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過去ログNo1
「原作派」から「テレビ派」に鞍替えです  Name:にわかマニア
 第9話を見て,落とした遺灰がどうなるのかという不安や,そういう設定に釈然としないものを感じつつも,原作派からテレビ派に転向してしまいました。

 以前ここの書き込みで,テレビの年代設定は,亜紀を失って以降のサクの魂の放浪期間を2人が共にこの世に生を受けていた期間と同じ17年と設定(第4話の恩師との会話で,あと何年と言わず,あと何回17年をと言っている)した上で,オンエアーされた2004年から逆算して1987年にしたと推察されると述べました。
その時には,この年代設定の持つ微妙な意味合いには気付かなかったのですが,第9話の「今サク」と小林アキの会話から,原作以上の鋭い問題提起を感じました。

 この作品はサクと亜紀の純愛物語であると同時に,その後のサクの魂の彷徨と救済がもう一つのテーマになっていますが,第9話冒頭での「単なる死別にしては17年は長過ぎないか」という問いかけに対し,回想シーンを通じて,「空を見たい」という気持ちに亜紀をさせたこと,それを果たそうとして亜紀の命を縮めてしまったことへの自責の念が語られます。そして,その思いは,現在へと切り替わった直後の「安静にしていればもう数年永らえて骨髄移植に間に合ったかもしれなかった」という述懐につながっていきます。
 ドラマの設定の87年と骨髄バンク設立の91年とは,わずか4年の時間差です。この時間差がもっと長ければ,あたかも明治生まれの人が「抗生物質もなかった頃は」と振り返るように,年表上の出来事として客観視できるかもしれません。でも「あと少しで助かったかもしれない」という設定なのです。このことが,その後のサクにとってトラウマとなったと見るのは,読み込み過ぎでしょうか。

 一方,原作は骨髄バンク設立後の1992年という年代設定なのに,たった一行「薬が効かなければ骨髄移植か」とさらっと書かれているだけです。あれほど恋人のために東奔西走する姿を描いていながら,ドナー探しに駆け回った形跡が見られないのです。さすがに,マンガ版では,ドナー候補は現れたが適合しなかったという設定にしてありますが,釈然としない感は否めません。

 そんな訳で,ドラマの脚本が,いかに緻密に構成されているか,改めて感慨を深くしました。
...2004/09/01(Wed) 21:00 ID:ruN0ut2U    

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