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過去ログNo1
謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
なかなか面白かったです。よく分析できていて、参考になりました。自分も色々な知識に関してはそこそこ自信がありましたが、ライターズジムさんはやっぱりプロですね。自分にはあれだけの文章はとても書けないです。

細かい部分では見解の違いもありますが、とても良い本だと思います。セカチューの原作を読んで、批判(非難?)的な人達や表面的な理解(天国があると解釈した人達や悲恋に涙するだけで終わった人達など)で終わってしまっていられる方には、ぜひ読んでもらいたいですね。特に最後のほうで、アマゾンのユーザーレビューや2ちゃんねるの書き込みに対する見解を書かれていますが、大体妥当な見解だと思いました。ライターズジムさんのように深く本を読める方には、あのような書き込みはあまりにも表層的な理解しかされていないと感じるのも無理はないと思います。

最後に、どこ(色々な雑誌やサイト等)を見ても書かれていないので自分の見解をひとつ。

朔太郎は人に聞かれても、自分の名前の意味を深く説明できないでいますが、これは本当の自分を分かっていない、理解していないと言うことを暗示していると思います。また 亜紀 を 秋 と勘違いしていた時点で、アキの事を誤解して本当の廣瀬亜紀を理解できていなかったということも言えると思います。

こういうことからもこの作品は、本当の自分探しというのが本来のテーマであると言えるのじゃないかと思っています。(恋するソクラテスという原題にも象徴されるように)
...2004/10/01(Fri) 10:03 ID:HfF8JzBs    

             重い名前の軽い扱い  Name:にわかマニア
 騰徳様
 同感です。
 「廣瀬亜紀」→「広瀬秋」,「朔太郎」→「サク」に加えて「龍之介」→「スケ」など,深い意味の込められた名前が当事者たちによって軽く扱われているのがこの物語の特徴です。
 当初予定していた題名が哲学的なものであったことも含めて,「この作品は、本当の自分探しというのが本来のテーマであると言えるのじゃないか」という騰徳さんの解釈に賛成です。
...2004/10/01(Fri) 12:49 ID:1FbFtQNc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:natetta
騰徳 さんお久しぶりです。
前に教えてもらったように、あれからすぐ図書館に行って謎解き世界の中心探してもらっていますがまだ返事は返ってきません(><)
でも図書館のお姉さんがすごく真剣に探してくれていたのでもう少し返事を待とうかと思います。
...2004/10/01(Fri) 20:26 ID:JYmpmuTI    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:さくだろう
ここでこの本のことを聞いてから本屋で探しているのですが、なぜか見当たりません。ケチくさい話ですが、ネットで買おうかとも思いましたが、1700円ほどの本に300円の手数料がなんだかばかばかしくて、頼んでいません。
やっぱり、読んだほうがよさそうですね。
はぁ、どこにあるんだろう。おかしーなー。
(。。)ブツブツ
...2004/10/02(Sat) 00:28 ID:GnOvGVFU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
今日はスィングガールを見てきました。モトカリヤユイカ?ちゃんも出演してましたよ。気の弱い女の子の役で・・・この映画は単純に楽しく笑える映画でした。セカチューの重い雰囲気を吹き飛ばす明るさがよかったです。皆さんも機会があれば見に行かれるといいですよ。

にわかマニアさん、確かにそうですね。アキ、サク、スケ(こちらはドラマだけですね)。これらの名前はみんな記号のような感じですよね。確かライターズジムさんもそんなことを書かれていたと思います。

私は最初、このような名前の呼び方に違和感というか拒否感とでもいうようなものを感じていました。でも映画やドラマや小説を読んで、そういうものがなくなりましたが、深いところではこういう伏線というか仕掛けがあったようですね。

natettaさん、図書館で見つかれば良いですね。地域によっては取り寄せたり、買ったりしてくれないところもあるようなので、もしそうならば買うしか手がないかもしれませんね。でもそれぐらいの価値はあるかもしれません。ただ、それよりは図書館で用意してくれればいいのですが・・・

さくだろうさん、図書館に注文されてはいかがですか?あるいは買うにしても、本屋さんに頼めば、たいていのところは本代だけで買えると思いますよ。ただ特殊な本ですと、書店によっては取引していないと断られることもあるようですが・・・(私、以前そういうことが一回ありました。しょうがないので大型書店で頼みなおしましたが・・・)

追加
ほかのスレで、私とそらさんの事を書かれている人がいましたが、あれを単なる喧嘩と見ているようではライターズジムさんの書かれているアマゾンや2ちゃんねるに書き込んでいる、セカチュー批判(非難)している大半の連中の解釈と大して変わらないですね。適切な批判は聞き入れたいと思いますが、前提がトンチンカンだったり、考え方がおかしかったり、よく読んでいないで批判(非難)する人達の見解には全く同意しません。

掲示板というところは、精神的な大人も子供も同列で参加して議論していますが、あきらかに間違ったことを平然と押し通す輩がいることも事実あります。そういうときに毅然とした態度を取れないようでは、話にならないですね。お互いのいろいろな行き違いもままあるでしょうが、少なくとも相手に対しての敬意や立場の尊重ができない人に対しては、それなりの態度を示すことは重要なことだと考えています。そういうこともわからないで、喧嘩という同列で争ったような言い方をしているから、議論がおかしくなるということに早く気づいてもらいたいですね。

確かに物事の見方は10人十色でしょうが、物事には全て秩序というものがあることも事実です。プロの考えた見解と素人の考えた見解では、その深さに違いがあって当然です。そのとき、それらの見解を同列に論じるのが本当に正しいことでしょうか?・・・・・その人の書いた文章を読めば、だいたい相手の実力というものが見えてくるようにならなければ、いつまでも同道巡りということになりかねませんね。

長文失礼!
...2004/10/02(Sat) 03:58 ID:Vvb8r8iU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Capri
騰徳さま

 同感です。
...2004/10/02(Sat) 14:16 ID:5MBRA4gM    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
騰徳さんお久しぶりです。
私も謎解きを読みました。大変参考になりました。
確かによく読まれていて素人では見逃してしまう細部にまでよく気づいているなと感心しました。
特に第5章の解説はいいですね。
新しい彼女はアキを知らないというところは私自身勘違いをしていて違和感を持っていたのですが、おかげですっきりいたしました。
ただ、世界の中心についてはアプローチはいいのに結論が・・・結ばれた云々は結論はいいのにアプローチが・・・というところもあります。しかし、貴方の仰るとおり見解の相違は10人十色であると思います。そう思うとこの小説は非常におもしろいですね。
いろんな見方ができ奥が深く、好きな人ははまって行くのになぜか多くの読書好きな人には評判が悪いのですから不思議です。

ところで以前から疑問に思っていることなのですが、第5章のサクがアキの遺灰を散骨する際「この世界には、はじまりと終わりがある。その両端にアキがいる。それで充分な気がした。」とあります。この意味がよく分かりません教えていただけたらありがたいです。
...2004/10/02(Sat) 15:03 ID:VLuH6pYI    

             世界の両端にいる亜紀  Name:にわかマニア
 謎解き本の謎解き談義という深みにはまりそうになってきましたが,ファンとしてはそれも「また楽しからずや」ということで・・・
 原作第5章のサクが亜紀の遺灰をまく場面の「この世界には、はじまりと終わりがある。その両端にアキがいる」という場合の「世界」とは,森羅万象・世界一般ではなく,「この」という冠詞が付いているように,筆者によって意味が特定されています。
 セカチューの一般的解釈としては,この場合のサクにとっての世界とは「亜紀のいる世界」ですから,既に亜紀のいる世界に生まれてきたサクが,亜紀の死を受け入れられるようになったとき,亜紀と出会った場所である学校で亜紀(灰)を送ったのだろうと考えていました。また,「それで充分な気がした」というのも,亜紀がどこにいるか(もちろん死後の世界ですが,それを現世に投影した場合,どの場所かという意味で)ということについて,特定の場所ではなく,いつもそこにいると意識できるようになった(謎解き本では「点在から遍在へ」と表現しています。76頁以下)こととの関係で疑問なく受け入れていました。
 ただ,これは,物語のタイトルである「世界の中心」の解釈と密接に関係していますので,その前提が揺らぐと,こうした理解も見直す必要が出てきます。
 8月の蛍さんは,この「世界の中心」の解釈について,謎解き本の「アプローチはいいが結論が・・・」と述べておいでですが,ここをどうお考えになっておられるのかを披露して頂いた方が,上記の論点を考える上でも有効なのではないかと思いますが,いかがですか(もちろん,ほかの皆さんも)。
...2004/10/02(Sat) 19:56 ID:vumZX4Mw    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
にわかマニアさんレスありがとうございます。
世界の中心についてセカチューの謎にも出でますが(ここの☆は私です)世界=アキのいる世界、世界中心=アキです。謎解き本と世界については同じなのですが、世界中心については違ってています。
世界についてはそのものずばりのセリフがあるので間違いないのですが、世界の中心はやはりそこからの解釈となるので食い違ってもしかたがないのでしょう。

私が思う「この世界には、はじまりと終わりがある。その両端にアキがいる。それで充分な気がした。」の「この世界」に「アキのいる世界」をあてみるとアキのいる世界の両端にアキがいるとなりおかしくなります。つまり、「この世界」とはアキのいる世界ではなく、むしろサク自身の世界(人生)ではないかと思うのです。ただそうすると、はじまりにアキがいる(アキのいる世界に生まれてきた)のはいいのですが、終わりにアキがいるの意味が分からないのです。
ドラマのラストシーンはこのことなのかも知れないと思ったりするのですが・・・
にわかマニアさんの解釈でいくと終わりにアキがいるは「死を受け入れられるようになり、いつもそこにいると意識できるようになった」となるわけです。たしかにその解釈も成り立つと思います。
...2004/10/03(Sun) 01:21 ID:x80pN692    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
みなさん、色々なご意見ありがとうございます。ここに書きこまれる方は、良く物事を考えられていられる方ばかりで、私も大変勉強になります。

8月の蛍さん、
>いろんな見方ができ奥が深く、好きな人ははまって行くのになぜか多くの読書好きな人には評判が悪いのですから不思議です。

私が思うにこの小説は小学校高学年の女の子でも読んで感動できる位の分かりやすいストーリー、平易な文章で、それでもそこそこの大人が  泣ける  と言うパターン化された一般的な評価で大ヒットした事に対する反感のようなものがあると思います。で、実際ここで議論しているような事を聞いたら、そう言う人達は答えられないと思うんですね。つまり、そこまで深く読んでいないように思います。まあ、そう言う人にここで書かれているような疑問をぶつけて答えられなくても、いろいろいいわけみたいなものはするんでしょうけど、ライターズジムさんの言うように、多くの批判はパターン化された批判と見るのが妥当だと思います。
...2004/10/03(Sun) 20:03 ID:bYhSIhPc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
ここから本題です。

で、この世界には、はじまりと終わりがある。その両端にアキがいる。それで充分な気がした。の解釈ですが、お恥ずかしいことに私は8月の蛍さんのように深くは考えていませんでした。勿論読んでいる時は疑問に思っていますが、その他の疑問や色々な日常生活に忙殺されてそのままにして忘れていると言う状態でした。で、昨日の夜帰ってきてからこれを読み、自分なりに考えてみました。

この世界という この というにわかマニア さんの見解は素晴らしいですね。私は違うアプローチでこの世界はサクの世界と考えましたが・・・それは世界にはじまりと終わりがある、と言っているように限定された世界なんですね。一般的な世界は、アキが死んでもサクが死んでもありつづけるわけですから、これは個人の世界と言う事になりますね。で、色々考えるとサクの人生の世界と言う結論になります。この点に関しては、にわかマニアさんや8月の蛍さんの解釈と同じになります。

続きの、はじまりと終わりがある。その両端にアキがいるですが、これは私の考えでは哲学というか宗教的な世界観がないと、理解できないのではないかと言う結論に至りました。世界のはじまり・・・については、物質的にも存在する(肉体のある)アキで、これはにわかマニアさんや8月の蛍さんの解釈と同じですね。終わりに関しては、にわかマニア さんもライターズジムさんの引用をされて解釈していましたが、死後の世界(この表現には誤解が付きまといやすいのですが・・・)の世界観で語っているんですね・・・「点在から遍在へ」。

この「点在から遍在へ」という思想と言うか宗教観と言うものに対して自分の考えていることを書きますと、どうも日本神道系(まあ古来からある日本の宗教観)の思想が絡んでいるようです。私がこれまで勉強してきた世界観では、まず最初に世界の意思というかエネルギー(こう言う表現も誤解を受けやすいのですが)があり、それが徐々に濃縮されて希薄なものから物質的なものになったと考えています。単純に宇宙と言うものに目を向けると、何もない無である空間(真空から)色々なものが出てきていることは、物理を勉強したことがある人なら、知っていると思います。そう言うところから出てきたエネルギーが集まって、徐々に希薄なものから濃縮された物質的なものになり、最後に人間と言う非常に精緻な生き物を生み出しました。

では、よく哲学や宗教で言う我々はどこから来てどこに帰るのか?と言う事ですが、世界のこう言う成り立ちを理解していると分かると思うのです。曖昧模糊とした茫漠とした時間も空間もない世界から(非確定的な世界、全体と個が分別されない世界)、徐々にエネルギーのようなものが濃縮されて物質的なもの(確定的な世界、全体と個(人)のように分別された世界)に人は生きて出てくる。そして死ねばまたもとの世界に帰っていく。これが点在から遍在へと言う解釈(正確には遍在から点在へ、そして点在から遍在へと言う動き)だと思っています。

で、サクが将来年をとって死ねば、そう言う世界に帰るのですから、アキ(と言っても個別的ではない普遍的な存在としてのアキ)の世界に帰ることになると思うのです。それをドラマなどでは視覚的に表現したのですが、正直あれでは個人としてのアキ(個別的なアキ)と最後に出会うということになり、(恐らく子供達だと思うのですが)天国でアキとサクが出会ったんだという解釈がされてしまう原因だったと思います。我々は死ねば神経も感覚もなくなるのですから(確定的な世界から非確定的な世界へ向かう)、時間も空間もまた個人と言う人格もない世界に帰ることになります。でもドラマという視覚を使った表現しかできない世界では、あれが精一杯の表現かもしれませんね。

あと、私が疑問に思うのは、サクはアキが死んだ後、アキがどこにでもいるように感じられてならないと言っていたことですが、まあこれは点在から遍在へとの事での理解でいいと思うのですが(これももう少し議論すると色々できるのですが、複雑になるので省略します)、それでしたら、はじまりと終わりがあるではなく、生きている間は全てアキがいると言う表現の方が的確だと思いますが、どうでしょうか?

ちょっと難しい表現ばかりになってすみません。またなれない表現ばかりでしょうから、最初は理解に苦しむことになるかもしれませんね。それは私の表現力不足と言う事でまた長文になったことも、失礼します。
...2004/10/03(Sun) 20:07 ID:bYhSIhPc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:ジミー
物凄い哲学的になりましたね。私の住んでいる徳島県N市には謎解きセカチュー某ブック○フにたくさんありますよ。
...2004/10/04(Mon) 02:35 ID:pty0Tf36    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
騰徳さんレスありがとうございます。
さすがに専門的で高尚なご意見で感服いたします。おかげで私なりに考え、それなりの答えを見出すことができました。
まずこの小説を理解していくとアキは死後現世にいてサクのそばにいる、そのことをサクに気づかせようとしていることが分かります。サクも数年後そのこと理解し、結果散骨となる訳です。まず最初にアキが死後現世にいるという意味がわからなかったですね。その結果サクが中学校の校庭でアキを鮮明に思い出し散骨するのですが、なぜそうなるのか理解できなかったのです。実はドラマの中にその答えを見つけたのです。ソラノウタの「おまえの中にいる」です。サクの中にアキがいるということなんです。あまりも平凡な答えです。でも、サクが鮮明にアキを思い出したこと、つまり探していたアキは自分の中に存在することに気づいたということなのだと私なりに解釈いたしました。では謎解き本の点在から遍在へとの兼合いはどうなるのかですがアキの存在を特定の場所でなく、いつもそこにいると感じるようになったというのは物理的に存在していないにもかかわらずいつもそこにいると感じる。心がそう感じているということになります。つまり、心の中にアキが存在し、いつもそこにいると感じさせているということです。そう実は同じことを言っているのではないかと思うのです。

それでは本題の「この世界には、はじまりと終わりがある。その両端にアキがいる。それで充分な気がした。」の意味ですが、「世界」というのはやはりサクの世界(人生)という意味です。しかし、にわかマニア さんの言われるとおり「この」とあります「この世界」とは今の世界、アキが世界の中心という意味のように思います。つまり、あんに次の世界の中心は新しい彼女であると言っているのです。「はじまりと終わりがある。その両端にアキがいる。」とは騰徳さんの言われるとおり「生きている間は全てアキがいる」ならよくわかるのですが、あえて両端といっているのはむしろ意味があるのだと思うのです。はじまりは物質的にも存在する(肉体のある)アキでいいと思います。しかし途中がいないということは、すなわちアキが死んでサクはアキの不在を悲しんでいたことを言っているのではないでしょうか。では「終わり」とは何か。探していたアキは実は自分の心の中に存在することに気づいたということだと思うのです。それで充分な気がしたと思っているということです。そういった意味に感じます。
...2004/10/04(Mon) 23:05 ID:2ku9DFrI    

             「両端」の解釈  Name:にわかマニア
 点在と遍在をはじめ,哲学的な解釈を交し合うことになるとは,深遠なメッセージの込められた作品だなあと思いながら,投稿したり,皆さんの投稿を拝見していました。
 「ソラノウタ」のラストとの関係でこの問題を理解する「8月の蛍」さんの書き込み(No12)を拝見して思いついたのですが,両端と言うと,何か遠い彼方から遠い彼方へ一直線に伸びた,遥かに隔たったものを思い浮かべますが,実はループを描いて元のところに戻ってきたという「両端」というふうには考えられないでしょうか。
 もちろん,一方は生きている具体的な存在であり,もう一方は哲学的な理解なり解釈なりを必要とする存在ですが,実はその両者がほとんど重なり合うように位置している。だから,「あれこれ彷徨ったけど,結局(やっと)亜紀の元に戻ってきた」ということを「両端に亜紀がいる〜それで充分」と表現したのではないでしょうか。
...2004/10/05(Tue) 01:31 ID:CMVVWX/.    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
いや〜、スゴイですね、8月の蛍さん。私も8月の蛍さんの見解に全面的に賛成し納得できました。
これは小説ですから、哲学的な思想的な一般的な解釈をしてもしょうがないのですよね。サクの心の動きで理解しなければならない。8月の蛍さんは、小説を良く読まれるのですか?私は謎解き・・・を読んで、小説の仕掛けとか色々理解して、小説ってそう言うものなのだ!と理解している小説初心者なので、8月の蛍さんのように解釈できなくて、8月の蛍さんの解釈には、毎回本当に感心しています。(と言うよりも私には読解力がないといったほうが正解かな・・・)

>まず最初にアキが死後現世にいるという意味がわからなかったですね

これ、以前私が読んでいた本の著者が仏教系の人の本でしたが、その人が戦争が終わって生きて帰ってきたとき、家族が全員空襲か何かで死んでしまった事を知り一晩中泣き明かしたら、明け方になってその家族達が周りにいるという感覚になって心が癒されたと言うか納得した、と言う事を書かれていました。当時も今もそう言う感覚は中々実感できないのですが、セカチューでのサクがそう言う感覚の話を書いているのですよね。こう言う体験は自分にはまだないです。(こう言うように、心や身体が追い詰められると、危機感を感じて心と言うのが何らかの転換をして、心の平静を取り戻すと言うことは良く聞く話ですね。それが上手く行かなかった人は、精神病になったり廃人になったりしますが・・・)

で、8月の蛍さんの言われるように、心にその存在があれば(物質的に存在していなくても)それは主観的と言われるかもしれませんが、その人にとっては存在することになりますよね。以前私が書いたように心が世界を認識するのですから、心に存在があればそれは他の人にとっては存在していなくてもその人には存在することになりますよね。・・・・・ああ、だいぶんすっきりしてきた。

で、散骨ですが、これは確かにライターズジムさんがいわれるように、具体的な場所でなければいけませんよね。この世界は具体的で確定的な世界ですから・・・

ライターズジムさんではないですが、夢島はひとときの楽しかった空間、時間で、これは非日常の世界ですね。アキの死後、まだその思い出が濃厚だった頃には、どこで散骨すればいいのか?サクは物質としてのアキにこだわり、散骨できなかった。

しかしアキの死後10年ほど経って、アキの存在をいつも濃厚に感じられなくなった、日常の生活の中で忘れ勝ちになっていた頃に、地元に帰ってきて城山で心に針の穴があき(過去にあれだけ愛し、死後大変悲しんだのに時間の経過と共に感情が薄れてしまっていたが、その忘れていた思いのふたが開きかけ)、意図的に中学校の校庭にきてアキの思い出が爆発した事により、こういう日常での生活をしていた場所が(アキを思い出させてくれた場所こそが)アキ(物質としての)の散骨にふさわしいとサクは考えたのでしょうね。サクの心の変遷は8月の蛍さんの解釈で最もぴったりきます。

文章が少し支離滅裂となってきましたが、とにかく8月の蛍さんの解釈は私の中では一番です。私の前回の書きこみは、非常に抽象的になりすぎていますので正解が出せませんでした。それに比べて8月の蛍さんの解釈は、具体的でいいと思います。
...2004/10/05(Tue) 22:52 ID:O59rytEM    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
先ほどここに書きこんでから、再びP168から最後までセカチューを読みましたが、もう面白いというか興味深いのなんのって・・・

謎解き・・・に書かれていない事で、最後のサクの散骨のための心境の変化のための暗示や伏線がいっぱい書かれていて、とても興味深く読めました。

アキの死後、サクはアキの死を非常に悲惨で恐ろしいものとして捕らえていますね。海の水平線に飲み込まれる夢を見たり、過去の思いでは血の出るような思いだとか述べられていて・・・では実際のアキの死に際にアキはそういう悲惨で怖い思いで死んでいったのかな?という疑問はサクは全然思わない。

重ジイとの会話でも、科学とか愛とか言う概念を語り合いながら、心と言うのは主観的なものだと言う会話がされているのですが、サクは納得できないでいますね。これは10年後につながる会話ですね。

アボリジニでの散骨は、やっぱり悲惨な世界での散骨ですね(これは謎解き・・・にも書かれていました)。
で、観光ガイドの話(P189)でドリーミングについて語られていますが、部族のドリーミングというのは日本社会の中でのドリーミングと、そして個人のドリーミング(これは後々サクのアキに対する心の主観での死の問題を解決した部分に匹敵すると思います。)。この点に関しては、ドラマは良く描いていましたね。そしてP192で、散骨をサクは自分の身体の一部分と捉えています。つまりまだサクはアキを物質的に考えているんですね。

P194では地蔵が時間が経つと、やさしい感じを与えたと書かれていますが、アキの死後の直後は恐ろしいイメージしかなかったサク(上に書いたように)が、10年後に恐ろしく悲惨だったアキの死を地蔵のようにやさしく?感じるようになるという暗示。また夢島での大木君との会話で、錯覚について書かれていますが、心と言うのが主観的なもの(一種の錯覚みたいなもの)で、将来アキの死を受け入れられるようになる暗示とか・・・まだまだ山ほどありますが、書けば切りがないですね。

そんな中で、少し疑問に思ったのは(前前から疑問に思っていたのですが)、アキが死に際にサクに会わなかったのは何故だろう?と言う事と(多分どこかのスレで解釈が書かれているのかな?)、夢島での大木君の、アキの歌に関する発言(小さな声で歌っていたと言う部分・・・何故そんな話をしたのか?)や、大木君のサクに対する感情の表し方ですね(例えばP196の最後の方での、 用心深く頷いた・・・なんて部分)。
どなたかこういう部分を納得させてくれる人がいらっしゃるなら、よろしくお願いいたします。

まあ、本当に謎解き世界の中心で・・・ではないですが、謎や仕掛けやらで興味深い本ですね。
...2004/10/06(Wed) 00:53 ID:.ox1A7OA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Capri
騰徳 さま

アキが死に際にサクに会わなかったのは何故だろう?

という問いかけがありましたね。

 お言葉をお借りするなら、

 ”死に際” というのは 点在から偏在への遷移点だからじゃないでしょうか?

 うーん、これじゃ呪文みたいだなあ。

 たとえば、心電図の線がピーっと水平になっちゃうのを目の当たりにすると いやでも そこにいなくなった、というのを認めなきゃいけないところがある。

 でも、その場や、お医者さんの宣告やら、告別式やら、にたちあわなければ、心の中にある アキの 微妙なすりかえ を抵抗なくできるからじゃないかな。 と思います。 


 あと、アキが小さな声で歌っていた というのは、
本人の意志や思想とは無関係に強制されていた、”うざったい歌”の持つメッセージの方向性 の中にヒントがあるのではないでしょうか?
...2004/10/06(Wed) 01:25 ID:fJ2whRvU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Capri
追記です。

両端 について 考えてみました。

 点在と偏在 を考えるならば、朔が”遺骨”を撒けずにいた時間 (=この世界) は そのどちらにも属さない、”アキのいない世界”なのではないでしょうか。

 先にあげた 遷移点を自身の気持ちによって逆にひきのばしてしまった。 点在のアキ も 偏在のアキも 感じられず、物質としての ”遺骨”だけが手元にある世界・・・・


 朔が、”この世界”といっているのは、まだ撒く前です。だから、偏在するアキを感じてもいない。

 原作でも、ドラマでも 自ら”撒く”ことによって アキの偏在化を実現し、そのことによって、宙ぶらりんの状態から抜け出している。

 騰徳 さまコメントの ドラマの最終回エンディングの亜紀が 偏在化した亜紀というのは、とても腑に落ちます。 撒いたからこそ、会えた。


 しかし、そう考えるト、生前の亜紀が 朔にとってよかれと思った ”スムースな遷移” のための配慮(=会わない)朔にとっては 過渡期を抜け出せない、という裏目にでたのは、なんとも・・・・
...2004/10/06(Wed) 01:48 ID:fJ2whRvU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Capri
自己レス失礼いたします。

 上記 2コメント、 

 遍在 とすべきところが 偏在 になってました。
 
 これじゃ 点在とかわらない・・・ お恥ずかしいです。 しかし、内容はかわりません。
...2004/10/06(Wed) 01:53 ID:fJ2whRvU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
>騰徳さん
レスありがとうございます。
私自身アキが現世にいると言う意味と「この世界〜」がずーと疑問だったんです。そのときは「この世界〜」がアキが現世にいる答えだと思っていたのですが「終わり」をサクの死後と解釈したものですからますます意味が分からなくなって・・・
ですからドラマの最終回はすごく楽しみだったんです。ドラマは原作の本筋に忠実でなおかつ分かりやすくしていたので、きっとこの答えを出してくれるのだと。で出たのが「おまえの中にいる」なんです正直拍子抜けしました。あまりにも平凡すぎて・・・
でも原作に当てはめるとぴったりなんですね。また、原作のあらというあらをうまく直していてよく研究してますね。TVスタッフは超一流大卒でないとなれないと聞いたのですが納得しました。
で残った「この世界〜」もおかげさまでようやく答えを見出せました。当初ほどの意味もなく筋に沿ったものだということがわかりました。
また騰徳さんの疑問について私なりに考えて、また後日レスさせていただきたいと思います。

>Capriさん
私の意見に興味を持っていただきありがとうございます。
「点在と遍在」言葉の意味は騰徳さんがおしゃったとおりなのです。実はアキの遺灰というのはアキの無機質となったもの、すでに遍在になってしまったものです。その遺灰をサクは拠り所とするわけですがアキの存在を見出せなかった。ドラマで言えばアキの死を確認するためのものでしかなかったわけです。つまり遺灰ですらアキを感じないのに自然に還ったその他のアキの無機質なもの(遍在)にサクがアキを感じる理由がないのです。
これは謎解き本がサクがアキをあちこちで感じるようになったと言ったセリフを「点在と遍在」で説明に使ったためですがこのこと自体誤りのように思えます。
なぜ散骨したのかと言うとアキの死後サクはアキの不在を悲しみ彷徨っていたわけですが自分の中にアキが存在することを悟った。拠り所としていたアキの遺灰はたんなる遺灰に過ぎないことに気づいた。だから区切りをつけるため自然に帰した。送った。と言うことだと思います。
また、「この世界は”アキのいない世界”なのではないでしょうか。」ですが、アキの死後は確かにアキのいない世界です。ただそうするとはじめにアキはいなくて、両端が成立しないのです。ですから、アキのいる世界とアキのいない世界の両方を意味するアキが世界の中心の世界と表現しました。ちょっと分かりにくい表現になってしまいましたね。
...2004/10/06(Wed) 23:34 ID:NaHqKSKI    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Capri
8月の蛍さん

丁寧なコメントありがとうございます。
はじめにお詫びしないといけません。
点在と遍在についての私の理解がずれていたかと思います。”謎解き・・・”を読んでなくて・・すみません。

 ただ、”サクがアキをあちこちで感じるようになった” ということは親族が若くして亡くなった際の体感で、よくわかります。

 8月の蛍さんがお書きのように、原作では 遺灰を撒くまえにサクは亜紀の存在を感じている。 ドラマでは、撒いたあとで亜紀に出会っている。

 両端については絵にすると、 ■−−−−□ といった感じで、−−−− の部分が”この世界”であって、■は生きた実体としての亜紀、□がサクが心で感じられるようになった亜紀であって、はじめも終わりも実は、”この世界”の外側 のように感じてしまいました。 その間、サクは 遺灰だけをにぎりしめて 亜紀の不在を悲しんでいたのではないかと・・・。

 じゃあ、なぜ 亜紀がいないのに世界の中心? ということについては、亜紀の存在する両端、によって境界がしめされている、不在の”この世界”のなかで、一番、亜紀の存在から遠いのは、ちょうどその中心(中間?)なのではないかと。時間的には合致しませんが、そのときのサクの悲しみが一番深いのではないかとおもいました。”愛をさけぶ” となっていますが ”愛するものの不在を嘆く”悲痛な叫びの頂点であったかとも思います。

 サクは17年たってようやく、亜紀を弔えた、というか
”喪の季節”が明けたのであって、一般的にはもっと短いものなのでしょうね。

 そういえばドラマの明希 の名前の字は ”明ける”ともよめますね。
...2004/10/07(Thu) 00:38 ID:ecDXYG5A    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
Capriさん、問題解決したようですね。&ご意見ありがとうございます。
8月の蛍さん、適切な解答&お返事をありがとうございます。

今日は新宿で講演会でしたが、秋葉原そばの損保会館に長澤まさみさんのサインが残っていると言うことで、もらいに行きました。幸いサイン色紙を頂きまして、嬉しかったです。今まで芸能人のサイン等貰った事もないし、欲しいとも思いませんでしたが、今回生まれて初めてそういうものを貰いました。どうもネット上で告知していないので、40枚のうちまだ後10枚くらい残っているようですね。欲しい方は電話を掛けて行かれるといいかもしれませんね。

ここから本題。

昨日寝る前にアキの歌に関しては、疑問が解けました。

あの近辺を良く読んでみると、2つの事が書かれています。一つは散骨すると終わりになるので散骨すべきかどうか?と言う事と、P200に声を掛けるとアキの歌が終わってしまうので、声を掛けなかったと言う事が述べられている事(どちらも終わってしまうという表現の繰り返し)と、アキが顔を真っ赤にしたという部分(これはアキが生きているときに夢島でサクと一夜を過ごしたとき大木君が迎えに来た時に顔を赤くした、という部分の繰り返しですね)です。

ここで重要な事に一つ気づいたんですが(謎解き・・・にも解説されていないです)、大木君と夢島に来た時サクはアキが周りにいる事が感じられてしょうがないのに、散骨しなかったんですね。何故サクは散骨しなかったのか・・・10年後には散骨したのに・・・この答えも全部わかりました。(8月の蛍さんの解釈で十分納得してはいたのですが、新たにそう言う疑問が沸きまして・・・)

前にも書いたように、サクはアキが悲惨で苦しんで死んだと思い込んでいるのですね。ですから重ジイとの会話で、  (P176前半)だから生き残った者は・・・救おうとしたんだ。  と言う表現をしています。これはアキが悲惨で苦しい死に方をしたので、それを救いたいという意味の言葉です。でも本来なら、天国を作った生者(我々)が天国を作って自分が愛するものを失った苦しみから救われるんだ!と言う表現の方が普通じゃないかと、今日読んでいて疑問に思ったんですね。

で、結局サクはアキが苦しんで苦しんで死んだと思い込んでいるので、アキが死んだ今となっては、もうアキを苦しみから救い出す事ができないという心の重荷を背負っているのですね。だから散骨できなかった。

ところが夢島での地蔵にも書かれているように、最初はきちんとした地蔵も風雨(アキの白血病を意味する)によって崩れかけたが、時間が経つと逆にそれがやさしいイメージを与えるようになると言うように、時間の経過によって、アキの苦しんで死んだという事を、サクの心の中で転換して受け入れられると暗示しているのですね。どうもここに、アキがサクと最後に会わなかった理由がありそうです。

明日も講演会が都内であり、ちょっと時間がないので、文章を推敲するひまがありません。ちぐはぐだったりり、おかしいところがあると思いますが、後は皆さんの読解力と推察で理解できると思いますので、よろしくお願いいたします。(ペコリ)
...2004/10/07(Thu) 01:23 ID:b6vDxY8o    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Capri
騰徳 さま

 丁寧なコメントありがとうございます。

 時間の経過とともに、サクの心がだんだんと受け入れられるようになっていった、というご意見、賛同いたします。(その中身がアキの苦しみかどうかはわかりません。)

 原作を読み返せばサクは夢島でも、アキの存在をそこここに感じているようですが、すべて ”気がする”と閉じられています。 心はそれをまだ完全には受け入れていないのではないかと。、”小さなものばかりがめにつくようだった”(p193)りするのですが。

 もう灰は手元になくてもアキを完全に失うことはないのだと、受け入れられるようになったときに はじめて”耳のすぐそばで、彼女は喋っていた”。(p205)と
リアルに感じられるようになったのではないかと考えます。 

 しかし、それにしても原作での オーストラリアの描写と、エンディングは どちらもひどく虚無感が強いです。ドラマでの印象と大きく異なる印象をおぼえるのは私だけでしょうか。
...2004/10/07(Thu) 03:42 ID:ecDXYG5A    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
>Capriさん
レスありがとうございます。
>>ドラマでは、撒いたあとで亜紀に出会っている。
ですが、申し訳ないですがそれはCapriさんの勘違いと思います。確かに映像ではそのように見えるのですが、騰徳さんがNo10で「正直あれでは個人としてのアキ(個別的なアキ)と最後に出会うということになり、天国でアキとサクが出会ったんだという解釈がされてしまう原因だったと思います。」と言われるように誤解を招きかねないラストシーンですね。私自身あのラストシーンを見たときいいと思ったのですが今となってはあのシーンの意味が分からないです。視聴者向けに作ったのか、「この世界〜」の意味をこのように解釈したのか。いずれにしてもこの物語の主旨からはずれてしまっているように思います。かたちこそ違いますが原作、ドラマともにラストの意味は同じです。

>騰徳さん
>>アキが死に際にサクに会わなかったのは何故だろう?
以前著者の片山さんがインタビューでこの問いに対し映画と同じですと言った主旨の答えていたのを見たのです。今となっては何の記事だったのか覚えていないのですが、私自身それで納得していました。改めて読み直すのですがおじいさんの恋愛との反復ぐらいしか見当たらないです。また原作、映画、ドラマと比べてもそれぞれ違います。ということは理由はともあれ結果が大事なのかもしれないと思うのです。アキの死に際に立ち会えなかったことでサクはアキの死を実感できない一因となった。このことの理由となっている。月並みだな〜
>大木君のサクに対する感情の表し方
P199で大木はアキのことが好きだったことが分かります。見舞いを喜んだのはアキが来たから、プールでしつこくアキとの関係を聞いたのも自分が好きだったから(結局薮蛇になるのですが)ですから大木とサクはそんなに親しい仲ではなかったと思います。ある意味ライバル的なものかもしれません。アキの死後夢島に行ったときの言葉もさめたものに感じます。しかし、アキを失い現実離れしているサクを見るにつれ同情し、現実に引き戻そうと思い出話をしたのではと思います。実際親友ならドラマのようになるでしょうね。
...2004/10/08(Fri) 00:22 ID:spT2Evmw    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Capri
8月の蛍さん。

 コメントありがとうございます。

 言葉が足りず、失礼いたしました。

 私もドラマのエンディングの亜紀の姿を ”天国で出会った。”とは受け止めていません。 まだ言葉にずれがありますが、”そこここに、亜紀がいる、もちろん自分の中にも” とはじめて サクが感じられて、そのとき ”これが亜紀だと思っていた” 遺灰は不要のものとなったのだと思います。 そのとき初めてサクは ”偏在化”(灰という物質になる、という意味でなく、再びその存在をどこにでも感じられるようになること。)した亜紀を感じることができ、17年間の長きにわたる ”亜紀の不在による苦悩”から開放されて前向きの人生を歩みはじめることが できたのだと考えます。 一概にはいえませんが 近しい人を失った誰もが同じようなプロセスを経て、その人の死を受け入れる”=自分のものにしていく”のだと思います。
 
 独自の考え方とは存じますが、

 ”この世界” は実在した亜紀を失った後、”遍在”する亜紀を受け入れること (=そこここに亜紀がいる、ということをリアルに感じ取れること) ができるまでの、”亜紀のいない世界” の始まりから終わり(=脱却)(平易には、”人の弔い”をすますこと。)までの物語なのではないかと考えます。

 ドラマのエンディングで ひとつの形をとった亜紀の姿は、”遍在”となってサクの心に帰ってきた亜紀、をビジュアルで表現するための限られた方法だったのではないかと考えています。 
 亡くなった人が、亡くした人の心の中で”遍在化” (物質化する、という意味でなく、再びその存在をどこにでも感じられるようになること。)するのは 決してあのようなリアルな形で再びであうことはなく、もっと淡く頼りないけれど、優しさや穏やかさにとんだものだと思います。
...2004/10/08(Fri) 00:57 ID:Cgygajdc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:大林達明
「マルクス弁証法」という解説論法があるんですけど、
このライターズジムの作者(見崎氏でしたっけ・・?)は、その分野研究でメジャーな九大出身なんですね。
この「セカチュー」で初めてこういった「解説、謎解き本」を読んだ人(ほとんどかな?)は確かによくぞ!
ここまで、と感じるかもしれないけど、彼らのこの本の解説は「マルクス・・」をかじった人だったら学生でも解説できる程度の極めてオーソドックスな解説法です。

まずタイトルの意味、最終章、序章、主人公のキャラと台詞を決まった特定の公式と伏線に当てはめて分析していくとこのBBSの常連さんクラスの読解力があれば、正直誰でも書く事ができると思うんだけど・・・。
小説の「解説や批評の世界」は映画やドラマ解説の比ではなくて、実はもっとすごい狭義で深い世界ですから・・。

何が言いたいか?というと僕はこのBBSで皆さんの色々なスレッドの意見を見て、あまりに鋭くて背筋が寒くなったも事も多々あります。

おそらく素人(?)の皆さんの直感という肌で感じた解釈というのは、このような「セオリー」に忠実な解説本
の解釈をはるかに凌駕している部分もとても大きい。

確かにこの本がこのような評論解説を一般読者にまでポピュラーに平易な言葉で記した功績は素晴らしいけど、この小説の詳細結論イコール「謎解き本」がすべて「正」だと思ったらちょっと勿体無い気もするのです。

この「謎解き本」も販売している商業本であることは
事実なので、ある意味で興味本位な解釈=「謎解き読者」の関心を惹く目的論法が中心だから・・・。

この片山氏の作品の「深度」はそんなレベルのものではないし、(イコール映画も小説も同義です)
もっと皆さん自身でありのままに感じた解釈や意見を大切にしてほしいなぁ、と。
このスレッドを読んでいて感じました。

横から冷めた発言で失礼いたしました!
...2004/10/08(Fri) 02:01 ID:FtA5N6f6    

             直感精読  Name:にわかマニア
 ちょっと眠気を誘う議論になるかもしれませんが,ご容赦願います。
 まず,これは別に大林さんへの反論という訳ではありませんが,読み方によっては「マルクス経済学」や「発展段階論に基づく歴史学」という科学的な理論体系に対する誤解を生じかねないので,補足しておきます。
 まず,大林さんが「その分野の研究でメジャーな九大」とおっしゃっているのは,左派社会党の理論的支柱で1960年の三池闘争を指導した経済学者の向坂逸郎さんのことを指してのことだと思いますが,原作者の片山さんも九大のご出身ですね。ただ,ある説を採るか,そこにある特定の学派の流儀を持ち込むか,その際に誰の影響を受けたかはそれぞれ別の問題ですし,大まかな流れや方向性の解釈についてある一般理論(マルクスの場合は史的唯物論=唯物史観)があっても,具体的な事実の積み上げがまずあるのであって,事実を無視して無理やり理論に合わせて結論づけをする訳ではありません。

 その上で,セカチューに話を引き戻すならば,「この小説の詳細結論イコール「謎解き本」がすべて「正」だと思ったらちょっと勿体無い」という点は,大林さんに全く同感です。謎解き本は,迷った時の地図の役割を果たすものではあっても,あくまでも数ある解釈の中の一つです。ですから,人の数だけ解釈があってもいい訳ですし,その意味では,「皆さん自身でありのままに感じた解釈や意見を大切にしてほしい」とも思います。
 ただ,ありのままに感じたことが本当にそうなのか,他の事例も含めて全体をうまく説明できるのかを吟味し,根拠づけることで,その直感を再確認することも重要なのではないでしょうか。ある棋士の座右の銘に「直感精読」というのがありますが,直感を大事にしながらも,それを掘り下げて確かめるということです。
...2004/10/08(Fri) 05:56 ID:xgyjgX/w    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
はあ〜、ようやく落ち着いて書きこめます。みなさん、台風は大丈夫ですか?もしかしたらこんな日に撮影された空港に行ったりしたら、映画やドラマの感慨がもっと深くなるかもしれませんね〜。

Capriさん、そうですね。アキが周りにいる気がするというのと、自分の心に強く存在するのとでは大きな違いがありますからね。ではどうしてそのようにサクは心の変化が起こったのでしょうか?それが問題だと思いますね。

あと、私個人の見解ではオーストラリアの描写は虚無観はありますが、エンディングに関してはその意味が分かってからは、美しい光景だなあ!と思っています。アキの願い通り(P56、1と2行目)、きれいな景色の中で骨灰が撒かれたのですから・・・

8月の蛍さん、いつもプラスになる見解や情報をありがとうございます。ドラマのラストはそれほど詳しく検証していないのですが、最後にアキが出てきてサクと会ったのは心の中の出来事(8月の蛍さんの解釈)を象徴しているように思うのですが、これでは皮相的な解釈ですかね?(その前にトラックで今サクが走るシーンやナレーションみたいなものがあるから、簡単には言えないかもしれませんが・・・)

>>>アキが死に際にサクに会わなかったのは何故だろう?

これは、文章に具体的な表現がないので、自分達で類推するしかないですね。前にも書きましたが、サクはアキが悲惨で苦しんで自分のせいで死んだと思い込んでいますから、そうなるとサクがそれをずっと引きづってしまうだろうという配慮や、映画版ビジュアルブックを読みますと、楽しくキラキラ輝いた時間を共有して死にたいというアキの思いがあるように思えます。でも、その片山さんのインタビュー、気になりますね。
思い出したときは、ぜひ教えてください。

>アキの死に際に立ち会えなかったことでサクはアキの死を実感できない一因となった。

これはそのとおりですね。で、映画ではアキの肉声のテープが届けられず、ドラマでは絵本が渡されなかった。これがもっとアキの死を実感できない原因となったようですね。

>>大木君のサクに対する感情の表し方

そうですね。8月の蛍さんの言われる通り、恋愛感情に近いものがあったかもしれませんね。
僕は先ほどもう一度読み返してみたら、大木君の言葉はサクの揺れ動く心の片方を表しているようにも感じました。サクは遺骨を撒いてしまうと終わってしまうのだがいいのだろうか?と自問自答しているとき、大木君は不安そうにたずねた(P198)とか、そう言うときは持っていた方がいいよ(P198)、撒いてしまったあとで後悔しても・・・・(P198)、ややほっとしたように頷いた(P200)のように書かれていますね。サクの撒いてしまおうか?それとも止めてまだ持っていようか?という部分の片方の心理を表しているように思います。

それとアキの歌ですが、小さくて聞こえないくらいというのも、アキの存在が心にはっきりと感じられないんだけど、回りにいるような気がするという微妙な感覚の事を言っているように感じます。そういうアキの声にならないメッセージというか、死んだ後から語り掛けてくる声(誤解されそうな表現ですみません、この部分はラストシーンではっきり心にアキの存在を感じる声なんでしょうが・・・)を表しているように思います。

あと、以前TVスタッフの事を書かれていましたが、彼らも徹底的に議論したでしょうね。かなり濃密なやり取りがあったと思います。できる事なら、そう言う場にいたかったですね。あと、

>当初ほどの意味もなく筋に沿ったものだということがわかりました。

どうもセカチューを読んでいるとそのほとんどが、当初考えていたよりも素直な解釈で良いような感じがしてきました。片山さんもどこかのサイトに小説を書かれているようですが、そこで謎解き世界の・・・を編集者に渡されて、はて?セカチューにはそんなに謎などないはずだが・・・と書かれているものを目にしました。映画版のサイト(ここでも紹介されていました)の管理人さんが、自分の事が書かれている(その管理人さんも謎解き・・・に少し加わったそうです)と自分のBBSにそのURLを貼り付けられていました。
...2004/10/08(Fri) 22:51 ID:0om6mQBA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
大林達明さん、面白い情報をありがとうございます。
自分、今まで生きてきた中で、マルクス弁証法という解説論法というのは、初めて聞きました。できる事ならその方法論を知りたいですね。物事を分析する際の一つの方法論として、有効なものでしょうから・・・

学生時代読んだ、一般的な哲学の本に、ヘーゲル・・・理性的なるものは現実的であり、現実的なるものは理性的である。と言うのがあり、いまでも記憶しています。・・・これしか知らないけど、前に書いた世界観も東洋哲学(主に老子と易)と弁証法的な解釈からくるものです。

高校時代倫理社会でカントの思想を知ったときは、ヘーゲルより素晴らしいと思っていましたが、大学で哲学を勉強するようになると、ヘーゲルの弁証法がより大切だと理解するようになりました。その後東洋哲学東洋思想に興味を持って自分なりに勉強してきましたが、この世界が弁証法的な生成発展をしている事は十分みてとれます。陰と陽という中国で発達した易は、弁証法の最たるものですね。

そう言えばセカチューの中で片山さんはサクにこう語らせていますね。金儲けが上手い人は恋愛が上手い人を養ってくれればいいのになんて・・・これは単に、片山さんがなかなか売れない作家で、小説を書くのが好きなので、そういう不遇時代の事を代わりに語らせたのかなあ・・・と思っていました。

マルクスのような共産主義(物質観の極地)の盛んなところ?から、こういう恋愛小説を書く作者が出てくる事は、面白いですね。まあ、自分の貧弱な哲学の知識からすると、物質主義としての共産主義(マルクス)、その反対に心を問題とする実存哲学からのキルケゴールのように、正、反というものが生まれるのは、当たり前の事かな?


にわかマニアさん、

>ある棋士の座右の銘に「直感精読」というのがありますが,直感を大事にしながらも,それを掘り下げて確かめるということです。

私も将棋は初段格を貰いましたが、これは囲碁のほうかな?最近はあまり将棋の世界に精通していないので・・・

将棋の米長さんの本は面白いですね。人間における勝負の研究を始めて読んだ時はその内容に当時、衝撃を受けました。直感(正確には直観かな?)も普段からの勉強や研究の努力の賜物ですよね。そうでない人の直観は、最初が材料不足(無知)か前提条件が偏っているかですから、多くの人が納得する解釈はできないでしょうね。全く同意です。
...2004/10/08(Fri) 23:49 ID:0om6mQBA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Capri
騰徳さん

 コメントありがとうございます。
 今のところ、ここではまだ、穏やかな風です。

>Capriさん、そうですね。アキが周りにいる気がするというのと、自分の心に強く存在するのとでは大きな違いがありますからね。ではどうしてそのようにサクは心の変化が起こったのでしょうか?それが問題だと思いますね。

 原作ではある日突然、急にサクの心に急激な変化が起こった、とは読めませんでした。

 私は、原作では ”時間の推移”の結果と思いました

 非常にアナログな、ゆるやかな丘を登るような変化が介ちゃんとの夢島の所に示されていて、それがやがて、あるポイントに達した。

 そして、そこを越えた瞬間、コップから水が溢れるように、朔にとってリアルになったのだと今は考えています。

 亜紀がひどく苦しんで死んだ、というのは事実としてはあるとおもいますが、そのことを悔いる朔のこころの挙動は、この作品のテーマとしてはそぐわない、かと存じます。

 
 この作品の性質ゆえか、このBBSは それぞれのシーンや登場人物を論じているようでいて、同時にそれを論じている人の、人となりを、ずばっと切って見せるような怖さがあります。

 臆しながらも書いているのは、”見えてもいい”と思っているからです。



 思う人を失うことからの再生は誰もが、何らかの形で実体感している内容です。それは、死別かもしれないし、初恋の痛みかもしれない。もっと複雑なようでいてじつは慣れてしまった軽い痛みなのかもしれない。

 それを改めて目の前にまざまざと見せられて、”オレはどうなる?どうする??どう考える ということを提示して、答えさせた。 ということが この作品の最大の魅力と考えます。
...2004/10/09(Sat) 02:06 ID:bVzlRFa2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:大林達明
前に書いた事は決して本の批判ではなくて・・・
この本を読む事によって益々個々で感じた興味や世界観が拡がって再び原作や映画、ドラマなどに回帰して見直してみる、という行為はファンとしては素晴らしく
贅沢な趣味的嗜好であると思いますよ。

僕は思うのですけど、このBBSなんかもこのまま「本」という形で綴って編集して出版してもかなり面白いのではないか?という気がします。
特にドラマを見ていた人にはたまらないはず。

「過去ログ」で消えていった歴代のスレッドにも思わず唸るような説明、解釈のツワモノたちの投稿が多々あって、読み返してみたいと思ったらもうウルルの骨のように消えてなくなってしまって・・・。
せめて何か「かたちあるもの」に残してあげてほしかった、と。
儚い思いをしていたのは自分だけかな?
...2004/10/09(Sat) 03:40 ID:5DgZxHpY    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
>Capriさん
レスありがとうございます。いろいろ言って不愉快に思われてしまったのかもしてませんね。
Capriさんの考えというのは間違いではないんです。実を言うと非常にいいところまで来ているんです。謎解き本もCapriさんと同じ結論なんです。確かこの本読まれていないんですね。その感性はすばらしいと思います。騰徳さんが言われた問いについて考えられたらその感性がもっと磨かれると思います。

小説のP182おじいさんのセリフに「そうやって朔太郎は、彼女を生きはじめているんじゃないかい」、映画のコピー「あの頃、僕は世界が溢れるくらい恋をした。〜でも、たとえ今この腕が君を感じなくとも僕は君を生きていく。」の最後の部分、ドラマの「ソラノウタ」の意味を考えられたら糸口が見えてくるかもしれません。
...2004/10/09(Sat) 10:35 ID:9ngfg6Tc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Capri
8月の蛍 さん
丁寧なコメントをありがとうございます。
いや、お恥ずかしいです・・・読まないで議論してはいけませんね。”朔がアキを生きる。”ということが、よくつかめていません。 8月の蛍さんのアドバイス、騰徳さんの問いについて、考えてみますね。
...2004/10/09(Sat) 13:07 ID:/PrvFhqM    

             余談ながら  Name:にわかマニア
 騰徳様
 謎解きのそのまた謎解きのような極めてマニアックな議題ですが,1週間で30件を超える投稿があったのは嬉しい感じがしています。他のところと比べると,いささか少人数ではありますが,その分,掘り下げた議論を深めていくこともできそうです。
 ところで,「直感精読」の人ですが,確か将棋の加藤一二三さんだったと記憶しています。

 大林様
 本という形にするかどうかはともかく,このBBSの内容を過去ログも含めて集大成するというアイデアはいいですね。埋もれていた中に新たな発見があったりして・・・
...2004/10/09(Sat) 17:39 ID:xba1naWA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
ようやく台風が過ぎました。ここ一週間は仕事で出かけると雨。今日も出かけて帰ってくると台風が過ぎ去りました。今日会った仕事仲間には、雨男と思われているようです。(鬱)

Capriさん、あの哲学的解釈は以前ラストシーンについて書くスレがあったとき書こうと思ったのですが、ドラマが終わった直後だったせいか、天国でサクとアキが会うと言うのはおかしい解釈だと書きこんだら、反発がきつくなりそうな書きこみがされましたので、あの場所では書きこみませんでした。その後謎解き・・・を読み、このスレでにわかマニアさんが点在と遍在の話を書かれたので、それに沿って書きました。

ただこの解釈ですと、非常に抽象的過ぎるのですね。サクはアキの死後、抽象的な解釈や世間のしきたりや宗教の解釈や重ジイの解釈ではどうしても心の底から納得できないでいるのですね。で、ラストシーンで散骨できるのは、自分の心が具体的な事で納得できたから散骨できたわけです。

その具体的な事とは、アキがサクの心に存在していると言う事が強烈に理解できたからなんですが、それを僕が理解できたのは、8月の蛍さんの疑問だった、始まりと終わりにアキがいる。それでいいのではないか・・・と言う事に対しての8月の蛍さんの結論、サクの心にアキが存在している・・・だったわけです。

サクの心にアキが存在(最終章でサクのアキに対する思い出が爆発した部分などが象徴している)していれば、サクはアキの遺骨を持つ意味がそれほど大きくなくなります。またサクとアキがサク自身の中で同時に存在していますから、サクはアキを生きていくことになるわけです。それが31に書かれている8月の蛍さんの重ジイの言葉や、映画のキャッチコピーやドラマのソラノウタなのです。

では、何故サクはそのように心の転換が行われるようになったのでしょうか?それが、アキとの死ぬ前から死ぬ直前までの会話や、死後の重ジイとの会話や、後はそれらを元にして果物が熟すように機が熟す(サクの思索?というと少し感じが違うかもしれませんが)時間だったわけですね。で、今はそれらのアトヅケをしているわけです。
...2004/10/09(Sat) 22:51 ID:tXTDJEdE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
大林達明さん、

>前に書いた事は決して本の批判ではなくて・・・

良く分かりますよ。大林達明さんの以前立てられたスレは強烈な内容ですから、最初は誤解していましたが、今では大林達明さんの言いたい事は分かるようになりました。ここのみなさん、それぞれが自分の得意な解釈法等で、持論を展開していますから、それぞれのある部分においては突出して素晴らしい解釈がなされると言う事ですね。その反面、とんでもない解釈もされるときもあるのですが、ドラマの山田サク君と綾瀬アキさんのフアンが絡んでいるので、感情論が優先して書きこめない事もちょくちょくありましたが・・・(苦笑)

にわかマニア さま、私も嬉しく感じています。ここにこられる方は、真剣にセカチューを理解したいという方がいらっしゃるようですね。他のところではあまり見かけない内容のスレだと思いますので、疑問があったらドンドン出していただき、皆さんで考えていきましょう。

>ところで,「直感精読」の人ですが,確か将棋の加藤一二三さんだったと記憶しています。

加藤さんでしたか。神武以来の天才と言われた人ですね。彼はたしかキリスト教徒ですね。将棋は大山名人と居尾車と振り飛車の戦いを良くやっていましたね。将棋の棋士(米長さんなど)は、最初の直観で95%ほど正しい答えが得られていると本で読みました。後はそれを確認する作業に時間を取られると・・・自分はなかなかそこまで行きません・・・

さてP160に、アキの最後のときにサクと交わした言葉がありますが、皆さんはここを納得して理解されているでしょうか?読んでいるととても不思議な会話ですよね。

でも、悲しまないでね(2行目)・・・わたしの身体がここにないことを除けば、悲しむことなんて何もないんだから(4行目)・・・ここは8月の蛍さんの解釈でOKですね。

1、次の、天国はやっぱりあるような気がするの・・・もう天国だという気がしてきた・・・この部分で、アキが何故そう言えたのか?不思議な言葉ですね?

2、その次の、ぼくもすぐに行くから・・・待ってる・・・はどうでしょう?この部分はドラマの今サクがアキの遺骨を撒きながら流れたナレーションの部分と絡んでいるようですね。ここは、サクの将来の肉体的な死を意味する事を語っているようですね。他にも意味があるのかな?

その次の、でもあまり早く・・・いつも一緒にいるから。・・・わかってる・・・またわたしを見つけてね・・・すぐに見つけるさ。・・・ここの部分は8月の蛍さんの解釈でOK.

自分はどこへ行くかわかっているから・・・アキはどこへもいかないよ。・・・その事がわかっているといいたかったの。・・・8月の蛍さんの解釈でOKだと思います。

3、でも、アキはどこにもいかないよ。と言いながら、サクは苦しむ事になりますね。この点は皆さんはどのように解釈されるでしょうか?

疑問はまだまだありますが、少しづつ出しながらみなさんと考えられると、嬉しく思います。
...2004/10/09(Sat) 22:57 ID:tXTDJEdE    

             No35に関連する謎  Name:にわかマニア
 騰徳さんや8月の蛍さん,Capriさんや大林さんたちの議論についていくのがやっとという状態で心苦しいのですが,どういう解釈をするにせよ,「亜紀はどこへも行かない」ことが「判った」と言ったと同じ人が,その後かなりの期間にわたって苦しむということを,どのように整合性をもって理解すればいいのか,私も迷っています。
 そのことと関係するのかどうか判りませんが,病床で直に話す原作と違って,映画やドラマでは,亜紀のメッセージとしてのテープや絵本がサクの元に届くのは,かなりの歳月を経て「魂の彷徨」の出口での出来事という設定になっています。これは,解決が最初から提示されていては「魂の彷徨」にならないから,悩みに悩んだ後できっかけを手に入れるという設定に変えたのでしょうか。
 もう一つ,原作では,オーストラリア行きは,言わばやりとりの成り行きのような感じでサクの側から持ち出していますが,ドラマでは,記念写真を撮った際に空を見上げた亜紀が病室には空がないから本物の空が見たいと言ったのがきっかけであり,主犯=亜紀,共犯=サクという構図になっています。このことと,こうした問題の理解との間にも,何らかの関係があるのでしょうか。
...2004/10/10(Sun) 10:08 ID:2KgPBHqg    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
さすが騰徳さんみごとなご回答ありがとうございます。
Capriさんには少し考える時間をと思っていたのですが、ご理解いただけたでしょうか?
補足しますと「サクがアキをあちこちで感じるようになった」ということ、Capriさんも体験されたと言うことですが。では何でそう感じているのでしょう。実は心なんですね。突き詰めていくとこのことも「サクの心にアキが存在している」ということなんです。
好きなことを考えるということは楽しいですね。仕事や勉強ではなかなかこうはいかない。
分析の方法に考古学の手法があります。考古学は後世に残された物証だけをもとに再構成する学問です。この物語を分析するのにはわりと有効な手法だと思います。
...2004/10/10(Sun) 12:34 ID:/2m.JX4E    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
せっかく台風が過ぎ去ったのに、関東では雨が降ったりどんよりしています。洗濯物を干したら雨が降ってきて、なんじゃこりゃあ〜!と・・・去年も今年も本当に異常な気象ですね。

にわかマニアさん、私も思っていた事を書いてくださってありがとうございます。

>,「亜紀はどこへも行かない」ことが「判った」と言ったと同じ人が,その後かなりの期間にわたって苦しむということを,どのように整合性をもって理解すればいいのか,私も迷っています。

今の僕の考えでは、サクは頭の人(理屈屋さん)ですので、アキとの最後の会話では、頭だけで理解しているのかと思っているのですが、もっと優れた解釈ができる方がいらっしゃったら、ぜひ伺いたいものです。でもあの場面の会話は、それまでのサクとアキの会話では理解できない会話がされていますよね。それも謎ですね。

映画やドラマでは、テープやソラノウタが届くのはかなりあとですが、あれはやっぱり演出の問題でしょうかね。なんせ心の変化を表現するのは難しいですよね。キリストの映画が多いのに対し、釈迦の映画は少ないですよね。そう言う事が影響しているかと思います。

ドラマのオーストラリア行きは、たぶん視聴者に違和感を感じさせない為の設定変更だと思います。小説や映画は短い時間ですみますが、ドラマはかなり長く描きますので視聴者が疑問を持ってしまうのですね。だから、もう少し現実的に描いたと思っています。あの部分においてはドラマのほうが現実的だと思いました。

8月の蛍さん、少し差し出がましいことしてすみません。Capriさんが理解をされるのにかなり時間がかかっていらっしゃるようなので、余計な事とは思いながら書きこんでしまいました。

まだ僕の中でも上手く体系づけて全体を説明できないので、一部分(最後の結論)だけでも自分なりにまとめてみようかと思って、書きこみました。

>分析の方法に考古学の手法があります。

へえ〜、みなさん色々ご存知ですね。具体的な方法を知りたいですね。そう言う方法論を知っていれば、小説を読むときの理解の助けになりますよね。ここで、色々な知識を教えていただくのは勉強になります・・・
...2004/10/11(Mon) 14:09 ID:THD9OU0E    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Capri
うーん。
まだ、わかってません。
理屈としては見えるのですが、感覚的にはなんとも・・・

 例えば、何かが核になって、その周囲にある濃度で遍在(散在)するものが形をなすことは、”ミョウバンの実験”のようにあきらかなのですが、

 サクの心の中で何が、”亜紀の核”になったのかが、まだわかりません。それは二人が過ごした空間や、思い出す時間だったかもしれませんが、それは私にはどうも、急激な変化点を伴わない、自然な流れ、(そこに導かれたことも含めて。)に感じられてしまいます。

 同時に、”何かを失うことは、何かを得ること” ということが明確にここに刻まれているのでしょうね。

 サクが、自分の中に”アキ”を感じ、一体として生きることになれば、そのときサクは”アキを得ると同時に、”対外的な存在”としての”アキ”を将来に渡って失う(適切ではありませんね。) =認識しなくなる。

 のだと思います。

 物理に不確定性という概念があります。

  ”見ようとすること” が、

  対象のありのままの姿をかえてしまう。

  ということですが、

 ぼくは、この考え方が 妙に切なくて好きです。
...2004/10/12(Tue) 02:07 ID:V5iTkSM.    

             間借りクエスチョンです。  Name:otasukeman
謎があります。
新しいスレ作ろうかな?とも思ったのですが、
後ろに行ったスレが消え去る恐れがあるので、
こちらに間借りさせてもらいます。

「病院に亜紀の病室には割と広い窓があって、まわりには高い建造物などなく、野原のようで、寝ている亜紀も
暇暇に空を思う存分見れそうですが?なぜ、朔は、ああ、空の写真を撮って飾るのでしょうか?亜紀はなぜ空が見える環境なのに空が見たい!というのでしょうか?
「コレダ。」という考えを持っている方がいらっしゃいましたら書きこみよろしくお願い致します。」
...2004/10/12(Tue) 12:25 ID:3jaHK4Hc    

             Re:間借りクエスチョン  Name:はちはちまる
私の母が少し前に神戸の病院に入院していました。新神戸駅近くの高台にあり港が一望できる非常に景色のいいところで「こんな景色毎日見られたら入院生活もいいじゃないか」と言ったら「寝ていたら空しか見えないよ」とのこと。
亜紀も「空しか見えない」状況だったのではと思うのですがおそらく脚本家も入院したことがなかったのでしょう。
...2004/10/12(Tue) 15:16 ID:zlt9EXWs <URL>   

             間借りクエスチョンです。  Name:otasukeman
はちはちまるさま>

ご回答ありがとうございます。
そうですよね〜。
飽きるほど空みれますよね〜。
詳しく知りたいので空の本が欲しいとか亜紀のことだから、気象予報士の資格をこの機会にとりたいから、参考書買ってきて、とか、学校の地学?の先生連れてきて、とか言うならわかりますが?
...2004/10/12(Tue) 20:52 ID:3jaHK4Hc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
Capriさん、自分も感覚的な部分では実感がありません。亡くなった人が周りにいるように感じるというものでさえ、実感した事がないです。ただ、これは小説ですので、文面を読んで理解する事は何とかできると言う程度のレベルですね・・・自分は。

”ミョウバンの実験”というのは、(たぶん)始めて聞きます。そういう現象があるのですね。今度機会があったら調べてみたいですね。

>サクの心の中で何が、”亜紀の核”になったのかが、まだわかりません

最終章で、若い女が上り棒を上っている姿をみて、過去にもアキがそうしているのを見ていたが、それが本当に過去の記憶なのかどうかわからなくなった、と言う記述がありますよね。その前には、中学の卒業のとき、きれいな桜を見た記憶もなかったけど、今はこんなにキレイな桜が咲いていて、当時も咲いていたのだろうとか・・・そして、なくしたものがある朝ふと、もと置いた場所に見つかる事がある・・・新しく見えたり、・・・大切にしまってくれていたかのように・・・

時間が経つと、人間の記憶はキレイで良いものになる事を書かれていますね。アキの死後には重ジイがアキの死んだあとについて、サクに美しく、良いものしか残されなかっただろうと言っています。(P179、180、181)

時間が経つと、記憶が曖昧になりますが、その中で良いもの、美しいものだけが心に残される。そうしてサクはアキを生きていく事ができるんじゃないでしょうか?

>物理に不確定性という概念があります

少し補足しますと、これは原子のようなミクロの世界の話ですね。ボーアやハイゼンベルグのような天才達が、ものすごいエネルギーを費やして考え出した、量子論です。それまでの物理ではニュートン以来、自然現象は計算する事ができる‘確定的‘な世界と考えられていました(天文の太陽や月の動きのように)。所が19世紀頃?から原子の研究がなされるようになると、色々な矛盾が現れてきて、それを説明するためにそれまでの我々の持っていた概念を変える必要が生じました。原子の世界は、‘非確定的‘な世界で確率論でしか物事を語れないのですが、例えばわかりやすく書くと、原子核の周りには電子が周っていますが、それは我々が理解する太陽系のような太陽の周りを地球が回っていると言う理解でなく、数学的な概念でしか理解できない・・・絵で表すと、原子核の周りを雲のようなものが覆っているような世界観です。その雲は、ある部分は濃く(電子の存在確率が高い)、ある部分は薄く(電子の存在確率は低い)というような感じです。そして実際実験をすると、電子はまるでそのような不思議な運動をする事が観測されます。微小な世界では、確率でしか物事を論じることができない(非確定的な世界)のですね。(微小な世界は、我々が不断使ったり、考えたりしている言語や概念とは違うと言う事です。)(ハイゼンベルグ(著)の、 部分と全体 と言う本は、数式の出てこない読み易い本ですので、お勧めです。)

>”見ようとすること” が、・・・・・・

これも厳密には電子のような軽いものに、光のようなエネルギー(波動というのは本当は正しい説明ではないかもしれませんが・・・)が当たると、電子が吹き飛ばされてしまので、電子と言うものを我々は直接観測する事ができないという概念ですね。でも、Capriさんのおっしゃりたい事はわかります。人間は全てを理解する事など不可能ですから、必ず物事をある一面で見ていたり、不充分なまま理解していますからね。セカチューに関しては前にも書きましたが、主観で心はできていると・・・これが人間の良いところであり悪いところなんでしょうね。

かなり長くなりましてすみません。・・・昨日からセカチュー、再び読み始めていますが、5ページごとに疑問のある事が書かれていて、大変興味深いです。また皆さんに質問するかもしれません。そのときはよろしくお願いします
...2004/10/12(Tue) 22:21 ID:HvBvECiM    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
さすがに騰徳さんの問いは難しいですね。
答えの一つにこのアキの言った意味ををサクが理解していないと思います。謎解き本にもあったかもしれないのですが、一連の会話の後「あの夏の日を覚えている?」とアキが訊ねます。サクはこの言葉に導かれるように夢島の帰り遭難しそうになったことを思い出します。また、アキの死後夢島で散骨しようとします。サクにとっては「あの夏の日〜」がアキの伝えたかったことと理解した節があります。では一連の会話をどのように考えていたのでしょうか?実にこの会話は抽象的でアキ自身もどの程度理解していたのか疑問に思うほどです。初めて読んだときこの部分はたんに最期の別れの会話と思っていました。サクもそう思ったのではないでしょうか?
>,「亜紀はどこへも行かない」ことが「判った」と言ったと同じ人が,その後かなりの期間にわたって苦しむということを,どのように整合性をもって理解すればいいのか,私も迷っています
はサクはアキの言葉を理解していなかったためではないかと思います。

>分析の方法に考古学の手法があります。
用途不明の出土品をいろんな方面から分析し、用途を推定することがあります。結果は判明しているが理由が不明の場合、状況証拠や物証から仮定していく手法です。

>空が見える環境なのに空が見たい。
ただ単にアキがウルルへ行きたい理由にするためなんでしょうね。原作や映画はサクがウルル行きを言い出し連れ出すことになっています。そうするとどうしても批判を浴びることとなります。ドラマはその点をアキの望みとすることで批判から回避したかったのでしょう。さめた意見で申し訳ありません。
...2004/10/12(Tue) 23:24 ID:RbXTk2dA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 亜紀にとって「空が見える」と言うか「空しか見えない」環境なのに,「空が見たい」と言ったことに対して,いろいろな意見が交わされています。
 かつて,別のスレで「病人の生活の質が重視され,車椅子で中庭を自由に散策し,友人たちも呼べる環境なら,空を求めて病室を飛び出すこともなかったろう」という問題提起をした者として一言。
 上記の私の問題提起は,ターミナルケアの在り方について世間の耳目が集められる以前の80年代までの医療現場の水準を意識してのものだったのですが,ドラマの映像との整合性の検証が不完全だったかもしれません。ただ,ドラマの映像を見る限りでは,がんばって治療費を稼がなきゃと亜紀パパに言わせるくらい,室料差額をかなり請求されそうな感じでしたが,一般論としては,必ずしも見晴らしのいい部屋のそれも窓辺にベッドがある訳ではありません。それに,無菌状態を作るためのカーテンを含め,病室には「閉ざされた空間」というイメージが付きまといます。
 ここでの「本物の空」には,そうした「空間を閉ざされた世界」からの脱出という象徴的・心理的な意味も込められていたのではないかと私は解釈しています。もちろん,ウルル行きの理由付けを亜紀の側に求めることによってサクが非難の集中砲火を浴びるのを少しでも避けるという配慮もあったでしょうが。
...2004/10/13(Wed) 01:28 ID:Jvnxuqoc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
さすがにわかマニアさんすばらしい見解で納得させていただきました。

>サクの心の中で何が、”亜紀の核”になったのかが、まだわかりません
第5章で騰徳さんの見解と少し違うので書きます。今まで鮮明に思い出したいう体験はないでしょうか?その人の顔、姿、声、気配なんかをとてもリアルに思い出すのですが・・・夢でたとえたら普段見る夢が普通の思い出なんですが、時にはすごくリアルな夢を見ることがあると思うんです。目がさめ汗をかいていたり動悸がしたり、恐怖心なんかが残るような夢それに近いような思い出し方です。多分サクはそういった思い出し方をしたと思うのです。今までの思い出し方とずいぶん違うことが分かります。「耳のすぐそばで、彼女は喋っていた。懐かしい、あのはにかむような声で。やさしい心はどこへ行ったのだろう。アキと言う一人の人間のなかに包み込まれていた美しいもの、善いもの、繊細なものは、どこへ行ってしまったのだろう。」この部分は鮮明に思い出したことでそういったことを思い出した。アキの死によって失われてしまったもの、探していたものだと思います。「彼女の心がまたここへ戻ってくるのだろうか。」は探していたアキが自分の心に戻ってきた。そんなことがあるのだろうか?つまり心の中のアキの存在を再発見した、気づいたということだと思います。原作は分かりにくいですから、むしろドラマで考えられたほうがいいと思います。
...2004/10/14(Thu) 00:10 ID:zmtg1V.c    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
先週の金曜日、宇都宮にセカチューを見に行きました。大きくて新しく雰囲気もいいところでしたが、何故かいまいち感動できませんでした。2ちゃんねるの映画版のスレを見ると、画面が荒くて、音声が途切れるところがあってダメとの事。たしかに少しそう言う部分はきになりました。やはりこの映画は、良いスクリーンや雰囲気のところで見ないと感動が半減してしまいますね。宇都宮は東京からはかなり遠く、一日がかりとなり、その後の調子が狂っています。早くリズムを取り戻さないと・・・

8月の蛍さん、
>サクはアキの言葉を理解していなかったためではないかと思います。

そうですね。どう考えてもアキの死後のサクの苦しみようから考えると、理解できていなかったでしょうね。そう考えるのはいいとして、あのときの会話は突然出てきたような印象がありまして、最後のときにあのような会話が高校生でできるものかと???また、多少は生きているときにそう言う会話はされていますが、最後にあのような不思議な会話になるのには、釈然としないものがあります。

>結果は判明しているが理由が不明の場合、状況証拠や物証から仮定していく手法です。

警察の捜査のような感じの分析というか、推定法ですね。8月の蛍さんが、始まりと終わりに・・・の時に使った方法と良く似ていますね。

にわかマニア さん、
>ここでの「本物の空」には,そうした「空間を閉ざされた世界」からの脱出という象徴的・心理的な意味も込められていたのではないかと私は解釈しています。

私もそう思っています。病人でいつも病院にいて、治療だ検査だと言う事ですと、恐らく息が詰まると思います。僕らが仕事でいつも同じ場所で忙しく仕事をしていたりすると、あるとき急に国内旅行や外国を放浪したくなる感覚に似ているかもしれませんね。

8月の蛍さん、
>今まで鮮明に思い出したいう体験はないでしょうか?

私もあのときは書きませんでしたが、こう言う体験あります。かなり長い時間が経ってから、本当に鮮明に思い出す事があるんですね。

周りにアキの存在を感じるとか、こういうこととか、片山さんというか作家と言うのは、単にもの書きと言うだけでなく、いろいろな体験を積んでいないと書けない職業のようですね。

以前何故アキがサクに最後に会わなかったと言うものですが、キネマ旬報に春名慶(博報堂DYメディアパートナーズ)さんが、映画化にあたってアキがサクに会わなかった理由を最後に届けると言うアイデアが浮かんだと書かれています。で、ビジュアルブックを見るのですが、はっきりとは書かれていませんねえ・・・

恐らくアキは美しく良い思い出を残して逝きたいと言う感じでしょうか?最後を見せてしまうと、死んだ=終わりと言う事になり、この小説の最後のテーマ、サクの心の中にアキが生きているということが鮮明にできないと言うところなのかなあ?と・・・

図書館に返還しなければならない本がいくつも迫っていて、せかちゅーをじっくり読むことが中々できないでいますが、最近感じたのは、重ジイとの会話(P46〜)なんのは漫才の駆け引きみたいで笑えました。意外な発見でしたね(笑い)

P20で、  そうやってアキはぼくのことをなんでもかんでも決めていくので、ついにぼくは自分が何物なのか、よくわからなくなってしまったのである。  とありますが、これもちょっと考えてみると不思議な文章ですね。

これは、謎解き・・・にもあるように、サクという記号のような名前をつけられたためと考えるといいのかな?と考えていますが、みなさんはどのように考えられていられるでしょうか?
...2004/10/17(Sun) 22:43 ID:s9ZBe8KI    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 確かに,原作の20頁はちょっと考えさせられる文章ですね。かつては論功行賞で名前を貰ったり(注1),罰として名前を変えさせられたりってこと(注2)がありましたが,名前というのはアイデンティティの最たるものですね。そこを勝手に呼び方を決められてしまう。2人の関係の中で,サクはあれこれ自己決定権を亜紀にとられてしまいますが(特にドラマは原作以上にそうですが),名前に関してまで自己決定権を奪われたことで,「自分が何者か判らない」=「自分が何者かの判断まで亜紀に委ねさせられることになってしまった」という意味に解釈しましたが,皆さんはいかがですか。

注1)鎌倉幕府を倒した論功行賞で,足利「高氏」は後醍醐天皇(尊治)の名前を一字もらって「尊氏」と名乗るようになった。
注2)道鏡に皇位を継がせるようにとの宇佐八幡の託宣は「やらせ」だということを暴露した和気清麻呂は,道鏡の怒りを買い,別部穢麻呂(けがれまろ)と改名させられた。
...2004/10/19(Tue) 04:31 ID:DV0xRJyE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
騰徳さん
>以前何故アキがサクに最後に会わなかったと言うものですが
申し訳ないですが以前言っていた片山さんのインタビュー何で見たのか思い出せないです。なんかの雑誌だったのか、どこかのサイトだったのか・・・
P155に「わたしが朔ちゃんと一緒にいた時間は、短かったけどすごく幸せだった。これ以上の幸せは考えられないってくらい。きっと世界中の誰よりも幸せだったと思うの。いまこの瞬間だって・・・だからもう充分だわ。いつか二人で話したでしょう、いまここにあるものは、私が死んだあとも永遠にありづつけるのよ」と言っています。「だからもう充分だわ。」このことからも映画と同じように美しく良い思い出を残して逝きたいという気持ちがあるように思います。

ところで、このページの最後「いいえ、わたしは欲張りよ」彼女は答えた。「だって、この幸せを手放すつもりはないんだもの。どこへでも、いつまでも持っていくつもりでいるんだもの」 と死を覚悟したアキは言っています。不思議なセリフです。この部分については皆さんいかがお考えでしょうか?
...2004/10/21(Thu) 23:56 ID:VOnofAYs    

             Re:欲張り問答  Name:にわかマニア
 ここの流れを整理すると,
@この世で得たものに思いを馳せて,「もう充分」
A「もう充分」を受けて,「欲がないんだね」
Bさらにそれを受けて,「私は欲張り」
と続きます。
 これが一見不思議に見えるのは,一連の会話の中で話者によて「欲」の対象が違っているためだと考えられます。
 つまり,亜紀は,自分が死ぬことを前提に,この世で多くのものを得たことに満足し(もう充分発言)つつも,それを死んで終わりにするのではなく,死後の世界にまで持って行く(欲張り発言)とも言っているのに対し,サクは,どんなに満ち足りた人生だったとしても「もっと生きたい」という願望が残っているはずだけどという意味で「欲がない」と言っているのではないでしょうか。ちょうど,ドラマでの「もう生きることを諦めたのか」vs「死に方に夢を」といったやりとりのように・・・
 ただ,あの世まで持っていくというのは,単なる欲張りではなく,全然別の世界に行ってしまうのではなく,そういう幸福な状態で(この世界のどこかで)一緒にいるよというメッセージとも解釈できます。もちろん,受け取る側にどう届いたかは別の問題ですが。
...2004/10/22(Fri) 12:41 ID:txt4bFxk    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
にわかマニアさんレスありがとうございます。
確かにアキとサクが話している対象が違っていますね。
>あの世まで持っていくというのは,単なる欲張りではなく,全然別の世界に行ってしまうのではなく,そういう幸福な状態で(この世界のどこかで)一緒にいるよというメッセージとも解釈できます。
では具体的にどういうことなのかが問題になってきますね。ある意味ドリーミングになること、サクと魂を共有する存在になることを言っているのかもしれません。突き詰めるとアキが悟った死の意味が見えてくるように思います。
...2004/10/23(Sat) 00:37 ID:2aGnK86s    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
最近色々ありましてなかなか書きこみできませんが、ちょくちょくここを覗いています。今日は三軒茶屋でセカチューがゲリラ上映されているとの事で出かけようかと思っていましたが、時間が間に合わず断念。残念です。。。(←この部分、土曜日に書いていました・・・)

にわかマニアさん、名前は確かにアイデンティティの最たるものという意見、賛同します。(以前サクとアキの画数出しましたが、なかなか面白かったです。)このセカチューでも、親の願いや気持ち?を込めて名前をつけられたと語っていますね・・・サクもアキも。で、使っているうちに自分と同化してくる。私も以前色々あって名前を変えましたが、変えた時はなかなかなじまなかったです・・・ハイ。
今ではすっかり同化して、自分と一体となっています。

>名前に関してまで自己決定権を奪われたことで,「自分が何者か判らない」=「自分が何者かの判断まで亜紀に委ねさせられることになってしまった」という意味に解釈・・・

私もそのように解釈しています。どうもそれ以上の意見が出てこないところを見ると、その解釈でいいのでしょうね。

8月の蛍さん、
>申し訳ないですが以前言っていた片山さんのインタビュー何で見たのか思い出せないです。なんかの雑誌だったのか、どこかのサイトだったのか・・・

お気になさらなくても、いいですよ〜。思い出したとき書いてください。
でも結論としては、やはり同じようになりそうですね。美しい思い出を持っていく。8月の蛍さんが書かれているように、

>。「だって、この幸せを手放すつもりはないんだもの。どこへでも、いつまでも持っていくつもりでいるんだもの」 と死を覚悟したアキは言っています。不思議なセリフです。

この美しい思い出をこのまま持っていく。死の間際にサクと合うと、悲しい別れになると言う事をアキは考えて、会わなかったのかもしれませんね。

以前、東洋思想の大家が、我々が死んだら財産や名誉などは持っていけないけど、持って行けるのは思い出だけというようなことを言っていました。この表現は個別的な自己が、死んだ後もあるような表現ですが、そう言う意味ではないです。アキもこういう心境にまで達していたのかと(片山さんの思想と言うか哲学と言うか)、少し感心しています。

にわかマニアさん、8月の蛍さんが書かれているように、アキの立場と言うか思想と、サクの立場と言うか思想がかみ合っていないですね・・・この部分。結局この部分がかみ合っていないので、サクはアキの死後苦しむ事になるんでしょうね。この部分と、アキとサクの最後の会話の部分はもう少し検証しなければならないですね。

あと、P35で、サクが生物の授業でゴリラの事について怒っていますね。何を怒っているのか自分には今一つ理解できないのですが、みなさんはどう思いますか?・・・(アキと意見が合わないので、やつあたり?)

もう一つ。サクが重ジイの元恋人の骨を持ってきて、アキと2人眺めていると、心が安らぐと言う表現がされていますが、この部分も良く理解できないです。みなさんはどう思われますか?

ちょっと用事があるので、いったんここで・・・
...2004/10/24(Sun) 12:42 ID:KLFejpkc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 皆さんのご意見を拝見してからと思っていたのですが,この項目の場所がどんどん下に行って,過去ログの中に埋もれてしまいそうなので,とりあえず。
 ゴリラとチンパンジーのDNAの件ですが,連休に動物園に行くエピソードとの関係で何らかの布石として挿入したのかと思って読み返しているのですが,今のところ,そこで弁当を広げたということ以外に変わった点が見つかりません。もうちょっと熟読してみます。とりあえず,過去ログ入り阻止のための中間報告的投稿で失礼しました。
...2004/10/27(Wed) 08:46 ID:Uc6tVvaA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
にわかマニアさん、お気遣いありがとうございます。

とくに最近は、セカチュードラマも終わってしまい全体的に投稿数が減ってきていますよね。またDVDでも発売されると違ってくるのでしょうけど・・・

まだまだいぜん読だときの疑問があったと思いますので、それも徐々にアップしていきます
...2004/10/27(Wed) 09:01 ID:a71MDQWc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
本当に投稿数が減ってきましたね。寂しい限りです。先日セカチューのコミックをはじめて読みました。以前「点在と遍在」の話をしていた頃、違和感を感じていたのですがコミックではああいった終わり方をしていたのですね。また違った解釈で参考になりました。

騰徳さん
>我々が死んだら財産や名誉などは持っていけないけど、持って行けるのは思い出だけというようなことを言っていました。
ドリーミングになることは結果であってこの時点では考えすぎのようですね。でもなぜ思い出だけは死後も持っていけるのか不思議な気もします。
>ゴリラの事について怒っていますね
多分、歳月を超えた男女の恋愛話をしているときに、チンパンジーと人間の遺伝子が近いというくだらない話にクラス中が笑った。うるさいと思ったのかもしれません。
>元恋人の骨を持ってきて、アキと2人眺めていると、心が安らぐ
謎解き本はグロいものという紋切型の空想に落としこまず、すばらしい出来事へ印象を変えてしまっている。としています。
実際、歳月を超えた純愛のかたちとして骨を見ているとグロいという感情はなくなり一種の憧れのようなもの、神聖なものと感じたのかもしれません。

あと、P64〜66にかけて新婚旅行でオーストラリアに行こうと言うと新婚がおかしい「マドンナが実はバージンでしたって言ってるみたいだ」と話しています。意味深な会話です。皆さんはどのようにお考えでしょうか?
...2004/10/29(Fri) 00:37 ID:ZZpwACHM    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 「本当に投稿数が減ってきましたね。寂しい限りです」というのは,このサイト,とりわけ,ここのスレに書き込む人にとっては共通の思いでしょう。
 確かに,後日談・続編づくりの投稿以外は,めっきり投稿数が減ってきました。でも,何度も読み返しているうちに,ビデオを見直しているうちに,改めて気になったことも出てきているのではないでしょうか。そんなとき,頼りになるのが,このスレです。
 また,ドラマの解釈や時事問題に対する受け止め方は違っても,ちょっと斜に構えた投稿に対して,いたずらに感情的に反発するのではなく,建設的に議論を続けることができたことも嬉しく思います。まだ投稿子さんからの再度のご意見は頂いていませんが,議論というものは,このようにやるものだというお手本を身を以て示すことができたと思いますし,そのメッセージは投稿子さんにも伝わっていると信じたいです。

 ごめんなさい。前置きが長くなりすぎました。
 8月の蛍さんご提起の原作65頁から66頁の解釈ですが,ひょっとして,結果的に2人だけで過ごすことになった夢島行きを「新婚旅行」に見立てているのかもしれません(未成年の皆さん,少年少女の皆さんもごらんのことと思いますから,この種の議論は,お互いに慎重に言葉を選びながら進めていきましょう)。
...2004/10/29(Fri) 22:00 ID:xaoTDHzE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:はちはちまる
この「謎解き」で触れられていないのが不思議なのですが朔は海から上がって水浴びするときに亜紀の裸身(後姿)を見ているんですよね。亜紀もタオルや着替えなしに水浴びするのも不思議だしさらに朔が後で水を浴びるのを見ていたりする。
もし・・・なら夜よりもこのときだと思うのは私だけでしょうか。
...2004/10/29(Fri) 23:06 ID:pbxBMf8M <URL>   

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 原作56頁の遺灰を見ていると気持ちが落ち着くという部分の解釈ですが,後に亜紀の遺灰を長年にわたって持ち続けることになるという展開を考えると,このあたりで,一般的には「グロい」ものとされている遺灰を「神聖な」ものへと再定義しておく必要があったのでしょう。言い換えれば,遺灰に対する免疫を打っておかないと,後々の展開に支障をきたすということでしょう。
 仮に,遺灰が「グロい」存在のままだったら,例の小瓶を持ち歩くということはできなくなります。それでも,物語の展開上,亜紀が亡くなったことを再確認するための何らかのアイテムは必要ですから,その場合は遺影でも持ち歩くことになるのでしょうが,それだと,心の中のケジメがついた時の処理に困ってしまいます。まさか写真を焼いた灰を撒くのでは絵にならないでしょうし。

 ついでに言えば,原作では,祖父の憧れの人の遺灰を見ながら,その時点ではまさか自分も当事者になるとは想定していなかったでしょうが,亜紀は,墓は暗くてじめじめしているから,自分も遺灰をどこか景色のいい所に撒いて欲しいと言っています。
 映画では,亜紀は,墓をあばく共犯者にされていますし,ドラマでは亜紀と一緒に祖父を送っています。
 いずれも共通しているのは,ここで,サクにも亜紀にも「骨」や「灰」に対する免疫が植えつけられ,サクと亜紀が後に遺灰を「撒き」「撒かれる」関係になることが暗示されているということなのではないでしょうか。
 
...2004/10/31(Sun) 00:05 ID:z4LnkVm2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
 P35で朔が生物の授業でゴリラの事について怒っている件が中途半端になっているかなと思いましたので少々おじゃまします。

 このあたりは朔とアキの世界が現実世界に内包されている構造になっています。つまり50年の純愛について語る二人の世界とそれを取り巻く理科の授業の世界です。理科の授業が始まる前に二人の世界では、P34で朔が「……半世紀だぜ。種の進化だって起こりかねない。」と発言していますが、これが伏線になっています。
 チンパンジーが人間になるような種の進化すら起こりかねない時間をかけた純愛の結果として、朔は他人の墓を暴く犯罪的計画を祖父から持ちかけられて気が重くなっています(二日酔いだし)。しかしその外側の現実世界では種の進化をネタに笑いが起こっている。そこで朔は腹を立てている、ということではないでしょうか。

 蛇足ですが、さらにその後の展開として、純愛の世界ではアキと神様の話になり、アキは天罰が下されませんようにと毎晩お祈りをしているにもかかわらず、現実世界の神様である教師には3回も罰を下されるという逆転的な結果となるのが面白いですね。

 ただ私はP36の「つまり不倫より純愛の方が偉いわけだ」という朔のヘンな結論の理解に苦しんでいます。話の流れからして「偉い」という言葉が出てくるのは、人間と猿とはどちらが偉いのかという暗黙の問いかけがあるような気がするのですが、それと不倫と純愛の関係がどう結びつくのか。ここがわかりません。(不倫をするのは人間のみだと考えると、不倫の方が純愛より偉いということになってしまうような気がしてならねぇ……)
 さらに純愛は種をも超える可能性があることが明示されますが、同時に現実世界ではチンパンジーと人間の交配という話題で不倫も種を超える可能性があるという暗示になっています。う〜ん、ややこしいです。
...2004/11/01(Mon) 00:22 ID:W5vgQHfc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 DNA談義がデッドロック状態になっていたところを,どんき様に救出して頂きました。
 さて,36頁の不倫と純愛の比較のところですが,ここのやりとりは,文化や歴史を超えるなら種も超えるのかという問いかけに対し,「チンパンジーのことは判らないけど」となっており,「種を超える」かどうかについては結論を保留しています。とすると,「不倫よりも純愛の方が偉い」という発言は,サルとヒトの比較ではなく,ある行為がどちらに該当するかという当初の議論に戻ったものと考えられます。
 36頁では,「立場によって不倫になったり純愛になったりするのか」,「基準が違う」というやり取りの展開になっています。つまり,一定の(時空を限定された)社会的規範から見た場合には不倫に該当するものであっても,当事者間の意識においては純愛になりうるという整理になっています。そこで考えたのは,純愛というコトバを印象づけながら,社会的規範と当事者間の意識の優劣関係を示すことで,後日,絶対安静の重病人を病院から連れ出すという明白に社会的規範に反する行為を「純愛の証」として説明するための布石としてこの会話が用意されたのではないかということなのですが,考えすぎでしょうか。

 以下余談。
 「純愛の方が偉い」というサクに対し,亜紀は「偉いっていうのとはちょっと違う」と返すやりとりを見て,かつての子供電話相談室を思い出しました。
 「天皇のことを日本で一番「偉い」人って言うけど,何にも仕事をしない人のどこが「偉い」の」っていう素朴な,しかし鋭い問いかけに対し,無着成恭先生(だったと思います)が,「その「偉い」とこの「偉い」では,「偉い」の中身が違うの」って,冷や汗タラタラで答えていたのをご記憶の方,いらっしゃいませんか。
...2004/11/01(Mon) 01:57 ID:KQKR3dSM    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
 遅れてきた男は、もはや過去となった熱い議論を静かに読み返しております。(^^;

 今日もう一度原作を読み直し終わりまして、「この世界……の両端」論を思い出した次第です。この話題はCapriさんの「■−−−−□」で決着したようでしたし、私もそれで大いに納得しているのですが、今一度第五章を読んでみると、にわかマニア様の[13]発言、『ループを描いて元のところに戻ってきたという「両端」』論が俄然光彩を放つように思われます。

 朔は新しい彼女を連れて久しぶりに卒業した中学校に来る。そこで満開になっている桜並木を見て初めて校庭に桜が植えられていたことに気づく。そこで「そのとき胸の奥底に、針でつついたほどの小さな穴があいた。」となります。これが決定的転機です。
 さらにアキの記憶が甦り、「あるいはいつか、ここへ戻ってくることがあるのだろうか。……なくしたときよりもかえって新しく見えたりする。……そんなふうにして、彼女の心はここへ戻ってくるのだろうか。」との記述になります。ここの「なくしたときよりもかえって新しく見えたりする。」という部分は、中学生のときには気づかなかった桜に今気づいたことで象徴されているでしょう。この記述に続いて朔はガラスの小瓶を取り出し、「この世界……の両端」となるわけですから、まさしく形状的には螺旋形で、『ループを描いて元のところに戻ってきたという「両端」』なのだと思いました。
...2004/11/02(Tue) 23:20 ID:rSDJ4s4U    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
にわかマニア様

> そこで考えたのは,純愛というコトバを印象づけながら,社会的規範と当事者間の意識の優劣関係を示すことで,後日,絶対安静の重病人を病院から連れ出すという明白に社会的規範に反する行為を「純愛の証」として説明するための布石としてこの会話が用意されたのではないかということなのですが,考えすぎでしょうか。

 作家っていうのはどういうふうに作品を書き上げていくものなんでしょうかねぇ。あー、そんな一般論じゃダメだな、思いつくままに口述筆記で量産してしまう作家だっているんだから。片山恭一って作家はどんなふうに書いていくかって考えないとダメですね。
 謎解き本なんぞが出るくらいだからやっぱり結構じっくりと構成を練り上げて書いていってるんじゃないでしょうか。(哲学好きらしいし・・・って関係ない?)
 片山恭一ご本人がこの板見てたら感激するんじゃないですか、おぉっここまで解ってくれてる人がいるのか!って。
...2004/11/02(Tue) 23:50 ID:rSDJ4s4U    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
少し投稿が増えてきましたね。いろんな意見が出ることはいいことだと思います。
さて、P64〜66「マドンナが実はバージンでしたって言ってるみたいだ」の会話も意見が出ないようなので私なりの解釈を出したいと思います。
この会話は二人でオーストラリアへ新婚旅行の約束したことと二人が関係したことを話しているのだと思うのです。
なぜマドンナがバージンだとなぜおかしいのでしょうか?実は彼女の昔ヒット曲に「Like A Virgin」があるのですが、このことにかけていると思います。つまりバージンじゃないから「Like A Virgin」となる訳で、もしマドンナがバージンなのに「Like A Virgin」を歌ったなら辻褄が合わない、おかしいとなる訳です。
これを新婚旅行の会話に当てはめると新婚なのに将来新婚旅行へ行く約束をすることがおかしい。つまり二人はすでに新婚の状態である=関係している。と言うこととなる訳です。

にわかマニアさんの
>夢島行きを「新婚旅行」に見立てているのかもしれません
もある意味あっていると思います。
はちはちまるさんの
>もし・・・なら夜よりもこのときだと思うのは私だけでしょうか。
ですが「急がずに、ゆっくり一緒になっていきましょうね」といっているのでその前だとこのセリフの意味がなくなってしまいますね。
どんきさんの
>「この世界……の両端」論
ですがコミックやドラマはサクが死後、遍在となりアキに逢えると解釈しているようです。私自身はサクが自分の中にアキが存在することに気づいたことと解釈しています。ループを描いて元のところに戻ってきたという「両端」というのはよく理解できなかったのですが、たしかにいろんな意味に取ることができます。実は正しい答えなんてないんですよ。その人が一番納得できる解釈がその人の答えだと思うのです。こうやってセカチューを通じていろんな人の意見を聞いたり、いろいろ考えることは楽しいことですね。
...2004/11/03(Wed) 01:35 ID:yW87m7Pc    

             Re: 気付きませんでした  Name:にわかマニア
 「マドンナ」のことを文字通り「聖母マリア」に語源が由来する「みんなの憧れの乙女」と受け取っていたため,何が何だか判らなくなっていました。65〜66頁の会話の解釈としては,夢島への2人きり(結果的にはですが)の一泊旅行まで経験しているのに,今更「新婚旅行」かという流れで何とか理解できたのですが,それにしても何で「マドンナ」を引き合いに出すのかが判りませんでした。
 もちろん,マドンナという名の歌手の存在は知っていましたが,その歌手のレパートリーの中に8月の蛍さんご指摘の曲があったのは知りませんでした。
...2004/11/03(Wed) 08:21 ID:Y2n/hJiE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:はちはちまる
 マドンナのLike a Virginは当時の大ヒット曲ですから高校生のサクと亜紀が知らないことはないでしょう。ただ「新婚はへんよ」という話は亜紀の方から持ちかけているのに「マドンナが・・・」というサクの台詞に「なによ、それ」と亜紀が答えているのが気にかかるわけで。

 少なくとも高校生が「新婚イコール関係」とは考えないと二人と同年代である私は思うのですが。単に「付き合いはじめて何年も経って新婚旅行なんておかしいな」みたいな感じだと私は解釈しました。

 この部分の文章は「あのころはまだ、アキの病気をあまり深刻には考えてはいなかった」で始まっています。新婚旅行に限らず将来を語れる状況だったわけで「急がず、ゆっくり・・・」もその一つではないか、「マドンナが・・・」というのはサクの願望でしかなくだからアキは理解できなかった。サクは照れ隠しに「わかんないけど」と返事したと考えたわけですが。
 
 いずれにせよこの小説は短いだけに読者の想像にゆだねられる部分が多くこうやっていろいろな解釈が楽しめる。それをこうやって言い合えるのは面白いですね。
...2004/11/03(Wed) 10:22 ID:rraYgRpw <URL>   

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
 [27]あたりで騰徳さんが、
> あと、以前TVスタッフの事を書かれていましたが、彼らも徹底的に議論したでしょうね。かなり濃密なやり取りがあったと思います。できる事なら、そう言う場にいたかったですね。
と書かれてましたが、この新婚旅行をめぐる会話もかなりに議論されたのではないでしょうか。ドラマではこの部分の会話を夢島に持ってきて、結果的にはアキが冷たいとかどうだとか大反響を呼んだ部分ですからね。彼らTVスタッフがどんな結論でああいう脚本にしたのか、まさにその場に居合わせたかった思いがします。

 私の解釈は、はちはちまるさんとほぼ一致です。アキは入院が長引いて修学旅行には行けなかったけれどもまだ深刻さはない。二人は十分幸せで、語れる未来はまだたっぷりあった。けれども結婚観に関しては二人の間には多少温度差がある。
 アキにとっては結婚なんて遠い遠い話。で、想像するだにおかしい。だから、「笑ってしまうよね」となる。
 でも朔太郎はけっこう現実的に考えている。アキは現在から未来へ向いているのに対して、朔は未来から過去の方を向いている。つまり、中学生のころから付き合っているんだから今更新婚でもあるまい、という気分で「マドンナが……」とジョークにした。つまり8月の蛍さんが言われる「二人はすでに新婚の状態である」ということでしょうか。
 二人のこの温度差。

 私はドラマ→原作の順だったのですが、朔太郎のキャラクターが丸っきり違うのが原作を最初に読んだときの最大の驚きでした。ドラマのあの一途で真面目で全身全霊のサクとぜんぜん違うじゃん!酒は飲むわ、セクハラみたいなことばっかり言うわ・・・(笑

 そこで今、この新婚旅行についての一連の会話をよく咀嚼してみての感想ですが、映像化するために原作のキャラクターを醗酵させて蒸留する過程で、この二人の微妙な温度差がドラマの出来上がりに大きく影響を与えたのかもなぁ、なんて思いました。
...2004/11/03(Wed) 21:33 ID:A/oNZ5Yg    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
関係した、してないは全体の流れの中では夢島で関係していると解釈するのが妥当だと思います。やはりサクがこの後一切このことを口にしなくなることや二人の関係が深まっていることなどから推察されます。
個人的には関係していないほうが純愛度が高く悲哀があっていいと思うのですが・・・映画やドラマはそのへんの兼合いから関係していないとしているいるのだと思います。
はちはちまるさんの
>ただ「新婚はへんよ」という話は亜紀の方から持ちかけているのに「マドンナが・・・」というサクの台詞に「なによ、それ」と亜紀が答えているのが気にかかるわけで
ですがアキは新婚がおかしいとそのつもりで話していないのでしょうですからサクの言ったことの意味を理解していないと思います。こういうふうに会話の内にサクが別のことを思って言っているセリフというのは他にもありますからそのうちの一つだと思います。
...2004/11/03(Wed) 23:51 ID:LkRXZh72    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
8月の蛍さん、
> 私自身はサクが自分の中にアキが存在することに気づいたことと解釈しています。

 それは私もまったく同じです。(^_^)
 P205で「ここへ戻ってくる」というフレーズが繰り返されています。文型は疑問文なのですが、かつての中学校に戻ってきたときにブラックホールが発生した状況、昔は気づかなかった桜に気づいた状況、アキに代わる「若い女」がいる状況、それらの状況からすると、「ここへ戻ってくるのだろうか。(そうだ戻ってくるのだ。)」という肯定になるのだろうと。
 つまり、いろいろ彷徨ってきた結果、始まりに戻ったときに、自分の中に(新しい姿で)アキが存在することに気がついた、だから散骨する気になってそこが終わりの場所となった。すなわち「その両端にアキがいる。」と。
...2004/11/04(Thu) 00:28 ID:N0NT2Gqg    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
どんきさん
第5章は非常に難しいですね。なぜサクが散骨するに至ったのか?何度読んでも答えが見えてこないです。結局推察するしかない訳ですがアキの存在を感じることが出来たから遺灰は遺灰であると気づき散骨する訳です。ではアキが最期にサクに伝えたことの意味、アキはどこに存在するのか?このことが分からなかったですね。結局ドラマの最終回を見て初めて理解できた訳ですが、同時にこのドラマのスタッフのすごさも知ることになる訳です。実はコミックや謎解き本もこの答えを見い出せなかった。映画もあいまいにしてますから多分理解していないと思います。そう思うと感服するしかない訳です。
最近「雨の日のイルカたちは」を読んだのですがその中の1話に違うかたちで死生観を書いたものがあります。やはり結論はセカチューと同じでした。こちらの方が片山さんの死生観が分かりやすいかも知れません。
...2004/11/05(Fri) 00:09 ID:pSyFaMbc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
8月の蛍さん、
> 結局ドラマの最終回を見て初めて理解できた訳ですが、同時にこのドラマのスタッフのすごさも知ることになる訳です。実はコミックや謎解き本もこの答えを見い出せなかった。

 ドラマを先に見てしまった私は不幸だったかも!(不幸じゃなくて怠慢か?)やっぱ原作から入るべきですねぇ。
 最大の謎は、アキはどこに存在するのか?、だったんですね。ドラマから入ったんで私はそれはもう自明の理のように思ってました。

 実は今日ようやく謎解き本が手に入りました。(泣きませんでしたが)一気に読みました。(笑
今まで読んでもいないのにこのスレに書き込んでたんです・・・ずうずうしく。

 たしかに謎解き本も、アキはどこに存在するのか?を明解に説明できていないようですね。

 この答えを出したドラマのスタッフって具体的には誰なんでしょう。脚本の森下佳子か、Pの石丸彰彦も噛んでいるのか。いずれにしろ、いい仕事ぶりです。
...2004/11/05(Fri) 01:55 ID:sY8tWQHQ    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 どんき様,8月の蛍様
 この作品が,モチーフ自体は「恋人を病気で失った」というシンプルなものであるにもかかわらず,「謎解き本」まで登場するほど議論を呼んでいるのは,「その後のサク」が描かれ,それが題名の解釈とも関連しているためです。つまり,この作品の解釈にあたっては,
 @サクはどのようにして心にケジメをつけたか
 A世界の中心とは何か
の2つの謎を解く必要があり,しかも,「サクは「亜紀の存在」をどう感じるようになったか」というテーマが2つの謎にまたがってかかってきているのです。
 この「謎かけ」があるために,原作やドラマでは,場所まで特定した散骨という亜紀の遺言を実行するためにウルルまで行きながら,撒けずに帰ってくる(あるいは,違和感を感じて躊躇する)という場面まで用意しています。
 唯一,ウルルで撒いたのが映画ですが,これは歳月を経た後に「後片付け」として再婚相手と一緒に行くという設定になっています。これは,問@を重視して描かれた映画の性格上,展開としては観衆が受け取り易くなっている反面,問Aの解釈については不十分さが残されています(時間の制約上,やむを得ない面もありますが)。
 この問題でのBBS(他のスレも含めて)への書き込みもかなりの件数にのぼっていますが,それだけ奥が深いということなのでしょうね。

 追伸
 皆さん,引用した書き込みの部分だけ色を変えるというのは,どのような技を使っていらっしゃるのですか。
 
...2004/11/05(Fri) 12:52 ID:UywRGn5k    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
>  皆さん,引用した書き込みの部分だけ色を変えるというのは,どのような技を使っていらっしゃるのですか。

 引用文の先頭に不等号記号”>”を付けるだけです。


 今日『指先の花』を読みました。にわかマニア様が別なスレで書いておられましたがその通りで、不純異性交遊の果てに女性をみごもらせてやむなく結婚するという純愛冒涜作品ですね。(-_-メ
 ただそのおかげでいろいろ考えさせられました。美しいものとはなんだろうとか、大人になるということはどういうことなのか、とか……。

 原作に関しても、いろいろ再考させられました。

 今までは、夢島の夜、二人は結ばれたのではないかと私は解釈していたのですが、変わりました。二人は結ばれていないように思えます。

 また改めて名前問題の大きさを感じました。「広瀬秋」とはなにか。もし謎解き本がいうとおり、朔太郎が愛を捧げたのは廣瀬亜紀ではなく虚像「広瀬秋」だとしたら、それを愛といえるのでしょうか。それは愛ではなく妄想の類ではありませんか。そうなるとこれは純愛小説といえるのかどうかという根本的な問題になってきます。

 あるいは朔太郎がアキの本名が「秋」ではなくて「亜紀」だと知るタイミングはなぜあそこなのでしょう。またそこで誤解が解けたことになるのでしょうか、まだその段階では「広瀬亜紀」であり、「廣瀬亜紀」になるのにはアキの死を経て彼女の母親から告げられるまで待たなければならないのかもしれません。
 いったい作家片山恭一はどこまで計算しておりどこからいい加減なのか見当がつきにくくなってきました。

 いかがでしょうか?>みなさん
...2004/11/05(Fri) 23:50 ID:sY8tWQHQ    

             Re:緻密な構成と強引な設定  Name:にわかマニア
 ちょっと変なタイトルですが,どんきさんの書き込みを拝見して,以前から気になっていたことを思い出し,それを一言で表現すると,こうなりました。
 つまり,あちこちに伏線を張り巡らし,反復の技法を随所に用いつつ,全体としてはループを描いている(詳しくは謎解き本を参照)という点では,かなり緻密な計算の元に構成された作品と言えるのですが,その構成と矛盾する問題については,原作は沈黙したり,こじつけっぽい説明ですり抜けているのです。

 その一つが,どんきさんやスレ主の騰徳さんをはじめ多くの皆さんご指摘の「名前」の問題です。もちろん,恋愛における「実像」と「虚像」の象徴としてサクの「勘違い」を描きたかったという意図は判ります。
 でも,普通に考えると,年度の初めにクラスの名簿というものが配られるはずです。私の頃は他のクラスまで親の名前や勤務先まで書かれた個人情報に対する配慮のカケラもないシロモノでした。今では,取り扱いは慎重にとの注意書きが書かれ,本人の名前と緊急連絡網として使う場合の電話番号しか載っていませんが,少なくとも,名前の勘違いということは常識的に有り得ない話です。
 原作は,半年間の交際として描かれた映画やドラマとは違って,中2から高2までの数年間の出来事として描いています。いくら毎日学校で会うと言っても年賀状のやりとりくらいはするでしょうから,宛名を書くのに名簿くらい見るでしょう。急用で電話をかける時に名簿で番号を確かめることだってあるでしょう。いくら何でも,空港に行く道中でやっとそれに気がつくというのは無理がありすぎです。
 原作の153頁では,名簿を見なかったのかという亜紀に対し,サクは「最初に出会ったときに,そう思った」と答え,「思い込みが激しいんだから」という会話の流れにしていますが,上記のように考えると,不自然を通り越して無理な設定と言わなければなりません。
 さすがに,映画では,この会話を夢島の場面に繰り上げることによって,後半部分,つまり病気と一緒に立ち向かうところは「実像」の亜紀とともにという設定にしています。それに,映画の場合,夢島までに名前の種明かしをしておかないと,亜紀の入院後のテープに導かれての「学校探検」のシーンが成り立たなくなってしまいます。落書きを見つけてから「字が違う」なんてことになったのでは,絵にならないでしょうから。それに,下駄箱にテープを届けるという映画やドラマの設定では,下駄箱に書かれた名前を見る機会も多く,ぎりぎりまで知らなかったというのは原作以上に無理な話です。

 もう一つ,原作が沈黙している不自然な点は,90年代という原作の設定にもかかわらず,骨髄移植のドナー探しに東奔西走した形跡が全くみられないことです。映画やドラマでは,80年代に設定することで,この矛盾を回避するとともに,特にドラマでは,無理して病院から連れ出さなければ骨髄移植という新療法の開発が間に合ったかもしれなかったということで,サクの自責の念を強調しています。
 最初に戻りますが,原作は緻密な計算の上に成り立っているものの,自らが抱える矛盾に沈黙している部分もあることは否めません。映画やドラマは,こうした問題点を踏まえて,映像化するにあたって独自の解釈を施し,原作のメッセージの根幹を損なわない範囲で再定義・再構成しているといえるのではないでしょうか。
...2004/11/06(Sat) 08:47 ID:0EucPrzE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
にわかマニアさんそれを言い出したらいくらでもでできますよ。実をいうと私の第一感想は?だったんですから。
1つ目は名前おっしゃるとおりありえないですね。広と廣というのはいたしかたがないことですが、秋と亜紀を間違えるのは考えられない。本当のアキをサクは知らなかったにしても無理があります。
2つ目は私の名前8月の蛍、夢島行きは夏休みの半ば過ぎ以降です。蛍は普通7月の上旬頃までですから8月に群生しているはずがない。ましてや川もない無人島に蛍自体いることが不自然です。
3つ目に田舎の公立(多分)高校の修学旅行がオーストラリアという話を聞いたことがない。この当時旅費だけでも40〜50万もかかるような豪華な修学旅行を田舎の高校が考えないでしょう。せいぜいスキー合宿か国内で北海道か沖縄ぐらいが関の山と思います。
>骨髄移植のドナー探しに東奔西走した形跡が全くみられないことです。
ですが一人称小説ですからサクがドナー探しをしなかった。また家族や病院関係者は必死に探していたがそのことを聞いていなかった、知らなかったとも解釈できるわけですから一概に不自然とは思っていません。
...2004/11/06(Sat) 23:24 ID:uBvJ86Q6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
 にわかマニアさん、ご指摘ありがとうございます!
 もう一度このスレッドの先頭から読み直してみました。

 騰徳さんはスレ起しの発言で、
> こういうことからもこの作品は、本当の自分探しというのが本来のテーマであると言えるのじゃないかと思っています。(恋するソクラテスという原題にも象徴されるように)
と最後に書いていらっしゃいますね。ようするに最初っからこの小説のテーマは純愛じゃないだろうっていう問題提起だったんですね!
 今さら気がつくなんて……私バカ過ぎです。セカチュー=純愛っていう図式に支配されすぎていました。

 しかし、しかしですよ、本当の自分探しがこの小説の真のテーマであるということになるとすべての解釈が再検討されなくてはならないということはないですか?
 さらに映画もドラマも純愛がテーマではない原作を無理やり純愛モノに仕立て上げているわけで、不忠実極まりないことになってしまいます。原作と派生作品とはまったくの別物、それこそゴリラとチンパンジーどころかトリとサカナほども違うものであって、観る方のこちら側も映画やドラマの解釈を原作にフィードバックすることは原則的にできないことになってしまいませんか。
 ショックです。すべてがガラガラと音を立てて崩れてしまったような気がしてます。それこそ喪失感です。( ̄ロ ̄lll)


> つまり,あちこちに伏線を張り巡らし,反復の技法を随所に用いつつ,全体としてはループを描いている(詳しくは謎解き本を参照)という点では,かなり緻密な計算の元に構成された作品と言えるのですが,その構成と矛盾する問題については,原作は沈黙したり,こじつけっぽい説明ですり抜けているのです。

 沈黙はともかく、こじつけについてはよくよく注意深く検討しなければならないと思います。
 どうしても読者に気づいてもらわなくてはならないことがある場合、明示の方法をとれないならば、不自然さや無理を露わにして読者に強引に考えさせる手法をとることもあるのだと思います。名前の件、P152-153の「広瀬秋」がそれではないでしょうか。これは無理な設定というわけではありませんが、P63,64,66と3回も繰り返される「サク、サク、サク、サク、……」も読者を不愉快にさせる表現です。


>  もう一つ,原作が沈黙している不自然な点は,90年代という原作の設定にもかかわらず,骨髄移植のドナー探しに東奔西走した形跡が全くみられないことです。

 謎解き本のどこかに大胆な省略をするのも特徴だというようなことが書いてあったように思いますが、骨髄移植に関しても省略されてしまっているような気がします。朔太郎にそういうことをさせるとたいへん現実的な展開になり、「広瀬秋」という虚像を愛して自分が何者かもわからなくなってしまったサクの足が地に付いてしまいます。廣瀬亜紀の命を救う努力は大人たちに任せておいて、サクにはウルル行きの手配でもさせておけばよろしいということではないでしょうか。
...2004/11/06(Sat) 23:55 ID:hUzqJSAo    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 スレ起こしに「本来のテーマ」とあるように,テーマにも表のテーマ,裏のテーマ,隠されたテーマなど,いろいろあるということでしょうが,「全てがガラガラと崩壊する」ほど,純愛物語と両立しない訳ではありません。「自分探し」が本来のテーマだとしても,その素材として示されている劇中劇は純愛物語と言ってもいいのですから。
 ただ,病室がラストシーンではなく,「後日談」の部分にむしろ真のテーマが書かれているのがこの作品の特徴でしょう。しかも,時系列的に整理されて書かれているのではなく,物語A(劇中劇としての純愛物語)と物語B(真のテーマとしての後日談)が交互に展開され,読者はその両者の間を行きつ戻りつしながら,反復や謎かけを解読していくというのが醍醐味なのかもしれません。
...2004/11/07(Sun) 00:20 ID:UyXUH46c    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:
本来のテーマとかいうのは読者が勝手に読み取っただけのもの。
作者の言葉が足りない部分を勝手に補うのは読者の勝手ですが、
「作者はこの作品を通してこういうことを伝えたかったんだ!」
とか作者を巻き込まないでください。
迷惑だったり、逆に勝手に良い解釈されてホクホクしたりします。
テーマが沢山あるように感じるのは、
作者の考えや作品が安定していないだけです。
...2004/11/07(Sun) 13:12 ID:XdL.T1.M    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
みなさん、しばらくご無沙汰していました。書きこみもかなり多くなってきて、良い傾向ですね。ただ段々解釈も難しくなり、自分も完全に自分が書いていることを理解できていない事もあり少し苦しくなったのと、他の方に興味を持ったりでそちらに関心が移っていました。

楸 さん、たしかにあなたのおっしゃる通りですね。この作品はちょっと安定していないように自分も感じます。で、普通はそうなると駄作と言う事になるはずなのですが、今回この作品は空前の売れ行きを達成し、多くの人の心を打ちました。これも不思議な事です?

あと、どんきさんがセカチュー=純愛と言う捕らえ方をされていたように、多くの方がそう言う図式でのみ見ていたと言う事も事実だと思うのですね。そこに、こう言う見方もあると問題提起する事も意義あることじゃないでしょうか?私は基本的にあまり断言する事を好んでいません。これは絶対こうだ!と言える場面は少ないと考えています(現実の世界の色々な問題にしても)。でも、ある一つの見方に凝り固まっている人達に、アンチテーゼというか、こういう見方もあるかもしれませんね、と問題を提起するのは悪い事じゃないと思いますよ。にわかマニアさんは、その辺の事が良く分かっていられるような(76に)文章を書かれていますね。

この前イマアイを見てきました。個人的にはああ言う話しは好きなのですが、どうしてもSFっぽいので、セカチューほどには感情移入できませんでした。(でも好きですよ。)色々切ない部分がありましたが自分が一番切なかったのは、高校時代にお互いが好きなのに言い出せなくて分かれる所ですね。現実にはそこでお話しが終わってしまう事が多いのですが、まあドラマというか小説ですから話しが続くんでしょうね。あと、タイムスリップしてしまうと、現実からかけ離れてしまいますので、その点でセカチューのようにのめりこめなかったんではないかと・・・でも竹内さんですか?、女優さんと子供役の子が大変良い演技をしていましたね。自分はあれで、GOODと言う事になりますね。

8月の蛍さん、
>でもなぜ思い出だけは死後も持っていけるのか不思議な気もします。

これ、私がこの世界を理解する為に勉強しているときの課題みたいなものだったのです。禅の世界の研究をしているとき、彼らの表現にはこう言う言葉ではないのですが、表現が良く似ているものが多々あったのです。

で、色々当たっているとどうも個別的な表現と普遍的な表現を、はっきり区別せずに表現しているんですね・・・(禅の世界での)悟りを開いた人達も。そのため後々そう言う事を研究する人達にも混乱が起こったり修行者達にも混乱が起こってしまうわけです。これはキリスト教にも同じ事が見られます。

その辺の詳しい事の説明は止めまして、我々は死んだら普遍的な存在となりますが、決して無にはならないです。無になるなら、思い出というものも存在しないで無意味なものになりますし、この世界での生き方の道徳等と言うものも無意味になりますね(死んで完全に無になるなら、道徳なんて意味がなくなります)。

一種の思いの波動(誤解されやすい表現だなあ・・・)みたいなものが残るんですね・・・その人の死後、この現実の世界に。。。小説では、サクはあそこにアキがいるのだろうか?ここにアキがいるのだろうか?なんて考えているようです。でもすみません、自分もまだはっきりとその辺の確信はないです。ただ自分が死ぬとき、自分の生きてきた過程を振り返って、自分の思う悪だとか悔いの残ることがあると、イヤだろうと思います。まあ、そう考えるといい思いでを生きている間に作っておかないといけないかな?と・・・アキがサクと会わなかった理由と似ているかもしれませんね。

まだまだ書くべき事もあるのですが、また用事が・・・あ、それとどなたかが書かれていた、サクサクサクというビスケットをかじる音のところも何故?あんな事を作者が書かれたのか?疑問に感じています。サク自身がかじられているなんて書かれていますね。どう言う意図があったんでしょうかね?

飛び飛びだったり、せっかくみなさんが答えてくださった事に返答していない部分もあると思います。また時間ができたら、ゆっくり返事をさせて頂きます。
...2004/11/07(Sun) 13:54 ID:b6vDxY8o    

             Re:ビスケット  Name:にわかマニア
 ビスケットの場面ですが,原作の位置関係で言えば63頁と64頁で連続しているのですが,話の順番としては,かなり飛んでいます。つまり,亜紀の散骨のために出かけた旅先でのひとコマが63頁なのですが,その音を聞きながら場面転換し,ビスケットを持って見舞いに行った回想シーンが64頁以下で展開されます。
 そこでちょっと気になったのが,その9頁前の55頁のシーンです。祖父の恋人の遺灰を前に,「いっそのこと食べちゃえばいい」とか「私が死んだら私の骨を食べるの」といったやりとりを念頭に置いた,形を変えての反復なのではないかと・・・
 皆さんは,いかがですか。

 ところで,受け取り方,感じ方は様々ですし,人の意見も十人十色ですから,この見解が絶対だという押し付けをするつもりはありませんし,内容に関する議論に関しては,自説も含めて相対化するような書き方をしてきたつもりです。人間的な至らなさから,そうなっていない部分があればお詫びいたします。
 ただ,その一方で,どうしても譲れなくて,しばしば語気を強めてしまっているのが,こうした議論をする前提そのものについての議論なのです。つまり,どういう意見を展開しようが,賛否はともかくそれを尊重するけれども,この土俵自体を否定することは認められないというのが私の立場なのです。
 何が言いたいかというと,コトバや音や画像を媒介にメッセージを伝えるのが芸術(文学・音楽・美術)であり,提示された媒体の中から作者のメッセージを読み解くのが「芸術を理解」することなのではないでしょうか。それを,作者のメッセージを解読し,議論に供することを「作者を巻き込むな」と言われたのでは,文芸評論そのものが成り立たなくなってしまうのではないでしょうか。
 例えば,モーツァルトは没後200年以上を経て,魔笛やジュピターの解釈は今なお議論が続いています。しかし,私の承知する限り,この議論を指して,死者を墓から連れ出すのかといった議論は寡聞にして聞いたことがありません。
...2004/11/10(Wed) 01:54 ID:2KgPBHqg    

             Re: ビスケット  Name:どんき
 以前、アキが朔太郎の呼び名を「朔ちゃん」と決めたくだりで、「そうやってアキは僕のことをなんでもかんでも決めていくので、ついに僕は自分が何者なのか、よくわからなくなってしまったのである。」の記述が検討されていましたね。
 この場合は、
   名前の記号化 → アイデンティティーの喪失
という図式でしたが、このビスケットを齧る音の件は、音に先立って、P62「気がつくとここにいた。そこがどこかもわからない場所に、自分が誰かもわかないぼくが」とあります。つまり今度は逆順に、
   アイデンティティーの喪失状態 → 名前の記号的暗示 → アイデンティティーの回復 → 過去の記憶再生
となっています。さらにその再生された記憶が二人が始めてオーストラリア行きの話をした場面ですから、場所という属性まで回復しています。

 だからなんだ、といわれると答えに窮します。(^^;
...2004/11/11(Thu) 15:04 ID:VUjfi1Ws    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 90年代初期という原作の設定を,「17年1ユニット」や「骨髄バンク設立前の話に」等の事情から80年代後半に繰り上げたのがドラマや映画です(繰り上げた事情や動機として挙げたのはドラマ版の解釈です)が,そうなると,単に暦を書き換えるだけでは済まない問題も出てきます。その一つが修学旅行の問題です。
 今は過去ログ入りしまった「17年前の日々」というスレに,こんなことを書いたことがあります。

「ドラマが描いた1987年と言えば,85年9月のプラザ合意で為替相場が人為的に円高に誘導され,86年の円高不況を契機に内需拡大が推進された時代でもあります。円高誘導が海外旅行の普及を加速させた結果が,海外への修学旅行の登場です。
 一方,2年後の89年には,竹下内閣が「ふるさと創生」と称して各市町村に一律1億円ずつ交付税を配分し,87年制定のリゾート法とも相まって,建設・開発のラッシュを招いています。
 そういう意味では,1987年というのは,バブルに突入する前の「素朴な時間を感じ」させてくれた最後の日々だったのかもしれません。」

 大まかな流れとしてはそうなのですが,「海外への修学旅行」が普及し,地方にまで波及するには時間がかかります。ですから,90年代の設定をそのまま80年代後半にそのまま「平行移動」させてしまうと,8月の蛍さんご指摘のような矛盾も生じてしまうのです。
 ところが,一方で,アボリジニの世界観やウルルでの散骨といった物語の根幹に関わるテーマとの関係上,オーストラリアとの接点はどうしても欠かせません。このため,映画では,夢島に置き去りにされていた先客のカメラに残っていたフィルムの中を現像してみたらウルルが写っていたという設定にしています。ただ,その分,どうしても(死んでも)そこに行きたいという動機付けとしては,インパクトが弱くなった感じがしなくもありません。
 ドラマがオーストラリアへの修学旅行という原作の設定に戻したのは,病身を押してまで行きたいという動機付けの他に,サクが胸騒ぎを覚えたり,亜紀に一旦は別れる決心をさせるには,2人の間に物理的にも距離を置く必要があり,そのためには設定上の細かな矛盾もフィクションとしての許容範囲と考えたのかもしれません。
 でも,読み返したり,ビデオを見直したりする度に,理解が深まるのと新たな謎が見つかるという一見矛盾する現象が同時に起きるというのが,この物語の不思議なところです。それだけに,何度見ても飽きないのですが,皆さんはいかがですか。
...2004/11/13(Sat) 05:01 ID:Jvnxuqoc    

             整合性:骨髄バンクvs散骨  Name:にわかマニア
 過去ログ落ちを防ぐ意味も込めての投稿です。
 先の投稿で,原作の年代設定を骨髄バンク設立以前に繰り上げたら,海外への修学旅行が普及する前だったということを書きましたが,もう一つ,矛盾に気がつきました。それは,「散骨」が市民権を得たのがいつかという問題です。

 改めて言うまでもなく,「散骨」は刑法第190条の遺骨遺棄罪や墓地埋葬法第4条の埋葬場所の規定の隙間と言うか,法の空白領域に位置する行為です。ですから,「散骨」を行なったからといって,直ちに手が後に回る訳ではありませんが,「社会的規範」として容認されるかどうかはまた別の問題です。
 逆に言えば,前記の2つの条文が改正されていないとしても,社会の側に受け入れられるかどうかのターニングポイントが存在し,それが奇しくも骨髄バンク設立の前年の1991年なのです。この年,「葬送の自由を進める会」が洋上散骨を行ない,法務省が「祭祀行為として節度をもって行なわれるなら違法ではない」との見解を示したことで,それ以後,死後に散骨を望む人やそのような遺言をする人が増えました。
 つまり,年代設定を骨髄バンク以前に持っていくと,「無理して病院から連れ出さなければ骨髄移植に間に合ったのに」という自責の念が強調される反面,「ひょっとして違法かな」という行為として認識されていた時代に散骨を行なったことになります。一方,原作の年代設定では,ドナーとの適合性など骨髄移植がだめだったことの説明が必要になる反面,散骨自体は社会に受け入れられる行為として位置づけられることになります。

 そこで考えたのですが,本来のテーマを散骨(そこに至る心理的葛藤)ととらえると,骨髄移植についての矛盾は別の形で説明可能(コミック版では,ドナーが現れたが型が適合しなかったとしている)だから,散骨に違和感のない時代ということに重きを置いたのが原作で,サクの自責の念を強調するため,骨髄バンク以前に設定を繰り上げたのが映画やドラマということになるのでしょうか。もちろん,@政府に「法的に問題ない」と言わせるまでには,多くの人たちのそうした行為の積み上げがあったのでしょうし,Aウルルでの散骨は日本の法律の及ばない海外での出来事ですし,Bグラウンドでの散骨は21世紀に入ってからと,逃げ道も用意されていますが・・・ 
...2004/11/15(Mon) 21:16 ID:tv5Q/Gb6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
> でも,読み返したり,ビデオを見直したりする度に,理解が深まるのと新たな謎が見つかるという一見矛盾する現象が同時に起きるというのが,この物語の不思議なところです。それだけに,何度見ても飽きないのですが,皆さんはいかがですか。

 私の場合ドラマのほうは、ビデオがカミさんの支配下にありまして、セカチューはいまや分けのわからない韓国ドラマに置き換わってしまっています。(悲
(ということで原作のみ再読可能な私としましては、このスレに期待せざるをえません。)

 どなたかが書いておられた「たくさんテーマがあるということは作品が不安定だということ」というのはその通りなのかもしれないなあという気がします。本当の自分探し、本当の愛探し、純愛、愛する人を失う喪失感、死生観、まだまだありそうですが、ざっと数えてもこれくらいのテーマはありそうです。
 にわかマニアさんがおっしゃる、理解が深まると新たな謎が見つかる、というものもこのテーマ過多ゆえの不安定さから来るのかもしれません。
 「世界の中心で、愛をさけぶ」は決して通俗的で底の浅い小説ではない、と謎解き本は懸命に力説しています。私もそうだと思います。しかし一方ではおそらく作者自身が未消化なもろもろのテーマがそのまま問いとして寄せ鍋風にあの短い小説中に煮込まれているために、読めば読むほど新たな謎が見つかるということになっているのではないでしょうか。
 文学史上に残る稀代の名作とまではいかないけれども、面白い作品ですよね。今までこれほどたくさん読み直した文芸書はありません。
...2004/11/15(Mon) 21:26 ID:7YgZC5kI    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
>>82
 そうでしたそうでした撒骨というテーマも本作の重要なテーマのひとつですね。ただ年代設定に影響を与えているとは思いつきませんでした。

 私が疑問を感じていたのは、「祖父」が盗み出した骨と自分の骨を混ぜて「撒いて」欲しいといっているのはなぜなんだろう、ということです。骨を撒くというのは無に帰せしめるイメージであって、いくら混ぜたからといっても撒いてしまったんでは一緒に眠るイメージにはなりにくいんじゃないでしょうか。一緒に眠りたいのならやはり埋めなければならないと思うんです。実際「ちょっと待て、海だとすぐ潮に流されてばらばらになってしまうな」と言って山を指定しているわけですからね。でも山だって撒いてしまえばすぐ風に流されてばらばらになるという点では海と五十歩百歩です。
 もちろん「祖父」に「撒いて」欲しいといわせているのは、撒骨がテーマであるからですが、ひょっとしたら第5章の撒骨が先にあってそこから逆算して祖父の撒骨というストーリが作られているのかもしれませんね。でもそれにしては少々詰めが甘いというか少し矛盾があるような気がします。
...2004/11/16(Tue) 00:58 ID:FTJsHQu6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 祖父の散骨場所に対する希望ですが,「一緒の墓に入る」(それをプロポーズの言葉にした人もいます)ことが許されない(2人とも既婚者)という前提があって,なおかつ,「その人とどうしても一緒になりたい」ために,代償行為を求めている訳です。
 確かに,潮と風の違いがあるにせよ,海も山も五十歩百歩と言ってしまえばそれまでなのですが,一緒の墓に入ることの代償行為としてとらえるなら,より「土に還る」それも,2人一緒にという願いに近い方として山での散骨を望んだものと考えられます。
 埋めなかったのは,「一緒の墓に入る」ことは「倫理的に」許されず,墓以外の場所に埋めるのは墓地埋葬法第4条に正面から抵触するので「法律的に」許されない中で,法的グレーゾーンとしての「散骨」が落としどころとなったのでしょう。
...2004/11/17(Wed) 12:57 ID:zP.GP1kg    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 これまでの投稿で,参考条文を表示するのを失念していました。失礼いたしました。

 墓地埋葬法(1948年5月31日 法律第48号)
 (定義)
第2条 この法律で,「墓地」とは,墳墓を設けるために墓地として
 都道府県知事の許可を受けた区域をいう。
 (墓地外への埋葬の禁止)
第3条 埋葬または焼骨の埋蔵は,墓地以外の区域にこれを行ってはならない。

 刑法(1907年4月24日 法律第45号)
 (墳墓発掘)
第189条 墳墓を発掘した者は,2年以下の懲役に処する。
 (死体損壊等)
第190条 死体,遺骨,遺髪または棺に納めてある物を損壊し,
 遺棄し,または領得した者は,3年以下の懲役に処する。
 (墳墓発掘死体損壊等)
第191条 第189条の罪を犯して,死体,遺骨,遺髪または棺に
 納めてある物を損壊し,遺棄し,または領得した者は,3月以上
 5年以下の懲役に処する。

 これだと,本当に,サクたちがサトさんの墓を暴いたのは,「いたずらじゃ済まない」(第2話)ですね。
...2004/11/17(Wed) 15:52 ID:zP.GP1kg    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
> これだと,本当に,サクたちがサトさんの墓を暴いたのは,「いたずらじゃ済まない」(第2話)ですね。

そうですね、まさしく性犯罪です。
...2004/11/17(Wed) 19:19 ID:XAjF39GQ    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Wolfy
はじめまして。Wolfyです。
今日は俺の嫌いなものの話をします。
第5位:広すぎる亜紀の病室(まるで東京の大病院のVIPルーム)。
第4位:ありえない救急車のスピンターン。
第3位:駆けつけた救急車に亜紀の両親が乗っていた不自然さ。
第2位:二人がともにすごしたわずか4ヶ月のうち50日も会えない期間があったこと。
第1位:二人がlove loveで亜紀が元気な期間がたった3週間しかなかったこと。
以上、のみ。あとは好き。全部好き。ドラマ版セカチュー最高です。
自己紹介が長くなりました。今までこのBBSを楽しく読ませていただいていましたが、初めてカキコミします。
原作でサクとアキが夢島で結ばれたかどうかについて、私は、結ばれた、と確信します。亜紀の臨終の場面に続く夢島の2日目の回想の場面で、船で迎えに来た大木が亜紀の方を見た時、「彼女はやや顔を赤らめて下を向いた。」という記述があります(P163)。結ばれていなければこういう仕草はしないと思います。「謎解き‥」でもいろいろ考察していますが結論には至っていません。「謎解き‥」の著者やこのスレッドの常連の方々の中にも、この記述に注目された方は居られないようです。回想場面に先立って夢島の帰りに海を漂ったことをサクが思い浮かべるところで、「あそこにはすべてがあった。何も欠けていなかった。すべてを持っていた。」という表現がありますが(P161)、これもアキのすべてを手に入れた(この表現はあまり好きではありませんが悪しからず)ことの傍証になると思います。皆さんはどう思われますか?
...2004/11/23(Tue) 20:59 ID:q.4AMYQM    

             Re:参照条文の訂正  Name:にわかマニア
 大変失礼いたしました。
 No86の参照条文でミスがありました。
 本題の書き込みにもありますように,墓地以外への埋葬の禁止は墓地埋葬法の第3条ではなく,第4条です。ちなみに,第3条は死後24時間を経過しないと埋葬できないという規定です。
 大変失礼いたしました。
 お詫びして訂正いたします。
...2004/11/23(Tue) 23:05 ID:CCsypI.2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
Wolfyさん、
 「あそこにはすべてがあった。何も欠けていなかった。すべてを持っていた。」というP161の表現が傍証になる、というご指摘はたいへん興味深いものがあります。結ばれたかどうかの論とは別にして私もこの部分をどう解釈すべきかずっと考え続けていました。それだけにそういう見方もあったのかと驚きました。

 「彼女はやや顔を赤らめて下を向いた。」という記述については、本スレッド[21]の騰徳さんの書き込みを参照してください。騰徳さんは別な論点でこれに言及していらっしゃいますが、わたしはアキが顔を赤くして下を向いたという繰り返し技法としてこれを捉えるべきかどうか、もし繰り返しだとすれば何を意図したものかを検討すべきだと思っています。これを含めてこの問題についてはまとめたうえでそのうち書き込もうと思っていますので、よかったらお付き合いください。
...2004/11/24(Wed) 23:15 ID:A5QRQhCY    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Wolfy
どんきさん、御意見ありがとうございます。
私は「あそこにはすべてがあった‥」の表現はあくまで傍証で、「彼女はやや顔を赤らめて下を向いた。」が、二人が結ばれたことを示す決め手と考えています(歌う声が小さいことを指摘されて顔を真っ赤にして下を向いたということとの繰り返し技法であるという騰徳さんの御意見の当否とは関わりなく)。
それにP111の場面で、アキの方から唇にキスをして、二人は抱き合ったまま目を閉じた、とあります。お互いに好き会っている若い健康な男女が(原作では夢島に行った時点までは発病の徴候はない)、誰にも邪魔されない環境でこのシチュエーションになって、何もなしにすむとは考え難い、特にサクが自制できたとは考えられないと思います。アキも、サクと大木のたくらみにかなり早い段階で感づいていたけれども、だまされている振りをしてあえてそれに乗った。つまり、いざという時の覚悟はしていた.身持ちの堅いアキも、決して堅物一方ではなく、「謎解き‥」の作者の言う、キップのいい女だったと思います。
...2004/11/25(Thu) 00:02 ID:DXBre16k    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
かなり時間がたちまして、今更お礼を書くのも失礼なことですが、ゴリラの件、骨の件、色々な解釈をありがとうございました。

あの辺りから、話しが色々な問題を論ずるようになってきて、どう返答していけば良いやら悩み始めました(苦笑)。自分には能力がないので、問題は一つか二つくらいに絞って、それを詳しく論じ合う事が良いのではないかな?と思っています。

ゴリラの件に関しては、みなさんの意見で大体納得できますね。ただ、重ジイの恋人の骨を見て心が安らぐと言う部分の解釈には以前?が付きまといます。実際?骨を見て人は心が安らぐと言う事があるだろうか?と、思うのです?その部分で、納得がいきませんね。

ただ、5日間連続で放送された、弟(石原裕次郎の話し)、の中でも、父親の骨を裕次郎が持ち出し、船の上でかじって海に投げ捨てますね(そのとき慎太郎は驚いていた)。その後、裕次郎が死んだ後、慎太郎(現東京都知事)がやはり、裕次郎の骨を海に流します。

散骨を納得して実行する人達は、遺骨に対する感覚が少し自分と違うようですね。

ちょっと難しいというか、まだその部分では納得できないですね.

突然の返事で失礼します。。。
...2004/11/25(Thu) 00:42 ID:2DwniVoI    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 騰徳様
 確かに,最初の議題からあれこれ「サブクエスチョン」が派生し,どんどん話が拡がってしまいましたね。議題ごとにスレを起こすのも一法ですが,それだと,あっという間に過去ログ落ちするリスクもあるし・・・

 さて,「骨を見て心が安らぐ」という部分が「納得がいかない」というのは判ります。正直言って,私も自分の感性に照らすと違和感を覚えます。
 もっとも,この「納得がいかない」という感じは,「ストーリーの展開に整合性が欠けている」とか「設定に矛盾がある」という問題というよりは,物語そのものは自己完結的に完成しているけれども,そういう存在としての「他者」と接した際の「カルチャーショック」なのではないでしょうか。
 これについて,騰徳さんは石原兄弟のエピソードを紹介しておられますが,法務省が散骨は墓地埋葬法第4条違反ではないという公式見解を示して以降,散骨の他に,遺灰をペンダントに入れて持ち歩く(小瓶どころの話じゃないですよね)ということも行なわれるようになったとのことです。ますますカルチャーショックを感じる話かもしれませんが,「遺骨に対する感覚」もさまざまなのでしょう。
...2004/11/25(Thu) 08:54 ID:IR4fo.Vk    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
以前こう書き込みました。
>  今までは、夢島の夜、二人は結ばれたのではないかと私は解釈していたのですが、変わりました。二人は結ばれていないように思えます。

 遅くなりましたが根拠を示しておこうと思います。(長文失礼)

1.反復表現その1
 P78動物園の帰りにホテルへ入ったときの会話と展開はこうでした。
アキ「わたし嫌だわ」「こういうところ、好きじゃない」
サク「ああ……そうだね」
その後、アキの誘いで手をつなぐ。
 P110,111夢島の夜の会話と展開。
アキ「たぶん。でも、こういうの嫌だわ。いろんな人に迷惑かけるから」
サク「ああ、そうだね」
その後、アキの方からキスをする。

 台詞および人物の行動の構造が完全に一致しており、これは明らかで強力な反復表現となっています。結果もまた繰り返されたと見なければならないはずです。(謎解き本P171,2参照)

2.反復表現その2
 P163島へ二人を迎えに来た大木とのやり取りのなかで、「彼女はやや顔を赤らめて下を向いた。」
 P199大木の台詞中で「……顔を真っ赤にして、下を向いた……」

 これは反復として書かれたものかどうか判断に苦しむところではありますが、P199の大木の回想としてのアキの歌の話は、それに続く朔太郎の夢島でのアキの歌の回想へ展開するための単なる枕でしょうか。それにしては唐突に過ぎるしボリュームもあります。だから、朔太郎の回想への枕にしつつ、P163の裏づけをしているような気がしないでもないのです。裏づけとはすなわち、アキは受動的な状況下で主体的な行動を取らざるを得ない場合顔を赤くし下を向くのだ、という説明です。つまり、一方は、教師の指示という受動的状況で歌を歌うという主体的行動をとり、一方は、夢島に連れ出されるという受動的状況下でアキが主導的立場に立つという構造が共通しています。しかも両方とも大木を媒介にしている点も見逃せません。そう考えるとP163で顔を赤らめて下を向いたのは、結ばれたことを照れているのではなく、昨晩はアキが朔太郎を制御したことを照れているのだと考えられないこともないわけです。

3.言葉の呪詛
 P79『「出発は遂に訪れず?」と呟いて』みてしまった。
 これについては謎解き本P171,2のとおりです。

4.唯一の回顧の表現
 P198大木からホテルへ行かなくていいのか、と問われて「一瞬、胸のなかが冷たく固まるような気がした。」とあります。この部分は夢島の夜についての唯一の回顧の記述ですが、「胸のなかが冷たく固まる」というのは明らかに否定的な表現です。つまり朔太郎にはなにか後悔のような感情がある。アキの言うとおり「急がずに、ゆっくりと一緒になっ」たなら後悔や後ろめたさなどのような否定的な思いは残らないでしょう。

5.名前問題
 夢島の夜、二人は結ばれなかったと考える最大の根拠がこれです。
 朔太郎がアキの本名を知るのはアキの死の直前(または死後)です。アキは「広瀬秋」を演じ、朔太郎もまた虚像「広瀬秋」に恋している。つまり現実的なものや生々しいものは二人の関係にはありえないわけです。アキは実際の自己を朔太郎に隠しているし、朔太郎も一方ではアキの肉体を欲しつつも他方では清純な「広瀬秋」に恋しているわけです。
 祖父はP179で語ります。「……わしらは二人とも同じような体験をすることになった。二人とも好きな女と一緒になれず、死に目にも会えなかった。……」またP180では「……実現しなかったことは、ただ虚しく実現しなかったわけではない。美しさとして、本当はすでに実現しているんだよ。」と語ります。

 アキも第五章の「若い女」も祖父の恋愛をそれぞれ「純愛」、「ロマンチックすぎる」と捉えています。「若い女」はともかく、アキが祖父のプラトニックな恋愛を「純愛」だと強く支持していることは重要だと思います。その祖父が、一緒になれず、実現しなかった、と語り、それだからこそ美しいと語っています。原作セカチュウの純愛は、この純粋プラトニックにあるような気がします。
...2004/11/25(Thu) 21:53 ID:GBCmxRGg    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
久しぶりにレスします。最近は片山さんの小説をいろいろ読んでいます。やっぱりセカチューと同じで難しいですね。共通して一読しても粗筋しかわからない。3、4回読んではじめて物語の本筋見えてきて作者の言いたいことが分かるのですが、答えは読者に任せていることが多いですね。「きみの知らないところで、世界は動く」、「満月の夜、モビイ・ディックが」はセカチューと似たところもあり奥が深く面白いですよ。
さていろいろ読んでみてセカチューでは作者は死生観を書きたかったのではないかと思っています。ですから、恋愛物語の部分はあまり深く考えていなかったのかもしれないと思う今日このごろです。
>「彼女はやや顔を赤らめて下を向いた。」
これは結ばれた場合はおっしゃるとおりなのですが、結ばれなかった場合でもこの状況はおかしくはないと思います。アキはサクや大木の計画を知ってしまっている訳です。大木はこの計画がうまくいっていると思って迎えに来ている訳ですから、そう思われていることを女性として恥ずかしい、気まずいと思ったかもしれないと考えられなくもないからです。ですからこの部分ではどちらとも言えないように思います。
>「あそこにはすべてがあった。何も欠けていなかった。すべてを持っていた。」
これはアキの死期が近づきサクがこの時が自分の世界で最高の瞬間だったことを比喩しているように思います。ただこれを結ばれた云々の根拠とするには具体性に欠けるように思われます。

私も前のレスのとおり結ばれていたと思っています。「マドンナが実はバージンでしたって言ってるみたいだ」は言葉の意味やマドンナ、バージンの単語から連想する意味から根拠としている訳ですが、具体的な記述ではありません。実は作者はどちらでもいいと考えていたかも知れないですね。
...2004/11/26(Fri) 00:45 ID:hekblYSI    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
にわかマニアさん、お返事ありがとうございます。まあ、多くの疑問が書かれるのもいいかもしれません。全部には答えられなくても、自分の興味のある事、答えられる事、だけ答えていけばいいかと・・・

いよいよ明日は、多摩映画フォーラム?ですね。天気も雨ではないようなので、楽しみです。

さて、骨の事ですが、 弟 の他のニュースというかサイトによると、石原まき子さん(裕次郎の奥さん)は、裕次郎の骨をペンダントにしているようです。アメリカではかなりはやってきているそうです。中には、自分の家に置くモニュメントに骨を混ぜたり、海に沈めるために(たしか?)ドーナツ状のコンクリートの中に埋め込んで(波止場に置いてあるコンクリートのように大きいもの)、海に沈めるサービスも登場しているとの事。また、宇宙に散骨と言うものもあるということです。

自分の愛した人の一部を(例えば)ペンダントにして持ち歩くのは、サクがアキの骨を持ち歩いた感覚と同じようなものかもしれません。愛する人は死んでしまったが、自分とその人は一体である(ありたい)と。。。海や宇宙に散骨となると、死んだ人の希望をかなえてあげたいと言うものでしょうが、自分の家の中にモニュメントとして残すとなると、かなり違和感があります。

あの場面でのサクとアキが骨をみて心が安らぐと言うのは、たしかにストーリーの展開上必要な事かもしれませんが、もう少し説明があっても良かったかもしれませんね。でもこのセカチューの小説の特徴は、そう言うものがないというのも一つの特徴である事を考えると、まあしょうがないかな?と思っています。

話しは変わりますが、夢島でのサクとアキが結ばれたかどうかという疑問ですが、私はなかったと思っています。みなさんのように詳しくは検証していませんが、そう思っています。

8月の蛍さんの

>>「あそこにはすべてがあった。何も欠けていなかった。すべてを持っていた。」

の解釈ですが、そう言う解釈があると共に、あそこで作者は一つの人生観世界観を披露していると私は思っています(かなり前からそう思っていました)。

アキがどこかで述べていますが、この世界には欠けているものはなくて、全てがあるんだと言っていることの繰り返しと共に、作者の世界観が披露されているようです。

我々はこの世界を生きていくとき、大抵は何かが足りない、何かが足りないと、何かを求めて生きていますが、それが煩悩だと仏教では言われています。別の言葉で言うと、 足るを知る という意味の言葉があったと思います。そう言う事で、作者のそういう世界観があそこに書かれているように思います。

片山さんはこれからは、人生観世界観の作品を書いていこうと思っている、とどこかで答えられているようですね。ここのサイトにもある(あった?)読売新聞の記事にも、世界観の話しが書かれていますね(自分の先輩の整体の先生との対話について書かれています)。

ただ恋愛のストーリーがあまりに強烈であったため、その部分が取り上げられている事に、片山さんは不満が少しあるようです。

この作品は、メインテーマが分かりにくいというかはっきりさせていない(読む人が分かりづらい)ように感じるのは、サクとアキが夢島で結ばれたかどうかはっきりさせないと言うところと、根は同じなのかな?とも思っています。
...2004/11/26(Fri) 14:30 ID:W1AD17ro    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Wolfy
皆さん読みが深いですね。感服いたします。元々著者片山氏も、二人が結ばれたかどうかは意図的にはっきりさせなかったと思われ、誰もが納得のゆく結論は出ないのでしょう。夢島の朝、大木と会ってアキが顔を赤らめたことについては、どんきさんや8月の蛍さんのおっしゃるように、二人の間に何もなくても顔を赤らめたかもしれません。しかし著者がわざわざ顔を赤らめうつむいたと表現したということは、素直に読めば何かがあったことを意味するのではないでしょうか。それと〔91〕で書きましたように、あの状況でベッドの上で抱き合って、何もしないでいるというのは、男の子の生理から見て不可能だとも思います。アキも絶対拒否、という構えではなかったのですから。あとは「謎解き‥」にもありましたように、事に及ばなかったことにサクがほぞを噛んだことを示す表現が、夢島以後ぴたっとなくなっていることも、二人が結ばれたことを示す有力な傍証になると思います。
...2004/11/27(Sat) 06:49 ID:GtNLGCmk    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
Wolfy さん、詳しい検証ありがとうございます。自分はWolfy さんとは違う見方をしているので、反対の意見を書きますが、こんな見方もあるものと考えてくださいね。(Wolfy さんにはこんな断り書きしなくてもいいんでしょうけど・・・)

サクは夢島でアキにたくらみを見破られた後、そういう気が無くなってしまったように考えているようですね。またたしか、ばれる前にも、はらはらしていて、最後にはもうどうでもいいようにも感じていたようですね。そういう文章からすると、サクとアキは結ばれなかったように自分は感じるのです。

ですから8月の蛍さんと同じ、アキが顔を赤らめたのも、そういう事を大木君が知っていると言う事に対しての恥ずかしさから来るものと、自分も考えていました。あの当時の純粋な女性の感性はあんな感じだったと思います。

また、アキに対する肉体的な欲望と言うところから、精神的な愛にサクの気持ちが移り、その後、アキが死ぬ事により、その純愛性を引きづっていく・・・そんな物語のように感じています。その前振りとして、プールで大木君とサクが話しているとき、アキは物じゃないんだ、と言うような事を言っていたと思います(柔道部の先輩がアキを狙っていると聞かされて・・・)。ここに物質的な欲望から精神的な愛の方に移る、下地がなされているようにも感じます。

それとこれは余談ですが、サクとアキの純愛に多くの人が引かれたと思います。

ただ、作者が結論を書かなかったのは、現実には結ばれてもおかしくない状況であるのに、それではないように書く。この作者のこの物語(他の本は読んでいないのでわかりません)に対するスタンスなのかもしれませんね。

久しぶりにセカチューを見たので、かなりあちこちにも文章を書きました。やっぱり映画(映像)って、人の気持ちを動かす方法としては、素晴らしいものですね。
...2004/11/28(Sun) 01:43 ID:lzc30R6c    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 「Wolfy」さん・「8月の蛍」さんと「どんき」さん・「騰徳」さんとで結論が逆ながら,いずれも他の部分の表現を傍証としての論考で,同じ根拠から逆の結論を導くことさえできるということ自体,解釈の幅を広くつくってあるということなのでしょうね。過去ログでも取り上げられていますが,結局のところ,原作者も制作者も解釈を見る人に委ねており,これは「サクと亜紀の永遠の秘密」という形で締めていたようです。

 夢島行きが大木の発案というのはどれも共通していますが,原作・映画・コミックでは最初から2人きりになるように仕組まれた計画的犯行として描かれているのに対し,ドラマではキャンセルが続いて結果的に2人きりになった(正確には,3人になったが大木が気をきかせた)という描かれ方でした。このうち,最も「最後まで進んだ」ような描き方をしているのがコミック版ですが,それでも,「そういうことは当事者間の問題なのに,本人には内緒で先に大木と計画を進めた」ことを怒ったという展開になっています。
 そういう流れの中では,結果的にその夜どうなったかに関わらず,そういう状況を仕組んだ大木に対して顔を赤らめるのは自然なことでしょう。

 さて,映画制作者の解釈は,「キスは夢を語りながらするもの」発言に見られるように,明らかに2人の仲は「プラトニック」なものという立場をとっています。
 これに対して,ドラマの方は,原作同様にいろいろ議論があります。後の回に登場するセリフの中にも,即物的に解釈すれば「最後まで進んだ」ということの傍証にされそうなものがない訳ではありません。
 ただ,帰りに倒れるという映画の設定(原作では船の故障)を引き継ぎつつ,それに「精密検査の呼び出しを振り切って夢島に向かった」という新たな設定を加えたのがドラマの特徴です。もともと,「Xデー」から逆算して各話に割り振った「カルテ」に合わせてエピソードを当てはめていったような作り方をしていることもありますが,「反復の技法」から考えると,「病人を旅に連れ出す」ことの伏線として位置づけたのではないかとも考えられます。
 もし,この解釈が許されるなら,ウルル行きが成就しないということも反復に含まれるはずですから,当然,2人の仲も即物的な意味では「最後まで進まない」という解釈を制作側はとっていたのではないでしょうか(もちろん,視聴者に対して最終的な解釈の余地は残してありますが)。
...2004/11/28(Sun) 07:16 ID:HPG9XcWc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
> あの場面でのサクとアキが骨をみて心が安らぐと言うのは、たしかにストーリーの展開上必要な事かもしれませんが、もう少し説明があっても良かったかもしれませんね。

 私が最初あの部分を読んだときの感想は、「今夜は二人でUFOを見るぞ」という朔太郎の台詞の唐突さに対する違和感でした。私にとってはこの台詞が謎のひとつだったのです。が、それも今は自分なりに解釈できています。
 「今夜は二人でUFOを見るぞ」という朔太郎の唐突過ぎるこの台詞は、ここから先は世間の常識を超えた内容になりますよ、という作者の宣言であるように思われるのです。人の墓を暴いて盗み出した遺骨を二人で眺めて悦に入る、というのは尋常のことではありません。遺骨に関しての現代人の意識はいろいろと変化しつつあるとはいえ、死者の骨を身近に置いておくというのが常識になっているとまではいえないでしょう。私も騰徳さんと同じく遺骨でモニュメントを作って飾っておくなどには違和感を覚えます。作者もそのことは強く意識していたんじゃないでしょうか。
 そう考えると時間も空間も危うい設定になっています。時間はたそがれ時、つまり昼と夜の境目の時間帯、場所は神社の境内というこの世界での神の領域です。何が起きても不思議ではない、そんな時空間です。

 謎解き本では特にこの台詞については触れていませんが、神主さんの登場の意味が書かれていたのには目からうろこが落ちる思いでした。神主さんの出てくる意味も謎解き本を読むまでは謎でした。夢島といいこの神社といい何かにつけて異界が舞台になっているのは興味深いことです。
...2004/12/04(Sat) 01:19 ID:vbGpXp2s    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 パート3に突入した続編・別伝と違って2箇月かかりましたが,こちらも100件突破です。

 さて,スレ起こしで「朔太郎は人に聞かれても、自分の名前の意味を深く説明できない」とありますが,映画では2回,このシーンが登場します。1回目は徹夜明けの今サクと職場の人との会話であり,2回目は夢島でのやりとりです。いずれも,文豪に由来した命名ということを踏まえた上で,代表作を聞かれても答えられないという展開です。
 この時に,相手が「ああ,あの○○の」と言って勘違いして持ち出す作品名が高村光太郎の智恵子抄です。勘違いならどの作品でもよかったのに,わざわざ2回もこのシーンを入れるというのは,この作品が「本当の青い空が見たい」と言った亡き妻に捧げる挽歌だったことからきているのでしょうね。
...2004/12/04(Sat) 12:45 ID:QE/mDyYA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
どんきさんのUFOの話し、とても面白く拝見しました。自分が全然考えていない事だったので、意外であり、また新鮮でしたし、面白かったです。

どんきさんの解釈なら、私も骨をみて心が安らぐという表現が成された事に対する納得感がかなり出てきました。本当は原作者に聞くのが一番なのでしょうが、それはかなわないので、多くの人の解釈で自分が納得できるものを見つけるしか方法がないですね。それにしても、今でもこれだけ謎がある小説というのも面白いものですね。

にわかマニアさん、アトヅケありがとうございます。自分ちょっと不思議に思ったのが、映画の最初の大沢さんが、天海?さんに名前を聞かれたときたしか、ええとなんだっけ?と言うような返事をしたと思います。サクは、結局夢島から大人になってまで、自分と言うものが良く分からないまま大きくなった、と言えるのかもしれないなあ、と思っています。その本当の自分(アキが死んでしまってもぬけの殻になっている自分から、本当の充実した生き方をできる自分に)を探す?と言う感じのストリーなのかな?と思っています(これが本当のテーマなのかなと・・・(以前と同じ事を繰り返し言いますが))

映画のレンタルも始まったようで、またここのホムペも活況を呈してくるのではないかと思います。年末にはドラマが再放送されるとの事で、それも楽しみにしています。

さて今日、角川書店から出た  泣ける DVDで観たいっ! 純愛ストーリー ¥880 と言う雑誌を買ってきました。このP15に、アキがサクに会わなかった理由らしき事が書かれています。(らしきというのは、その文章を読んでも、自分は意味が理解できなかったので・・・)

その部分の内容は、サクに言われた、死んでしまえば全て終わりと言う事に対し、アキは忘れられる事が恐いと言う事で、ウエディング写真を撮ったのですが、最後の空港で、アキが死んでもサクの世界がありつづけるということに気づき、そのためアキは最後にサクと会うことを止めたと書かれています。それまでの幸せな思い出を宝物として、胸にしまっておく、と言う事だそうです。

う〜ん?どうもいまいち理解できない???

どなたか納得のできる説明お願いします。。。

因みに、セカチュー特集で、P6からP34まで、充実した内容と、別に交換日記(声の)が袋とじ。P35からP40までが、主にドラマのセカチューの特集で、読み応えがあると思います。最後の数ページから裏表紙まで、映画のセカチューの広告ですが、これがまた映画フアンにはお宝物と言ってもいいくらいのものではないかと思っています。フアンの人は、買う買わないは別にして、一度書店で手にとって見て見る価値はあると思います。
...2004/12/05(Sun) 00:28 ID:O59rytEM    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 騰徳様
 >映画の最初、大沢さんが、天海さんに名前を聞かれたときたしか、「ええとなんだっけ?」と言うような返事をした・・・
 そうなんですよね。画面に出てくる順は,こちらが先でも,時系列的には夢島の何年も後なんですね。
 つまり,映画の冒頭にこのシーンを入れることで,観衆に「自分というものが判っているのかなあ」と印象付けておいた上で,夢島のシーンを見た時に,「冒頭のシーンと同じだ」と気付かせる効果がありますね。しかも,このシーンはアキの名前の種明かし(=サクの勘違いが判明)のシーンでもある訳ですから,「アイデンティティ」という裏テーマ(表テーマを純愛としたとして)の打ち出し方としては効果的だったと思います。

 それから,角川の本はまだ読んでいないのですが,おっしゃるとおりだとすると,執筆者には,その解説を書く前に,このBBSの「なぜ会わなかったか」のテーマの議論(何本かありましたが,今は過去ログ入りしてしまったようです)を見て欲しかったような気もします。
...2004/12/05(Sun) 07:11 ID:QvLRKBl6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
はあ〜、ようやく朝からのオンラインセミナーが終わった。

にわかマニアさん、お返事ありがとうございます。にわかマニアさんと自分は、見解は全く同じですね。

ところで過去ログって、みることが出きるのですかね?
ちょっと見てみたいですが、見れないなら、どう言う見解があったか知りたいですね
...2004/12/05(Sun) 18:58 ID:O59rytEM    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Wolfy
名前といえば、原作で朔太郎は、アキの名前を季節の「秋」と勘違いしていたことになっています。「謎解き・・」では、このことをもって、朔太郎は本当の「廣瀬亜紀」ではなく、彼の観念が作り上げた「広瀬秋」に恋していたのだ、と解釈していたように思います。この解釈の当否はともかく、私はそのような設定そのものが極めて不自然であると感じます。恋する男にとって、恋人の名前というものは大きな意味を持っており、それが思春期の少年ならば、(名簿など)名前が書かれたものを何度も見直したり、名前を紙に書いたりするものではないでしょうか。原作の朔太郎のようなインテリ少年ならば尚の事と思います。それが、親しくなってから3年半、恋人同士になってから2年も経って、恋人が死ぬ直前まで、名前としてはあまり例のない季節の「秋」と思い込んでいたというのは、ちょっと有り得ないのではないでしょうか。
私はドラマが終わって一月位してから初めて原作を読みました。ドラマ版のようないわゆるドラマティックな場面というのは、サクとアキの空港行き以外にはありませんが、思春期の二人の素朴でピュアな恋愛の美しさと、ヒロインの病によりそれが失われてゆく悲しさが描かれ、感動をあらたにしました。その中で唯一違和感をおぼえたのが、サクがアキの感じをずっと思い違いしていたという点です。
...2004/12/05(Sun) 19:21 ID:Ix1LShiw    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
この週末レンタルDVDを借りて観ました。映画を観てから半年ぐらい経っていたので久しぶりに感動しました。ただ、うちのTVはワイド画面じゃないので細長になってしまって残念。あらためてじっくり観るとベタで哲学的な面が少ないですね。
また、気づいたことも多かったです。「ぼくが生まれてきた世界はアキのいる世界だったんだ」というセリフはないし、律子が下駄箱を覗き名前を見つけるというシーンもなかった。勘違いをしていたようです。
アキが「忘れられるのがこわい」と言って写真を撮るのですが以前から疑問に思っていたましたが、騰徳さんのレスにもあるように骨を盗みに行ったときサクが「死んだら終わりだよ」と言った言葉に対して言っているのですね。
じっくり観るとアキの心の動きがよく分かりますね。アキはシゲ爺と校長先生の話しを聞いて50年も想い続けることに感動した。また、ラジオの投稿で怒ったときに「シゲ爺の恋はかなわなかったから長続きした」と言っているからそう思っている。で骨を盗むことでシゲ爺の恋は実ったと思ったがサクが「でも死んだら終わりだ」といった。だから「人は死んだら愛も死んじゃうんですか?」のセリフとなり自分が死んだらサクは自分を忘れられてしまうのではと考えた。忘れられるのがこわいから写真で永遠に残していたいと思った。でも空港でアキは自分がいなくなってもサクの世界は続くことを理解する。そしてサクに未来を生きて欲しいと思った。だから最期苦しむ姿を見せたくないから会わずに綺麗な想い出として死にたい。またシゲ爺みたいに骨を手元に残し想い続けることもないように遺灰をウルルに撒いて欲しいと思ったんですね。
...2004/12/05(Sun) 23:55 ID:MG6KHbE6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
Wolfyさん、アキの名前の誤解に違和感を盛っていらっしゃるとの事。この部分ですが、ドンキさんのUFOの話しのように、原作では盲目のあんま?さんの話しがありますね。

私は何回か読んで、何であんな話しがここに登場するのかな?と言う疑問を持ちましたが、Wolfyさんの疑問で、かなり疑問が解けたように思います。

盲目のあんま?さんの、雨の形はどう言うものか?と言う質問に、サクは答えていますが、これは結局サクの名前の勘違い(アキの名前、サク自身の名前の由来(Wolfyさんの疑問を読むまでは私は、このサクのことだけと思っていました))の事を比喩?にして書かれているようですね。これは、小説の未熟というより、作者の意図的な技法なのではないかと、今さらながら確信しました。

たぶん、この事はにわかマニアさんならすぐに理解してくれそうですが、それはさておき、常識的にはWolfyさんのおっしゃる通りで、これは少し前に書いた私の、骨を見て心が落ち着くという感覚に対する疑問とよく似ていると、私は思っています。

こう言う意図的な技法が使われている所を見ると、以前私がこの小説は不安定と言った言葉は、取り消さないといけないかな?と感じています。

最終的には、やはりこの小説の本当のテーマは悲恋というよりも、本当の自分探しというのがテーマでないかと、いよいよ確信するに至っています。

8月の蛍さん、じっくり読ませていただきました(笑い)
8月の蛍さんの書きこみで少し理解できたような気がします。ただ色々な疑問と言うか、違う見解というかまとまりがないので、ずらずら書きますが、みなさんで検証してみてください。

映画では、重ジイは恋人の死に顔も見れなかったですね。それで、恋人の骨を手に入れたいと思うくらい、恋人の事を思いつづけている。そして骨を手に入れ安心?します。重ジイは生きている校長先生を50年間思いつづけ、最後は死に顔も見れず、骨を手に入れて安心する。

アキはそんな重ジイを見ているから、サクが苦しむ事を想像できたのではないかと。。。そして、輝かしい時間(その瞬間瞬間の思い出が)永遠なのだときづいた?そう言えば、片山さんも、どこかで永遠と瞬間についてかいていなかったかな?

すみません、思いつくまま羅列しただけで、まとめていません。永遠と瞬間(いっときの時間・・・この場合はサクとアキの輝かしい恋愛の時間)の問題も、哲学や思想の問題だったと思います。

もう少し、考えてみたいと思います。
...2004/12/06(Mon) 23:01 ID:.ox1A7OA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
少し補足します。

瞬間が永遠であるなら、忘れられると言う事もないし、アキの心も満足すると思うのです。

上の文章はかなり支離滅裂ですが、お許しください(ペコリ
...2004/12/06(Mon) 23:07 ID:.ox1A7OA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 まだ考えが完全にまとまった訳ではありませんが,スレ主さんからの「お呼び出し」ですので,失礼いたします。また,昼休みを利用しての職場からの書き込みのため,手許に原作やビデオがない状態での「薄れ行く記憶」だけを唯一の頼みとする投稿だということを,最初にお断りしておきます。

 原作では,按摩さんと雨粒の話は夢島のシーンに登場します。将来の夢を語ったり,子どもの頃の出来事を語ったりと,話はあちこちに飛びますが,その中にこの話が出てきます。
 その後,2人は,「前から気になっていたのなら,そんな歳になる前に,もっと早く聞けばよかったのに」といった感想を述べています。聞くタイミングを逸したまま歳月を重ねたという点で,最後まで相手の名前を勘違いしていたというモチーフに通ずるものがあります。しかも,同じ「聞かなかった」でも,「前から気にはなっていた」のに比べて,「そもそも,そういう問題の存在自体に気がついていなかった」名前の勘違いの方がかなり重症と言えるでしょう。
(それにしても,パスポートを取りに亜紀の家に忍び込んだ時,それが本人のものかどうか確かめずに(中の頁を開いて見ることもしないで)持ち出しすというのも,常識的にはありえないですね。)

 でも,どうして,このエピソードを夢島に持ち込んだのでしょうか。(仕掛人が大木だとしても)夏休みの思い出づくりがなぜ夢島だったのでしょうか。
 ひょっとすると,恋人同士が2人きりになるというのは説明の通りをよくするための表向きの動機で,本当は,来世や神の存在も含めて2人の世界観を展開する場として,外部と時空を遮断された「廃墟と化した無人島」という設定が必要だったのかもしれません。
...2004/12/07(Tue) 12:42 ID:BzVPpX4A    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
にわかマニアさん、ありがとうございます。

この話しに、少し自分なりの見解を述べますと、哲学と言うか思想というか禅での話しと言うかで、盲目(差別用語?ですとめくら)とめあきと言うものがあったと思います(勘違いかもしれませんが)。思想というか人生観を間違えていて、頑なに自分の考えを変えないのを、めくら(差別用語だったらすみません・・・昔言われていた表現なので、こうかかないと意味が伝わりませんので)と言ったと思います。

ただ、雨が粒とサクが答えたのも少し間違いがあるのでは、と思っています。実際は雨粒なのでしょうが、雨が降っているときは糸状に延びているような気もするのですが・・・こうなるとめくらの意味よりも、サクが勘違いしたまま生きていることを意味するのかな?とも思えてきます。

ただ、雨の粒の見方も、止まっていれば粒、重力に引っ張られて落ちていれば糸状になると言うのは、同じ物事でも状況によりまた見方により、全然違うものにも見えるようになると言う、作者の世界観が描かれているようにも思います。(以前私が書きました、心と言うのは主観的なもので、同じ物事でも違う見方をすれば、全く正反対の見方ができるという部分に通じるものだと思います)

最後にはあんまさんが、坊ちゃんのおかげで一つ賢くなったと言ったとありますが、事実を知っても盲目である事に変わりはない点で、知識ばかり勉強しても本当の事は分からないよと言っているようにも感じてきました。。。かなり支離滅裂になっていますね。。。すみません。

先ほど確認したのですが、この直前には、アキが女性の進学率と離婚の問題に言及して、勉強すればするほど不幸になると言うのに対し、サクが必ずしも不幸と言えないだろうと言っている事をみても、物事の見方に対する作者の世界観なのかなあ?と思う所もあります。

また、英単語を覚える事に意味があるのだろうかとアキが疑問を呈していますが、最近の日本の教育に対する若者の反動(役に立たない事勉強するよりも、自分の将来に役立つ勉強をしたい)という流れのようなものや、作者の人生観などが描かれているのかなあ?と思います。

あとアキは幼稚園のタイムカプセルの話しをしていますが、そこでは将来の夢と言うものに何を書いたか忘れてしまったと言ったとき、サクがお嫁さんになりたいと言う事でも書いたんじゃないの?と言う事に対し、アキはそうかもしれないと答えていますが、この部分も将来アキがサクのお嫁さんになれない暗示として、面白い部分かもしれませんね。

色々支離滅裂な事書いて失礼しました。
...2004/12/07(Tue) 14:07 ID:b6vDxY8o    

             疎覚えの書き込みで失礼しました  Name:にわかマニア
 手許に資料のないまま,疎覚えで書き込みをしてしまい,ご迷惑をおかけしました。原作と映画とドラマがごっちゃになっていました。レス109の最後の段落を一部訂正します。
 >来世や神の存在も含めて2人の世界観を展開する場
と書いてしまいましたが,夢島での会話の内容は三者三様に微妙に異なっていたのを混同していました。
 正しくは,@原作は単語クイズと子どもの頃の話
      A映画は名前の種明かし(勘違いが判明)
      Bドラマは「来世談議」でした。

 原作の「来世談議」は,入院後の病室での会話でしたが,ドラマでは,既に夢島行きの前の段階で精密検査の呼び出しを受けています。したがって,体調に異変を感じ,不安を抱いた亜紀が2人きりの夜に「運命」や「死後の世界」について語ったとしても不思議ではありません。

 一方,タイムポストは,子どもの頃のエピソードとして登場する原作に対し,ドラマでは夢島で2人がメッセージを残す(実際には,そのうちの一方はその場で聴かれてしまいますが)という設定になっています。
 いずれも,切り口こそ異なっていますが,2人が結局は添い遂げることができないということを表現しています。原作は暗示として,ドラマは,時を経た後,再び魂の彷徨に引き戻されるきっかけとして・・・

 映画が夢島の場面を名前の種明かしに使ったのは,ぎりぎりまで知らないという設定は不自然だという判断の他に,後半の見せ場の一つである「学校探検」のシーンで机の落書きを見つけた時に「字が違う」と叫ばないようにとの計算もあったでしょう。
 2人が言葉を交わすようになった梅雨時から夏休みまで,そんなに時間がたっていませんから,そこで初めて勘違いに気付いたとしても,取り繕える範囲の矛盾ということなのでしょう。好きな人なら,あらゆる手段を尽くして情報を取るだろうとか(Wolfyさんの書き込みほか),突っ込みを入れればきりはありませんが,そういうことを思い及ばないような「高嶺の花」・「遠い存在」と受け止めていたということで,一応のエクスキューズは用意されているとも考えられます。
 そして,この場面で,季節と地質時代の勘違いだけでなく,萩原朔太郎の代表作を知らないというやりとり(原作にはない)を加えることで,一種のアイデンティティ・クライシスと「自分探し」が「隠されたテーマ」だというメッセージを伝えようとしているのでしょう。

 映画もドラマも,「その後」のサクとその再婚相手を登場させ,魂の彷徨からどう復活するかを丁寧に描いています。むしろ,映画は「その後」の方に比重を置いた作りにさえなっています。ドラマの方は,「青春群像・純愛編」の進行に合わせて「舞台解説」的に「その後」の物語を挿入したため,今サクの「ダメぶり」が必要以上に強調されて受け取られてしまったきらいもあります(でも,最後の最後に立ち直るまでの間に,シャキッとされたのでは,物語そのものが成り立たなくなってしまうのですが)。
 いずれにしても,映像化にあたって,どちらの監督も,原作者がこの物語に込めたメッセージを読み取った上で,それぞれの条件の下で,それぞれの手法で表現したといえるでしょう。
 ただ,自分探しの前提としての喪失感を表現するために利用したとはいえ,そこに登場する劇中劇は紛れもなく純愛物語ですから,そこの部分を取り出して,この物語のテーマを「純愛」とか「悲恋」ととらえても,間違いではありません。ただ,それだけがテーマではなく,その証拠に,通常の純愛物語とは違って,病室がラストシーンではなく,「後日談」が「付け足し」以上のメッセージ性をもって展開されているということなのです。

 まとまりのない長文で失礼いたしました。
...2004/12/07(Tue) 21:40 ID:vNBTlu7M    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
にわかマニアさん、おつかれさまです。
詳しい解説&読みこみに感心しています。

私も、ドラマ、映画、ともに良く読みこんで作られていると思っています。

それでもこの作者、あまりにも読者の解釈に任せている部分が多すぎるような気がします。もう少し、かんぐりながら読まなくてもいい様に、書いて欲しかったなあと言う部分が多いですね。

まあ、おかげで、これだけ多くのみなさんとお話しができたわけですが。。。
...2004/12/07(Tue) 22:58 ID:b6vDxY8o    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
先日映画でのアキの心の動きというのを乱雑に書きました。少し手直ししましたが大体は分かっていただけたのではと思います。
でよく分からない点があるんですがアキはシゲ爺の恋は遺骨を手に入れることでかなったと思ったのにサクは「でも、死んだら終わりだよ」と答えた。で「人は死んだら愛も死んじゃうんですか?」という疑問を持つこととなります。自分が病に侵され「忘れられるのがこわい」といって写真を撮るのも延長線上にある訳です。しかし死を覚悟し空港で自分がいなくなってもサクの世界はあり続けることを理解します。そして別れてもう逢わないこと、自分の遺灰をウルルに散骨して欲しいことをテープに託す訳です。
で私の疑問というのはなぜアキは「人は死んだら愛も死んじゃうんですか?」という答えを見つけたのかということです。かたちは違いますが原作やドラマは自分の死後観やアボリジニの世界観から答えを導いています。でも映画ではそういった様子はないですし、写真のシーンの後は自分の死期を自覚すること、婚姻届、オーストラリア行きのシーンぐらいしか見当たらないのですが、どなたか納得のできる説明をお願いいたします。
...2004/12/07(Tue) 23:53 ID:rx3EGSxw    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
8月の蛍さん、私個人のまだまとまらない見解を書くと、上に支離滅裂に羅列した所に、その答えがあるように感じています。

映画版ビジュアルストーリーブックによると、少女の律子にテープを渡しますが、そのときのナレーションに、あなたと過ごした永遠の何分の一の時間が、私の生涯の宝物です。あなたがいてくれて、幸せだった。と語っています。

そう、ここに永遠と瞬間の問題があると思うのです。そこにアキは気づいたので、幸せを感じる事ができたのではないかと・・・

所で最後にはアキはウルルの大地でのナレーションでバイバイとサクに告げています。これはドラマのアキがサクの心に生きていると言う解釈と違うメッセージです。

まだ考えがまとまらないので消化不良のままですが、映画とドラマ&原作の違いをもう少し議論してみてもいいのではないかと思いますがいかがでしょうか?
...2004/12/08(Wed) 20:04 ID:0om6mQBA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
追加

8月の蛍さんは、アキが会わない理由を


>でも空港でアキは自分がいなくなってもサクの世界は続くことを理解する。そしてサクに未来を生きて欲しいと思った。だから最期苦しむ姿を見せたくないから会わずに綺麗な想い出として死にたい。


と書かれていますが、この部分にまだ自分は納得できません。それよりも


>アキはシゲ爺と校長先生の話しを聞いて50年も想い続けることに感動した。また、ラジオの投稿で怒ったときに「シゲ爺の恋はかなわなかったから長続きした」と言っているからそう思っている。


という、純愛性に永遠を感じて、会わなかったと考えた方がいいのではないかと思いますが、いかがでしょうか?
...2004/12/08(Wed) 21:13 ID:0om6mQBA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
騰徳さん高尚なご意見有難うございます。
お恥ずかしいことですが映画は2回しか観ていないのです。いずれも感動してしまい大筋しか理解していなかったんですね。そして自分の中では原作を元にした別の物語というふうに解釈していました。でもよく観るとそれなりに原作にそっていることが分かります。
映画は原作やドラマとは微妙に違っていて難しいですね。
>そう、ここに永遠と瞬間の問題があると思うのです。そこにアキは気づいたので、幸せを感じる事ができたのではないかと・・・
ではなぜ永遠のかたちを求めていたのに瞬間を永遠と感じることが出来たのでしょうか?やはり婚姻届のシーンがターニングポイントなのかもしれません。逢わなかった理由ともどもしばらく考えてみたいと思います。
...2004/12/08(Wed) 23:09 ID:zcY.zgng    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
8月の蛍さん、高尚なんて事はないです。ちょっと哲学をかじったので少し皆さんより言葉を知っている程度と思っています。

私は映画を10回弱見ましたが、あの映像美、ストーリーの展開の良さ、出演者の演技の素晴らしさ、とくに長澤アキの演技やテープの声、アキが風のように現れ風のように去っていった所に魅せられています。そう言う点では、2回しか見ていない8月の蛍さんは、よくアキの心理を見ていられるなあと感心しています。私などは、それほど詳しく見ていないので。。。

>ではなぜ永遠のかたちを求めていたのに瞬間を永遠と感じることが出来たのでしょうか?

この問題を考えるのにあたって、2つ決まりというか、約束みたいな事をした方がいいかと思います。

1、サクは何故?ウルルで世界の中心がどこにあるのか分かって、アキの死を受け入れられたのか?

2、アキは何を永遠であると理解して、また死ぬ間際にサクと会わないと心に決めて、死に望む事ができたのか?

この2つが、論じる点として重要に感じますがいかがでしょうか?

自分の解釈としては、シゲ爺が50年間恋人を思いつづけている姿にアキは永遠を感じたのだと思っています。映画の最初に葬式でシゲジイは恋人の死に顔も見れなかった(死に際に会わない)。シゲジイは生きていてもお互い会うこともなく、それでも50年間お互いが思いつづけているという場面設定で、骨を手に入れて安心した。

一方サクとアキは死ぬ間際まで、ずっと顔をつき合わせている。アキはサクに忘れられる事が恐かったんですが、そこでシゲジイが50年間も恋人を思いつづけた(この永遠の・・・まあ、一個人が50年以上も一人の人を思いつづけられた事は永遠といってもいいと思います)純愛性に、きづく。

そして何故か?シゲジイは恋人が死んでしまっても愛を失わなかった事に気づく。人は死んだら愛も死んでしまう事にはならないと気づく。

う〜ん、まだまとまっていません。もう少し時間がかかりそうです。にわかマニアさん、まとめてください(笑い)
...2004/12/09(Thu) 23:22 ID:tXTDJEdE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 スレ主さんから思わぬ招待状を頂いてしまいましたので,お邪魔いたします(^^ゞ
 何本か前の書き込みに「映画とドラマ&原作の違いをもう少し議論してみてもいいのではないか」とありますが,最近,映画とドラマと原作で,謎を解くカギをお互いに相手が握っている場合もあるのではないかという気がしています。
 例えば,祖父の恋人の墓を暴く話です。映画では,ロミオとジュリエットの劇をやる上での役作りの参考にシゲジイの話を聞きに言って,そのバーターで墓暴きを頼まれるという展開でしたが,原作とドラマには,時を経て添い遂げんとする願いを詠んだ漢詩が登場します。何十年も思い続けるのはすごいことだと亜紀が言うのは共通ですが,ドラマでは,そう言いながらも,同時に,ずっと一緒にいるのと,離れて思うのとどちらがいいかという問いも投げかけています。
 では,この「離れて思う」というのは,空間的な距離だけを指しているのでしょうか。祖父たちのことだけを指しているのでしょうか。そこに,「この世」と「あの世」に分かれてという意味が込められていたり,やがて,サクと亜紀もそうした間柄に立たされることになるのだという予言が込められているとは読めないでしょうか。これを「死んだら愛も終わりか」という映画の問いかけにかぶせて読むと,どうなるでしょうか。
 あとは,騰徳さんのおっしゃるとおり,そこに永遠を感じたということなのではないでしょうか。
 ただ,そのことと,死に際に会おうとしなかったことをどう結びつけて理解したらいいのか,まだ私も考えがまとめきれていません。
 とりあえず,お招きにあずかりながら手ぶらで帰る訳にもいかないので,中間報告的なレスで失礼いたします。
...2004/12/10(Fri) 02:06 ID:USWawJrQ    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
にわかマニアさん、ご登場ありがとうございます。

私、ドラマのほうはあまり詳しく見ていなくて、ビデオも取ったり取らなかったりで、詳しくありません。今度の再放送できちんととろうと思っていますが、それまではお預け状態です。

ここでは8月の蛍さんの問いかけがいつも良くて、おかげで色々な疑問を検証する事ができるのはいい事だと思っています。今回は人は死んじゃうと、愛も死んじゃうのですか?という言葉がキーワードとなり、永遠と瞬間の問題(多分、この作品のテーマを解く概念となりそう)がクローズアップしました。

ドラマはかなり小説を詳しく検証してストーリーを組み立てていると思っています。ですから、にわかマニアさんが言われる通り、小説&ドラマと映画を比較していくと、映画の疑問も解けやすくなるかもしれませんね。

ドラマ&小説と映画の違いは、アキの骨を自分の育った土地のグラウンドで撒くのと、ウルルで撒くと言う違いがあります。ドラマ&小説では、その直前にアキが強烈にサクの心に生きていると言う事を(小説ではサク自身がその事に気づきます(彼女と2人のときに)。ドラマでは空のうたがサクの手助けをします(サク一人の状況))サクがわかり、アキの骨を散骨しますが、映画でjは律子と2人で、アキのテープを聞いて世界の中心がどこにあるか悟り、散骨します。

以前、小説の事で、サクはアキが苦しんで苦しんで死んだと思い込み、アキを助けられなかった心の苦しみを背負っていると言う事を私は書きました。小説では時間がその思い出を和らげ、サクの心が癒される暗示がありました(石仏)。

小説では、アキの遺言(映画ではテープ、ドラマではそらのうた)が無いので、サク自身が世界の中心はどこであり、アキが最後に会わなかった理由を自分自身で悟らなければなりませんでした。

その点、映画やドラマはアキの遺言を残し、分かりやすく視聴者に作られているのかもしれませんが、・・・難しいですね。

先ほどストーリーブックで、大沢サクが空港で律子に、彼女(アキ)はここまでしか来れなかったけど、いつか必ず行こう(ウルルに)と約束した。と書かれているのを見つけました。これ、サクの中にアキが生きているから、一緒に行こうと言う解釈をしてもいいですね。

そして最後のアキのテープで、サクと会っていた時間のおかげで、アキの人生はとても輝かしい時間を送る事ができた。ただ最後にアキの願いとしてウルルに骨を撒いて欲しい。そして、サクはサクの人生を生きて欲しいと述べています。

うーん、またまた支離滅裂になってきました。少しづつまとめて解決していきましょう。

所で、ロミオとジュリエットの話しが小説でもドラマでも映画でも出てきますが、小説の中であれもこれも間に合わなかった(たしか、城山に花を見に行く約束も、アキと結婚して子供をもうける事も)という表現がなされていますね。シェークスピアの作品にあれかこれかと言うものがあったと思いますが、これに引っ掛けているのかな?と昨日気づきましたが、あれかこれかと言う作品がどう言うものだったか忘れたので、すこし自信がありません。

またまた支離滅裂で、読む人の興味をそぐ事になったら、すみませんと謝っておきます。
...2004/12/10(Fri) 21:50 ID:Rm/zqt9k    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 年末。
 このサイトでは映画とドラマの主題歌談議が続いていますが,音楽の分野で年末の風物詩と言えば,何といっても第九でしょう。
 第4楽章の後半に入り,バリトンのソロによって,あの有名な旋律が高らかに歌われますが,その一節に,このような部分があります。
 「汝(歓喜)の力は,生と死に厳しく分かたれた者を
  再び結びつけ,
  汝の翼の憩うところ,すべての者は兄弟となる」
 そして,このテーマが独唱,重唱,合唱によって反復された後,曲調が神々しい雰囲気へと変わり,
 「幾百万の人々よ手をつなげ。
  星空の彼方に創造主を求めよ」
と続きます。
 何だか,「死んだら愛も終わりですか」,「永遠とは何か」という問いかけを思い起こさせる造りだとは思いませんか。もしかしたら,このテーマは,古今東西,永遠のテーマなのかもしれません。
...2004/12/11(Sat) 10:33 ID:zLiXDAHw    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
第九はベートーベンですね。彼の音楽は哲学性というか、人生の重みを描いた作品という印象があります。来年映画化される四日間の奇蹟でも、ピアノソナタ?の月光についての解釈がされていますが、私などは聞いていて美しい曲と言う程度の認識しかありませんでしたが、四日間の奇蹟の作者は、音楽関係の仕事をやっていただけあって、ベートーベンの人生に踏み込んだ解釈をしていたように思います。

瞬間と永遠については少し話がずれるかもしれませんが、ある例として美しい絵などをみて心引かれたとき、時間を忘れて見入ってしまうことがないでしょうか?また素敵な人に出会ったとき、一目ぼれのような感じになり、時間が止まってしまったような経験などは大抵の人が持っていると思います。

こう言う所にも、永遠と瞬間の問題のためのヒントがあるかもしれませんね
...2004/12/13(Mon) 23:42 ID:q7aHoG2I    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
参考に。映画版のサイトに声の交換日記がありました。

http://www12.ocn.ne.jp/~trip/movie-tape.htm
...2004/12/14(Tue) 02:06 ID:Q6l98t6c    

             Re:声の交換日記  Name:にわかマニア
 原作では普通の交換日記でしたが,まさか日記帳をアップで撮って観客や視聴者に読ませる訳にもいかないし,それに基づいた映像を流しながらアナウンサーが日記を読み上げるのも単調なので,映像化にあたっては,直接本人同士がテープでやりとりすることにしたのでしょう。その分,テープの音声を流しながら,それを聞く時の表情を映すことで,登場人物の心理も細かく描けたと思います。

 映画の最初のテープ(ウソで不吉なリクエスト葉書への叱責)は,原作やドラマでは本人から直接伝えていますが,いずれも,亜紀のことを「失いたくない存在」として気付く(再認識する)きっかけになっています。
 まあ,「直接顔見たらひっぱたいてしまうかもしれないので、テープに」なんて言わずに,実際にひっぱたく場面が見たかったような気もしますが(笑)
 でも,最初のこのテープで,既に「実らなかったからこそ長続き」というテーマが語られていたのですね。

 最後のテープに相当するのが,ドラマの場合は絵本なのでしょうが,いずれも「あなたはあなたの今を生きて」というメッセージが十年以上の時を経て届くことで「喪失感からの再生」のきっかけになるという点で,直接話すのではなく,何らかの媒体を通じてという設定が必要になったのでしょうね。
...2004/12/14(Tue) 02:53 ID:QCGg4OuM    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
たくさんのご意見有難うございます。数日間映画でアキは永遠のかたちを求めていたのにそれを無意味と理解したのか?をいろいろ考えましたがわかりませんでした。やはり自分で解釈するしかないようです。
やはり婚姻届のシーンがターニングポイントとだと思います。サクがアキに示した永遠のかたちが結婚と結論を出したのと考えます。で婚姻届を出す訳ですが婚姻届は届出用紙であり役所に提出するものであり結婚そのものではないのです。では結婚とはなにかといわれてもかたちあるものはない訳です。つまり自分の中に結婚という概念をもっていることということになります。結局永遠の愛もかたちではなく心の中に存在するものということに気づいたのではないかと思うのです。だから骨も写真も婚姻届も永遠に残る愛のかたちではないことを理解した。と自分勝手に解釈することにしました。
また、「指先の花」(あまり好きになれないのですが・・・)を読むとサクの心の動きが理解しやすいかもしれません。
...2004/12/14(Tue) 23:07 ID:vieRC6x6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 茶の間に居ながらにして確かめることのできる原作やドラマと違って,映画は上映場所を探して(その上,電車賃や入場料を払って)見に行かなければならないので,何度もという訳にはいきません。それに,場内が真っ暗なので,チェックシートにメモを書き込むこともできません。そういう意味からも,DVDを早く手に入れたいものです。

 さて,このスレも,あちこち「論題の寄り道」をしながらも,「点在と遍在」,「瞬間と永遠」のテーマで議論を重ねてきました。
 原作及びドラマと映画のラストシーンの違いの解釈とも絡む問題ですが,映画の中盤,律子を追って四国にやってきた「今サク」がテープを聴きながら母校を訪ねる場面で,体育館のピアノの所に亜紀の幻影が現われるシーンがありました。そこには(外からちょっと覗くだけですが)律子も居合わせています。
 さまざまな解釈を呼んだドラマの最終回のエンディング以上にいろいろな解釈の可能性を秘めた場面ですが,「今サク」は亜紀の存在をどう感じるようになったかというテーマとの関連において,皆さんは,このシーンをどのようにとらえておいでですか。
 ひょっとすると,このことが映画だけが散骨場所を変えたことのカギを握っているかもしれませんし,最後のメッセージが同じく「あなたはあなたの未来を生きて」という趣旨だったとしても,映画の場合「別の世界にいても一緒にいる」という意味が直接的には読み取れない(解釈の結果,そう読み込むことは不可能ではないとしても)ことを考える際のヒントが隠されているかもしれません。
...2004/12/17(Fri) 12:47 ID:zP.GP1kg    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Capri
すっかりごぶさたしております。

昨日の午後くらいから、頭の中で かたちあるものが
ぐるぐるまわりはじめ、こちらにお邪魔させていただいたら スレッドが健在で嬉しかったです。

しばらく、”世界の中心”とは離れていましたが、遠いところにいた気がしません。

浅薄で恐縮ですが、にわかマニアさんの引用された 別の世界にいても一緒にいる ということを抽象的ですが
強く感じます。 

しばらく、セカチューのことは意識の上には上らずにいましたが、それは離れていた、ということではないようです。

どこからか葉書がとどいて・・というのもこういう感じなのかもしれませんね。

 瞬間と永遠 のテーマも興味があります。

永遠は瞬間にたたみ込まれる。
瞬間は永遠を含みうる。

というのは、楽しい時間は速くすぎる と言い換えることができると思います。


 いえ、なんといっても、ここに帰ってこれたことが何よりとても嬉しいです。

 駄文、失礼いたしました。
...2004/12/18(Sat) 03:11 ID:LD7Wnbs2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 Capri様,お帰りなさい。
 「点在と遍在」の議論が一段落して以来ですね。
 その後も,「永遠」をテーマに,「死んだら愛も終わるのですか」という例のセリフも引き合いに出しながら,「なぜ死に目に会えなかったのか」の解釈も含めて,いろいろ議論が続けられてきました。
 改めて振り返ってみて,いかがですか。

 皆さん
 やっと,映画版も茶の間に居ながらにして見ることができるようになってきました。ごらんになって,内容を検証された結果,新しい視点や解釈も出てくることと思います。とりあえず,過去ログ落ちしないよう,上に上げておきます。
...2004/12/21(Tue) 03:30 ID:J2nyTBTU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 映画版のDVDが出回るようになり,ぼつぼつ感想の書き込みも出てきているようですが,皆さん,これまでの謎を解くカギが見つかったり,逆に新たな謎を発見したりされているのではないでしょうか。
 とりあえず,過去ログ落ちだけは防いでおきます。
...2004/12/23(Thu) 23:23 ID:CCsypI.2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
初めまして。にわかマニアさんのお誘いにより、やって参りました。
原作やドラマでは、(人生の最後の)再会を連想させたり、「アキは自分の中にいる」という表現をしているのに対し、映画では文字通り「バイバイ」で、アキ自身が言っているように「永遠の別れ」というふうに描かれていると思います。
まだ、考えがまとまっていませんが、もはやウルルに行く夢も断たれた時点で、アキ自身踏ん切りをつけたのだろうと。あなたはもう十分なことをしてくれた、だから、もう自分のために生きて欲しいということかなと思います。
最後のテープでは「どうしてかなあ、」と始まるところでは不安を隠せず非常に動揺しているように思えます。
それが、最後に近づくにつれて落ち着いていくように私には聞こえます。つまり、永遠の別れを宣言することに対して非常に葛藤を感じていたが、宣言した後は心が静まって行ったという印象です。
あと、非常にベタな意見ですが、「孤高のヒロイン」はやはり衰えていく自分、たとえば意識が混濁してあらぬことを口走ってしまうとか、そういうものを見せたくなかった、そんなプライドも感じます。
ところが、映画で難しいのはテーマが「衝動」であることで、考えるより先に体が動いたり、叫んだりしちゃうわけです。さてそうなると、「別れの宣言」もある程度、衝動的なものであったのかもしれない、とも思うわけです。
映画の中で大人サクが「アキが最後に会おうとしなかったから今でも死んだような気がしない(吹っ切ることができない)」と言っています。つまり、最後に会わなかったことによって、「あなたはあなたの今を生きて(私のことはもう忘れて)」と願ったアキにとっては不本意な結果を招いてしまったということになります。
いずれまた、考えをまとめてから書き込ませて頂きます。
...2004/12/25(Sat) 18:26 ID:lWeXj/C2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 ようこそ朔五郎さん
 スレ主さんには事後承諾の形で,お客様をお招きいたしましたが,セカチューを深く味わう者同士として,共に楽しんでいきましょう。

 映画はヒロインを孤高の存在として描いたため,朔五郎さんご指摘のように,最後のメッセージも「どこかで一緒に生きている」ではなく「バイバイ」でした。まるで気まぐれのような(衝動というのが作品を貫く一つの軸ではありますが)出会いのシーンに始まって,手品のように消えていく散骨のラストシーンに至るまで,風のように現われ,風のように去っていきます。
 夢島でも「キスは夢を語りながらするもの」と言いながら,その夢は何かと聞かれても「教えない」と言ったり,一方的に別れを切り出したり,どうも,映画版の亜紀は自分で壁を作っているような印象を受けますね。それが逆に喪失感の大きさにもつながっていくのでしょうが。

 あと,原作も映画もドラマもラストシーンに散骨を持ってきていますが,そこに至る描かれ方は映画だけが大きく異なっています。
 つまり,原作もドラマも,一旦は亜紀が亡くなった直後,遺言どおりウルルで撒こうとして撒ききれずに持ち帰り,撒くのに相応しい場所を求めてあちこち訪ね回るという展開が,心にケジメをつけるまでの葛藤に絡ませながら描かれます。特に,ドラマでは,灰の入った瓶を亜紀の死を認識させるためのアイテムとして描いています。
 これに対して,映画の散骨は1回きりで,遺言だからといって,ウルルで撒きます。再婚相手と一緒という設定も映画独自ですし,灰の出自についても説明がありません。いずれそうなると思って埋葬直後に墓から失敬したというのが後付けの説明(指先の花)ですが,では,それまでの間,サクにとってその瓶はどういう存在だったかは描かれていません。灰となった亜紀の登場の仕方もまた唐突なのです。
 どうも,映画の場合,亜紀の遺灰の入った瓶や散骨という行為の位置づけが他に比べて軽く描かれているような気がしてならないのです。これもヒロインの孤高性とも関連しているのでしょうか。このあたり,皆さんは,どう考えておいでですか。
...2004/12/26(Sun) 01:00 ID:nCIniha6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
映画版について考える上で、シナリオ自体の出来というものを無視できないと思います。前半部のすばらしさに比べて、アキが病気になってから、あるいは律子が絡むシーンでは「どうかな」と思う箇所が多く見られます。
たとえば、律子が写真館で雨宿りしているシーンで、重蔵に向かって「(テープを届けなかったことによって)二人の《約束》を奪ってしまった」と言っています。しかし、これはアキからサクへの一方的な《宣言》であり、サクはこのテープの存在さえ知らないのですから、《約束》というのはあまりに酷すぎます。
それから、テープが届けられなかったことが、いかにも重要なポイントのような描かれ方をしてますけど、どうでしょうか。仮に律子が事故に遭わずに、テープが届けられたとしても、サクは納得できたでしょうか?会わない理由が分かるぶんだけマシとは言っても、アキが自分に会おうとしないという事実に、やはり深く傷ついたと思うのです。日本人にとって、「死に目に会う」というのはやはりものすごく重いもので、ましてや、空港であんなことになったら、いかなる理由があろうと、会えないのは辛いと思います。
ちなみに原作では、やはり最後は会えませんが、別れの言葉は十分に交わされているので、映画よりは、サクの苦痛は少ないと思います。
この映画のシナリオには、このような「ノイズ」や「ハレーション」みたいなものがいくつか見られると思います。それを「なんでだろう」とあまり考えすぎるとキリがないというのが率直な感想です。
さて、その上であえて「会わない理由」を考えてみれば、やはりサクがその後長い間苦しみ続ける理由として、「充足感・達成感」というものが得られないということに繋がるのだと思います。
好きなアキが病気で死んでしまう。それならと思い、ウルルに連れて行こうとすれば台風が来て行けなくなってしまう。それならせめて最後にアキに会いたいと思えば、アキに拒絶されてしまう。サクにしてみれば、すべて「不可抗力」によって挫折してしまうわけです。
こんな残酷な人生があるでしょうか。そして、苦しみ抜いた挙句めぐり合った律子が彼の魂を救済し、なんとその律子がアキに深く関わっていたということで、結局、アキが二人を巡り合わせたということを連想させます。
行定監督もそう思えるなら思ってもよい、と語っています。
したがって、律子はサクの再婚相手というよりは、アキに可愛がられていた妹分というような立場で散骨に立ち会っていると思います。
サイドストーリー「指先の花」については、はっきり言って、参考にすべきではない、と私は思います。私は、ドラマ版のように、遺灰を少し分けてもらった、というのが自然だと思います。盗む必然性など全く感じません。以前二人で校長先生の骨を盗んだというエピソードに「悪ノリ」しているようにしか読めません。
アキの死から散骨までの間、それがサクにとってどういう存在であったかについては、全く手がかりがありません。観客ひとりひとりに「自由に想像してください」ということなのでしょうか(苦笑)
...2004/12/26(Sun) 18:56 ID:hwNqDcfo    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
Capri さん、おかえりなさい。朔五郎さん、ようこそいらっしゃいました。

先に8月の蛍さんの、婚姻届ですが、自分も読んでいる内にそんな気がしてきました。その前にシゲ爺の恋愛の話しが出てきて、永遠性と言うものを補助しているように感じます。

それにしても8月の蛍さんは読みがいつも深いですね。感心します。

Capri さん、の言われる永遠と瞬間には、同感できます。瞬間が永遠である事が理解できたなら、それはドラマにあった、アキはサクの心の中に生きているという事と同じと言う事になるかもしれないと考えています。

朔五郎さんも深く見られていますね。
この作品は、ドラマ以外は、小説も映画も観客に判断させる部分が非常に多いように思えます。作者がそう言う方針のようで、また映画は2時間という時間の中で描くには難しさもあると思います。もし、映画がドラマのように普段の生活を描いていたら、これほどヒットはしなかっただろうと思います。

ただ問題なのは、作者がUFO(骨灰)の所とか、夢島でのサクとアキが結ばれたかどうかと言う部分や、アキが最後に会わなかった部分とか、絶対にどちらか分からない部分(サクとアキが結ばれたかどうか)と、作品を読んだり見たりしてある程度判断してくれと言う部分を、我々はごっちゃにして考えていて、まとまっていないので、難しくなっているのかもしれませんね。

そんな中でも、ドラマと映画のラストには明らかな違いがあり、それが外側から見た形だけの違いなのか、それとも心の部分まで違うのか、という事を理解しないと、納得は難しいですね。

ところで明日からはドラマのセカチューですね。友人(大阪)に聞いたら、関西地方ではセカチューをやらないみたいですね。関東地方の皆さんは、明日から録画の用意をお忘れなく。

駄文失礼しました
...2004/12/27(Mon) 01:09 ID:a71MDQWc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 「最後に会えなかった」にもバリエーションがありますが,病室に呼ばれて遺言(のようなもの)を聞くけれども臨終そのものには立ち会えなかった原作,会うことそのものを拒まれた映画,自分も倒れて意識を失っている間に逝ってしまったドラマのうち,サクにとって最も残酷なのが映画版ではないでしょうか。
 さて,原作も映画もドラマも,亜紀は空港まで来たところで力尽きて倒れます。ウルル行きが成就しないという説明はそれで充分なのに,あえて映画は台風を持ち出しています。最初,これは冒頭の病院の窓から外を見て不安をもらすシーンに台風を持ち出したためと軽く考えていたのですが,朔五郎さんの書き込みで納得しました。挫折する壁として描かれていたのですね。

 「指先の花」は参考にすべきではないと言うのは私も同感です。荒んだ暮らしに堕ちた挙句,不純異性交遊の果てにという律子との出会いの説明も含めて,どうも,後付けの説明をしようとして,かえって傷口を広げているような気がしてならないのです。
 先に,映画版では亜紀の遺灰の出自について説明がないと書きましたが,見る人の解釈に委ねられているということなのでしょう。朔五郎さんもおしゃるとおり,「指先の花」のように盗む必然性などどこにもありません。
 仮に盗むにしても,それにはそれなりの必然性や切迫性が必要で,「いずれそういうこともあろうか」というのは動機付けとして弱すぎます。また,早い段階から入手していたとすると,帰郷して思い出の地を彷徨っている時に瓶を眺めるシーンがあって当然ですが,そのようなシーンは登場しません。
 とすると,最後のテープを聴き,「後片付け」をしようとなったところで入手したと考える方が自然です。そして,その時点では「ケジメ」もつけている訳ですから,コソコソ盗むのではなく,焼香に行って(ひょっとすると亜紀ゆかりの人として律子も一緒だったかもしれません),事情を説明して(場合によってはテープも聞かせて),遺灰を分けてもらったと考えた方が,解釈としてはスマートでしょう。
 この点をとっても,「指先の花」はあまりあてにならないと思うのですが,皆さん,いかがでしょうか。
 
...2004/12/27(Mon) 05:57 ID:pCbWj1wo    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:くれい
う〜ん、でも「指先の花〜律子の物語〜」という題名にあるように、あのノベライズは律子が主人公で
ですから、サクについてはあまり気にしませんでしたが。
むしろ律子の存在についてはある程度参考になると思いますけど。
...2004/12/27(Mon) 21:38 ID:pELZNYOA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
>ノベライズは律子が主人公ですから、サクについてはあまり気にしませんでした。むしろ律子の存在についてはある程度参考になると思います。
ということなのですけど,参考にした結果,問題がスッキリするか,ますます訳が判らなくなるかは,また別の問題でして・・・
 つまり,「指先の花」が余計なことを書いたばかりに,それを通して律子だけでなくサクも見た場合,逆に感情移入できなくする要因を作り出している面もあるのです。

 多少のハレーションを巻き起こすことは覚悟の上でハッキリ言います。「指先の花」で描かれた律子とは,相手の素性も,どんな人かも知らないまま,その場のノリで最後の一線を簡単に越えてしまうような,50年前に市川房枝さんたちの努力によってなくされたはずの(今もモグリで存在しているとは聞いていますが)世界の人たちのような存在として描かれているのです。
 サクもまた,恋人を失った寂しさを,愛情の裏打ちのない瞬間的な快楽に走り,不純異性交遊の果てに既成事実が先行して婚約するという薄っぺらな人物として描かれています。亜紀を心から大切に思う人が,不特定多数の異性に前後の見境なしに手を出すなんてことがありうるでしょうか。許されるでしょうか。
 だいたい,益子昌一なる人物は,これまで,未成年者オフリミットのおどろおどろしい作品しか描いてこなかった,通俗ということばで表現することすら汚らわしい人物ではないですか。
 そういう人物に,そういう描かれ方で後付けの説明をされた律子やサクや映画そのものがかわいそうでなりません。
...2004/12/27(Mon) 22:10 ID:pCbWj1wo    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
にわかマニアさん、珍しくお怒りですね(笑

指先の花は一回しか読んだことしかないので、あまり気にしていませんでしたが、中年のサクが自堕落になっていたとしても僕はあまり不自然に感じないですね。

過去にとても純粋であり心に深い傷を負った人間が、心を閉ざして都会で生活する。なんとなく中年のサクが自堕落な感じになっていても不思議な感じはしないのではないでしょうか?

でも、心には青春時代に本当に愛した人を失った痛みを抱いている。そこは本当にピュアな気がするんです。なんとなく太宰治の走れメロスに通じるものがあるように思えます。

昨日から始まったドラマを録画して見ているのですが、このドラマや映画が多くの人に愛された理由がわかるような気がしてきました。何回も書かれていることではありますが、1980年代の回顧、愛する人を失う痛み、青春時代の輝き、本当にドラマも映画も原作から良く創ってくれたと感謝したい気分です。

先日韓国映画、僕の彼女を紹介します を見てきました。良い映画だと思いますし、好きなのですが、やはりセカチューには届きません(自分の中では)。風を使って、愛する人を失った痛みを表現しているのは、とても素晴らしく独自のものがあったと思いますが、日本人の心にマッチできるのはセカチューのような気がします。

そう言う点で、来年韓国版セカチューに期待すると同時に、不安を感じます(他スレの返答もかねてます・・・にわかマニアさん)
...2004/12/28(Tue) 20:33 ID:lzc30R6c    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 感情むき出しのお恥ずかしいところをお見せしてしまいましたが,自らの感情に正直に言えば,どちらかと言えばドラマ派の私ではありますが,映画もものすごく好きなんですね。それだけに,ピュアな部分を大切にして欲しかったという気がしました。
 サクや亜紀の年代の娘,律子と同じかちょっと下の年代の息子を持つ父親として,ついついPTA的な言い方をしてしまったかもしれません。お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。

 さて,映画のどこが,あるいは誰が好きかと聞かれたら,「人が死ぬってのはエライことだ。わしらにできるのは後片付けだけだ」と言ったシゲジイの渋さだとハッキリ答えられるのに,実は,ドラマについては,全体として迫り来るものを感じているのに,登場人物の特定の誰かに感情移入している訳ではないのですね。強いて言えば,脚本の緻密な構成に惹かれていると言えるのかもしれませんが。ひょっとすると,私は映画派としてもドラマ派としても中途半端なのかもしれません。
...2004/12/28(Tue) 21:08 ID:HPG9XcWc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:くれい
まあ指先の花が、どれだけどうかなんてはっきり言えませんよ。
実際指先の花のほうが原作より面白いという方もいるわけですし、
感じ方は人それぞれですよね。
さすがに著者のことまで書かれるのはどうかと思いますけど。

俺も重じいのあの台詞が好きですね。
ドラマならサク父の「どうして死んだ人間の願いを聞いてやれないんだ!!情けねえなあ・・・」が一番印象に残ってます。
やはり惜しまれるのは、謙太郎じいさんが早く死んでしまったことですね。
できれば最終回に重じいの台詞を言って欲しかったです。
...2004/12/28(Tue) 21:28 ID:4MIvfFuA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 散骨というモチーフを反復させるためとはいえ,「惜しまれるのは、謙太郎じいさんが早く死んでしまったことですね」というのは同感です。
 その代わりに,祖父の役目を恩師や明希に(解釈によってはサク父やスケにも)分散させてはいるのですが,一人の口から語られる訳ではない分,インパクトは弱いですよね。
 ただ,名セリフという意味では,第4話ラストの「私が覚えていてあげるから安心して忘れなさい」というのも間違いなく名セリフだと思います。
...2004/12/28(Tue) 21:46 ID:HPG9XcWc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
にわかマニアさん、怒りとか笑いとか、人間の感情に触れる部分は、その人にとって大切な部分ですから、感情の表現があるのでしょうね。にわかマニアさんの大切な部分が見えたと言う点で、良かったと思いますよ。

私の場合、映画ではやはりアキなんですね。あのキラキラ感、筋の通っている正義感、風のように現れ風のように去っていったスピード感、あと、サクの痛ましさも好きというか感情移入できますね。
シゲジイは、それを補佐する感じで、ウエディングシーンで背中をたたく所や、サクとアキがロミオとジュリエットの気持ちを聞きに言ったとき、タダじゃイヤだなんて言う部分も、変な頑固なおじいさんと言う感じで好きです。

今回見ていてドラマは、青春とか友情とか、命の重みの描き方が、自転車のペダルの軽さに表現されている部分がいいですね。今回見ていて、ドラマも良くできているなあと再び感心しています。

くれいさんの、

>ドラマならサク父の「どうして死んだ人間の願いを聞いてやれないんだ!!情けねえなあ・・・」が一番印象に残ってます。

この部分、自分も記憶があります。ギリギリのところで出てくる言葉ってのには、重みを感じますね。いいせりふだと思います。
...2004/12/28(Tue) 21:58 ID:lzc30R6c    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
先程再放送を見返していたら、アキの名前はあっさりと通過していましたね。ドラマでは、名前の勘違い(サクの名前の由来についても)が描かれていないのは、以外でした。

ドラマのほうが、原作に添っていると思っていましたので、この部分をあっさりと描いていたのは、流れを重視したのかな?

映画と小説はこの部分を描く事によって、本来の自分を取り戻すという再生を寄り際立たせていたと思うのですが、ドラマは時間が長いので必要ないとはんだんされたのだろうかな?
...2004/12/30(Thu) 00:06 ID:ep1El0hY    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 今日(29日),第7話の再放送を見て,またちょっと気になる点が見つかってしまいました。
 原作との対比における映画とドラマの比較で,散骨場所(ウルルvs日常の生活圏(学校)か)や,どこに亜紀を感じるか(記憶のアルバムに整理して送るvs自分の中で一緒に生きていると感じる)という点で,映画は独自の解釈,ドラマは原作のメッセージを重視と考えていました。純愛−喪失−復活−散骨という一連の流れの中でとらえるならば,そうした整理でいいと思うのですが,スレ起こしにある「もう一つのテーマ」で,ちょっと気になることがあるのです。
 映画では冒頭のシーンと夢島での会話で,サクが自分の名前の由来となった詩人の代表作を知らないという場面が登場し,夢島のシーンでは亜紀の名前の種明かし(季節と地質時代の勘違いが判明)も出てきます。ところが,ドラマにはこのシーンは登場しません。
 ドラマで名前談議が登場するのは,第7話で,外出許可をもらった亜紀がサクの家で夕食を共にしながらの団欒の場面です。そして,同じ病気の真島が亡くなったことで絶望した亜紀が海に入っていくのを止めるシーンでは,サクの口から亜紀の名前の由来が語られ,最終的には「そういう亜紀を信じる」の一言で亜紀は入水を思い止まります。つまり,ドラマでは,不自然な勘違いという設定をカットしつつ,名前談議を別の展開に転用しているのです。
 これは,ある意味ではスッキリしているのですが,アイデンティティ・クライシスと自分探しがこの物語の隠されたテーマだという点から言えば,原作との間に単なるワンシーンのカットにとどまらない大きな距離を生じているようにも感じます。自分探しは今サクの魂の彷徨で充分に象徴されていると解釈できなくもないのですが,改めて再放送を見て,この点が妙に引っかかってくるのです。
 皆さんは,いかがですか。
...2004/12/30(Thu) 00:07 ID:2xj6JS7s    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 どうやら,騰徳さんと同時投稿になってしまったようです。
...2004/12/30(Thu) 00:13 ID:2xj6JS7s    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
にわかマニアさんも気づかれていたのですね。しかも同時刻投稿とは・・・
偶然の一致と言ってもいいですね。人生を長く歩んでくると、こういう不思議な事が色々起こりますから、楽しいです。

あと今日の8話?を見て気づいたのは、アキが人間の  絆  を信じられなくなり、サクに別れを告げますが、母親には   永遠の絆   を求めていました。そして最後にサクから5つの嫌いなアキをテープで聞かされた後、婚姻届を提示されて恐らく  永遠の絆   をサクに感じ、キスをしたように思います。

映画の永遠と瞬間の問題の答えが、ドラマに隠されているかもしれません
...2004/12/30(Thu) 00:52 ID:ep1El0hY    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
ああ、やっぱりねえ・・・

今日の9話、27分くらいしかなかったんですよ。3:30頃でかけようかと思って用意していたら、奈良の誘拐少女殺人事件の容疑者が捕まったということで報道が始まり、3:53分頃からセカチューが始まったので取り直したら、カットされていたんですね。今、映画館から帰ってこちらのホムペ見て知りました。結局セカチューのドラマ版は最後まで上手く取る事ができない事になっちゃった。。。残念!

今日の最終話はこれから見ますが、ドラマはドラマなりに独自の色を出そうと努力していますね。アキの名前の勘違いや骨灰を道路に散乱させる所や最後の死に目にサクが会えない所など、映画や小説とは違う描き方に改めて興味を抱きました。ドラマは映画のストーリーをかなり借りてきていますが、それでも独自色を出そう、ドラマにはドラマの意地があるぞ!という気骨を感じました。
...2004/12/31(Fri) 01:14 ID:U7aI8LVk    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 DVDのオマケの部分に石丸さんのインタビューが収録されていますが,仕事柄,本を読む時も「映像化したらどんな絵になるか」を考えてしまうそうです。
 与えられた文字情報を基に,行間に込められたメッセージも解読しながら,読者が自分で頭の中にイメージを構成する小説に対し,映画やテレビは,受け手の側に映像から入ってきます。このため,登場人物の内面の描写には,かなりの工夫が必要となります。
 そんなこともあってか,原作者のメッセージの解釈や,映像作家としてのメッセージの内容は異なっても,原作の映像的な表現手法の面では,映画もドラマもかなり似通ったところがあります。例えば,声の交換日記や婚姻届です。
 その上での「独自色」というのは,恐らく,「世界の中心」はどこか,サクは「亜紀の存在」をどのように感じるようになったかという解釈が異なったことからきているのでしょう(もっとも,映画版の監督もドラマの脚本作成に参画していますが)。

 ところで,映画にもドラマにも共通して登場する「原作にない人物」にサクの妹がいます。2人とも一人っ子だと原作の144頁に明記されているにもかかわらずです。これは,「その後」のサクを描くにあたって,17年間,過去を引きずっている主人公に対置する形で,「普通に」大人になって「普通に」家庭生活を営んでいる「身近な」存在が必要となったためなのでしょうか。
 皆さんは,どのように考えていらっしゃいますか。
...2004/12/31(Fri) 17:14 ID:bZtqmoD2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 PROSIT NEUJAHR! 2005
 今年も,未解決の謎を解きながら,セカチューのさらなる魅力に迫っていきましょう。
...2005/01/01(Sat) 00:02 ID:lFMjYVMs    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
あけまして、おめでとうございます。
NHKの瞳をとじて、良かったです。

今年も宜しく〜
...2005/01/01(Sat) 00:09 ID:HfF8JzBs    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 ただ今,9時を回りました。
 グリニッジ標準時でも,2005年の幕開けです。
 改めて
 PROSIT NEUJHR!
...2005/01/01(Sat) 09:03 ID:lFMjYVMs    

             Re: 謎解き 新年第1問  Name:にわかマニア
 お屠蘇が回りすぎたのか,それでなくても回転の鈍い頭がますます回らなくなってしまったため,皆さんのお知恵を拝借したいと思います。今年も宜しくお願いいたします。

 永遠というテーマとの関係で,同じ原作から同じモチーフを映像化しているのに,映画とドラマで順番を入れ替えているのが気になってきました。
 原作とドラマでは(時期の差はともかく),
@亜紀を白血病に見立てたリクエストハガキを出す。
A祖父から昔の恋物語を聞かされる。
B墓を暴く。
という順序ですが,映画では,@を動機づけ(電器店でウォークマンを見て,ラジオ番組の景品だという会話を交わす)の部分と実行の部分に分割した上で,
(2)シゲジイの恋物語
(1A)ハガキの動機づけ
(3)墓を暴く
(1B)ハガキを出す
の順に入れ替えています。

 また,ウソのハガキを叱責する場面では,「本当に病気で苦しんでいる人たちのことも考えるべきだ(共通)」に続けて,映画だけが「シゲジイの恋は成就しなかったから永続できた」という流れになっています。
(映画の謎)
 何かの件で人を叱る時に,すぐ続けて別の話題を持ち出すのは,ちょっと唐突な印象を受けます(だから,面と向かって話すのでなく,映画だけがテープでのメッセージにしたのかもしれませんが)。それに,前後の意味のつながりを理解するには,じっくり考えて解釈を掘り下げる作業が必要になってきます。
 そうまでして,この順番やセリフを必要としたのは,「人が死んだら愛も終わりか」という問題提起を前面に打ち出すためなのでしょうか。また,そのために,亜紀を墓暴きの「観衆」ではなく「共犯者」にする必要があったということなのでしょうか。

(ドラマの謎)
 一方,順番こそ原作の順を踏襲したドラマですが,墓を暴いた後の明け方のアジサイの丘での2人の会話(第2話終盤)では,原作のように「心が落ち着く」といった趣旨の会話はありません。むしろ,祖母の話を持ち出しながら,ネガティブな捉え方をしてさえいます。
 そして,これがサクに受け入れられるには,祖父の灰と一緒に送るという一連の行為を通じてであり,しかも,祖父が恋人の写真の裏に書き付けた漢詩のメッセージをサクに伝え,共に祖父を送る存在として,ドラマの場合も亜紀は深く関わっています。
 これも,映画と形は変えながらも,永遠というテーマを語る上で,亜紀の積極的な関与を必要としたと考えていいのでしょうか。

 皆さんは,このあたり,どのように考えていらっしゃいますか。
...2005/01/02(Sun) 14:51 ID:xqZKGbBI    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 とりあえず,過去ログ落ちだけは食い止めておきます。
...2005/01/05(Wed) 20:10 ID:QvLRKBl6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 正月休みで映画やドラマのDVDをご覧になられた皆さんから,別スレではありますが,「映画のテーマとは」や「ソラノウタが届いたのがなぜ17年後なのか」といった「謎解き」系の書き込みも寄せられているようです。例示した2件は,いずれも「死生観」や「永遠」というテーマで,ここでも議論してきた内容と重なってくるものがあります。
 カレンダーが1年ずつずれていますが,映画もドラマも喪失から復活までを17年(亜紀のいる世界にいた年数=亜紀のいない世界にいる年数)という設定になっています。17年が長すぎるかどうかはともかく,あれだけの喪失感からの復活には,それなりの歳月が必要だったのでしょう。10年程度としている原作でも,風雪にさらされて角が丸くなった石の地蔵が「時の癒し」を象徴する存在として登場します。
 このあたり,かなり議論を積み重ねがありますので,別スレの投稿子の皆さんにも参考にして頂きたいところです。
...2005/01/08(Sat) 23:38 ID:Jvgk2YLQ    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
にわかマニアさん、お気遣い感謝します。

他の方々の見解も多く聞いてみたいですね
...2005/01/09(Sun) 01:38 ID:tXTDJEdE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
リクエスト葉書についてですが、私自身、原作を最初に読んでいたので、白血病について書かれたことが「予言めいたもの」と感じておりました。
映画に関しては、突然、夢島で倒れたようなストーリーなので、これに近いといえるのかもしれませんが、
TV版では、既に亜紀にはいろいろな症状が出ており、「予言めいたもの」というよりは、「現状を言い当てたもの」のように思えます。
「早く病気に気付いてくれ!」と神がかり的なものが書かせたものとでもいえるでしょうか。

となると、「治ってピンピンしてる」葉書は意味が無いといえるでしょうし(だから出さなかった?)、
「ひどい嘘」の上塗りを行うことはいかがなものかとサクが感じて出さなかったのかな?とも思います。
映画では出してますよね。個人的にはひどく違和感がありました。

また、原作とTV版では、どちらも亜紀のために書かれたものでもあって、亜紀に許されている感じがしますが、映画版では、この行為そのものは、許されていないような気がします。
これも2枚目の葉書に対する違和感になっています。
...2005/01/10(Mon) 04:24 ID:f8OeSWdg    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
>映画版では、この行為(リクエスト葉書)そのものは、許されていないような気がします。

 良くも悪くも,ストーリー展開のテンポの軽快さが映画の身上ですから,時として,「で,どうなったの」と思っているうちに次の場面に切り替わっているということもしばしばです。例のリクエスト葉書に対する叱責にしても,すぐに話はシゲジイの恋に飛んでいます。このあたり,観る人に解釈を委ねているような感じです。
 そう言えば,婚姻届持参で見舞いに訪れるシーンも,ドラマのように「婚姻年齢を知っているの」といったやりとりもないまま,結局どうなったのか表現されないままでしたね。
 このあたりも,深遠なテーマを限られた時間に凝縮して表現するため,観衆への説明は必要最小限にとどめ,あとは見る人の解釈に委ねるというスタンスが貫かれているのでしょう。

 ここから先は,回数的にも質的にも映画をもっと深くごらんになっておられる皆さんにお願いいたします。
...2005/01/10(Mon) 10:24 ID:USWawJrQ    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
>また、原作とTV版では、どちらも亜紀のために書かれたものでもあって、亜紀に許されている感じがしますが、映画版では、この行為そのものは、許されていないような気がします。

体育館で亜紀が自分の病名を朔に告げて、朔が「ぼくがあんな葉書書くからこんなことになっちゃたのか」と叫んだとき、亜紀は「ちがうわ」「運命なの」と答えています。よって、亜紀には許されていると思っています。

ただ、朔には「巨きなもの(神?)」に許されていない、という意識があったんじゃないかという気がします。それが「助けてください」という言葉につながったのではないかと。つまり「もう許してください、亜紀を連れていかないでください」というようなニュアンスを感じます。

くだらないことですが、二度目の葉書が読まれたとき、ウオークマンをもう一台もらったのでしょうか(笑)
...2005/01/10(Mon) 19:59 ID:4iybE5qQ    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
> TV版では、既に亜紀にはいろいろな症状が出ており、「予言めいたもの」というよりは、「現状を言い当てたもの」のように思えます。

 原作では言の葉が持つ呪術力をひとつのテーマとしていますが、ドラマは hiroさんご指摘のように表現することでこのオカルト性をなんとか緩和しようと努力しているように思えます。

 ドラマに対する批判意見としてよくあるものに、緒形サクのダメぶりが激しすぎてついていけないというのがあります。わたしはそこにこそドラマの良さがあると思っているのですが、そういう意見もわからないではありません。
 というのは、このリクエスト葉書があったからこそ朔太郎は自責の念に苛まれることになるわけで、これを原点に据えてはじめて朔太郎のダメぶりも理解できようというものです。しかしドラマではリクエスト葉書のオカルト性を希釈しようとしてしまったので、緒形サクのダメぶりがわかりにくくなってしまった。この矛盾がドラマの玉に瑕になっている部分かなと思います。みなさん、いかがでしょうか。
...2005/01/10(Mon) 21:38 ID:oLVIQMa.    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 以前,映画やドラマが80年代後半という設定(原作における亜紀の発病は骨髄バンク設立後)にしたことで,無理して病室から連れ出して命を縮め,骨髄移植に間に合った可能性を摘んでしまったという自責の念を強調しているという趣旨の書き込みをしました。
 その際,@臨終には立ち会えなかったが,病室に呼ばれて遺言は聞いた原作,A会うことさえ拒まれた映画,B自分も倒れているうちに逝ってしまったドラマを比べると,Aが最も残酷だと書いた記憶があります。しかし,よくよく考えると,別の見方もできることに気付きました。

 原作も映画も,空港で亜紀が倒れてから臨終を迎えるまでには,若干の時間差があります。だからこそ,病室に呼んだり,テープを吹き込んだり(別の事情で届けられませんでしたが)できた訳です。しかし,ドラマの場合は,この時間差がほとんどありません。
 つまり,サクの父のセリフではありませんが,「サクが止めを刺したようなもの」という印象が一番強く刻印されるのがドラマなのです。ということは,サクの自責の念もそれだけ強くなってくる,ひいては,今サクのダメぶりもそれだけ強調されてくるのではないでしょうか。
...2005/01/10(Mon) 21:57 ID:USWawJrQ    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
第9話での緒形サクのセリフに
「オレは亜紀が死ぬと知っていて連れ出した。
もしあのまま病院にいたら、亜紀はもう一年は生き延びたかもしれない。
4年、5年生き延びれば骨髄移植を受けられたかもしれない。
そんな未来もあったかもしれない。」
と明希に語っています。
白血病の発症ではなく、最後連れ出したことが間違っていたのでは?という自身への問い掛けは、原作・映画にはみられなかったものです。
ここからも、にわかマニアさまのいう、
「連れ出さなければ生き延びたかもしれない。
とサク自身が自責の念にかられている」
ことが感じられます。

第5話で夢島のテープを聞いた時
「亜紀をボロボロにしたのは自分だと責め続けたあの頃へ」
との語りについては、17歳のサクか34歳のサクか考えあぐねています。
...2005/01/10(Mon) 22:34 ID:rdr2Vh0Y    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
みなさん、議論が活発になって、大変良い傾向だと思っています。一部の人だけの議論では、話題に広がりが無くなりますからね。

少し話がずれますが今日東京国際フォーラムで、日経先物、オプションのセミナーに出席してきました。そのとき頂いた雑誌に興味深い情報が出ていたので書いて見たいと思います。Futures JAPAN12月号(¥900)と言う雑誌でしたが、そのP2〜8にロバート・プレクターと言う人の特集が組まれていまして、ソシオノミクスという学問ができつつあり、米株市場は崩落の淵にあるという記事ですが、まあ株の話しはセカチューと密接な関係はそれほど無いので置いておきますが、問題はそのソシオノミクスを読んで、私が思ったことを書きたいと思います。

その記事によると、株が下落トレンドにあるから人々が悲観的になって社会に暗い話題(企業の不祥事、残虐な事件など)や、雰囲気(暗い服装、悲しい流行歌、気難しい音楽などが流行る)が出てくるので無く、群集の心理が悲観的になっているからそういう事件や話題が出てくるのだという学問だそうです。もう少し付け加えると、外側が変化したから内面が変わるので無く、内面が悲観的や楽観的になるから、外側(例えば株価や事件)にそういう事が起こると言うんだそうです。

その具体的な例として、2001年の9・11のときも、株価は下落トレンドにありましたが、そこにとどめを指すようにアメリカにテロが起きました。で、そこを契機に半年ほど株価は上昇したのですが、絶望の中から明るい兆しをアメリカ国民は持ったわけです。陰極まって陽ですね。こないだの新潟地震のときもそうです。株価は見事に反転しました。

今回のセカチューブーム(いまあい・・・、冬のソナタなども)を見ますと、日本中が涙したわけですね。2003年に日経平均は見事に大底をつけ(たぶん)回復しましたが、人間の悲観的心理にはちょっとズレがあるようで、このセカチューが最後の陰の極じゃないかと、私は思ったわけです。

で、面白いのは、片山さんが2004年を悲しいストーリーで泣かせようと作品を書いていたわけで無く、発売は2001年ごろだったと思いますから、歴史の大きな意思のようなものが、片山さんという人を働かせて、2000年以前からそういう芽が出てきて、2004年に登場させたという大いなる意思のようなものを感じたわけです。

文章にするとあまり上手く書けませんが、恐らく2003年、2004年が悲観的気分のピークだったと歴史には記録されるものと思います。で、セカチューの熱も冷めていくのでしょうが、人間の自然の心理ですから、これはしょうがないですね。まあ、日本がこれから少しづつ明るくなっていく(と思っています)んですから、それもいいかな?

こんなのもセカチューの謎と言う範疇に入るんじゃないかと思い、少し違和感を感じる人もいるかと思いますが、書かせて頂きました。・・・乱文失礼!
...2005/01/11(Tue) 01:06 ID:THD9OU0E    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 そう言えば,謎解き本でも,原作が世の中に受け入れられた背景について,バブル崩壊後のいわゆる「失われた10年」との関係で「喪失感」を説明していましたね。
 原作が上梓された2001年から,映画が撮られた2003年やドラマ化された2004年に至る間も,失業率や倒産件数等を見れば,決して明るい方向に向かっていたとは言いにくいだけに,逆に,こうしたものが受け入れられる素地があったのかもしれません。
...2005/01/11(Tue) 05:50 ID:zLiXDAHw    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
ドラマ版のDVDを年末からずっと繰り返し見ています(^_^;)(PCに全部おとしてエンドレスで・・・)
もともとドラマは途中からだったので、全編みるのは今更なのですが・・・
テープでしばしば出てくる「コロッケパン」
しかし、一度も食べているシーンがありません。
(介、ボウズ、ともよが食べているシーンはあります)
亜紀が外出許可をもらって学校にきた時は、ラップも少しはがされ、食べられたように思えるのですが、映像はありません。
また、その後、たこ焼きパパさんでたこ焼きを食べています(おまけまでついてます)。
一方、必ず食べられているのは「たこ焼き」です。お見舞いがてら夢島行きを伝えに行った時も、最後、手をつけています。
なにか、「果たされぬ約束」めいていて少し気になりました。
...2005/01/14(Fri) 16:06 ID:KRCGOL5c    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 まさか「謎解き」スレで「食べ物談議」ができるようになるとは,思いもよりませんでした。
 例の「コロッケパン」ですが,その動機付けは,単に「昼メシ何にしようか」という日常の軽い会話ではなく,「家庭では「父の好みで」クリームコロッケしか食べられないから,イモのコロッケが食べたい」という亜紀の願望からきています。
 とすると,「男性と交際している時間があるのか」とか「いつまで部活を続けるのか」と亜紀の世界に干渉し,時として「実力行使」(第2話でテープを無断で廃棄)に及ぶ「帝国主義的な」父親から逃れたいという象徴的な意味合いが込められているのかもしれません。もし,この解釈が許されるなら,初めてラップをはがしたのが,亜紀の父が娘にとって大事な人は誰かにようやく気付いた(第6話後半)後の第7話というのも象徴的ですね。外出許可をもらったその日に,自宅での夕飯をキャンセルしてサクの家で夕食を共にし,帰り道で「今度は朝食を共にとりたい」と語っているのですから。
...2005/01/16(Sun) 04:52 ID:8uSRdwho    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
なるほど、そういう解釈はありですね。
そうすると、最終話でのカニクリームコロッケの種明かしは、父と娘の和解を意味するわけですね。
しかし、これで廣瀬家最後の晩餐が今以上に哀しいシーンに感じられてしまいます。
それに、今一歩で口にできなかった亜紀の運命を考えると、コロッケパンにも哀しさを感じてしまいそうです。
...2005/01/16(Sun) 05:09 ID:aY4s.YbE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:不二子
いつか読む。いつか観る。
先日までそう思いながら、本屋でもレンタルショップでも通り過ぎて来ました。その日が何となく、遠くなりかけたその時、にわかマニア様に背中を押して頂きました。その事もあって、こちらに伺っております。ここは、私が来るにはかなり深い淵ですが、原作、映画とも、ようやく目を通しましたので、少しだけ感想を述べさせて下さい。

まず原作ですが、不思議な匂いが漂った作品で、もの凄いダイジェストを見た様な印象でした。どうしてもドラマが先だと、毎週巻き起こる感動の嵐を連想してしまうのですが、とても静かで淡々と話が展開して行く。それは、朔の一人称で物語が進んで行く事と大きな関係があって、ずっと朔だけがこの話について語っている様な印象からかなと思いました。アキは登場しますが、語り手が朔なので、アキがしゃべっている相手はいつも朔です。朔のいない時のアキは登場しません。だからアキが家でどうだとか、見えないところでどんなにアキが闘病で苦しんだとかは全然なくて、これが「朔の知らないアキはいない」という表現なのでしょうか。
あと、言葉の持つ力は大きいと思いました。あの様に美しい物言いをする高校生に生活感はありません。アキは終始まろやかで、ハガキを叱咤する際や、最期の言葉までまろみを帯びていたと感じました。で、この原作の二人の関係は、いつも朔が主導権を握っているのですね。とても新鮮な朔です。これは、確かに山田君でもはるかちゃんでもないですね。

また、映画の感想は、あの原作をよくここまで広げて映像化したなという事です。そしてやっぱり、噂通り長澤さんは素晴らしかったです。このアキの特徴は、とても快活で言いたいことを言ってる様に見えて、その実何を考えているか判らない、ってところだと思いました。いつも朔のずっと前を歩いていて、翻弄し続けている感じがします。「本当のアキを知らない」って意味ではこの朔もかなり知らないのかなと、ちょっとだけ思いました。そして印象的だったのは、アキと朔が劇中初めて言葉を交わすシーン、石段のところに座っているアキの声が響き渡った時です。一体何時から何処から現れた!?、って風情です。その後「サクと話したかったから、バイクに乗った」と言っていますが普通だと、好きだから近寄った、という解釈になると思うんですけど、この不思議な存在のアキの前に、私は以下の様な感想すら持ちました。それは、アキが自分の運命について何かを感じていて(死期を知ってるって意味ではないです)、ずっと恋の相手を探していたような。まるで、「今から私は朔と恋をします」とでも言わんばかりな一方的な近付き方だったと思いました。「恋」を先に選んでから、後から朔が来た様な。
とにかく、長澤さんのアキは存在が眩しすぎて、本当にいたのかどうかさえも判らなくなる、幻の様な女性です。最期、朔に会おうとしなかったというのも、このアキなら何となく理解出来る気がします。説明しろと言われたら、観方がまだまだ浅くてちょっと困るんですが。そして、さらりとした遺灰の撒き方が本当に長澤アキに似合ったものだと感じました。
ドラマでいい加減泣いたので、映画ではそうそう泣かないだろうと思っていたら、この映画には映画の素晴らしい世界が展開されていて、終盤はやっぱり涙でした。

こちらに書かせていただくには、「謎」を解いてもいないし提示すらしてなくて、大変恐縮でしたが、少しだけ私の世界も広がりました。読み解いて行くまでは、とてもじゃないけどまだまだ時間掛かりそうですが、

にわかマニア様、ありがとうございました。
...2005/01/17(Mon) 16:51 ID:aixLkYnU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
お久しぶりです。
不二子さんのレスを読ませていただき、なるほどと感心させていただきました。私は映画については森山サクにばかり目がいっており、共感するところも多かった訳ですが長澤アキの観方というものを勉強させていただいたように思います。

さて、ドラマのDVDを観ることが出来るようになり、あらためてドラマをゆっくり観ることが出来ました。実をいうと1〜4話まではOAでしか観たことがなく分からなかったことや忘れてしまったことが多かった訳です。いつから廣瀬からアキと呼ぶようになったのか?なぜ一緒に帰りたかったのか?散骨場所がなぜグランドなのか?自殺しようとしてあのセリフでとどまった理由なんかがよく分かりますね。
で気になったのがカメラワークです。当初は非常に丁寧に撮っていたのに、後半はだんだん荒くなってますね。スケジュールが押していたからでしょうか?
...2005/01/18(Tue) 00:08 ID:XhvDUGF6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
不二子さま
 なるほどな意見です。
 映画版で感じていた不思議な感覚を言葉にしていただいたような気がします。
 別スレ「映画版 亜紀のヒロイン像」に欲しい意見です。こちらにもお立ち寄りを!(私はスレ主ではありませんが・・・)
 
...2005/01/19(Wed) 00:02 ID:8VIRxsb2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
にわかマニアさん、hiroさん、#157へのレス、ありがとうございました。

> 白血病の発症ではなく、最後連れ出したことが間違っていたのでは?という自身への問い掛けは、原作・映画にはみられなかったものです。

 なるほど確かにそうですね。この点のドラマの独自性はもっと評価してもいいかもしれませんね。
 セカチューは、喪失感がテーマだとよく言われていましたが、私はこの喪失感がテーマだというところには漠然と疑念を感じていました。もちろん喪失感の存在は否定はできないのですが、それがメインテーマだとするとどこかこじつけっぽさがあるような気がしてしまうのです。ドラマは、連れ出しへの自責を前面に出すことでこのこじつけっぽさを解消してくれています。

 連れ出しから死までの時間差をわざと縮めることで連れ出しへの自責を強調しているのでは、というにわかマニアさんの着眼は面白いですね。もしそれがあたっているとすればシナリオ作りの秀逸さがまたひとつ明らかになったということですね。

 このドラマでは、連れ出しへの自責感と葉書による言霊でアキを呪ってしまった自責感とはトレードオフの関係にあるのかもしれません。
...2005/01/21(Fri) 23:56 ID:dxjcSOe2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
不二子さま、思いのこもった長文を拝見させて頂きました。自分の感じる所と良く似ていて、共感いたします。

私も映画版のアキに関しては、生活観の無さが魅力の一つになっていると感じています。ですから、自宅でラジオを聞きながら薬を飲むシーンや、夢島でのサクとの会話で甘ったるいしゃべり方をしているシーンには少し不満があります。まあこれは、一種アイドルに対するフアンの心理に近いものがあるのかな?と思いますが・・・

映画と小説にはこのアキの生活観の無さと言う点が共通していると思います。小説においては、サクがアキの頼みを聞いて、アキの家にパスポート?を取りに忍び込む場面が設定されていますが、そのときに始めてサクはアキの歴史というか生活というか存在のようなものを始めて、そして少し、感じる設定になっているように思います。そういう設定を経て最後にオーストラリアに向かう列車の中での会話でアキが亜紀である事を知り、小説の裏テーマとでも言う部分をにおわせています。(幻とでもいうのでしょうか?夢のような存在とでも言うのでしょうか?本当の亜紀ではないアキを愛していたサクを作者は表現させたのではないかと思います)

上でどんきさんがドラマの独自性について述べられていますが、私は逆にこの部分が小説や映画の独自性というか魅力ではないか・・・自分の中ではとても引かれる感じを受けています。ドラマが長丁場でできるだけ矛盾の無いストーリー、生活観のあるシーンが多い(アキの自宅でのシーンや、たこ焼きとかヤキソバパン等)のに比べ、映画や小説はそういう部分を吹き飛ばす軽快なテンポというか短い時間の中で人の心を揺さぶるストーリーになっているように感じます。

あと感じるところでは映画やドラマではアキがサクをリードする感じが強いですが、時代の流れを感じます。これまでは男の時代でしたが、これからは女性の時代が始まる(始まっている)と言う感じを受けます。女性がこの作品に引かれる事の一つに、これくらい男性に愛されたいというものがあると聞いたことがありますが、それがある程度正しいなら、受身的な愛を求めながらも男性をリードしている恋愛を描いた映画、ドラマ、、、そんな位置付けを時間が経つと歴史が下すのではないかと思っています。
...2005/01/22(Sat) 23:30 ID:5SQ6Kyj.    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 映画が「金をかけて感動を買いにいくもの」であるのに対し,「向うから茶の間に飛び込んでくる」のがテレビだということを考えれば,同じ素材でも,両者の味付けは異なったものにならざるを得ません。逆に言うと,本当にいい素材であれば,それぞれ違った味付けを楽しむことができる訳で,あとは,いつも言われることですが,好みの問題でしょう。
 生活感と言えば,その最たるものが「ものを食べる」という行為ですが,日本のドラマは「メシ食いドラマ」と言われるくらい何かを食べるシーンが登場します。セカチューでも,タコ焼き屋が級友たちのたまり場になっていますが,「やって失敗するのと,何もしないのとでは」といった議論を公園の芝生でやったとして,絵になるかどうかという問題もあります。
 唯一「ものを食べる」という行為なしに神や来世についての哲学的な議論を交わしたのが夢島の一夜ですが,これはひょっとすると,無人島という隔絶された空間だったからこそできたのかもしれません。また,視聴者の側にも,この先残酷な運命が待ち受けている2人が幸福の絶頂にある時にどんなやりとりを交わすのかという関心があったから普通に受け入れられたという面もあるでしょう。

 もう一つ,ウルル行きの件ですが,軽快なテンポのゆえに時として唐突に感じることもある映画も,注意して見るとどうでしょうか。
 まず,原作ですが,亜紀は闘病生活から抜け出したいと言っただけで,場所は特定していません。それを受けた話の成り行きの中で,サクの側から唐突に持ち出されており,「謎解き本」によれば,「亜紀が運命を受容する過程に干渉して,彼氏という立場の自己満足のため,残り少ない亜紀の人生を弄んだ」と,にべもありません。
 これに対して,映画もドラマも,亜紀の口から場所を特定して「行ってみたい」ということが語られます。もちろん,サクと亜紀の「共謀共同正犯」(映画)か,主犯=亜紀・共犯=サク(ドラマ)かという温度差はありますが,いずれも,骨髄バンク設立のちょっと前という微妙な年代設定であることも含めて,「最後の願い」か「少しでも永らえるように」かという究極の葛藤を突きつけているようにも読めます。つまり,ドラマほど明示的に断言こそしていないものの,映画もまたドラマに通じる解釈をしているとは考えられないでしょうか。

 最後に,具体的な交際の過程では女性の側が主導権を握りつつも,それでも「愛される」側でいたいという点では,ドラマの第4話と第7話に象徴的なセリフが登場します。前者は智世の口から,後者は亜紀の口から,いずれも「まだ一度も好きって言われていない」と。そして,大木もサクも,その瞬間,なぜか引いてしまうというところまで似ています。
...2005/01/23(Sun) 01:38 ID:CCsypI.2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰徳
全くおっしゃる通りで、映画は時間が2時間程度、観客は時間とお金を使って見に行く、TVは自宅で無料で見られると言う違いがあります。それゆえ映画のほうが作品としてレベルが高いと言う解釈も成り立つかもしれませんが、ドラマが映画よりもいいと言う人がこれだけ多いと言うのも珍しいし、そういう結果からすると、ドラマも映画に比べて少ない予算?で良く健闘したと思います。

本来であれば映画のほうが素晴らしいと言う結果で当然だと思うのですが、ドラマフアンの多さから考えると、それぞれの特性を生かした作品作りがなされて、それぞれのまた共通したフアンを獲得したものと思います。そういう事を勘案するとドラマの検討ぶりが評価されていいと思います。

私個人でいえば、ドラマが始まってしばらくはあまり大きな興味を持っていませんでしたが、8/1に映画館で見てからセカチュードラマにも興味を持ちました。再放送で良さを再認識し、どちらも楽しめる嬉しさを感じています。逆にどれか一つ(映画、ドラマ、小説)しか好きでないと言う人よりは多くの楽しみを感じられて幸せなのかな?と思っています。(人生って、より多くのことを楽しめる人間の方が、幸せな気がしませんか?)

ものを食べると言う部分に関してですが、30、40年くらい前のドラマや映画なら公園の芝生でというシーンもあるかな?と感じています。ただ現代では多くのコミュニケーションがなされ社会的な発展によって、一緒に食事する事が親近感を感じさせる一つの方法であるという事が知られるようになりました。昔から外交などや重要な問題を相手と決めるときには、親密な雰囲気を作るため一緒に食事をするという事が行われてきたと何かの本で読んだ事があります。

逆に夢島で食事をしながらという部分が無かったのは、そういう緊張感を出すのに有効であったのかもしれません。

ウルルに関しては、映画ではサクのショックをお祭りの中での孤独で表したり、アキの父親との病院での会話で  何もしてやれないんだ!  と言うアキの父親の嘆きをサクはじっと聞いています。そして映画のいちテーマである衝動によって連れ出すわけですが、それまでの流れで(体育館でのアキとの会話や、同じ病の青年の死、写真館でのアキのウエディングドレスでの撮影など)アキは死ぬ事が確定していると観客に共通の認識を与えているので、あまり違和感が無いのかもしれません。またアキの生活感の無さがそれを可能にしているとも考えられます。そして、美しくはかないウエディングドレスの微笑みと残酷な空港シーンによる対比で、多くの人の感動と共感を得られるのだと思います。

それに対してドラマは食事をするシーン等でアキに生活感がありますから、現実的な葛藤を入れることが自然な流れとなると思います。

こういう事を考えると、映画は現実から少し距離を置いた作りですし、ドラマはもう少し現実を取り入れた作品ですので、そこが好きキライの分岐点の一つなのかもしれません。(後は、サクやアキの俳優さん達の好き嫌いが絡んでいるように感じます)

あと、女性が恋愛の主導権を握る話しですが、確かにドラマではそういうシーンがありましたね。サクと大木君では状況が違いますから同じ比較はできないかもしれませんが、大木君とトモヨの場合、男の側が去って行くのに対し、サクとアキでは女性であるアキが去って行く違いがあります。

大木君の場合は相手のことを考えてわざと言わなかった様に感じますが、堤防でのサクは何故アキに好きだと言えなかったのでしょうか?あとで5つ?の好きをテープで告白している部分にヒントがあるのかな?

それにしてもそのそれぞれのシーンに関しては、視聴者に女性の積極性と言うものを感じさせ教育?と言うと変ですが、男性に好きという事がそれほど違和感無くなりますよというこれから進む時代性を暗示しているように感じます。
...2005/01/23(Sun) 14:08 ID:9IgGuJsQ    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 どこかのスレで以前にも書いたことですが,映画とドラマの一方にハマればハマるほど,もう一方の「アラ」ではなく「良さ」が見えてくるというところが,この作品の不思議な魅力です。
 もっとも,映画の場合,謎解きに書き込みをするために脚本を確認するのでなければ,金と時間をかけてでも映画館で観たいですね。感動が違うというか・・・

 生活感やリアリティの差が映画とドラマの差(性格の違いですから,どちらが上でどちらが下ということはないのですが)だとした場合,象徴的なシーンが第4話にありました。陸上大会当日の観客席で,東京での生活費がどれくらいかかるかをボウズが計算する場面です。そこまでやるか!という感じでしたが。
 一方,映画では,ウルル行きの旅費の金策の場面が出てこなかったような・・・(見落としだったらごめんなさい)
 でも,そこを気にかける暇もなく(気付かせすらせず),一気にクライマックスに持って行くテンポ運びが映画の魅力とも言えるでしょう。

 いずれにしても,映画版にせよドラマ版にせよ,寝転がってビールでも飲みながら漫然と見ていたのでは,作品に込められたメッセージを見逃してしまうことだけは確かなようです。
...2005/01/23(Sun) 16:11 ID:CCsypI.2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
 最近他サイトの掲示板などで、ドラマの稲代・宮浦は愛媛県にあるという設定であることを知って少々驚きました。ドラマを見直してみるとなるほどたしかに車のナンバーは愛媛、電話番号の市外局番も愛媛(089)になっています。

 となると、今サクや小林母子の住まいはどこなのでしょうか。今まで皆さん東京だとおっしゃってますし、私もそう思い込んでいました。しかし宮浦が愛媛だとすれば東京は遠すぎます。いくら作り話とはいえ、小学校にも上がらない子供が一晩のうちに移動できるような地理関係ではないでしょう。

 とすると今サクや小林母子の住まいが東京であるということが疑わしいようにも思えてきました。松山市かあるいは広島市か、もうちょっとがんばって大阪か、ともかく愛媛に近い地方都市だということはありませんか。

 今サクや小林母子の住まいがどこかを示す手がかりはどこにあるでしょうか。教えてください。
...2005/01/23(Sun) 23:58 ID:B6VLWJLM    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 第1話の始めの方で,昔の校舎が取り壊しになると知らせる谷田部から今サクへのハガキの宛先が,東京都中野区になっています。
 質問後段の「子どもの一人旅」という点では,若干無理があるかもしれませんが,「母を訪ねて3000里」に比べれば,まだまだ・・・(^^ゞ
 もっとも,東京駅を夜10時の「瀬戸」に乗れば,翌朝7時には坂出に着き,「いしづち5号」に乗り換えれば10時には松山に着きます。あるいは,東京を夜7時発の「あさかぜ」の広島着が翌朝6時半ですから,宇品港を7時半発のフェリーに乗れば,松山には9時前に着きます。
...2005/01/24(Mon) 00:40 ID:4/V1juZ6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
たぶん、ドラマ版愛媛説言いだしっぺのhiroです(笑)
ただ、今サクや小林母子の住まいについては、第4話冒頭で、釣りの帰り道、サクの父潤一郎との会話で、
「何か、東京の松本君とは違うのかな・・・」
「ハハッ どんな奴なんですか東京では?」
というシーンがあるので、東京で間違いないと思います。
また、市外局番「089」は17年前は無かったハズ、
(例:松山市は現在「089」17年前は「0899」)なので、ここから「愛媛県であっても松山市近郊とは限らない」とすると、松山市以東の町村部と考えられます。

小林母子がどうやって東京から往復したのか?
1)本四架橋を利用して列車で来るパターン
2)羽田から空路で松山に着き、そこから列車で来るパターン
これは駅に着きます
3)例えば今治港から、広島や神戸に渡り、そこから列車で東京に向かうパターン
これだと港から出発できます

サクと亜紀が最後を過ごした空港がどこなのか?
普通に考えれば松山空港です。
しかし、海が近くにあって、松山市まで半日かかるところというのは、なかなか考え難いです。

場所の設定は「架空の町」なので、無理に辻褄を合わせないように考えています(笑)
...2005/01/24(Mon) 00:47 ID:N3lizwpA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
 にわかマニアさん、hiroさん、ありがとうございます。
 やはりあちこちに東京を示す根拠があるのですね。一晩のうちに東京から愛媛へ移動する手段まで把握しているとはさすが「マニア」ですね!

 hiroさんが言いだしっぺでしたか。細かいところまでチェックしてるなぁと感心しましたです。車のナンバーや電話番号なんかの愛媛設定は、原作に対して敬意を表したのだくらいに考えておきましょうかねぇ。
...2005/01/24(Mon) 01:21 ID:A5QRQhCY    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 別スレにも書きましたが,「宮浦駅」の場面は,伊豆急を上下逆に撮ることで上り列車の左手に海が来るように辻褄合わせをしています。それに加えて,伊豆急も予讃本線も単線というのは共通なのですが,予讃本線が伊豆急と同じ直流電化区間なのは松山以東なのです。このため,原作では宇和島となっていたのに,松山が舞台として持って来ることのできるぎりぎり西限となっています。
...2005/01/24(Mon) 01:47 ID:4/V1juZ6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
JRの瀬戸大橋線の開通は1988年なので、1987年当時、水路か空路でないと四国へは渡れないことになります。
なので、列車利用は空港か港へ行く手段ということになります。
(ところが、空港にも港にも最寄駅はありません(^_^;))

このダイヤ話を掘り下げていくと、
第4話で智世が陸上の大会の日を「終業式の前日」と言っているので、スケちゃんは、前日の10:30の列車で出て、翌日の終業式終了時には学校に来ていましたから、かなりの強行スケジュールですね。

それと、サクと亜紀のウルル行きですが、カンタス航空のチケットに22:30成田発となっていました。
亜紀が倒れた時、空港カウンター上の案内板には、
羽 田 19:45 135 空席なし
名古屋 20:20 147 空席あり
とあります。
サクが手続きしたのは羽田行き135便だと思いますが、
松山→羽田は約1時間半、羽田→成田がリムジンバスで約75分かかりますから、これだと成田発22:30は間に合わないことになります。

うーむ、だんだん西村京太郎の世界になってきました(^_^;)
...2005/01/24(Mon) 02:50 ID:N3lizwpA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 西村京太郎ですか(-。-)y-゜゜゜
 結構ハマっていた時期がありました。あと,松本清張も。

 それで,映画やドラマの設定年代が本四備讃線開業前というのをうっかり失念しておりました。失礼いたしました。
 そこで,No174の書き込みとの関係ですが,広島・宇品経由のルートはほぼ同じダイヤなので問題ありません。ただ,「瀬戸号」利用の場合,宇野着が6時で,宇高連絡船が1時間ですから,松山着の方は大差ないのですが,東京発が夜10時から7時半へと,大幅に繰り上がってしまいます。もっとも,静岡なり浜松あたりまで新幹線で追いかければ,東京発を9時くらいまで引き伸ばすことは可能です。
 もっとも,今サクは宮浦駅に降り立っていますが,一樹が一人で来た時には船のチケットを持っていましたから,宇品経由だったのかもしれません。

 それで,ウルル行きダイヤの謎解きですが,ルートは宮浦〜某地方空港〜(羽田)〜成田ということになります。
 地方空港がどこかですが,病身なので休み休みということを考慮しても,市外局番089の地域から半日がかりで松山空港という線はないでしょう。そこで,原作の宇和島〜松山空港という位置関係をそのまま東に平行移動すると,高松空港という線も浮かんできます。もっとも,羽田への所要時間は松山が80分,高松が70分ですから大差ありません。
 かといって,成田への直行便は飛んでいないし,本州のどこかだとすると,今度は,倒れた亜紀の搬送先が元の病院ということの説明がつかなくなってしまいます。
 苦し紛れの解釈としては,2人が乗ろうとしたのは案内板の表示より1本前の便だったが,受付締め切り間際だったので,案内板の表示は次の便に切り替わっていたという解釈もありますが,1日何本も飛んでいる訳ではないし・・・ 
 困った・・・ お手上げ・・・
 87年当時の時刻表を図書館で探し出して調べてみる必要がありそうです。しばらく時間をください。
...2005/01/24(Mon) 12:47 ID:FjstThm.    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 スケちゃんの傷心のとんぼ返りの推理の方は,比較的簡単です。
 宮浦10時半〜松山11時〜高松1時半頃〜岡山3時頃〜東京7時となります。相手も帰宅する時間帯ですから,そこで衝撃の事実を知ってしまい,傷心の帰路に着く。
 @東京駅を11時の銀河に飛び乗って,京都着が翌朝7時半。新幹線に乗り継いで,広島着が10時頃で,宇品から船で昼頃には松山着
 A9時半の新幹線で名古屋まであさかぜを追いかけ,宇品から船で松山へ
 この2つのパターンなら,なんとかとんぼ返りも可能でしょう。
...2005/01/24(Mon) 13:00 ID:FjstThm.    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
スケちゃん覚悟の東京行き!でしたから、とんぼ返りの際の心境はさぞかし・・・でしたでしょうね。

ウルル行きの時、サクが朝6時半頃に家を出て、日も暮れてから空港に着いた件ですが、
少々強引ですが、「サクは病院まで歩いた」というのはいかがでしょうか?
第8話でしたか、亜紀の父真が病院に訪れた時、「日曜日だから・・・」というセリフがあります。
一方、平日、結婚写真を撮ろうと話をしているサクに「学校へ行け」と12時の時計をさしているシーンは、その前に「抗がん剤が効いていない」というシーンがありますから、佐藤医師に状況説明のために呼ばれたと解釈できます。
なので、夕方、早めに仕事を切り上げた父真が母綾子と一緒に病院に来た(この日も夕食を共にするつもりだったかもしれません)ところでカセットテープを見つけたと・・・

自転車で30~60分のところに病院があったと仮定すると、歩けば4,5時間かかっても不思議ではありません。
自転車を病院に1週間置きっぱなしにすることを避け、荷物を持って家を抜け出すのにも早朝が適していると考えたとすればありえる話だと思います。

まぁ、「新説」ということで・・・(笑)
...2005/01/24(Mon) 16:09 ID:N3lizwpA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
スケちゃんのとんぼ帰りの方法については、にわかマニアさまのおっしゃるとおりだと思います。
終業式の後現れた時、前日と同じ服装でしたから、車中一泊でしたら、なるほどです。

にわかマニアさまより指摘のあった「直流電化区間」ですが、愛媛にある唯一の私鉄「伊予鉄道」はJR以前より全線電化区間だったと思います。
これですと、松山より若干ですが西よりの「伊予市」までがエリアとなります。
ちなみに、映画版でパスポートの写真を撮りに行く際乗った路面電車「古町行き」(「古町」という停留所は実際に存在します)は伊予鉄道です。
また、映画版の高校としてロケに使われた「伊予高校」は松山市と伊予市の間の「伊予郡松前(まさき)町」にあります。
愛媛県中予にある陸上競技場で、きちんと舗装されているところというと、「愛媛県総合運動公園」内になりますが、ここからですと、自転車では松山駅より伊予市の「郡中駅」や松前町の「松前駅」の方が近い(車で20分程度)ことから、「宮浦高校」=「伊予高校」が成り立つ・・・かな?(^_^;)

少々頭がパンク気味です(-_-;)
...2005/01/24(Mon) 17:28 ID:N3lizwpA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
サクの自責の念についてですが、ドラマ版では空港で最初の「助けてください」の後に「ごめんなさい」とあります(字幕をみて気付きました)。
この「ごめんなさい」は、誰に対して、何を誤っているのでしょう?
私は神のような大きな存在に対して、何もしてやれなかった自分の全てを誤っているように感じたのですが・・・
...2005/01/24(Mon) 18:03 ID:N3lizwpA    

             ますます混迷。迷宮入りか  Name:にわかマニア
 87年4月号と88年3月号の時刻表は見つけたのですが,ますます訳が判らなくなりました。
 まず,列車番号と同じく,飛行機の便名も,東京方面行きが偶数なので,羽田行きの奇数便というのは,そもそもありえない番号でした。
 また,松山から東京行きの最終便は18時50分,高松発だと19時35分なので,該当する便がありません。しかも,当時,高松はYS11しか発着していなかったため,松山より東京に近いにもかかわらず,時間は30分余計にかかっているのです。
 あと,サクが計画表を作る場面ですが,何とか判読できた限りでは,稲代駅〜稲代空港〜羽田〜成田となっており,駅にも空港にも病院の付近の地名が冠されています。とすると,松山空港説が有力になってくるのですが,今度は,なぜ空港まで半日もかかったのかの謎解きが必要になってきます。
 いずれにしても,ダイヤの件は全くのお手上げ状態で,迷宮入りという感じです。
 ただ,ちょっと気になるのは,夕食のドサクサに紛れて病院を抜け出す原作もまたダイヤをわざと無視した書き方になっており,実際は,列車が宇和島から松山に向かっている最中に最終便が松山空港を飛び立っているというダイヤなのです(「朔太郎とアキのいる風景」のサイト参照)。ひょっとすると,「どこへも行けない」という文章は,計画どおりに物事が進んだとしても「どこへも行けない」という意味がかけてあるのかもしれないという前掲サイトの解釈をドラマのスタッフもとっていたのかもしれません。
...2005/01/25(Tue) 00:50 ID:UisE26Tk    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
こういう話は嫌いじゃないので、参戦いたします。
稲代空港=松山空港だとすると、計画を練る段階で、羽田〜成田を経由するより大阪を目指した方が自然だと思うのですよ。
当時はまだ関空がなかったと思うので、伊丹になると思うのですが、ケアンズあたりまでの便まではあったんじゃないでしょうか。おじいちゃんが遺してくれたお金は1まだ余裕があったので、亜紀の状態を考えれば、たとえ割高になったとしても乗り換えの楽な大阪経由を考えるべきだと思います。
もっとも「キャンセル待ち」の状態ではえり好みしていられなかったのかもしれませんが・・・
...2005/01/25(Tue) 02:49 ID:PvSh0T4I    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 第10話で,入手したチケットを亜紀に見せる場面がありますが,その券面に成田初と書かれていることは一先ず脇に置いて,大阪経由が成立するかを掘り下げてみました。
 まず,謎解き本です。これは90年代という設定になっている原作についての考察ですが,その21頁以下にこのように書かれています。
 @90年当時,原作の行先であるケアンズ便成田発だけ。
 Aシドニー,ブリスベーン行は成田以外からもあり。
 B92年に,ケアンズ行は名古屋,大阪,福岡,札幌からも出るようになった。
 次に,映画やドラマの設定年代である80年代はどうだったでしょうか。国鉄が民営化された後,何故か国鉄監修の時刻表に国際線の発着予定も載るようになったのですが,何本か前のスレで使った88年3月の時刻表によれば,当時,オセアニア行きは成田からしか出ていなかったようです。
 割安チケットという意味では,ソウル経由という裏技もあったかもしれませんが,病人同伴だと,乗り換えは避けるでしょう。原作でも,チケット選びにあたっては亜紀の体調も考慮しています(140頁)。
...2005/01/27(Thu) 00:22 ID:j8PK1fXo    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
にわかマニアさま
やはり大阪経由はムリでしたか・・・
調べていただいて、ありがとうございました。

ところで、「稲代」という地名で気になることがあります。ロケ地になった福島空港の近くに「岩代(いわしろ)」だとか「猪苗代(いなわしろ)」といった妖しげな(笑)地名が存在するのは偶然でしょうか。まあ、いくらなんでも宮浦=福島県説は成立しないと思いますが(苦笑)
...2005/01/27(Thu) 01:44 ID:ZaF3A5rU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 謎解き本が夢島での描写にある「石応」という地名から舞台を宇和島と特定した要領で,稲代という地名を検索してみました。島根県と富山県にあるようです。
...2005/01/28(Fri) 12:56 ID:AxVuN3Ms    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
稲代は数が限られているようですね。
一方、鹿児島に「宮浦高校」山形に「宮浦中学」をはじめ、
「宮浦」という地名は数多くあるようです(^_^;)
愛媛にも「越智郡大三島町宮浦」があります。
...2005/01/28(Fri) 16:05 ID:AOHWjJ1U    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:どんき
 どこかでどなたかが、コロッケパンは果たされない約束のひとつだ、と書いてらっしゃいました。あぁなるほどなぁと感心しつつ、なおつらつら考えてみますと、亜紀のコロッケのエピソードはほぼ全編にわたって描かれていて、なにやらたいへん意味深長なものがありそうです。そこで思い当たるのが、このコロッケは何かの暗喩なのではないかということです。

 亜紀は家ではカニクリームコロッケばかり食べさせられているので普通のコロッケを食べたことがない、と云う。ゆえにコロッケパンが食べたいぞよとサクに云う。しかしそれに応えようとするサクの努力は報われず、果たされない約束のひとつになってしまう。とうとう最後の晩餐でもコロッケはやっぱりカニクリームで、亜紀はついに本当のコロッケの味を知らずに死んでしまう。
 
 つまり亜紀は本来知るべきはずの本当のなにかを知らずに死んでしまった、そのことの暗喩にコロッケが使われているのではないでしょうか。もしそうだとすると、その本当の何かとはなんなのでしょう。皆さんのお考えはいかがでしょうか。
...2005/01/30(Sun) 17:49 ID:Y2iAlZv.    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 今日は旗開きを2件掛け持ち(ハシゴ)してきたため,ただでさえ鈍い頭がますます回らなくなっています。という訳で,まだ明確な結論を得るに至らない中間報告的な書き込みで失礼いたします。

>本来知るべきはずの本当のなにかを知らずに死んでしまった、そのことの暗喩にコロッケが使われているのではないでしょうか。

 ここのスレのNo162〜164でもコロッケ談議がありましたが,「父の好み」の「クリームコロッケ」に対置する形で「普通」の「イモのコロッケ」の「果たされぬ」願望が描かれていることは,どんきさんも書き込まれたとおりです。今は過去ログ入りしてしまいましたが,別のサイトの何箇所かにも「亜紀ファザコン説」が登場していましたね。
 クリームコロッケは明らかに父の暗喩ですが,それに対置する形で描かれたイモのコロッケは,「亜紀自身が切り拓く未来」の暗喩かなと一応は考えました。ただ,それが具体的に何なのかというところでは,踏み込んで断定するのにためらいを感じています。
 例えば,
@「陸上で思い切り走りたかった」というのも考えられますが,非公式とはいえ自己ベストを出しています。
A「絵本の編集者になる」というのが亜紀の夢でしたが,「ソラノウタ」という「遺作」を残しています。
B「父の元を離れて誰か一生の相手を見つける」ということに関しても,法律婚までは無理だったとはいえ,少なくとも結婚写真は撮っています。
と,いずれも,決め手に欠けるのです。
 あるいは,そうしたこと等も含めて,「自由に羽ばたく」ということを言おうとしていたのかもしれません。でも,これだと,「ウルルの青い空」の「食べ物版」がなんでコロッケなんだと突っ込みを入れられそうですが・・・
...2005/01/31(Mon) 00:05 ID:fwKCnRCs    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
どんきさま
 ドラマ版愛媛説につづき、気に留めていただいてありがとうございます。
 このスレの162~164で、にわかマニアさまとやり取りさせていただきました。
 カニクリームコロッケは亜紀の父真からの呪縛である。という話をいただきました。
 そこでの私の解釈は、「カニクリームコロッケ=父親の呪縛」の根拠は、「父親がカニクリームコロッケが好きだった」からでしたが、病室での最後の家族での食事で、「カニクリームコロッケが好きだったのは実は亜紀本人だった」ということが明らかになっております。
これをもって、父娘の融和といいますか呪縛からの解放というふうに受け取っております。

 また、最近では「映画版 亜紀のヒロイン像」スレの68で、「サクが聞いた亜紀のテープは果たされていない」旨を書かせていただいております。
 「イモのコロッケ」→「コロッケパン」が食べたいというのは、テープに録音された希望であったので果たせなかった。というものです。
 ただし、この場合、「サクが録音したテープ」も存在するので、ちょっと薄いかな?と思っています。
...2005/01/31(Mon) 00:23 ID:p/qCtA/Q    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
カセットテープといえば・・・
第1話で最初にサクが亜紀にあてたテープですが、

「(前略)
あれは俺にとって本当に切ない話だったんだ
俺は廣瀬が居なくなるのがなによりも一番切ない
もし許してくれるのなら
今日の放課後
あの場所に来てください」

なぜ、「あの場所」なのでしょう?
許しを請う立場のサクが場所を特定しないのは不思議です。

もしや「あの場所」とは、病気になる亜紀の「そういう世界の入り口」かも?
と思うのは考え過ぎでしょうか。
...2005/01/31(Mon) 03:37 ID:p/qCtA/Q    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 No192の続きです。
 ものの本によると,コロッケ本来の作り方としては,ホワイトソースで作るクリームコロッケが正式のもののようですが,1872年(明治5年)に出版された「西洋料理指南」に,早くもイモのコロッケの作り方が紹介されています。まあ,本来どちらが正式かはともかくとして,イモの方が「普段着」のような感じがしませんか。
 とすると,
 クリームコロッケ=父の支配下=無理をしている(よそ行き)
 イモのコロッケ=素のままの自分
という図式が成立するのではないでしょうか。
...2005/01/31(Mon) 12:20 ID:siZ6Dnhg    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
こんにちは。
再び地理的な謎に戻ってしまいますが、
稲代空港から羽田空港に就航便があるとすれば、それは北なら山形以北、西なら大阪以西でしょう。
とすると、宮浦が北国というのはイメージ的に?ですから、素直に考えればやはり、伊予地方あたりということになります。

さて、ここからが謎なのですが、朔と亜紀の大学の志望校なのですけど、亜紀のほうは「奈良女子大」?以外は
「お茶大、慶応、津田塾・・・」などすべて首都圏の大学になっていたと思います。
朔になりますと、医学部を目指していた頃、机の上には「千葉大学」と「北里大学」の赤本があったと思います。
まあ、朔の場合は故郷から遠く離れたいという気持ちがあったかもしれませんが、女の子である亜紀の場合、一つ位は中国四国地方の大学が混ざっているとか、同志社、関学あたりが混ざっているとか、そのほうが自然な気がします。
あそこまで首都圏の大学が並ぶのは、やはり東日本エリアに近いのかなと思うわけです。
ただし、そうすると、稲代〜羽田の謎が解けなくなるのですが(苦笑)
...2005/01/31(Mon) 15:04 ID:.hohifUk    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 なぜ謝る側が場所を指定するのかという突っ込みは脇に置くとして,サクにとっては,フナムシやガムのおもちゃでからかわれ,キーホルダーをプレゼントされた「あの場所」が強く印象に刻印されていたのでしょう。ところが,亜紀はそれがどこなのか直ぐには判らず,あちこち探し回ることになってしまいます。
 もちろん,すぐに見つかるよりは,さんざん探し回って,このままじゃ放送時間がなくなってしまうと視聴者をやきもきさせておいてから,やっと見つけたという方がストーリー展開に起伏がつけられるということもありますが,「いつも肝心なところが抜けている」詰めの甘い存在であることを印象づけるという狙いもあったのかもしれません。

 もう一つ,志望校の件ですが,「上昇志向」の父親に「認めてもらいたくてがんばっている」亜紀にとって,どうせ自宅外通学なら思い切って東京へということなのかもしれません。それに,試験日が同時期に近接した状況で志望校が関東・関西混在だと,1日おきに東京と大阪を往復というバードスケジュールになる恐れもありますから,亜紀の志望校が東京に集中しているのも何となく判るような気がするのです。
...2005/02/01(Tue) 02:12 ID:lFMjYVMs    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
愛媛県の鉄道の電化区間ですが、
このスレの182に書いたように、愛媛県唯一の私鉄である「伊予鉄道」は全線電化区間です。
そして、伊予郡松前(まさき)町と伊予市は、単線区間に属し、且つ、海沿いの街です。
ただ、駅の雰囲気は「JRっぽい」のですよね。
にわかマニアさまから何度か紹介いただいた、JRの電化区間なのですが、よく考えてみれば1987年時点では愛媛県内のJR路線で電化区間は無かったのではないかと気付いてみたりしました。
「松山市」って四国唯一の50万都市(今年なりました)で、「ここが四国の中心(笑)」と思われがちですが、企業活動を見ると、結構「高松市中心」なのです。(JR四国も高松市が本社です)
余談ですが、四国のJRの路線名は香川県側から名前がつくのが普通なのですが、(例:「高松⇔徳島」で高徳線)なぜ、香川(讃岐)⇔愛媛(伊予)で予讃線になったかというと、「讃予線(さんよせん)」だと、先に出来ていた「山陽線(さんようせん)」と読みが紛らわしいからだそうです。

また、スレの175に書いたのですが、市外局番の「089」も今でこそ、松山市近郊の市外局番ですが、1987年当時では、「0899」で、全国的にも「089」の市外局番は存在しなかったと思います。

以上より、「松山市以東」の条件を外してもいいかな?と思っています。
...2005/02/01(Tue) 06:12 ID:3bgCPLos    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 ご指摘を受けてJR四国の資料等にあたったところ,1987年時点では多度津までした電化されていませんでした。重ね重ね失礼いたしました。お詫びして訂正いたします。
 とすると,あの「伊豆急」は,松山市中心部と松山港を結ぶ伊予鉄道ということになりますね。
 ところで,現在の伊予鉄道のバス路線網を見ると,面白いことに「宮浦」という停留所が存在しています。もっとも,これはNo189のhiroさんの書き込みにある越智郡大三島町宮浦のことですから,本四架橋開通前はどうなっていたのか,気になるところではあります。
...2005/02/01(Tue) 12:16 ID:1FbFtQNc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:小笠原ケータ
乗り物談義の途中を割り込み、失礼いたします。


なぜ重要なアイテムにコロッケが選ばれたのか

映画版でサクが、晩ごはんがコロッケ(で醤油をかけるかソースをかけるか)と一旦はテープに吹き込み、しかし意味のない話だと思い直して、やめてしまいます。
TV版の製作スタッフはこのコロッケの話を、些細な話であるからこそ取り上げたものだと、私は思っています。もちろん映画とは全く違った話として。

最終回のラスト部分、夫婦が堤防でコロッケを食べるシーン。これがクリームコロッケなのは、負けず嫌いの亜紀(幼稚園)がトロトロのにしてくれと言ったから。
廣瀬夫妻が娘の死後も生きてゆく暮らしの中、こんな小さなところ(コロッケ)にまで亜紀がいる;きっと生活の中のいたるところに亜紀がいるはず。
つまり廣瀬真の中にも綾子の中にも、ずっと亜紀は生きているのです!!!
ドラマの中でそのことをわかりやすく表現するために、わざわざコロッケなどというあまりパッとしないものを重要なアイテムに取り上げたのだと思います。

あの堤防の廣瀬夫妻のシーン、実際に娘を持つ私にとって、このドラマ全体の中で一番印象に残る場面でした。あの映像の中に写っていないはずの亜紀の姿や、夫婦の17年いや34年間の気持ちが見えるようで、今こうして書いているだけでも涙を堪えるのに精いっぱいなくらいです。


なお、映画サクが取るに足りないと話すのをやめた晩ごはんコロッケの話。これを、結果としてTV第2話では、裕福で優等生な、コロッケ(特に芋!)が似合わないかもしれない亜紀の方が楽しげに話す、という少しおもしろい展開になりました。両方を見た皆さん、そうは思いませんでしたか?

また、テープでこの話をする亜紀、お父さんへの愛情が表われていたと思いませんか。べったりな関係ではないが、互いの愛をしっかりと感じられる親子の間柄であったように思います。だからこそ、亜紀はサボらず本当にがんばって生きたし、両親の中でずっと生き続けるのでしょう。
...2005/02/02(Wed) 00:16 ID:zCic0wY2 <URL>   

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:小笠原ケータ
すみません、[199]の発言の続きです。

廣瀬真が堤防でコロッケにソースをかけているようですが、これは届かなかった映画サクの質問への答えでしょう。
ソースをかけるところをわざわざアップで写しているのは、潤色の3人や映画スタッフへの謝辞みたいなものを、遊び心を入れて表したものではないでしょうか。

にわかマニアさん、過去ログを初めて読ませていただきました。ありがとうございました。
...2005/02/02(Wed) 07:48 ID:zCic0wY2 <URL>   

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 廣瀬・父がソースをかけてコロッケを食べるのは,ラストシーンだけですが,これについては,過去ログの6番の後半部分(過去ログ→No6→Next)に「カニクリームコロッケ」というそのものズバリのスレがありますので,ご参考までに。
...2005/02/02(Wed) 12:07 ID:dEwq.iRo    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 話があちこちに飛んで恐縮ですが(^^ゞ,再び稲代〜羽田の行程の謎解きへの挑戦です。
 愛媛ナンバーの車の走る町からどこか地方空港のある都市に出るとして,本四備讃線開業前ということを考えると,連絡船への乗り換えは避けるでしょう。連絡船を使うなら,そのまま新幹線で東京に向かった方がロスタイムは少なくて済みます。
 とすると,地方空港は四国の中ということになりますが,高松空港は当時YS11しか飛んでいないので除外すると,松山空港の可能性が高くなります。
 この場合の問題は,早朝に出発しながら,なぜ暗くなってから着くのかということです。突き飛ばし事件の後,駅に追いつくシーンと列車のシーンは,昼間の映像になっています。とすると,空港の最寄り駅から空港に着くまでの間に,時間をつぶしたということになります。
 そこで,原作にあって映像にないものにカギがあるのではないかと思って,探してみました。
 原作では,空港に向かう車中で誕生祝をしていますが,映像には登場しません。誰の誕生日かの違いはありますが,ひょっとすると,市内のどこかで誕生祝をした後,空港に向かったのかもしれません。
 ちょっと強引な解釈かもしれませんが,今のところ,そんなところしか思いつきません。
...2005/02/02(Wed) 12:58 ID:dEwq.iRo    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 成田までのダイヤやコロッケ談議など,No173から30本連続してドラマの謎解きが続いたので(?),久々に映画の謎解きです。
 声の交換日記,婚姻届と結婚写真は,原作になかったものを映画が発案し,ドラマにも引き継がれた言わば「アイデア賞」ものの企画ですが,改めてDVDを観て,その順番が微妙に気になったのです。
 映画では,パスポート用の写真を撮りに行った際に,「忘れられるのが怖い」と言って自分の姿を写真におさめてもらいますが,この写真が2人の結婚写真なのですね。それで,コトバには出していない(あえて映像化はしていない)けれども,2人の間には既に黙示の合意が成立していて,ウルル行きを「新婚旅行」に見立てているのかと考えたのです。
 ところが,その後に続く髪が抜けた後の病室のシーンで,サクは婚姻届持参で見舞いに行き,プロポーズしているのです。そこに「やはり」とか「前にも言ったけど」というコトバが入っていれば,すーっと流れの中で理解できたのですが,どうも,そこで初めてプロポーズしたようなので,特別編の谷田部じゃありませんが,「広瀬。順番が違うんじゃない」と言いそうになってしまいました。
 もちろん,そういう間柄の2人ですから,別に多少の手順前後は許容範囲なのですが,あえて順番を入れ替えた制作側の意図は何であったのか,ちょっと勘ぐってみたくなったのですが,皆さんは,どう考えていらっしゃいますか。
...2005/02/06(Sun) 07:12 ID:0EucPrzE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
忘れられない記念に残る写真にするなら私服より映えるものにしたいだろうし、当時の高校生だとチャラチャラした服はあっても映える服なんて大抵持っていないし、そうなるとウェディングドレスだろうし...という事で特に違和感を感じませんでした。
...2005/02/06(Sun) 22:33 ID:RyNVUJrs    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
>映えるものにしたい・・・、そうなるとウェディングドレスだろう

 撮影用の衣装のリストからどれを選ぶかという問題の立て方であれば,それでいいのですが,問題は,ウェディングドレスというのは単独で着るものではなく,相方が必要だということなのです。つまり,2人があの格好で写真に映るからには,その場の軽いノリではなく,当然,黙示にせよそれ相応の合意があったはずで,このシーンの後にプロポーズが来ることをどう解釈するかということなのです。
...2005/02/06(Sun) 23:07 ID:0EucPrzE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
重要度の問題では。
また確実に撮りに来られるのにという事であれば軽いのりという事も考えられますが、無断外出がばれた場合、次何時こられるか判らない身分ですよね。
更に前日大量に髪の毛が抜けて少なくとも当面今の輝きを保っていられる時間も少ない状況ですよね。
また「私、忘れられるのが怖い」という言葉がそれらを象徴していると思うし、更に亜紀が見つめている先には壁一面結婚記念写真だらけなわけで、その相手が務まるのはサクしかいないわけで。
...2005/02/07(Mon) 00:02 ID:OUh1JQcE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 「重要度の問題」というのが何と何を比べての重要度なのかは明確ではありませんが,
 @亜紀にとって残り時間はほとんどない。
 A壁一面,結婚写真だらけ。
 B相方が務まるのはサクだけ。
というのは,全くおっしゃるとおりなのです。
 だからこそ,その後になって「婚姻届」やら「プロポーズ」が出てくるのが「蛇足」という感じがするのです。
 もっとも,写真をとった帰り道,「婚姻届の用紙は今度見舞いに行くときに持って行くから(法定婚姻年齢の問題には目をつぶるとして)」ということでプロポーズしたということであるなら,話は別なのですが。
...2005/02/07(Mon) 00:09 ID:UyXUH46c    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
重要度の問題というのは作る側にしてみれば敢えて写真を撮る前に合意の場面を挿入したり、プロポーズを先に持ってくる事が重要ではないという事。
切羽詰まっている状況を表すなら、形式張った行為は逆に邪魔なわけで。
後になって結婚届等が出てくるのは、サクがアキの病気を切羽詰まった状態なのだとリアルに感じ、それに対して亜紀に対する気持ちがどの程度のものなのかを具体的に示す行為なわけで、蛇足とは感じませんでした。
...2005/02/07(Mon) 02:50 ID:OUh1JQcE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
私は、この結婚写真のシーンは今ひとつわかりませんでした。
サクを暗くさせたものが何なのか。
着替えてアキと対面した時の対応、その後のトイレ、写真を撮るときの表情・・・
ドラマ以上に暗いです。

それまで「大丈夫。心配しないで」と言っていたアキが「死」について語りだすのは、この後(川野君の死)からです。

確かに、「生」を前提としたパスポート写真を撮りに行って、「死」をにおわせる結婚写真(忘れられない写真)を撮ることになったので、サクにはアキの「死」のイメージが突然、ドン!とやってきたような感覚だったのかもしれませんが、
それでも何か違和感を感じてしまいました。

私は先にドラマを観ているので、映画版のアキが全体的に元気に見えるからかもしれません。

恐らく、この「結婚写真」の「結婚」は重要でなかったのだろうと思います。なので、婚姻届と切り離して考えていい(考えるしかない)と思います。
...2005/02/07(Mon) 04:10 ID:ylojgvYE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
ウォークマンと結婚写真は原作にはないものですが、映画で見えたアラをドラマである程度整合性をとったようにも見えます。

ウォークマンに関しては、映画では「ハガキが読まれたら当たる」で、サクのハガキを読むときに、「木庭子町(県名を言わない)のペンネーム・・・」と言っているので、地元のFM放送局(FM-KB)ということになります。
地方のFM局に、ウォークマンを一度の放送で何個もプレゼントする財力があるとは考え難いです。
そこを、ドラマでは、「最後に読まれた」にして、一回の番組で一個としています。また、スタジオが東京にありましたから、全国放送です。

結婚写真にしても、ドラマではパスポート写真は希望があった頃。結婚写真は「好きという以外、何もかも失った」後で、サクの心情が語りとして入っています。
また、にわかマニアさまのご指摘のように、「婚姻届」→「結婚写真」と必然性がわかる流れになっています。
...2005/02/07(Mon) 04:41 ID:ylojgvYE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
サクを暗くさせたものは「私、忘れられるのが怖い」という言葉や前日の気弱な発言「なんか取り残されていくって感じ」サクの励ましにも弱く「うん」そしてそれらのやりとりの直前、髪の毛が抜けて不安に駆られた亜紀は病室を訪れたサクの胸に飛び込んで突然泣き始めます。またこれは亜紀が死の可能性を感じ取ったものだと理解しています。
亜紀との結婚写真はその時のサクにとって亜紀が望むものであって死を連想させるほどのものではないと思います。
サクが亜紀の死をイメージするようになるのは密かに病室を覗いて頭を剃った亜紀を見てからですから。

私もドラマが先で、その後映画版見て、その後小説を読んでいるのですが、実は最初心に響いたのはドラマ版だけでした。
映画は何度も見返してやっと。そのあと小説などを読んで、やっともう少し具体的に映画版が理解できた気になれました。
...2005/02/07(Mon) 05:59 ID:OUh1JQcE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 「アラ」と言うと差し障りがあるかもしれませんが,映画版が観衆への説明を省略した部分について,誰もが整合性を以て納得できるような説明を用意したのがドラマだという点で,私の考えは,どちらかと言えばhiroさんに近いのですが,sayさんの文面からも,自らを納得させるため,いろいろ理由付けを探していらっしゃるような感じが読み取れます。
 ここはひとつ,根っからの映画ファンの皆さんのご意見をお聴きしてみませんか。
...2005/02/07(Mon) 06:31 ID:UyXUH46c    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
自らを納得させるというほどの事はしていません。
最初に書いた通り、特に違和感を感じていなかったので、疑問に答える形で自分なりの回答を展開してみたというだけです。

映画版も何度も見直しているのはサクの感情、亜紀の感情で読み取れない箇所があったからです。
それと演者の感情を細かく読み取ろうとしているだけで、実はストーリー上の細かい矛盾には興味がありません。
映画版を理解する上で、自分にはDVD「朔太郎とアキの記憶の扉」が非常に役に立ちました。これ以前に小説を読んでいたらまた違ったかもしれませんが、映画のシーンと小説からの引用がある事で映画のどのシーンで過去サクがどう思っていた(映画本編と必ずしも一致するモノではないと中の冊子には書かれていますが)かがある程度わかるようになっています。
最後に小説を読みました。
...2005/02/07(Mon) 07:36 ID:OUh1JQcE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
今、シナリオを読み返してみたのですが、亜紀は重じいに「今の私を写真に撮ってくれない?」と言っています。いろいろ解釈が分かれそうなところですが、私はこの時点では具体的に「結婚」というものを意識していたのではないと思います。後で、朔が亜紀の死を実感した時に「あんなにキレイで幸せそうだったから本当に結婚しようか」と思い婚姻届を持っていったのだと思うのです。
そういうスジ論とは別に、この映画独特のリズムというもので考えてみます。「幸せの後には悪いことが起こる」という「法則」からすると、「夢島」と「結婚写真」は一対になっています。
音楽も「幸せのときT→2台のピアノのレクイエムT(夢島)」と「幸せのときU(結婚写真)→2台のピアノのレクイエムV(病室)」と同じパターンです。写真館と病室の間にはいくつかシーンが入ってますけど。
つまり、髪を失ってしまうシーンの前には(多少話のスジにムリがあったとしても)どうしても「幸せなシーン」が必要なのです。
また、「忘れられるのが恐い」と死をほのめかすようなことを口にして写真を撮り、帰ってみると川野君が死んでいて、亜紀自身にも死の影がどんどん迫ってくるようになります。ここらへん、「ハガキのエピソード」にも通じるものがあると思います。
支離滅裂になりましたが、撮った写真がたまたま結婚衣裳を着て撮ったものだった、ということで、実際に結婚を意識したものではないという点で、ドラマ版とは異なっていると思います。
...2005/02/07(Mon) 23:32 ID:q8qqeiT2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:mo39
 本当はコロッケの件などで皆さんにレスをいただいたので、私はそちらを先に発言しけなければならないのですが、議論のあまりの白熱ぶりについつい誘い出されてしまいました。無礼は平にご容赦を。

 朔五郎さんの分析は見事ですね。
> つまり、髪を失ってしまうシーンの前には(多少話のスジにムリがあったとしても)どうしても「幸せなシーン」が必要なのです。

そして、

> 支離滅裂になりましたが、撮った写真がたまたま結婚衣裳を着て撮ったものだった、ということで、実際に結婚を意識したものではないという点で、ドラマ版とは異なっていると思います。

 なるほど、なるほど。得心が行きます。

 私が映画の結婚写真で不思議に思っていたのは、二人が腕を組んでいないことでした。いったいなぜ腕を組ませなかったんだろうと。たまたま誰も気がつかなかった? いやいやそれはないでしょう。映像のプロたちからすればたいへんなオマヌケです。やはりわざと腕を組ませていない演出だと思っていました。ではなぜわざとそうしたのか。その謎が朔五郎さんの書き込みで解決しました。
 ●撮った写真がたまたま結婚衣裳を着て撮ったものだった、
 ●実際に結婚を意識したものではなかった、
 つまり、二人がまだ明確にプロポーズした(受けた)状態ではないこと、を言いたいんですね。
 婚姻届のプロポーズが後からくることの説明としてはやや弱い表現かもしれませんが、私はおおいに納得できました。


 蛇足ですが、ドラマではこれを受けて、最初はやはり腕を組ませずにおき、潤一郎に「亜紀ちゃん、腕、組んで」とわざわざひと台詞入れさせているところが面白いですね。
...2005/02/08(Tue) 00:24 ID:V8gpuH5I    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 そう言えば,あの写真では,2人は腕を組んでいませんでしたね。そのことに「ホンモノ」ではないというメッセージが込められていたとすると,あとは「明・暗の反復」の構造からきているという解釈まで一直線ですね。
 ただ,気になるのは,この場面に限らず,セリフにほんの一言添える(プロポーズの際に,今度は本当の結婚写真を撮ろうとか,前の写真との関連付けをさせる一言を追加)など,ちょっと説明を付け足すだけで展開上の矛盾を解消できるのに,あえて矛盾のまま放置している点が見受けられるのですが,このあたり,何か意図があって,あえてそうしているのでしょうかね。

 もう一点。
 実は,この矛盾に気が付いたのは,映画を見た時点ではないのです。別件で,ドラマの展開で気になることがあって,映画ではどうなったかをチェックするためにDVDを観ていたら,たまたま気付いたのです。
 やはり,映画館の中というのは,一種の群集心理的な状況に置かれているため,あれこれ考える間もなく興奮のるつぼに誘い込まれてしまうのですかね。逆に,感動の場面を再びと思って家で観ても,迫力が違うため,ちょっと冷めた感じがしてしまうこともあります。わざわざカネをかけて映画を見に行くというのは,家で味わえない何かがあるからなのですね。
...2005/02/08(Tue) 01:34 ID:xgyjgX/w    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:くれい
お邪魔します。

そう言われてみると、確かに映画の結婚写真は腕を組んでいませんね。
でも結婚写真を撮ろうと思って撮ったわけではないですよね?
プロポ−ズはアキの病状が悪化してからですし、写真を撮った後になります。
ご指摘のとおり、結婚写真と意識して撮ったものではないと考えます。

一方ドラマはプロポ−ズをして、サクが「結婚写真だけでも・・・」と言っています。
アキ父がサク父に懇願していますし、こちらは正真正銘の結婚写真ですね。
...2005/02/08(Tue) 21:16 ID:p7DIS8zk    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 ドラマ版の議論が30本続いたので,「バランス上」ということもあって,映画ネタを取り上げたのですが,議論の流れからすると「映画のヒロイン像」の議題で議論する方がふさわしい論題だったかもしれませんね。
 2人が撮ったのは,「結婚式の衣装を着た」写真という意味では,まさしく「結婚写真」だった訳ですが,実際に結婚を意識し,プロポーズするのは,もっと後のことになります。ただ,全体の流れを整合的に説明しようとすると,「忘れられるのが怖い」というセリフに代表される亜紀の側からの論理構成が前面に出てきます。ところが,「結婚」というのは相手があって初めて成立することなのですね。つまり,サクの側は,亜紀にずっと引きずられ,振り回されている訳です。このあたり,初対面でいきなりファーストネームで呼ばれたり,無断でバイクの後ろに乗られたりと,土足で入り込んでくるというキャラがここでも光っているという感じがします。
 ただ,合理的な解釈の可能性が複数ある場合に,いずれを採るかを読者や観衆の解釈に委ねるのは判りますし,それが作品に幅と奥行きを与えることにもなりますが,合理的な解釈では矛盾が解消しえない,逆に言えば,論理的整合性を犠牲にしないと解釈できない部分については,もっと説明責任を果たして欲しかったような感じもしています。
...2005/02/09(Wed) 01:26 ID:xba1naWA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 その後,新たな視点の提示もないところを見ると,@あの写真で2人は腕を組んでいないということと,A全体として明・暗の反復のリズムがあるというところがポイントだという理解に落ち着きそうですが,もう一点だけ,お付き合いください。
 あの写真を,「亜紀が」忘れられないためのものであって,その時点では「2人は」結婚まで意識していなかったと理解した場合,「2人が寄り添ってカメラに向かったこの瞬間の幸せを祝福」してやりたくなったという重蔵のインタビュー記事をどう解釈したらいいのでしょうか。素直に読むと,「結婚写真を撮る婚約者」という前提のコメントのように読めるのですが,私の読み込み不足でしょうか。
 何しろ,ドラマ・映画を通じて一番のお気に入りのキャラである重ジイ(全体としてはドラマ派なのに変ですか?)のコトバだけに,ものすごく気になるのです。
...2005/02/14(Mon) 23:23 ID:eBsI7mAY    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
キャラ的にサクは亜紀との仲を重じいに積極的に話しているようには思えないし、重じいも詮索するようなタイプじゃないし、重じいは二人の仲を詳しくは知らなくて、それで自分の過去を投影しているというのが一番素直な解釈じゃないでしょうか。
...2005/02/19(Sat) 04:15 ID:oayPbB42    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:Apo.
特典のテープには次のようになっています。(実はまだ聞いていません。ラジカセを持っていませんので)
DVDの9話以降が悲しすぎて見ることが出来なかったのですが、昨日、遂に見てしまいました。それで、謎が解けました。
10月15日のテープ:「朔ちゃん、いつも空の写真、ありがとう。毎日、朝も昼も夜も。ちゃんと学校は行ってる。私は最近、やっとアボリジニーの本を読み終えました。アボリジニーの世界では、この世にある全てのものに理由が存在するの。災害や争いや死や、私たちの世界ではマイナスと考えられることにも」…中断…「私の病気にも理由があるはずよ」…
長い中断(ラジカセの録音スイッチを入れる場面)…「それを悲しいとか、苦しいとか、さびしいとか思うのは、きっと、理解が足りないせいなんだよね。そうだよね。朔ちゃん」
10月16日のテープ:毛髪が無くなった亜紀との別れ際に渡されたテープです。(真と別れた帰り道の場面)「朔ちゃん。きのう、夢を見たよ。電話が鳴っていて、そっちのほうに歩いてくと、真っ青な空があるの。あれはきっと、ウルルの空だよ。朔ちゃん、空が見たい。一度しかない、最後なら、わたし、世界で一番、青い空が見たい」
となっているようです。

15、16日のテープの間に入る内容。特典に入っていなかったと誰かが書いておられたようですが、(亜紀が酸素マスクを付けている場面)「朔ちゃん、生きてるってどういうことかな。死ぬってどういうことかな」(サクが自転車で病院へ向かう場面)「たまに、生きてるのか、死んでるのか、わからなくなる。朔ちゃん。朔ちゃん。朔ちゃん。私の声、聞こえてるよね」
この亜紀の台詞は、病室で意識が薄れている状態で亜紀の心情を現したコメントではなかったのでは?と考えます。朔の解説だけだとの思い込み、また、この台詞は前後のつながりから亜紀のテープと勘違いしていたのでは?
亜紀のテープを聞いて、朔が慌てて病院へ向かい綾子に亜紀との面会を求めたのだと。

突然の割り込みで、申し訳ありません。気になって仕方がないものですから。
にわかマニヤさん、如何でしょう?他の人が指摘されていましたら、ごめんなさい。
...2005/02/21(Mon) 19:44 ID:a2s57fSU    

             Re:宮浦=今治近郊説登場  Name:にわかマニア
 いくつかある「アナザーもの」のうち,cliceさんの「もうひとつの結末」をごらんになりましたか。
 そこでは,サクの口から「松山から海岸沿いに30キロ北で今治の近く」と語られています。海に沈む夕陽ということから,西向きの海岸ということになりますが,駅で言うと伊予亀岡から大西あたりということになるのでしょうか。
 松山〜今治間は約50キロですが,今では,亀岡や大西も今治市内になっています。ただ,いわゆる「今治」の「市街地」からはかなり離れていますので,「近くに今治という大きな街がある」という言い方も成立するでしょう。
 1987年当時は非電化区間という点を除けば,なかなか魅力的な立地条件だとは思いませんか。
...2005/02/24(Thu) 12:56 ID:FjstThm.    

             Re:宮浦=今治近郊説登場  Name:hiro
今治市で生まれ、高校は松山市、大学は東京のhiroです(^_^;)

どこかのスレに書いた覚えがあるのですが、
東京行きは、→今治駅→今治港→本州(三原・神戸)→・・・(海を左に見ることになります)
ウルル行きは、→松山駅→松山空港→・・・
も有り得ます。
ただ、この地域には「高校」と「総合病院」が無いハズです。

原作は宇和島市が舞台・・・というのは周知のとおりですが、実は、今治市も近い雰囲気があります。
商業科のある進学校(今治北高)や、お城(今治城)もありますし、動物園(道後動物園)に行くにもJRに揺られて(2時間はかからないけれど)なので親近感があります。
そして、cliceさんにも"現今治市"が取り上げられれたとなると・・・案外"雰囲気"を持った土地なのかも知れませんね(^_^;)

今では市町村合併で松山市の隣が今治市。
いいのやら、悪いのやら・・・
...2005/02/24(Thu) 14:24 ID:gJIOJ3tg    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
にわかマニアさん、219に書いた疑問は完全予約限定生産DVD BOXのインタビュー解説集の中からの引用なんでしょうか。
まず自分の理解度の足りなさをこのインタビューを読んで痛感しました。
そのインタビューの最後で「でも、結局あのふたりにしても、あの写真が残っているということが、彼らのアイデンティティがもっとも充実した瞬間でもあったんだから」というのが答えに結びつくのではないでしょうか。
「あのシーンは、白血病でいつ死ぬかわからないという少女と、彼女を愛している少年のふたりを慈しんで、哀れんで見ている、という風になっていた」とシナリオがなっていたとあります。
またそれがいざ本番では思いもよらぬ方向に行った結果が嬉々として撮影している形になったという事ですし、単に晴れやかな衣装に身を包んだふたりが寄り添う様子を幸せの象徴とも言うべき時として捉えていたんだろうと思いました。
...2005/02/27(Sun) 12:37 ID:oRcvcgnE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 確かに,その後の展開も含めて全体を見渡してみると,「あの写真が残っているということが、彼らのアイデンティティがもっとも充実した瞬間でもあった」ということは言えますね。
 少なくとも,当初のシナリオの「慈しんで、哀れんで見ている」という視点だと,それでも「自分」というものを貫こうとするヒロイン(映画だけでなく,ドラマもそうなのですが)の芯の強さとの対比において,違和感があったのですが,撮影本番になって,それとは違う「何か」(うまく言葉で表現できなくて申し訳ありません)を出演者も監督も感じたということなのでしょうね。
 
...2005/02/27(Sun) 12:59 ID:j8PK1fXo    

             Re:謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 久々に,騰徳さんのスレ起こしの問題提起に関しての意見の紹介です。
 このサイトと以前はリンクを張っていた「朔太郎とアキのいる風景」というサイトに「映画の世界観」というコーナーがあり,そこをたどっていくと,「映画を深く味わう」と題して,「名前問答」に関しても以下のコメントがありました。

 紹 介(要約)
@夢島では,恐竜並みの繁栄という名前に込められた願いを語った翌朝,島から帰ろうとした時に倒れてしまうことで,生と死の反動といった効果を印象付けている。
A現代のシーンでは,突っ込みを入れられた時に,話題を台風に移しており,@の完全な反復にはなっていない。
Bこの違いは,過去では,アキは空港までで力尽きたし,律子も事故に遭ったのに対し,現在の律子は轢かれそうにはなったが,無事で済み,最後には一緒にオーストラリアに行くという差に投影されている。
C映画のサクの姉の名が「千恵子」であることも示唆的である。
...2005/02/27(Sun) 21:35 ID:j8PK1fXo    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 直前の書き込みでご紹介した「朔太郎とアキのいる風景」のサイトですが,2月一杯で閉鎖されたようです。
...2005/03/02(Wed) 21:11 ID:xqZKGbBI    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 病院を脱け出して空港へ。
 原作では,夕食のドサクサに紛れて脱け出し,車中で誕生祝をしながら夜の空港へという流れでした。

 ドラマの出発は早朝です。空港に着いた時は暗くなっていましたが,カウンターの案内表示は7時台の便になっていました。日の短い季節ですし,飛行機は30分程度前に改札が締め切られますから,6時過ぎには着いていたとも考えられます。
 駅から空港行きのバスに乗り換える前に,腹ごしらえを兼ねて「誕生祝」をやってきたと考えたら,何とか説明のつく範囲かもしれません。

 そこで,頭を抱えてしまったのが映画なのです。
 「真夜中」に迎えに行くと宣言して,そのとおり実行しているのですが,空港へ向かうタクシーは昼間の映像です。@病院を脱け出して重ジイのところに市電に乗って写真を撮りに行っていること。A律子も今サクも重ジイの写真館からタクシーで空港に向かっていることから考えると,病院と空港の間にそんなに距離があるとは考えられません。
 では,迎えに行ってから,タクシーに乗るまでの時間の経過は,どう説明をつければいいのでしょうか。忍び込んだのは夜中でも,夜明けを待って行動を起こしたとも考えられますが,それにしては,亜紀は旅支度でサクを迎えていたような・・・
 かと言って,サクの自宅か重ジイの写真館に「一時避難」していたという線も薄いし・・・
 ちょっと「お手上げ」です。
...2005/03/11(Fri) 01:34 ID:zLiXDAHw    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
映画版の病院→空港の件

空港へ向かうタクシーは「明け方」なのではないでしょうか?
タクシーで
「・・・午後からは雨が強まり、・・・200ミリ前後に達する見込みです」
と午後の予報が流れています。
空港でも
「東京行き6時55分発327便は天候不良のため欠航いたします」
とアナウンスされています。
真夜中・・・3時頃
タクシー・・4時頃
空港・・・・5時頃
(かなりアバウトですが)
と考えれば辻褄が合うと思います。

案外、映画版が最も時間の勘定が合うかも知れません。
...2005/03/11(Fri) 03:17 ID:O0ATzAcw    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
映画版について
私も、東京行きの飛行機は、朝一番の便だったと解釈していました。
その後、病院に戻され、昼頃(?)最後のメッセージを律子に渡したのだと思います(その日は小学校は休校になった)
...2005/03/11(Fri) 04:42 ID:TLgiFv1g    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
昔から明け方に家に帰ることが多かった私ですが、4時頃になるとまずタクシーが走っていなかったんで、それを考えると台風が近づいて客足も遠のいている事から早々に営業を切り上げてよりクタシーが捕まりにくくなっていると想像できますから、タクシーが捕まるまでかなり時間を要したのかもしれません。
勿論サクが病院へ向かう途中でタクシーを拾ってそのまま待たせておくとか、病院ならタクシーを呼び出す電話番号が書かれている事もあるから、(目立つから)病院の外でタクシーに待機を依頼できていれば解消しますが。

映画の設定とどこまで噛み合うか判りませんが、病院が高松駅付近にあったとして、高松駅から高松空港までは約17Km。時間にして17分と出ました。
ちなみに県道(?)36号線王ノ下防波堤付近からの各距離をゼンリンの電子地図Z7で計測したものを列挙すると
・高松空港まで : 行程距離約30Km
・八栗駅まで : 行程距離約6Km
・庵治町町役場 : 行程距離約1Km
でした。


それからドラマの決行日1987年10月23日は金曜日ですね。だから電車のダイヤは平日運行です。
田舎だし(競技場から駅に行った場面からして無人駅のようなところだし)平日とて朝6時前のダイヤだと結構待たされたりするとか、ドラマの場合そういう都合も考えられるかもしれません。
...2005/03/11(Fri) 05:40 ID:Iy/Y2KPQ    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 皆さん,ありがとうございました。
 なるほど,始発便に乗ろうとして「夜明け前」に迎えに行ったということであれば,辻褄が合いますね。「真夜中」というのを文字通り「0時」という固定観念にとらわれていたため,お手数をおかけいたしました。
 まあ,冬の西日本は明るくなるのも遅いぞという突っ込みは,なしにして・・・

 以下余談
 子どもの頃,夕方の番組を見ながら,東京のアナウンサーは何でこんなに明るいのに「今晩は」って言うのか不思議で仕方ありませんでした。ところが,東京五輪の閉会式の実況中継で,5時前だというのに真っ暗な中を聖火が消えていくのを見て,びっくりしました。国内の「時差」に気がついた瞬間でした。
...2005/03/11(Fri) 06:34 ID:zLiXDAHw    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:ぽっと
高松空港について、地元の人間からずっと違和感があったのは、今の新空港が開港したのが1989年なので、それまでは市内に空港があった(今のサンメッセ香川というものがある場所)ということですね。
...2005/03/11(Fri) 09:21 ID:s8I3amD6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
サンメッセ香川ですか。
距離を測り直してみました。
高松駅からサンメッセ香川までは約8Km。時間にして8分、通る場所を変えて9Km 10分でした。
県道(?)36号線王ノ下防波堤付近からサンメッセ香川までは行程距離15Kmでした。
...2005/03/11(Fri) 10:40 ID:Iy/Y2KPQ    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
安浦君による接吻事件の後、谷田部先生が亜紀に「嫌なら嫌って言えば?」「ジュリエット」と言ったのは

1) 安浦君と朔がモメたのはロミオの役を巡ってと考えたから
2) 職員室呼び出し後、朔の大声を聞き、亜紀がジュリエットをやる事による朔の嫉妬心が原因と考えたから

どっちなんでしょうね。
また他に考えられる事や付け足したい事があれば書いてもらえると嬉しいです。
...2005/03/15(Tue) 20:47 ID:PtyJaXoM    

             Re:乗り気でなかったジュリエット役  Name:にわかマニア
 1・2もさることながら,もともと亜紀自身がジュリエット役に乗り気でなかったことも先刻お見通しだったのでしょう。もっと言えば,「もめるのが嫌」だから引き受けたことも,ロミオ役に誰を指名しても何か言われるなら,一番「もめないで済む」のが「学級委員同士」という理屈づけであって,本心からではなかったことも,「誰も傷つけたくない」から,職員室に呼ばれても本当の事を言わないこと,これら全てを見通していたのでしょう。
...2005/03/15(Tue) 22:24 ID:tv5Q/Gb6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
流石ですね。
谷田部先生がどこまで亜紀の性格を把握していたか、特別編をもう一度見直してみようと思います。

自分の体験としては先生に自分の性格をそれほど的確に捉えられた事がなかった(通信欄や家庭訪問で)し自分も学校でも家でもある部分嘘をついていたのでフィクションとはいえ興味が沸いてきました。
...2005/03/16(Wed) 22:19 ID:8NoirjKA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
特別編はさっぱり参考になりませんでした。
特別編は谷田部先生の視点そのものというよりドラマ全体を谷田部先生の立場から語る内容ですが、主人公が朔だけにアキについては補足的で参考になるセリフは聞けませんでした。
...2005/03/18(Fri) 20:33 ID:nD4lsfb2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 「アナザーもの」のうちcliceさん版が宮浦=今治近郊説を採ったのにあわせて,連ドラ第4話から第5話にかけてのスケちゃん傷心のとんぼ返りのダイヤを87年の時刻表で再検討してみました。

 通常考えられるのは,宇高連絡船ルートですが,
  伊予亀岡10:40−(各停1140D)−今治11:05
  今治11:53−(1010Dしおかぜ10号)−高松13:59
  高松14:07−(連絡船16便)宇野15:07
  宇野15:14−(3116M備讃ライナー)−岡山15:49
  岡山16:04−(ひかり170号)ー東京20:04
 これだと,今治での接続が悪く,1時間近くのロスタイムができてしまい,その日のうちに東京で衝撃の事実を知るのは苦しくなります。

 そこで今治から海路をとって,
  今治12:00−(瀬戸内海汽船)−三原13:00
  三原13:35−(ひかり236号)−東京18:28
 相手の住まいが東京駅から1時間圏内とすると,ちょうど帰宅する時間帯ですから,そこで衝撃の事実を知ってしまい,傷心の帰路に着くという当初の推理に戻ります。

 ヤケ酒を飲む間もなく,東京駅に取って返し,
  東京21:05−(15レ瀬戸)−宇野7:03
  宇野7:25−(連絡船1便)−高松8:29
  高松8:50−(1005Dしおかぜ5号)−今治11:06
 と,ここまでは順調ながら,その先の接続が悪く,
  今治11:54−(各停1141D)−伊予亀岡12:19
 これでは,終業式の帰りに間に合いません。

 そこで,上記の13レ瀬戸を6時29分着の岡山で乗り捨て,以下を次のように変更します。
  岡山6:57−(ひかり91号)−三原7:36
  三原8:18−(瀬戸内海汽船)−今治9:14
  今治9:30−(各停1139D)−伊予亀岡9:54
 これなら,校門の前で待ち伏せできそうですね。

 なお,「衝撃の事実」を知った時に,何らかのトラブルが発生したか何かで東京駅に戻るのが遅れた場合,9時半までだったら,新幹線で静岡まで追いかけて,瀬戸をつかまえることは可能です。
...2005/03/20(Sun) 22:24 ID:X2JLu/Mc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
原作でサクとアキは動物園にデートします。
私は、この動物園は「道後動物園」だとばかり思っていました。
しかし、道後動物園は1987年に愛媛県立とべ動物園に移転しており、二人が高校生になった90年代には道後公園には動物園はなかったはずです。
二人は、とべ動物園に行ったのでしょうか?それだと、帰り道でホテルに入ってすぐ出てきた、というような場面がちょっと辻褄が合わないような気もするのですが・・・
あれはあくまで「架空の動物園」なのでしょうか?
皆様の解釈をお聞かせ下さい。
...2005/03/24(Thu) 01:45 ID:VyCvc/.E    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
にわかマニアさま
第4話というのがディテールが細かいだけに場所の特定には泣かされます。
cliceさまの説をベースに高校の特定を行うと、
少なくとも今治市の東西南北4校に絞られます。
ただ、そうなると、スケちゃんが高校の校舎に向かって頭を下げるシーンがあることから、駅は、高校の最寄駅ということになります。
今治市の4校ですと、東高以外は今治駅が最寄駅ですし、東高も今治駅に向かうのであれば、進路が逆になります(海が右・・・というより海は見えない)。

なので、宇高ルートとなりますし、第5話では高校に戻ってきているので、今治駅の時間でいいと思います。

そうなると、??になるのが、今治駅はそこそこ大きいことと、宮浦南駅が今治駅なら宮浦駅は?ということ、高松行きは結構な本数出ていると思いますので、なにも聞かされていないサクや亜紀が、あの時間の列車に乗ることを推測するのは難しいと思われることです。

それと、最大のネックが陸上競技場で、全天候型8レーンの施設となると、愛媛県には県総合公園陸上競技場以外ありません。
ここは、一応「松山市」なのですが、限りなく「伊予郡砥部町」にあります。
当然、自転車で行ける距離ではありません(>_<)
ま、ここは映像を無視して「桜井スポーツランド」にしておきましょう(^_^;)

朔五郎さま
作者の脳内映像では道後公園で間違いないと思います。
セカチューは作者の時代と10年ずれているので、風景に10年のズレが出てくる場面があります。
作者の時代とイコールの「きみの知らないところで世界は動く」にですと、時代はイコールですが、作者は大学時代福岡に住んでおり、M市の風景に福岡市の風景が割り込んできます。
確かに設定を現実的にしようとすると、困ってしまいますよね(^_^;)
...2005/03/24(Thu) 07:17 ID:N3lizwpA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 hiroさま
 今治駅での接続の悪さに苦吟していたのですが,居住地・宮浦よりも学校所在地を優先させて駅を絞り込むと,宇高ルートでも何とかなりますね。ただ,今治駅からだと,最初から高松行の特急に乗れる訳ですから,ローカル列車からの乗り換えという映像と矛盾が生じるのと,どうしてサクたちが何時の便と特定できたのかという謎が残るというのは,おっしゃるとおりです。
 でも,まあ,本四備讃線開業前でも,松山から今治の範囲のどこに宮浦を持ってきても,東京へのとんぼ返りは何とか可能だという一応の結論は得られそうですね。

 動物園の件は,朔五郎さんやhiroさんのおっしゃるようなことを指摘した上で,謎解き本も「動物園の特定」はさじを投げた格好になっていますね。
 ただ,「空港のある都市」というのがあの近辺では松山以外にないことを考えると,道後公園(の移転前の心象風景)と解釈するしかなさそうですね。
...2005/03/24(Thu) 08:19 ID:FjstThm.    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 「宮浦南駅が今治駅なら宮浦駅は?」という点について,前回の書き込みで落としてしまいました。
 ある都市の代表駅とその都市の名を関した駅が別に存在するという点に関しては,以下のような例があります。

(門司:鹿児島本線・福岡県)
 関門トンネルの開通に伴い,トンネルの出口付近にあった大里を門司と改称するとともに,従来の門司を門司港と改称

(宇部:山陽本線&宇部線・山口県)
 本線上の駅が市街地から大きく西に離れたところにあったため,中心部にある宇部線の駅を宇部,本線上の駅を西宇部と称していたが,後に,宇部駅の名称を本線に譲り,旧宇部駅は宇部新川と改称

(和歌山:紀勢本線・和歌山県)
 天王寺(大阪)方面に直通する阪和線との接続駅は,和歌山港を擁する市中心部から東に離れた所にあるため,東和歌山と称していたが,後に和歌山を称するようになり,従来の和歌山(行き止まりの終着駅)は和歌山市と改称

 このほか,横浜(東海道本線)と桜木町(初代横浜駅・根岸線),鹿児島と西鹿児島(現鹿児島中央)等もあります。

 ただ,いずれにしても,宮浦南駅が「本家」宮浦駅よりも大きな駅であることはありうるのですが,その場合,「本家」の方に旧市街地の中心があるという前提が必要になってきます。例えば,港湾地区・商工業地区=宮浦・文京地区=宮浦南といったような・・・
...2005/03/27(Sun) 13:20 ID:j8PK1fXo    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
25日から27日まで四国に行ってきました。
その中で今治付近を3回通過しましたので、感じたことを書きます。
今治付近は開発が進んでいるところが多く「宮浦(松崎)」のような光景が残っているところとなると案外少ないのですが、私の印象に残ったのは伊予亀岡駅付近の光景です。
古い街並みが残り、斎灘の海、そして正面に島影が。後方には小高い丘もあります
ここより松山寄りには石油コンビナート、今治寄りには新来島ドッグの巨大なクレーン群と職員用の高層住宅が林立するという極めて「現代的な」光景が広がっています。
それから、伊予亀岡駅がなかなか良い雰囲気です。一言で言うと、「稲代駅」こと伊豆長岡駅にちょっと似ています。
今治付近なら、ここが本命ではないかと思いました。

さて、ここからが本論なのですが、今治付近と「宮浦(松崎)」とは何か雰囲気が違うような気がするのです。それは「街の色」です。
今治付近は板張りの家が多く、街並みが黒っぽい感じなのです。それが独特の雰囲気を醸し出しているのですが。
「宮浦(松崎)」の漆喰塗りの「なまこ壁」に近い建物は西予地方に多く見られると思います。
有名なところでは、内子、大洲あるいは卯之町(西予市)あたりの街並みですけど、これらは海に面していません。
さて、これらほど有名ではありませんが北宇和郡吉田町という町があります。
宇和島の北隣の町で、宇和島藩の分藩だった吉田藩があったところです。
宇和島から列車で松山へ向かうと、やがて左側に入江が見えてきます。その奥の川沿いに広がる町が吉田で、司馬遼太郎氏の「街道をゆく」によれば、武家屋敷などの漆喰い塗りの塀などが残っているようです。また、米蔵などもあるようで、西側に海(宇和島湾)があるところも「宮浦(松崎)」に似ていると思います。
ただし、一番近い島は宇和島湾の中にあるのですが、原作中の「夢島」である高島の近くで、かなり離れていて、これが「弱点」になるかもしれません。
なお、伊予吉田駅が「宮浦駅」とすれば「宮浦南駅」はやはり宇和島駅になるのでしょう。しかし、龍之介の「東京トンボ帰り」は成立するのでしょうか(苦笑)
...2005/03/27(Sun) 23:34 ID:G7innxo.    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 朔五郎さんのリクエストにお応えして,宇和島⇔東京のトンボ返りルートの検証です。なお,資料出典は,「国鉄」が最後に編集した1987年4月版の「大時刻表」です。
 また,ダイヤだけの検証なので,伊豆大川と宇和島の駅の大きさの問題は無視しています。

 第4話でスケちゃんが去った後,戻って競技に間に合うか眺めた時計は10時半でした。そこで,スケちゃんが乗ったのを10時20分宇和島発の602Dうわじま2号という前提で,ダイヤを検証します。
 602Dは松山に12時23分に着いた後は各駅停車となり,しかも今治止まりです。
 宇高ルートをとって高松を目指すなら,松山で13時発の1014Dしおかぜ14号に乗り継ぐしかありませんが,1014Dの高松着が15時48分ですから,連絡船20便(宇野着17時7分),3138M備讃ライナー18号(岡山着16時49分)と乗り継ぎ,16時56分発のひかり10号に飛び乗ったとしても,東京着は20時46分ですから,相手が東京駅の駅前にでも住んでいない限り,とんぼ返りは不可能です。

 そこで,松山から海路を利用した場合を考えてみましたが,13時40分の宇品(広島港)行(14時50分着)まで船がなく,宇品から広島駅までタクシーを飛ばして15時12分発のひかり240号に間に合ったとしても,東京着は20時28分ですから,宇高ルートと大差ありません。

 とすると,残るは空路ということになりますが,松山発14時10分の592便の羽田着が15時30分ですから,夕方には相手のもとに着くことは可能です。

 復路ですが,今治でさえ13レ瀬戸号利用は苦しかったので,宇和島は完全に不可能です。そこで,東京駅発19時5分の9レあさかぜ1号を使います。東京駅にそれまでに戻れない場合は,23時37分発の名古屋まで新幹線で追いかけます(東京発21時12分・名古屋着23時19分のひかり271号がタイムリミット)。
 9レの広島着が6時19分ですから,宇品発8時の始発便には余裕で間に合います。松山港に9時10分に着いて,9時50分発の3Dしおかぜ3号に乗って,宇和島着が11時32分と,何とか帰ってこれそうです。
...2005/03/28(Mon) 00:18 ID:HXBSBx5.    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
にわかマニアさん、ありがとうございました。
やはり非常に困難なようですね(苦笑)

さて、今治付近と仮定した場合、2004年に東京方面から到達するのに有力なルートとして、新福山駅から高速バス「しまなみライナー」を利用したことも考えられます。新福山から今治まで約1時間40分です。
...2005/03/29(Tue) 06:44 ID:nTxihdgI    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 映画版の2年後,連ドラ版の翌年に本四備讃線が開業し,松山以東も電化,その後,尾道・今治ルート(しまなみ海道)も開通,高松空港にもジェット便が発着できるようになるなど,2004年時点での東京への移動手段は,選択肢も豊富な上に,所要時間も短縮されました。もっとも,就学前の一樹が独りで訪ねてこれるかどうかは議論の分かれるところかもしれませんが。
...2005/03/29(Tue) 17:53 ID:4iMWbhu.    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 本スレで時刻表談議が始まったのは,ドラマに登場する車が愛媛ナンバーであるとのご指摘を頂いたのがきっかけでした。
 ところで,第10話のサクと亜紀が空港に向かうシーンですが,2人が乗車していた車両のナンバーはモハ112−1245です。実は,70〜80年代当時,この番号のついた車両は実在したのですが,千葉鉄道管理局幕張電車区(当時)の所属で(画面には映っていませんが,実物は,車両外側の出入口付近に「千マリ」と表示されていました),内房線・外房線,成田線,総武本線・横須賀線が主な走行線区でした。と言うことは,この車両に乗るのは,地方空港(松山だろうが高松だろうが同じ)ではなく,成田空港に向かう時しかありえないのですが・・・
 まあ,これもかなり「今さら」というネタですから,見なかったことにしましょうか。それとも,予讃本線の電化に向けた習熟用に,千葉から高松に貸し出し中のことだったということにしましょうか。
...2005/04/06(Wed) 05:34 ID:0EucPrzE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰コ
みなさん、お久しぶりです。スレ建て逃げの騰コです(笑い

今日久しぶりに最終回を1.5倍速で途中を飛ばしながら見ました。時間枠が絡んで最終回は恐らくどこかがカットされていると思いますが、当時は色々推測していた事が、素直に自然な流れとして受け取れました。

原作の哲学性、思想性、文学性、ドラマや映画の芸術性、エンターテイメント性というものを感じました。この作品は作り物ではあるのですが、サクはこのような体験を心ならずもしましたが、人生は充実していたのではないかと感じました。

来月辺りにバイクを新調しますので、伊豆に慣らし運転を兼ねてセカチュー巡りをしてこようかな?と思っています。TBSのホームページ以外に、セカチューの伊豆に関しての情報などあるところはありますかね?

自分、雨が降らなければ、10(日)、11(月)と1リットルの涙巡りを、豊橋に知人と旅行する計画を立てています。セカチューも四国までは行けないですが、来月の天気のいい日は伊豆の松崎?巡りで楽しんでこようと思っています。(←こちらは一人ですが・・・)

人生を豊かにしてくれた作品に感謝です!
...2005/04/08(Fri) 22:06 ID:Q7eArBmM    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 「建て逃げ」なんてことないですよ。お帰りなさい,騰コさん。

>この作品は作り物ではあるのですが、サクはこのような体験を心ならずもしましたが、人生は充実していたのではないかと感じました。

 確かに,夭折した亜紀だけでなく,サクも亜紀と共に過ごした短い月日を全力で駆け抜けた感じがありますね。特に,映画やドラマでは,梅雨時の出会いから亜紀との死別まで半年足らずですから,人生の極々僅かな期間をものすごく凝縮して生きたことになりますね。
 このところ,「セカチュー」に限らず,「1リットルの涙」や「火火」など,小説の世界だけでなく,映像作品の世界でも,生きることを考えさせるような良品が続いていますが,いずれも哲学性を持った原作のメッセージを巧みに表現していると思いました。本当に,「人生を豊かにしてくれた作品に感謝です」ね。

 ところで,伊豆の情報ですが,いろいろありますが,個人的には,やはり,このサイト(BBSではなく)のトップの左側に並んだメニューのうち,「ロケ地」の項目で出てくるメニューからリンクで飛べるようになっているものが一番だと思います。
...2005/04/09(Sat) 16:44 ID:.EWuivmU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:8月の蛍
ご無沙汰しております。
いまなお新しいレスが書き込みされ、このスレも250を超え、改めてこの作品のすごさを実感しています。
>人生を豊かにしてくれた作品に感謝です!
私にとっても生涯でもっとも影響を与えてくれた作品の1つだと思います。
特に作者がこの作品に託した死生観は私の死生観を確立させてくれました。
「ノルウェイの森」を改めて読むと主人公がビートルズのノルウェイの森を聞き、直子を鮮明に思い出し、自分の中に直子が存在することを自覚するという件があります。サクが中学校の校庭でアキを鮮明に思い出したということの意味と共通しています。
サクはアキを鮮明に思い出すことによってアキが自分の中に存在することを自覚し、拠り所としていた遺灰は単に遺灰であることを理解し散骨する訳です。
アキは死後どこに存在するのか?あの世や天国を否定し、骨やアボリジニの世界観を用いて作者が問いかけていた答えです。
死者の魂は残された人の中に存在し、ともに生きてゆく。
この答えの真意を確かめたく、哲学や仏教の本をいろいろ読みましたが、どうやら間違いないように思います。自分の中の存在を理解するとこういった難解な本でも理解しやすくなりました。世界の中に自分がいるのではなく、自分の中に世界があること、神や仏は自分の中に存在すること。以前騰コさんがおしゃられていたこの世が天国(浄土)であるということの意味も分かったような気がします。
とりとめのない話をしましたが、この作品を通じて死生観、哲学的なものの考え方を教えていただいたように思います。
...2005/04/10(Sun) 01:43 ID:DXOLRyjE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰コ
にわかマニアさん、温かいお言葉をありがとうございます。
8月の蛍さん、おかえりなさい。

10日、11日と1リットルの涙巡りを豊橋市を中心にしてきました。豊橋の人達はとても親切で温かい人が多かったです。最後に回った豊橋養護学校では、アポイントも取らず、身元もハッキリしていない男2人組が突然やってきたにもかかわらず、新任の女性の教頭先生が校内を案内してくださり、とても感激しました。

同行したもう一人の人とは、横浜町田ICに乗ってから、音羽蒲郡ICを下りるくらいまで、セカチューのドラマについて話していました。彼は最初の放映のときは知らなくて、友人に是非見たほうが良いと言われ最後のほうの回を2,3見ただけだったので、あまりわからなかったそうですが、年末の再放送で最初から見てとても感動したと言う事でした。今回の再々放送は、私から聞いて、3回目からもう一度見たとの事。私は旅行前に彼がドラマ版セカチューが好きだとのことで、サントラ盤を持っていきました。それを聞きながらの出発でした。

>確かに,夭折した亜紀だけでなく,サクも亜紀と共に過ごした短い月日を全力で駆け抜けた感じがありますね。特に,映画やドラマでは,梅雨時の出会いから亜紀との死別まで半年足らずですから,人生の極々僅かな期間をものすごく凝縮して生きたことになりますね。

ドラマも映画もサクとアキの出会いが半年という短い期間であるからこそ、その短い時間の中の濃縮された思いが、多くの人の心を打つのでしょうね。

バブル前ころからある程度決められた安全な線路の上を歩く事を強いられた人生を送っている人が多い中、バブルがはじけ少し将来の見えない不安定な時代となり、周りの状況が生きていくのに厳しくなってきて、人生と言うものを以前より真剣に考える人が多くなった時に、セカチューや1リットルの涙や火火が多くの人の心を打つのもわかるような気がします。

多くの人が、これらの作品によって、生きる勇気や希望を見出すのならば、それは素晴らしい事ではないかな?と思います。

あと、伊豆の情報をありがとうございます。途中まで見ていましたが、全部見るのに時間がかかりそうなので、何日かに分けて伊豆に出かける前までに調べておきたいと思いました。それにしても個人でものすごく調べあげている人がいて、とても驚きました。


>死者の魂は残された人の中に存在し、ともに生きてゆく。
この答えの真意を確かめたく、哲学や仏教の本をいろいろ読みましたが、どうやら間違いないように思います。自分の中の存在を理解するとこういった難解な本でも理解しやすくなりました。

8月の蛍さんが書かれたように、難しい言葉で書かれていたりしても、物事の真理というのは基本がわかっていれば案外すらすら読み解く事ができるのだろうと、私も思っています。

お釈迦さんが悟りを開いた後、こんな難しい考え(悟り)は一般の人々には理解できないのではないかと思い、しばらく考え込む時期があります。でもお釈迦さんは確か一週間ほどで、その考えが間違っている事に気づいて、説法をはじめたと聞きます(最初は同じ修行者だったようですが・・・)。

最近有名になった中村天風は、自分がこの身体(物質)そのものだと思うなら、いつまでも元気で長生きできるようにしろよ!と言っています。身体(物質)が自分なら、自分の思い通りにできるはずだろ!と言う事です。でも多くの人はやがて歳を取り病んで死んでいく。自分がそういう存在だと思ったら、とても苦しいですよね。

私と言うものが誰(何)なのか?と言う事を理解できないと、安心は中々できないですよね。それが理解できたら、苦しみは無いわけですから、この世は天国と言う事ではないのかな、と思っています。

来月は、セカチュー伊豆巡りをしてみたいです。バイクはもう予約しているのですが、人気があってなかなか来ません。。。連休前くらいにバイクが届くとちょうどいいのですがね〜。連休中に伊豆をバイクで巡る。つかれたら、露天風呂につかり、泊まる宿が無ければ、新聞紙にでも包まって一晩すごすなんてのもいいかなあと思っています。ああ、早くバイク、届かないかなあ。。。

それではまた
...2005/04/13(Wed) 00:36 ID:q7aHoG2I    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 この作品が単なるサクと亜紀の恋物語ではなく,恋人を亡くした後の散骨に至るまでの心の葛藤が主要なテーマであることは,何度も語られてきたところです。だからこそ,映像化にあたっては,原作の最後のほんの数頁に過ぎない部分がかなり膨らませた形で描かれています。
 その際,原作では名前のない現在のサクが交際している相手に対して,映画では律子,ドラマでは明希という名前が付けられています。
 発音だけは同じでも別の字という設定と,発音も字も全く違うという設定の違い。この違いは,散骨場所の違い,死後の亜紀をどこに感じたかの違い,そして,世界の中心の解釈の違いを反映しているような感じがしませんか。
...2005/04/16(Sat) 09:01 ID:8uSRdwho    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰コ
なるほど。たしかににわかマニアさんの言われるように感じますね。そう言う点をここで論じるのも面白そうですね。

ところで今日、バイク屋さんでいつ納入できるのか聞きに行ったら、早くても5月末だとか。。。(ノ∀`)アチャー
人気がありすぎるよ・・・アドレス125G・・・

こうなったら、ユーザー車検が終わったら、車で行こうかな?と思っています。自分が見たいのは、運動場とサクとアキがキスをした眼下に海の見えるアジサイの丘と最後の場面の堤防ですね。あと本当は、おじいさんの骨を撒いた無人っぽい駅ですが、こちらはどうも千葉県あたりのようで、今回はあきらめます。

前の宗教の世界ですが、仏教などはインドから中国に渡ってくる途中、色々な思想がお経として残されたようですね。20年くらい前の敦煌という映画で描かれた時代だったと思います。

心の世界が本当の世界だという感じが、宗教一般には多いと思います。それに対して、近代の理性は客観的なものが真実だ、力だ、(科学など)という世界観で世の中は進んできたと思います。

物質的な繁栄を果たし貧困を抜け出し、貧乏の悲惨な状況から抜け出した日本ですが、今度はその繁栄の中で心の問題がクローズアップされるようになりました。

物質的な繁栄だけではどうしても解決のつかない問題、生老病死は仏教では四苦と言われ、その他に八苦があり、その中に愛するものとの別れがあります。

時代がどんなに進んでも、御釈迦さんが言われたこのことは、人にとって永遠の問題ですね。

支離滅裂ですみません。それでは。。。
...2005/04/17(Sun) 00:05 ID:s9ZBe8KI    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 私事で恐縮ですが,中学から高校にかけて,古代史と言うか,邪馬台国から「倭の五王」の時代にハマっていた時期がありました(もっとも,年代的にローマ帝国解体の時期にあたっていたこともあってか,ソビエト科学アカデミーの「世界史」では,中世の項で扱われていましたが)。そんな時に「大化前代の国家と社会」をはじめ,その分野の第一人者と言われたI教授の著作を読み漁ったものでした。
 それらの奥付にある経歴や代表作を見ると,I教授がもともとは仏教史・思想史を手がけておられたことは知っていたのですが,ある所で「デリー大学に招かれ灼熱の大地で実際に暮らした際に,自然条件のあまりの落差への驚きを実感し,仏教研究への熱が冷めていくのを感じた」と述べておられました。
 同じ仏教でも,インドのオリジナルな仏教に対し,中国や東南アジアや日本それぞれの風土に適合させながら,土着信仰や習俗との融合も図られてきたのでしょうね。
 キリスト教でも,東ローマ(ギリシャ正教)系のものは,かなり土着信仰との融合が進んでいると聞いたこともあります。
 スレ主さんの「インドから中国に渡ってくる途中、色々な思想がお経として残されたようですね。」というのを拝見して,そんなことを思い出しました。
 でも,現実生活の中での悩みや苦しみとどう向き合うのかを考え,道を指し示すという役割においては,古今東西,そんなに違いはないのでしょう。第10話の「何のために死ぬのか」という問いかけを意識してか,別スレでも,「生きることとは」に関する論題も提起されているようです。
 これだけいろいろ議論が重ねられて,なお尽きるところを知らないということ自体,テーマの深遠さを感じさせます。宗教科のご出身の森下さんが脚本を担当されたのも何となく判るような気がします。
 今日はちょっとまとまらない文章になってしまい,申し訳ありませんでした。
...2005/04/21(Thu) 22:20 ID:J2nyTBTU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 セカチュー本編の登場人物の第二世代たちが繰り広げる「続編スレ」のメイン・ライターである朔五郎さんが,登場人物が「恋するソクラテス」についての意見を交わすという設定で,原作の解釈を展開されています。そのキーワードは「竹取物語」です。

 原作の25頁〜26頁では,「竹取物語」について,「姫が月に連れ去られた後,不死のように長い時間だけが残される」と表現しつつ,姫が残した不死の薬を帝が焼き捨てさせるという物語の結末を紹介しています。
 そして,これを読んだサクは,「どんなに長く生きても今以上の幸福は望めない。」さらには,「一人一人に与えられた幸せの量が決まっている」と考えるに至ります。この部分,NG集にも登場する夢島での「プラスマイナス談議」にも通じるものがあるようです。

 さて,作中人物の口を通じて語られる朔五郎さんの解釈は,「竹取物語」全体の構造にまで踏み込んでもう一歩進めたもので,現にいるヒロインの中に別世界(ヒロイン自身にとっては元の世界)のもう一人の人格があって,それが節目・節目で顔をのぞかせているというものです。夢島の蛍や電話の幻聴など,異界との接点に登場する「本籍・異界」のヒロインの別人格という視点について議論し,掘り下げて見るのも面白そうですね。
...2005/04/30(Sat) 18:34 ID:2xj6JS7s    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
にわかマニアさま
いや、これはあくまで私の「妄想」です。
が、動物園の帰り道に「大人のホテル」に入りかけて「まだ早くない?」と16歳の女の子としてはごく普通の反応をする彼女と、神社の石段や夢島での彼女は、同じ人物とは思えないような気がするのです。
...2005/05/01(Sun) 23:33 ID:KMshUONE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:hiro
映画版で幼少時代の律子が、アキの最後のテープを持って病院から飛び出し交通事故に遭った交差点
[愛媛県庁→(松山城)堀之内]が
「歩車分離式」となりました。
20年早ければ、テープが届かないということも、律子が足を引きずるということも無かった・・・かも?
...2005/05/02(Mon) 09:20 ID:cbG8reJU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 謎解き本によると,神社や無人島といった異界との結界を超えてしまった主人公たちが再び現世に戻るときに大人(宮司さんや漁師さん)と出会うというか,そういう人たちの力によって現世に帰ることができるという趣旨の記述があります。それを念頭に置きながら朔五郎さんのストーリーを読んでいくと,その間の主人公たちは,単にそのままの状態で場所だけ別の所に「いる」というのみならず,人格もまた別世界の人格に憑依されているという感じがしました。
...2005/05/02(Mon) 12:47 ID:RIgNdH6M    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 続編のメイン・ライター朔五郎さんによる作中人物間のやりとりを通じて展開される「恋するソクラテス」の新解釈ですが,異界との接点に続く第二弾は,「点在と遍在」です。続編スレの四国編(木庭子町編)にご注目を(何だか,硬い番組でドラマの番宣までやってしまった某東京放送のようですね)。
...2005/05/05(Thu) 09:04 ID:sd3Ez7WA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 連休でDVDやエアチェックしたビデオを見直していらっしゃる方も多いのか,このところ,謎解き系の書き込みも増えてきたようです。
 そんな中で,以下のようなことが改めて気になってきました。お知恵をお貸しください。

【祖父の散骨〜その1〜】
 冒頭と最終回にウルルでサクが亜紀の名前を絶叫する場面で回想シーンとしても挿入されていますが,廃駅で祖父の散骨をしようとして,風を待っている時のセリフが何故「気長に」ではなく「気楽に」待とうだったのでしょうか。

【祖父の散骨〜その2〜】
 その風が吹いてくるタイミングですが,「何で急にやる気になったの」と聞かれ,答えようとして亜紀の方を向いた時に風が吹いてきます。眼をそらした瞬間に祖父が風に運ばれていくという微妙なタイミングは,何かを象徴しているのでしょうか。

【雨の日の体育館〜その1〜】
 映画で,雨の中,今サクは昔の亜紀のテープを聴きながら,学校探検を再現します。ピアノの前に亜紀が現われるというのは心象風景でしょうが,その場に律子が居合わせたことの意味は何でしょうか。
 これについて,テレビのスタッフは現在と過去が交錯するシーンを入れると視聴者が混乱するとしてこの手法を使うことを見合わせていることからも,かなり難解なシーンであることがうかがえます。

【雨の日の体育館〜その2〜】
 その雨の体育館のシーンで,明るさが変わり(現在=暗,過去=明というのが映画の基調でした)登場人物が17年前の人物(姿)に切り替わり,亜紀自身の口からサクに病名が告げられます。映画では,ドラマと違って一時的な外泊許可が得られたことは明示的には表現されていません。もっとも,写真を撮りに脱け出していますから,全くの寝たきりではないのでしょうが,このシーンは,実際に外出許可がでて登校した時にサクに告げたことを回想しているのでしょうか。それとも,実際に病名を告げられたのはテープを通してであり,この映像はそのテープを聴きながら過去を回想している今サクの心象風景なのでしょうか。
...2005/05/07(Sat) 15:23 ID:wrtuYlYc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
雨の日の体育館〜その2〜 について
これは、映画版亜紀の性格、映画全体の流れから見て、実際の記憶だろうと、私は思います。まだ夏服であることから、9月頃の、あまり病勢が進んでいない時だったのでしょう。
逆に言うと、その記憶があったからこそ、今サクの前に亜紀の幻が現れたのだろうと。それにしても、この過去のシーン、あかるいけれども、夕方の光線のような微妙なトーンだったのが印象的ですね。

その1については、あまりに難解なので、うかつなことは言えませんが、何かの資料で、律子は幼い日にたまたま同じような光景を見たことがある、とあったような気がします。高校生のサクは、亜紀のことを偲んで、ひとりで体育館のピアノの前に佇んでいたのでしょうか。
もちろん、幼い律子にはその光景の「意味」は理解できなかったでしょうけれども。
この映画の「裏テーマ」である「めぐり逢い(亜紀のセリフにも出てきます)」を強烈に印象づけるシーンではあると思います。
...2005/05/07(Sat) 18:53 ID:n9ysW4KA    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:うてきなぷりぱ
散骨シーンその1
 朔太郎がこの散骨に至るまでには本当に紆余曲折ありました。だからこそ、肩の力をぬいて気楽にやろうという亜紀のささやかな心使いではないと思います。
 散骨シーンその2
 3話ラストのあの名シーンは朔太郎が、散骨が済んでも
どこか気にかかるところがあって亜紀が引き返してのことでした。あそこで、やる気になった理由とかを話してたら。あの名シーンはなかったかもしれません。絶妙のタイミングで風をふかしあっけなく散骨を完了させることによって、どこかあいまいな部分を印象づけたのではないでしょうか。朔太郎自身も祖父の死を実感できなかったと思います。だからこそその後のペダルが軽い、亜紀が心配して引きかえす動議付けになったのではないかと思います。
...2005/05/07(Sat) 18:59 ID:RFGyF9LQ    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:朔五郎
散骨シーンその1について
私もうてきなぷりばさんと同意見です。
あと、亜紀を長時間つき合わせていることに対して(亜紀が)気にしなくていいよ、という意味もあるのかな、と思います。
...2005/05/08(Sun) 08:43 ID:.7rFTEWc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:うてきなぷりぱ
雨の日の体育館について
 このシーンを語る上でヒントとなるのが、「指先の花」の以下の記述です。「彼は今、現在にあって、過去にいる。中略 遠くで電話のベル(確か介ちゃんから)
が鳴る。彼の電話の音 彼がポケットに手を入れる
まるで夢から覚めたように・・・
わたしはそっと消える」その後律子はシゲ爺の写真館へ向かいました。今朔太郎が、テープを聞きながら学校をめぐるシーンは現在でも過去でもない、迷宮に迷いこんだんじゃないかと思います。私的には、映画版は過去と現在の融合という難しいテーマを1本の渡されなかったテーを媒介にして見事に描ききっていると思います。
 その後二人はシゲ爺を媒介にばらばらになっていた現在と過去をを一致させて、空港で感動の再会を果たし、後は一気にラストシーンへ。
 心象風景の一言でまとめるにはいささか強引でしょうか。
...2005/05/08(Sun) 12:56 ID:uQYmBWns    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 朔五郎様,うてきなぷりぱ様
 ありがとうございました。
 過去の巡り会いと現在の巡り会いの結節点が「雨の体育館」なのでしょうが,それにしても難解なシーンでしたね。
 映画版では,亜紀がどういう経緯で自らの病名を知ったのかは明示的には描かれていませんが,自分の口からサクに告げる映画と,相手にカマをかけて聞き出すドラマ,それぞれのヒロインのキャラが反映されていたようです。それにしても,ドラマ第7話で,真島のことを「白血病」だと言ったのに,それを聞いた時のサクの狼狽ぶりを見れば,誰でも自分の病気への疑念を深くしますよね。

 さて,祖父の散骨の方ですが,祖父が焼かれる煙を見ても祖父の不在を実感できなかったサクですから,灰が風に吹かれて飛んですぐにその場にへたりこむのではなく,改めて祖父の不在を実感する何かが必要だったのでしょうね。亜紀の方を向いた時に(祖父とサクとの関係で言えば「脇見」をしているスキに)風に飛ばされることで,心境の変化を語るという点でも,祖父を送るという点でも,「あいまいさ」が残ったのでしょうね。そして,廃駅から戻って亜紀を降ろして初めて誰も後に乗っていない時のペダルの軽さを思い知らされたのかもしれませんね。
...2005/05/09(Mon) 00:56 ID:LspBJ3wM    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 その「祖父の散骨」ですが,ドラマは「反復の構造」を徹底させ,「散骨」を視聴者に印象づけるために,わざわざ祖父を早めに他界させたような感じがあります。
 原作では,時期と表現は異なりますが,「亜紀はサクの中で生きている」という小林のコトバは祖父の口から語られます。映画で「人が死ぬってのはエライこった」という例のセリフが語られるのは,「魂の彷徨」のほとんど出口の部分です。いずれも,作中人物の中で最も歴史を負っている人物として,亜紀を喪ったサクに接するという位置づけになっています。
 重ジイは物語の最後まで永らえていますから別として,原作の祖父は,サクが新しい交際相手を連れて何年ぶりかで帰省するまでの間には亡くなっています。映画やドラマほど明示的には書かれていませんが,亜紀を喪くした後,サクは郷里にちょくちょく帰ってきていたという感じではありません。
 とすると,この物語のテーマの一つにも関わってくる祖父(とその悲恋の相手)の遺灰はどうなったのでしょうか。まさか,亜紀の散骨にストーリーを持っていくための「捨てネタ」とも考えられませんが,祖父の遺灰の「その後」について何も言及がないのは,読者に解釈を委ねているのでしょうか。
...2005/05/18(Wed) 06:14 ID:4pQ2N8WU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
祖父の散骨〜その2〜についてですが、私は思いがけないタイミングで風が吹くことで、散灰をよりあっけなく感じました。
見守っていた中で風が吹けば、もしかすると散っていく課程を朔は鮮明に記憶していたかもしれませんが、気がつけば空中に舞っていた事で人が亡くなるときのあっけなさを象徴しているようにも思い、謙太郎の死と重なって見えました。

雨の日の体育館〜その1〜の律子が居合わせることの意味ですが、朔五郎さんが仰るように律子は過去にそういうシーンを見ていたという設定であれば律子の後のセリフも含めて繋がってすっきりしますね。
そしてそれは律子という設定に持たせた巡り会いの一環なのでしょうね。

雨の日の体育館〜その2〜の過去の記憶なのか過去についての心象風景なのかですが、これは過去の記憶だと思います。
その理由については、セリフに因るモノなのですが、「人前で弾いたことないし」とその前後のセリフからそう思います。わざわざ体育館まで誘導して何もなく終わりというのも変ですし、ピアノを弾くのも亜紀の仕掛けの1つでしょうし、突然そんな風に人前で弾いたこともないピアノを弾いてみせるという事自体、理由もなくするとは考えられず、そして病気を告白するまでの流れに途切れは感じられないからです。
学校について思いを寄せる仕掛けとそれを朔に示すことで得られる共有する記憶、目を閉じさせる口実でもあり、失敗してしまうかもしれないのに披露するピアノの演奏は二人だけで共有する時間と空間への強い思いの表れでもあると思いますし、それはやはり病気を受けてのものでしょうから。
...2005/05/18(Wed) 08:54 ID:CZ8kfAgM    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 別スレ(Apoさんのアナザーもの)で,祖父母−両親−高校生の子どもの生まれた年代の矛盾が指摘され,それについて考えているうちに,あることに気がつきました。

 まず,原作では,2000年に25歳という記述(18〜19頁)から,主人公である高校生の子どもたちは1975年生まれということになり,祖父の足跡と農地改革や「朝鮮特需」といった時代背景(27頁)も無理なく説明できます。
 一方,映画やドラマは,サクの自責の念を強調するため,亜紀の闘病時期を骨髄バンク設立前に持っていったことや,「亜紀のいる世界」と「亜紀のいなくなった世界」をともに17年として描いたことで,作中人物の相対的位置関係を変えないまま,生年という絶対年代だけを5年ばかり繰り上げてしまいました。その結果,両親の世代も戦前・戦中生まれになっています(東京放送の公式サイトのプロフィール)。
 ところが,ストレプトマイシンが開発されたのが1944年ですから,祖父の悲恋まで年代を平行移動させる訳にはいきません。つまり,復員してきたら特効薬ができていたという設定まで前に持ってくることができず,一方,1970年生まれの子の親の出生を1940年代中盤より後に繰り下げることもできないため,祖父とサトさんの悲恋物語の時には既に主人公たちの親たちは生まれていたという矛盾が生じてしまったのです。

 最初,映画で重ジイを主人公と血縁関係のない者として描いた理由がよく判りませんでした。亜紀も墳墓窃盗罪の共犯にするには血縁的にも等距離の方がいいとか,取ってつけた理屈なら思い浮かぶのですが,決め手に欠けるため,何故だろうとずっと疑問に思っていました。
 でも,ストマイの開発,闇市など,戦後を舞台とせざるを得ない「悲恋物語」と,1969〜70年生まれの子を持つ親の生まれ年は1940年代中盤以降に繰り下げることができないという矛盾を解決するには,主人公の親との間で親子関係を否定する必要があったのですね。主人公たちとの関係においてどうこうということではなく・・・
 Apoさんに矛盾を指摘されるまで,どうしてこんな簡単な計算問題に気がつかなかったのか不思議です。きっと,小説や映画やドラマの魅力という名の麻酔にかかってしまったのでしょうね。
...2005/05/18(Wed) 18:01 ID:md0r7C4Q    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
はっきりとした年表を持っているわけではないので明言できませんが、日本における結核の治療で抗生物質の投与が行われた(効果が統計にも表れ始めた?)のは1950年代半ばからのようです。
大雑把な資料としては例えば
http://www.min-iren.gr.jp/search/04gakusei/igakusei/zi5_medi/mw-ken/mw-ken-17.html
を見つけることが出来ました。

ですから原作通りの年代設定でも実は苦しいと言えるかもしれません。
...2005/05/18(Wed) 18:49 ID:nD4lsfb2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 確かに,sayさんのおっしゃるとおりで,1944年というのは「地球上のどこか」に「高度・先進」医療として存在しているというだけで,どこでも誰でもという訳ではないという意味では,実は原作の年代設定でも苦しいのです。余談ながら,第二次大戦直後の占領下のウィーンを舞台にした名画「第三の男」でも,確か,オーソン・ウェルズがペニシリンの密売人として登場しますよね。

 ところで,ドラマの矛盾をどう解決するか,いささか後付けかつ強引な解釈ですが,第3話で一旦は写真館の売却を決めた際,相続の問題で親族間でもめたように描かれていることから,ひょっとして父は祖父の実子ではなく,祖父の兄か姉の子で,実子のない祖父の養子になったのではないでしょうか。もっとも,謙一郎という名前が長男っぽい名前なのが難点なのですが・・・
...2005/05/18(Wed) 20:20 ID:4pQ2N8WU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
//間違った書き方していたので投稿後に修正をしています

結核についてはもっと大雑把な表現では1950年以前には死亡数第一位の大病であったという記述や、投薬の副作用の影響もあり、結核が本格的に治る病気とされたのは1970年代に入ってからという記述もありました。

ドラマの矛盾についてですが、そのような解釈であれば例えば劣悪な戦中の衛生環境から大病を患い経済的に子育てが難しくなった親族か親戚の子を養子に迎えたという事で名前や長男だとしても矛盾を解消する事はできますね。
...2005/05/18(Wed) 23:03 ID:CZ8kfAgM    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:しお
ドラマ2話のサトさんの墓から骨をとって階段を下りたシーンで、
サク「おばあちゃんとサトさん、どっちが好きだった?」
おじいさん「どっちだろうねえ。」「ま、どっちにしても、ずーと一緒においていける人生もまた、すばらしいもんだ。・・と思うよ」「おかげで、サクというすばらしい運転手にも出会えたしな。」
という会話がありますので、おばあちゃんとの子のような気もしますが・・
ひょっとして、おばあちゃんの連れ子ということですか?
設定が、明希とサクと同じなのでしょうか。
...2005/05/19(Thu) 04:36 ID:l.Ah79Eg    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
なるほど。確かにおばあちゃんの連れ子という設定の方がスマートですね。

設定が同じかと聞かれると、設定は違うと思いますよ。
醒めた言い方をすれば時間軸の矛盾を解消する方法がないか探っているだけです。
...2005/05/19(Thu) 05:13 ID:oayPbB42    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 「小林と一樹」の構図が半世紀前から暗示されているという点では「連れ子」説も魅力的なのですが,それを断念したのは,「文豪にちなんだ命名」への関与という点では,兄や姉の子であった方が無理がないという点からです。「おかげでサク(中略)にも巡り会えた」というのは,連れ子や養子であっても,その子から生まれた子という点では,そういう言い方も可能かと考えました。
 でも,いずれにしても,時間軸の矛盾の解消法の模索であることに変わりはありません。
...2005/05/19(Thu) 06:34 ID:DV0xRJyE    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:しお
 名前をおじいさんが命名したということなので、おばあさんに子供が生まれる前から、おばあさんと知り合いであって、なおかつ命名できるような関係だったということですね。おじいさんとおばあさんは親戚だったとの解釈はどうですか?
 なおかつ、名前を提案して相手がそれを採用するとなると、介ちゃんと、ともよのような関係があったのではと想像します。おばあさんは、けしてきれいで上品な人ではなかったと2話でもサクが話していますから、おじいさんはおばあさんに親しみはもってはいたが恋愛対象としては見ていなかったと。
...2005/05/19(Thu) 16:25 ID:3Sn.xT8o    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 数日前の朝日新聞の文芸欄に「萩原朔太郎」の記事が出ていたのをご覧になりましたか。お子さんたちの写真についての記事で,長女も文壇の人となったが父には反発していたこと等が紹介されていました。
 改めて気になったのですが,文豪にちなんだ命名ということで原作に登場するのはサクと大木です(ドラマでは,父や妹もでしたが)。このうち,大木の方は,謎解き本のようにバブル崩壊後の「失われた10年」を描いたという解釈に立てば,昭和という時代に対する「ぼんやりとした不安」から睡眠薬を飲むことで遁世を図った芥川龍之介の名前を持ち出したことは何となく判るのですが,問題は,なぜ萩原朔太郎なのかということなのです。
 単に文豪の名前から作中人物の名前をとるのであれば,萩原朔太郎以外にも候補はいくらでもあったはずです。例えば,映画の冒頭と夢島のシーンで,相手が勘違いして萩原朔太郎の代表作を「智恵子抄」と言うシーンがありますが,青い空を見たいと言っていた亡き妻に捧げる挽歌という意味では,高村光太郎でもよかったはずですし,むしろ,その方が家庭的に恵まれなかった萩原朔太郎よりはこの物語にふさわしかったような気もするのです。
 それがなぜ,萩原朔太郎なのでしょうか。
...2005/05/26(Thu) 05:32 ID:nCIniha6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
「太郎」と付く辺りどちらも1960年代から見ても古い命名という感はありますが、「光太郎」という名前はより一般的で、命名への拘りという点では印象が薄いように思います。
原作にあった姓と名の組み合わせからくる名前の印象という視点からすると、光太郎という選択肢はなかったのではないでしょうか。

あと「朔」という漢字には陰暦の1日を表す意味もありますから、初子には適当とも思います。
...2005/05/26(Thu) 08:00 ID:cgn/PGOY    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 sayさん
 早速のレスありがとうございます。
 「朔」という字に「ついたち」とか「新月」という意味があるという点については,おっしゃるとおりですし,ウルル行きの決行日との関連での書き込みも別スレに登場しています。
 ただ,純愛の当事者の名前に,よりによって離婚暦2回の名前を持ってくることに何となく違和感を感じてしまうのです。しかも,そのうちの1回は妻の浮気です。まさか「死神と浮気した」という皮肉ではないでしょうし。
 病気の子どもを放ったらかしにして入院したきりにさせてしまったという点も含めて,この物語の主人公には似つかわしくないとは思いませんか。

 文学者としての萩原朔太郎のファンの皆さんには,失礼な言い方になってしまい,申し訳ありません。
...2005/05/26(Thu) 08:34 ID:yslTgtjQ    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
なるほど。
そういった点で言うと、実は萩原朔太郎というキャラクタについてよく知らないのです。
私がコメントするのは遠慮した方が良さそうですね。
...2005/05/26(Thu) 09:48 ID:cgn/PGOY    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 この物語の原作は,亜紀の両親と散骨のためにオーストラリアに向かう場面で始まり,数年後,母校の校庭で実際に散骨するシーンで幕を閉じます。ドラマも,亜紀を撒こうとして撒けず,ウルルの断崖の上で絶叫するシーンで始まり,母校のグラウンドでの散骨シーンで終わります。映画も場所はウルルに変えていますが,ラストが散骨シーンという点は同じです。
 そして,亜紀の散骨を予言し,あるいは印象づけるためか,祖父(映画版では老写真館主)の亡き恋人への思慕と「遺骨へのこだわり」が描かれています。

 これをわざわざ祖父を早々に他界させてまで「反復の構図」として描いたのがドラマですが,原作では,「死んだら一緒に撒いてくれ」と頼まれているものの,その後どうなったかの言及がありません。原作で祖父が亡くなるのは,亜紀の死から散骨までの間の出来事です。ドラマのように,出奔同然の上京と明示的に描かれている訳ではありませんが,さりとて,しょっちゅう帰郷しているような描かれ方でもありません。とすると,祖父の遺言はきちんと実行されたのでしょうか。
 原作があえて言及しなかったのは,「純愛とは」とか「好きな人を亡くすのは」とか,「かたちあるものは」といった形で既に問題提起は済ませているので,後は読者の解釈に委ねようということなのでしょうか。

 もう一つ。
 映画では,墓から盗んだ骨を受け取った時の重ジイは「骨の主と2人きりになりたいから気をきかせろ」と言わんばかりの表情です。預けるどころか,後生大事に持ち続けているという感じです。
 この違いは,ラストシーンの時点でも存命中という設定からきているのでしょうか。それとも,原作が祖父とその恋人の散骨について言及していないことの解釈からきているのでしょうか。
...2005/06/02(Thu) 00:41 ID:KOmnxUnU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:うてきなぷりぱ
もし、原作から祖父の存在を削除してしまったら、何とも味気ないストーリーになってしまったと思います。
祖父の存在無くして、セカチューは成り立たないと言っても過言ではないと思います。原作と映画では、祖父の散骨は描かれていなかったですが(やったかどうかは不明)。祖父が亜紀の生前中は存命で、少なからず、朔太郎の再生に寄与したように描かれたので、祖父の散骨してほしいと言う願いは、さほど重要視されなかったのではないでしょうか。亜紀の散骨を意味づける役割をはたしただけなのではないかと思います。だから、あえて、ドラマでは、祖父の骨を散骨することで、原作、映画との差別化を図ったのでしょう。亜紀が、祖父の散骨にある意味こだわったのは、何故なんでしょうか。
...2005/06/02(Thu) 23:27 ID:QkUbwm/g    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:ダメ人間
>亜紀が、祖父の散骨にある意味こだわったのは、何故なんでしょうか。

祖父とサトさんの恋愛についてはサクよりも亜紀の方が共感してましたよね。
ま、だからその恋愛を成就させたい意味でこだわったんでしょう。

全然スレと関係無いですが、あと一ヶ月で一年経つんですね。
去年の今頃はもう撮影に入ってたと思うけど、何話あたりを撮ってたんだろう。
そう考えると感慨深いです。
私は世間のセカチューブーム(勿論原作&映画)に辟易していた頃だったな、きっと。
ドラマ版のことなんて全く眼中に無かった。
...2005/06/03(Fri) 00:16 ID:VM2qRFcQ    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 祖父から「墳墓窃盗罪」の相談を持ちかけられた段階以降の流れを見ると,原作もドラマも亜紀の方が祖父の「思い」にむしろ共感を示し,サクの方が一歩退いている感じです。
 ドラマでは明示的に「おばあちゃんに悪い」というセリフが登場しますが,身内である分,祖父以外の人のことも同時に考えてしまい,そのまま祖父「だけ」の世界に入っていけないのでしょう。そういう意味で,映画が重ジイを血縁関係のない人物として描いたのは,年齢の矛盾の問題〜別稿参照〜もあったのでしょうが,2人を同じ位置関係において「果たされなかった恋」を語らせるという点で効果的でしたね。
 それにしても,原作では,亜紀は,その時点ではまさか自分がそうなるとは夢想だにしていなかったでしょうが,墓の中は暗くてじめじめして嫌だから自分もどこかに撒いて欲しいと言っています。このセリフは散骨だけでなく,病室から脱け出すことの伏線にもなっているような感じがしませんか。
...2005/06/07(Tue) 12:33 ID:Hb7rr06U    

             Re:第2話と第7話の亜紀の矛盾  Name:にわかマニア
 別スレでの「この、暗喩・象徴に満ちた名作にあっては、何気ないシーンに見えても、ストーリーの本筋や登場人物の性格付け、メッセージ性等と関係のない話を入れるとは考えにくい」という「一介のファン」さんのご意見で気になった点が出てきました。それは,第7話の防波堤のシーンです。
 一時外泊の許可が出た亜紀は,告白した思い出の場所である防波堤をサクと訪ねます。そこで,急に思い出したように「まだ好きって言われていない」発言が登場します。思わず引いてしまうサクとのコミカルな仕草は名場面といえば名場面なのですが,「どうしてここで,どういう脈絡で」という意味では,ちょっと唐突な感じもします。
 しかも,第2話ラストのアジサイの丘のシーンでは,「嫌いにならないで」と言っているのですね。第1話のクライマックスで「好き」と言ったのは,自分から相手への意思表示であり,言わば「一方的」なものでありえたのに,ここでのセリフは,相手との「相互関係」なしには成立しえないセリフです。少なくとも,相手が自分のことを「嫌いではない」か「それ以上」の状態であることを前提としなければ,「嫌いにならないで」というセリフはコトバとして成立しません。とすると,最初のテープ交換の時に「廣瀬がいなくなるのが一番切ない」と言ったことか,最初にアジサイの丘を訪ねた時に「(花よりも)亜紀の方が(きれいだ)」と言ったこと,ひょっとすると,職員室に呼ばれた場面で「他の人と親しそうにするのが我慢できない」と言ったこと,あるいはファーストネームで呼ばれたことそのものを「好き」というメッセージとして受け取っていたのではないでしょうか。
 そのことと「好きって言われていない」というセリフとの関係を皆さんはどう考えますか。
...2005/06/14(Tue) 04:59 ID:dOO9SsRc    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 ドラマ第5話で,亜紀は病院から再検査の呼び出しを受けます。その時,母親あてにかかってきたこの電話に出て,母親は外出中であると伝えた亜紀は,亜紀本人かと聞かれて,とっさに「姉です」とウソをつきます。
 亜紀にしてみれば,そんなに深刻に考えずに登校前に病院に寄った(制服姿でカバン持参でした)ところ,血液検査と言われ(この時,表情が変わっています),追い討ちをかけるように病院から電話ですから,何か悪い結果が出たのかと不安になったのだろうと推測がつきます。
 しかし,どうして,そのウソがそのままスーッと通ってしまったのでしょうか。保険証の扶養家族の欄には綾子と亜紀の名前しかありませんでしたし,カルテにも保険証にも,亜紀の続柄は長女と明記してあったにもかかわらず!
 ひょっとして,医師もとっさのウソに気付いた上で,「心配を打ち消すための検査」という言い方をしたのでしょうか。まさか,母が取っていたら,この時点で「白血球の数値が異常に高いので,難病の可能性があります」と伝えていたのでしょうか。
...2005/06/20(Mon) 15:56 ID:F6vw4xCw    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:たこ焼兄さん
にわかマニア様

私もこの第5話のシーンは疑問に思いました。
恐らくは佐藤医師は声や話し振りから亜紀本人だと分かり、「姉」という嘘に合わせて話をしたのではないかとも思いましたが、もしそうであれば改めて掛け直したのではないでしょうか。ところが当日になっても電話は掛けず看護師と、

「廣瀬さんから連絡は?」
「これまずいですよね」(DVD)

と話しています。或いはたまたま遊びに来ていた従姉と思ったのか?それにしても難病の恐れの有る患者(の親)からそれっきり連絡が来ないのを放置していたというのも不自然な気がしますね。

それで私なりの解釈としては、佐藤医師は電話に出たのが亜紀本人である事を踏まえた上で、敢えて客観的な立場として再検査の事を伝え、亜紀本人の大人の判断に委ねたという事では・・・それだと荷が重過ぎるでしょうか?
...2005/06/21(Tue) 00:23 ID:hN9khwH6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 たこ焼兄さん様
 同じ疑問を持っていらっしゃったのですね。
 その後,あれこれ考えてみたのですが,再検査は3日後とか1週間後とかではなく,明日ですから,改めて確認の電話を入れるまでもないと思ったのかもしれませんね。診察室での「廣瀬さんから(何か)連絡は(あったか)」というやりとりは,再検査の話が届いているかというよりも,「今日はキャンセル」という連絡は入っていないかという意味かもしれません。そして,じゃあ改めて連絡を取ってみるかと思う間もなく倒れて担ぎ込まれたという展開なのではないでしょうか。
 あと,再度電話をしなかった理由としては,もう一度かけても,在宅か外出中か判らない親よりも,部屋で寝ている(確実に家にいる)本人が取る可能性が高く,そうなると,やっぱり深刻な病気なのだという不安を増幅させかねないと判断したのかもしれません。一つだけハッキリしているのは,次の手を考える暇もなく緊急入院まで事態が一気に進んだということですが,後の展開を考えると,もっと持ち時間をあげたかったような気がしませんか。
 
...2005/06/21(Tue) 08:43 ID:PLXvulxU    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:たこ焼兄さん
確かにこの時の亜紀は翌日の夢島キャンプに向けて(親には反対されましたが)服を並べて楽しそうに準備してる所への突然の電話で、一気に不安な気持ちにさせられてしまった訳ですね。せめてもう1日後だったら再検査のことは知らずに純粋に楽しめたのでしょう。それ以前に綾子が電話を取っていたらキャンプは当然幻に終わっていたのでしょうが・・・

そもそもこのキャンプはボウズの都合で日程が決まり、結果的に彼(と智世)は参加出来なくなってしまい、亜紀自身も皆で大騒ぎしたいという願望も有った訳ですから、延期という選択も有ったと思いますが、予定通り再検査を受けてその結果入院ということになればそれはそれで後悔が残ったのかもしれませんね。

或いは別スレで「亜紀が夢島で言いかけたこと」について書かれていましたが、あの時タイムポストの前で亜紀が倒れかけ、朔も「亜紀この頃そういうの多くない?」と聞いていて、亜紀の体に何か異変が有ることは感じていた訳ですから、龍之介がまだ残っていたあの段階で連れて帰るという選択も出来たかもしれません。

それでも敢えて(ちょっと言い方に語弊が有りますが)強行したというのは朔との時間を共有したいというのは勿論のこと、きっと第10話で「生きたいように生きてきた」亜紀の「生き様」にも繋がっているように思えます。ひょっとしたら最後の選択であるウルル行きにも・・・
...2005/06/22(Wed) 00:22 ID:d.hdnLE2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 「心に残る台詞」のスレで,そのセリフや背景の解釈に議論が発展してしまいました。

【「うてきなぷりぱ」さんの書き込み(要約)】
 葉書の件で亜紀に問い詰められたときに、「松本君が好きな人がなったらどうする」の問いに対して、「廣瀬は俺の母親でも妹でもない」と言って、あえて恋人とは言わなかったですよね。なぜ好きな人(恋人)は入らなかったのでしょうか。朔太郎に無意識のうちに、亜紀に対する恋愛感情があったのではないかと思います。だから、亜紀は。それまでかなり激情してましたが、わりと冷静に「そうだよね」とそそくさと立ち去っていきましたよね。この会話の中にも、なんとも意味ありげな気がするのですが。

【「say」さんの書き込み(要約)】
 無意識のうちに「好きな人」を亜紀に重ねる表現を使わなかったという事はないと思いますよ。「好きな人=恋人」とは限りませんし「好きな人ではないだろ」なんて亜紀に問いかけるのは言葉自体変です。
 亜紀の「そうだよね」は冷静ではないですよね。口惜しいと言うべきか激しく遺憾に思っていると言うべきか、恋人になりきれていない故に踏み込めない悔しさとそれ以上ぶつけようのない感情との間でせいぜい言えたのが「そうだよね」でしたから。

  〜引用ここまで〜

 亜紀を病気に見立てたハガキのことでサクを叱責する際,母親や妹が病気になったらどうすると聞き,重ねて「好きな人がなったら」と畳み掛けています。
 普通,「母や妹」を表現するのに「好き・嫌い」という座標軸では表現しないでしょうから,この部分は後段の「好きな人」の例示と解釈するのは無理があります。つまり,ここでは,家族と並列して「好きな人」を取り上げていることになります。その場合,亜紀は,「家族が病気になったら」ということと「好きな人が病気になったら」ということのどちらに重きを置いていたのでしょうか。読み方によっては,「好きな人」=「亜紀」というところまで念頭に置いた上で,「本当に私が病気になったら」という意味も込められていたような感じもしています。
 また,「両親」とか「家族」というならスーッと流れていくのですが,ここで「妹が」と言っているのですね。つまり,サクに妹がいることを既にこの時点で知っていたことになるのですね。
 このあたり,2人がお互いを意識するようになったのはどのあたりからか,学年主任の葬儀のシーンの位置づけは,「すべての始まり」なのか,すでに薪が積み上げられていたところにマッチを擦ったようなものなのかという問題に対するヒントになっているようですね。
...2005/06/29(Wed) 10:21 ID:Q4gu5Vcw    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:しお
最終話で、亜紀と智世の部活での最初の話するきっかけの「タオル貸して」が出てきます。これは、1年生の最初のころのことでしょう。これ以降2人は友達になります。ドラマでは2年生の7月には親友になっていました。亜紀は、1年生のころから、智代が介ちゃんのコロッケパンを毎日買っていることや、介ちゃん、坊主、朔の3バカが、智代とおさなじみだということは、智世からきいて知っていたと思います。(亜紀は小学校から一緒だと勘違いしていましたから、智代の口から聞いた3人の話は小学校の思い出が最も古い話なのでしょう)。
 智世が介ちゃんのことを話したいと思ったときに、話す相手は亜紀だったと想像されます。その話の中に、松本写真館と写真館の名物おじいさんのことや、「松本君」の妹の話も出てきていたとは考えられないでしょうか。

こう考えると、亜紀が朔のことをいろいろあらかじめ調べていたかどうかは、「妹がなったら?」のセリフだけからは判断できないのではないかと思います。
...2005/06/29(Wed) 21:12 ID:sb8Mch/M    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 もちろん,「妹がなったら?」のセリフは,あくまでも「状況証拠」の一つであり,「決定的な物証」という訳ではありません。話は飛びますが,第2話では,カップルで下校する級友たちを前に「いつも女同士で」とこぼす智世に対して,亜紀は「大木君に言えば(告白すれば)」と言っています。
 この2つのシーンを一対のものとして考えるならば,以前から,亜紀と智世はいろいろなことを話していたということがうかがえます。後追いながら,それを決定づけるのが,最終回の「タオル貸して」のエピソードでしょう。
 そうなると,当然,幼馴染4人組のことも話題に登っていたものと考えられますが,それが亜紀の耳をそのまま素通りするのではなく,サクには妹がいるということが記憶の片隅に残っていたということは,どこか気になる存在だったのかもしれませんね。また,そうでなければ,フナムシや手をはさむガム等の悪戯アイテムがあれほどタイムリーに出てくるなんて,どうも手回しがよすぎるような感じがしませんか。
...2005/07/01(Fri) 22:33 ID:NO7Hbb.2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:しお
 大事に思っているキーホルダーは常に宝物として持ち歩いていた可能性がありますが、フナムシや手をはさむガムを優等生の(と思われている)亜紀が普段から持ち歩いていたのかというのが鍵のような気がします。
 特にこの日は日曜日ですから、かばんは持ってなくて、亜紀は部活用のバックしか持っていません。この日の部活用バックは堤防のシーンを見るとぺちゃんこですから、中身はほとんど入ってませんでした。
 普段から部活用のバックにはおもちゃが入っていたのでしょうか。部活の仲間とはこういうおもちゃで驚かしあっていたのでしょうか。
 しかし、部活用のバックには普段からいろんなものを入れっぱなしにしていたのでしょうか。出かける前に必要なものだけ入れるということはしないのでしょうか。男の子のサクならともかく、ずっと中にガラクタを入れっぱなしで、というのは亜紀らしくない気がします。
 しかし、もし、この日、バックに普段は入れてないおもちゃを入れたと仮定しても、それはなぜなのか、理由が見当たりません。出かける前には朔に傘をさしかけられることは予期できないので、朔を驚かせたいと思っておもちゃを持っていくということではないと思います。

 そこで、私の考えた答えは、
 やはり、亜紀は、優等生のように見られているが、実は普段からびっくりおもちゃを持ち歩くような、しかも、それはごく少数の人にしか見せない、そういう性格だということなのではないでしょうか。

 朔に妹がいるのを覚えていたというのは、確かにまったく気になっていない関係ではないことの証拠にはなると思います。ただ、それが特別な人としての証拠になるかというと、そうでない可能性も多分にあると思います。
 朔たちは智世の親友である亜紀と3ヶ月も同じクラスにいるわけですから、当然、智世といろいろな話をするときには、そこに亜紀もいるわけです。そういう関係であるから、ボウズは亜紀の事を好きになったのでしょう。(介ちゃんも、亜紀の事を運動場の100mほど離れている場所から見つけるほど、知っていましたし、それを見る朔たちを見て、「2人とも廣瀬狙いなわけ?」と聞いています。)
 亜紀の側も、智世の幼馴染の、朔とボウズとは、智世がいる前で話をしたことも何度もあっただろうし、まだクラスが一緒になって3ヶ月ですから、好きという感情にいたっていなくても、その前の段階でも、家族構成などには興味があったと思います。その段階で嫌いではない相手であったのだろうと思います。
...2005/07/02(Sat) 03:33 ID:fl1R53fc    

             自分の誕生日が恋人の命日とは・・・  Name:にわかマニア
 7月2日という放映開始1周年のこの日,ロケ地巡りをされた方もいらっしゃいました。その時,原作のイメージが強かったのか,「今日が誕生日? 12月だとばかり思っていた」と驚きの声を上げていた方もおられたことは別スレにも書いたとおりです。

 では,何故,ドラマは亜紀の誕生日を告白の日に持ってきたのでしょうか。私は,亜紀の誕生日を原作の12月から告白の日に繰り上げたのは,17年間にもわたるその後のサクの魂の彷徨との関連だと考えています。
 原作にしてもドラマにしても,そのセリフを「クサい」と感じるかはともかく,「亜紀のいる世界に生まれてきた」とか「サクが生まれるのを待っていた」というのは,亜紀の方が先に生まれてこないことには成り立たないセリフです。したがって,2人の誕生日の前後関係は動かすことができません。
 ウルル行きの決行を亜紀の誕生日とし,空港へ向かう車中で誕生祝をすることで,このセリフを引き出しているのが原作です。これに対して,ドラマでは,ウルル行きの決行日はサクの誕生日になっています。

 これは,告白の日に亜紀の誕生日を使ってしまったため,こちらをサクの誕生日にしたということなのでしょうか。それだけだとすると,亜紀の誕生日から先に確定したにしては,これを告白の日に持ってくるだけの必然性が弱くないでしょうか。プレゼントにするための景品目当てに応募ハガキの代筆をボウズがサクに頼み込む一幕があるにせよ,陸上大会とか終業式とか,誕生日でなくてもそれなりに告白の動機付けは工夫できたのではないでしょうか。
 私は,むしろ,ウルル行きの決行をサクの誕生日とするという設定の方が先にあって,これより前の落ち着きやすい日として,亜紀の誕生日を告白の日に持ってきたのではないかと考えています。それは,若干の時間差はあるものの,サクの誕生日を事実上の亜紀の命日とするためだったのではないでしょうか。
 つまり,自分の誕生日が自分の大切な人を喪った日であり,しかも,そこに自分も深く関与していたとすることで,その後,長年にわたり「十字架」を背負い続ける動機を強調しているのではないかと考えたのですが,皆さんは,いかがでしょうか。
...2005/07/24(Sun) 14:41 ID:/hakvl5E    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:しお
 たしかに、朔の誕生日の次の日が亜紀の命日というのは、17年も引きずる理由として大きいですね。
 亜紀の1周忌は朔が高校3年生の10月ですから、まだ宮浦にいるときですね。朔はこのとき、表面上は普通に戻っていたのに、亜紀の家で1周忌には出なかったんですね(真の17年後の「顔を見せないやつにわざわざもって行くのもどうかと思ってね」といっています)。朔は、このとき、どんな心境だったのでしょうか。
 このときに、介ちゃん・智世・ボウズは1周忌に亜紀の家に行ったと思います。
 朔の両親は、このとき、朔の心の中で何も解決していないことを気がついたのかもしれませんね。

 亜紀の誕生日を放送開始の日に持ってきた理由ですが、これはドラマの手法ではよくあることではないでしょうか。最近始まった電車男もドラマ初回が電車君の誕生日で自殺をしようとするシーンから始まりましたね。
...2005/07/25(Mon) 04:23 ID:ruitPlQw    

             根拠探し2題  Name:にわかマニア
 いつも,どんな議題でも,二言目にはすぐ「根拠は?」って口走ってしまう「ミスター・根拠」です(^^ゞ
 今日は,どうしてそういう設定になったのか,うまい答が見つからない問題(映画・ドラマそれぞれ1つずつ)について,皆さんのお知恵を拝借したいと思います。

【映画の亜紀が葬儀で生徒代表に選ばれた理由】
 暗い冬空の下で雲の間から陽が刺すか,急な雨に襲われる梅雨時かはともかく,亜紀が弔辞を読み通さないことには,この物語が成り立たないことは確かです。では,何故,亜紀だったのでしょうか(物語の進行の都合上というのはもちろんですが)。
 原作は,亡くなったのが亜紀が学級委員をしているクラスの担任でしたから,自然な人選と言えます。ドラマでも亜紀は学級委員でしたが,亡くなったのは直接の担任ではなく学年主任でした。これについては,別スレですが,亜紀は生徒会の副会長だったのではないか(「うてきなぷりぱ」さん)とか,教員の役割分担の中で谷田部が司会を引き受けたため,弔辞も谷田部のクラスから出すこととなったのではないか(「しお」さん)といった説得力のある解釈が示されています。
 ところが,これに対して,映画では,亜紀は学級委員ではないのですね。ですから,原作がそうだとか,主役だからという先入観を取り除いて観た場合,亜紀が生徒代表に選ばれる合理的な理由に乏しいのですね。
 もちろん,孤高のヒロイン像を強調した映画での描かれ方からすると,亜紀は抜きん出た存在ではあっても,学級委員とか生徒会長といったそれなりに大衆基盤を持つ存在ではない方がピッタリ来る感じはするのですが,その分,なぜ弔辞の役目が亜紀に回ってきたかの理由付けが苦しくなっているのですね。
 まさか,ジュリエット役の決め方のように,投票で決めたのでしょうか。

【ドラマのサクが臨床ではなく病理に進んだ理由】
 亜紀を亡くしたサクは,医師を志します。亜紀に結局何もしてやれなかったというのが動機ですが,実際に進んだのは,亜紀を奪った病気に最前線で立ち向かう血液内科ではありませんでした。
 なぜ,臨床ではなく病理を選んだのでしょうか。
 別スレで,続編のメイン・ライターの朔五郎さんが正岡徹博士の著書を引用しつつ,現代医学の基礎には「決意と失意の連続した夜明け前」の「刀折れ、矢尽きた数多くの尊い敗北」の繰り返しがあったと述べておられます。
 夜が完全に明け切っていない状況では,個別の患者に個々具体的に対応する臨床よりも,医療水準総体の底上げを図ることが自らの使命だと感じたのでしょうか。ただ,それにしては,拒否反応等の研究に打ち込むというならまだしも,骨髄バンク設立前後という年代設定との関係がスッキリしないのですね。
 あるいは,進路の志望を聞いた担任が「人を助ける仕事であると同時に,看取る場でもある」と言っていますが,亜紀を亡くしたトラウマを抱えた状態で,人を看取る臨床の最前線に立つことに「躊躇」なり「恐れ」を感じていたのでしょうか。遺灰の入った瓶を持ち歩いて亜紀が死んだことを絶えず確かめていたことと顕微鏡の中の癌細胞を見ることを関連付けておられた別スレの朔五郎さんのご意見もなかなか魅力的です。
...2005/07/31(Sun) 01:26 ID:bZtqmoD2    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:にわかマニア
 心中行とも言えるような重病人を伴っての病院からの脱出行をあえて決行するような間柄でありながら,実は,その相手の名前を最後まで勘違いしていたというおよそありえない設定から,この物語のテーマとして「自分探し」ということもあるのではないかというのが,スレ起こしにあたっての問題提起でした。
 映画では,さすがに「名前の種明かし」を最後まで引っ張るのは不自然だし,学校探検のシーンで名前の落書きを見た時に初めて知ったという訳にはいかないという判断もあってか,「名前の種明かし」そのものは夢島のシーンに持ち込まれました。その際,この夢島のシーンと,冒頭(時系列的には17年後)に,サクは自らの名前の由来となった作家の名前だけは知っているが,その代表作すら知らないというシーンを入れることにより,このテーマを強調した形となっています。

 これに対して,唯一,名前の勘違いが登場しないのがドラマなのですね。むしろ,亜紀が悲観して入水しようとした場面で,サクの口から亜紀の名前の由来が語られ,「そういう亜紀を信じる」という流れになっています。名前談議のこういう転用の仕方もあったかと感心した反面,原作や映画が語ろうとしたテーマはどう処理するのかという点が気になっていました。
 もちろん,不自然さをなるべく排して,丁寧に描いていけばいくほど,名前の勘違いという「漫才」的な要素は入り込む余地がなくなってきます。とはいえ,あれだけ緻密に構成されたドラマが,このテーマを全くカットしたとも考えられません。

 そこで思い浮かんだのが,人物像が一人称小説の視点人物から見た姿としてしか伝わってこない原作と違って,登場人物がそれぞれ個性を持って描かれているドラマでは,その描かれ方にヒントがあるのではないかということなのです。
 亜紀は,父親からの重圧もあって,「無理をして自分ではない自分を演じ続ける存在」として描かれています。これは,名前の持つ呪術(原作を評した謎解き本の記述)以上に,親から込められた期待の重さを「命名」という17年前の「一過性の行為」以上に,「具体的」に「反復・継続」して表現しているとはいえないでしょうか。
 どうも,父親の厳しさと「無理をして頑張る」ヒロインの姿というのは,単なる思春期の親子関係一般に解消される問題というよりは,「恐竜のように栄えるように」ということを原作や映画とは違った形で表現したものという気がしてならないのですが,皆さんはいかがですか。

 原作だけでなく,映画やテレビドラマも含めて,あちこち寄り道してきたこのスレも,間もなく満杯になりますので,スレ主さんの「しめ」に期待しつつ,再びスレ主さんの提起された問題に戻りました。

 (補論)
 本稿投稿後,亜紀の命名と原作・映画&ドラマの関係で,ちょっと気付いたことがありますので,補足します。

 原作だと,サクや亜紀はオイルショック後の1975年生まれですが,ドラマや映画では「人類の進歩と調和」をテーマに大阪万博が開かれた1970年かその前年の生まれということになります。
 その1970年頃,鈴木健二アナの司会で「70年代われらの世界」という番組があって,「公害原論」の宇井純さんたちをゲストに迎えて,よく地球環境の問題を取り上げていました。確かテーマ曲の歌詞も「青い地球は誰のもの」というものでした。
 そこで,登場人物の名前との関係なのですが,確かに,朔太郎や龍之介など文豪の名前から命名するというのも珍しいですが,白亜紀から「亜紀」と命名したというのもちょっと「コジツケ」っぽい設定です。
 でも,資源が有限であることや,高度成長から低成長への転換を誰もが意識せざるをえなくなった頃(原作)と,「高度成長」に浮かれつつも,いろいろ矛盾が表面化してきて,問題提起がなされた頃(映画・ドラマ)とを比較すると,後者の方が「亜紀」という命名がピッタリくるような感じがしませんか。
...2005/08/03(Wed) 04:06 ID:w3LaUyE6    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:不二子
あと少しで満杯になろうとしているこの大事な時に、私のことで1レス消費してしまうことをお許し下さい。ずっとずっと、書こうと思っていたことが一つだけあって、大袈裟なのですが、今書かないと機を逸すると思い、書かせて頂いております。

騰徳様、8月の蛍様、hiro様。
きっと、お忘れになっていらっしゃるとは思うのですが、私は過去に一度だけこのスレッドに書かせて頂いたことがあって、随分前の事になります。その節は、わたくしの拙い、・・・本当に拙い書き込みに対して暖かいコメントを頂きましてありがとうございました。
それが、ずっとずっとず〜っと気になっていて、いつかお礼を言わなければと思っていた次第です。

一日に何十件も書き込みがあるこのBBSのことですので、「それくらいのことで」と思われたとしても不思議ではないのですが、私にとっては大変大きな機会でありましたので、本来ならばお返事を書くところだったのですが、下手にうろついて余計なことを書いてはいけないと当時思っておりましたので、(そんなこと言って、今はいっぱい書いてるんですけど・・)、ご無礼した次第です。大変失礼いたしました。

私がこちらのBBSを拝見したのは昨年11月のことでした。多くのスレッドで、皆様が熟考を重ねておられるのを読んでは、本作品の深さを改めて考える機会になりました。中でもこのスレッドは、超上級者コースとも言うべき書き込み内容の深さで、私には読ませて頂いているだけで、『世界の中心で、愛をさけぶ』にとどまらず、世の中のことに対して「掘り下げる」ということの興味深さを教えて頂いたようにも思います。

スレ主でいらっしゃる騰徳様ほか、こちらの常連の皆様、そしてにわかマニア様には、感謝を申し上げるばかりです。


これだけじゃあんまりなので、スレッド内容に沿ったことを一つだけ。
先日より、にわかマニア様が上げておられる「名前」の件で、私が思っていることを書かせて頂きます。とても謎解きのレベルまでは達していないのですが、これは私が映像を観て直接感じたことです。

映画の夢島のシーンは大変印象的でした。中でも亜紀が自分の名前の由来を明かすシーンは、長澤さんの亜紀が素晴らしいと感じたシーンの一つでもあります。
あのシーンは光の加減もあってか、非常に幻想的なシーンでした。亜紀は自分の名前を指文字で書いて見せて、サクに柔らかく微笑む。確か白い服を着ていたと思います。月の明かりが室内まで差込み、その影がまるでジャングルの奥地に足を踏み入れたようにも見えました。明らかに別世界でした。そこに、白い服を着てたたずむ亜紀は、すぐそこにいるのにまるで手の届かない様な存在に見えたのです。
そしてこれは、後から思ったことなのですが、そもそも亜紀が、サクの手の中にあったことはあっただろうか?亜紀を捕まえたように見えて、サクの腕の中からはスルリと居なくなってしまうような実体の無さを、映画の亜紀には感じていました。
「恐竜」。確かに過去には地球上に存在した生き物。しかし、本物を見たものは誰も居ない。繁栄の時代を極めたと言われながら、鮮やかなまでの散り様。その時私は、白い服を着てたたずむ亜紀が、まるで太古からの精霊の様にも見えたのです。
「掴めそうで掴めない存在=亜紀」。

対して、ドラマの綾瀬さんは確実にサクに近い存在だったと思います。それは映画とドラマの時間的な差で、描く内容にも大きな違いあったことと無関係ではないと思います。私がドラマと映画をはっきり分けて考えられるのは、サクと亜紀の関係性について、同じ作品とは思っていないからかもしれません。同じ原作を扱っていながら、また、ドラマは映画を踏襲しながら緻密に創られていると思いますが、私には別の作品、という印象の方が強く残りました。その理由が、「サクと亜紀」なのだろうと思っています。自分のことなのに、理由がよく分かりません。何故だかよく分かりませんが、空気が最初から違っていた様に感じたのです。

それで私の中では、映画の亜紀が幻の女という位置づけなのに対して、ドラマの亜紀はどこまでも「人間=廣瀬亜紀」という印象を持っています。それはサクに対して「本当の私はこうではない」と明かし、恐れながらも「本物の自分」を見て欲しいという気持ちを「亜紀自身が持っていた」ことで、サクも虚像ではない亜紀の真の姿に近づこうとしたことに由来すると思っています。ドラマが「本当のアキを知らない、サク」という描写を取り入れなかったのは、サクが最初の時点でそれを気付いていたことが大きな理由と思っているのです。
にわかマニア様が「亜紀」についてお考えになっている「無理をして頑張るヒロイン像」は、サクと出逢ったことで「無理をしなくてもいい」に変化しつつあることからも、確かに「自分ではない自分」からの解放という大きな意味も感じます。

と・・・、ここまで書いてはみたものの、取り止めのないことになり、申し訳ありません。
ちょっとだけ書いてみようと思ったら、こんなになってしまいました。
長文失礼致しました。

(ところで、このスレッドは続くのですよね?)
...2005/08/04(Thu) 11:59 ID:fkp2F60g    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:say
映画は映像自体少し幻想的というか、映画館で見ていたらまた違ったのかもしれませんが、少なくともDVDはどなたかが書いていた画質的な要素も絡むと思うのですが解像度が低くて今ひとつ鮮明じゃない映像が遠い世界と言うべきか異なる世界であるかのような印象に拍車を掛けているように思います。

ところで先日からどなたかが書き込みをし、それを消してという事が繰り返されているこのスレッドで、残りが少なくなっていることで書き込むことを恐縮に感じてしまっている人がおられるようである事を考えると、296以降のにわかマニアさんの質問等はこのスレッドを引き継いだ新しいスレッドへと移したほうが良いように思います。

騰徳さん、締めの言葉と新スレッドの作成を宜しくお願いします。
...2005/08/04(Thu) 18:53 ID:yYBi4kIk    

             Re: 謎解き世界の中心で愛をさけぶ  Name:騰コ
げっっっ!知らない間にスレが進んでいる???ここ2,3日ADSLのモデムが壊れて接続できませんでした。。。少しづつ書き溜めていましたので、少し文脈に違和感があるかもしれませんが、宜しくお願いします。(まあ、文脈のつながりの悪さは、昔からそうですが・・・(^^;) )

にわかマニア様の期待に少しだけ応えられるかな?・・・似非セカチューファンの騰コです。

まず、このスレがこんなにも伸びるとは思いもしませんでした。このスレを愛し、書きこんでくださったみなさまに感謝致します。現在、このスレに書きこもうとすると、書きこみをできる表示にするのに、かなりな時間がかかります。(自分のPCが古いせいもあるかもしれませんが・・・(^^;))

さて、名前の問題が再び提起されていましたので、今再びそれを読んでの自分の感想を書いてみたいと思います。原作においては亜紀を秋?などに勘違いしていたエピソード?をいれていたのはその後に書かれていた、何もかもが遅すぎた、手遅れだった(サクの思い)という部分を強調するためのような気がしました。

にわかマニア様が言われているように、普通ではありえない事ですが、原作や映画ではスピード感があるため、比較的こんな部分をさっとスルーしてしまった人も多かったのではないでしょうか?

ドラマにおいては時間が長く現実味がないこのエピソードも、原作や映画ではそのファンタジー性であまり違和感なく受け入れられる人も多かったと思います。

さてこのスレもイヨイヨ大団円を迎えようとしています。途中書きこみが無くなった私ではありますが、少し感無量な気持ちがします。ここでは最後まで色々な方が書きこみをされていたのですが、もっとも愛してくださったにわかマニア様に深く感謝致します。

また最後になりまして、来ていただいた不二子 様、最後を締めくくるように促してくださったsay様にも感謝の言葉を述べたいと思います。

これでこのスレは最後となりますが、力の無い私がなんら感動的でない言葉で締めくくり、みなさまには申し訳無く思っていますが、最初のスレ立て人を尊重してくださり、本当にありがとうございました。

ではsay様のご希望もございましたので、次スレも私めが、立てさせていただきます。多くのみなさま、本当にありがとうございました。




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 ⌒     ;                         ''"´      ;   ⌒
 ⌒      ヽ      '''''''    \______/        ,:' .  ⌒
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...2005/08/12(Fri) 04:03 ID:HvBvECiM    

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