全て見ていた、と思っているからだと思います。(変な日本語・・)
「走る」とは、この作品のテーマの一つであったように思いますが、100Mを全速力で駆け抜ける亜紀の姿は、他のものをすべて脱ぎ捨てて「走る」ためだけに存在する、真の美しさがあったと、今更のように思います。
...2005/06/29(Wed) 10:56 ID:8qZOWMZM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
SATO様
いつも感想を頂きありがとうございます。今までもずっと実際の場所をイメージして話の中に登場させてきましたので、今回のようにそれに対するリアクションがなんか嬉しいです。ご推察の通り百合子の降りた駅は七里ヶ浜です。
というか江ノ電が海に出てから百合子の学校までの間にはこの駅しかないし、なんたってザ湘南ですから・・。その海辺にありますね、百合子御用達のハンバーガー屋さん、ロケ地めぐりのできる物語を目指してますので(笑)、皆さんもしこの夏湘南にお出かけされたら、暑ちーとか言いながら外のウッドテラスで、海を見ながらぱくついてみるのもいいかも。ただ百合子的にはできれば道路沿いの高台のお店の、赤いパラソルの下で彼氏と・・と思ってはいますが・・。
相模湾に面した鎌倉から三浦半島の一帯の海は、亜紀がまだ子供の頃、両親がよく連れてきてくれた場所でもあります。宮浦に初めて来た時、妙に懐かしく亜紀が一目で好きになったのも、そんな事が理由かもしれません。そしてそれは真と綾子にとっても・・です。
鎌倉はこれからも登場する・・・かも。
前回、34歳の智世を書いてる時にイメージしてたのは、やっぱり智世でした。
ドラマの中で子供の亜紀を呼ぶ時の声の印象が強いですが、小学生くらいの子供の母親は、子供に対してあんな感じのような気がしますので、声が相変わらず大きい意外は普通の34歳の奥さんという印象です。ただ商売をしてる為、接客相手にはハキハキとした喋り方をしそうですが、谷田部先生に対しては恩師でもあるし、昔のことがある為、やや控えめな喋り方をしそうです。
ユイカちゃんも不思議です。亜紀を演じてる時のはるかちゃんが、それ以外の時の彼女となぜか別人のように(私は・・ですが)感じるのと同じく、髪を外側に巻いた彼女も、やはりそれ以外の時とは別人のようで、智世です(きっぱり)。だから少しだけ大人っぽくなったユイカちゃんをイメージしてます。
ただもしドラマで今をやる為にキャスティングしなければいけないんだったら、キャラクター的には櫻井淳子さんですね。でも雰囲気は渡辺梓さんが似ている感じがしています。

たー坊様
感想ありがとうございます。なんとかまた病院のシーンに戻ってきました。
アナザーストーリーでは朔と亜紀がほのぼのと、そしていきいきしていて羨ましく思います。こちらの朔ちゃんはなんか影薄くて、でもそれが朔らしいといえば朔らしくて(笑)やっぱり主演ははるかちゃん・・みたいな。
たー坊様のこれからのエピソード楽しみにしています。

にわかマニア様
まさか感想を頂けるとは思っていませんでした、ありがとうございます。
にわかマニア様的には、この話突っ込み所がいろいろあるだろうなといつも思いながら書いていますが、ぜひまた感想をお願いします。

不二子様
また出てきていただいてありがとうございます。
夢の中で亜紀に会う朔ちゃんの心境です。
最初のシーンが自分の中の百合子のイメージです。病室のシーンだけでは伝わらないものもありそうで、書いてみたい部分でした。
トンビは普通、高いところを飛んでいるようなイメージがありますが、湘南のトンビの特技は低く飛ぶことです。時には屋根より低く飛び、それこそ目と目が合うような高さまで降りてきます。お前はカラスかと突っ込みをいれたくなるほど、由比ガ浜にはそんなトンビ注意の看板があり、うっかりしてると食べ物盗られてしまいます。
百合子も肉まん盗られたことがあった・・かも。
百合子が自転車で坂道を駆け下りて、海沿いを必死にペダルを漕いで走り、学校の校門に滑りこむまでの間、それを想像すると頭の中でつい朔が寺に向かう時の曲が流れてました。
イメージする女優の方は、百合子は綾より年上ということもあって、自分的にはショートカットの小西真奈美さんです。
でも、これが長澤まさみさんならと思って読むと、最初のシーンからずっとそれこそぴたりはまる気はしてます。でもこれはそうとう贅沢な想像ですね。
...2005/06/30(Thu) 08:34 ID:Va.W6e0E    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「左舷、350度、距離30にコンテナ船」艦名が刺繍された紺色の帽子を被った海士長が、艦橋の両横に張り出したウイングに設置されている高倍率の双眼鏡を覗きながら、対向してくる船舶の状況を首から下げたマイクを使って、刻々と艦橋に報告していた。
雲間から時折青空が覗き、東京湾の波も穏やかな月曜日、浦賀水道の航路も次々と行き交う船舶で次第に混雑を始めていた。小野田洋一は艦橋の中央に立ち、視界良く広がる四角い窓から、茶色や白、緑といったコンテナを喫水いっぱいまで山積みにした黒い船体が、艦の左側をすれ違っていくのを見ていた。
磨き上げられた青みがかった明るい灰色の艦橋の中では、多くのの乗員が持ち場の計器類やレーダースコープと睨めっこして、飛び交う指示、報告、その復唱がまるでおまじないのようにその場に響いていた。
洋一は通り過ぎるコンテナ船のブリッジを眺めながら、完全に自動化された操舵室には、水先案内人を含めても3〜4人しかいなくてきっと静かなんだろうなと、後を振り返りながらふとそんなことが頭を過ぎった。
「航海長、どうした、考え事かね?」右側の赤と青のツートンカラーの艦長席に座った、細いフレームの眼鏡をかけた2等海佐が、双眼鏡を下ろしながら洋一に声をかけた。
「昨日、行ってきたんだろう、娘さんの病院」「艦長・・はい」「どう、様子は?もう3ヶ月になるのかな、そろそろ」「ええ、相変わらずです、会うなり「お父さん、明日、出航?」って・・秘密も何もあったものじゃありません」「はっはっはっ、さすが艦乗りの娘さんだけのことはあるな」そう言って眼鏡の奥の細い目をさらに細めて男性は笑った。

観音崎の灯台を右手に見ながら、航路を南に転針すると久里浜の火力発電所の高い3本煙突がはっきりと見えてきた。そしてそれと重なるようにして走る白い船影を洋一が見つけると同時に、「右舷、60度、距離45、東京湾フェリー」と右舷ウイングの乗員の声が艦橋に響いた。
「1番ブイ通過、航路外に出ます」「右舷、60度、距離20、フェリーと針路交差します」と次々と状況が報告されていき、「譲ったり、譲られたり、まあ、いつものことだな・・譲ろう」と艦長が告げ「はい、マーク半速、面舵」洋一の声が艦橋に響いた。
「はんそーく」「おもーかーじ」「マーク表示しました」乗員が次々と復唱していき、後続の僚艦に知らせる速度表示の標識がマストではためいた。
そして艦の前方を「くりはま丸」の白い船体がゆっくりと通過していき、デッキの乗客達が艦首に白い艦番の描かれたその灰色のスマートな船体との思わぬ遭遇に、皆一様に憧れの眼差しでこちらを見ていた。
「舵戻せー、マーク原速」再び洋一の声が響くと、「もどーせー」と独特な発音で操舵員が復唱し、艦は今までの針路に戻った。

「君がこの艦に来ると聞いた時は驚いたよ、第1護衛隊郡のエリートがなぜってね、後で娘さんの話を聞いて納得したが、本当は降りるつもりだったんだろ?」
「実際に哨戒や演習で長く海に出ることも多いですし、もし海外派遣となれば、それは自衛官の使命ですから・・」そう言って洋一は先行する「いかづち」のステルス性が考慮された突起物の少ないシャープな後姿を見つめた。
「そうだな、しかし君のキャリアなら艦長の椅子もそう遠くなかったろうに・・まあ「亭主元気で留守がいい」ってかみさん達は言うが「お前達が元気でいるから俺達も安心して海にいられるんだ」ってな・・君の気持ちは分かるよ、俺も高校生の息子と中学の娘がいるからな」「でも、その話を聞いた娘に怒られました、お父さんは護衛艦の艦橋にいる時が一番かっこいいんだからって、そんなお父さんが私の誇りなんだからって・・胸から点滴いっぱいぶら下げたような身体で私をぽかぽかと殴るんですよ、立ってるのもやっとのくせして・・」
「そうか、羨ましいな、いい娘さんじゃないか、早く元気になるといいな」
「ええ、私は今こうやって海に出れるだけで幸せです、それにこの「はつゆき」型はいい艦です。大きくはないですが、走・攻・守と三拍子揃っていて、新鋭艦に劣るところなど一つもないですよ、私は大好きです」「俺もだよ」そう言って二人が見つめる細い前甲板には、作動範囲を知らせる白い円のマークの中央に、四角いアスロックのランチャーと、丸っこく可愛いシールドに包まれた細長い砲身が、真直ぐに前方を見据えていた。
「まっ、今回はドンガメさんの鬼ごっこのお相手だ、すぐに帰って来れるさ」「はい」

「先行の「いかづち」面舵変針、2戦速」そう話す二人の声に割ってはいるように、両舷の監視員がほぼ同時に叫んだ。
「やる気満万だな、君のもとのお仲間は」「そうみたいですね」「まっ厚木の連中にばかりいい顔されるのは癪だからな・・相模湾沖は俺達地方隊の庭みたいなもんだ、裏方は裏方らしく艦隊の皆さんに花をもたせてやろう」「そうですね」
「艦橋変針まで1分」艦長席の後方にある海図台で、海図に自艦の航路を刻々記入していた航海科の3尉が大声で報告した。
「じゃあ、俺達もついて行くか、面舵変針40度、2戦速」「アイサー、面舵40、マーク2戦速ー」洋一は大声で指示を伝え「おもーかーじ」操舵員の復唱とともに艦首が白い波を切り、艦は右へ回頭を始めた。そして艦橋の中央の窓の上部に取り付けられた5連のメーターの中央の計器が、操舵員の舵の操作に合わせてするすると動き出し、その横の黒い速度計も少しづつその速度を刻んでいった。

空にはいつしか大きな晴れ間が覗き、「いかづち」の残す白い引き波が穏やかな海面に美しい線を描いていた。
三浦岬を回り、葉山から鎌倉、茅ヶ崎と湘南の海岸とその後の山並みの風景がまるでパノラマのように広がって見えた時、上空に短い翼に4発のエンジンの灰色の機体が現れ、南へ徐々に高度を下げていった。
「厚木のPー3Cか、今回も早々のお出ましだな」右舷のウイングで双眼鏡を片手に洋一は、航路監視を続ける若い一等海士に話しかけると、双眼鏡を覗き遠く鎌倉の海に目をやった。
「百合子、お父さん、頑張ってくるからな、お前も頑張れ」そしてそう心の中で呟くと、その部下の頭をぽんぽんと叩き、「お前も頑張れ」そう言ってきょとんとする若者を尻目に洋一は艦橋の中へ戻って行った。

続く
...2005/07/02(Sat) 12:09 ID:j5O7L6eU    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
最新作拝見しました。
横須賀から出航する船に一緒に乗っている気分でしたよ。
病院の場面といい、船の場面といい、細かいところまでよくお調べになってますね。続きも期待しております。

※横須賀といえば、山口百恵さんの出身地ですね。リメイクされた「赤い疑惑」は賛否両論ですが、私個人的には石原さとみさん、陣内孝則さん、田中好子さん他出演者の熱演に引き込まれました。あのドロドロ感と大袈裟なくらいクサイ芝居が懐かしくて好きですね・・・次回作・綾瀬はるかさんの「赤い運命」も楽しみです。
...2005/07/05(Tue) 00:14 ID:MiYlmA1A    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
こんにちは、clice様

東京湾を出て右側に三浦半島と相模湾が見える頃から、海の色が深い
緑から澄んだ青に変わって行きます、東京湾が汚れているのがよくわか
る瞬間です。

あの大きな金属の塊が海水の抵抗をはねのけて加速するときの感じは、
一種独特な感覚ですね、ググッと身体に加速度を感じる程に護衛艦の加
速は早いです、水中翼船等の軽い船の加速とは違う重さを感じます。
(以上、観艦式での経験ですので本当の加速はもっと凄いと思います)

読ませて頂いていつも感じますのは、百合子さん・綾ちゃんの家族の方々
って良い人ばかりですね。
物語の病はとても重いのですが、それに関わる人たちのポジティブな面は
とても心地よいです。
...2005/07/12(Tue) 19:56 ID:Y2MH/XnM <URL>   

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜clice様〜

こんにちは。
ぐったりするまで書き続けた『あいくるしい』も無事終了し、今書いているのはここだけになりました。

洋一さんは、海上自衛官。
今、私の中では“海の安全を守る人達”といえば、『海猿』。
「おぉ、なんてタイムリーな!」って思っていたら、『海猿』は保安庁のお話で、自衛隊とは違うってドラマの中でも言ってたなぁ、と思い出したのでした。どうも、一まとめになっちゃって、すいません。(『海猿』は潜水士さん達のお話なのですが、素晴らしい映像です。)

で、洋一さんも海の男。百合子さんの部屋の写真は、よくTVなどで拝見する、自衛官の皆さんが着ておられる白いシャキッとした制服を想像します。昔気質な感じで、それでいて話せば分かる様な柔軟性に富んだ、優しいお父さんに思いました。
それぞれの家族にそれぞれの想いがあり、でも娘の回復を心から願う気持ちは全く同じな、洋一さんと正信さんです。

ベタベタして、不快指数100%な日々ですが、どうぞ体調に気を付けられて、執筆活動頑張って下さい。
...2005/07/16(Sat) 15:52 ID:0Pfhiehs    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「じゃあ小野田さん、明日また胸部と腹部のCTを撮ります」
「はい、分かりました」百合子は担当医の不破真一を見上げながら頷いた。
「綾ちゃんは調子どう?」不破は振り返り、隣のベッドで漫画雑誌を広げていた綾に声をかけた。「まあまあです・・とりあえず今日は」「本当かなあ?」不破はテーブルの上の本と、綾の顔を交互に見ながらにやりと笑った。
「田村先生から聞いてるよ、綾ちゃんが漫画読んでたら今一つだって」「違う違う、これは続きが読みたかったの、それに先生、百合子さんが小野田さんでなんで私は綾ちゃんなの?」「だってみんなそう呼んでるだろ」「じゃあ、先生も百合ちゃんとか読んでみたら?」綾は悪戯っぽくそう言って不破と百合子を見た。
「な、何言ってるんだよ、患者さんだろ」「私も患者でーす」「君はいいの」「はいはい、どーせ私はお子様ですよーだ」そう言って綾は頬を膨らました。
「そうやってすねてると、田村先生に言って再検査頼んであげようか、胃カメラ」「嘘、それだけはお止め下さい、お代官様」綾は両手を合わせる振りをした。
「誰がだよ・・・じゃあね」そう言って不破は病室を出ていった。

綾は先週、個室を出て小野田百合子と同室のこの4床室に移っていた。
無菌治療病棟内にあるこの4床室は、見かけは一般の病室と変わりはないが、室内の清浄度は個室と同じクラス10,000に保たれ、免疫の低下した患者の身体を常に清潔に保つ為のシャワーが完備されていることが異なっていた。
百合子と綾は隣同士のベッドになり、移ったその日はまるで修学旅行で泊まった最初の夜みたいに、消灯時間が過ぎて他の患者が寝静まった後も、お互いの事や入院生活の事など、二人は時間を忘れて夜遅くまで話した。

「綾ちゃん、あんまり不破先生からかわないの」「だって面白いんだもん」「綾ちゃんはほんと誰とでもすぐ仲良くなるね、羨ましい」百合子は綾が他の年配の患者達や、研修でやってくる若い医師や看護学生達とも、すぐに打ち解けるのを見てそう思っていた。
「不破先生って、百合子さんには妙に真面目なんですよね、実は・・百合子さんタイプだったりして」そう言って綾は百合子を見た。
「何言ってるの」「そうかな・・それは百合子さんは顔ちっちゃくて、上品で、大人の女性って感じだけど、私のことは完全に子供扱いしてますよね」
「そんなことないよ、ほんとは綾ちゃんの方が私よりもずっと大人顔の美人なんだよ」
「そうですか?」「うん、でも綾ちゃん、笑うとほわーんっとしてるし、それによく喋るし、だから可愛いって思われるんじゃない?」「それって、やっぱり幼いって思われてるってことじゃないですか」綾は少しがっかりした表情で俯いた。
「そうじゃないよ」「友達にもよく言われるんですよ、あんたは黙ってるといい女なんだけど・・って」「それ言えてるかも」百合子はそう言ってクスッと笑った。
「あー百合子さんまで、ひどーい」そう言って綾はまた頬を膨らませた。
「あーあ、でもほんと毎日毎日採血と検査と点滴の繰り返しですね、外に出て思いっきり背伸びしたーい、これいつになったら取れるんだろ、ねっ百合子さん」そう言って綾は胸から伸びるチューブをつまみ、その先にぶら下がってる点滴のバックを見上げ、小さく溜息をついた。

田村は午前中の回診を終えて、医局のデスクで椅子にもたれながら、コーヒーを片手に患者の検査結果の書類に目を通していた。
そしてコーヒーを置いて受話器に手を伸ばすと内線の短縮ボタンを押した。
「はい病理、松本です」朔太郎が電話に出たと同時に「松本先生、この検体至急でお願いします」と検査技師が組織標本を手にして部屋に入ってきた。
「分かった、そこ置いといて」朔太郎は受話器を押さえながら振り向きそう言うと「お願いします」と頭を下げ出て行く技師に手を振って答えた。
「よお、相変わらず忙しそうだな」「お蔭様で・・そっちは?」「似たり寄ったりだよ、松本、あとで病棟の方に来てくれないか、検査結果の詳しい説明が聞きたいんだ」「分かった・・あっ田村、それで・・さ」電話の声にふっと微笑むと「大丈夫、心配するな、順調だよ、じゃあ後でな」そう言って田村は受話器を置いた。
するとそこに回診から戻ってきた不破が声をかけた。
「田村先生、この前お話した小野田さんの事なんですけど」「ああ、例の件」「はい、本人はもちろんご家族も強く希望していらっしゃいますし、検査の結果次第で、状態の安定している今なら大丈夫と思うんですが、先生はどう思われますか?」不破はカルテを渡しながら、神妙な面持ちで田村の答えを待った。
「そうだな、君がそう判断したのなら俺は支持するよ、ただし無理は絶対に禁物だぞ、気持ちは分かるがそこは誤るなよ」田村は不破を見上げながらきっぱりとした口調で言った。「ありがとうございます」不破はそう言って嬉しそうに頭を下げた。
「俺に礼言ってどうするんだよ、主治医は君だろ」「そうですけど」そう言って不破はカルテを受け取りながら、田村の机の上の洒落たガラスの写真立に目をやった。
「先生、写真入れ替えたんですね」「ああ、これ?」そう言って田村が手に取った写真立の中で、小さな女の子が二つおさげのお姉ちゃんの真似をするように、金色の毛並みの大きな犬に抱き付いて笑っていた。
「下のお嬢さんも大きくなりましたね、彩香ちゃんはなんか顔立ちがきりっとして、将来きっと美人になりますね」
「上の子はかみさん似だからね・・不破君は?そろそろ君もいいんじゃないか?いるんだろ誰か」「いやあ、全然、俺、なんかそっちの縁どーも無いみたいで」そう言って不破は頭を掻いた。
「君は真面目だからな、あんまり考えすぎるのも良くないぞ」「そうですね」そう言って不破はポッドからコーヒーをカップに注ぐと自分のデスクに座った。

午後の検温が終わった頃、綾の病室にひょっこりと正信が現れた。
「お父さん・・どうしたの?」「組合の用事で近くまで来たもんだから寄ってみた」正信は他の患者に頭を下げながら病室に入ると、綾のベッドの横の丸椅子に腰掛けた。
「びっくりしたよ、日曜に来なかったからお店忙しいんだろうなって思ってたけど・・あっ、お父さん、紹介するね、こちら小野田百合子さん」そう言って綾は百合子を見ると「百合子さん、うちのお父さん」そう父親を紹介してはにかむように笑った。
正信は窓際のベッドの女性を見て「いつも綾がお世話になってます、あの、こいつよく喋るでしょ、うるさかったらいつでも口にチャックしてやって下さい」そう言って頭を下げた。
「お父さん、いきなりその言い方はないでしょ」「だってほんとのことだろ」「そんなことありません」「そうか?ねえ百合子さん」正信はそう言って百合子を見た。
百合子は二人のやり取りを見てくすくすと笑うと「はい」とにっこり返事をした。
「ほらみろ、うるさいってよ」「百合子さんまで・・もう」
「しかし、さっき、お前が部屋移ったの忘れてうっかり前の部屋に入ろうとしたよ、慌てて看護婦さんに止められたけど」「もう、何やってるの、お父さん、恥ずかしいじゃない」
「でも、あそこの病室・・また、少し前のお前みたいにさ、誰かが一人っきりで頑張ってるんだな」正信は今来た廊下の方を振り向くと、しみじみとした口調で言った。
「そだね」綾も父親に同感するように素直に頷いた。

「ねえ、お父さん、お母さんから聞いたよ・・お店忙しいのにごめんね、いつもお母さん私が取っちゃってさ」綾は改まったように父親に話しかけた。
「ばか、そんなのはへっちゃらだよ」「でも無理しないでね、お父さん」「な・・何、言ってるんだよ」正信は娘の言葉に少しだけ胸が詰まるような感じがした。
すると綾はにこっと笑い「ちょっと言ってみただけだよ、今じいんとしたでしょ、お父さん、さっきのお返しだよ」そう言ってぺろっと舌を出した。
「っとにこの娘は・・ちょっと良くなったと思えばすぐこれだ」そう言う正信の瞳は微かに潤み、百合子はそんな親子の様子を微笑ましく見ていた。

続く
...2005/07/17(Sun) 17:28 ID:OxJ5p81w    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:にわかマニア
 不二子様
>『海猿』は保安庁のお話で、自衛隊とは違うってドラマの中でも言ってたなぁ

 一度書き込まれた後,一旦消去され,その後復活されたのは,これが原因だったのですね。でも,歴史的な経緯からすると,両者は「違う」って訳でもないのですね。
 つまり,日本の無条件降伏に伴い旧帝国陸海軍が解体された際に,旧軍の掃海能力にかねてから注目していた米軍は,この部門だけは温存させることとし,海上保安庁に引き継いだという経緯があります。そして,海上保安庁の掃海部隊は朝鮮戦争に従軍させられ,戦死者まで出しているのです。
 一方,陸上自衛隊の前身が警察予備隊であったように,海上自衛隊も,当初は海上保安庁の中に軍事組織的性格を強く有する「警備隊」として組織され,後に海上自衛隊として独立したという経緯があるのです。
...2005/07/18(Mon) 19:18 ID:Qeu9/NxU    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜にわかマニア様〜

こんにちは。
お察しの通りです。(笑)

順序があって、clice様のお話の中の“船”を想像するのに、私の中の参照データが乏しくて、そこですかさず『海猿』に登場する「ながれ」という船のことを思い出しました。船長さんも夏八木さんでぴったり!とか思っていたら、しばらくして「あれってそういえば、巡視船って言ってたよな〜。護衛艦とは違うよね・・・。そういえば、主役の背中に“海上保安庁”ってでかでかと書いてあったような・・・」と思い出し、大急ぎで『海猿』HPにすっ飛び、間違った情報を流してはイカン!と、一旦書いたのを下げさせてもらいました。

あとで1話の最初のところだけ観たら、しょっぱなから、「海保と海自の区別がつかない」っていうヒロインの台詞の返しに、友達が
「それって、ひどいんじゃない?!」
って言うのがありました。私のことですね。お恥ずかしい限りです。
根っこの情報を、色々とありがとうございました。
日本列島も除々に梅雨明けで、本格的夏になろうとしていますが、どうぞお身体ご自愛なさって下さいませ。
...2005/07/19(Tue) 13:07 ID:EYy.aknI    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「じゃあ、お父さん帰るからな」正信は丸椅子から立ち上がった。
「うん、じゃあね」綾は手を振り「おう」正信もそう答え、百合子と他の患者達に丁寧に挨拶をすると病室を出て行った。
ナースステーションの前で立ち止まると、正信は覗きこんで挨拶をした。そして部屋を間違えた時に会った看護師を見つけると、照れ笑いをしながら再び頭を下げた。
二重になった病棟のドアの途中部分で、履き替えたスリッパを戻し出口のドアに向かおうとした時、正信は入ってくる一人の医師とすれ違った。
その医師は正信を見ると穏やかな表情で会釈をし、靴を履き替え丁寧に手洗いをするとドアの前で立ち止まる正信にもう一度軽く頭を下げて、もう1枚のドアをくぐり病棟の中へ消えていった。
正信はその医師と、どこかで会ったような気がしていたが思い出すことはできず、ドアを出て廊下をエレベーターに向かって歩き出した。
エレベーターホールで正信は一人の女の子とすれ違った。その頭にバンダナを巻いた綾と同年代くらいの女の子は、機械の付いた点滴棒をカラカラと押しながら廊下を病室の方へ歩いて行った。
その姿を正信はずっと見送りながらその子の家族のことを思った。そこにはもう一人の自分がいる気がした。今この時の彼の心には希望と絶望そのどちらが多く存在してるのだろうと思った。そしてそれは自分自身への問いかけでもあった。
下りのエレベーターが止まりドアが開いた。正信は乗りこみ、ドアが閉まろうとしたその瞬間正信は思い出した。
綾の病室で見たアルバムの中の写真、無菌室を出た日に看護師が撮ってくれたという記念写真の中の1枚、嬉しそうに微笑む綾を真中にして左右に立つ二人の医師の姿、その一人は背の高い田村先生、そしてもう一人の男性・・「そうか・・あの医者が松本・・・」。

「綾ちゃんは、ほんとお父さんと仲いいんだね」百合子が微笑みながら話した。
「ごめんなさい、百合子さん、あんな開けっ広げなお父さんで・・うるさいのはどっちだっていうの、ねえ」「ううん、いいよね・・いつもあんな感じなんだ、お父さんと・・綾ちゃんって、顔立ちはお母さん似だけど、そんなところはお父さん似なんだね」
「やっぱり・・うちのお父さんも黙ってれば結構渋くていけてると思うんだけど・・でも百合子さんのお父さんと比べたら、もう絶対ただのおやじ」そう言って綾は百合子のベッドの脇の写真立を見た。
「日曜日に面会に来てましたよね、見ちゃった・・百合子さんのお父さんって背が高くて素敵なんだ、自衛隊の船に乗ってるんですよね」綾は興味深々の表情で聞いた。
「綾ちゃんは横須賀には行ったことある?」「ううん、無いです」「港に行くとね、ずらっと灰色の軍艦が並んでるんだけど、うちのお父さんはその横須賀基地の護衛艦に乗ってるの」「護衛艦ってミサイルとか積んでる船のことでしょう、なんかテレビで見たことあるかも、じゃあ艦長さんとか?」「そうじゃないけど、航海長って言ってとりあえず艦の中では大事なポジションみたい」百合子はどこかしら誇らしそうな表情を浮かべて話した。
「そうなんだ、かっこいいですね」綾は写真立に目をやりながら頷いた。
「でも、家にいる時はほんと制服着て艦橋にいる時と同じ人?って感じなんだよ、そう・・本当に普通の・・・」

百合子は自転車を駐車場の角に押しこむと、玄関への小さな階段を上った。
「ただいま」「お帰りなさい」母親の美佐子がキッチンから振り返りながら答えた。
「あー疲れた」百合子は鞄をソファーに放り投げ、自分もそのまま前のめりに倒れこんだ。そしてテーブルの上の丸いカゴの中のお煎餅を一口つまむと、テレビのリモコンに手を伸ばしスイッチを入れた。
「百合ちゃん、行儀悪いわよ、ほら、早くお風呂入りなさい」ソファーにうつ伏せで足をぱたぱたさせながらお煎餅をかじる娘を美佐子は窘めた。
「はーい」鞄を持って部屋に向かおうとした時、ぷーんとカレーの香ばしい匂いがした。
それは週末に父親が家にいる事の証しでもあった。
Tシャツに着替えバスタオルで頭を拭きながら、百合子はまたソファーに座りリモコンに手を伸ばした。ダイニングテーブルの上には大きなボールに山盛りのサラダが置かれ、美佐子がカレーを装った皿を並べていた。
「あれ、お父さんは?いるんだよね、部屋?」「そう、呼んで来て、ご飯ですよって」「もしかして、朝からずっと?」そう聞く娘に母親はいつものことよとでも言いたげな仕草で頷いた。
「お母さん、たまに家にいる時くらい何処か連れてってもらえばいいのに」「いいのよ、お休みの時はお父さんがこの家でのんびりしてくれれば」「そうだけどさ・・お母さんのことほったらかしでいい気なもんだよね」百合子は少し呆れた様子で2階の洋一の部屋の方を見上げた。
「百合ちゃんも知ってるでしょ、お父さんが休みでも遠くに行けない事、命令が出たら2時間で船に帰らなくちゃいけないんだから、お父さんも安心なのよ、家にいるのが」「そうなんだよね、帰るんだよね船に・・どっちが家だって怒ったりしないの?お母さん」百合子は溜息まじりに聞いた。
「怒ってるわよ、でもお父さんにとってはどっちも大切な家族なの、ほらほら、百合ちゃん、早く呼んで来て」そう言って美佐子は冷蔵庫を開けて冷えたビールを取り出した。

「お父さん、ご飯だよ」百合子は父親の部屋をノックした。
「・・・」「いるんでしょ、早く・・お母さん、待ってるよ」返事の無い父親に百合子はドアを開けた。
「小野田三佐、艦長がお呼びですよ」そう言って部屋の中を覗くと、父親が机の下からお尻だけを出していた。
「何してるの?お父さん」「百合子か・・分かったから、お母さんにすぐ行くって言ってくれ」そう返事をしながら洋一は、落としたコンタクトでも探すように床の上を見回した。「何か落としたの?一緒に探してあげようか?」そう言って百合子はぱたぱたと部屋に入ってきた。
「入ってくるな、じっとしてろ」「何?」洋一の強い口調に百合子は驚いて立ち止まった。洋一は呆然としている娘を見上げるとすまなそうに話した。
「いや、すまん、ちょっと作りかけの部品を落としてな・・見つけたらすぐ行くから」
「もう、そんなこと?」百合子は呆れたように部屋の中を見た。
きれいに整理された部屋の本棚には船に関する本がびっしりと並び、壁には乗り継いできた数々の艦の写真と一緒に、護衛艦をバックに撮った家族写真が額に入って掛かっていた。机の上には、作りかけの模型の部品が沢山の工具や塗料とともに散らばり、開かれた何冊もの船の雑誌や写真が隣のパソコンデスクにまではみ出していた。
「お父さん、カレーが冷めちゃうよ、私も探してあげるから、どんな部品なの?」
「このくらいだ、ピンセットの先から飛んでな、どこに落ちたか分からん」洋一は親指と人差し指でその大きさを示した。
「いいか、そーっとだぞ、間違っても踏むなよ」その哀願するような表情に百合子は溜息をついたが、なにか父親がとても身近に感じられ嬉しくなった。
「うん、分かった」それから二人は四つ這いでフローリングの床の上を目を皿のようにして探した。
そして百合子は床の上に散らばる削りくずに混じって、灰色のプラスチックと茶色い金属で組み合わされた小さな部品をパソコンデスクの下から見つけた。
「これかな」その言葉に洋一はすぐに反応し「触るなよ」と言うよりも速くピンセットを手に百合子の横に潜り込んだ。身体を寄せ合いながら、子供のような目をして必死にピンセットを伸ばす父親の姿に百合子は少しドキドキした。
そして無事に摘み上げると机の下から這い出して、ほっとした表情で顔を見合わせた。
「お父さん、何なの?それ」「これか?レーダーだよ、こいつの」そう言って洋一は机の上から細長い箱を百合子に手渡した。
その箱に書かれた絵の艦首の番号で百合子はそれがどんな船か分かった。
壁に掛かる家族写真の後に写っている船、父親の乗り組んでいた護衛艦だった。
DDH−143「しらね」百合子の部屋の机の上にあるお気に入りの写真の船だった。
「これ作ってるんだ」「ああ、お父さんにとっても思い出の詰まった艦だからな、ここのカレーは美味かったぞ」「ふーん、お母さんのとどっちが?」「それは決まってるだろう」「やっぱり?」「ああ」洋一は頷いた。「じゃあ、早く行こうよ、お腹ぺこぺこだよ」「父さんもだ」「ねえ、お父さん、たまにはお母さんを何処か連れてってあげたら?」「ん、そうだな」
その時階段の下から二人を呼ぶ声がした。「やばいよ、お父さん」「ほんとだな」そう言って二人はばたばたと階段を降りていった。

「ねえ、綾ちゃんのお父さんはカレー好き?」「好き好き、近所に美味しいカレー屋さんがあって、お昼とかよく行ってるもの、男の人ってほんとカレー好きですよね」「綾ちゃんは?」「私も・・お店が忙しい時とか、時々私が夕食作るんですよ、その時の定番はやっぱりカレーだったりして」そう言って綾はえへへと笑った。
「百合子さんのお父さんも?」「海上自衛隊の船では金曜日はいつもカレーなのね、だから金曜日にお父さんがいると我が家のメニューは自動的にカレーになるのよ」「へえー、そうなんだ」綾は百合子の話に小さく頷き「ほんと、へえー・・よね」百合子はそう言って写真立に目をやりながら懐かしそうに微笑んだ。

続く
...2005/07/26(Tue) 12:30 ID:zDQqP7Bg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
〜clice様〜
先日より、海上自衛隊、並びに、海上保安庁のHPを行ったり来たりしては初めて目にするものが多く、大変新鮮で且つ勉強になります。海での保安に関する通報がTEL“118番”というのも初めて知りました!
それで、海上自衛隊のHPでは護衛艦のことを「装備品」という項目で紹介しているのですね。その中に「しらね」もしっかり載っていて、「お〜、これなのだ。」と思いました。
それから、“船の上では「金曜日はカレー」”というお話は私もどこかで聞いたような気がするのですが(トリビアかなぁ?)、これはやっぱり事実なのですね。
百合子さんも綾ちゃんにつられて、元気印になってきたように感じます。


ところで、clice様は「8月5日」というのが、どういう日か覚えていらっしゃるでしょうか?
そうです。clice様が、公式BBSにおいてこの物語のことを初めて発表された日です。ですから、もうすぐあれから1年経とうとしていることになりますが、私はその時の感想を未だにお伝えしてはいません。
今更ではありますが、公式BBSの投稿を初めて目にした時の感想を書かせて頂いてもよろしいでしょうか。

『世界の中心で、愛をさけぶ』は、素晴らしいドラマではありましたが、1話から、人によっては引っ掛かる点が共通していることも、BBSで読ませて頂いておりました。多くは、緒形サクが余りにも泣きすぎで、ジメジメしたドラマは受け入れられないというものだったと思います。そしてもう一つは、朔太郎が倒れたあとの病室の場面。ドラマ開始直後に、サクが亜紀の小瓶のことを「豚の骨」と言ったことです。この言葉は、少なからず視聴者にはショックを与えて、その後もこの言葉だけは受け入れられないと仰った方も何人かいました。あの時亜紀の小瓶のことを「豚の骨」と言ったのは、何らかの理由があったと思うのですが、それが観ている私達には結局最後まで分からずじまいで、今になって思うと、森下さんのことだから何か考えていなかったわけはない、と思える程です。もしかしたら、私が知らないだけで、こちらの膨大なBBSではどなたかが何らかの結論を出して下さっているのかもしれません。
しかし、8月5日。あの時点で、作り手もまだ示すには至らなかった「豚の骨」に対するフォローをして下さったのが、clice様でした。私は初めて読んだ時、皆が納得のいかなかった点を、何とか少しでも浄化しようとして、それにご自身の想像力をあわせて、書いて下さったのだと思いました。いかにも現実的な風景だからこそ、ストレートに目の前に広がる世界。最後の下りは、これ以上ないと思えるほど幸せな風景だと思いました。
「幸せの架け橋」。
亜紀の小瓶が示す、もう一つの意味を、その時うっすらとですが感じたのです。
これが私の第一の感想です。・・・本当に、遅くなりました。

その後も、病院の中庭のベンチに座っている朔太郎は、ドラマ本編を観ながらもいつも私の頭の隅っこにあったかもしれません。宮浦での、葛藤の時間を過ごしていた朔太郎とは別に、朔太郎には本来のいるべき場所で悩む姿も私には想像が出来ました。中庭の緑がとても眩しい場所。同じように流れる時間の中で、「もう一つの」という言葉が、この物語全体または細部にまで掛かる程の意味を持っているのは最初の時点で分かりました。それは今思い返すと、ドラマの本編と同じ時間を共有して並行して流れていたようにさえ感じるのです。
ですから、私はこの物語『もう一つの結末(再会編)』の辿り着くところをどうしても観たいと思っているのです。「最後の夢」と言ったのは、「私にとってのもう一つのドラマ」という意味があるでしょうか。時間をおいて、clice様が再び書き始めて下さったことを、心から嬉しく思いました。

それから、これは余談というには結構重要なことなのですが、最初に考えられた通りの結末でも、またそうでなくても、私は受け入れることが出来ます。こちらでは、clice様には是非このように書いて欲しいと希望を持っておられる方々もいらっしゃると思いますので、「最終話」はお悩みのことと思いますが、もし変更されるようなことがあっても私は大丈夫です。とにかく、納得いかれるまで書いて下さい。

というわけで、長文失礼しました。
...2005/07/27(Wed) 17:52 ID:zzbJ0d0I    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
お疲れ様です。
だいぶ下がって来てしまっているので、一時的に上げておきますね。
これからも楽しみにしております。
...2005/08/03(Wed) 21:29 ID:xO6hMlcU    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「そうだ、綾ちゃんに見せたいものがあるんだ」百合子はそう言ってベッドの脇から紙袋を取り出した。
「えっ、何ですか?それ」「いいもの・・綾ちゃん、ちょっと向こうを向いててくれる?」「こうですか?」綾は百合子に言われた通りに身体を捻って入口の方を見た。
「いいって言うまで振り向かないでね」そう言って百合子はベッドを区切るカーテンを引いた。
「えー、何?百合子さん」シャーっというカーテンの音に、綾は百合子が何をしようとしているのかまったく想像がつかなかった。
「いいよ」百合子の声がした。そして綾はゆっくりと振り向いた。
「えー・・?」「どう、似合う?」百合子は少し恥ずかしそうに照れ笑いをしながら綾を見た。そこには綾の知っている百合子ではないチャーミングな一人の女性がいた。
「百合子さん、髪・・」綾は目をまん丸にして呆気に取られていた。
「うん、かつら」そう言って百合子はセミロングのその髪を右手でかきあげる仕草をした。
「えー、すごく似合ってる」綾は驚きの表情で百合子を見た。「綾ちゃん、さっきからえーばっかり」百合子はそんな綾の様子が可笑しくてくすりと笑った。
「だって百合子さん・・」「びっくりした?」「しますよ・・どうしたんですか?それ」「うん、日曜日にね・・通販で買ってみたけどけっこういいみたいだからって、お母さんが・・だからこれ人毛なんだけど、高くないんだって・・普通にカットしたり染めたりもできるみたいなの」「そうなんだ・・知らない人が見たら絶対分かりませんよ、すごく自然だもの」「ほんとに?・・そう思うかな?」百合子は不安そうに聞いた。
「うん、絶対」「良かった、綾ちゃんにそう言ってもらえて・・綾ちゃんもきっと不安に思ってるって感じてたから・・」百合子はほっとしたような表情で綾を見た。
「百合子さん・・」百合子の言う通りだった。
移植が終わり、苦しかった時期を脱して、体調も少しづつ良くなってはいたが、50日を過ぎても髪が生える様子は一向になく、いつになるかは分からなくても、退院という言葉が少しだけ現実味を帯びてくると、その後の生活の不安が綾の中で次第に膨れあがってきていた。
「だって、冗談みたいに話しするしかないじゃないですか」「みんなそうだよ・・女だもん」百合子は微笑み、そして頷いた。
「でも、どうして今かつらを?」「うん、外泊をね・・できないだろうかって両親が先生に聞いてくれてるの」「外泊?・・外泊か・・・そうですよね、百合子さん私より1ヶ月以上も前に移植してるんだし・・考えもしなかったな・・ありますよね、そういうこと・・そっか、家に帰れるんだ、いいですね」綾も思わず嬉しくなった。
「綾ちゃん、そうなるかどうかまだ分からないよ、一般病棟に移れるほど体調もそんなに良くなったわけじゃないし、たぶん無理じゃないかな・・お母さんも気が早いよね」そう言って百合子は鏡を見ながら髪をさわり自分の姿を見つめた。

「百合子さん、ねえ、それ私もいいですか?」「いいよ、ちょっと待っててね」百合子はそう言ってカーテンを引き、かつらを外すとその少し産毛の伸び始めた頭にバンダナを巻きなおして綾に手渡した。
綾はそれを受け取ると、恥ずかしそうにぱたぱたと病室に設置されたシャワールームの洗面台に向かい、バンダナを取って恐る恐る被ってみた。
前髪を触ったり、後で摘んでみたりしながら、一頻り鏡の前の自分とにらめっこをした。
そこには良く知っている懐かしい自分がいた。
「久しぶり」綾はにっこり笑いながら、鏡の中の自分に話しかけた。
そして鏡の中で色白の少しだけきれいになった自分が笑い返していた。
綾の頬を涙が伝った。こらえようとしても次から次にそれは溢れてきてどうすることもできなかった。
「ばか、何泣いてんの」綾は鏡の中の自分にそう言うと、両手で涙を拭いまたにっこりと笑った。そしてサイドの髪を耳にかけるようにして後に流すと「よし」と呟いた。
「じゃーん」綾はそう言って照れ臭そうに洗面台から顔を出すと、はにかんだ笑顔で百合子や他の患者達を見た。
同室の中年の二人の女性患者も「可愛いよ、似合ってる」と口々に言い、百合子も俯き加減に照れながら歩いてくる綾の姿を微笑ましく見ていた。
「どうですか?変じゃないですかね」綾はしきりに耳に手をかけ髪を直した。
「それが綾ちゃんなんだ・・ほんと可愛い、学校でも目立ってたでしょう」「全然、そんなことないですよ」綾はしきりに右手を振りながら照れた。「そう?・・付合ってる人、いるの?」「えー、いないですよ」「ほんとかな?」「ほんとですって、何でそんな話しになるんですか?百合子さん」「さあ?」百合子は横を向いてすました顔をした。
「もう、百合子さんの意地悪」綾はいつものように頬を膨らませた。
「でも、綾ちゃんも良く似合ってる、それ」「そうですか?これ、いいですね、私も買ってもらおうかな・・どこのか後で教えて下さいね」そう言って綾もまんざらではない様子で手鏡を見た。そして綾は何かを思いついた表情で百合子を見た。
「百合子さん、百合子さんのニットキャップ、ちょっと貸してくれませんか?」
「これ?」そう言って百合子は、ベッドの下の衣装ケースから薄いベージュ色のニットキャップを取り出すとそれを綾に手渡した。
綾はそれをかつらの上から深く被ると、手鏡で自分のその姿を見た。
「百合子さん、どうですか?これだったら絶対分からないですよね」そう言って綾は得意そうに振り向いた。
「ほんと、そうだね」百合子も納得した。確かにこれから秋から冬にかけて外出するファッションとしても自然に思えた。
「でしょう、これならごまかせそうだし、いろいろおしゃれできるし、原宿なんか全然平気で歩けますよ、もしかしてナンパされるかも」「じゃあ、迫られたら取って見せるとか?」「うん、カポッて・・きっと速攻で逃げますね、その人」「たぶんね」そう言って百合子はくすりと笑い、綾もその様子を想像して自分でうけて笑った。
百合子は笑いながら「でも、綾ちゃん、それまんざら冗談とも言えないところが悲しくない?」「そうですね、確かに悲しいかも」そう言いながら二人はお腹を抱えて笑った。

一頻り笑った後、綾はまた何か思い出したようにテーブルの引き出しからカメラを取り出すと、帽子を取って髪を直し、カメラを百合子に手渡した。
「百合子さん、お願い、写真撮って」「いいわよ、じゃあチーズ」百合子はその小さな銀色のデジカメの液晶を覗きながらシャッターを押すと、ピッという音とともに綾の笑顔が画面に記録された。
そしてそんな二人にちょうど病室に入ってきた森下が声をかけた。
「あれ、なんか面白い事してるみたいね」「あっ、森下さん・・えへへ、どうですか、似合うでしょ」綾は一瞬照れ臭そうにしたが、すぐに笑顔で話した
「ほんと、一瞬誰かと思っちゃった、それどうしたの?」森下は綾の向かい側のベッドの患者の点滴を交換しながら話しかけた。
「これは、百合子さんの」「そう、小野田さんの・・いいわね、それ」森下は点滴の交換を終えると、少しの間二人の話に入って一緒に写真を撮ったりした。
そして病室を出る前に綾にこっそりと耳打ちをした。
「綾ちゃん、松本先生来てるわよ」「ほんと?」綾は振り返ると、森下は小さく頷きそして病室を出て行った。

綾はこの4人部屋に移ってから朔太郎に会っていなかった。
今までのように個室ではなくなった為、百合子や他の患者を気にしてその機会が無くなっていた。
「百合子さん、これちょっとこのまま借りてていい?」綾は髪を触りながら百合子を見た。「うん、いいけど・・どうするの?」「ちょっとね」そう言って綾はカメラを手にすると、ぱたぱたとスリッパの音をさせて病室を出て行った。
百合子は、きっと看護師か誰かを驚かそうと出て行ったんだろうなと思い、少し疲れたこともあってベッドにもたれかかりぼんやりと窓の外を眺めた。
綾が廊下に出て辺りを見回すと、打ち合わせ終えた朔太郎が田村と一緒にちょうどナースステーションから出て来るところだった。
「先生」と、そう声をかけようとしたが、二人はそのまままた立ち話を始めた。
そしてその様子を見ていた綾の悪戯心がむくむくと目を覚ました。
朔太郎と田村は病室の方に背中を向けていた為、こっそりと近づいて来る綾にはまったく気がついていなかった。
そして綾は後ろにそっと立つと、右手を伸ばし朔太郎の右肩をポンポンと叩いた。
朔太郎は反射的に後ろを振り向いた。そしてその頬に細長い指がぶすりと刺さった。
懐かしい感触だった、そしてその視線の先に見えたのは・・・。

「やった」綾は無邪気に微笑んだ。
「ア・・・」朔太郎は声も出せずにその場に立ち尽くした。
そこにいたのは亜紀だった。前髪をおでこに垂らし、サイドの髪をちょっと耳にかけるようにした姿は、もう何千回と夢に見た大好きだった亜紀そのものだった。
心臓の鼓動が聞こえるくらいに高鳴った。
「びっくりした?」その呆然とした様子に綾はしてやったりの表情で話したが、しかし朔太郎の声も無いように驚いたその表情に、綾もさすがに悪戯がすぎたかなと思った。
「先生、驚きすぎだよ、そんなにびっくりしたの?・・どう、似合う?」綾は髪に手をやってはにかんだような笑顔を浮かべた。
「綾ちゃん、それどうしたの?」田村が笑いながら訊ねた。「これ?百合子さんの、ちょっと借りちゃった、結構いけてるでしょ」「うーん、似合ってるよ・・・やっぱり女の子だもんな」「そうだよ先生、じゃあ髪切ろうか・・とかあっさり言われたし」「そうだったね・・でも見違えたよ、なあ松本・・・松本?」朔太郎は田村の言葉でようやく我に返った。
「あっ、ああ・・」気づくと両手にびっしょり汗をかいていた。
「先生、どうしたの?・・あっ、もしかして、結構可愛いとか思ってる?」綾が朔太郎の顔を笑顔で覗きこんだ。
「綾ちゃん、その手に持ってるのなんだよ」田村がまた笑いながら聞いた。
「えへへ」綾は照れ臭そうに見せた。「用意がいいな、まったく」「だって、記念だもん」「かつらの?」「うん」「ははは・・」田村は屈託なく笑った。
「あっ、ひどーい」「君はなんでも記念にするんだな」「そうだよ、ちゃんと撮っとかなきゃ、だって、こんな経験なかなかできないでしょ」「・・そりゃそうだ、じゃあ僕も写っていいのかな?」田村は綾を見てにやりと笑い、綾もこくりと頷いた。
「じゃあ先生、撮って」綾は朔太郎に振り向き少し照れながらカメラを差し出した。
朔太郎はそれを受け取ると、後ずさりをしながら画面の中央に二人を収めた。
背の高い田村の隣で、前髪や襟元を気にしながらちょっぴり緊張した面持ちで綾は笑顔を作った。それはちょうど病室でパスポートの写真を撮った時の亜紀のようだった。
胸が苦しくなった。液晶画面に写る綾の姿が急に遠くに感じた。
手を伸ばせばすぐそこにいるのに、重ならない二つの世界の向こう側にいるような、そんな遠い存在に思えた。
そしてシャッターボタンの冷たい感触が、一瞬の光とともにその世界を切り取った。

「おっ、いい雰囲気じゃないの」再生した画像を見ながら田村が言った。
「いいえ、医師と患者の典型的な記念写真でーす」綾はきっぱりと言って笑い、「でも、大切な・・」と、そう付け加えた。
「じゃあ、はい」綾はカメラを撮影モードに切り替えると田村に渡した。
「じゃあ、先生、撮ろう」そして振り向くと朔太郎に歩み寄った。
「ほら、松本、並べよ」「いいよ、俺は」「何遠慮してるんだよ、変なやつだな」
「別にそんなのしてないよ」朔太郎は横を向いた。
「綾ちゃん、こいつ、照れてるよ、ほら、早く並んで」田村はそう言ってカメラを構えた。
綾が隣に立ちにっこりと朔太郎を見た。朔太郎はその綾の視線に目を合わす事ができなかった。
「いいって」そう言って朔太郎は綾から離れた。胸が苦しかった。自分が何を言ってるのか分からなかった。
「もう、先生、恥ずかしがらないの」そう言って綾は朔太郎の腕に手を回した。
「いいって言ってるだろ」朔太郎は思わず声を荒げ綾の手を振りほどいた。
綾は一瞬なにが起きたのか理解できなかった。
そしてしばらくの沈黙の後、綾は俯き加減で田村の手からカメラを受け取ると、とぼとぼと病室に向かって歩いていった。
「綾ちゃん・・・松本、お前、いったいどういうつもりなんだ」田村はその場に立ち尽くす朔太郎を問い詰めた。
「田村、さっきの件は分かったよ、もう一度調べてみる」朔太郎はそう言ってそのまま病棟を出て行った。
田村は病室の廊下を振り返った。そしてそこには綾の姿はもう無かった。

続く
...2005/08/04(Thu) 09:09 ID:yIcjrJfA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
右肩ポンポン・・・指先がプスリ
我々読者にとっては、懐かしい光景でしたが、朔は明らかに動揺してましたね。

※放送から1年たっても掲示板の書き込みが盛り上がってますね。ちょっと書き込みがないとアッという間に下へ落ちていきますね・・・(うれしい悲鳴)
...2005/08/04(Thu) 23:19 ID:X2TokEbo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
ドラマで朔太郎が宮浦へ帰るきっかけとなった、病室で聞いたラジ
オのDJが葉書を読む声。
道を真っ直ぐ歩けないほどの状態の人では、あのラジオだけではと
てもスタジオまで行ってしまうほどのエネルギーは無いと思います
し、雨の降るスタジオ前では亜紀の幻まで見てしまいます。
そんな朔太郎が、ウイッグを着けた亜紀そっくりの綾ちゃんにトン
トンプスをされてしまったとき、朔太郎の混乱(望んでいたものの
現実化と、その現実は亜紀本人ではなく綾であることを認識する自
己の葛藤)は朔太郎本人もコントロールできない状態にあったと思
います。
私は、あの時に綾ちゃんの手を振りほどいた朔太郎の行為は、彼の
気持ちを思うと、とても切なかったです。
(綾ちゃんも、本当にかわいそうなのですが...)
...2005/08/07(Sun) 23:24 ID:LgIEdNsI    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:にわかマニア
 この物語の「第1話」で朔太郎が緊急呼び出しを受けて帰京するタイミングがなぜ亜紀を撒く前なのかがずっと気になっていたのですが,その直接の答かどうかはともかく,このシーンが用意されていたのですね。
 亜紀を撒けないまま帰ってきた朔太郎が,亜紀の命日に生まれ雰囲気も似ている人に出会い,その人から「あの悪戯」をされたら,頭の中はパニックでしょう。もし,この物語がテレビドラマのように「緒形朔太郎アナウンサー」の語りによって進行するとしたら,この場面の直後に「僕は忘れなければいけないと思った」という「例のナレーション」が入っていたことでしょう。
...2005/08/08(Mon) 08:01 ID:qDqkuY1w    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
朔の驚愕した表情が目に浮かびます。
綾は、これから少し悩み落ち込むものだと思われますので、2人の関係がどうなっていくのか心配で。す
次回も楽しみにしております。
...2005/08/10(Wed) 21:33 ID:7u0Smt.E    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
綾は寝つけないまま目を覚ました。時計を見るとまだ5時少し前で、しんと寝静まる病室の中で聞こえているのはエアコンからの微かな音だけだった。
胸が苦しかった。何も考えないようにしても、朔太郎の声や姿が次から次へと頭の中に浮び、その度に嬉しさと切なさが交互に繰り返された。
そして浅い眠りから覚めると、今度は昨日の出来事が何回も何回も繰り返し頭の中でプレイバックし始めた。
寝返りを打ち枕に顔を沈めようとした時、胸の微かな違和感が綾をはっと現実に戻した。
綾はパジャマの胸元のボタンを外すと、右の胸と鎖骨のちょうど間くらいから伸びる2本のチューブの付け根をそっと触った。
昨日の点滴は眠る前に終わっていたので、ヒックマンカテーテルの先のラインは外されていたが、それを見つめると、自分が普通の生活を送る高校2年の女の子ではないことを否応無く思い知らされ、思わずはしゃいだ自分を後悔した。
綾はゆっくりとベッドから起き出し、音をたてないように静かにカーテンを引くと、足音に気をつけて病室を出た。
誰もいない廊下を非常灯の明かりだけがほんのりと照らし、ナースステーションから漏れる光がその周りだけを明るくしていた。
廊下の角のデイルームに歩いていくと、綾はカーテンの隙間から窓の外を眺めた。
まだ街灯が灯る公園はひっそりと静まり、青暗く霞む街並みに鳥達の声が微かに響いていた。
綾は椅子に座り小さな溜息をついた。そしてそのままもたれかかるようにしてテーブルに頬を付けた。ひんやりとしたテーブルの感触が頬に伝わり、ぼんやりと眺める視線の先には無菌室の入口の扉が見えていた。
「あっ・・」綾は急に身体を起こした。

「綾ちゃん?」「森下さん・・あれ、なんで?」「綾ちゃんこそ・・どうしたの?こんなところで・・眠れない?」森下は綾の所へ歩み寄り話しかけた。
「うん、ちょっと・・森下さんこそ、夜勤なんですか?だって昨日夕方いたのに・・」
「急に交代しなくちゃいけなくなってね・・朝までもう一頑張りかな」
「そうなんだ・・看護婦さんって大変なんですね」「そうよ、でも綾ちゃんにそう言ってもらえるとうれしいな、ここ、いい?」森下はそう言って綾の前に座った。
「もう1ヶ月になるのね、綾ちゃんがあそこから出て来て・・・ほんと頑張ったね」
森下は無菌室の入口に目をやると綾に向き直り言った。
「何かあったの?」
「森下さん・・」綾は昨日の廊下での出来事を話した。
「そう・・そんな事があったの」森下は夕食にあまり手をつけず、元気の無くなった綾の様子が気になっていた。
「やっぱり先生を怒らしちゃったのかな、私・・・一人ではしゃいで、もう自己嫌悪」綾はしょんぼりと俯きながら話した。
「大丈夫よ、そんな事で怒ったりしないわよ」「でも・・」「ほらほら、そんな顔しないの、松本先生、ずっと綾ちゃんの事心配してるのよ」「ほんと?」「うん、だからそんな先生が綾ちゃんの事冷たくしたりする訳ないでしょう、先生にも何か理由があったのよ、きっと・・」「何か・・って?」「それは分からないけど・・私達もついいらいらしちゃう事ってあるのよね、ましてやドクターなんだから・・・胸の中に辛い事、いっぱい仕舞い込んでるんじゃないかな」「森下さんも?」綾は森下の微笑みの下に隠された苦しみや辛さに一瞬触れた気がした。
「ここで働く人はみんな・・・でもね、それ以上に患者さんやその家族の人の笑顔が嬉しくて、だからみんな頑張れるのかな・・私も綾ちゃんに励まされてるのよ、だから早く元気になって、綾ちゃんの本当の笑顔を私に見せて欲しいな、楽しみにしてるから」
「森下さん・・」
「綾ちゃん、先生またすぐに来てくれるわよ、「ごめん」とか言って・・だから、あんまり気にしないの」
「うん」綾は頷き、すこしだけ笑顔を見せた。
「じゃあ、もうお部屋に戻って少し眠りなさい、ちゃんと手洗いするのよ、いい?」
「はい」今度は笑顔で答えた。森下は小さく手を振りながらナースステーションへ戻って行き、綾の心もいつしか軽くなっていた。

午後になって少し青空の覗き始めた東京に爽やかな秋風が吹いていた。
病院の中庭は明るい光に満ちて、散歩をしたり、見舞い客と話をしたり、午後の一時を思い思いに過ごす患者達の姿を、朔太郎は一人ベンチに座りぼんやりと眺めていた。
芝生の向こう側では、小さな女の子が看護師とボール遊びをしていて、傍らで母親らしい点滴を下げた車椅子の女性が、その様子を優しく微笑みながら見つめていた。
看護師の投げたボールが女の子の手を反れ、朔太郎のところにころころと転がってきた。
朔太郎は立ちあがりそのボールを拾い上げると、駆けて来た女の子にそっと手渡した。
「はい、どうぞ」「ありがとう」女の子はにっこりと受け取り、車椅子の女性も朔太郎にそっと頭を下げた。
女の子はボールを差し出す朔太郎の手の中に小さなガラスビンを見つけた。
「それ、なあに?」「これかい?これはね、とっても大切なものなんだ」朔太郎はそっとそれを見せた。
「お薬なの?」女の子は不思議そうに首を傾げて、ガラスビンの中の白い粉末を見つめた。「そうだよ、これがいつもそばにあるからおじさん頑張れるんだ」朔太郎はそう言って亜紀を見た。
「おじさんはお医者さんなの?」「そうだよ」「病気なの?」「いや、病気じゃないけど」「ママは病気なの、だからお薬飲まないといけないの」「そうか、じゃあ今日はママのお見舞いなんだ、お父さんと来たの?」「うん、パパは今、先生とお話してるの」「そう」「だからその間ママといっぱい遊ぶの、だってママずっとお家にいないんだもん」「そうか、じゃあ、早くお家に帰れるように、ママもお薬飲んで頑張ってるんだ」「うん」女の子は笑顔で頷き、そして朔太郎に手を振りながら、大事そうにボールを抱えて母親の所へ駆けて行った。

「うちのより一つくらい上かな、あの子・・」その声に振り向くとそこに田村が立っていた。
「田村・・」「まだまだ母親に甘えたい盛りなのに・・」田村は、女の子からボールを受け取り、こちらに会釈する看護師に手を上げて答えた。
「知ってる娘なのか?」「ああ、去年までうちの病棟いた娘だよ、泣き虫だったけどよく気がつく娘で・・今は循環器だっけ」「じゃあ、あの子の母親は心臓が・・」
女の子は車椅子に駆け寄り母親の膝にもたれ掛かった。母親はそんな我が子の髪を優しく撫でていた。
「ほら」田村は朔太郎に缶コーヒーを放り投げた。
「熱ちっちっ」冷たいと思って受け取った朔太郎は思わず手の中で転がした。
「・・だろう」田村はにやりと笑い、ベンチに座ると自分も熱そうにゆっくりと缶に口をつけた。
「田村、お前・・」「もう秋だな・・早いもんだ」田村はそう言って空を見上げた。
澄み切った深い青空が雲間からぽっかりと覗き、再び現れた太陽が病院の中庭の芝生に、はっきりとしたコントラストを作った。

「そんなにそっくりになってたのか、あの娘・・・」田村はぼそりと言った。
「田村・・」朔太郎は済まなそうに友の顔を見た。
「そんな顔するな、そのくらい分かるさ」
「本当に亜紀にそっくりだった・・・よくやってたんだ、あの悪戯・・・亜紀」「悪戯?あの肩をとんとんってするやつか?あれを亜紀さんがお前に?」田村はあの時の綾の仕草を思い出した。
「ああ、亜紀にとって俺は特別っていうか、なんかそんなふうに思えるのが嬉しくてさ・・だから、あの娘を見た時から、俺はその事をどこかで期待してたのかもしれない、そんなはず無いって思いながらどこかで・・、でも実際に亜紀そっくりのあの娘にそれをされた時、俺、もうどうしていいか分からなくて、つい・・・」朔太郎は俯きながら話した。
「前に言ったよな、辛くなるぞって・・分かってたんだろ」「田村・・」
「まあいい、俺も少し軽率だったよ、お前との事があの娘にとって前向きな力になればいいと思って、それほど深く考えてなかったかもしれん」田村はそう言ってまたコーヒーを一口飲んだ。そしてふと見た朔太郎の左手に握り締められた小さなガラスビンに気がついた。
「ところで松本、その手に持ってるの何だ?」
「これ?・・これは、亜紀なんだ」朔太郎は手をゆっくりと開き呟いた。
「遺灰か?亜紀さんの・・・お前、そんなもの持ってたのか」田村は朔太郎の掌の中で静かに時を止めた白い粉末を見つめた。
「これが亜紀だって思うと、どうしても撒けなくて・・・いつも一緒にいるような気がしてたんだ」「お前、それずっと持ってるのか」「ああ」「そうか・・お前を支えてたのはその亜紀さんだったのか・・でもな、松本」
「分かってる、亜紀はいないんだって、これを見るたび思ってた・・でも約束したんだ、亜紀と・・俺がこの骨を撒いて、亜紀のこと忘れてしまったら、その約束は永遠に幻になってしまう、そんな気がしたんだ」
「そう言えばお前、最初にあの娘のカルテ見せた時もそんな事言ってたな、何なんだいったい、その約束って・・」
「あの日、亜紀の最後の日・・俺達はしたんだ、最後の約束を・・・1987年10月23日、俺の誕生日だった」

続く
...2005/08/15(Mon) 15:08 ID:Lflt.8hQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
亜紀は走り去る懐かしい車窓の風景をぼんやりと眺めていた。
松山に向かうこの列車は、友達や母親とのたまの買い物や、休みになって東京の祖父母の家に遊びに行く時にしか乗ることのない、思い出の詰まった列車だった。
通勤時間帯を過ぎた列車は人影もまばらで、時折強く降る雨が窓ガラスを叩いていた。
朔太郎は亜紀の肩にそっと手を回し、その微かな温もりが亜紀をこの上ない安らかな気持ちにさせていた。
亜紀はゆっくりと朔太郎の方を振り向いた。
「思い出してた、亜紀の誕生日、7月2日、俺が生まれてきたのは亜紀のいる世界だったんだって」朔太郎は呟くように亜紀に話しかけた。
亜紀は微笑み、そっと朔太郎の肩にもたれ掛かった。
「待ってたの、私はずっと朔のいない世界で、朔が生まれるのを私は待ってたのよ」亜紀の透き通るような声が、今は弱々しくか細い声に変わっていた。朔太郎の頬に涙が伝った。
「亜紀はたった3ヶ月とちょっとじゃない、一人だったの・・・それってずるくない?俺、これからずっとだよ」「足、速いんだもん、私・・」亜紀は微笑みながら話した。
「何処へ行くんだよ、そんなに走って・・・あの世なんて無いって言ってたじゃない」
「天国」亜紀の言葉が朔太郎の胸を遣る瀬無く閉めつけていた。
「逃げんなよ」それは朔太郎の心の叫びだった。
「私ね、天国に行ったら、神様にお願いをするの」「神様?」「そう、神様・・神様はいるって言ったでしょ」「ああ」朔太郎は夢島で亜紀と話したことを思い出していた。
「そして、今度は私が生まれてくるの、朔のいる世界に・・そうお願い・・する、だから、今度は朔が待っていて」亜紀はゆっくりと朔太郎を見上げた。
「亜紀、それっていつなの、どこで待ってればいいの」「わかんない・・でも、私は朔のこと見つける、だから・・朔ちゃんも私を見つけて、お願い」
「いいよ、俺は今の亜紀がいいんだよ、だから天国に行くなんて言わないでくれよ」溢れる涙が朔太郎の頬を次から次に伝っていった。
「好きよ、朔ちゃん・・いろいろありがとう、私後悔してないよ・・また会えるって、約束」亜紀の白く細い小指が朔太郎の手に触れた。朔太郎は亜紀を見つめ、そしてそっと小指を絡めた。
「分かった、約束する」「うん」亜紀は微笑み、小さく頷いた。
「なんか眠い・・朔ちゃん、このまま少し眠っていい?」亜紀は朔太郎の肩にもたれたまま小さな声で聞いた。
「いいよ、ゆっくり眠って・・時間、まだあるから」朔太郎はそう言って優しく亜紀の肩を抱き寄せた。絡めた亜紀の指先がゆっくりと解けていった。
朔太郎は指先にそっと力を入れた。それはまるで今にも切れそうな微かな絆を、必死につなぎ止めようとでもするように、二人の小指はいつまでも離れる事は無かった。

「大学のキャンパスでも、駅のホームでも、病院の待合室だって、いつも人ごみの中に亜紀を探していた。そんなことあるはずが無いと思っていても、似たような人影を見つけると確かめずにはいられなくてさ・・そしてポケットの中のこれを見て気づくんだ、亜紀はいなんだって・・・」そう言って朔太郎はその小さなガラスビンを握り締めた。
「松本・・」田村にはかける言葉が見つからなかった。
「そんなことを繰り返してたら、いつのまにか17年で・・死んだら亜紀に会えるかなと思っても、そんな意気地の無い俺になんか会いたくないだろうし、そんな勇気もなくて、ただがむしゃらに頑張ることしか俺には出来なかった、頑張り屋だった亜紀に嫌われたくなくて・・・。でも徹夜開けにトイレで鏡を見るとさ、そこには疲れ果てた34歳の自分がいて、こんなんじゃ亜紀は会っても分からないだろうなとか思ったり・・可笑しいよな」そう言って朔太郎は苦笑いをした。
「実は、宮浦に帰ったのは亜紀を撒く為だったんだ。もうこんな事を繰り返すのは無理だと思った、でも結局撒けなくて・・俺はまだどこかで信じてたんだ「また会えるって」と言った亜紀の言葉を・・俺が忘れるともう永遠に叶わない約束を・・そしたらお前から電話が・・」
「そうか、そんなことが・・・お前の気持ち、分からなくもないよ、人はそうやって何かを信じないと生きてはいけない生き物なんだって思う、結果的に、お前は頑張り医者になってここにいる、そのことは間違ってなかったんじゃないのか?そしてあの娘に会った・・」田村は朔太郎を見た。

「助けたいって思った、もしもあの娘が亜紀の生れ変わりなら・・いやそうでなくても、俺が命に代えても助けたいって思ったんだ。HLAが一致してるとお前に聞いた時、俺は神様に感謝したよ。亜紀が失った時間を、叶えられなかった夢をあの娘に取り戻して欲しかった、元気で生きてくれさえいれば、ただそれだけでいいと思ってたんだ、でも・・・」
「でも、何だ?」
「苦しいんだ、どうしようもなく・・・元気になっていくあの娘を見てると・・・ほんとは嬉しくないといけないのに」
「そうだな、退院すればもう会う事もないか・・、分かってたろ、最初から・・」
「分かってるさ、そんなことお前に言われなくても・・・分かってるんだ」朔太郎は一瞬声を荒げ、そして俯き自分を納得させるように呟いた。
「忘れろ、松本・・もう会うな、あの娘に」田村は静かにしかしきっぱりと言った。
「田村・・」
「あの娘は確かにお前のことを意識してる、しかしそのうち忘れるよ、なんか優しくしてくれた先生がいたなってくらいにな、そんなもんだ・・・でもお前はあの娘のことちゃんと助けた、それはこの世界中でお前にしかできないことなんだぞ、ドナーと患者としてだけじゃない、誰にも切れない強い絆でお前達は結ばれてるんだ、それでいいじゃないか、そっと見守ってやれよ、ずっと側にいるだけが愛じゃないぞ」
田村の言葉は朔太郎には十分過ぎるくらい分かっていた。すべてを話して思いきり抱きしめられたらどんなにいいか、しかしそんなことできるはずも無かった。
遣る瀬無い気持ちが朔太郎の胸を締め付けた。
思い続け、やっと巡り会った人には帰るべき世界があった。
「田村、あの娘、助かるのか、家族や友達の所にほんとに帰れるのか、どうなんだ」
「明日、マルクをする。その結果はお前が自分で確認できるだろ、結果が良ければ月末には一般病棟に移れると思う、あの状態からよくここまで快復したよ、奇跡と言ってしまえばそうかもしれんが、あの娘が必死に生きたいって願ったからできたことだ」
「大丈夫なんだな、助かるんだな」朔太郎は縋るような表情で聞いた。
「お前のその顔、ほんといつ見ても医者の顔じゃないな」田村の表情は緩み、いつものくだけた調子に戻った。
「ハイリスクな移植だったんだ、そう簡単にいかせてはくれないだろうが、でもあの娘を見てると信じたくなるよ、きっと大丈夫だって・・・俺も随分非科学的だがな」
「田村・・」朔太郎は友の横顔を見つめた。
すると田村は思い直した様に朔太郎を見て太息を漏らすとゆっくりと口を開いた。
「もう終わりにしろよ、誰かの為なんかじゃない自分の人生を生きろよ、松本、そうだ今度合コンするか、うちの医局にもお前みたいなのがいるしな」
「いいよ、俺は」「お前、そんなこと言ってると、あっという間に40だぞ、たとえ医者でも賞味期限ちゅうものが・・」田村はそう言いかけて急に話すのを止めた。
そして視線の先の人物に軽く会釈をすると立ち上がった。
「余計なお世話のようだな、ほら」そう言って田村は目配せをした。
朔太郎が振り向くと、中庭の歩道から明希がこちらに向かって手を振っていた。
「さてと、昼飯が缶コーヒー一本とは泣けてくるね、じゃあな」そう言って田村は明希に手を振って、足早に診療棟の方へ歩いて行った。
「松本君」明希が朔太郎の所へ歩み寄った。
「小林・・」「田村君はよかったの?なんか邪魔しちゃったんじゃない?」
「いや、それはいいんだけど・・どうかしたの?」
「うん、あのね・・・」

続く
...2005/08/15(Mon) 15:45 ID:Lflt.8hQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
読ませて頂きながら、1話の朔太郎のことを鮮明に思い出しました。

雨の中を彷徨い、亜紀の姿を求めては幻に苦しみ、倒れ込んでしまう緒形さんのことです。
約束は、朔太郎を長い間同じ場所に留まらせるには充分な大きさでした。

「そして、今度は私が生まれてくるの、朔のいる世界に・・そうお願い・・する、だから、今度は朔が待っていて」

涙が出ました。
そして、見事なリンクだと思いました。
...2005/08/22(Mon) 15:30 ID:WOEl1D0U    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:くにさん
いつも拝見させていただき、一冊の本としてファイルさせていただいております。朔太郎の「僕は忘れないといけないと思った。」あの一言は、悲しい一言思っていました。でも、今回の綾さんの肩をたたく仕草を思ったら、忘れられないですよね。朔太郎の狼狽した気持ちが手に取るようにわかりました。見事なストーリー展開だと感心しております。続きを読むのが待ちどおしくてなりません。
...2005/08/22(Mon) 23:19 ID:zuoKcvwY    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
くにさん様、お久しぶりです。そしてありがとうございます。
SATO様、Marc様、いきなり何の話?という護衛艦の艦橋から始まった話にリアクション頂き嬉しかったです。お気づきと思いますが、この話のテーマの一つが父と娘です。それは本編でのテーマでもあったと感じていましたので、百合子の父親の事はちゃんと書きたいと思っていました。
たー坊様、いつも拝読させて頂いています。読んでいて少し照れ臭いですが、このお話があることでもし一つだけ叶えられるならという、捨て去ることのできない朔太郎の心の奥にある夢を書いて頂けてる気がします。
にわかマニア様、あの小ビンを手放す時が朔太郎の亜紀へのさよならということは、私の中でも変わりません。そして朔太郎がどうするのか今はまだ正直分かりません。
そして不二子様、あなたの感想が今の私を支えています。ありがとうございます。
感想を送って下さる皆様にいつもすぐに返事が書けなくてすみません。
書きたい事、お話したい事は沢山あります。きっと直接話せればこれはこうなんだよとかいろいろお話できるのでしょうが、短い文章の中では上手く伝えられなくてつい返せないままになってしまい失礼ばかりしています。
不二子様に頂いた感想の中に中庭のベンチに座る朔太郎の話が出てきて、見透かされてるかもとドキッとしました。自分の意思とは関係無くいきなり離れ離れになった亜紀と、朔太郎は今度は自分の意思で別れを決めなければいけない・・それが朔太郎にとっての本当のさよならだと思います。登場人物のそれぞれの思いを書くのは正直辛いです。でもそう思えなければ伝わらない・・とそう思ってきました。だから最近サクサクと書けなくなってしまって・・・冗談じゃなくほんとに1年書くことになるかもです。管理人様、そして皆様もう少しお付き合い下さい。よろしくお願いします。
...2005/08/24(Wed) 08:31 ID:0JsvpOM.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
愛する人を失ってから17年間に渡って、哀しみを持続させることは可能か?

これは1話終了後、あまりの緒形サクの苦しみを目にして、多くの方が議題にされたことでした。1話は、亜紀の誕生日。朔太郎にとって特別な日でした。しかし、彼の苦しみが、決して特別な日だけのものでないと・・・私達は分かってしまったと思います。
日々の生活に追われることで、自分が哀しみに支配されないように必死に生きているだけで、一つ留め金が外れると、彼は簡単に哀しみの中心に立つことが出来る。

私は今までこの物語『もう一つの結末』を読ませて頂いていながら、全く気付かなかったのです。亜紀があれ以上何か言ったとは、夢にも思わなかったから。何故、こんな簡単な言葉を思いつかなかったんだろうと、私はPCの前で本当に暫く固まってしまいました。
亜紀の言葉。「待っていて」

あぁ、・・・そうか・・・・・。って、心の底から思いました。
亜紀は最期にサクにそう言ったかもしれないと、本気で思いました。少なくとも、この物語の中では、充分事実です。

「待っていて」とは、サクにとっては、天使のような、悪魔のような言葉。
この言葉があれば、きっとサクは一生亜紀を待ち続けてしまう、それ程大きな言葉です。雨の中、亜紀を捜し続けて倒れてしまうことなど、如何に簡単なことだったかを思い、また亜紀にとっては、言わずにはいられなかった最期の願いだったと思い、涙がこぼれました。
彼は、苦しみ続けたのだ・・・と、思うことが出来ました。

というのが、先日の詳しい感想です。


clice様。暖かいコメント、ありがとうございました。
ご存知かどうか、・・・私は放っとくと、タラタラと感想を山のように書いてしまう人なので、色々書くことが執筆のお邪魔になりはしないかと、それだけが心配の種です。

で、こちらのBBSでは数名の方が執筆中でいらっしゃいますが、皆様それぞれのスタイルをお持ちで、それが物語やスレッドの個性にまでなっていると思います。clice様にはclice様のスタイルがおありだと、読者の皆様理解して下さっていることと思います。ですから、clice様が取り合えず物語を優先されるのも分かります。きっと皆様おわかりだと思いますので、気になさらず、どんどん書き進めて下さいませ。もっとも、物語の局面が厳しいので、サクサクとペンを進めることが至難の業でした。(笑)
どうぞ、頑張ってください。
...2005/08/24(Wed) 19:55 ID:Em3WqmhA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「ほら、ここの食堂この前来た時、安くて美味しかったじゃない・・・ちょうど近くまで来たしお昼だなと思って・・・ていうか、実はね・・松本君に聞いてもらいたい事があって・・ほら、松本君忙しいから、時間なかなか取れないと思って、だから・・・」
「小林・・何かあったの?」
「うん・・ここ座っていい?」
「ああ、いいよ」そう言った朔太郎はベンチの上に置いていた亜紀に気づき、急いでポケットに入れようとした。しかしそれは朔太郎の手を反れぽとりと芝生の上に落ち、朔太郎は足元に転がった小ビンを慌てて拾い上げた。
「松本君、それ・・・」明希の目に一瞬映ったのは、あの日朔太郎の病室で見た小ビンだった。
朔太郎は明希を見つめ、握った掌をゆっくりと開いた。
「それが・・亜・紀・さん?」朔太郎の掌の中で白い灰がさらさらと動いた。
「そう・・・」朔太郎は苦しそうに微笑むと小さく頷き、小ビンをまたぎゅっと握り締めた。
「そうか・・・いつも一緒なんだね・・」明希はベンチに座ると空を見上げてそう言った。
「ごめん・・・」「ばかね、何で謝るの?」「ごめん・・・」「ほらまた・・そうやってすぐに謝る・・・悪い癖だよ」小さく溜息をついた後、明希は笑顔を作った。
そして俯く朔太郎の横顔を見つめながら寂しそうに微笑むと、遠くを見ながら話した。
「きっと、きれいな人だったんだね・・・・だって死んでからもずっとそうやって大事にされてるんだもん、羨ましいわ」
「小林・・・」
「名前以外にも似てるところはある?私・・」
「うん、まあ・・・大人しそうに見えて、勝ち気なとことか・・・あっ、でも、優しいとことかも・・・」
「ふーん、いい女だったんだ・・・ずっと付き合ってたらきっと尻に敷かれてるね、松本君」そう言って明希は微笑んだ。
「どうなんだろ」「敷かれてるよ、絶対・・・好きだったんでしょ?誰より・・なら、そうだよ・・だって、松本君優しいから」
「小林・・・」
「私もそんな松本君の優しさに甘えてばかりで・・ほら一樹の事とか仕事の事とか・・」
「そんなことないよ、俺の方こそどこかで君に甘えていた」
「じゃあ、お互い様?」明希はにっこりと笑った。
「そうだね・・・」朔太郎は明希を見つめた。
「小林・・・小林はどうなの?・・・もう忘れたの?・・・一樹のその・・」突然の朔太郎の言葉に明希は一瞬戸惑った。
「父親の事?」「ああ、すごく好きそうだったから」
「忘れたわ、もうとっくに・・」「ごめん、変な事聞いて・・」
「ほんとに、もう・・」明希は朔太郎を見てくすりと笑った。
「松本君も知ってると思うけど、一樹の父親って最低でさ・・女の問題も多い人で、ほんと誠意のかけらも無くって、何でこんな人好きになっちゃったんだろうって・・・、でも今になって思ってみると、すごくいろんなものもらってるんだ・・・。彼がいなかったら一樹もいなかったし、一樹がいなかったら今こうして松本君と話してることも無いと思うし・・一人で子供を育てる自信とか、人の助けを素直に有難いって思う気持ちとか、変な言い方だけど、彼がいないことが私を育ててくれたっていうか・・・今があるのはきっとそんな過去のお陰じゃないのかなって、だから辛い出来事もそれがあったから今が幸せだって思いたいし、人生って結局その繰り返しなのかもね」明希はそう言って微笑みながら朔太郎を見た。
朔太郎はまた思い出していた。
「朔ちゃん、何かを失う事は、何かを得る事だって分かる?・・どんな人生も結局プラスマイナスゼロになるようになってる気がしない?」この17年間ずっと朔太郎に問い掛け続けていた亜紀の言葉だった。
「でも、こうしてる今だって、もしかしたらただの通過点なのかも知れないね?」
「通過点?」「そう・・・幸せな未来への通過点・・・人はその為に出会いと別れを繰り返すのかも」明希は自分にそう話していた。今のこの時がどんな未来につながっているのかを知りたかった。そしてそれを決めるのはやはり自分自身だった。
「どこにあるのかな、その未来って・・」
「ほんと・・どこにあるんだろうね」
いつのまにか木蔭で佇む車椅子の女性の傍らに、スーツ姿の男性が寄りそうように立っていた。女性はその繋いだ手にそっと右手を重ねると、男性の腕にゆっくりともたれ掛かった。そして二人が見つめる視線の先には、日溜りの中で元気に遊ぶ女の子の姿があった。

明希の涼しげな横顔を眺めながら、朔太郎は先ほどまで重苦しく心に圧し掛かっていた何かが、少しだけ軽くなっていくのを感じた。
「そうだ、小林、何か用事があったんじゃないの?」朔太郎はふと最初の明希の様子を思い出した。
「うん、でも今日は止めとく・・自分の事だし甘えてばかりいられないもんね」
「どうしたの?俺で相談に乗れることなら・・」そう言いかけた時、朔太郎のポケットの中で呼び出し音が鳴った。
「ごめん」朔太郎はそう言うと立ち上がり、ポケットから赤いストラップの付いた院内PHSを取り出すと、頷きながら二言三言話したのち明希に振り返った。
「ごめん、行かなきゃ」「いいの、私こそごめんね、仕事行って」そう言うと明希も立ち上がった。
「小林・・話せて良かったよ」「私も・・」「じゃあ」そう言って朔太郎は検査棟に向かい歩き出した。
「松本君」明希は意を決して朔太郎を呼び止めた。
「話したい事があるの、今度時間作れない?電話するから」「いいよ、電話して」朔太郎は振り向き答え、「うん、じゃあね」明希は小走りで行く朔太郎に小さく手を振った。

次の日、明希は一樹を連れていつもより早くアパートを出た。
木立の連なる緩やかな坂道の途中にある保育園の前では、開所時間を待ちきれないように子供の手を引いた何組かの若い親達が、挨拶をしながら門の中へ足早に入っていっていた。
「先生、おはようございます」一樹は校門で待つ保育士に元気に挨拶をした。
「おはよう、一樹君、小林さん、おはようございます」可愛いウサギのイラストがいっぱい描かれたエプロンをした女性が、明希ににこやかに挨拶をした。
「おはようございます、先生・・あの、昨日お願いした件ですけど・・」明希は申し訳なさそうに話した。
「大丈夫ですよ、私がちゃんと一樹君の面倒を見てますから、小林さんは安心して行ってらして下さい。ねー一樹君、ママが遅くなっても先生と待ってようね」女性は優しく一樹に話しかけた。
「じゃあ、一樹、先生の言う事聞いて良い子にしてるのよ」明希は一樹の手を離し、優しく話しかけた。
「うん、僕、良い子にしてるよ」一樹はそう言うと、仲良しの友達を見つけて元気に建物の中に入っていった。
「それではすみません、できるだけ早く戻って来ますのでよろしくお願いします」明希は保育士に深深と頭を下げた。そして坂道を下り通りに出るとタクシーを拾った。
「羽田までお願いします」明希は運転手にそう告げるとシートにもたれ、ぼんやりと通り過ぎる朝の東京の風景を眺めた。

キーンというエンジン音が響く空港のスポットから、真新しく塗り直された真っ白い機体が、真紅の垂直尾翼を輝かしてゆっくりとタキシーウェイに向かって動き出した。
乗客で3分の2ほど埋まった機内の中で、新しくなった制服をどこか誇らしそうに着こなし、慌しく働いていたCAのきれいに纏めた髪と首に巻かれたスカーフに、明希は微かに憧れの眼差しを寄せると、思い直したように窓の外に目をやった。
灰色に霞む高速道路や工場の煙突に変わって、緑色の芝生とフェンスの先の東京湾が朝日を反射してきらきらと光り、小船の間を側面に白い文字の入った大きな真っ赤な船体がゆっくりと動いていた。
そして風景が止まると、しばらくの後、急に大きくなったエンジン音とともに機体はぐんぐんと加速を始め、窓から見える風景が瞬く間に後に流れていった。
そして明希を乗せたその白い優雅な機体は、羽田空港の34R滑走路を定刻通り松山に向けて飛び立っていった。

続く
...2005/08/29(Mon) 13:50 ID:xtiW1LvY    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
最終回で明希が語ったセリフが登場して懐かしい気分になりました。成長した朔太郎と明希のストーリーが丁寧に描かれていて、ドラマの「2004年」を補完するような作品をこれからも楽しみに読ませていただきます。

※綾瀬はるかさんが演じた廣瀬亜紀と山田孝之クンが演じた松本朔太郎が魅力的なのはもちろんですが、clice様の作品で緒形直人さんの朔太郎と桜井幸子さんの小林明希の魅力を再発見させていただいております。別スレに投稿中の作品はclice様の作品世界の約10年後を想定しておりますので、いろいろ参考にさせていただいております。
...2005/09/01(Thu) 00:26 ID:7FgJztTc    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
私は過去の感想で、「このドラマを観る時、一つの癖があって、緒形さんのナレーションの後に山田君の声を、また、山田君のナレーションの後には緒形さんの声を、頭の中で勝手に続けてしまうのだ」と書いたことがあるんですね。これは本当のことなのですが、その原因が全て1話にあるのだということを、今回改めて思いました。

1話といわれて真っ先に思い浮かべるのは、私の場合、冒頭オーストラリアの山田君の慟哭でもなく、亜紀の告白シーンでもないのです。1話、最も脳裏に焼きついているのは、緒形さんが雨の中倒れているシーンなのです。

この物語は、現在のサクが17年前を振り返っている、という手法で話が進められていますが、17年前の話を私はその場のものとは受け取っておらず、必ず一旦緒形さんを通してから山田君を見るようになっていたからだと思います。つまり、この物語における私の時間軸は常に2004年であった、ということかと。
ですから私の中で、オーストラリアで慟哭しているのは山田君であり、緒形さんでもあった。そして、17年前と何ら変わることなく、雨の中道路に臥しているのは山田君でもあったわけです。
多分、私の『セカチュウ』はここから始まっているのだと、改めて思いました。

更に、私がこの物語中最も感情的に近いのは(感情移入というのとは少し違うかも・・)、小林明希であって、それは多分、松本朔太郎という人を遠くから見守っている感覚があったからだと思います。私はいつも「この人が苦しむ訳は?」と思って、ドラマ本編を観ていたのです。

私が最初の時点から、clice様の物語にどっぷり浸かっているのは、朔太郎が自分の選んだ道(医者)で、未来を切り開いて行こうとしているからだと思います。
と、・・・これは、このスレッドの最初にclice様ご自身がお書きになられたことでした。


※今、たまたまTVから「かたちあるもの」が聞こえてきて、何かと思ったら、WOWOWで11月に舞台『世界の中心で、愛をさけぶ』を放送してくれるみたいですね。これで田中君のサクも観られる♪
...2005/09/06(Tue) 10:29 ID:Bu.FmxM.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:にわかマニア
>1話、最も脳裏に焼きついているのは、緒形さんが雨の中倒れているシーンなのです。

 そのシーンに流れる「僕は彼女のいない世界にもう17年もいる」というナレーションとともに,画面はタイトルに切り替わります。ということは,冒頭のウルルの断崖で絶唱する回想シーンも含めて,ここまでが物語の導入部ということになります。
 映画でも,そのナレーションこそ入りませんが,台風が近づく中,職場に泊り込んだサクが目を覚ますシーンから始まります。しかも,その冒頭を飾るのは,ウルル行き決行を前にした台風接近の回想です。

 これはいずれも,17年の歳月を経てもなお回想の中に登場する亜紀を通じて,亜紀のいない世界に生きること17年,今なお心の整理のできていないサクを表現したものと考えられます。
 これを,亜紀の両親とともに散骨に出発する日の朝の光景から始まり,オーストラリアでの出来事と亜紀との思い出が交互に展開され,最後にエピローグ的に(恐らくは10年後の)散骨が語られるという構成の原作と比べるとどうでしょうか。その後の歳月の「重さ」を強調するため,亜紀の出てくる夢から覚めるという導入部を17年後に繰り下げたと言えるのではないでしょうか。

 しかし,新しい彼女に「律子」とか「小林」といった具体的な固有名詞を持たせた映画やドラマも,その空白の17年間の出来事は具体的・明示的に描いている訳ではありません。断片的に制作側のメッセージを盛り込む中でヒントを示しているものの,かなりの部分,観る人に解釈を委ねています。
 cliceさんの作品が読む人を引き付けるのは,元の作品に描かれた人物像やエピソード等を手がかりとしながら,その空白を埋めていっているからなのでしょう。
...2005/09/10(Sat) 21:12 ID:USWawJrQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
にわかマニア様

指針を与えて下さってありがとうございます。
私、実はついこの間まで半年間ぐらい、『セカチュウ』の映像を観ていなかったのですが、そうすると、自分の中で印象に残っているシーンだけが、更に強調されて増幅していくのが分かります。

1話〜雨の緒形サク
2話〜キスシーン
3話〜おじいちゃん(全般)と自転車のペダル
4話〜競技場と走る亜紀
5話〜夢島を去るとき島を見上げる亜紀の後姿
6話〜夕暮れ病院の外で亜紀の両親と話すサク
7話〜月明かりのサクと亜紀
8話〜ウルルの大地に寝転んで空の写真を撮るサク
9話〜自転車ごと倒れるサク、同じく、一人病室で苦しむ亜紀
10話〜空港
11話〜横に並んで真っ直ぐに水平線を見ている二人

こんな感じなのですが、例えば9話なんかは、亜紀ちゃんのウェディングドレス姿があったり、「キスでもしませんか?」があったりするのですが、それよりも最終シーンのサクの苦悩や、病室で手探りでテープレコーダーに手を延ばす亜紀の方が印象深かったりしています。全体を見回して、どう考えても私はサク中心に観ていたことがこれからも分かります。(ごめんね、亜紀ちゃん)

それからこれは改めて分かったことなのですが、3話はどうもおじいちゃんがお話全体に広がっている(浮遊している)ような感覚があって、私の場合、亜紀の抱擁シーンよりも、おじいちゃんをあちらこちらに感じる回、ということも言えます。
これは、以前別スレでお話されていた「点在から偏在へ」という概念につながることなのでしょうか。これは最終回の最終場面の亜紀にも感じることです。

それから、これは全くの余談なのですが、TBSで9月29日に映画『世界の中心で、愛をさけぶ』の放送があるみたいですが、その前に『本当にあった、もうひとつのセカチュー(仮)』というドキュメンタリー(?)番組を用意しているそうで、「二人の別れを語ってもらったり、二人にとっての思い出の土地にも足を運んでもらう」そうです。
映画を盛り上げたい気持ちはわかるけど、番宣に使うのは・・・。しかも、映画の直前にするっていうのは・・・。と、これは私の意見なのですが。

clice様、物語と関係なくってごめんなさい。
...2005/09/14(Wed) 11:41 ID:fgEqJOyg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
海に突き出すように伸びるランウエイ14へのビジュアルアプローチをリクエストしたJAL1463便のA300は、海の中からこんもりと突き出す島々の間をゆっくりと抜けると、緩やかに左に旋回して松山空港へのファイナルアプローチに入った。
島の入り江や小高い山の向こう側に見えてくる街並みや港の風景が、明希の心の不安と呼応するように次第に大きくなっていった。
そして飛行機は松山港に向かう貨物船のマストの上をかすめるように飛び抜け、キュイという軽いショックと舞い上がる微かな煙を残して滑るように滑走路に降り立った。
明希は空港のロビーから短い電話をかけると、タクシーに乗り込み行き先を告げた。
運転手は悩まず車を左折させると、整備されたきれいな通りを松山駅に向かってタクシーを走らせた。

「お客さんは東京からですか?」信号で止まると人懐っこそうな年配の運転手が話しかけてきた。「ええ、そうです」明希は頷きそう答えた。
「四国は初めてですか?」「いえ、一二度」
「そうですか、今日はご旅行で?」「いえ、日帰りの用事で」
「そうですか、それは残念ですね、松山はいいところですよ、歴史と文化と風情のある・・なんたって伊予松山藩15万石の城下町ですからね、お客さん、城山に上った事は?」「いえ」「いやね、私なんか子供の頃から嫌な事があるといつも城山に上ったもんですよ、あそこから街を見下ろすと気持ち良くて、嫌な事もいつのまにかすーっと忘れてね・・今日はお仕事かもしれませんが、今度ゆっくりといらして下さい、そして一度上ってみられるといい、ご主人や子供さんと一緒に・・あっ、お子さんは・・」
「ええ、男の子が一人・・来年、小学校なんです」
「そうですか。それは楽しみですね、うちも娘がこの春嫁ぎましてね・・・いる時は何かとうるさかったが、いなくなると急に寂しくなるもんですね・・・。結婚式の式場までこの車で送ったんですよ、娘がお父さんの車で行きたいとか嬉しい事言ってくれて・・そしてその時に娘がくれましてね、このお守り・・お父さん、事故にだけは気をつけてって」運転手は嬉しそうに話しながらルームミラーに下げた交通安全のお守りに目をやった。
緩やかなカーブを過ぎると正面にぽっかりと二つのトンネルが見えてきた。
やがて車はその闇に吸いこまれ、窓ガラスに反射する乳白色の光りがまるで走馬灯のように後に流れ飛び去っていった。

明希はモザイクの石畳で覆われた橋の入口で、時折腕時計に目を落しながら、ロッジのような駅舎から次々と吐き出される人波を見ていた。
橋の向こう側の鬱蒼とした緑とは対照的な目の前に広がる風景は、信号待ちの車の列と街路樹で覆われた真直ぐに伸びる長い通り、そしてまるで何かに急かされるような人々の波、橋の上では黒い衣装を纏った少女達のグループが、それに群がるカメラの前で強い目線で思い思いのポーズを取り、橋の上を行き交う外国人がその様子を奇異の眼差しで眺めていた。
憧れとブランドを箱庭のようにぎゅっと凝縮したこの街の風景を眺めているうち、明希は初めてこの場所に立った時のことをふっと思い出した。
そして再び腕時計に目をやった時、デイパックを背負った外国人のカップルが地図を片手に明希に話しかけてきた。明希はその話を落ち着いて聞くと、地図と通りを交互に指差しながら流暢な英語で二人に答えた。そして二人を手を振って見送ろうとした時、健一がそこに立っていた。

「高岡君・・」健一はすれ違う二人にさっと目をやると、笑顔で明希に話しかけた。
「明希ちゃん、ごめん、遅くなって」「ほんとだよ、呼び出しといて待たせるなんていい度胸してるわね」「取引先での話が押しちゃってさ・・ごめん」健一は手を合わせて謝りながら、そっと上目遣いで明希を見た。
「ほんと、変わらないわね、そんなとこ・・もう帰ろうかと思ったんだから」
「いや、明希ちゃんは絶対待ってるって思ったよ」「何処から来るの?その自信・・」「そうだな・・なんとなくかな」そう言って健一はくすっと笑った。
「何?」「いや、ずっと会ってなかった男女の会話じゃないって思ってさ・・・なんかほっとしたよ、俺これでも相当緊張してるんだぜ」
「ばか・・」「・・少し歩こうか」健一はそう言って歩道橋の階段を通りの向こう側に向かって上り始めた。
「彼ら、君に道を尋ねたの正解だったな」「何、聞いてたの?」
「ああ、久しぶりに聞いたよ、明希ちゃんの英語」「もう、ドキドキ」
「そうかい?結構かっこよかったよ、中学の頃から頑張ってたもんな、将来英語を使うような仕事がしたいってさ」
「そうね、そんなこと言ってたね」
二人が歩道橋の階段を下りようとした時、修学旅行生か白い制服を着た数人の高校生の男女が脇をすり抜けて駆け下りていった。そしてその一人の男の子が立ち止まり振り向くと女の子の名前を呼んで手招きをした。健一が振り向くとセーラー服の少女が、すぐ後ろで上る人に遮られもじもじとしていた。
健一は身体を反らせその少女を通すと、少女はぺこりとお辞儀をして階段を駆け下り、待っていた男の子と一緒に人波にまぎれていった。
「可愛い娘だったね」「あの男の子、ちょっと得意そうだったわ」
「あの頃の俺達みたいだな・・憶えてる?初めて二人で東京に来た時の事」
「さっきね、ちょっと思い出してたの・・・高岡君、ずるいね」そう話す明希の顔から笑顔がこぼれた。
「ばれてた?」「ばればれだよ」「あれからもう17年か・・・なんかあっという間だったような気がするな」健一は懐かしそうに通りの風景を眺めた。
「俺さ・・歩いてみたかったんだ、この街を・・君と一緒に・・・。思い出の助けを借りようっていうんじゃないんだ・・いや、それも少しあるかな・・この都会にいる君は俺の知らない明希ちゃんなんだって思うと、この前の事が急に夢に思えてくるんだ。だから、この場所なら・・あの日、二人で目を輝かせながら降り立ったあの駅前なら・・もしかしたらもう一度始められるんじゃないかって、そう思ったんだ」健一は立ち止まり歩道橋の向こう側を振り返った。
明希は健一の横顔にそっと目をやると、同じようにその視線の先を見つめた。
あの日、青になった信号の前で、健一の伸ばした手にはにかみながらそっと手を差し出した、遠い日の自分の姿が見えた気がした。そしてその時伸ばしてくれた日に焼けた腕は、表参道の木漏れ日を浴びて、より逞しく明希の目に映った。

続く
...2005/09/18(Sun) 17:09 ID:BZhfAftM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
健一と明希は高校2年の夏休みに入ってすぐ、かねてから計画していた二人だけの東京行きを実行した。長電の始発に飛び乗り、長野駅のホームに駆け上がると、ベージュ色の車体に赤いラインの入った9両編成の電車が二人を待っていた。
長く国鉄L特急の代名詞となっている、ヘッドマークも鮮やかなそのやや角張った顔つきの先頭車両の側面には、白く書き加えられたばかりのJRの文字がくっきりと浮び、大きな窓とゆったりとした紺色のシートに掛けられた白いカバーは、東京への憧れの象徴だった。
そして発車のベルが鳴り、あさま2号がゆっくりと長野駅のホームを離れると二人は黙って窓の外を眺めた。しかしその小さな罪悪感は、車窓に広がる雄大な浅間山の風景と、次々と後に飛び去っていく萌えるような新緑が見える頃には、いつしか大きな期待感となって二人の胸の中で膨らんでいった。

明希は健一を見てくすりと思い出し笑いをした。
「どうしたの?」「ねえ、憶えてる?駅を下りて高岡君が最初に言ったこと」
「えっ?俺何か言ったっけ」「言ったわよ・・明希ちゃん、良かったな、今日お祭りやってるみたいだぞって」そう言って明希はまた白い歯を見せて笑った。
「あれは、ほんとにそう思ったんだよ、歩行者天国のあの人波みたら誰だってそう思うだろ、君だって竹の子族ってどこいるのとか言ってたじゃないか」
「そうだね、今思うと可笑しいね」「なんか時代を感じるな、原宿の歩行者天国も無くなって随分経つんだろ?」「そうね、もう6〜7年経つんじゃない」
「今じゃすっかりおしゃれな大人の街だな」

海外ブランドのショップが軒を連ねるケヤキ並木を二人はのんびりと歩いた。
木立に遮られた午後の日差しが石畳の歩道に所々影を落し、すり抜けた光りの点が二人の足元に美しい模様を描き出していた。
明希は時折モダンなショウウインドウに足を止め、健一も傍らで覗きこんだり、首を捻ったりしながら、煌びやかに飾られた洋服やアクセサリーを興味深そうに眺めた。
明希の話すどんな話題にも、健一はさりげなくユーモアと知性を発揮した。
二人の会話は尽きる事が無く、健一の洗練された外見は都会の風景に自然に溶け込み、明希はいつのまにか健一との時間を楽しんでいた。 
ショウウインドウに映る二人の姿は、17年の歳月が、日に焼けた坊主頭の少年と都会に憧れた髪の長い可憐な少女を、通り過ぎる人が思わず振り返るような1組の大人の男女に変えていた。

「高岡君って、そうしてると信州でお味噌屋さんやってるなんて思えないね」
「あっ、馬鹿にしてる?」「違うよ、かっこいいって言ってるの、でもお店の半纏姿も似合ってたけど」明希はまたくすりと笑った。
「そりゃどうも、明希ちゃんこそ・・俺、さっき君を見つけた時正直ドキッとしたんだぜ」「ほんと?」「そうさ」「ありがと、でも悲しくない?いい年した幼馴染がお互いのこと誉め合っても」
「いいじゃない、歳相応にはいけてると思うよ、俺達」

通りを少し入った落ち着いた雰囲気のするカフェレストランで二人は軽い食事をした。
緑に囲まれた明るいテラス席で、健一はぷりぷりの海老とソーセージ、そしてレタスを挟んだサンドイッチを口一杯に頬張り、明希はストローに口をつけながらそんな健一の姿を
微笑ましく見ていた。
「そんなにお腹空いてたの?」「朝から得意先ずっと回ってたからさ、食べる時間無かったんだよ」「ほら、ここ、マヨネーズ付いてる」「どこ?」「ここ、ほんと変わらないね、そんなとこ」「ん?何が?」「何でもない」「気になるな」「ほらまた付けてる」
お互いに決して本題には触れず、今の一瞬を愛おしむように、二人にとっての穏やかな時間が過ぎていた。

裏路地を散策しながら、二人は次第に鮮明になる記憶の一つ一つを手繰り寄せた。
「あの時どこ行ったんだっけ」「渋谷」「そうそう、歩いたよな」
「東急ハンズに付き合わされた」
「俺だって・・109のフロアを何回うろうろしたんだよ」「坂の途中のレコード屋さん覚えてる?」「あそこまだあるのかな」「マクドナルドでハンバーガー食べたよね」
「そうだよな、せっかく東京来てるんだからマックじゃないだろ・・みたいな、まっ、今になって思えばだけど」「ほんと、でも竹下通りのクレープ屋さんは絶対行くって決めてたんだよね、あとは東京タワー」「行ったね、もう電車の時間がやばいっていうのに、明希ちゃんがどうしても東京タワーからの夜景が見たいっていうから・・あれで結局最終に間に合わなくて夜行で帰ったんだよな・・朝帰ったらさ、仕込みしてる親父が怖い顔して立っててさ、そのまま1日こき使われたんだぜ」
「あれは健ちゃんが地下鉄で迷ったから・・・」明希は向きになり思わず健一を名前で呼んだ。
「やっと呼んでくれたね、名前・・」健一は明希を見つめた。
「・・・私だって、もう大変だったんだからね、あの後・・」明希は照れを隠すように話を続けた。
「明希ちゃんの親父さん、怖かったもんな」「ほんとだよ、正座させられて、さんざんガミガミ叱られて、母親は横で黙ってるだけだし・・・でもその後二人でお土産のお菓子食べながら東京の話で盛り上がったんだけどね」明希は懐かしそうに微笑んだ。

健一と明希はあの日と同じように渋谷までの道を歩いた。
信号が変わると一斉に動き出す人の波・・・新しいランドマークが次々と現れ、流行とともに刻々と変貌するこの駅前に、あの日と変わらない場所があった。
木立の下で待ち合わせをする沢山の人達に取り囲まれるように、ひっそりと立っている一体の犬の像、その前足と鼻の周りは常に撫でられ、その剥き出しになった銅色がずっと人々に愛され続けてきた証になっていた。

「高岡君・・ハチ公って、東京帝国大学、今の東大の先生が飼っていた犬でね、先生を毎日この渋谷駅まで送り迎えするのが日課だったの、でもある日先生が講演先で亡くなって、その日から死ぬまでの10年間ハチ公はずっとこの駅前に通い続けたんだって、知ってた?」明希は像を見上げ、そっとその前足に触れてみた。
「ハチ公には分からなかっただろうからな、ご主人が死んだ事なんか・・ここで待ってればきっとあそこから出て来るって思ってたんだろうか・・すごいよな」
「私はね、知ってたって思うんだ、ご主人が死んだ事・・・動物ってさ人間には無い能力がある気がしない?実際にその後しばらく、誰が食事を与えても食べなかったらしいの、だからハチ公には分かってたのよ、大好きだった先生が死んだことも、もう二度と会えないってことも・・・それでも毎日待ち続けた・・・どんな気持ちだったんだろうね」明希は像を見上げながらそっと自分の心に問い掛けていた。
「高岡君、私ね・・」明希は健一に向き直り、何かを話そうとした。しかし健一はその言葉を遮るように先に話し始めた。
「ほら、今ってさ、携帯でいつでも簡単に連絡が取れる時代じゃない、それでも・・好きな人を待つ時間の、あのドキドキとした気持ちってなんともいえないだろ、待つっていうのは素敵な事だって思うんだ。俺さ・・この前はあんな事言ったけど決して勢いなんかじゃないんだ、でもそれが明希ちゃんを困らせてるのなら謝る、俺もこいつと一緒なんだ、会えないって思う女性をずっと待ってたんだから」
「高岡君・・」
「また会って欲しい、それとも付き合ってる人がいるの?」
「それは・・・、それに一樹がいるのよ、私」
「この前話したろ、俺も両親も気にしないって」「簡単に言わないでよね」
「簡単に思わなきゃ始められない事もあるんだ」健一は思わず明希の腕をつかんだ。
「人が見てる」「ごめん・・でも今日やっぱり思った、俺は君が好きだ、今日みたいに一緒に街を歩きたい、明希ちゃんの笑った顔が見ていたいんだ」
「健ちゃん・・」

「じゃあ、また電話するよ」「うん、じゃあね」明希は健一を改札まで見送ると、連絡通路を抜けて自分の乗る電車のホームに向かった。
明希はドアにもたれ暗い窓の外を見ていた。手すりを掴む腕の辺りに健一の手の温もりが残っている気がした。そして流れる照明が次第に速くなり明るい光が明希を包んだ。

トンネルを抜けると窓の向こう側に青い海が広がっていた。
明希を乗せた真新しい一両編成の電車は、海岸線にそってカーブする線路を軽やかに走っていた。途中いくつものトンネルを抜け、その度にその美しい風景は変わらずに明希の目の前に現れた。きっと17年前から何一つ変わらないままでここにあるんだろうと、明希にはそんなふうに思えた。
やがて短いアナウンスの後、見覚えのある駅の看板が窓から覗くと、電車はホームの中ほどに静かに停車した。
プシューという音とともにドアが開き、明希は再び宮浦駅のホームに降り立った。
そして改札を抜けると、商店などが建ち並ぶ通りに向かって歩き出した。

続く
...2005/09/18(Sun) 17:21 ID:BZhfAftM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
いつも執筆お疲れさまです。たー坊です。

いつも続編を心待ちにしております。
そして、さっそく拝読させていただきました。

揺れ動く明希の心境がありありと描かれていますね。そして、まっすぐな健一の想いには、読んでいるこちらも心をうたれました。

この2人はとてもいいムードですが、一方で朔は・・・?
綾と朔の組み合わせは、私の中では有り得ると思っておりますが、先は全然読めませんので、色々と考えております。

それらイメージを膨らませながら、次回以降の物語も楽しみにしております。
...2005/09/18(Sun) 22:28 ID:3CCZSLOA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
映画を観て泣くことはしょっちゅうなのですが、最初から最後までずっ〜と泣きっぱなしだった映画はそうはありません。映画『ハチ公物語』は、そんな映画の一つでした。(本当に、おかしくなるくらい泣いていました(笑))
前半は上野先生が子犬のハチを可愛がっているシーンがほとんどなのですが、先生が死んじゃうんだと思ったら、何故か可愛いシーンまで泣けてボロボロだった思い出があります。(笑)

明希ではありませんが、私もハチは先生が亡くなったことを知っていたような気がします。それでも、もしハチが人間だったら「先生があの改札から現れてくれたら・・」と、たった一つの「夢」を持っていたのかなぁ・・とさえ思います。

朔太郎の亜紀への想い、明希の朔太郎への想い、
そして、健一から明希へ。
明希の中で、色々な想いが交錯します。
「・・それでも毎日待ち続けた・・・。」
とは彼女の深い言葉だと思いますが、健一の明るさこそが安らぎのような回でした。
今後の明希の動きに注目したいと思います。
...2005/09/27(Tue) 00:02 ID:zzbJ0d0I    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
明希は壁に掛かる時刻表を見上げて、下り電車の発車時刻を確かめると駅を出た。
駅前の小さなロータリーでは乗客待ちのタクシーが2台停車し、運転手が暇そうに新聞を広げていた。
明希がちらりと横目で見ると、運転手は新聞を急いでたたんでシートに座りなおしたが、そのまま通りへ歩き出すのを見ると、運転手は再びシートにもたれ助手席に放り投げた新聞をまた読み始めた。
県道の向こう側には青い海が広がり、潮風に髪がゆれるとぷーんと海の香りがした。
駅の裏手にはすぐに山が迫っていて、ピーヒョロロという鳴き声に見上げると、トンビ達がその翼をいっぱいに広げ、高い空に悠然と浮びながらくるくると大きな弧を描いていた。
防波堤から覗く海の色はエメラルド色に透き通り、岩場に群れる小魚や、小石の一つ一つまでもがはっきりと見えて、瀬戸内の穏やかな波がテトラポットに静かに寄せていた。
明希は遠くに霞む島影よりもずっと手前に、ぽつんと浮ぶ緑に覆われた小さな島を見つめた。
それは港のベンチで、朔太郎から聞いた恋人との思い出の島だった。
胸の奥がズキンと痛んだ。
明希の瞳にはその時の遠い目をした朔太郎の横顔が今も焼き付いていた。
廣瀬亜紀さん・・今も変わらずに朔太郎の心の中で生き続ける女性。
明希は今日、その女性に会いに来た。
自分自身を確かめる為に、会わなければいけない女性だった。
港の入口の防波堤の先に小さな赤い灯台が見えて、その前を白い漁船が横切っていった。
宮浦の町はもうすぐそこだった。

町に入る手前の県道沿いに、宮浦八幡宮の大きな赤い鳥居があった。
参道が山手に向かって真直ぐに続き、線路の向こう側の森の中に、立派な石段と木立に隠れるように拝殿の屋根が見えていた。
明希はそのすぐ先の小さな橋を渡ると、銀行の角を曲がりホテルや商店などが建ち並ぶ通りの方へ歩いていった。
病院から姿を消した朔太郎を心配して、胸騒ぎに誘われるように一樹を連れてこの町を訪れたのがほんの2ヶ月半ほど前・・・。
実家を尋ね、朔太郎の両親に暖かく迎えられて、次の日、まるで帰省した家族のようにこの町を3人で歩いた。
川の両側や街道沿いに所々に残る、古い商家の白いなまこ壁の土蔵や塀が、明希の生まれ育った町の雰囲気とどこか似ていて、明希は一目でこの町が好きになった。
穏やかな時間が過ぎて、いつかは訪れると思っていた未来・・・。
しかし朔太郎の秘められた過去を知った時、その未来は幻のように消え去ってしまった。

通りを抜けて橋の袂まで来ると、あの日教えてもらった写真館の場所は、もう橋のすぐ向こうだった。明希は橋の中ほどで立ち止まり、そっと辺りを眺めた。
穏やかな川面に魚達の背がキラリと光り、きっと変わらないこの風景の中で、彼と亜紀さんもここでこうして眺めたりしたんだろうなと明希は思った。
明希は再び歩き出し、通り沿いに建つ古い白壁の写真館の前に立つと、そっと玄関のノブに手を伸ばした。

「いらっしゃいませ」潤一郎の声がした。
「あのう・・・小林です」明希は恐る恐る建物の中に入った。
「明希さん」富子が笑顔で迎えた。
「あっ、どうも・・・すみません、またなんか急にお邪魔して・・」明希は丁寧に頭を下げた。
「いいんですよ、遠い所を良く来てくれました、待ってましたよ」富子は明希に優しく話しかけた。
「いらっしゃい」潤一郎も笑顔で明希を迎えた。
「あの・・この前はいろいろお世話になりました、一樹もほんと喜んで・・」
「ここ、すぐに分かりましたか?」「はい、この前お父様に教えて頂いていたので、迷わず・・あの、これつまらないものですけど・・」そう言って明希は羽田で買った黄色い鳥がデザインされた菓子袋を渡した。
「ごめんなさいね、明希さん、なんか気を使わせたみたいで」富子は潤一郎からそれを受け取るとすまなそうに礼を言った。
「いえ、私の方こそ突然・・」「一樹君はお元気?」
「はい、毎日元気に保育園に行ってます、なんかまた新しいお友達ができたみたいで」
「そう・・また一緒に来てくれたら嬉しかったけど・・ねえ、あんた」
「ああ、そうだな」潤一郎もそう言って頷いた。
「あの・・今日私が来た事は、松本君には内緒に・・」
「分かってますよ、朝電話をもらった時は驚いたけど、いつかはあなたがこうやって訪ねてくると、私はそう思っていましたよ」富子は優しく頷きながらそう話した。
「お母様・・」明希はすべてを分かっているように微笑む富子を見つめた。
「会いに来たんでしょ、亜紀ちゃんに・・・」
「はい」明希は頷いた。

明希は興味深そうに建物の中を眺めた。
高い天井に磨き上げられた木の床、本棚の中の沢山の書物と、壁のあちらこちらに額に入った写真が飾られ、趣のある雰囲気を醸し出していた。沢山の人の大切な思い出を撮り続けてきたカメラや撮影機材、暗幕や記念写真のバックになるのか壁から大きな幕が下がり、絨毯の上にシックな模様の長いソファが置いてあった。
「素敵な写真館ですね」
「古い建物でしょう、もともとは銀行か何かだったのを、親父が戦後買いとって写真屋を始めたそうです、それを親父が死んだ後私が継いで・・まっ、これでも一応は息子なんで・・でもほんとはあいつに写真の仕事を継いで欲しかったのかも知れませんね」潤一郎も懐かしそうに周りを見回した。
「はい、その話は松本君から聞きました、なんかすごくお爺ちゃんっ子だったって」
「あいつは小さい頃から、爺ちゃん爺ちゃんってなついて、親父もそんなあいつを可愛がって、写真の撮り方も小学校の頃から教えて、あんな事さえなければ、今頃あいつが医者をしてる事も無かったんだろうけど」
「・・松本君は私と一樹の写真をずっと撮ってくれてたんです、それは上手くて」
「そうでしょう、あいつは生き方は不器用だけど、手先は昔から器用だから・・・医者は、もしかしたらあいつには合ってる仕事かもしれませんね」
「・・どうしてますか、あいつ・・少しは変わりましたか?ドナーになって誰かを助けたって聞きましたが、それは医者の仕事と何も変わらないんじゃないですかね」
「私には分かりません、手術の後少しほっとしたようでした、でもほんとは何も変わってないのかも知れません、松本君は私や一樹といる時はいつもにこにこしていて・・でもそれが彼の本当の姿じゃないって知ってからは、悩んだり辛そうにしてたりする顔ばかりが気になるようになって・・やっぱり私じゃ駄目なのかなって思えてきて・・」
明希はそう話しながら、潤一郎の後ろの壁に掛かった結婚写真にふと目が止まった。
そこに写っている男性は明希の知っている大学時代の朔太郎だった。
そしてその横にはウエディングドレスを着て、優しく微笑む美しい女性が立っていた。

「この女性が廣瀬亜紀さん・・ですか?」
「ええ」明希が振り向くと、お茶の用意をしていた富子が後に立っていた。
「そう、その娘が亜紀ちゃん・・可愛いお嬢さんでしょう、勉強もスポーツも本当に良くできてね、あの子はほんとに夢中でしたよ・・でも、その写真を撮ってすぐにね・・・」富子はしみじみとした口調で話した。
「本当にきれい・・」
写真の中のその女性は、純白のウエディングドレスを身に纏い、心から幸せそうに笑っていた。
二人は明希にこの写真を撮った経緯を話した。
明希の瞳が涙で潤んだ。
「すみません、私ったら・・・でも松本君、嬉しそう・・・こんな幸せな時があったんですね、彼に・・」そのセピア色の写真は二人の幸せな瞬間を永遠に止めていた。まるで時が止まればいいとその場の全員がそう願っているように・・・そして明希もそうであったらとふとそう思えた。
「あの・・ここに写っている方達は?」
「右のお二人が亜紀ちゃんのご両親、そして担任だった谷田部先生」富子が写真を見ながら明希に話した。
「はい、この方なら先日港でお会いしました」
「ほら、あれ、釣りに行った時だよ」潤一郎が富子に話した。
「ああ、そうだったね、前にいるのが妹の芙美子で、後ろの3人が朔の幼馴染の智世ちゃんに介にボウズ」
「ボウズ?」「そう、お寺の息子さんでね、中川顕良って言って、今ではすっかり立派なお坊さんになってね・・・」
「ほんと、あのボウズがな・・・実はね明希さん、亜紀ちゃんのお墓はこいつの寺にあるんですよ、こいつも亜紀ちゃんのことが好きでね・・・こいつなりに彼女のこと守ってるんですよ、男らしいじゃありませんか・・・どっかの馬鹿とは大違いだ」
「そうだったんですか・・・あの、そこは・・」「禅海寺って言って、駅の方から来ると銀行があったでしょう、そこを曲がって踏み切りを越えたらすぐのとこ、後で地図を描きましょうね」
「すみません」
「いいんですよ・・・明希さん、ありがとうね、あの子のこと真剣に考えてくれて・・」富子は明希に頭を下げた。
「いえ、そんな・・私の方こそ、・・・でも、亜紀さんの事、ちゃんと知って向き合わなきゃって思うんです、私・・」
「あんた、あれ」富子はそう言って奥の本棚の方を見た。
「そうだな」そう言って潤一郎は本棚の下から一冊のアルバムを抜き出すと、テーブルの上に置いた。

明希は二人に言われるままにそのアルバムを開いた。
そこにはゼッケンを付けた青いランニングウェアを着て、智世と並んでピースサインを出している亜紀の弾ける笑顔が写っていた。
「これは・・?」
「これはね、智世ちゃんがね・・・智世ちゃんと龍之介、それと顕良君の3人は朔とは幼稚園からずっと一緒の仲良しで、子供の頃からここにはよく遊びに来てて、高校もみんな一緒でね、あの子は腐れ縁だよとか言ってたけど、朔太郎にとって本当の友達だったと思うの。智世ちゃんは高校で陸上部に入って、そこで亜紀ちゃんと友達になったの」
「じゃあ、この写真はその時の・・」
「これは2年生になってすぐの春の大会の時の写真で、二人で走った最後の大会の写真だって、智世ちゃん、懐かしそうによく見てたね」
ページをめくると、試合の時のスナップ写真がびっしりと貼ってあり、そこには美味しそうにおにぎりを頬張る亜紀と智世の写真もあった。
「これ、もしかして・・松本君が?」
「そう、朔太郎が撮った写真、智世ちゃんに無理やりカメラマンとして連れて行かれたんだろ、きっと・・しかし、よく分かったね、あいつのって・・」潤一郎が明希に話した。
「なんとなくそう思いました、松本君らしいって・・この時はもう二人は付き合ってたんですか?」
「まだじゃないかね?ねえ、あんた」「さて、どうだったかな?」
「でもこの時はもう亜紀さんは松本君のことが好きだったんですね、きっと・・・だって、こんなにいい顔してるもの・・本当に嬉しそう」明希は写真の中の亜紀に軽い嫉妬とそして共感を覚えた。
陸上部でのランニングウェア、セーラー服姿の亜紀、文化祭、体育祭、夏祭り、海水浴、初詣の着物姿、お城をバックに少しお粧しした二人の写真もあった。
笑ったり、澄ましたり、どのページにも智世と一緒の元気な亜紀の姿があった。それはポニーテールをなびかして青春を駆け抜けた一人の少女の記録だった。
「このアルバムは智世ちゃんが大学進学でこの町を離れる時に、自分の持ってる写真を持ってきてね、それでこの人が焼き増しして作ったの、ここに来ればいつでも亜紀に会えるからってね」富子も懐かしそうにそのアルバムに写る二人の姿を眺めた。
「ほんとに素敵な女の子だったんですね、亜紀さんって・・・松本君が忘れられないのも分かるな」明希は小さく溜息をつくと、笑顔を作ってそう言った。
明希は朔太郎が遠い瞳の先に今も見ている人がどんな女性なのかやっと分かった気がした。勝てない・・・そう思えて仕方が無かった。

続く
...2005/09/27(Tue) 08:40 ID:52YoEJ1M    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
セットで読むと感動も倍増。
「・・この時はもう二人は付き合ってたんですか?」
この明希の言葉に反応して、物凄く久しぶりに公式BBSまで探しに行ってきました。
公式BBS、Vol.17-77。clice様が「二人の出会い」をお書きになられたページです。

サクと亜紀にはとても自然な出会いでした。そしてその頃の二人が、どこにでもいる高校生のカップルで、亜紀と智世との写真はどんな風に笑っているか、目に浮かぶようでした。

結婚写真は、ドラマと映画の違いを如実に表しているようでもあります。
それぞれの家庭があって、ただ家族がいるというだけではなく、関わり合いをきちんと描くことで、写真を撮るというだけでなく、皆の想いが溢れていたと思います。写真からは全員のそれぞれの気持ちが伝わってきます。

明希は、そんな写真の数々から、亜紀が如何に皆から愛されていたかを感じてしまったのですね。
...2005/09/28(Wed) 14:24 ID:u99VwHFM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
最近の作品を呼んで、明希の揺れ動く気持ちがひしひしと伝わってきます。朔の明希に対する気持ちがいまひとつはっきりしないので、このまま幼馴染の健一のところへ行ったほうがいいのかな・・・という想いがないでもありません。でも、ドラマの結末のように、朔と明希が幸せになってほしいという想いもあります。まだまだ先が見えないこのストーりーの続きが楽しみです。

※介・ボウズ・智世の前で朔が明希をお披露目する場面を見てみたい気がしますが・・・
...2005/09/28(Wed) 22:15 ID:1syxlibs    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
お疲れ様です。
先日は、私の物語にご感想をいただきましてありがとうございました。
さて、今回も続きを拝読させていただきました。
明希が亜紀に会いに宮浦へ向かったという展開に、多々考えさせられました。「勝てない・・・・・・。」この言葉は、とても切なくて重くて、とんでもなく重い一言だったと思います。
私の物語では亜紀はピンピンしておりますが(笑)こちらの亜紀のいない世界というものに、毎回大きなヒントをいただいております。
次回も楽しみにしております。
...2005/10/01(Sat) 01:22 ID:ezFi.8AQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「智世ちゃん、これで最後だな」潤一郎は焼き増しの終えた写真を持って部屋に入ってきた。
「ありがとう、おじさん」智世はその写真を受け取ると、懐かしそうに眺めた。
「こうして見ると、智世ちゃんも可愛いな」「おじさん、その智世ちゃんもって言うのは何」「いや、別に変なつもりは・・」
「どーせ私は亜紀にはかないませんよーだ」智世は思いっきり頬を膨らませた。
「何もそんな事言ってないだろ」「あんたは女心ってものがほんと分かってないね」富子がコーヒーカップをのせたお盆を持って部屋に入ってきた。
「智世ちゃん、できたかい?」富子はテーブルの上のアルバムを覗きこんだ。
「これを貼ったら終り」そう言って智世は、亜紀との思い出の写真を一枚一枚大切そうにアルバムに貼っていった。
「やっとできた」智世は最後の一枚を貼り終わると両手を上に上げて大きく伸びをした。
「智世ちゃん、疲れただろ、はい、コーヒー、お砂糖いっぱい入れといたからね」
「ありがとう、おばさん、急に無理言って、おじさんも・・」
「いいんだよ、今日は河岸も休みなんだし、ここもたまには掃除しないとね・・それに、あんた、使った食器流しに置きっぱなしなのはなんでだい」
「あっ・・」「あっじゃないだろ、あっじゃ」「ほんと、変なとこに細かくてね・・」
「何か言ったかい?」「いえ・・」
智世は二人のやり取りを見てくすっと笑い、コーヒーを美味しそうに口に運んだ。
「智世ちゃん、見ていいかい?」智世はにっこりと頷き、富子は横に座ってゆっくりとアルバムのページを開いた。
開かれるページの中で亜紀が笑っていた。
「智世」・・そう呼ぶ懐かしい声が聞こえる気がした。
智世はそっと心の中で呼びかけてみた。
「亜紀・・」

「亜紀・・」
「智世、早く早く」
「亜紀、待ってよ」
亜紀はスカートの裾をひらひらとさせながら、石垣沿いの坂道を軽やかに上っていった。
「ほら、こっちこっち」亜紀は上りきった門の手前で智世に手招きをした。
「なんでそんなに元気なのよ」智世はそう呟きながら、息を切らし残りの坂道を駆け上がった。
「ハアハア・・もう、亜紀・・なんで走る訳?」
「ごめんごめん、でもほら見て見て」そう言って目を輝かせた亜紀の視線の先に、澄み切った青空をバックに松山城の天守閣がその優美な姿を見せていた。
「きれいだね」「ほんと・・でも疲れた」「智世、もうバテちゃったの」
「あのね、亜紀、私達は遊びに来てるの、そしてそういう人達はみんなロープウェイに乗るの、知ってる?」「何事もトレーニングでしょ」亜紀は平然とした顔をして言った。
「はあ・・・あんたは正しいわ」智世はため息をつき、元気に前を歩く亜紀の後姿を見つめた。

5月の第2日曜日、亜紀と智世の二人はインターハイの地区予選も終って、以前から約束していた松山に遊びに来ていた。
二人が最初に目指したのは松山城、智世は初めてでは無かったが、亜紀は松山に来るたびにいつかは上ってみたいと思っていた憧れの場所だった。
駅前から路面電車に飛び乗り、登城道のある県庁前で下りると、かつては侍達が上ったその道を二人は元気に歩き出した。

中庭では沢山の観光客が写真を撮ったり、風景を眺めたりしながら思い思いに時を過ごしていた。智世も持ってきたカメラで代わる代わるお城をバックに記念写真を撮り、人に頼んで今度は二人並んで撮ってもらったりした。
そして二人は売店で買ったソフトクリームを手にして街が見下ろせるベンチに座った。
「ねえ、智世・・この前さ・・ほら地区予選の時、松本君に写真撮ってもらったじゃない、あれ良く撮れてたね」
「まあね、ここぞっていう時は役に立つからね、あいつ」
「そだね」ぺろぺろとソフトクリームをなめながら亜紀も小さく頷いた。
「朔のやつお爺さんに小学校の頃からみっちり仕込まれてるのよ」
「お爺さん?写真館の・・?」
「あれ、亜紀知ってたっけ」「練習でたまに前走るじゃない、だいだい決まって松本君の自転車止まってるんだよね」「よく見てるね、亜紀・・その通り、介とボウズといっつも学校帰りにたむろしてるよ、いったい何してんだか」
「何してるの?」「どーせエッチな雑誌でも見てるのよ、3人で・・いやらしい」
「ほんとに?」「あいつらのする事って他にあると思う?」
「ふーん、そうなんだ・・でもさ、智世ってほんと仲いいよね、松本君達と・・」
「幼稚園の頃からずっと一緒だもんね」「それだけ・・・?」亜紀は意地悪っぽい微笑みで智世の顔を覗き込んだ。
「ねえ亜紀・・天守閣上ろうか?」「・・とにすぐそうやって話を逸らす・・」
「・・まあいっか、今日はじっくり聞き出しちゃおうかな、ほら、智世、行くよ」

「亜紀、亜紀、すっごい急な階段だったね、もうおじさんにスカートの中覗かれないか心配・・・」そう言ってやっと階段を上りきった智世は、そこに佇む亜紀の姿にはっとなり思わず言葉を飲んだ。
そして、その良く通る声は微かな呟きに変わった。
「亜紀・・」
天守閣最上階の磨き上げられた床と太い柱、大きく開いた窓を通り抜ける風が長い髪を揺らし、柱に手を添え城下を見つめるその涼しげで凛とした横顔が、まるで時を越えた本物のお姫様のように智世の目に写った。
そしてゆっくりと振り向くと、いつもの亜紀の笑顔がはじけた。
「智世、見て見て、街が箱庭みたい、ほら海が見えるよ」亜紀は四方の窓を交互に覗き、先ほどの姿など嘘のようにまるで子供のようにはしゃいだ。
「すごいよねー」
智世は何も話さずそんな亜紀の姿を見つめた。
「どうしたの?智世・・」「ん?別に何でも・・」
「あれあれ、さては誰かさんのこと考えてたな・・智世、そなたの胸の内、このわらわに言うてみるがよいぞ」
「いえいえ、姫様のお心を煩わせるようなこと、この智世には何もありませぬ・・って何で時代劇やってるのよ、それに私、腰元な訳?」
「まあまあ、いいじゃない、雰囲気ばっちりだし・・」
「あのね・・」
「ねえ、智世・・宮浦ってどっちかな?」「たぶんこっちの山の方」
「そっか・・・ねえ、昔のお姫様もここでこうして好きな男性のことを思ったりしたのかな?」「たぶんね・・」「なんかロマンチックだね」そう言って亜紀は遠く宮浦の方角を見つめた。
「智世・・」「何?」「お腹空いたね」「ロマンチックなんじゃなかったの」
「お腹は別なの、ねえ、先輩達が言ってたお店行こうか」「ことり?」
「そう・・」「鍋焼きうどん」二人は声を合わせて言った。

「それでこの後二人で鍋焼きうどん食べに行って、商店街で買い物して、最後に道後温泉入って帰って来たんですよね」そう言って智世はページを開いた。
「色っぽいね・・・二人とも」「おじさん、それ無理やりでしょ」
「違うよ、智世ちゃんの浴衣姿もなかなかだなってね」「どうだか・・」
「でも、智世ちゃんはあの子の知らない亜紀ちゃんをいっぱい知ってるんだね」
めくられたページの中に洗い髪に浴衣を着て、大きな口を開けてお煎餅を頬張る亜紀の姿があった。
「親友だし女同士だったから・・でも朔にしか見せなかったところもいっぱいあると思う」智世は少しだけ寂しそうに話した。
「これはね、1年生の時の陸上部の合宿の時の写真、この時夜みんなで肝試ししたんですよ、亜紀ってああ見えて結構怖がりで、二人で回ってるとキャーキャー言ってたくせに、男子の前だと何にも無かったような平気な顔して、ほんとかっこつけなんだから」
「亜紀ちゃんらしいね」富子は気丈だった亜紀の姿を思い出した。
「だから、亜紀、ほんとは凄く怖かったと思うんですよね、自分が死んじゃうかもしれないって知った時・・でも最後までかっこつけて、ほんと頑固なんだから・・もっと弱音吐いたっていいじゃない、親友なんだから・・泣いたって、死にたくないって叫んだってよかったのに・・なんで、なんでよ・・・ばかよ・・ほんとばか・・」智世の瞳から大粒の涙がぽたりと落ちた。
「智世ちゃん」富子は智世の肩を優しく抱き寄せた。
「おばさん」時間では埋められない言い知れぬ喪失感が、智世の涙腺を繰り返し繰り返し刺激し続けた。

「智世ちゃん、一冊は廣瀬さんへかい?」
「うん、綾子おばさんに今から届けてくる、亜紀に渡した写真もあるけどそうじゃないものもあるし、それに行く前におばさんにも、そして亜紀にもちゃんと挨拶したいから」
「そうかい、それがいいね、行っといで」富子は優しく頷いた。
「智世ちゃんは明日かい、行くの?」
「午前中のフェリーで、荷物はお父さんが車で一緒に運んでくれるって」
「智世ちゃんが行っちゃうと寂しくなるね」「ほんとだな、顕良も来月にはご本山に修行に行くっていうし、残るのは龍之介だけか・・」
「あいつもね、たぶんこの町を出ると思う・・おばさんは知ってるんでしょ」
「・・介の父親の知り合いがね、室戸で遠洋マグロ漁船の漁労長をしててね、高校卒業したら見習で来ないかって以前から誘われてたらしいんだけど、それを最近承諾したらしいって・・介、智世ちゃんに話したのかい?」
「この前会った時にね・・俺、遠洋に乗ろうかなって思ってるって言ってた」
「智世ちゃんはいいのかい?介のこと好きなんだろ」
「いいも何も、さすがに追っかけていけないでしょ・・でも、あいつが自分で決めたことなら私は応援する・・・素敵じゃない、世界の海が仕事場なんて・・ねえ、おばさん」
「智世ちゃん・・」
「龍之介が船乗りにね・・まあ、あいつらしいっちゃらしいが、しかし顕良のやつはよく修行に行く気になったな・・あれだけ寺継ぐの嫌がってたのになあ」
「・・あれから朔、何か連絡してきました?」
「いいや、着いたからっていう短い電話があったきり」「そうですか・・」
「まっ、あたしは心配してないけどね・・あの子には医者になるっていう目標があるし、じゃないと亜紀ちゃんにもご両親にも顔向けできないだろ、それはあの子がいちばん良く分かってるはずだよ」
「そうですね・・でも、おばさん、私、朔には感謝してるんですよ、朔が亜紀の為に頑張ってるの見て私も頑張らなきゃって思ったし、お陰でなんとか薬学部にも入れたし」
「それは智世ちゃんの実力だよ」
「違うの、亜紀が力を貸してくれたの・・智世頑張ってって・・だから亜紀の分まで頑張らなきゃ」
「そうだね、頑張んなきゃね・・・芙美子もね、最近は将来看護婦さんになろうかな・・なんて言ってね、どこまで本気か分からないけど、あの子なりに亜紀ちゃんの死には感じるものがあったんだろうね」
「芙美子ちゃんもいよいよ4月から高校生か・・」「そう、智世ちゃん達の後輩」
「なんか思い出しちゃいますね、最初にセーラー服に袖を通した日のこと・・そして亜紀に会ったグラウンド・・・気がつけばあっという間の3年間だったけど、亜紀やみんなと過ごした時間は私の大切な宝物・・・」
智世はそう言って写真館の中を懐かしそうに見回し、壁に掛かった結婚写真を見つめた。
「じゃあ、おじさん、おばさん、私、行くね」
「ああ、頑張っといで、しっかり勉強するんだよ」
「はい」「じゃあ、智世ちゃん、これ・・代金は・・まあサービスだ、なあ」
潤一郎は智世に2冊のアルバムを手渡し、横目で富子をちらりと見た。
「もちろんだとも・・・あんた、タバコ、当分半分にするんだよ」
「これだよ・・」富子の一言に潤一郎は思わず苦笑いをした。
「ありがとう、おじさん、おばさん・・でも一冊はここで預かっておいて下さい」
「どうしてだい?それじゃあ智世ちゃんの分が無いじゃないか」
「私はいいの、別に遠くに行く訳じゃないし、フェリーですぐだから亜紀に会いたくなったらいつでも帰ってきます・・それ・・あいつが・・朔が帰ってきたら見せてあげて下さい、あんたが好きになった人はそんなに素敵な女の子だったんだからって、だからいつまでも下向いてないで、亜紀のことちゃんと見て、恥ずかしくないような立派な医者になりなって・・死んでまで亜紀を悲しませるようなことしたら私が承知しないからって、言ってやって下さい」智世は光るものをこらえるように笑顔で話した。
「ありがとう、智世ちゃん・・言っとくからね、このあたしがビシッっと」
富子の目にも小さく光るものが見え、智世はその言葉に小さく頷いた。
「もし亜紀が病気にならなかったら今頃みんなどうしてたんだろう・・ねっ、おばさん」
「そうだな、まず間違い無く朔太郎は医学部には入ってないな、悪くすればあの馬鹿亜紀ちゃんに振られてたりしてな」
「おじさん、それ言えてるかも」智世はクスッと笑い、いつものきりっとした表情に戻った。
「じゃあ、おじさん、おばさん、お元気で」
「智世ちゃんもね」「はい」智世は明るい声を残し写真館を出ていった。

「じゃあ、松本君はこのアルバムをまだ見てないんですか?」明希は少し驚いた様子で話した。
「そうなんですよ、あの子はこの前帰った時もこの写真館には寄りつこうとしなくてね」
「ここには亜紀ちゃんとの思い出が詰まってるから、ちゃんと向き合うのが怖いんだろ、ほんと意気地なしが」潤一郎が吐き捨てるように言った。
「でも17年なんですよね、こんなに素敵な女の子に恋をして、あんなに幸せな時があったのなら・・それは死んでしまって、その別れは悲しいけど、時がたてば美しい思い出になるものなんじゃないんですか?普通は・・ですけど・・でも17年は長過ぎると思うんです、松本君はどうしてそんなに・・あの・・亜紀さんの最後って・・いったい」
「明希さん、あの子はあなたに何も・・」
「いえ、大体の事は・・この前お父様やお母様からお聞きしたし、もちろん松本君からも聞きました・・・でもそれ以上は・・・あの、これは言っていいかどうか分からないけど、実は彼・・自殺しようとしたそうです」
「あの子がですか?いつ・・」富子が目を見開き驚きの表情で明希に訊ねた。
「この前帰った時です、海で・・そこは亜紀さんが自殺しようとした場所だそうです」
潤一郎と富子にはそこがどこか見当がついた。
「それで、あの子は・・?」
「ただ溺れただけだって・・私には明るく、まるで冗談みたいに言ってました。その時は誰かのドナーになる事で救われた気持ちになったんだろうなって思いましたが、よく考えてみると17年も経った今、どうしてそこまで思いつめるような気持ちになるのか分からなくて・・でもそれ以上は怖くてどうしても聞けなくて・・・」
「あの・・お二人はご存知なんですよね、その訳を・・良かったら教えて頂けませんか?いったい何があったんでしょうか」明希は勇気を振り絞って二人に話した。
「明希さん、それは・・」富子は口篭もった。
「明希さん」潤一郎が口を開いた。
「あんた」富子が制すように潤一郎を見た。
「いいんだ・・明希さん、あなたは朔太郎の事がちゃんと知りたくてここに来たんですよね」潤一郎は真直ぐに明希を見て話した。
「はい」明希は思わず息を呑んだ。
「それは・・・朔太郎が・・・亜紀さんを殺したのが自分だと、今も思っているからですよ」
「殺した?・・松本君が亜紀さんを・・ですか?」明希は想像もしなかった潤一郎の言葉に一瞬自分の耳を疑った。そして次第に胸の鼓動が早くなり、掌にじんわりと汗がにじむのを感じた。
「それっていったい・・・?」

続く
...2005/10/04(Tue) 13:08 ID:yIcjrJfA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:くにさん
cliceさん、いつも素敵な物語ありがとうございます。新しいレスが出るたびに次はいつかと一日千秋の思いで心待ちにしています。今回の物語で、智世さんの涙腺を刺激した文は、40代の私の涙腺もきっちり刺激していただきました。明希さんの動向も朔太郎と綾の行方もますます目が離せなくなってまいりました。娘ともども、連載を期待し楽しみにしておりますので、お体ご自愛の上、がんばってください。
...2005/10/04(Tue) 14:49 ID:rz6.aETM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
新作を楽しみに待っていました。
智世がアルバムを見ながら思い出を語る場面はウルッときてしまいましたよ。
回想場面で亜紀が智世の前を小走りで坂道を上がっていくところはドラマのタイトルバックを思わせてよかったです。(こちらの場面では私服でしょうけど)
朔・智世・介・ボウズそれぞれが旅立っていく感慨深い一作ですね。次回を楽しみにしています。
...2005/10/04(Tue) 19:14 ID:AACRu61A    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
「亜紀を殺した。」
この言葉が示す意味が、サクを17年間縛り付けていたと、私はドラマ本編を観た時に、愛する人に結局このようなことを思わせてしまう亜紀の行為を非難したことがあります。サクが生きているのか死んでいるのか分からない状態になってしまうのは、容易に想像がつくと思ったから。それは多分、私が女だということも大きく影響したかもしれません。(もちろん女性でも多様な感想があったと思います。)私はその時「殺されたのはサクの方だ。」と思ったのです。
しかし、もう一方では、亜紀にあそこまでのものを見せてもらいながら、そののち、逃げる様な人生を送ってしまったサクの方に幼さを感じると、お書きになった方もいました。男性でした。私はその文面を忘れることが出来ないでいます。

智世が言います。
「いつまでも下向いてないで・・・。
死んでまで亜紀を悲しませないで・・・。」

ハッとしました。
17年もの間苦しんでいたのはサクだけではなかったかも・・・。
振り返ればいつもそこにいることを気付いてもらえず、それでもサクを見守り続けることしか出来なかったはず。彼女は、サクが抜け殻になっているのをどんな心で見ていただろう・・・、亜紀。それを天国と呼ぶことなどは出来ない。
17年は、二人にとっての迷走の日々だったかもしれませんね。

clice様、いつも素晴らしい言葉の数々をありがとうございます。
別の方向から当てられた光が、また新たな感想をもたらしてくれます。
...2005/10/05(Wed) 09:40 ID:vmgYYAhk    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「亜紀、ほんとにこのまま真直ぐでいいの?」「と思うけどな・・?」
亜紀と智世は城山を降りてお昼ご飯を食べるのに、目指すお店を探す為、部活の先輩から描いてもらった地図を片手に、電車通りから伸びる商店街の中をきょろきょろしながら歩いていた。
「ねえ、そこってほんとに美味しいのかな?」「そうみたいよ、うちのお母さんも言ってた・・なんでも、昔からあるお店で、松山の女子高生なら知らない娘はいないんだって」
「そうなんだ・・楽しみだね」
通りをまたぐようにして真直ぐに伸びる商店街を抜けるとまた大きな通りに出た。
「智世、銀行・・じゃああの先だ」亜紀は地図に描かれた目印をやっと見つけた。
「えっ、どこどこ・・あっほんとだ、良かった・・もう、お腹ぺこぺこ」
二人は信号が変わるのも待ち遠しく駆け出すと、アーケードの途中の角を曲がり、その脇の石畳の路地にお目当ての看板を見つけた。
「あったー」二人は同時に叫び、そしてお互いの顔を見合すとくすっと笑いまた声を合わせた。
「せーの、鍋焼きうどん」

がらがらと音を立てるすりガラスの引き戸を開くと、店内の明るいざわめきとぷーんと香るお出汁のいい匂いが二人の前に広がった。
ちょうどお昼時の店内はお客でいっぱいで、先に席を待っていた同じ位の年頃の女の子達が開いた席に入れ違いに向かうと慣れた様子で注文をした。「みっつ下さい」
「ふーん、ああやって頼むんだ」「みたいだね・・智世、見て見て、ほらメニュー・・鍋焼きうどんといなり寿司しかないよ」「ほんと、シンプル・・」
壁に掛かるお品書きを感心した顔つきで眺めていると、窓際の家族連れが席を立った。
亜紀は素早く席に向かうと、先ほどの女の子達を真似て慣れた素振りで言ってみた。
「ふたつ下さい」

しばらくすると、お腹を空かせた亜紀と智世の前に小さなアルミの鍋が二つ置かれた。
蓋を開けるといりこの出汁の美味しそうな匂いが鼻をくすぐり、二人は「いただきます」もそこそこにうどんを口に運んだ。
「美味しい!・・」「智世・・探して来た甲斐があったね」亜紀は満足そうに微笑むと、また一口うどんをすすった。
「ねえ、亜紀はさ、子供の頃、風邪で学校休んだりした時、お母さんに鍋焼きうどん作ってもらったりした?」「うーん、あんまり記憶に無いかも・・・私、風邪で学校休んだことないんだよね」亜紀は首を傾げて考えた後、にっこり笑って答えた。
「嘘・・・」「ほんと・・」「亜紀ってなんでそんなに元気なんだろっていつも思うけど、まさか風邪ひいたこともないなんて・・・それって変だよ」
「変ってさ、人を化け物か何かみたいに言わないでよね、私だって風邪くらいひくわよ、ただ熱が出るようなひどいのにならないだけなの」
「ふーん、じゃあ鼻水とかは出るんだ・・」「・・・出るわよ」
「ぷっ・・」智世は思わず吹き出しそうになるのを手で押さえて必死でこらえた。
「智世・・」「・・あー苦しかった」
「もう、一体何?」「あのね・・亜紀が鼻水出してるの想像したら可笑しくて、つい・・ぷっ」「智世」亜紀は目を三角にして智世を見た。
「ごめんごめん、だってクラスの男子なんか亜紀のそんなとこ絶対に想像できないと思うよ、亜紀ってさ・・なんか隙がないって感じだし」そう言って智世はまたうどんに箸を伸ばした。
「それって、疲れるのよね」亜紀はぼそっと独り言のように言った。
「ん・・?何」「ううん、何でもない・・智世、食べてる時にそんなことばかり言ってると、鼻からうどん出ちゃうからね」
亜紀の一言が智世の脳裏の中で瞬時に映像化された。
「ぶっ」智世は耐えられず吹き出した。
「もう、だから言ったでしょ」「ゲホッ・・亜紀が変なこと言うからよ・・」

「亜紀、美味しかったね」智世はそう言ってかちゃりとお鍋の蓋を戻した。
「そうだね・・・ねえ、智世・・あのね・・」先に食べ終えてた亜紀は、何か言いたげに智世を見た。そしてそれは智世も同じだった。
「亜紀・・」「智世・・」
「おかわりしない?」二人は同時に切り出した。
そしてお互いに顔を見合わせるとくすっと笑い、やがてテーブルの上に二人の明るい笑い声が響いた。
「じゃあ、今度は私が注文するね」智世はそう言うとおばさんに向かって手を上げ、いつもの良く通る声で頼んだ。「すみません、ふたつ下さい」
テーブルの上に再び二つのアルミ鍋が置かれ、亜紀も智世も待ちきれずに蓋を開けた。
柔らかいけど腰のあるうどんに、お肉と細切りの油揚げ、そしてネギと卵焼きがのせられ、智世は添えられたアルミのレンゲで汁をすくいそっと口に運んだ。
どこか懐かしい母親の味がした。
「やっぱ美味しいね」「うん」そう頷く友の顔が湯気の向こうで笑っていた。
「亜紀、また来ようね」「うん、絶対」
そして智世はまたレンゲで一口飲みこんだ。
「美味しい」

「うん、美味しい」智世はそう言って一人頷くと、コンロのスイッチを切った。
そしてアルミの鍋をお盆に移すと、かつては自分の部屋だった子供部屋に運んだ。
「亜紀、お昼食べなさい」そう言って持ってきたお盆をベッドの脇に置くと、寝ている娘の額にそっと手をあてた。
「熱は下がったみたいね・・良かった・・、はい、亜紀の好きな鍋焼きうどん、熱いからフーフーして食べるのよ」そう言って娘を起こすと、智世は鍋からうどんを少しづつお茶碗に移し娘の口元に運んだ。
智世は娘の部屋をそっと見回した。
部屋の隅に置かれた勉強机は明るいパステルカラーのシステム机に変わり、お揃いのチェストの横には赤いランドセルが大事そうに置かれていた。
「お母さん、美味しい」亜紀の顔から笑顔がこぼれた。
「そう、美味しい・・お母さんもね、亜紀くらいの時、お熱出したらお婆ちゃんがよく作ってくれたのよ」「ほんと?」「ほんと・・」
「亜紀、お母さんの作ってくれるおうどんだーい好き」「そう?お母さんも亜紀のことだーい好き」そう言って智世は娘の額に自分の額をそっと寄せた。
くっつけた額を通してまだ少しだけ火照った娘の温もりが、智世に暖かな安らぎを感じさせた。
「良かった・・・ほんとに・・・亜紀・・・」

「どうだい、亜紀の具合は・・」茶の間に戻ると母親の育子が心配そうに声をかけた。
「あっ、お母さん・・そうね、まだ少し熱あるけどもう大丈夫よ」
「そう、良かったね・・あんたは小さい頃よく熱を出してたけど、あの子はそんなこと無かったから心配したよ」
「ほんとね・・でもただの風邪だから心配ないってそう先生も仰ってたし、それに、薬屋の娘が病気になってたらシャレにならないでしょ」「そりゃそうだね」
「大丈夫よ、あの子は強いから・・病気になんか負けないわよ、絶対・・」
「それはそうと、智世・・亜紀ちゃん待ってるだろ・・大丈夫だよ、あの子の面倒と店番はこのあたしがやっとくから」
「うん、ありがとう・・でも、あともう少し片付けものしてから出かけるわ」
その時、店の玄関のチャイムが鳴った。
「はーい、いらっしゃいませ」そう言って智世は慌しく店へ出ていった。
部屋の壁に掛かるカレンダーの今日の日付の上に、赤いペンで小さな丸が書いてあった。
24日・・・それは智世にとって月に一度、親友に会える大切な日だった。

続く
...2005/10/09(Sun) 14:02 ID:cEYUCGkQ    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
最近智世の出番が増えて、智世ファンの私としては今まで以上に読む楽しみが増えました(もちろん今までも楽しかったですよ)
亜紀と二人で松山城へ遊びに行った場面はまさに「青春」ですね。目の前で楽しげな智世と亜紀の姿が浮かぶようですよ。
(本編放送中でも智世の元気の良さが救いになってました。)
智世の娘・亜紀も登場して、私どもの作品の世界観ともつながってきましたね。

これからも素敵な物語を楽しませてください。
...2005/10/09(Sun) 21:34 ID:Lgq052M6    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
亜紀と智世の楽しそうな風景が目に浮かぶようです。ついでに、鍋焼きうどんの湯気も・・・。(笑)

智世は自分の娘に「亜紀」という名前を付けましたが、これは自分に厳しいことですよね。高校を卒業してからも、廣瀬亜紀のことを想い、彼女の分まで自分が精一杯生きて行こうと決意し、また娘には、亜紀のような女性になって欲しいという想いから命名したのだと思いますが、智世の生活の中で「亜紀」は切っても切り離せないものになりました。智世にもその覚悟というか、想いの強さが感じられます。

次に智世がどこへ行くのか・・・、楽しみです。
...2005/10/14(Fri) 10:47 ID:fgEqJOyg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
不二子さま

今日は
智世が娘に「亜紀」と名付けた経緯については私も同じように考えています。智世は卒業式の「代理出席」がきっかけで、これからも亜紀と一緒に生きていこうとの覚悟が固まったと思うのです。折りしも、この時期に朔太郎は宮浦から姿を消してしまい、17年間音信不通の状態でした。なので、智世が朔太郎に替わって廣瀬亜紀の「生き証人」となっていたと思います。亜紀の生きざまを娘に受継がせたい、そんな思いで同じ名前を命名したと思うのです。私は、智世が子供を授かったとき、夫・達明と一緒に「亜紀」の名前を娘にください、と廣瀬夫妻にお願いに行ったのではないか、そして、智世の想いを理解する廣瀬夫妻は感謝の気持ちを込めて快諾した、と想像しております。
...2005/10/14(Fri) 19:01 ID:j2qYQV86    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
SATO様

こんばんは、ありがとうございます。
そうですね。SATO様にそうやって細かく書いていただけると、廣瀬家の門の前に佇み、ゆっくりと二階を見上げている智世の姿が目に浮かぶようです。あの窓の奥に亜紀がいたと、彼女ならきっと思ったに違いありませんね。

以前、SATO様が『ファイト』の話をして下さっていて、私この夏に観たんですね。(残念ながら、最終回は観られませんでした・・)ちょうど、酒井法子さんが(役で)妊娠した頃です。ユイカさんは、一生懸命ジョンコの面倒をみていました。堅実な演技が光っていたと思います。
それで『ファイト』が終了する2週間前くらいに、NHKのお昼のトーク番組に本仮屋ユイカさんが出演されたのを、たまたま観ることが出来たんです。彼女、大変落ち着いたお嬢さんで、司会者の質問にも、適当に答えたりしないで、なるべく自分の感情に的確な言葉を選んで答えているのが分かりました。その様子が非常に誠実で、好感が持てました。
今後の活躍を期待したいですね。
...2005/10/14(Fri) 22:38 ID:fgEqJOyg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
明希は描いてもらった地図を片手に川沿いの道を通りに向かって歩いていた。
二人から聞いた衝撃的な事実が、明希の頭の中で整理できないまま重く心に圧し掛かっていた。
「明希さん、あいつはね・・あいつは何にも分かっちゃいなかったんだ、自分のしようとしてることがいったいどんな結果になるかなんて・・」
「病院に戻ってきた時には、亜紀ちゃんの身体はもう手の施せる状態ではなかったそうです」
「いっそ医者になんかならなければ、あいつはあんなに自分のこと責めずに済んだかもしれない・・・あいつはね、明希さん・・医者でありつづける以上、自分の犯した罪から逃れることはできないんですよ」
「あの子はね、ほんとうに亜紀ちゃんのことが好きだっただけなんですよ・・あたしが・・あたしがあの時、あの子のことちゃんと止めてさえいればこんなことには・・・ううっ・・・」
「あいつを救うことなんか誰にもできはしないんですよ・・・もし、それができるとすれば・・それはきっと亜紀ちゃんだけなんです・・・明希さん、それでもあなたはあいつの側にいることができますか?」
潤一郎の問い掛けに、明希にはその時返す言葉が見つからなかった。
ただ今まで自分が見ていた彼の笑顔の、その奥に隠された本当の意味を明希はやっと理解した。

銀行や郵便局の建ち並ぶ通り沿いに昔から営業する一軒の花屋があった。
池田久美はその家に嫁ぎ、それを機会にリフォームされた店舗は、レンガ張りの外観と大きなショウウインドウを持ち、その前に並べられた沢山のグリーンと色とりどりの鉢植えの花々が、歴史を感じさせる通りの中で一際明るく目立っていた。
そして久美自身は義母とお店を切り盛りする傍ら、町の公民館で主婦や若い女性にフラワーアレンジメントの教室を開き、店舗経営、講師、そして母親と忙しい毎日を送っていた。
「はい、岡村生花店です・・あっ、いつもどうもお世話になっています・・はい・・パーティー用のアレンジメント・・はい・・5時までに・・はい分かりました、毎度ありがとうございます」久美は受話器を置くと、今書いたメモを壁のボードにぺたりと貼りつけ、店内の在庫に目を通しながら組み合わせる花を頭の中でイメージしていった。
「久美さんも今のうちにお昼食べたら?」先に食事を終えた義母の孝子が声をかけた。
「はい・・あっ御母さん、今グランドホテルから急ぎの注文があったんですけど、ちょっとバラが厳しいかなって思って・・」
「そうね、今日はユリの種類があるからオリエンタルとカサブランカ、あとガーベラでどうかしら?」「そうですね・・ボリュームも出せるしそうしましょうか」そう言って久美は店内の一画に大きくガラスで区切られたフラワーキーパーを覗きながら、テーブル用などいくつかの組み合わせのイメージを固めた。
「今日は智世ちゃん遅いのね」孝子は午前中に用意していた花束がまだある事に気づいた。智世と久美は町の商工会の婦人部で偶然に再会して以来、反目した高校時代が嘘のように今ではすっかり仲良しになり、時々お互いの店を訪ねては雑談に花を咲かせ、義母の孝子も良く知っている間柄だった。
「ええ、なんか亜紀ちゃんが昨日から熱を出したらしくて、もういいらしいんだけど少し遅くなるってさっき・・」「そう、それは心配ね・・」「そうですね・・」
その時一人の女性客が店内に入ってきた。
「いらっしゃいませ」久美は明るく声をかけた。

明希は軽く会釈をすると店内に所狭しと置かれた色とりどりの花々に目をやり、大きなショウケースの中に収められた美しいバラやユリなどの花々に目を止めた。
「どういったものをお探しですか?」久美が声をかけた。
「あの、お墓参りなんですけど・・でもあまり地味じゃないような感じで・・」
「そうですね・・それでしたらユリにこの紫のトルコ桔梗とカスピアなんかの組み合わせなんかどうでしょうか?」久美はフラワーキーパーの扉を開けると、いくつかを組み合わせて明希に見せた。
凛とした純白のユリの花びらとトルコ桔梗の可愛い紫が、写真の中で笑っていた亜紀の姿とすっと重なった。
「では、それでお願いします」明希はそう返事をし、久美は残りを取り出すと丁寧にそれをらを花束にした。
「どうもありがとうございました」久美は代金を受け取ると明るく頭を下げ、明希もまた会釈をして店を出ていった。
「今のお客さん、初めてですね」「この町の人じゃない感じね」「そうですね、お墓参りって言ってましたから・・」
そして久美はふと何かに気づき智世に用意していた花束を見た。
「御母さん、私、今のお客さんに智世に用意したのとまったく同じのを作っちゃったみたいですよ」そう言って久美はくすっと笑った。
「あら、ほんとね」孝子もガラスケースの角に置かれた花束を見て同じように笑った。

地図を手に寺へ向かう道の途中でカンカンと響く警報機の音に明希は立ち止まった。
しばらくすると特急列車が明希の目の前を一陣の風とともに通り抜け、踏切が上がるとまた辺りに静寂が訪れた。
家並みの続く道を少し歩き、山に向かって路地を曲がるとかつては武家屋敷だったといわれる、立派な門構えの目指す禅海寺の前に出た。
その横にある小道を歩き、寺の裏手に繋がるようにして整備された墓地に出ると、沢山の墓石が町を見下ろすように立っていた。
そして明希は墓地の入口脇に設けられた水場で、そこに置かれた桶に水を汲むと、それを手にしてゆっくりとした足取りで墓地の石段を登り始めた。
急に感じる懐かしさにふと見上げると、木立の中の一本の金木犀が、その開花し始めたばかりの小さなオレンジ色の花弁から、甘い匂いを辺りに漂わせていた。
その匂いは明希に故郷の小道を思い出させた。健一と歩いた駅までの道だった。
そして石段を上り切り振り向くと、木立の向こう側に防波堤の赤い灯台と、その先に広がる青い海が見えていた。

明希は描いてもらった地図を手に、墓石の名前を一つずつ確認しながら歩いていくと、青い花柄のワンピースに白い薄手のカーデガンを羽織り、長い髪を後で束ねた女性が墓石の前で手を合わせていた。
その女性は明希に気がつくと軽く会釈をして、明希も同じようにして返した。
そしてその側まで来た時、そこに探す廣瀬の文字を見つけた。
それは今まさにその女性が手を合わせていた場所だった。
明希は花束と水桶を手にその場に立ち尽くした。まさか墓石の前で廣瀬家縁の人に会うなど明希には想像もしていなかった。
暫しの沈黙の後、明希は思い切ったように声をかけた。
「あの・・こちらは廣瀬亜紀さんの・・・」
するとその女性は振り向き、場所を譲るように立ち上がると、優しく微笑んで答えた。
「そうですよ、どうぞお参りされて下さい」
明希はその女性の姿に写真で見た廣瀬亜紀の面影を微かに感じた。
明希は突然出会った身内の人の前で緊張しながらも、花束を供えて線香をあげ、そして墓石を見上げると手を合わせた。
その短い時間の中で、明希にはかける言葉も見つからず、ただ心の中で祈る事しかできなかった。一人の男性に思いを寄せた二人の女性の対面は、17年の時の隔たりとともに静寂の中で過ぎていった。

明希が顔を上げ立ち上がると、女性は丁寧にお辞儀をして、そして明希に話しかけた。
「今日はどうもありがとうございました、あの・・廣瀬亜紀さんのお身内の方ですか?」
「いえ、違います、あの・・何と言っていいか、私の知り合いが亜紀さんの友達で・・・それで今日お参りに・・」明希は答えながら彼女の話し方に不思議な違和感を感じていた。
「あの・・失礼ですけど・・あなたは廣瀬さんのお身内の方では・・?」明希は恐る恐る聞いてみた。
「いえいえ、違います・・・実は私、亜紀さんには会ったことは無いんです。ほんとはどんな方だったのかも良く知らなくて・・」その女性は微笑みながら否定すると墓石をじっと見つめた。
「でも、今、こうして手を合わせていらっしゃったのは・・それは・・?」
「あの、もし間違ってたらごめんなさい、あなたのお友達っていうのは、もしかしたら松本朔太郎さんのことじゃありませんか?」また明希にとって想像もしなかった言葉が彼女の口から飛び出した。
「はい、そうです・・えっ、でも、なぜあなたがそれを・・・」
明希は最初、その女性を廣瀬家の身内の人だと思い込んでいた。しかしそれが会った事も無いという・・そしてなぜこの女性が自分のことを知っているのか・・明希は今、当惑していた。
「やっぱり・・たぶんそうだと思いました、あの・・良かったら下でお茶でもいかがですか?」そう言ってその女性はにっこり笑うと、明希が下げてきた水桶をさっと持ち上げ、今来たのとは反対側の方へ明希を誘って歩き出した。
明希は訳が分からず、その女性に誘われるまま石段を下り、寺の裏手へ続く古い墓地の脇の小道を、ただ後について歩いていった。

そしてちょうど同じ頃、明希と同じように花と水桶を手にした一人の中年の婦人が、金木犀の香りの漂う石段をゆっくりとした足取りで上っていた。
「いい匂いがするわね・・・亜紀ちゃん」綾子も咲きかけたその可愛らしい花弁を見つめると、そっと娘に話しかけた。
ずいぶんと高くなった空に白い雲がぽっかりと浮び、ゆっくりと流れるその雲間から明るい太陽が覗くと、磨き上げられた御影石の亜紀の墓石は、その光りを反射してキラキラと輝いた。
それはまるで、娘が満面の笑顔で自分を迎えてくれているんだと、綾子にはその時そう思えていた。

女性は寺の本堂の裏手を通り抜け、その隣の母屋の縁側へと明希を誘った。
広い庭によく手入れされた庭木が並び、まるでかつての庄屋か武家屋敷のような雰囲気の佇まいで、明希はその景色に圧倒されていた。
「古い建物でびっくりされたでしょう」
「素敵なお庭ですね、じゃああなたはお寺の・・・」
「さあ、どうぞ、お掛け下さい、今、お茶をお持ちしますね」そう言うと女性は奥に消えていった。
理由も分からずついてきた場所であったが、明希は不思議と居心地の良さを感じていた。
それはこの磨き上げられた縁側や太い柱、そして大きな梁と、古い日本家屋の持つ暖かさと懐かしさがそう感じさせていたが、先ほどの女性が、どこか自分と通ずるものがあるような、そんな気がしていたのも理由だった。
暫くすると、女性がお茶の用意をして再び現れた。そして注意深く縁側に座ると明希にお茶とお菓子を差し出した。
「どうぞ、お疲れでしょう・・あの、東京からお見えになられたんですよね」
「はい、あの・・私、小林と言います、小林明希です」
「明希・・さん、そうですか、あなたも明希さんと仰るんですね」
「あの・・あなたは・・?」
「ごめんなさい、私、うっかりして自分の名前言ってませんでしたね、あの、私・・」
「恵美・・恵美・・」その時裏から僧侶の姿をした男性が、名前を呼びながら現れた。
「恵美、お客さんか?」「そう、お友達」女性はそう笑顔で明希を紹介して、明希もその男性にぺこりと頭を下げた。
「そうか・・・こんにちは、ゆっくりしていって下さい」そう言って男性は明希に挨拶をすると、女性を手招きして奥に呼んだ。
「車のキーが無いんだけどさ、お前知らないか?」「いつものとこに掛けてない?」
「無いから聞いてるんだろ、恵美、お前、さっきお袋病院まで送ったよな、その後どうしたんだよ」「・・・あっ、ごめんなさい、あった」そう言って恵美はワンピースのポケットに手を入れると、皮のキーホルダーの付いた車のカギを取り出した。
「もう、かんべんしろよな」顕良はまたかというように自分の頭を撫でた。
「ごめんなさい、あなた」そう言って恵美はぺろっと舌を出して笑った。
「じゃあ、行って来るから」「はい、お勤めがんばってね」
「お前、身体注意しろよ、それでなくてもそそっかしいんだからさ」
「分かってます、いってらっしゃい」そう言ってばたばたと出ていく顕良に恵美は笑顔で手を振った。

「ごめんなさい、話の途中で・・あれ、何の話だったかしら?」恵美はぱたぱたと縁側戻ってくるとまた注意深く座った。
「あの・・名前・・」明希はすでに分かってしまっていたが、一応聞いてみた。
すると恵美も苦笑いをして答えた。
「なんか、もう分かっちゃいましたね・・恵美です、中川恵美、先ほどのが主人の顕良です、私ったらついうっかりが多くていつも叱られてるんですよ、今も車のキーポケットに入れっぱなしで・・」そう言って恵美はにっこり笑うと冷めかけたお茶に手を伸ばした。
明希は先ほどから名前意外にも気づいていたことがもう一つあった。
「あの・・恵美さん、あなた、もしかしたら赤ちゃんが・・?」
「分かっちゃいました?そうなんです、5ヶ月目・・」そう言って恵美はまたにっこり笑うと、自分のお腹に優しく手をあてた。

続く
...2005/10/16(Sun) 17:55 ID:Eo3TdiGE    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:Marc
「いえいえ、違います...」の言葉を読んだとき、ひょっとして恵美かな?
と思ったのですが、明希が逢った人は恵美なんですね。
とっても素敵なコラボですね。

これから始まってゆく物語を楽しみにしています。
...2005/10/16(Sun) 19:26 ID:bTe09mg.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
お疲れ様です。
お忙しい中での執筆活動に頭が下がります。
明希が宮浦にて17年前の出来事を少しずつ辿っています。とても切ないと同時に、どのような結論を出すのかが気がかりです。
そして、綾子と亜紀の会話・・・・・・。実際の声が聞こえなくても、感覚で心を通わすところがハッキリのイメージできました。今回の私の中でのベストシーンです。
次回以降も楽しみにお待ちしております。
...2005/10/16(Sun) 22:27 ID:e07B6Vb2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
執筆お疲れ様です。
小林明希の「朔太郎さがし」の旅ですが、自分も一緒に街中を歩いているような気持ちになりました。
明希が朔・亜紀ゆかりの人たちと出会い始めましたね。ボウズ・池田久美と出会い、綾子とはニアミス、そして、これから智世とも出会うのでしょうか?智世たち宮浦の「居残り組」は朔の17年間を明希の口から聴くのでしょうか?逆に明希は智世たちから朔がなぜ17年も戻らなかったのか、そのキッカケを聴くことになるのでしょうか?次回がとても楽しみです。

Marc さんと同じく、ああ、彼女がボウズの奥さん・・・と何か言いようのない感動に包まれました。他のストーりーの作者の皆様がボウズに恋人(ひとつは進行中で予断を許しませんが・・・)をアテガッテくださったのですが、こちらのストーりーでは奥さんが登場して嬉しいですね。
...2005/10/17(Mon) 00:30 ID:O2xyK/3I    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
clice様                      本当にお久し振りです。けんです。今まで読めなかった物語を一気に読ませていただきました。その中で、印象に残ったのは、綾ちゃんが、朔の後ろからほっぺに指を指すシーンで、朔が綾を見て驚くシーンはとても印象に残りました。たぶん私も朔の立場だったら、綾ちゃんにはかわいそうですが、同じ態度をとってしまうかもしれません。それだけ、朔は、亜紀の事が忘れられないのですね。今後、綾・朔・明希との関係、明希と幼なじみの健一の関係はいったいどうなるのかとても楽しみです。あと私個人としての興味としては、もし明希が亜紀に似ている綾にあったらどんな反応するのだろうとちょっと興味があるのですが・・・どうでしょうか?今後の展開をとても楽しみにしていますので、執筆活動頑張って下さい
...2005/10/17(Mon) 03:25 ID:J0jlepRM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
恵美さんは確か、たー坊様のところのボウズの恋人ですよね♪
たー坊様には、未だ感想を書かせて頂けるほど全編読めておらず(それは朔五郎様やSATO様のところも同じで・・・)、近くをうろつていながらご挨拶もままならず、大変失礼をしています。それでも、「恵美」という名前を見た時は、ピンときました。
ボウズとのほのぼの生活が連想され、彼女もまた柔らかい空気を持った女性かなと思いました。彼女の口から語られることが、明希の心を癒して行くのでしょうか。宮浦の町に来た彼女が、どんな心で東京に帰っていくのか楽しみです。
...2005/10/20(Thu) 13:52 ID:w8lwDAf.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:表参道
clice様 みなさん初めまして。
セカチューが大好きな31才です。
こちらのサイトはいつも楽しみに拝見させて頂いていました。
書き込みさせて頂くのは初めてなので宜しくお願いします。

ドラマも終了して一年くらいたつのにこんなにもセカチューを愛してる方がいっぱいいるなんて、もちろん映画や原作も含めて本当に素晴らしい作品だったんだなー、っと思います。

もう一つの結末はいつも感動させて頂き楽しく読ませて頂いてます。
最終的な結末はどうなるのかわかりませんが、今後の展開とても楽しみにしております。

お体にお気をつけてこれからも執筆活動頑張って下さい。
...2005/10/22(Sat) 14:14 ID:kUSdqLIs    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「亜紀ちゃん・・・元気にしてる?」

線香の微かな煙の漂う娘の墓前に綾子はそっと手を合わせた。
(お母さんはどうなの?)「元気よ」(お父さんは?)
「相変わらず忙しそうにしてるわ」(もうお父さんも若くないんだから、あんまり無理しないようにお母さんからも言ってよね)
「お父さんね、好きなのよ、仕事・・・自分が設計して建てたりリフォームしたりした家に、喜んで住んでくれる家族がいて、その人達の笑顔が見れることがお父さんの今の生きがいなの」(そっか・・そうだね)
「でも、最近は休みの日は必ず家にいるのよ、お父さん」(ふーん・・嬉しい?お母さん)
「そうね、じゃまじゃないわね・・」(なによそれ)
「いいってこと」(もう、娘の前でのろけ?)「そうよ」(ごちそうさまです)
「そうだ、ねえ亜紀ちゃん、従妹の真理子ちゃんのこと覚えてる?」(忘れる訳ないじゃない)
「亜紀お姉ちゃんって、あなたにぶらさがるように甘えてたあの子が、もう今ではすっかり素敵な大人の女性になって・・来月結婚するのよ」(ほんと?)
「ほんとよ、きっと似合うわ、ウエディングドレス・・・あなたのようなお嫁さんになることがずっとあの子の憧れだったのよ」(そうなんだ・・・幸せになって欲しいね)
「ええ、そうね・・・新婚旅行はオーストラリアですって、二人で決めてたそうよ」
(ウルルにも行くのかな?)
「どうかしら?・・でも、きっとそうじゃない?あの子、亜紀お姉ちゃんが見たかった世界で一番青い空を見に行くって言ってたもの」(うん)
「亜紀ちゃん、ずいぶん高くなったわね、空・・」そう言って綾子は空を見上げた。
すると、雲の切れたぬけるような青空のずっと高い所に、キラリと光る小さな銀色のシルエットが見えた。
その飛行機から絶え間無く吐き出される4本の筋は、やがて一筋の飛行機雲となってぐんぐんと西の方へ伸びていき、それを見ながら綾子は娘にそっと話しかけた。
「きれいね、亜紀ちゃん」(ほんとだね、お母さん)
綾子はその時、そう自分に答える娘の姿を感じていた。そして二人は顔を見合わせ微笑むと、伸びていく真っ白い雲のいく先を、仲良くいつまでも見つめた。

「目立たないって良く言われるんですけど」恵美はお腹を優しく撫でながら話した。
「なんとなくそうかなって思って・・私もね子供いるから分かるの、だって幸せそうだもの」母親になる幸せが、恵美のその柔らかい表情の中から溢れているように明希は思えていた。
「ねえ、恵美さん・・恵美さんはどっちが欲しいの?」
「彼は女の子が欲しいみたいだけど、私はどっちでも・・健康で生まれてくれればそれだけでいいです」恵美はそう言うとにっこり笑った。
「先ほどのご主人、優しそうな感じの男性ですね」明希は写真館で見た結婚写真の中にその面影を見ていた。
「ええ、とっても優しい人ですよ、彼、私に一目惚れだったんです」そう言って恵美は思い出したようにクスッと笑った。
「そうなの?ねえ、どんな出会いだったの?」恵美のその表情に明希は急に興味が沸いてきた。
「それが可笑しいんですよ、私もともとこっちじゃなくて、祖父の法事の為に両親と一緒にこの宮浦に来てたんです。そしてその法事の席にお経を上げに来たのが主人で、私のこと見るなりいきなり「付き合ってくれ」って・・親とか親戚とかいっぱいいる前でですよ・・私も最初何のことかさっぱり分からなくて、だって法事に行ってお坊さんに口説かれるなんて誰も思わないじゃないですか」
「ほんと、そうよね・・それでどうしたの?」明希も思わず笑いながら聞いた。
「それからは、毎日のように電話があって・・だって祖父の家、この寺の昔からの檀家だし、なんか無下に断れないでしょう・・でも話してるとそのうち楽しくなっきて、彼の優しさが伝わってくるようだったんです、あーこの男性いい人なんだって・・でそれからは時々デートするようになって・・彼、私の住んでた広島まで何時間もかけてやってきては、またフェリーに乗って帰っていくんですよ」
「すごいね、よっぽどあなたのことが好きになったのね」
「彼、とても必死でした・・私を笑わせようとつまらない冗談をいつも言ってて、私が笑うとすごく嬉しそうな顔をするんです、そんな彼を見てると私もなんか嬉しくなってきて、この人私のことがほんとに好きなんだってそう思えました。私、ちょうどその時、ずっと付き合ってた人と別れたばかりで、もう恋愛はこりごりって思ってたんだけど、彼の優しさとその必死な眼差しを見てると、この人なら信じられるって思ったんです」
「そう・・それでご主人と結婚を・・」明希にはその時恵美のことが羨ましく思えていた。
「でも一目惚れには一目惚れなりの理由がちゃんとあるんですよね」恵美はそう言って笑顔を作った。


「じゃあ、もう行かなきゃ、久美、いつもごめんね」智世はつい長くなりそうな立ち話を切り上げて、店の前に止めていた車に向かった。
「いいって、廣瀬によろしく言っといて、じゃあね」そう言って久美は車に乗り込む智世に笑顔で手を振り、智世も窓越しに手を振って答えると、注意深く後を確認して車をスタートさせた。
信号で止まりふと助手席に目をやると、そこに置かれた花束が、いつものように智世の心に友に会える嬉しさと、そしてそれと同じだけの切なさを感じさせていた。
信号が青になり交差点を曲がると、通い慣れた道を智世は寺へ向かって真直ぐに車を走らせた。

「智世ちゃん来てくれてたのね・・ねえ亜紀ちゃん、智世ちゃんと今日はどんな話をしたの?」
きれいに掃除がされて、花束が添えられ線香の煙る墓の様子に、綾子は娘の月命日を忘れずにいてくれる智世のことを心から嬉しく思っていた。
「亜紀ちゃんは本当に幸せね、智世ちゃんみたいないい友達と出会えて・・」

「亜紀、私達ってさ、なんか石段と縁が切れないよね」智世は、一緒に駆け上がった陸上部の練習を思い出し、独り言のように話しながらお墓の石段を上っていた。
「あっ、亜紀、いい匂いがするじゃない・・・もう秋だよね・・・・って今のは駄洒落じゃないからね、一応言っとくけど・・」そう空に向かって言うと、智世は金木犀の甘い香りを嗅ぎながら残りの石段を元気に駆け上がった。そして上りきるとお墓の前に綾子の姿が見えた。
「綾子おばさん」智世はいつもの大きな声で呼んだ。
「智世ちゃん・・?」綾子はその声に振り向くと、花束を手にした智世の姿を不思議そうな表情で見つめた。
「おばさん、こんにちは・・・ねえ、亜紀、おばさんも一緒だなんて良かったね」智世は綾子に挨拶をすると、友に向かって話しかけた。
「智世ちゃん、今来たの?」「ええ、ほんとはもっと早く来たかったんですけど、亜紀が昨日から熱を出して学校休んだりしたので、それで・・」
「亜紀ちゃんが・・大丈夫なの?智世ちゃん」「大丈夫です、ただの風邪ですって・・私もちょっと心配したんですけど・・」「そう・・それなら良かったわ、でも気をつけてあげないと、もしもってことがあるから・・」綾子は心配そうな顔で智世を見た。
「ええ・・・綾子おばさん、私も親になってみて、あの時のおばさんの気持ちが分かる気がします。さっきはちょっとって言いましたけど、ほんとは心配で心配ですぐに病院に連れていったんですよ、でも幸いたいしたことなくて、今は少しほっとしています」
「智世ちゃん、それが親よ」綾子は優しくそう言った。
「そうですね・・・あの子ったらいつまでも薄着で走りまわって・・元気なのはいいんですけど、言うことは聞かないし、強情っ張りで、ほんと誰かさんそっくり・・・ねえ亜紀、一応言っとくけど、あんたのことだからね」
そう言って智世は微笑むと、持ってきた花束を供えようとした。
「あれ?同じ・・・これ、おばさんが・・?」
「違うのよ、私はてっきり智世ちゃんだと思ってたの」
「だって、私は今来たとこだし・・・いったい誰だろう?」
「智世ちゃん、誰でもいいわ、私は今でも亜紀ちゃんのこと忘れないでくれる人がいるっていうだけで嬉しいの」
「そうですね・・・ねえ、亜紀、元気にしてる?」そう言って智世は友の墓前にそっと手を合わせた。

続く
...2005/10/23(Sun) 15:44 ID:OYeRwznc    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
にわかに登場人物が増えてきて、奇しくも女性ばっかりですね。しかも回想ではない亜紀(声)の登場場面が多くて、「亜紀ちゃん〜」って思いました。

恵美さんの話ぶりは心が和みます。きっと、明希も同様に穏やかな気持ちになったと思います。
この後、綾子さんと智世はどうなるでしょうね。

ここのところ朝晩がめっきり寒くなりましたので、どうぞお身体大切に、執筆頑張って下さい。


今日、亜紀の命日でしたね。
亜紀ちゃん安らかに・・・。合掌
...2005/10/24(Mon) 11:56 ID:Em3WqmhA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
私も別スレで智世と綾子の交流を描いたことがありますが、お互いの呼び方はやはり「智世ちゃん」「おばさん」がピッタリきますね。ドラマではこういったやり取りはなかったように思いますが。これもドラマでは描かれていませんが、智世はしょっちゅう廣瀬家に遊びに来ていたと思います。そして亜紀が亡くなったあとも真と綾子を何かと気遣ってきたと思うのです。廣瀬夫妻は娘の親友であり、屈託無く笑う智世からその後も前向きに生きていくパワーをもらっていたのかも知れませんね。
話はそれますが、池田久美と智世が仲良しになり、久美が亜紀のために特製のアレンジメントをしているのがとても嬉しく思いました。

※私どもが投稿している別スレの智世はもう40代半ばのオバサンですが、私個人的には谷田部先生と富子を足して2で割ったようなキャラかなーと想像しています。

そうそう、今日は廣瀬亜紀さんの命日ですね。不二子様に乗り遅れましたが・・・合掌
...2005/10/24(Mon) 22:23 ID:3./ga.xI    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
こんばんわ。今回の話、恵美はボウズの奥さんなんですよね。その出会いのお話とても興味深く読ませていただきました。恵美に対するボウズの行動・・一歩間違えればストウカーになるかもしれないけど、ボウズは好きになると一直線のタイプだと思うので、いかにもボウズらしいと思いました。
 また次回も楽しみにしていますので、執筆活動頑張って下さい。
...2005/10/25(Tue) 01:46 ID:CJJokmVU    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「そうだ・・明希さん、コーヒーはお好きですか?」恵美は急に思いついたように手を叩き、明希に笑顔で訊ねた。
「ええ・・あっ、でも恵美さん、そんなに気を使わないで」
「私の主人、コーヒーが大好きで、うちは豆から挽くんですよ、私も好きだからよく二人で飲むんです。美味しいんですよ、うちのは・・・、ぜひ明希さんに飲んでもらわなきゃ、ちょっと待ってて下さいね」恵美はそう言って立ち上がると、またぱたぱたと奥へ消えていった。
明希はそんな恵美の後姿を微笑ましく眺めると、今ここでこうしている自分がとても不思議に思えた。つい先ほどまで明希の心を覆っていた重苦しさは、今は嘘のように消えていた。
明希は手を組んで伸びをすると、大きく深呼吸をして爽やかな秋の空気をいっぱいに吸い込んだ。都会の喧騒から離れ、すっかりくつろいだ気分になった明希は、縁側に両手をついて足をぱたつかせながら、恵美の入れてくれるコーヒーを楽しみに待った。
そして庭先を横切る猫とにらめっこをしている時、明希の携帯が鳴った。
「はい・・そうです・・今日はちょっと・・その件でしたら月曜日にプランを先方に確認してもらい契約の予定になっていますけど・・えっ・・そうですか?・・分かりました・・はい・・はい・・お疲れ様です」明希は携帯をパタンと閉じるとふっと溜息をついた。
「お仕事ですか?」その声に振り向くと恵美がコーヒーのいい香りをさせて立っていた。
「ええ、なんかどこにいても仕事が追いかけてきちゃって・・・」
「大変そうですね・・明希さんはお仕事、何をされてるんですか?」恵美はそう話しながら、可愛らしい絵柄のついたカップに入れたてのコーヒーを注いだ。
「保険の営業を・・」「そうですか、お忙しいんですね・・・どうぞ」恵美はコーヒーのカップを明希の横にそっと差し出した。
カップを口に運ぶとコーヒーの甘い香りが明希の鼻をくすぐった。
「美味しい!・・ほんと、恵美さんの言う通り」
「・・でしょう」そう言って恵美はカップにそっと口をつけた。
「豆も結構こだわってるんですよ、よく二人で松山まで買いに行くんです。これはグァテマラ産の・・あれ、何て言ったっけ・・主人なら詳しいんだけど、あの人コーヒーの種類だったらお経よりすらすら言えるんですよ」
明希はそう言って幸せそうに微笑む恵美を見つめた。
そしてその穏やかな横顔が写真の中の亜紀の姿と一瞬重なって見えた。

「明希さん・・あの、先ほどお子さんがいらっしゃるってお話されてましたけど、おいくつですか?」「6歳・・男の子でね、一樹って言うの」
「可愛いいでしょう?」「そうね、子育てって大変なことのほうが多いけど、母親にならなければきっとそんな気持ち分からなかったかも知れないから・・恵美さん、あなたももうすぐね・・」「ええ・・」
「でもね、ほんとは「こらっ」とか「だめ」とか怒ってばっかなんだけど」明希はそう言って笑うと、またコーヒーを一口飲んだ。
「・・あの、ご主人は?」
「いないの・・シングルマザーってやつ」
「じゃあ、松本さんと・・?」「ううん、違うのよ、松本君とはほんと友達で・・・一樹の父親とはね、あの子が生まれる前に別れてたの、でもその後妊娠してる事が分かって、みんな産むのに反対したんだけど、松本君だけががんばれって応援してくれて・・その言葉が無かったら一樹に出会うことも、母親になる喜びも知らなかったと思うの、だから松本君には本当に感謝してるの・・その後もいろいろ助けてくれて、一樹も松本君を父親のように思ってる部分もあるけど・・・」
「好きなんですね、松本さんのこと・・」恵美の問い掛けに明希は小さく頷いた。
「恵美さん、あなたさっき一目惚れにも理由があるって言ってたけど、それって・・・」
「私、似てるみたいなんです、廣瀬・・亜紀さんに・・」

「明希さんは、主人のことご存知なんですよね」
「彼からは、友達のことなんかはほとんど聞いたことなかったの・・彼、聞き上手で、私もなんか自分のことばっか話して・・でも故郷や友達のことを話せなかった彼の気持ちは今は分かる気がするの・・・廣瀬亜紀さんのこともね、少し前までは知らなくて、今日、実はここに来る前に松本君のお家の写真館に寄って、ご両親に亜紀さんが亡くなる前に彼と撮った結婚写真を見せてもらったの・・そしてその中にご主人の姿も・・」
「主人と松本さんとは幼稚園からの幼馴染だったそうです」
「ええ、聞きました・・・ご主人も亜紀さんのことが好きだったって・・そして、このお寺に亜紀さんのお墓があるということを・・」
「主人が亜紀さんに最初に会ったのは中学3年生の時だそうです。その主人のクラスに転校してきた亜紀さんは、髪が長く美人で勉強もスポーツもできて、すぐにみんなから一目おかれる存在になったそうです。そして主人はそんな亜紀さんにずっと片思いをしていたらしいです。でも成績も常にトップクラスだった亜紀さんは、高校もきっと松山か今治の進学校を受けるもんだって主人は思ってたそうなんですけど、自分と同じこの宮浦の高校に行くって知った時は嬉しくて眠れなかったって・・」
「それはご主人から・・?」
「ええ、結婚する前に話してくれました、俺には昔好きな人がいたって・・でも、それは片思いで・・俺はお前以外には女を知らないからって・・・いくらお坊さんだからって禁欲のしすぎでしょって笑うと、彼、真面目な顔してた」
「じゃあ、あなたが亜紀さんに似てることも、その時・・?」
「いえ、でも結婚式の時の友達の話や、彼のアルバムの写真からなんとなく・・・私、そんなに似てるでしょうか・・」
「先ほど、お墓の前で恵美さんを見た時、どこか面影がある気がして、実は亜紀さんのお身内の人だと思ったの・・横顔が似てると思う・・といっても私も写真だけだから、ただの印象だけど・・」
「主人・・ずっと見ていたのかも知れませんね、手の届かない亜紀さんの横顔を・・ずっと・・・」その時、明希は恵美の横顔に微かな寂しさを感じた。

続く
...2005/10/27(Thu) 08:05 ID:52YoEJ1M    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
最新作を拝読しました。
明希と恵美、この二人の女性は手の届かないところにいる廣瀬亜紀の面影が朔とボウズの中にいると感じたのでしょうね。ちょっと二人の気持ちが切なかったです。
でも二人には明希は明希らしく、恵美は恵美らしく朔やボウズと接していってもらいたいです。
...2005/10/27(Thu) 20:32 ID:hEohGYw2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
お疲れ様です。
なかなかお邪魔できずに申し訳ありませんでした。
2話続けて拝読させていただきましたが、両作品とも素晴らしいと思います。
恵美と明希・・・それぞれ想う人が想う・・・。
その人物がすでにこの世にいないという事実に、さらに胸が締め付けられる思いです。
SATO様のおっしゃるとおり、自分らしさを大切にして寄り添って欲しいですね。
...2005/10/28(Fri) 23:32 ID:ve97YfNc    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
今回の明希と恵美の心情を、切ないと言わずに何と表現したらよいかと思います。
見えない亜紀の姿を背負いながら、朔太郎やボウズのことを想い続けるのはあまりに切ないですね。彼女達は、明希であり恵美なのだから・・、と考えていると、

「生きているものへの想いは、
 死者に勝っていくという、
 その残酷な事実に返せる言葉が、
 僕にはもう・・・ない。」


これを思い出しました。
サク、ボウズ。がんばれ。
...2005/10/30(Sun) 01:15 ID:5P1QEJ1Y    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
上げておきますね。
...2005/11/06(Sun) 15:06 ID:/ah7V9/U    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
再び上へ上げておきますね。
の〜んびりとお待ちしてます。
...2005/11/13(Sun) 13:54 ID:.rB5vZnw    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:祝1周年
風、こないね…。まあまあ、気楽に待とうよ。
...2005/11/18(Fri) 20:23 ID:RL49/ybc    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「ごめんなさい、いまさらこんな話明希さんにしても・・」
「いいの・・・本当は亜紀さんのことが知りたくて来たの、今日・・彼ね、忘れてないの・・今でもずっと彼の心の中にいる亜紀さんてどんな女性なんだろうって・・だから自分で確かめたかったの、そうしないと自分の心を誤魔化しそうで怖いの・・・でもちょっと後悔してるかな」明希はそう言って恵美に微笑んだ。
「分かります、その気持ち」
恵美には明希の気持ちが痛いほど分かる気がした。
そしてそれは交差する運命の不思議な巡り合わせでもあった。

「明希さんはずっと東京ですか?」
「ううん、実家は長野なの、長野っていっても北の方で、長野市から電車で30分くらいの小布施っていう町、千曲川が横を流れていて、りんごや栗畑のあるのんびりした田舎」
「いい所なんでしょうね」
「そうだね・・海はないけど、ちょっと似てる気もするかな、ここと・・・でも、冬はすっごく寒いんだよ・・東京にいると、そんなことも忘れてしまってたけど・・」
真っ赤な手袋を顔にあてて吐く白い息の向こう側・・・この町に来て思い出す故郷の記憶の中にいつも健一がいた。
「じゃあ、長野だったら明希さんもスキーします?」
「するよ、冬の子供達の遊びって言ったらそれだもん・・これでも男の子より上手かったのよ、私」
「私もするんですよ、スキー・・」明希の言葉に恵美は急に瞳を輝かせた。
「そうなの?」
「明希さん、広島県ってスキー場多いんですよ、子供の頃から冬になったら良く連れてってもらってたから、これでも結構得意なんです」そう言って恵美はにっこり笑った。
「なんか意外だね」「明希さんだって・・」
「私、子供の頃結構お転婆でね、近所の男の子達とよく鬼ごっことかして遊んでたの、実家の裏もちょうどここみたいに山になっててね、みんなで基地とか作って・・」明希は懐かしそうにくすっと笑った。
「柿の木から落ちた時の傷が今でもあるのよ」そう言って明希は右耳の前あたりの髪を掻き上げて見せた。
「ほら、ここ」「ほんとだ」恵美は生え際の少し上に小さな傷跡を見つけた。
「もうちょっと前だったらやばかったけどね」そう言って明希は笑い、恵美はそんなふうに飾らない明希に親しみを感じた。
「私も、夏休みに祖父の家に遊びに来るの楽しみだったな・・・宮浦は母方の里になるんです。母が青春を過ごして、そして嫁いでいったこの町に、娘が嫁いで戻ってくるなんてなんか不思議ですね」
「ほんとね・・・今度は恵美さんの子供が、この町で育って、学校に通い、そして誰かに恋をして・・・人の運命って、そうやって大きな弧を描くように繰り返すものかしらね」
明希は恵美にそう話しかけながら、自分がここで今こうしていることも、何か大きな運命の流れの中にいるような気がしていた。来るべきでは無かったと思う後悔と、自ら選んだ決心との狭間で、明希の心は大きく揺れていた。

「でも、ここってほんとにいい所ね・・・海も山も川もあって、亜紀さんもそんなこの町のこと好きだったのかな」
亜紀の墓から宮浦の町が見渡せた。
正面に小高い山とその手前に広がる町並み、そして港、左手の木立の向こうに広い学校のグラウンドが見えていた。
「この少し先に主人達が通った高校があるんですよ、亜紀さんのお墓からちょうどグラウンドが見えるんです」そう言って恵美は母屋の左手を指差した。
「そうなんだ・・・ほんとにいい場所にあるのね、亜紀さんもきっと喜んでるわね」
明希は娘の為にあの場所を選んだ両親の深い愛情を思った。
「亜紀さんは陸上部で短距離の選手だったそうです。あのグラウンドは亜紀さんにとって大切な思い出の場所なんですね・・・きっと主人、亜紀さんに見せてあげたかったんだと思います」
「えっ・・」
「主人なんです・・・あの場所にお墓が建てられるようにしたのは・・」

「主人は結婚してから、亜紀さんのことは私に一言も話しません・・きっとそれがあの人なりの優しさだって思うから、私も彼には何も聞きませんでした・・だから、この寺に亜紀さんのお墓があることも最初は知らなかったんです。でも、朝早く彼があのお墓の前で一人で手を合わせているのを偶然見かけて・・」
明希は恵美の表情の中にまた微かな寂しさを感じた。
「じゃあ、恵美さんはそのことを誰に・・?」
「義母に聞きました・・・私が尋ねると、最初は口篭もっていた義母ですが、息子のことを私にちゃんと知っていて欲しいって話してくれました。主人、もともとこの寺を継ぐ気はなかったそうなんです」
「ええ、それは松本君のお父様も言ってました、あいつこそ大学に行きたかったんじゃないかって」明希は潤一郎の言葉を思い出した。
「もちろん、義父は跡取り息子ですから何としても寺を継がせたいと思っていたそうですが、義母は息子が東京の大学に行きたいと思ってるのなら、そうさせてやりたいと思っていたって・・・彼、必死で勉強していたそうです。そしてそれが、亜紀さんが東京の大学を目指してることが理由だということも義母は薄々は気づいていたそうです」
「・・そう」
「でも亜紀さんは亡くなって・・・明希さんは、その日何があったのかご存知ですか?」
「うん、知ってる・・彼ね、苦しんでるの、今でも・・」
「そうですか・・・その当時、いろいろと噂になったそうです。松本さんが亜紀さんを無理やり連れ出して心中しようとしたとか、ひどい事を言う人も・・義母が言うには、主人はそんな話を聞くといつも怒って松本さんをかばっていたって・・でも、ほんとは主人が松本さんのこと一番責めたかったんじゃないでしょうか?」恵美はそう言って明希を見た。
「恵美さん・・」
「ごめんなさい・・私、松本さんのこと悪く言うつもりじゃ・・」
「いいのよ、私があなただったらやっぱりそう思うかもしれないね」
「明希さん・・」
「愛してるのね、ご主人のこと・・」
恵美はこくりと頷いた。
「主人がどうして寺を継ぐ気になったのか本当の理由は分かりません、ただ亜紀さんが亡くなったことが主人の気持ちを変えたことだけは確かなようです。実は亜紀さんのお墓のあるあの場所は、もともとは檀家さんの土地だったのをこの寺が譲り受け、今のように墓地として造成したものなんだそうです。そしてそれを義父に頼んだのが主人だって、義母が・・」
「亜紀さんのお墓の為に・・?」明希の言葉に恵美は小さく頷いた。
「主人は大学の試験にも合格していたそうなんですが、卒業式の前日、修行に行くのを条件に義父に手をついてそのことを頼んだそうです。その時のことは義母もよく憶えているって言ってました。寺の経営のことやなんかいろいろ持ち出しては必死だったって・・・彼、きっとその時はもうお坊さんになることを決めてたんだと思うけど、父親に対して一世一代の大芝居を打ったのかもしれませんね」そう言って恵美は寂しげに微笑んだ。
「ここ小さな町でしょう、寺の檀家でもない人がお墓を建てるのは難しいんです。ましてや故人の好きだった場所になんて・・主人、そのこと良く分かってるから、自分の人生と引き換えにしてその場所を用意したんですね、きっと・・・明希さん、人を好きになるって・・なんでこんなにも切ないんでしょうか」
明希は恵美の瞳に小さく光るものを見つけた。
明希には恵美にかける言葉が見つからなかった。ここにもまた届かない想いを抱いて生きる一人の男の人生があった。そしてその人を想うもう一つの人生・・・恵美はもう一人の自分だとその時明希は思った。
「でも主人、きっと後悔してないと思うんですよね・・遠くから見てるだけだった亜紀さんを、誰よりも側でずっと見守ってこれたんだから」
「そうかもしれないね・・・でも、今、ご主人が側にいて欲しいのは、恵美さん・・あなたよ」
「そうですね・・でも、彼は今でも私の中に亜紀さんを重ねていると思う・・・もしそれが私を愛してくれる理由だとしたら、やっぱりそんなの嫌なんです。だからさっきお墓で亜紀さんにお願いしてたんです、もう顕良さんを私に下さいって、そう・・・だって、私は生きているんだもの、彼の赤ちゃんを産むんだから、そうでしょう」
「うん、そうね・・恵美さん、そうよ・・産まなきゃ、元気な赤ちゃん、あなたとご主人の為にも、ねっ」明希はそう言うとにっこり微笑み、このたおやかな恵美の中にある凛とした芯の強さを感じていた。
「あーなんかすっきりした」恵美はそう言って両手を組んで伸びをすると、涼しげな笑顔に戻った。
「・・でも話せて少し楽になりました」
「そう?」「はい」
「ねえ、明希さん、松本さんてどんな男性なんですか?」
「どんなって・・」「じゃあ、どんなところが好きになったんです?」
「うーん、どこだろ・・」「もう、ずるいですよ、私ばっかり喋らせて・・ねえ、最初の出会いってどんなだったんですか?」「それはね・・・」

すっかり打ち解けた明希と恵美は、美味しいコーヒーのおかわりと縁側を包む柔らかな午後の陽光を楽しみながら、女同士の会話に花を咲かせた。
そして明希が何気なく時計に目をやると、時間は3時半を少し回っていた。
「もうこんな時間、私、そろそろ行かなきゃ」そう言って明希は縁側から腰を上げた。
「明希さん、今日はこれからどちらかに・・?」
「ううん、帰るの、6時の飛行機で」
「でも、今日来たんじゃ・・」「一樹が待ってるからね・・」
「そうですよね」恵美は残念そうに明希を見た。
「恵美さん、お母さんになるって大変よ、覚悟しとかなきゃ」
「はい」恵美は笑顔で答え、明希も微笑み小さく頷いた。

恵美は明希を見送る為に庭に出てきた。
「松山へは電車ですか?」「うん」「時間、大丈夫ですか?」
「4時11分のがあったから、それに乗れれば大丈夫」
「駅まで送れたらいいんだけど、車は主人が乗って行っちゃってるし・・」
「気にしないで、まだ時間あるし歩いても間に合うでしょ・・それに、海きれいだったし・・」「でしょう、私、大好きなんですよね、この海も町も・・」そう言って恵美はにっこり笑った。そしてその微笑みはまるで写真の中で笑っていた亜紀のようだと明希は思った。
「恵美さん・・私ね、今日ここに来て、そしてあなたに会えて本当に良かった・・元気な赤ちゃんを産んでね、そして幸せな家庭を作って・・あなたならできるわ、きっと・・」
「ありがとうございます・・・私こそお会いできて良かった・・・私、彼のこと大切にしていきます、そして彼が好きだった人のことも・・・明希さんも、ちゃんと受け止めてあげて下さい、松本さんのこと・・きっと明希さんのこと必要としてるって思います」
「うん・・ありがとう・・じゃあ、行くね」そう言って明希は門の方へ歩き出した。
その時、聞きなれた車の音がした。
「明希さん、ちょうど良かった、ちょっと待ってて下さい、今、主人帰って来たみたいです」恵美はそう言うと母屋の方へ小走りで駆けて行き、そしてすぐに戻ってくると、明希を連れて駐車場の方へ歩いていった。

「じゃあ、あなた、小林さんを駅までお願いね」
「ああ・・どうぞ、乗って下さい」法衣に袈裟を肩からかけた僧侶姿の顕良が明希に声をかけた。
「でも今お帰りになったばかりなのに悪いです・・あの、私、歩いて行きますから」
「遠慮しないで・・駅まですぐですから、さあ・・」
顕良はそう言うと車に乗り込み、敷地の中で車をUターンさせた。
「そうですよ、遠慮しないで下さい、でも、あの格好の隣は・・やっぱり引いちゃいますよね・・」
「・・・ちょっとね」明希はそう言って微笑むと恵美を見た。
「じゃあ、恵美さん、お元気で・・コーヒー美味しかった・・ご主人とお幸せにね」
「明希さんも・・・あの・・主人、松本さんに会いたいと思いますよ・・私も明希さんにまた会いたいし・・また、必ず来て下さいね」
「うん・・じゃあ」明希はそう言って頷くと恵美に手を振り車に乗り込んだ。
恵美も車の横に立ち、動き出す車の窓に向かってずっと手を振った。
そして出て行く車にそっと頭を下げた。
一期一会・・恵美の心にその言葉が静かに響いていた。

「すっかり長居しちゃったわね、智世ちゃん」綾子はシートベルトを締めながら運転席の智世に話しかけた。
「ほんと、天気も良くてピクニックみたいでしたね・・おばさんのクリームコロッケはいつ食べても美味しい、私、あんなに上手く作れないんですよね・・今度教えて下さい」
「お安いご用よ・・何なら今からでもいいわよ」
「今日はちょっと・・亜紀のことも心配だし・・今度、また亜紀連れて遊びに行きますね」智世は助手席の綾子にそう言うと、エンジンをかけて止めていた寺の横の空き地から車を出した。
「そうね、ぜひいらっしゃい、達明さんも一緒に・・あの人もビールの相手が欲しくてたまらないのよ」
「ええ、彼もうちの父よりおじさんと飲む方が話が合うみたい、ほら同じ技術屋でしょ、うちの旦那・・でも最近納期が押してるとかで泊まりも多いし、たまに早く帰って来たと思ったら、ビール飲んですぐ寝ちゃうし、もう私よりタンカーの方がいいのかって・・ねえ、おばさん、どう思います?」
「あらあら、困ったわね、ビールの相手が必要なのは智世ちゃんの方?」
二人がそんな話をしながら路地を抜け通りに出ようとした時、1台の白いセダンが前を横切って行った。
「あっ、ボウズの車」「中川君?」「あいつ、今日ちゃんと亜紀にお経上げてんのかな、金儲けに他所行ってたら承知しないから」智世は走り去る車を見ながら独り言のように呟くと、ウインカーを上げて反対方向へ左折して行った。

続く
...2005/11/20(Sun) 11:26 ID:gQyBq8jo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
「すみません、なんか甘えちゃったみたいで」
「あっ、いいんですよ、気にしないで下さい、小林・・さん・・でしたっけ、あいつとはどういう・・?」顕良は助手席に座る明希の横顔をちらちら気にしながら話しかけた。
「いや、あいつが家に友達を呼ぶなんて珍しいから・・・すみません、別に詮索するつもりじゃないんですけどね、なんか久しぶりにあいつの楽しそうな顔見たなって思って・・」
「恵美さんとは、ちょっと縁があって・・それで友達になったっていうか・・」明希は少し答えに困ったが、その通りに話した。ほんの短い時間だったが、今は恵美のことが誰よりも身近に感じられていた。
「そうですか・・ほらうち商売があんなでしょ、檀家さんのお相手も大変だし、もううるさい爺様や婆様ばっかりだから・・それに親父が今ちょっと入院してるんで・・いや、別に大したことないんですよ、本人はいたって元気で、もううるさいのがいなくてこっちはほっとしてるくらいなんですが・・」
「そうなんですか?」
「ええ・・まあそんなんで、お袋も昼は病院に付き添いに行ったりしてますから、あいつが家のことみんなやってくれてるんですよ、だから最近はどこにも連れてってやれなくて・・・ほら、あいつ実家が広島でしょ、こっちに友達もあまりいないんですよ、だから今日は嬉しかったんだと思います」
「コーヒーご馳走になりましたよ、とっても美味しかったです、グアテマラでしたっけ・・?よく二人で買いに行くんだって・・」
「サンタ・カタリーナでしょ?あいつのお気に入りなんですよ」
「詳しいそうですね、恵美さん言ってましたよ、お経よりスラスラ言えるって」
「そんなこともないけど、せめてウンチクでも言ってないと、あいつとおしゃれな店なんか入れないですからね」そう言って顕良は頭を撫でた。
明希はその話しぶりに顕良の優しい人柄を感じた。そして窓越しに流れる宮浦の風景をどこかほっとした思いで見つめた。

「あの・・・」
「ん、どうかしました?」
「いえ・・あの・・変なこと聞いてもいいですか?」「何をです?」
「ご主人はどうしてお坊さんになろうって思ったんです?」
「そりゃまた思いっきり変ですね」顕良はそう言ってからからと屈託なく笑った。
「あっ、ごめんなさい、失礼ですよね・・何言ってんだろ、私・・」
「いや、構いませんよ・・そうですね、まあ1番の理由は家が寺だったからですよね、でも・・もう一つの理由は・・・」顕良はそう言ったまましばらく黙り、そして徐に口を開いた。
「昔、高校生の頃、クラスに好きだった女の子がいましてね、その女の子に言われたんですよ、お坊さん似合ってると思うよって・・まあ好きな女の子にそう言われちゃね、一発渋いお経でも聞かせてやろうかな・・みたいな、まあ、それで人生決めたと言われりゃ馬鹿みたいなもんですけど・・でも、それもいいかなって思ったんですよ・・・おっと、これあいつには内緒ですよ・・あれで結構やきもち焼きだから」顕良は明希にそう念を押すとまた屈託無い笑顔を見せた。
「・・はい、秘密ですね、秘密」明希はくすっと笑いそう答え、そして顕良の横顔をそっと見つめた。その時、真直ぐに前を見つめる顕良の表情から、先ほどの笑顔はもういつしか消えていた。

二人を乗せた車は海沿いの道を軽やかに走り、程無く宮浦駅に着いた。
顕良はロータリーを回り、乗車待ちのタクシーの横を抜けると、駅舎の入口の前で車を止めた。
「わざわざ送って頂いてありがとうございました」明希は丁寧に礼を言うと、シートベルトを外し、ドアを開けた。
そして顕良も車を降りると明希に話しかけた。
「しかし、車を運転するのにこれほど似合わない格好もないですけどね・・小林さん、またコーヒー飲みに来てください、あいつも喜ぶと思います」
「ありがとうございます、あの・・さっき言い忘れてて・・おめでとうございます、聞きました、パパになるんですね」明希はそう言って頭を下げた。
「ええ・・まあこの格好でパパも変ですけど・・・ずっとできなかったんで、あいつ結構気にしてたんですよ、でも・・待ってればいいことあるもんですね」顕良は照れながらそう言うとまた頭に手をやった。
「恵美さんを大切にして下さいね、そして産まれてくる赤ちゃんも・・」それは明希の正直な願いだった。恵美に、そしてこの男性に・・幸せになってもらいたいと明希は心から思った。
「もちろんです、それじゃあ」顕良は笑顔で明希に頷くと、車に乗り込み駅のロータリーを出て行った。
明希は駅のホームから短い電話をかけると、携帯をぱたんと閉じて目の前に広がる海を見つめた。西に傾いた太陽の光が穏やかな海面に反射して白く輝いていた。

「あんた、明希さん、今から電車に乗るって」富子は受話器を置きながら潤一郎に話しかけた。
「良かったのかね・・何もかも話して・・・」
「隠してどうなる・・その為に来たんだろ?・・それに、いつかは分かることだ」
「そうだね・・・ねえ、あんた、鍋でもするかい?今晩・・」

「日本航空、東京行き、18:00発、1470便は只今からご搭乗をご案内致します。お客様は2階搭乗口A・・・」
到着待ちやチェックインカウンターに並ぶ人達で賑わう明るい空港のロビーに、搭乗案内のアナウンスが流れていた。
出発ロビーに続くエスカレーターの手前で明希はふと立ち止まった。
たった8時間前に見たこのロビーの風景が、今はまるで別の場所のように感じられた。
17年前、朔太郎と亜紀、幼い愛を胸に抱いて旅立とうとした二人の夢は、この場所で儚く破れた。二人があの階段の向こうに見ようとしたのはどんな夢だったのか・・・掛け替えの無い人の命が、自らの腕から滑り落ちた彼の悲しみと苦しみを思うと、明希は胸が締めつけられるような思いがした。
そして明希はもう一度ロビーに向き直ると、何かを思うように見つめ、またエスカレーターに向かって歩き出した。

キーンというエンジン音を響かせて明希を乗せた東京行きのボーイング767が、松山空港のタキシーウェイをゆっくりと海に向かって進んでいた。
夕焼けに照らされた工場や、水路脇に連なるように係留された小船が明希の瞳にぼんやりと映っていた。長かったような、あっという間に過ぎたような1日・・・移りゆく風景を眺めながら、明希は今日1日の出来事を思い出していた。
明希の隣、窓際の席では二十歳くらいの女性が、シートにもたれ窓の外をずっと見つめていた。
機内の乗客に目をやると、お喋りに興じるグループ、仕事の資料に目を通すビジネスマン、手を握り肩を寄せ合うカップル、そして一心に前を見つめる男性・・・皆それぞれの思いを胸に離陸までのわずかな時間を過ごしていた。
これからの旅に夢を膨らませる人や楽しかった旅の思い出を語らう人、家族や恋人のもとへ帰る人、悲しい旅になった人や家族の急な知らせに心急ぐ人もいるかもしれないと明希は思った。

「ジャパンエア、1470、ホールドショートオブ、ランウェイ、14、アライバル、ビフォー、ユアディパーチャー」管制塔よりコクピットへ到着機待ちの指示が出た。
「ホールドショートオブ、ランウェイ、14、ジャパンエア、1470」
交信を担当する副操縦士が素早く復唱し、1470便は滑走路の端でゆっくりとその向きを変えて停止した。

「きれいですね」窓を見つめていた女性が呟くように話した。
明希が窓を覗くと、大きなオレンジ色の太陽が周りの雲を赤く染めながら、静かに水平線に沈み始めていた。
「ほんとね」明希もその風景に見蕩れていると、その女性がにっこりとした表情で向き直った。
「なんか、徳しちゃった気分ですね・・お一人ですか?」
「ええ・・あなたはご旅行?」
「そうです・・傷心旅行っていうやつですか・・あはは」女性はそう言うと少し照れたように笑った。
「気がついたら乗ってたんですよね、飛行機・・・」
「そうなの・・・大学生?」
「はい、3年です・・そちらはお仕事か何かですか?それともやっぱり一人旅・・?」女性は明希の左手を見てから徐に尋ねた。
「どちらでもないかな・・ねえ、どうして松山に・・?」明希は微笑みながら尋ねた。
「1年生の時、サークルの旅行で来た事があるんです」
「もしかして、その時彼も一緒・・?」
「ええ・・ずっと片思いだったんです。でも、仲良かったし、彼も私のことが好きなのかな・・とか思ってたんですけど、いたんですよね・・彼、好きな人・・それで見事失恋」
「そう・・それで松山に・・」
「なんでだろ・・自分でもよく分かりません、たぶん、彼と初めて歩いた場所だったから・・・いろいろ行きました、彼と歩いた所・・お城にも登ったし・・でも、楽しい思い出はあったけど、そこにはやっぱり未来はありませんでした、だから、これでおしまい、明日からまた頑張ります」
「・・そう、そうよね・・頑張らなきゃね」明希は頷くように答えた。
「見て下さい、すごーい」女性はそう言うと窓の外を見つめた。
明希も覗くと、着陸灯を輝かせた飛行機が、夕焼けに染まる雲をバックにして、その姿をどんどん大きくさせながら近づいて来た。
そして巨大な2つのエンジンを下げた777が、見つめる二人の目の前を飛び抜けるようにして、その大きな翼をふわりと滑走路の上に下ろした。

「ジャパンエア、1470、タクシーイントゥー、ポジション、アンドホールド」
管制塔は到着機の着陸を確認すると、1470便へすかさず滑走路へ入って待機するよう指示を出した。
副操縦士が指示を復唱すると、機長はブレーキを解除しシップを滑走路上にゆっくりと進入させた。
「マツヤマタワー、ジャパンエア、1470、ナウレディー」
「ジャパンエア、1470、ウインド、170、ディグリーズ、アット、5、クリアードフォー、テイクオフ、ランウェイ、14」管制塔は170度の方向から5ノットの風が吹いていることを伝えると、1470便に離陸の許可を出した。
そして管制塔からのクリアランスを聞いた機長は親指を立ててOKのサインを出し、副操縦士は離陸を管制塔に告げた。
「じゃあ行きましょう」機長はそう言うと二人の席の中央にある、白いグリップの2本のスラストレバーをゆっくりと70%まで前進させ、薄茶色の計器パネル中央にある、上下2面のEICASディスプレイにさっと目をやった。
キーンというエンジン音が辺りに響き渡り、機長は回転数や排気温度など、そこに表示されるエンジンの状態を確認すると「スタビライズ」とコールし、スラストレバーを前に押し出した。
「セットパワー」オートスロットルが離陸状態にセットされ、エンジンの音が一気に高まると、機長は踏み込んでいたフットペダルのつま先を戻し、ブレーキの解除された機体は力強く滑走を開始した。
機長は左手で操縦桿を握り、右手はいつでも対処できるようにスラストレバーに添えたままで、副操縦士も左手をスラストレバーの下部に補助的に添えながら、目は速度計の表示を凝視していた。

山に向かって真直ぐに伸びる滑走路を機体はぐんぐんと加速し、滑走路上に残る黒いタイヤの跡がシールドの中で手前に流れるように視界から消えていった。
「80」「チェック」機速が80ノットに達すると、副操縦士はすかさず速度計の表示を読み上げ、機長もすぐに答えた。
機体は更に加速し、身体に感じる振動からそろそろ浮き始めることを本能的に察した機長は、スラストレバーに添えていた右手を離し、両手でしっかりと操縦桿を握った。
「V1」その直後に、副操縦士が離陸決心速度をコールした。
「VR、クリア」続いて機首引き起こしの速度を超えたことががコールされると、機長は押さえ気味にしていた操縦桿を両手で素早く手前に引いた。
次の瞬間、機首が浮き上がり、身体に感じていたゴツゴツした路面の感触とタイヤの回転音がフッと消えると、機体はふわりと滑走路を離れた。
「V2」「ポジティブクライム」副操縦士が安全に離陸が継続中であることを告げると、「ギヤアップ」機長は脚上げを指示し、キューン、バタンという前脚が引き込まれる音がコックピットの中に響いた。

明希は上昇する飛行機の窓越しに見える松山の風景をぼんやりと眺めた。
左手に見える海とそこに浮ぶいくつもの島々、そして海岸線のずっと先、霞むような山の稜線の向こう側に宮浦の町もあるはずだった。
明希の短かった旅は今終わろうとしていた。

「すみません、すっかり遅くなっちゃって」明希がばたばたと保育園の教室に駆け込むと、一樹は床に敷かれた毛布に包まりすやすやと眠っていた。
「小林さん、一樹君、さっきまでもう一人残っていたお友達と遊んでたんですけど、遊びつかれて眠ってしまって・・」保育士は明希にそう話すと、優しげな表情で眠る一樹を見た。
「ありがとうございました、先生にはほんとご迷惑をお掛けして・・これ、よろしかったら皆さんで・・」明希はそう言って頭を下げると、空港で買った松山銘菓の菓子袋を手渡した。そして一樹の横にしゃがみ、その寝顔をじっと見つめると優しくその髪を撫でた。
「一樹」明希はそっと声をかけた。
「一樹」「うーん、あっ、ママ」一樹は目を覚まし毛布から跳ね起きた。
「一樹、ごめんね、ママ遅くなっちゃった」
「いいよ、お仕事だもん、仕方ないよ」
「ごめんね、じゃあ、帰ろうか」
「うん」
明希は保育士に丁寧に礼を言って、保育園を後にした。
「一樹、お腹空いたね、何食べようか?」
「僕、ハンバーグ」「そっか、王子様は今日もハンバーグですか・・じゃあ、行こうか」
「うん」
そして明希は一樹の手を引いて、街灯の明かりの続く緩やかな坂道を、通りの方へゆっくりと下っていった。

続く
...2005/11/20(Sun) 11:29 ID:gQyBq8jo    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
お疲れ様です。
早速、拝読させていただきました。
恵美の「もう顕良さんを私に下さい」には、切なさで胸が締めつけられる思いです。まさしく名言ですね。私の物語でもそんな名言を作り出せたらと思っております。
次回も期待しております。
...2005/11/20(Sun) 21:30 ID:jVM2TK5.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:表参道
お疲れ様です。
お忙しい中の執筆ご苦労様です。
いつも楽しく拝読させていただいてます。
お体に気をつけて執筆頑張って下さい。
次回も楽しみにしております。
...2005/11/21(Mon) 01:15 ID:IuIQ3oj2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
clice様
ご無沙汰しておりました。
やっぱりここに来ると、ほっとします、私。

明希、恵美、智世、綾子、顕良、そして潤一郎と富子。
それぞれが、それぞれの場所で亜紀のことを想いながら過ごした時間。交差していく運命の中で、それぞれが浮べている表情が印象的でした。特に顕良と明希のシーンが。
この状況の中から明希は何をどう見つけて行くのでしょうか。本当に楽しみです。(お〜い、朔太郎く〜ん!)

では、益々寒くなる毎日ですが、どうぞお身体ご自愛なさって、執筆頑張って下さい。

P.S.〜先日、このスレッドも一周年を迎えられたんですね。おめでとうございます。継続の力ですね、凄いです。
...2005/11/22(Tue) 17:11 ID:WOEl1D0U    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
すっかりご無沙汰してしまいました、cliceです。
いつもこの文章を読んで頂いてありがとうございます。
区切りがついたら書こう書こうと思っていた皆様へのご返事も、明希の宮浦編がついつい長くなって、気がつけば8月以来3ヶ月もご無沙汰してしまい大変な失礼を致しました。
以前、宮浦を愛媛県にした理由をお話しましたが、一番の理由はこの明希の宮浦訪問の為でした。
それにより明希の辿る軌跡をその風景と合わせて、自分の中ではっきりとイメージすることができましたので、助かりもしたし楽しんで書くことができました。
今はもう自分の頭の中では、大西町の部分に松崎の風景がすっぽりはまって、まるでそこにあるような感じがしています。
明希の使った飛行機や電車の時刻表は実際のもので、宮浦駅の電車の時間は大西駅のものです。明希は羽田に着いてから大慌てで保育園に駆け込んだことでしょうし、寺へ向かう途中の踏切で明希の前を通り過ぎた特急電車も、岡山から松山に向かう「しおかぜ9号」です。たった8時間程の愛媛滞在ですが、明希の時間の経過を自分なりに確認しながら書いていました。
それともう一つは本編の重要なキーワードでもあった空港を書いてみたいと思いました。
明希が宮浦で知った朔太郎と亜紀の悲しくも残酷な出来事・・出発ロビーに向かう明希の瞳にはその時の二人の姿が見えていたのかもしれないと、そんなことを思いながら書きました。
楽しかったのは、やはり元気な亜紀を書いていた時でしょうか、智世の前で見せる少しだけ天然な素顔は、綾と共通する自分にとっての亜紀のイメージです。智世が写真館で亜紀の思い出を語る部分は今まで書いてきた中でも好きな文章になりました。

不二子様、たー坊様、SATO様、くにさん様、Marc様、けん様、表参道様、そして祝1周年と送って頂いた方、皆様本当にありがとうございました。
たー坊様には恵美のキャラクターをお借りしてしまいました。もちろん設定は違いますが大切に書いたつもりです、ありがとうございました。
不二子様にはいつも長文の感想を頂き、とても励みになります。できればもっと長文で・・とつい贅沢なことを考えてしまいます。
SATO様、私の話の中で、智世はちゃんと智世になってるでしょうか?
くにさん様、時々頂く感想がとても嬉しいです。女性の方の目から見た時、ちゃんとしてるかなといつも思いますが、どうでしょうか?
Marc様、けん様、いつもすぐにご返事できなくて本当にすみません。
表参道様、このネームは偶然かもしれませんが、原宿の風景を書いた後でしたので本当に嬉しく思いました。
そして祝1周年様、ありがとうございます。気がつけば本当に1年経ってしまいました。
明希が東京に戻り、これから最後の章に入ります。
今のペースだとまた結構かかりそうな気がしますが、最後までお読み頂ければ嬉しいです。

追記
私事ですが、cliceという名前は我が家の猫の名前です。
我が家に来て、もうかれこれ20年近くなります。
美人で聡明な雌のアメリカンショートヘアーでした。
その彼女が昨日逝きました。
文章を書くのはいつも早朝なので、そのリズムができた時から彼女の爪が目覚ましの代わりでした。だから彼女の協力が無ければここまで書けてない気がします。
まあ、もっとも本人は一目散に食器の前に座るんですが・・・。
病気をする事も無く、動けなくなったのはほんの1日前で、眠るような最後でした。
今もダイニングから廊下に続く扉が少し開いたままになっています。
いつでも通れるように閉めることのない扉でした。
もうその必要もないのですが、つい開けたままにするんですね。
家のそこら中に、当たり前のように落ちていた毛もそのうちに無くなって、いつかどこかで何気なく見つけると、きっとその時に実感するのかも知れません。
彼女が確かにこの場所にいたんだなと・・・。
ネームの由来は、書き終えた時にでもと思っていましたが、ちょっとだけ早くなりました。
...2005/11/29(Tue) 08:23 ID:xtiW1LvY    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:ぶんじゃく

初めまして、いつも作品を楽しく読ませていただいています。

「確かに彼女ががこの場所にいたんだな・・。」
っとそう思うことが彼女にたいしての一番の供養に
なるのかもしれませんね。

ネームの由来、読者の中には
きになっていた人もいたと思います、そんな読者には
彼女からのちょっと早めのクリスマスプレゼントに
なったのではないでしょうか。聡明な彼女の物語に聡明な彼女からの。

これからもマイペースで書き続けて下さいね。
...2005/11/30(Wed) 01:33 ID:tNmATX4. <URL>   

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:表参道
clice様

丁寧なご返事ありがとうございます。

私の名前が偶然にも共通点があった事とても嬉しく思います。

楽しく拝見していた物語も最終章に入ると思うと楽しみでもあり、やはり寂しくもあるものですね。

「もう一つの結末(再会編)」は拝見してますと、とても自然に違和感なくドラマの続編に思えてきます。
ドラマが大好きでドラマが終了した事をとても寂しく思っていた私には一服の清涼剤のような感じです。

執筆活動はとても大変だと思いますがお体にお気をつけてマイペースで頑張って下さい。

ネームの由来ありがとうございます。
「もう一つの結末・・・」とは別の、少し切ない、悲しいけど、とても猫のcliceチャンを愛されていた
事が伝わってくるお話でした。

これからも楽しみにしています!!
...2005/11/30(Wed) 01:56 ID:ce9njQS2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
clice様
そうでしたか。
お話を伺い、「clice」様とは、貴方と彼女のことを指すと、実際そうなのだと思うことが出来ました。物語の構想を練っておられる「clice」様と、側で見守っている「clice」ちゃん。
彼女もまた、この物語を私達に読ませてくれた存在だったと分かりました。
ありがとうございます。

いつもと少しづつ変わっていく毎日が、彼女がいないことを実感させるのだとしても、clice様がこの名前を使われたことで、私達は彼女がいたことを知ることが出来ましたし、それはきっと継続して行くんですよね。私達も「いたこと」を想うと、思います。

今日から12月ですね。
『もう一つの結末』は最終章にいよいよ入るみたいですが、どうぞお身体に気をつけて、ご自身のペースでお書きになられて下さい。ご無理のないように。
それでは、失礼いたします。
...2005/12/01(Thu) 23:05 ID:6CKyfnHE    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:kunisan
clice様 いつも娘と新規掲載される日は、いつかと心待ちにしております。そうですか。最終章に入っていくのですね。
テレビドラマが終了し、家族からはいい大人がいつまで、ドラマに浸っているのかと非難の目で見られておりましたが、この再開編を拝見すると、より一層「世界の中心で愛をさけぶ」にのめりこんで行く自分が分かります。でも、娘とはどきどきしながら、プリントした再開編を一冊の本にし、何回も読ませていただいております。
最終章、綾さんのこと、明希さんとの関係、わくわく、どきどきしながらお待ちしたいと思っております。 
12月に入り、急に冷え込んできておりますが、お体ご自愛の上、執筆活動をお続けください。
最後に愛するネコさんにご冥福を祈ります。
...2005/12/02(Fri) 10:50 ID:UPgyIbpk    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
ぶんじゃく様、表参道様、そして不二子様、kunisan様、丁寧なご返事を頂き本当にありがとうございました。
この文章を書き始めて1年、その間私自身にもいろいろな変化がありました。
人が1年暮らせばいろんな事があるのが普通でしょうが、書いた文章を読み返すと、まるで日記のようにその時のことを思い出します。
何かを失うことは、何かを得る事だ・・という亜紀の言葉はそのまま自分自身への問い掛けでもありました。
私がこの時間で得たものがあるとすれば、それは皆様にお会いできたこと・・。
もちろん、どんなものにも別れはあって・・でも、出会わなければ何も始まらず、平凡に思えるような時間さえもが輝きを放つ・・そんな思いを感じることもできません。
出会いが偶然なのかどうなのかは分かりませんが、それを選ぶことは運命だと思える気がします。そして「再会」もそんなことを思いながら書いています。
cliceを乗せて別れの場所へ向かう途中、終わりかけた紅葉が美しい森を抜けました。前を走る車が舞い上げる落ち葉が、まるでトンネルのように車を包み、その風景を眺めながら思い出しました。
両の掌に乗るくらいの小さな彼女がやって来た日のことと、それから始まった平凡な時間を・・。
...2005/12/04(Sun) 11:43 ID:yIcjrJfA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
お疲れ様です。
”恵美”の名前が登場した時には驚きました。もっとも、それに対しては、必要以上に感情を入れるわけでもなく、”もう一人”あるいは、”同じ名前の全くの別人”という目線で読ませていただいてます。最近の私の方の”恵美”は、亜紀の感化されて、大和撫子から少しづつ遠ざかりつつあります(笑)それとの比較という見方もしておりますので、楽しめております。

最後に、愛猫が旅立たれたとのこと、ご心中お察し申し上げます。ご本人は、さぞ幸せな一生だったことでしょう。ご冥福をお祈りします。
...2005/12/05(Mon) 00:12 ID:3NRchgM6    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:双子のパパさん
 はじめまして。作品読ませていただきました。

 clice様の物語は本当にドラマの続編みたいで、残された人々の描写がとても切なくて涙、涙で読まさせていただきました。
 朔、綾、明希をはじめ登場人物が多く執筆されることは、さぞ、大変だったと思っております。これからの展開が、とても楽しみですが、最終章に入ってしまうということで淋しい気もいたします。
 これからも楽しみにさせていただいておりますので、どうぞマイペースで執筆活動がんばってください。
 愛猫様のご冥福をお祈りいたします。
  
...2005/12/09(Fri) 11:23 ID:fHR7q9co    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
お疲れ様です。
上げておきますね。
...2005/12/18(Sun) 12:42 ID:3CCZSLOA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:けん
ご無沙汰しています。けんです。仕事が忙しいせいかなかなかこのサイトにこれなかったのですが、久しぶりに読ませていただきました。明希と恵美との心情が見事に描かれていてとてもリアルに想像できました。次から最終章みたいですが、もう終ってしますのは、少々寂しいですが、これからの展開とても楽しみにしていますので、体に気をつけて執筆活動頑張ってください。
...2005/12/26(Mon) 03:47 ID:Y7EoRY5g    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:SATO
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

マイペースで続きの構想を練ってくださいね。楽しみにしています。
...2006/01/06(Fri) 23:46 ID:ETGG3sx2    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
昨年は作品がUPされるのを心待ちにしておりました。それは今年も変わりません。
次回も期待しております。
...2006/01/14(Sat) 10:35 ID:6UjPSku6    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:表参道
明けましておめでとうございます。
今年も「もう一つの結末(再会編)」楽しみにしております。

お体にお気をつけて執筆頑張って下さい。
...2006/01/14(Sat) 16:43 ID:Uy.A.MM6    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:すいません
早く続きを読みたいです。
...2006/02/11(Sat) 13:06 ID:JKr4e6C.    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:ファンです
cliceさんのストーリーが一番好きです。
続きを早く読みたいな〜

期待あげ
...2006/02/22(Wed) 01:44 ID:lU6So2qM    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:たー坊
ご無沙汰しております。
あげますね。
...2006/02/25(Sat) 19:45 ID:PcTGUBxU    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:航空?ファンです!
私も早く読みたい!読みたい!そろそろ限界!??
...2006/03/03(Fri) 22:07 ID:8qYhRZEg    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:ふうたろう
cliceさん、こんにちは。遅れてやってきたファンのふうたろうです。

 ドラマ視聴後、この物語を読ませていただき、「そうだったのか!」とか「そうなるんだ!」と思うようなことが随所に描かれて、違和感なくその後の物語として、楽しませていただいております。

 なんといっても衝撃的だったのは、列車の中での亜紀の「待っていて」の言葉に「約束」した朔太郎の場面です。
 私は、ドラマ版の第3話がとても好きなのですが、この中では「約束」がキーワードになっていたように思います。謙太郎との「約束」は「自転車に乗せること」、そしてその後の「散骨」へとつながっていきました。ドラマ版での「反復の構図」が、この掲示板内でもよく論じられていますが、そうであれば、謙太郎の次に朔太郎と亜紀との「約束」がきっとあるはず、そう思っていました。しかし、ウルルに二人で行こうという「約束」は結局、実現できませんでしたし、亜紀の骨の散骨は、二人の間での「約束」ではなかったはずです。そしたら、この二人は何を「約束」し、そして朔太郎は亜紀亡き後の17年間を生きてきたのだろう、それが、ドラマ視聴後の私の大いなる疑問でした。その疑問を抱えながら、「もう一つの結末」の朔太郎と亜紀の「約束」の場面を読み、つかえていた物が取れた気分でした。

 これからの朔太郎と綾の関係は?そして、明希との関係は?とてもとても気になるところです。そして朔太郎は亜紀との「約束」を最終的にどういう形で決着させるのか、これからの展開を楽しみにしております。
...2006/03/04(Sat) 05:55 ID:kyasibyE    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
落ち着いた色合いの椅子にもたれ、ゆっくりと本のページをめくりながら思い思いの時を過ごす人々の横を、明希は棚に書かれた案内板のジャンルに一つ一つ目をやりながら歩いていた。

今という時代を切り取ったかのようなベストセラーの広告が、一際大きく目に飛び込んでくるガラス張りのショウウィンドウを通り抜けると、何かを求めて行き交う人々と、何かを探して立ち止まる人々が、静かな喧騒の中で同じ時を過ごし、所狭しと並べられた新刊書籍の表紙に色鮮やかに巻かれた帯は、読者の好奇心を誘うべく知恵を絞る編集者達の静かな戦いの場でもあった。
華やかな女優達が競うように表紙を飾る女性雑誌のコーナーの前では、若い女性達がまるで人垣のようにその周りを取り囲みながら、次々と手に取った雑誌のページをめくっていた。
最新のコスメやファッションの記事を熱心に読み耽る彼女達の姿に明希はちらりと横目をやると、そのままその脇を通り抜けて、中央のエスカレーターの手すりにつかまりながら上の階へ向かった。

「それは・・・朔太郎が・・・亜紀さんを殺したのが自分だと、今も思っているからですよ」
松本君が亜紀さんを殺した・・?、東京に戻ってからも潤一郎から聞かされた衝撃的な言葉が明希の頭から一時も離れず、明希の中でそのことに対する疑念が次第に大きくなっていった。
医学書と書かれた棚の中ほどで、明希は探していたものを見つけるとその一冊を手に取った。そしてそこから更に何冊かを取り出すと、壁際の空いたテーブル席に座りゆっくりとそのページを開いた。
できるだけ分かりやすいものを選んだつもりでも、そこに書かれた症状や治療法の言葉の多くは明希にとって意味不明なものばかりで、ページをめくりながら必死に理解できる文章を探した。

松本君は白血病の進行で余命幾ばくも無くなった亜紀さんの最後の願いを叶える為に、彼女の望んだオーストラリアに一緒に旅立とうとした。高校生だった彼がそのことを決断するまでに一体どれくらい悩んだのだろう?
「松本さんが亜紀さんを無理やり連れ出して心中しようとしたとか、ひどい事を言う人も・・」恵美の言葉も明希の心に小さく引っかかっていた。
心中・・?まさか・・・夢を叶えて、そしてきっと戻ってくるつもりだったはず・・・だって、たった一人だけ一樹を産めと言ってくれた人・・誰よりも命の大切さを分かっている人だもの・・。
しかし、そんな心ない人の噂は彼を傷つけ、結局17年もの間彼を故郷から遠ざける理由の一つになったのだろうと思う。
あの日病室を抜け出して無理をした亜紀さんは、空港で倒れ翌日病院のベッドで息を引き取った。松本君は亜紀さんを必死にいたわっただろう、でもそれが彼女の命の限界だったんじゃないだろうか・・?亜紀さんは白血病で亡くなった、そのことには間違いがないはず・・それならなぜ?・・どうして殺したって思うの?・・・最後の日を彼と一緒に過ごせた亜紀さんは幸せだったんじゃないの?
しかし、彼は死のうとまでした・・17年経っても尚、一体何がそこまで彼を苦しめるのだろう・・・。

化学療法、骨髄移植、無菌室・・・聞き覚えのある言葉がページをめくるごとに現れた。
「あいつの専門は血液内科だから白血病の治療が仕事なんだよ」
「無菌治療病棟って言って白血病なんかのガン治療の化学療法で、免疫が著しく低下した患者が菌に侵されないようにそれを防いで治療する場所なんだ」
あの日、病院に朔太郎を訪ねた時聞いた言葉を明希は思い出した。
『抗がん剤の副作用』・・明希は何冊目かの本に抗がん剤の治療法についての分かりやすい記述を見つけた。そして読み進めていくと副作用について書かれた最初の項目に目が止まった。
『骨髄抑制』突然の出血で死に至る場合もある・・?
『酸素を運んだり病原体を攻撃するなどの役割を担っているのが、血液中の白血球、赤血球、血小板などの血球成分・・・細胞の増殖を抑制する抗がん剤は・・・正常細胞の中でも特に細胞分裂がさかんな骨髄中の造血幹細胞に影響を与えやすい・・・新しい血球を作り出せなくなる状態のことを骨髄抑制と・・・骨髄抑制が起こるとまず血球が減少・・・好中球の減少は・・・細菌、真菌、ウイルスへの感染・・・重篤な合併症を引き起こし・・・敗血症や肺炎を疑わせる発熱があれば・・・数時間以内の対応が必要・・・血小板の減少・・・出血しても血が止まらない・・・脳内出血や消化管からの出血は白血病患者にとって死因の主な・・・場合によっては些細な衝撃でも深刻な事態を引き起こす場合が・・・手術での対処ができない・・・患者本人だけではなく、看護する側にも厳重な注意が必要・・・』
骨髄抑制?・・・亜紀さんも当然抗がん剤の治療を受けていた・・・・そんな亜紀さんがもしころんだりしたら・・・もし、雨にでも濡れて風邪をひいたら・・・死因・・・亜紀さんの死因・・・?
「いっそ医者になんかならなければ、あいつはあんなに自分のこと責めずに済んだかもしれない」それがどんな意味なのかお父様はそれ以上は話して下さらなかった。
「亜紀がもしもう少し生きていれたら・・もしも骨髄移植を受けることができたら・・亜紀は助かったかもしれない」
朔太郎がそう話した時の自らを責めるような表情が明希には強く印象に残っていた。
当時、高校生だった彼がこんなこと知り得るはずがない・・・そんな・・・そんなことって・・・呆然とした明希の手をすり抜け、本は独りでにぱたんと閉じた。

「綾ちゃん、今日お父さんお母さん来るのね」森下は綾から体温計を受けとりながら、微笑んだ。
「うん、夕方先生から説明があるって」
「いよいよお引越しかな?」
「そうなのかな」綾は少し不安そうな面持ちで呟いた。
「どうしたの?嬉しくないの?」
「そうじゃないけど・・・」綾はそう言って百合子のいないベッドを見た。

続く


この3ヶ月の間、多くの方が私の文章を楽しみにしてくれて書き込みをして頂いたにもかかわらず、ご返事もできなくてすみませんでした。
仕事に忙殺され何か書かなきゃと思いつつも、書けないまま時間だけが過ぎていきました。
でも、ようやく最近少しだけ余裕らしきものが見えてきましたので、また続きを書いていければと思います。
お声をかけて頂いた皆様、ありがとうございました。
...2006/03/04(Sat) 11:57 ID:yIcjrJfA    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:表参道
clice様

ご無沙汰しております。

表参道です。

お仕事でお忙しい中の執筆有難うございます。

あまりお体無理なさらずに執筆頑張って下さい。

今回もとても楽しく拝見しました。

綾と朔太郎と明希これからどうなるんでしょう。

とても楽しみです。

次回もお待ちしてます!!
...2006/03/04(Sat) 14:26 ID:fkLgv1Oc    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:不二子
clice様

大変ご無沙汰しておりました。
年末より、『白夜行』の話題でもちきりになり、現在放送期間中ですが予想通り、観れば観るほど重苦しい気持ちになります。でもそれが、楽しい、といった感じです。
『世界の中心で、愛をさけぶ』を引き継ぐこちらの物語には、あまりにも世界が違うので、はるかちゃんの雪穂が終了するまで、筆を休めていらっしゃるかな〜、って思っていました。お正月もありましたし、多忙を極めていらしたんですね。これからも、無理なさらずにご自身のペースでお書きになって下さい。私は必ず、読んでいます。

clice様の物語でいつも思うのは、取材を大変細かくしていらっしゃるということです。今回も、おそらく医学書を何冊も比較してお書きになってるんだろうな、と想像いたします。
明希の記憶は、宮浦からまだ戻って来ていませんね。
綾もまた、病室に気持ちが残っています。
何かが動きはじめるまで、あと一歩。あと少し。誰か一人が少し動けば、皆が動く。
今そういう状態ですね。だから、やっぱり朔太郎には頑張ってもらはなくては。


話は変わるんですが、スレッドが一杯になりつつありますね〜♪
clice様が長く書いてこられて、皆さんが感想を書きこんで。
凄いことです!
私が次に書かせて頂く時は、PART2でしょうか。
お祝いは、その時に。
ではまた。
...2006/03/04(Sat) 15:32 ID:fkp2F60g    

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:ぶんじゃく

なんだか続きが読めてほっとしています。
変な感想ですよね(笑)

これからもマイペースで頑張ってください。
...2006/03/05(Sun) 00:51 ID:KZwEfnaY <URL>   

             Re: もう一つの結末(再会編)  Name:clice
こんにちはcliceです。
皆様には本当にご無沙汰をしてしまいました。
300レス終了・・・なんかやっとという感じですが、これも応援して頂いた皆様のおかげと深く感謝しています。書き始めた当初は、一回にどのくらいの文字数が送れるか分かりませんでしたので、2500文字くらいを目安に起承転結をつけながら書いていましたが、書いていると次第にそれでは収まらなくなり、また読まれる方もある程度長くないと物足りないかなと思いはじめると、少し時間が空いても区切りの良いところまで書こうと思い、結局1話が長くなって皆様をいらいらとお待たせすることになりました。
でも、その結果、1話の中で現在から過去(回想)そして現在と、ドラマ本編と同様の手法が使えることになって、書くのは楽しくなりました。
本来、一気に読む物語の中でそれを連発することはありえないことだと思いますが、それもこういう投稿の形だからこそできることで、当初は書くことはないかもしれないと思っていた元気だった頃の亜紀が書けて、自分も楽しかったと同時に、読んで頂いている皆様にも、これがドラマの続編だと自然に感じてもらえる結果になって良かったかなと思います。だから、そういう感想を頂けた事がすごく嬉しく思えました。
明希の帰省や廣瀬夫妻が病院を訪れるところ、また第1話の前日を書いた智世の回想や百合子の高校時代など、物語に奥行きを持たせることに少しは役にたってるかなと思いますが、それで思いっきり時間ばかり食ってかれこれ1年3ヶ月・・・それでやっと300レス・・・多分このBBSの中で一番重いスレッドなんじゃないかと思います。
そういう訳で、途中いろいろと横道にも逸れましたが、基本的な話の流れは書き始めた当初のままで、そこら中に落として回った伏線をほんとにちゃんと消化できるかどうかがこれからの課題です(笑)。あれは結局何の為?・・って言われないようにしたい・・かな。それではPART2(んー・・いい響き)に続きます。
皆様、そして管理人様、ありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。
...2006/03/05(Sun) 10:57 ID:TIl8FMo6    

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