インタビュー記事
Home > Database > インタビュー記事 > 未成年のテーマ(2)


「未成年」関連での野島氏の発言集


(1995年の毎日新聞記事より抜粋)

高校生らを主人公にしたことについて
「今の高校生を描いたのではない。キャラクターを自在に操りたかっただけ。 自分が感じたものをそのまま大人に託すよりは、少年たちに課した方がいいと考えたから。 でも、メッセージはむき出しにはしたくない」

こうした社会派ドラマとは別に、「101回目のプロポーズ」をはじめ、トレンディー物でも知られるが、「あのたぐいのものはもう書こうとは思わない」そうだ。
その理由を、
「当時はセリフに凝ったが、やはりシンプルな方がいい。
最後のせりふはこうしようと考えると、キャラクターの描き方が浅くなる。
最後に何を言わせるかより、何を思わせるかが大切です」
と説明する。

つねに5本の脚本を用意している。いま書きたいのは哲学や宗教的なもの。
「死ぬのが怖い。だから、自分の死の怖さがなくなるようなドラマを書きたいんです」


(以下、TV雑誌掲載記事より抜粋)

「高校教師」にしても「人間・失格」にしても、ある種独特の重いトーンがあったと思うんだけど、「未成年」はこれまでの作品中でも一番バランスが取れてる気がしますね。
「こいつらバカなんじゃないの?」ってところから始まって、クライマックスの立てこもりのシーンにいくまでにドラマとしてすごい振幅がある。

僕は今だれが人気があるのかというのはよく分からない。 ただこのドラマは壱成じゃなきゃダメだ、と。 堂本剛を待つというのもあるけど、今やるなら壱成しかいない。 彼がこれ以上大人にならないうちにこの企画をやりたかった。


前にフジテレビで「愛という名のもとに」を書いたときにすごい消化不良があったんです。 あれは主人公たちがみんな社会人だったから、何があっても結局は”そんなこと言うなよ、もう大人なんだから”というところに収まるしかなかった。 それで今度はそういう歯止めの利かない高校生たちの話を書こうと思って…。


極論するなら、今回は恋愛大好きなOL・女子大生の視聴者は初めから眼中にない。 製作側と視聴者との関係は要するに恋愛みたいなもの。 すべての女の子に好かれようと思うと好青年でいるしかない。
つまり「101回目のプロポーズ」書いてる分にはだれからも嫌われないだろうけど、僕は「高校教師」が成功したとき、もう好青年はやめようと思った。 僕の作品を嫌う視聴者がいてもいい。 「未成年」は中高生、それも男の子に見てほしいと思って書いてます。


GoTop  

Home > Database > インタビュー記事 > 未成年のテーマ(2)


Copyright Fumi since 1998