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過去ログNo1
本当に幸せなのか?  Name:新月・・朔
みなさんの意見を聞きたいのですが、朔は最後に「走り終わったその時に君に笑って会えるだろう」と言っていますが、これは死後の世界で亜紀と過ごしたい、という朔の望みだと思います。ではこう考えている朔と一緒にいる小林明希は、本当に幸せな人生を過ごせるのでしょうか?朔は心のどこかで、亜紀のことを思っている、それでもこの人と一緒にいたいって思えることはすごいことだと思うのですが・・・やっぱり小林明希は朔を守ってあげたいと思っているのでしょうね。   みなさんは、小林明希は、幸せをつかめたと思いますか? 
...2004/10/14(Thu) 22:59 ID:MVijn/Yc    

             これまでの議論の紹介  Name:にわかマニア
 ご参考までに,今は過去ログ入りしてしまいましたが,ここで交わされた議論をご紹介しておきます。
 なお,発言は趣旨を損なわない程度に要約させて頂きました。また,発言者の名前につきましては,発言順にアルファベット表記とさせて頂きました。

 論題:「どうして」
【Aさん】
 どうしてもわからない事があるんです。
 朔は全身全霊命をかけて亜紀が好きで大好きだったのに,他の人を好きになることなんてできるんですか。それがとてもさびしく感じられました。
 その人を一途に思い続けるのは無理なんでしょうか。忘れられず,ずっとその人を思うことはいけないんでしょうか?

【Bさん】
 忘れられず、ずっとその人を思って生きていきたいと思う人も多いと思います。でも、実際に人は亡くした人を思っているだけではやっていけないのでしょう。今回のように,亜紀のことを理解し受け入れ(これが大前提!)、本当にサクを必要としている明希&一樹のような人がいるのなら,亜紀と共に明希&一樹と生きるのもいいことなんだと最近思います。亜紀もそう願っての”がんばれ”だと思うから。

【Cさん】
 生きていくことっていうのは,変化し続けることなんだと思います。精神的にも、肉体的にも。それはたとえば、肌や髪の新陳代謝のように。
 だから,「永遠に君を愛しつづける」なんて言葉でも,言外には、ずっと一緒にいて、お互いに変化(=成長)していけるならということがあるんじゃないかな、と思います。
 これに対して、亡くなった人を思いつづけるのは、
ただ風化していく(=忘れていく)思い出を大切に大切に守っていくことになるので、ある意味とてもエネルギーの必要なことだと思います。でも、さびしいことですね。
 メキシコの小さな街のバーのマスターの話をどこかで読んだことがあります。渋い男前で、親身に相談にのったり。でも浮いた話もない。マスターはこう答えたそうな。「私には、かつて一生を誓ったそれは素晴らしい女性がいた。その人は私のもとを去ってしまったが、私は彼女の思い出だけで、十分なんだ。それだけを胸に私は生きていける・・・」

【Dさん】
 「忘れる」という感じは違う気がします。決して消えてなくなって行くのではなく、持ち続けているのだけれど、少しづつ蓋がされて行く...
 そうして普段は取り出す事が無くなるだけ...
 そんな感じだと思います。
 人によってはある時、劇的に蓋が開いてしまう人もいるかもしれません。

【Eさん】
 サクと明希は大学時代からの友人で,相談相手にもなったという設定になっています。でも,恋人を亡くした喪失感から立ち直れず,そこから逃れるために必死で自分の心を封印している人に,他人の人生相談に乗る心理的余裕があったのでしょうか。

【Bさん】
 普段の生活はやはり魂の抜けた生活を送っていたサクが、命の話題(明希が一樹を産むかどうか)にだけは食いついたとしても不思議ではない気がします。

【Aさん】
 「忘れるのではなく持ち続け蓋がされていくもの」
そんな風に考えられるようになったら素敵ですね。

【Dさん】
 決して何かの考えとかではないんです。実際そうなんです。自分で良く分かるんです。
 心の奥底の方にいるんです。感じるんです。
 多分もう一人の自分が一生懸命蓋をしてくれている気がします...
...2004/10/14(Thu) 23:44 ID:QCGg4OuM    

             本人にしか・・・?  Name:サクファン
新月・・朔さん、にわかマニア さん、こんにちは。下に書くことは、私の大親友の20年前の実話と彼の今の心境です(死別とただの離別と違いはありますが)。つい先日も色々と相談を受けましたが、正直言って、これだ!とのアドバイスは出来ませんでした。

その大親友とその彼女が将来を約束し合っていた当時、色々と複雑な状況の渦中に二人して巻き込まれていて、ある時、彼女は「どこか遠くへ行って一緒に死のう」と。その後も色々あって、ある時、二人は壊れてしまいました。結局最後は彼女から別れを告げられました。その後、彼は偶発的に交通事故に遭い、半年間意識不明の状態が続き、奇跡的に意識を回復した時には、すでに彼の親が中退の手続きを済ましていて、名簿やら何やら全て処理されていたような状況で、地元の友人関係以外は全て絶たれてしまいました(因みに私はその地元の友人の一人です)。
今彼の記憶に残っているのは、彼女の名前と泣き顔だけだそうです。 今彼は人もうらやむような綺麗な奥さんと子供達に囲まれ、幸せに暮らしています。でも先日受けた相談の中身は、どうしても当時の彼女への思いを捨て切れなく、今の奥さんに申し訳ないとのことでした。
でも彼の奥さんと私のカミさんが二人だけで飲みに行く時には、いつもお互いの幸せな状況をのろけあっているそうです。
新月・・朔さん、ごめんなさい、答えになってないかなぁ〜?
...2004/10/16(Sat) 09:35 ID:.eFMAYlw    

             Re: 本当に幸せなのか?  Name:にわかマニア
 まだ自分自身の中でも,しっかりとは考えがまとまりきっていないので,申し訳ありませんが,問題提起だけにとどめます。

@空白の17年
 この問いを解くカギの一つは,原作にも映像にも描かれなかった空白の17年間にあると思います。最愛の人を喪った後,サクがどのようにその後の17年を生き,その中で,小林も含めてどのような人間関係が築かれていったのか,それに小林はどう関わっていったのかにかかっているのではないでしょうか。
 続編か別伝のどこかのスレに,「演劇サークル」という設定のものがありましたが,そうした出発点から交流を続けていく中で,人生相談にも乗るような関係ができていったのかもしれません。

A亜紀が与えたもの,サクが与えたもの
 別のスレで「亜紀はサクに何を与えたのか」という議論がありました。その内容にここでは立ち入りませんが,少なくとも,喪失からの復活がテーマになっているからこそ,こうしたテーマでホットな議論が交わされる訳です。
 では,亜紀から何かを受け取ったサクは,逆に何かを誰かに(生前の亜紀に対してということではなく)与えることはなかったのでしょうか。つまり,その後のサクの「生き様」を見て,何かを感じた人もいたのではないか。少なくとも,小林はそこから何かを感じ取ったのではないかということです。

【以下は余談です】
 唯一,空白の期間を扱ったものとして,「指先の花」がありますが,これだと,堕落したサクが不純異性交遊的な行為に走っているようで,純愛を冒涜するような設定になっており,どうにも頂けません。
 新しく登場する「彼女」というのが,原作の「名無しの権兵衛」にせよ,映画の律子にせよ,ドラマの小林(これだけ母子という設定ですが)にせよ,サクの復活・再生のカギを握る重要な役割を担うキャラですから,相手が誰か,どんな人かも判らないまま,その場のノリで簡単に一線を越えてしまうような安っぽい存在に描いて欲しくはなかったと思います。
 映画についての論評がどうしても辛口になってしまうのは,律子の描かれ方への不満が最大の要因かもしれません。心理的葛藤を描いた一人称小説の映像化という困難への挑戦や,テープによる交換日記などドラマにも受け継がれたアイデアには率直に敬意を表しているのですが・・・ 
...2004/10/16(Sat) 10:05 ID:8uSRdwho    

             Re: 本当に幸せなのか?  Name:大林達明
自分が最も関心を持っていた主題と関連するスレなので
書き込みさせて頂きます。

亜紀に対して一方的に「無償の愛」を捧げ続けていた過去の朔を理解し、「そんな朔」を愛する明希であるならば、今度は逆に明希が朔に対して無償の愛を与えて見守っていこうと思う感情は自然だと思います。

朔との愛を交換しながらも、自分の意思と信念は決して曲げずに駆け抜けようとした亜紀、そんな亜紀の全てを受け入れようと奔走していた朔。

明希は逆の立場で、抜け殻のようになっていた朔の過去も現在もすべてを受け入れ、母性愛のような無償の愛を朔に捧げて歩んでいこうと考えた。
「動」の亜紀に対して「静」の明希。
これは以前の
「動」の亜紀と「静」の朔に対比して性格描写されていたように思います。
だから朔も亜紀の不在に彷徨う中で、もうひとつの
「愛というかたち」=明希という静かな愛の大切さに次第に気づいていくことになった。

亜紀と精神的に同化した朔が、たとえ過去の亜紀の事を想い考えたとしても、明希にとっては「そんな朔」を
愛しているから彼と一緒にいる時間こそがすべて幸せなのではないでしょうか・・・?
...2004/10/17(Sun) 12:34 ID:79JcfT8w    

             Re: 本当に幸せなのか?  Name:FELIZ
幸せだと思いますよ。

サク「おばあちゃんに失礼だよ」
亜紀「そうかなあ」

というシーンに象徴されるように、亜紀への愛と、明希への愛は、別々の愛だと思うからです。
一夫多妻制が成り立っていると考えても良いのでは?
...2004/10/17(Sun) 14:14 ID:FRWL6.JA    

             Re: 本当に幸せなのか?  Name:ふみ
明希は幸せなのか?という疑問はもっともだと思います。
「人間は忘れていく」生き物だから、もう一度明希&一樹と走ることができるというところで終われば納得できるし明希も幸せだろうけど、あのラストシーンからすると「死後に結ばれるほどの永遠の愛」がサクと亜紀の間にはあったことが推測できます。
それならサクは一人で想いを抱えて生きていくことが本物の純愛だったような気も…。
結局、サクと亜紀の関係が純粋で永遠なものであればあるほど、新恋人(明希や律子)の存在って微妙なものになりますね。
その折り合いを描くのがこの物語の難しいところだと思いますけど…。
...2004/10/20(Wed) 00:18 ID:wqVG4poM    

             Re: 本当に幸せなのか?  Name:K
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第2話で骨を盗み終えた後の会話

サク:おばあちゃんと、サトさんどっちが好きだった?
祖父:う〜ん?
   どっちだろうね?
   まぁ、どっちにしてもずっと一緒に老いて行ける人生
   もまたすばらしいもんだと思うよ。
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このシーンは小林明希 との人生への伏線と思いました。
私も、『また、素晴らしい人生』になったのでは?と思います。
>どっちだろうね?
と言葉を濁す?部分の私の解釈は、
二人への愛を比べる事をしたくない、もしくは比べれないのでは?と思います。
そう思える程愛されたのであれば、現世での小林明希は幸せをつかめたんじゃないかな?
...2004/10/20(Wed) 02:34 ID:p4pOfUK6    

             Re: 本当に幸せなのか?  Name:どんき
 第10話、明希→朔太郎のセリフ
『ねえ、もしアキさんの存在がなかったら、一樹を産めって言った?……そういう形で、アキさんは松本君の中で生きているんじゃないのかな?……忘れるとか、忘れないとかじゃなくて……もうずうっといる……』

 明希の「かたちあるもの」である一樹をこの世にかたちあらしめたのは、松本朔太郎であり、さらにその中に生きている廣瀬亜紀でした。一樹を産んだ以上、明希の幸せの原点は一樹以外にはないわけですから、死後の世界で亜紀と過ごしたい朔太郎とこの世では愛し愛されること、それこそが明希の本当の幸せだということになるのでしょう。私はドラマ「世界の中心で、愛を叫ぶ」のほんとうの純愛をそこにみます。
 そう思って見ると桜井幸子の演じる小林明希は切ないほど魅力的です。泣けてきます。ナイスキャスティングです。
...2004/10/20(Wed) 22:36 ID:bq7Y8S7I    

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