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リップスティックの野島氏の作家性について (1999)

当サイトBBSの投稿から抜粋


ここはファンサイトであるから、「リップスティック」に対して肯定的な意見が多くて当然だと思う。でも、そこで敢えて言いたい。
今回の「リップスティック」は駄目だと思う。
もう、野島には期待しない。
みんな、肯定している裏で、実はこう思ってるんじゃないかな…。
という投稿に対して...
そうですか?
どちらかというと「リップスティック」は行き過ぎてると感じます。
何か野島ワールドが行くところまで行ったなという。
同じテーマをいろんな切り口で繰り返す、そういうやり方もありだとは思います。
「未成年」は途中で見るのを辞てしまったけど「リップスティック」は見てる…。
そういう私みたいな視聴者もいるし。
それがドラマとして支持を得られるかどうかは別の問題ですが。
だって、「世紀末の詩」でさえ視聴率自体は低かったですしね。
野島作品を全部見ている人向けにドラマが作られてるわけじゃないですよね。
でも、ファンであるがために退屈に感じてしまうのがとても辛いです。
なんだかんだ言って、「リップスティック」はチェックしてしまうと思いますが、今後、何らかの展開を期待します。頼むから「ひとつ屋根の下2」や「聖者の行進」のようなオチはやめて欲しいです。
野島ドラマって、ターゲットとか取り扱うテーマとかけっこうバラバラですよね。
ひと屋根みたいなコメディ系とか、TBSに代表される社会派ものとか、世紀末の詩ではラブストーリーを越えて”愛”を描いているし。
私も野島ドラマの中では大好きなものとそうでもないものと別れるし、それはみなさん同じじゃないでしょうか。
リップは他の野島ドラマに比べて駄作って思う人もいるかもしれませんけど、他の野島ドラマに比べて断然いいって思う人もいるでしょうし…。

想像とか永遠とかにひいてしまう人が多いから、視聴率的には苦戦してるんでしょうか?
確かにリップは集大成的ですけど、それだけじゃないと思います。
恋とも愛とも呼べない関係ってドラマ中で言われてますが、そういう関係を積極的に描こうとしているし、あと個々のキャラクターの内面をよく見つめているとか、その他いろいろ…。
「リップ」の視聴率が悪いのは、野島作品はみんなそうですが、一言も聞き逃すことが出来ない脚本に、みんな我慢できなくなって脱落していくのでしょう。
1回でも見逃すともうどうでもよくなるのです。
忍耐強く最後まで見続けた人が、テーマの答えをを共有できるのです。

第6話と第8話のエンディング、有明のナレーションと、藍のセリフが交互に続く場面なんかは、ビデオで5、6回繰り返さなければ理解できません。
トレンディー漬けになっている若者が月9でそんな見方をするわけがなく、野島氏の電波の発信を放棄していくのです。
けっこういろいろ意見出てますね。それはそれでいいと思いますよ。
僕としては野島さんがいなければドラマを見てなかったと思います。
リップスティックの中で才能には2種類あるというセリフありましたよね。
確か有明の兄さんのことで夏八木勲のセリフです。
あれがひっかかってたんです。まさか野島さんも感じてたのかなと。
でも僕はリップスティックいいと思うし、野島さんの作品はこれからも見ていくでしょう。
大阪版の朝日新聞11日のキューというラジオ欄のところにあるコラムに、野島伸司とリップスティックの批評がありました。
内容はともかく掲示板荒し並みの文章、罵詈雑言。大新聞の品位もなにもあったもんじゃないです。
まあ、いったいなんなんでしょうね。これだけ嫌いながらよく見続けられるものだと関心。
しかし、野島伸司に対するこの種の感情的な暴論はよく見かけるような気がするけれど、なぜなのか。

結局、人間の持っている超越的なものへの欲望とかロマンのはらんでいる問題ではないのかな。
それらは人間を魅了し、かつ裏切ることもある、しかし、それらを否定しきることもできない。
ロマンティストであることもニヒリストであることもできない、というのが、通常の人間の状況だろう。

野島作品をぶつぶついいながら、見続けている人って、ロマンティストであることから、すっぱり足を洗えたらいいのにな〜、と思いつつ、野島作品なんぞをついつい見てしまう自分が、ええい腹立たしい〜、ということでしょうかね。
サンタクロースなんていないんだぁ、と幼稚園でわざわざ他の子に言って周る子の気分なのかも。
えっと「リップスティック」についての様々な意見、いろいろ考えながら読みました。
んで結構、「分からない」ってのが多かったけど、俺も分かりません。
ただ、衝撃の「高校教師」から「未成年」までのドラマと、「世紀末の詩」や今回の「リップスティック」とは、明らかに違って来てると思います。

例えば「世紀末の詩」。「愛」をテーマにして、最終回は答えが出ると思いときや、出ませんでしたねー。「冒険」「風船」が答えだとは僕としては到底思えません。
今回の「リップスティック」も毎回「なんで?」っていう感じで。
思うに野島伸司さんは、答えを提示することを辞めたのでは?と。
テーマをパーッと投げかけて、「さあ、あとは自分たちで考えてみてください」と。

それが良いことか悪い事かなんて判断はできないでしょう。
俺個人としては、彼の生きてきた時代や、これまでの問題提起を考えると、はっきりと答えを出して欲しいです(台詞とかの中に見え隠れはするけど)。

あと、今回のドラマの完成度についてですが、最終回を見なければ何ともいえないけど、確かに今までのドラマに比べると低い気がします。個人的には。
ただ、かえって彼の本音とか、彼が抱える矛盾とかが、分かりやすく現れてるって気もします。
リップスティックは正直言って私には難しいです。
寄せ集めてという意見も言い得て妙である思います。
私は当初曖昧な感じがしていました。
だから書き込むのをためらった部分があります。

しかし野島氏に失望はしていません。
もちろん盲目的な信奉もするつもりはありません。
常に野島氏の脚本はいつでも毒になる可能性があると思っています。

野島氏の集大成であったのはやはり「世紀末の詩」であったと思います。
私が失望していないのは「リップスティク」の中に「世紀末の詩」で出し切った駒を並べて、「世紀末の詩」で語り尽くせなかったものを求める姿勢。
新しいステージを見出そうする姿勢を感じるからです。
もし、これがただ過去のストーリーを並べ立てているだけなら僕は失望したでしょう。

確かに芸術作品としての完成度はTBS3部作に比べると落ちるかも知れません。
でも、芸術作品としての完成度を求めることもそれはそれで好きですが、
「こういう時代そういう物語を描かざるを得なかった人間の息吹」みたいなものを感じることが、僕はなんだか好きです。
私には「リップスティック」が試行錯誤の跡を示すスケッチブックのように感じられます。
最近の野島ドラマはあまり視聴率が良くありませんね。
でも、その理由は野島さんの才能の泉が枯れたからだとは思いません。
以前、確か「世紀末の詩」の時だと思いますが、三上博史さんが雑誌で野島さんに似ている?という質問に「僕は野島さんほどひねくれてはいませんよ(笑)」とおっしゃっていました。

わたしも野島さんはひねくれものだと思います(もちろんいい意味で)。
野島さんはいわゆる”ヒットメーカー”になってしまい、それに反抗するように最近のドラマを作っていると思います。
それはある種、アーティストとして皆が通る道なのかもしれません。
売れるのが良い作品なのか?という。
もうひとつは最近の作品が本当に野島さんの書きたい事なんだ、ということです。
やはり脚本家を職業としている以上、まずは売れなければならない。
そうしなければ生きていけないわけですから…。
だから野島さんは今、ようやく自由に書きたい事を書いていると思います。

ともかくTVドラマでこんなに意見を交わせるドラマを作れる人は野島さん以外いません!!
これからもずっと野島ドラマを観ていきたいと思います。
リップスティックを見ているとさらに突っ込んだ物語の展開や、こと細かなセリフに表れるように、より深い方向に進んでいるような気がします。
確信犯ともとれる、ファン(視聴者)に対してのサービスや少しの裏切りをまじえて「リップスティック」で表現しているように思われます(世紀末の詩でもそうでしたが)。
つまり作品が増えて「愛」の様々な表現を突き詰めていくにあたり、ファンへのメッセージを強めているのではないかなと感じてしまうのです。
そして理解してもらえる人たちだけでいい..的な表現が最近、特に多いような気がします。

メジャーになってからも「大衆に感動を与え続ける」タイプと、「一部の大衆に理解さえしてもらえば良い」というタイプの2つに枝分かれしてゆくということを何かで読みましたが、野島さんは後者の方かなと個人的に思います。

何が悪いとかの問題ではなく、私としてはより一層突き詰めてもらって、そしてどこまで野島さんの「愛」について理解できるのか、自分を研ぎ澄ましていきたいです。


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