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この世の果て 名セリフ+解釈


―― 士郎のナレーション
―― まりあ
―― 士郎
―― 神矢
―― なな
―― ルミ
―― 吉田
―― 佐々木
―― 二村

セリフはすべて 「この世の果て」ノベライズ本(ハードカバー版/幻冬舎)からの引用です。
ページ数(p.xxx)はハードカバー版のページ数です。

※このグレー色の部分は以下すべてFumiによる独断のセリフ解釈です
(勝手な解釈なので制作サイドの意図とはだいぶ違う可能性があります)



[1話]
たとえば僕が君と出会えなくても
たとえば君が僕を知らずにいても
きっと何事もなく 世界は穏やかに動いていただろう
僕たちふたりだけを置き去りにして…
(p.7)



[1話]
(なな)
地球が滅びてね、一艘の船があります。つまりノアの箱舟だね
その船に自分ともうひとりだけ連れてっていいのね
次の動物から選びなさい
馬、孔雀、虎、羊
…心理テストなの
自分が何を一番大事にしているか、何を求めているか
馬はね、仕事。孔雀はお金だって。虎はプライド。羊は愛情だよ
男の人の場合はね、羊って答えた人だけが女の子を幸せにしてくれるんだって
(p.26-27)

馬 … 一番役立ちそう。生きていくために必要といった堅実なイメージ。
孔雀 … 豪華できらびやか。派手なイメージ。
虎 … プライドというのは百獣の王としてのプライド? 強くたくましいイメージ。
羊 … この中では一番役に立ちそうにない。極端に言えば、何の役に立たなくても大事にできること、それこそが愛情なのでしょう。



[1話]
(士郎)
世界が滅んだら
きっと僕は…船に乗らない
(p.34)

上記の心理テストに対する士郎の答え。
分かりにくいけど、つまり士郎は箱舟に乗って生き延びることをしないということでは。
俺は生き残ってやるんだという生命力が、この時の士郎にはない。自分が助かるよりも他の人を乗せて欲しいと。そこにまりあは普通の人間とは違う何か、自分に似た何かを感じたのでは。



[1話]
愛しいまりあ
いつか星に願いを込めて
雲から遠く離れた所で君と目覚めたい
悩み事などみんな
レモンドロップスのように溶けて
煙突よりもうんと高い
空の向こうに消えてしまう…
(p.36)



[2話]
(吉田)
私をひどい医者だと思ってるんでしょうね、金の亡者だと
確かに金はあるに越したことはない
しかし私はそれだけで要求してるんじゃありません
私は偽善というのが嫌いでね
テレビの募金番組があるでしょう
いかにも親切ぶった人たちが大勢会場に詰めかける
しかし、そのうちたったひとりでも、たとえば明日生活するお金もすべて差し出すような人間がいますか
決していない
私はね、自分は安全な船の上にいて、浮き輪を投げるような人間が嫌いなんです
(p.43)

盲目の妹・ななの手術を早めるために、まりあに「自己犠牲」を要求する眼医者の吉田。
自分の大切な何かを犠牲にしなければ、大切な何かは得られないと。



[3話]
なんで逃げたんです
あんな美人の奥さんがいて、金もある、才能も名誉もあるあなたが、どうして無一文で逃げたりするのか
私のような人間にはどうも理解しづらいんです
…僕は…機械なんだ
そう、ある日、自分の体が機械のように感じた
体の中で、油が切れて軋むような音が聞こえて…。
彼女といると、生身であることを実感する
生まれてから、僕は誰かのために何かをしたいなんて衝動にかられたことはなかった
何かをしようと思う前にもう決められていたから
けど今は…
(p.81-82)

富と名声を望む妻の言いなりになっていた士郎にとって、
再び生の実感を与えてくれたのがまりあ。



[4話]
過去を捨てるこの痛みを
愛しいまりあ
君に未来をあげられる喜びが消してくれる
ただの男として僕は
今、君と生きていくんだ…
(p.132)



[5話]
(神矢)
俺は、十人の男と付き合える女より
ひとりの男と十年付き合える女が好みでね
(p.152)

神矢もまた本質的な愛情を求めている。
それにしてもこんなことをサラっと言ってしまう神矢はカッコ良すぎです(笑)



[5話]
(京子)
こっちに来た何年ものこと考えると、結局何もなかった気がする
ただ年取っただけ
ろくな男いなかったし
女は惚れられたほうがいいよ
惚れると弱気になるからね
甘やかして、結局男を駄目にする悪循環でさ
あたしはそんなことないよ
シロを駄目になんかしない
シロを死なせたりしない
(p.160-161)

[6話]
(佐々木)
突き放すことですね
決して甘やかさずに強く突き放す
でないと、その彼はますます駄目になる
あなたもまた
(p.172)

今後の展開を象徴する京子と佐々木の言葉。
すべてを許し母性的に包み込むまりあの優しさが、逆に士郎をダメにしていくという悪循環。



[5話]
まりあ、愛しいまりあ
惨めな僕をどうか笑わないでおくれ
たとえ世界中が僕を見下しても
どうか今の僕を笑わないで…
(p.163)



[7話]
(二人の仲を引き裂こうとするのは)何が目的?
(ルミ) 目的なんかないわ
ただ、頭痛がひどくなるの
愛とか恋とか永遠とか、そんな言葉口にする奴を見ると、頭がガンガン痛むのよ
そんなものはこの世にありはしないのに
だから引き剥がしてやるの
二度と口にできないように絶望させちゃったりするの
(p.214)

愛は存在しない。 愛への絶望がそう諦観させる。
それなのに愛を信じている人間、本気で愛し合っている人間が疎ましい。



[7話]
早く…俺の指を返してくれ。
返して、返して!
おまえが俺の人生狂わせたんだ!
(p.224)



[7話]
まりあ
愚かな僕は、君との出会いから
すべてを悔み始めていた
まりあ、君も同じように後悔しているだろう
愛しいまりあ
僕たちの出会いからを…
(p.224)



[8話]
俺の想像だが、おまえは父親に愛されたことがないな
幼い頃、父親に愛されなかったと感じる少女は、自分が悪い子だからだと思ってしまう
やがて成人して恋をしても、その潜在意識は消えない
だから、男が駄目な奴でも、それは自分のせいだと思ってしまう
その女は母性的であるとも言えるが、心理学的には完全な病気なのさ
(p.234)

まりあの無償の愛は究極的であるがゆえに、病理的とも言える。つまりトラウマや特殊な生育環境がそうさせているのであって、普通はあそこまでの無償の愛はありえないと。
まりあというのは理想的な存在で、それを描き出したのがロマンチストとしての野島氏だとしたら、一方で現実にこんな女性はいないというリアリストとしてのつぶやきがここに感じられる。



[8話]
男と女が暮らすのは簡単だよ
けど、生きていくのは難しい
互いに何か、相手より優位な何かが必要なんだ
記憶喪失を装っていた時の僕は、戻る気になればいつでも鍵盤の前に戻れる、そういう心の余裕があったから、きっとまりあにも優しくできたんだ
まりあも、言葉は悪くても、優しくしてくれた
互いにいたわり合えたんだ
束の間だったけど、僕たちは幸せだった
けど、僕はピアノを弾けなくなって、何もかも失ってしまったんだ
まりあに誇れるものは何もなくなった
そのことでまりあに当たってしまう
まりあのせいだと思わないと、自分を見失ってしまいそうで…
(p.242-243)

寄って立つべきアイデンティティを失って、平然と生きられるほど人間は強くない、ということか。
士郎はまりあのせいにすることで、何とかバランスを保とうとする…。



[8話]
(ルミ)
好きな人がいたの
中学の時、初めてのデート
彼もあたしを好きだと言ってくれた
何遍も何遍も、それこそいろいろな言葉で
囲まれたの、バイクに乗った三人に…
あたしは泣きながら助けを呼んだ
彼の名前を何度も
彼は逃げたの
何遍も好きだと言ってくれた彼は、あたしを置いて逃げたの
(p.249)

愛、そして人間を信じることができなくなったルミのトラウマ。



[9話]
まりあ、そう僕は君から逃げて来たんだ
男にとって一番大事なプライドというものを
君に見せることができなくなって…
まりあ、女にとって一番大事なものってなんなんだろうね
愛しいまりあ
女にとって一番大事なものは…
(p.255)



[9話]
愛などいつかは…
愛? 違う。そんな陳腐なもんじゃない
それではなんですか。女にとって一番大事なものは
生まれて初めて、必要だって言われたの、シロに
忘れない。嬉しかった…
(p.268-269)

必要とされること。それが自分を肯定し生きていく原動力になる。
幼い頃の放火事件をずっと引きずってきたまりあは、士郎と出会う前は自分の生を肯定することができないでいた。



[9話]
俺の幸せか
今の俺は欲しいものは何でも手に入る、何でも動く
それなのに以前より不幸に感じられるのは何故だ
水商売をして俺を学校に上げたお袋と、貧しいがささやかに暮らしていた頃と比べて不幸に感じるのは一体何故なんだ
…忘れていたな
俺の手に入らないもの
いや、誰にも手に入らないものがあった…
誰かを愛している女だ
(p.260-261)

何でも手に入るという自由が神矢に虚無感をもたらす。
でもまりあだけは…。



[11話]
まりあ
今の僕は消えかかる物語の羊飼いだ
もう助けを叫んでも、誰も振り向きはしないだろう
愛しいまりあ
君を幸せにすると誓い
一方で欺き、傷つけたこの僕を…
(p.307)



[11話]
(夕子)
あたしはこの人の後を追って行くつもりだよ
きっとまりあ、おまえには分からないだろうけど
人間はある期間を過ぎたら、後はどうでもいい時間なのさ
それに、この人は駄目なんだから、ひとりじゃあの世だって生きちゃいけないだろうから
まりあ、ななのことは頼んだよ
そしておまえは、決してあたしと同じようには生きないでおくれ
(p.317)

…という遺書を残した夕子だが、同じ運命を歩むことになるまりあ。
それにしても、夕子とまりあは設定が似ている。
夕子が心中した相手・葛木和人は若い時は才能に満ちていたが→派手に遊んで酒に溺れて廃人に、という人物だが、それが士郎の人物像と類似する。
その後、すべてを承知の上で結婚した相手・砂田は、これもまたまりあにとっての神矢に類似する。
廃人になった葛木から離れて砂田と結婚した夕子が、結局砂田をいつまでも愛せなかったように、神矢と結婚してもまりあは愛すことができなかったのだろう。



[11話]
どうして刑事を辞めたの
(二村) 何、たいして理由はありませんよ
ただ金のない奴が金を盗む、愛情を受けなかった奴が人を殺す
みんな同じようなもんだと思いましてね
生まれた家や親が違うだけで、誰だってそうなる可能性があるんじゃないかって思うと
やるせなくなりましてね
(p.329)

そういう環境決定論に行き着くと悪人を裁けなくなるんでしょうね…。



[11話]
まりあ、愛しいまりあ
僕がもう少し大人で
もう少し何かを諦められたなら
僕たちはうまくやれたのだろうか?
それとももっと簡単なことなのだろうか?
愛しいまりあ
気づくのが遅かったけれど…
(p.332)



[最終話]
(吉田)
妻です
式の直前で事故に遭いまして、もうかれこれ二十年、この状態です
私は前にあなたに言いました
偽善が嫌いだと
自分は安全な船の上にいて、浮輪を投げるような人間が嫌いだと
一度でいい、死ぬと分かって尚、助けに飛び込む人間を見たい、そう言いました
疲れてたんです。そして、怖かった
妻の看病だけじゃない
この先の長い孤独
子供もいないでたったひとりで生きなくてはならない
話しかけても彼女は何も返してはくれない
二十年、疲れ果てた
もう愛してるのかさえ分からなくなった
しかし、あなたのお母さんを見て、ようやく、ようやく決心がつきました
病院から自宅介護に
ええ
人間は愛だけで生きるんじゃない
運命を受け入れて生きる時、より穏やかな幸福を掴めるのかもしれません
もう何かにもがき苦しむこともない…
(p.344-345)

吉田は利己主義者を気取っていたが、実は20年という膨大な期間を看病に費やしていた。
何の見返りも得られないままに看病を続けることは、利他的な行為に他ならない。
運命は時として残酷だが、与えられた運命の不自由さの中に幸せがあるのかもしれない。もう迷わなくて済むという…。
そして、残りの人生のすべてを愛する者に献身する吉田のこの姿勢は、ラストシーンの士郎と重なることになる。



[最終話]
いや、あいつは疲れてるんだ
おまえとのすべてのことに疲れきっている
俺にできるのは、まりあの心と体を癒してやることだけだ
……
泣いているのか?
哀れな奴だ
おまえは一生後悔して生きるだろう
世の中には星の数ほどの女がいる
しかし、その中におまえのために命さえ差し出すような女は他にひとりもいない
ただのひとりも
おまえは自分の犯した罪と、失ったものの大きさに苦しみ続けるんだ
たとえまた生まれ変わったとしても
未来永劫に
(p.354)



[最終話]
また同じ苦しみを味わうだけだ
あいつも、おまえがいては駄目になる
(p.360)



まりあ
僕は君を壊してしまった
あるいは僕が壊れてしまったのか
しかし、そうだね
もうそんなことはどうでもいいことなんだ
肝心なのは今、とても静かで穏やかな気持ちだということ
この世界では
もう僕は自意識に苦しむことも
失った何かを取り戻そうと苛立つこともない
まりあ
僕は君を失うことで
君を取り戻したんだ
そしてまりあ
僕は過去の全てを失い
これからの全てを君に差し出すだろう
この僕の全てを
愛しいまりあ
たとえ君の意志や記憶が
永遠に戻ることはなくても…
(p.362-363)

飛び降りる直前に神矢が言ったように、(ヘリから飛び降りずに)士郎の元に戻っても、きっと以前と同じ争いが繰り返されたのだろう。
そんな二人にとって、皮肉にも、まりあが自意識を失うという取り返しのつかないところにまで行って初めて、士郎は再びまりあを愛すことができるようになる。

それは、もう互いに争うことも嫉妬することもないし、相手に何かを望んで絶望することもない、という境地である。
ある種の諦めに満ちながらも、静かに穏やかに流れていく時間。愛情。
それがかつて強く愛し合いながらも、疲れ果て絶望し、それでも愛の灯が消えることのなかった二人が辿り着いた”この世の果て”である。

そしてそれは、まりあと士郎だけではなく、夕子と葛木、吉田夫妻にも共通する愛の形だ。
そこから感じるのは、自分は愛していても相手からの見返りを得られない時、また永久に見返りを絶たれた時に、あなたならどうするか、という究極的な問い。

見返りがなければ愛せないのが普通だが、それでも一緒にいたいとしたら…自分の生を断念しても、愛する者のために身を捧げたいとしたら。残りの人生のすべてを。
そんな愛の形は確かに”この世の果て”という彼岸にしか存在しないだろう。理屈でどうこう言えるものではない、安易に立ち入ることのできない境地である。


テーマ考察:自己犠牲について (Fumi)

最近5年ぶりぐらいに「この世の果て」を見直して、今見てもこのドラマは素直に素晴らしいと感じたんですけど、テーマについて思ったことがあるので書いておきます。

このドラマの根源的なテーマは眼医者・吉田が抱える問題意識にあると感じました。
”一度でいい、死ぬとわかっていて尚、溺れる人を助ける人間が見てみたい”というやつです。

つまり、愛とはどういう感情か?を考えると、それは利他的な感情に他ならないわけですよね。
別に恋愛に限らず、家族愛でも友愛でも人類愛でも、愛情というものは自分勝手な(利己的な)感情とは対極に位置する、自分よりも相手を優先させるというか、相手を思いやる利他的なものであるはずです。
従って、愛情=利他的行為=自己犠牲として話を進めていきます。

そしてこのドラマが描き出そうとしているのは、ささいな思いやりとかささいな愛情ではなくて、究極的な自己犠牲です。
余っている浮き輪を差し出す行為ではなくて、ひとつしかない自分の浮き輪を差し出して、自分は溺れるという行為です。

普通の日常的な愛情(自己犠牲)と、究極的な自己犠牲の違いについてですが、
たとえば、なぜ自分の何かを犠牲にして人に与えようかとすると、それはそうすることで自分が気持ちよくなれるから、とも言えます。人助けって自分の存在価値を確認できるものだし、けっこう気持ちがいいもの。だから無償のボランティアって成立してると思います。
何が言いたいかというと、表面的には利他的な美しい行為に見えても、考え方によってはすべて利己的とも言えるということです。

別にそれが悪いわけではないのだけど、論理的に突き詰めて考えてしまうと、人間に自己犠牲(利他的行為)なんてあるのか?と思えてしまいます。
すべては利己心(自分のため)に基づいているのではないか。

だから吉田が言っていたように、生活していくためのすべての金を差し出すとか、4話の士郎のように天才ピアニストとしての人生や財産をすべて投げ打つとか、夕子のように相手のために一緒に死ぬとか、何の見返りも得られないままに植物人間の妻に20年という期間を捧げるとか……そんな取り返しのつかないところまで行かないと、本当の自己犠牲とはなかなか言えないと思うんです(突き詰めると、ですけど)。

でも士郎に保険金を託すために自殺しようとしたまりあを初めとして、上に挙げた登場人物たちの行為って、本当の意味での自己犠牲だと言っていいはずです。 もう本当に、残りの人生とか自分の命とかを、自分の意志で丸ごと差し出してしまっている。
そこになにか、近寄りがたい崇高さがあるんですよ。
でもそれは一方で”自分の生”を諦めることでもあるから、素直に肯定することができないのも確かなんですけど。なぜならそれは1話で士郎が言ったように、自分は箱舟に乗らなくていい、助からなくていいという”自滅”的な行為ですから。

ということで、私はこの物語の自己犠牲に究極的なものを感じました。裏に隠れた利己心が見えてこない、まっさらな利他心であり自己犠牲ですね。そして利己心がない(自己保身をしない)がゆえに、破滅的でもある。”愛する者のために死ねる”を実践できてしまう。

本来、遺伝子レベルで利己的であり、遭難した時はわれ先にと箱舟に乗って生き延びるようにプログラムされている人間にとっては、(この物語の登場人物たちのような)自己犠牲は本能に反することだから普通はできないことであって……。

そういう意味では、ただの利己的な存在とは違う、そして利己的な人間観では測ることができない”人間の崇高さ”というものを、この物語で見せてもらったという感じです。

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