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過去ログNo1
セカチューについて無駄に議論したい  Name:議論厨
ここのみなさん、というか、僕のであった人たちのほとんどは、この作品を見て・読んで、
「好きな人を失うのは辛い」とかそういう喪失感を感じ、感動しているように見受けられます。
でも、そんな陳腐なテーマを持ってやっていたんでしょうか?片山センセは。
僕は違うと思います。というか違かった。
愛する人を失うのは辛いですよ、そんなの当たり前ですよ。
誰だって悲しみに暮れます。
悲しまない人がいたら、その人はたぶん病気だ。
そんな当たり前のことを作品化して、
「どう?感動するでしょ??」って言われてもなんだかニャーです。
愛する人の死なんて喪失感の王道みたいなものを振りかざされたって、
ありふれすぎて陳腐ですよ。
じゃあサクは何を喪失したの?っていうと、何も喪失してない。
アキという物質的な存在と、アキとの未来は喪失したかもしれないけど、精神的には喪失してない。
月並みな言葉で言えば、「心の中にアキは生きている」
僕が原作を読んでへこんだのは、「心の中にアキは生きている」のに、
それでもまた誰かを好きになってしまったから。
アキは過去の存在になって吹っ切れたのか、
その人とアキは別次元の存在だからなのか、それは知らないですが、
別の誰かを好きになった。
それが僕にはたまらなくしんどかったのです。
淡々と書かれる過去の情景が、まるでセピア色に色褪せてしまった過去を連想させるのでしんどかった。

解釈は人それぞれといってしまえばそれまでですが。
みなさんはどうなんでしょうか。
柴咲コウさんは「こんな恋愛をしてみたい」とおっしゃったようですが、僕は嫌です。
好きな人を思いながら他の人と生きていくなんて、
なんだかしんどいです。

追記:
片山センセーはそういう物語を書くのが好きみたいですね。
作品名・あらすじも忘れましたが、
ある作品の中で登場人物がこう言っていました。
「俺はあの2週間のために生まれた」
好きな人と過ごした他愛の無い、それでいて最高の2週間を胸に、彼はその後を生きているんです。
他の誰かと結婚して。子供もいて。
それがセンセーの伝えたい、ちょっと歪んだ「純愛」なのかなって僕は思うのです。
...2004/09/01(Wed) 20:52 ID:GCtvCbm2    

             Re: セカチューについて無駄に議論し...  Name:nozzo
今、仕事の息抜きでBBS見に来て拝読しました。
とっても長くて、そして大人な内容でしたよ。悲しまないなら病気、そうかもしれない。

「青空」という矢沢永吉の歌があります。
「無くしたのは愛じゃなくて 
あの夏空の永遠(トワ)の青ささ
さよならよりも もっと悲しいのは
 いつか他の人を愛せることさ」
と、出会い・別れの中で段々と青さ(=純粋さ?) がなくなりつつも、まぁそれなりにやってるもんだな、と切なさをこめて歌っています。確かに、と思います。

僕ら結局そうやって生きているのでないでしょうか。今更純愛できるかと問えば、その発言自体、もう純愛ではない気がしますしね。

ただ、無駄と言われると、もったいないかなと。
硬い話、国が裕福になって文化が発展してきたように、僕らもカツカツならば生きるための単純なことしかできないけど、余裕ができたら本を読んだりオリンピック見て感動する時間ができるし。

死んで悲しい、当たり前は人としてその通りだけど、その先の自分はやはり文化であり、この議論もその文化の1粒と考えたとき、あっても良いじゃない。と思います。
だって、これは無駄、これは有益なんて分からないし、それに、人それぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいですしね。

かくいう私、セカチュウは小説も映画も勝手に嫌っていました。だから死ぬの分かっててなんなの?と強く思っていました。
でも、たまたま第1話見て、こんな純愛良いな、もし辛くなったら見るのやめようと見始めたらば、今やロケ地にまで足を運ぶ始末。自分が不思議です。
...2004/09/01(Wed) 22:05 ID:/qTbF5Cg    

             Re: うーん。  Name:Capri
議論厨 さんの コメントから、

ああ、議論厨さんは、そう感じたのだなあ、
ということが 伝わってきました。

 それもまた、つらいことですよね。

少し前に同じような切り口でコメントを書かれていた方がありました。

http://www.alived.com/cgi/yyai/yyplus.cgi?mode=new_html&no=1877

 いろんな感じ方や、解釈があっていいと思います。

それぞれに同じでなくても、どちらが正しくて、

どちらが間違っている、ということはないと思います。

 陳腐なことって、もしかしたら普遍的なことかもしれません。 愛する人の死は、確かにありふれた題材なのでしょうけれど、そこから自分のことに引きうつして ”私だったらどうする?” と考えることに無駄はないと思います。

 いろいろな考えかたがあってよくて、それを

 ”そうなんだなあ、と受け入れるのも ”愛”のひとつの形じゃないでしょうか? 声高にさけばなくてもいいけれど。
...2004/09/01(Wed) 22:39 ID:6NMYXKMA    

             Re: セカチューについて無駄に議論し...  Name:騰徳
面白い議論ですね。そうなってくると純粋とは何か?と言うことまで議論しなければならなくなるでしょうけど、議論厨 さんは議論すると言うよりも、そう感じる心の苦しみをどう解決したらいいのか?と言うことに関心があるようですね。

片山さんのセカチューでの最大のテーマは、愛する人を亡くしたときの心の苦しみや喪失感をどの様に克服していったらいいのか・・・と言うことだと思っています。最初の原題が「恋するソクラテス」(後世界の中心で愛をさけぶ)ですから、片山さんが描きたかった事は、その題名に現れていると思います。それは本の中でアキが亡くなった後(正確にはサクとアキも議論してますが)、重蔵との会話でやり取りされていますよね。でもサク自身はそのときにはとても茂蔵の言う事には納得できない。(それはサク自身がまだ人生の体験を積んでいないから・・・)

我々人間は、キビシイ現実に生きていかなければならないですから、思想とか哲学には現実性が大切ですよね。生きていく上で、空想的な思想や哲学を持っていても、何の役にも立たない。

サクは時間と言う人生の必然的な条件をすごして、ようやく茂蔵の言った事(片山さんの思想哲学)が納得できたんだと思うんですよ。だからアキの骨を撒く。この本の内容はそう言うものだと思っています。ただ色々な立場の人がいますから、多くの感じ方があって普通ですよね。あとはそれぞれの人が、それぞれ納得できればいいと思いますね。
...2004/09/01(Wed) 23:40 ID:HfF8JzBs    

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