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過去ログNo1
17年たって、やっと気づいたんですよ。このままではいけないって。  Name:しお
ドラマを見返していて気になったことがあります。4話の現在のシーンでサクの父が、明希に「だから、こんなことになっちゃうんです。」「17年たって、やっと気づいたんですよ。このままではいけないって。」「あいつはたぶん、広瀬亜紀さんの骨を撒きに帰ってきたんです」と話しています。
 3話の現在のシーンでも、お母さんが「あの子がずーと一人だったとおもっていて・・」と涙ぐんでいます。
 サクが17年も深く苦しんでいたことを、どうして両親は知っていたのでしょうか。最終回ではサクは介ちゃんに殴られた後で、表面上は、勉強に打ち込んで、普通の生活を取り戻すようにしています。心の中で閉ざしていることは周りには見せないまま、卒業式にも出ずに、誰にも話さずに、東京にいってしまったと思うのです。
...2005/05/10(Tue) 00:42 ID:Di9g3GAU    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:にわかマニア
 亜紀の両親と散骨のためウルルに行ったものの,結局,撒けずに帰ってきて,遺灰を瓶に入れて持ち歩くようになる経過は,最終回で明示的に描かれており,担任にもその瓶を見せています。とすると,持ち帰ったその瓶を親にも見せた可能性もありますし,見せないまでも,「撒けずに持ち帰った」ことを話していることも考えられます。
 ついでに言えば,恩師もそのことを知っていたから,グラウンドでの会話で「廣瀬にもグラウンドを見せてやりなさい」と語っており,仮にサクが遺灰の入った瓶の件を親には話していなかったとしても,何らかの形で担任との親が話す機会はあった筈ですから,情報として伝わっていることは考えられます。
 また,卒業式にも出ずに上京というのは,「進学」というよりは「家出」あるいは「傷心の放浪」というイメージに近いのではないでしょうか。そして,その後,実家に寄り付かなくなってしまったことからも,あの出来事でかなりのダメージを受け,無理にそれを封印していることは,日頃一緒に暮らしている者には判るのではないでしょうか。
 それに,話は前後しますが,「表面上は、勉強に打ち込んで、普通の生活を取り戻すようにしています」という点についても,急に生活態度が変わったことがかえって不自然に映るということもあるでしょう。
...2005/05/10(Tue) 01:44 ID:USWawJrQ    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:しお
 先生と両親は話しをしてないと思います。4話の最初でつりのシーンでサクの父親は先生にあっていますが、父親は先生のことを知らないようです。会話がありません。先生も、挨拶をしていません。

 では、両親がサクの、残りの高校生活(1年5ヶ月)で気がついたのでしょうか。一緒に暮らしているからというだけで、そこまでの深い感情を知ることができたのでしょうか。
 少なくとも、普通の生活を装っている17〜18歳の息子の心の憶測をそこまで知ることは、普通の家庭なら難しいと思うのです。 
...2005/05/10(Tue) 20:35 ID:Di9g3GAU    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:にわかマニア
>一緒に暮らしているというだけで深い感情を知ることができたのでしょうか。普通の生活を装っている息子の心を・・・

 「しお」さんは余程会話のないご家庭に育った方なのかを詮索するような失礼なマネはいたしませんが,仮に百歩譲って卒業までの1年半で気づかなかったとしても,その後長期にわたって盆暮れにも帰ってこないというのを異常と感じない方がどうかしているでしょう。
...2005/05/10(Tue) 21:00 ID:h.O4Wfq2    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:うてきなぷりぱ
亜紀の死後から17年間はドラマではくわしく描かれていないので、想像するしかありませんが、少なくとも直後は、朔太郎に対する周りの声はかなりのものだったと予想されます。地方都市だったし(変なうわさ等々)。ウルル行きを決行する前に谷田部先生が懸念されていたことです。朔太郎と両親との間に、会話があった、なかったにかかわらず、亜紀との話題に触れないように、両親はかなり気を使っていたものと思われます。朔太郎もきっと、以前の自分ではない姿で周りの人ともかかわっていたと思います。そしてすべてを逃避するために東京へ旅立ちました。きっと両親には連絡もしてないでしょうし、実家にも帰ってないでしょう。きっと朔太郎の両親もものすごく心配したでしょう。ああいうことがあったからなおさらです。親ってきっと1ヶ月音沙汰なくてもものすごく心配だと思います。きっと17年間苦しんでいたのは朔太郎だけでなく両親もだと思います。介ちゃんも、坊主も智世も谷田部先生もきっと同じ思いだったのではないかと思います。最終回のエンドロールを見るたびにそう実感せざるをえません。
 
 
...2005/05/10(Tue) 22:32 ID:AzNBoXnc    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:しお
 やはり、子供が結婚した(形だけですが)相手を亡くした(しかも子供は自分が殺してしまったと思っているだろう)ということで、普通の親子関係とは違う関係になったのかもしれませんね。
 病気になる前の亜紀と父親の関係のように、表面上だけの関係をとるのがこの年齢の普通の親子だと思います。
 が、結婚式のシーンを単に結婚写真を撮っただけとわたしは思っていましたが、双方の両親を含めて単なる形だけでない「結婚」だったと深く考えていたのでしょうか。
 
 ところで、5話の最後の夢島の現在のサクがテープを見つけた後のシーンで、
「時が戻っていく 亜紀をぼろぼろにしたのは自分だと責め続けた あの頃へ」
というのがありますが、ここで言う「あの頃」とは、ある程度の長い期間をさしているような感じです。これはいつの事を指すのでしょうか。
 最終回ではサクが閉じこもっていたのは非常に短い期間のようなかかれ方をしています。本当は表面上元気になった(心を閉ざしてしまった)のは、もっと後なのでしょうか。
 その期間に両親との間でも映像に出てないようななにか大きなことがあったのでしょうか。
...2005/05/10(Tue) 22:37 ID:Di9g3GAU    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:しお
うてきなぷりぱさんの書き込みを見る前に上を書き込みしてしまいました。なるほど、谷田部先生が懸念していたような親戚や地域の人たちからの非難もあったでしょうね。それはサク本人によりも町の人と接点のより多い両親に伝わったでしょうね。
 すると、サクが表面上元気になったあとも、「亜紀をぼろぼろにしたのは自分だと責め続けたあの頃」ということですね。サクは、きっと、1年5ヶ月をずっと責め続けて、卒業したら、逃げるように東京にいったんですね。
...2005/05/10(Tue) 22:48 ID:Di9g3GAU    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:たこ焼兄さん
>父親は先生のことを知らないようです。会話がありません。先生も、挨拶をしていません。

しおさん初めまして。↑の件ですが、結婚写真の時に会っているので、全く面識が無いという訳では有りませんね。また松本写真館には谷田部先生の幼少の頃の写真も有るので、彼女も宮浦生まれの宮浦育ちで実は朔が生まれる以前から松本家と知り合いだったのかもしれません。ひょっとしたら年の近い朔の父より祖父の方が仲が良かったのかも(朔同様に)。お葬式で「町の人気者だったから」とも言ってますしね。4話で父に挨拶しなかったのは、何より突然帰って来た朔に声を掛けるので気が一杯になり忘れてしまったのではないでしょうか。

とちょっと蛇足ですが、コメントさせて頂きました。
...2005/05/10(Tue) 23:33 ID:053JX6Po    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:しお
あ、そうでしたね。4話のシーンを見返すと、お父さんは先生が明希に自己紹介するところで、先生と気がついているみたいですね。先生はおっちょこちょいにお父さんのことを気がつかないのか、そのままいってしまいますね。ありがとうございます。
...2005/05/10(Tue) 23:51 ID:Di9g3GAU    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:にわかマニア
>結婚式のシーンを(中略)双方の両親を含めて単なる形だけでない「結婚」だったと深く考えていたのでしょうか。

 写真を頼みに行った時の父親同士の会話で,「形だけのもの」と言いながら,「残された者が辛くなる」とか「こんな風に幸せになりたいと思うんじゃ」といったやりとりが展開されているところを見ると,単なる「記念写真」以上の意味を感じていたと考えられます。特に,最愛の子を喪った親にとって,最初のうちこそ相手に対して屈折した思いもあるものの,子を亡くしたことを受け容れるにあたっては「いい相手と巡り合えて(形だけとはいえ)結婚もした」という気持ち(遣り残したことをできるだけ少なくしたい)もあったかもしれません。
 また,どなたかがどこかに書いておられますが,ラスト近く,防波堤でのサクと真の会話のシーンでも,そういうことがあったからこそ,真はサクを呼び捨てに(ケンカ腰でというのとは逆の意味で)できたのでしょう。
...2005/05/11(Wed) 12:57 ID:9hSU2Tz6    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:たこ焼兄さん
[7]で自分が書いたコメントでちょっと補足というか、書き残した感が有ったので書かせて下さい。

谷田部先生が帰郷した朔を最初に見たのは4話冒頭の海岸での宮浦高校陸上部のランニングの時ですが、この時は(役者さんが違う?という点は大目に見ても)子供に優しく接している青年が朔かどうか半信半疑だったのかも知れません。そして後から来た父の姿を見て確信したのでは無いでしょうか?でもこの時は声を掛けるタイミングを逸してしまい、その後釣り場まで恐らくは着いて行ったのでしょう。そう、1話の亜紀の様に。そしてその後朔は17年前心を閉ざす直前に恩師と話した同じ場所で、再び心を開いて全てをさらけだしたのだと思います。

谷田部先生はある意味で2人の家族や友人以上に全ての事を知り、理解した上で常に最良の選択をさせようとしていたのでしょう。だから亜紀は先生と2人の時は「松本君」ではなく「朔が演出をやってくれるって言ってたんですけど」と特別な存在としての朔を包み隠さず話していますし、朔がウルル行きの事を唯一相談したのも他でもない谷田部先生だった訳ですしね。

特別編が彼女の目線で語られ、そのラストでは優しい表情で星空を見上げるシーンで終わる、というのは凄く意味が有った気がしました。

スレッドの内容から大幅に逸れてしまい申し訳有りません。
...2005/05/11(Wed) 23:23 ID:HfMBtVuY    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:しお
 今日、3話4話をまた見ました。スレッドと関係ない話にいってしまって恐縮ですが、たこ焼兄さんの書かれたシーンをもう1回見てみました。サクが「いなかの子だからね」といっているつりのシーンで、バケツには6匹魚が入っていました。なので、浜辺のシーンから1時間ほどはたってる印象を持ちました。
 で、私は、こう推測してみました。谷田部先生は、陸上部の生徒と一緒に町を1週して学校まで帰って、生徒に「ちょっと離れる」といい、気になってまた海まで走って見に来たのではないでしょうか(釣竿持っていたので港にいるだろうと)。朔太郎だと100%確信がなくても、もしかしたらとおもって学校からわざわざ走ってくるほど、それほど、谷田部先生も朔のことを長い間心配していたのだと思いました。

 皆さんのおかげで、何度見ても新たな発見があります。
...2005/05/21(Sat) 06:34 ID:oIZBEuUo    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:say
浜辺でのシーンは子供の相手をしている男性が朔かどうかは確信が持てないままだったように思います。
今朔が「一樹」と呼んだ声に反応していて斜め後ろ姿しか見てませんし、潤一郎がいても隣の明希も一樹も見覚えがないので単なる知り合いの可能性もあり、朔が未だに結婚していない事は真だけでなく谷田部先生も知っていたでしょうし。

帰って来られませんかと17年音沙汰もなかったであろう朔に手紙を出すほど気に掛けていた訳ですから、声で朔ではないかと半信半疑のまま気になって仕方なくいたんでしょうね。
...2005/05/21(Sat) 10:34 ID:9rZREjoY    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:たこ焼兄さん
なるほど皆さんそれぞれの解釈が有るんですね。

しおさんの「バケツの中の魚の数で時間の経過が有った」という見方、sayさんの「声で朔ではないかと感じたのでは」という見方、何れも納得です。お二方の解釈を参考にして今一度見直してみたいと思います。

DVDももう何巡目になるか分からないくらい見てますが、見る度に新たな発見や理解、疑問が出てきて、改めてこの作品の奥深さを感じます。またこれだけ感情移入が強くなると泣けるシーンがどんどん増えて行ってる気がします。

あ〜また今日も眠れない夜になりそう・・・
...2005/05/22(Sun) 00:35 ID:d.hdnLE2    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:しお
 また、1話から最終話まで見たら、新たな疑問が浮かんできました。秋の死後、卒業までの1年5ヶ月のことです。
 4番で、うてきなぷりぱさんが「 亜紀の死後から17年間はドラマではくわしく描かれていないので、想像するしかありませんが、少なくとも直後は、朔太郎に対する周りの声はかなりのものだったと予想されます。」とかかれていますが、この期間の中でもはじめのほうのことです。
 亜紀が死んだ直後は、朔はお葬式に出れずに、自分の部屋にこもってしまいます。この期間はどれくらいなのでしょうか。(亜紀のテープを聞いているときは学生服を着ているのはなぜでしょう。)
 ボウズたち3人に呼び出されたのは、いつなのでしょうか。3人は冬服ですが、朔は上着を着ていないので、そんなに寒くないころでしょうか。これは11月はじめなのでしょうか。それとも春なのでしょうか。
 その後、朔の父に庭に放り投げられるシーンは、こたつもないし、窓は開けっ放しだし、父親は肌着1枚だし、ススキ見たいなものが生えているしで、秋の初めごろに見えます。
 その後、オーストラリアに、亜紀の両親と行きますが、ここでは冬服の学生服を着ています。南半球で冬なら、日本は夏なのですが、いつごろなのでしょうか。ウルルの緯度はバンコクと同じくらいなので、そんなに寒い場所ではありません。暑い砂漠です。
 その後、校庭で先生に骨を見せるシーンは冬服です。
 これらは、全部11月の初めにあったことなのでしょうか。それとも、秋から春までの期間のことなのでしょうか。
 
...2005/06/02(Thu) 04:39 ID:fl1R53fc    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:しお
すいません。変換間違い。
×秋の死後−>亜紀の死後 です
...2005/06/02(Thu) 05:05 ID:fl1R53fc    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:にわかマニア
>これらは、全部11月の初めにあったことなのでしょうか。

 亜紀の両親が遺言どおりウルルで散骨してやろうと思い立つのは,遺品を整理している時に,空港の遺失物管理センターから送られてきた遺品「ソラノウタ」を見つけたのがきっかけでした。ですから,葬儀からそう遠くない日ということになります。
 このシーンの直後,スケ・ボウズ・智世に呼び出されての港でのシーンが入ります。
 そして,決定的な決め手がサクの部屋のカレンダーですが,ウルルから帰り,亜紀との思い出の品々を封印し,赤本を解いている机の脇のカレンダーは11月になっていましたから,これら一連の出来事は,10月末の亜紀の葬儀からそんなに日が経っていない時点での出来事ということになります。
 (そうでなければ,いかに物語の中での出来事とはいえ,出席日数不足で留年させられてしまうでしょう。これは不規則発言でした)
 
...2005/06/05(Sun) 17:25 ID:sd3Ez7WA    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:しお
 なるほど、11月のカレンダーですか。気がつきませんでした。ありがとうございます。
 とすると、ウルルには北半球で言う5月の気候の時に散骨に行ったのですね。緯度から言っても砂漠の暑い時期に入っていると思うので、冬服はおかしいですね。 別スレッドの、「何で12月ではなく10月23日なのか」の理由も、このあたりにあるのかも知れないですね。
 撮影が1年分の降水量が数日で降ったという特異な日の大雨が降ったあとで、画面にも水溜りがたくさん残っていますので、ドラマ設定でも「異常気象で寒かった」と考えるか、もしくは、喪服のかわりに冬服をもって行って、現地についてからウルルの頂上近くになって直前に着用したという理解もあるかもしれないですね。
...2005/06/07(Tue) 00:56 ID:lSr6E4iQ    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:にわかマニア
>喪服のかわりに冬服を
 これがあながち的外れとは言えないのは,ことの評価はともかくとして,ドレス・コード上,制服というものがそのような使われ方をしている面もあるのですね。あの時は,亜紀の両親も喪服でしたしね。
 ちなみに,私の下の子の入学説明会(高校)でも,生活指導の教師が「制服とは第一種礼装に準じるものであって・・・」等と訓示を垂れていました。
...2005/06/07(Tue) 06:40 ID:wrtuYlYc    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:しお
 話を戻してすいません。
 また1から考えてみました。
 朔が17年間両親に連絡しなかったかどうかですが、少なくとも就職の際にアパートを借りたりするときには親に保証人の印鑑を押してもらうなどが必要なので、最低限の連絡はしていたと思います。就職先がどこになったとかも両親は知っていたと思います。
 ただ、17年間、1度も実家に戻ってこなかったと思います。
 朔の父が
「だから、こんなことになっちゃうんです。」「17年たって、やっと気づいたんですよ。このままではいけないって。」「あいつはたぶん、広瀬亜紀さんの骨を撒きに帰ってきたんです」
 と言っているのは、朔が17年たってはじめて帰ってきたときに、亜紀の骨のビンをまだ持っていることを父親は見て初めて気がついたのではないでしょうか。
 朔と父親との間に就職先の連絡のときなどに、電話で、骨をまだ撒けないことに関して、なにか会話があったのかもしれませんね。
...2005/06/12(Sun) 06:21 ID:eVapUjP2    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:にわかマニア
 亜紀をきちんと送ってやれたかどうかは,親にとっても,いろいろな意味で気がかりであったとは思いますが,このことについてどこまで親子で会話があったのかについては,読者や視聴者に解釈を委ねているような描き方です。
 原作では,この間に祖父が亡くなっていますから,少なくとも葬儀での帰省はあったはずですが,それを除けば,原作も映画も,いつも盆や正月には帰っているというような描き方ではありません。特に,ドラマでは明示的に「まだ帰ってこれませんか」というコトバが登場します。
 ところが,「まだ帰ってこれませんか」というそのハガキは,きちんとサクの手元に届いているのですね。つまり,学校と実家は違うという突っ込みを入れればきりはありませんが,居場所くらいは知らせている訳で,その程度には「最低限の連絡はしていた」のでしょう。余談ですが,サクが帰ってきた時の反応にしても,警察に捜索願を出したり,ワイドショーの尋ね人コーナーで取り上げた人が帰ってきたというような反応ではありませんでしたしね。

 その上で,亜紀を撒けたかどうかについて,親がどこまで気付いていたかです。
 サクが出奔同然に上京し,物理的にも精神的にも「逃避行」状態になっているということは,逆に言えば,サクが帰ってくるということは,この葛藤にケジメをつけ,亜紀を送るためということに帰結するはずです。これをセリフの上で表現しているのが「このままではいけないことに気付き」,「たぶん亜紀を撒きに帰ってきた」という部分でしょう。もちろん,完全に吹っ切れていたか,そうしなければならないと意識するようになったという程度の段階かという問題はありますが。
 その場合,「亜紀を撒く」ということは,この問題に最終的にケジメをつける象徴的な行為として行なわれますから,どこで撒いてもいいというものではありません。やはり,亜紀にとってか2人にとっての重要な意味を刻む場所を選ぶでしょう。とすると,その意味からも,瓶の所在を確認したかどうかに関わらず,帰ってきた時点ではまだ撒けていないという判断になるのだと思います。
 もっとも,この推理の弱点は,郷里ではなくウルルで撒く(遺言でしたからね)可能性もあるということなのですが,その場合でも,旅券申請には戸籍謄本が必要ですから,本人が帰ってくるか,実家に頼んで取り寄せて送ってもらう必要があるので,親が知らないうちにということにはならないでしょう。
...2005/06/12(Sun) 08:27 ID:pZkbYklU    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:say
「あの頃と変わらない接し方をしてくれた」というナレーションがあった事からすると電話での連絡はしていなかったように思います。
また続いて「17年前の事を除いては」というナレーションからも遺灰を持っていることについては触れる事はずっと無かっただろうと思います。
...2005/06/12(Sun) 15:56 ID:9YBGxus6    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:しお
なるほど。

「父も 母も 昔と同じように話をしてくれた。  ただひとつ17年前の話題を避けながら 」 という今朔ナレーションから、
朔が実家に帰ってきたのは卒業以来初めてで、その間、電話でも通常の会話は1度もしていない。帰ってきた日は両親は亜紀の話題は避けている。=父も母も、亜紀の骨をまだ持っているかどうかについても聞かない姿勢。

ということですね。
ということは、朔は、住所の変更や就職先が決まったことなどの連絡は、手紙でしていた可能性がありますね。電話では、話が用件以外にそれてしまい、亜紀の話になるのが怖かったかも知れませんね。
 
16年、遠くに暮らしていて親と合わない子供は、そこそこの数いると思いますが、電話でいろいろ会話をしていれば、それは離れていても心配ではないでしょう。
 しかし、朔は、おそらく電話も含めて親子の会話を16年間してないのですね。それは親にとってはとても心配だったでしょうね。

 お母さんは、「私、あの子がずーっと1人だったと思っていたから・・・」と涙を流します。

 両親は、突然帰ってきた朔が、朔の子供とその母親をつれてきたかと思って、涙を流さずに迎え入れたんですね。1人で帰ってきていたら涙を流していたでしょう。


とすると、

「だから、こんなことになっちゃうんです。」「17年たって、やっと気づいたんですよ。このままではいけないって。」「あいつはたぶん、広瀬亜紀さんの骨を撒きに帰ってきたんです」

というところにつながるには、
・骨をまだ持っていることをお父さんは知っていることが必要ですね。
 想像できることとしては、朔が入浴のときにお父さんが着替えを持ってきてくれたのではないでしょうか。そのときに亜紀の骨のビンを見つけたかもしれません。
 
あとは、「この帰省」=「骨を撒くことの決心」 ということは、にわかマニア様の書かれているとおりなのでしょうね。

父親は亜紀が死んで17回目の誕生日(の次の日)だということを気がついていたのでしょうか。
...2005/06/13(Mon) 22:57 ID:8/FJqy06    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:say
要点のみでスミマセン。

骨を持っていることそのものを直接知っていなくても会話は成立しているように思います。
「あいつはたぶん、広瀬亜紀さんの骨を撒きに帰ってきたんです」というのは骨を持っていることを知らなくても言えるのではないでしょうか。
一人でふらっといつの間にか帰省していて、それを彼女でもない人が子供と一緒に追いかけてきているという変な状態は、すぐ帰りますのでお構いなくと明希が言う時に何のフォローもしない朔の態度を見ていれば、理由はわからないけど明希が心配して追いかけてきた事くらいは察しが付くでしょうし富子から二人の関係についても聞いているでしょう。
ですから17年も帰ってこなくて一人で来たという事は何か目的があって来たのだろうと想像が付くでしょうし、覇気のない朔の表情や雰囲気からもずっと背負っていることの察しは付くように思います。
...2005/06/14(Tue) 10:40 ID:5nWKqqf2    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:にわかマニア
 20番の書き込みで,「どこまで親子で会話があったのかについては,読者や視聴者に解釈を委ねて」いるものの,「居場所くらいは知らせる程度には「最低限の連絡」はしていた」と述べましたが,その伝達手段が電話か手紙かの結論は留保していました。
 sayさん,しおさんの言われるように,「あの頃と変わらない接し方をしてくれた」以下のナレーションを手がかりに,「話が用件以外にそれて亜紀の話になるのが怖かった」ろうから,電話も避けていたのではないかという推理もなかなか説得力があると思います。もっとも,「接し方」というコトバの解釈として,面と向かって話すことのみに限定したものか,電話という遠距離ではあっても双方向の通信手段まで含めたものかについては,議論の余地がない訳ではありませんが,「何の目的で帰ってきたかをどこまで親が把握していたか」という論題との関係では,sayさんも言われるとおり,経過と状況証拠から判断のつくことだと思います。
 それよりも,ちょっと気になったのは,妹の結婚式について,@サクは欠席した,A宮浦以外の妹あるいは相手方の勤務先(例えば東京)で行なった等の解釈がありうると思うのですが,皆さんは,どう考えていらっしゃいますか。特に,後者の場合,そこで両親や親戚と顔を合わせることになる訳ですが・・・
...2005/06/16(Thu) 08:43 ID:LkVX1m6I    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:しお
 根拠はないですが、映像を見たときの第一印象では、芙美子は宮浦近辺の地元で結婚して、実家から そう遠くないところで暮らしていると思いました。でも朔が帰ってきても呼ばれないことから、味噌汁の冷める距離にはいないと思いました。
 お母さんの口ぶりは、「芙美子、2人目、生まれたんだよ」と自分のことのように言っています。お母さんは子供が生まれたときに1人目も2人目も手伝いにいったんだと思います。そして、朔は2人目が生まれたことを知らなかったようです。ただ、1人目が生まれたことは朔は知っているという話しぶりでした。(「もう子供が2人も生まれたんだよ」とは言ってないので)。
 朔は、宮浦の地元かその近くで芙美子の結婚式があったときも、宮浦に帰ることができなくて、欠席したんだと思います。
 そういわれてみれば、そういうことから、両親も、朔が深い心の傷をもったままなのに気がついた(またはうすうす感じてはいたがこのとき確信を持った)のかもしれないですね。
 朔が卒業のときは芙美子は14歳ですから、結婚はその10年後くらいでしょうか。両親は朔が家を出て10年たって確信を持ったのかも知れないですね。
...2005/06/16(Thu) 22:58 ID:IyUHLXoE    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:say
接し方については少なくとも富子は面と向かってだろうが電話だろうが変わらないように思います。
それと住所を電話で説明するのは結構面倒です。
私の親は電話をする度に住所やら電話番号を書いたものがどこか行ったとか抜かすし、地名の漢字を説明している間とてもじれったく感じます。

芙美子は多分近くには住んでいないように思います。
朔が何日間か滞在している間顔を見せていませんから、気軽にやってこられない距離なんでしょう。
実家に帰ってきていない事から生まれたてという感じでもありませんし。
そして朔は結婚式には出席しなかったのではと思います。医者で忙しく、中々思うようなタイミングで休めないといった具合に適当な言い訳も立つでしょうし。
...2005/06/20(Mon) 01:13 ID:9/LZylyg    

             Re: 17年たって、やっと気づいたん...  Name:しお
なるほど、よくよく考えれば、明希が帰ったあと、ずいぶん長い間、今サクは実家にいたのですね。その間に妹が来ないのはおかしいですね。
出産直後だとしても、17年も帰ってこなかった兄が帰ってきたなら、夫に車で送ってもらって、顔だけでも見に来ますね。
...2005/06/23(Thu) 00:00 ID:7WhwPiLE    

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