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POEM05:賢者について

つよい人になりたいなんて
そんなバカな話はないさ
つよい人は鈍感なだけ
心のおけがザルなだけ
間抜けな義勇兵になりたいかい?
よわいままでいいんだよ
賢者はすべてよわむしなのさ


「野島伸司詩集(1)」 p.57より引用

kiku
この詩は、私がずっと心にひっかかっていたことを表していた。
大きく頷く自分がいた。
自分ではうまく言えないことを、野島さんはこうやって表現してしまう。
何を基準に「強い、弱い」というのか・・・
もちろん、人間は強い部分も弱い部分も備えられて、
うまくバランスがとれるにこしたことはない。
なんで、よわいままでいいんだ?
というような疑問をもたれる方も当然いるだろう。
この場合は、真の強さとは?という類のことをいうと
それてしまうので、弱者、強者という立場で書こうと思う。

人間はそう強い者ではない。
強い人はもちろんいる。
強い人は、弱い人を非難したがる。
なぜ、できないのか?と・・・
なかなか弱い者の気持ちを理解してはくれない・・・

弱い立場の人を扱ったドラマ「聖者の行進」は、
この考え方が流れている。
8話の宇野弁護士のセリフ、あれがもう私が言うまでもなく
言いたいことではないか。

「自分の痛みに鈍感になると 人の痛みにも鈍感になる
 自分が強いと錯覚した人は 他人を攻撃する
 痛みに鈍感になると 優しさを失う
 自分の弱さと向き合い、大事になさい・・・」

このセリフ、大好きだ。

物事の本質を見抜く力。
人の痛みに気付けること・・・
自分も他人も大切にすること・・・
真の賢者とは・・・

最近、トリイ・ヘイデンさんの「よその子」という本を読んだ。
障害児教育をされている方である。
その中での子供との会話が印象深かった。

「これからは他の人たちが何と言っても負けちゃだめ。
何があってもあなたはどこも悪くないの。」
「でも、あたしは字が読めない」
「ヒトラーは読めたわ」
「ヒトラーてだれ?」
「本当の意味で、知恵の遅れていた人よ。」


▽1999年11月4日討論:参加者8名(ふみkikuコロhellotakisingoTOMOダン

コロ> コロはまぬけな義勇兵になりたいです(^^)
singo> それはつよくなりたいってこと?>コロ
ダン> 「人間みな弱いからいいんだ」って、自分を甘えさせないようにって言う意味?>コロ
コロ> つよくなりたい。いまさら言われなくても人間は弱いです。
TOMO> ”強く”ってニュアンスの捉え方が重要だよね>コロ
コロ> でも弱い人を非難する気は全然ないです。
ダン> でも宇野弁護士が言ってた意味は「弱さと向き合う事が重要」ってことで「弱くてもいい」ってことだけを言ってたんじゃないと俺は思うんだけど。
TOMO> あのセリフを、ダンの言うように”人間なんてど〜せ、弱くてイイや〜!”って、開き直りにとっちゃったら、最悪じゃん>コロ
TOMO> この詩&『聖者の行進』だけ見て、『世間的弱者=絶対的正義』って誤解した人とか多分一杯いるんじゃないか?って、不安なった。
コロ> そうだね>TOMO
kiku> 確かにあるかもね。野島ドラマは見方を間違えると危険かも>TOMO
ダン> だったら「殺人犯も社会が悪い!殺人犯も広義で被害者だ」っていう風に解釈されちゃうしね>弱くてもいいんだ理論

taki> 俺は解釈が違うのよ。「弱いままでいい」と言うのは自分の弱さを受け入れる「強さ」をもちなさい。と解釈してる。
TOMO> あ、同感!>taki
ダン> 野島さんは負の感情の深さがとてつもなく深いと俺は思う。だけどその負の感情と向き合って正に持ってこうとするからベクトルの強さ的には強いと俺は思うよ>野島さん
コロ> 人は鈍感にならなきゃ生きていけない。
コロ> 自分は弱いって認めるってことかな>taki
taki> だから、詩では、ひらがなの「つよい」にしたんじゃないかな?
ダン> 野島さんの「よわい」って「臆病」に近いんだろうね。
taki> ああ、同感〜>ダン
ダン> ボクサーの輪島功一氏も「ある程度のレベルにきたら臆病さを持ってない奴はトップにはなれない。相手との戦いより自分自身との戦いに勝った奴がチャンピオンになるんだ」って言ってた。
taki> 弱さを受け入れれば、もうそれで一つの「強さ」だと思わない?
ダン> つまりはあらゆる事に臆病になって、「ここもヤバイ、ここが弱点」って事を自分で深く探ってそれと戦い勝利したものがそのひとの「つよさ」って事じゃない?
taki> そう、「弱さ」を知らないものは攻める方法がわからないってのもあるとおもうよ>ダン
ダン> って考えると、自分と向き合い、探り、戦うことってそれだけでもすごく難しいし、大変なこと。
ダン> そしてその上、他人を守れる強さを持つって言うのは難しいね。
taki> それを求めよう!といいたいんじゃないかな?>ダン

ふみ> えっと、野島さんがここで言ってる強さって、強くなると相手の気持ちを理解してあげられない=鈍感ってことなんですよね?
ふみ> 人の痛みとか悲しみというのは、絶対的に自分自身がベースになるわけですから、鈍感になってしまうと、相手に対する痛みとか悲しみというものも感じなくなってしまう(聖者のインタビュー記事より)
hello> 人の気持ちになれる、ってことか>ふみ。
ふみ> そうそう。自分に拘るというより、相手の気持ちになってあげられるかってことだと思う。
kiku> 私も人に対する優しさ、それを忘れてはいけない、てことだと思う。
taki> つよさもよわさも合わせ持つのが「強いもの」なんだろうね>ふみ
singo> たぶん思うんですけど、ここでのつよいよわいの意味は、賢者の意味につながっていくんじゃないかと>ふみ
taki> つまり、よわさを克服し、強さを身につける課程が大事。その上での結果かなと。「強さ」は>ふみ
ダン> 人の気持ち考えすぎたら自分を失う。他者と自分のバランス取れてる状態って俺は奇跡だと思う。
hello> でも、とらないと不均衡(^^)>ダン
taki> よわすぎたら、被害者意識にとらわれるもんね>ダン

hello> 私は他者に対する愛がいっぱいで自分とのバランスが取れるんだと思うよ。
ダン> 「愛」は自分を超えてないと成立しない。結局は人間エゴイストなんだから>hello
ダン> ありきたりの言葉だけど「助け合い」、つまりは「愛」(傷のなめあいにかぎなく近く交わらない)が重要なんだなあ。
taki> おお、「きずのなめあい」と交わらない。同感!>ダン
hello> 「強い」って言葉を引き合いに出さなくてもいいんじゃないのかな。
hello> そう、充分人間は我が強い。だから「愛」はってこと…かな?>ダン
ダン> というか、「愛」はとても汚い一面もあるから。いっぱいにするっていうのもそれ自体難しいって言う意味で>hello
hello> でも、「だからこそ」、汚いところも全部認めないと、他人を>ダン
ダン> いや、自分が汚いのも勿論なんだけど、「愛」自体も汚い一面もあるって事。「美しい人」の村雨次郎みたいに>hello
taki> 恋は「エゴ」、愛は「全部認めること」かな?>hello&ダン
ダン> 難しいね(^^)。ま、「愛」自体そんな簡単なものだったら誰も悩まんしね>hello
hello> 同感。でも、こんなに探しても見つからなかったのに見つけてみたら「あら、こんなところに」なんて思うのかな、なんて最近思います>ダン
taki> 鈍感はいけない。では「優しさ」が必要だとか、曖昧に誤魔化して欲しくないのよ>ダン
TOMO> だから、まず人間のそういう”負の部分”を認めて、そこからどうするか!って、野島さんは考えてるでしょ。
kiku> そうそう>TOMO
taki> 負や弱さを認めるのが「強さ」への道だとおもう。

singo> 皆さんは、賢者のイメージってどんな感じなんでしょか。
ふみ> イメージ沸かない(笑)
taki> 俺の「賢者」イメージは弱さと向き合い、闘い過ぎてつかれた老人。のイメージ。
TOMO> う〜ん、口で言うのは難しいけど、具体例としては、まさに”野島伸司”本人だなあ>賢者のイメージ
kiku> 私もだわ>野島さん
taki> 数少ない「強さ」を手に入れた孤独感もあるかな>賢者イメージ
singo> 「傷つくことがいかに多いかということに、馴れてしまうのはしかたのないことだけど、傷つくことに馴れた訳じゃない」ってことを持ち続けられる人。
singo> そして、それを弱虫と呼ぶのなら、ここ(賢者の詩)で求める賢者の正しさは、確かに存在している、と思いました。
コロ> なるほど(^^)オモシローい♪>singoの解釈
singo> 実はこの感じを持てなかったら、あまり共感はできなかったかもしれません>コロ
taki> 弱さへの馴れや依存はいけないですよね>singo
singo> もちろんです>taki
TOMO> ”馴れ”だけじゃあ、それこそ鈍感なダケだよね。”血も涙もホントは持ってるケド、(優しさや愛を失わずに)血も涙もないコトが出来る”人間に、俺は憧れるなあ>singo
singo> でもそれは、やっぱり自分に拘ってるように思えてしまいますが、私は>TOMO
TOMO> ああ、俺のイメージとしては、『オペしてる外科医』って感じなんすよ。医学を知らない第三者から見れば、オペなんて、それこそ血も涙もない行為じゃない?でも、ホントは相手を思ってる、っていう……>singo
TOMO> 野島さんの作品自体も、そう。『人間・失格』だって、単にイジメのシーンダケ見てれば、なんて血も涙もない作家だ!って思うじゃない?でも、ホントの意図は違うでしょ?

コロ> ホントに弱いままでいいのか?それで未来はあるのか?って思う
taki> だから、ほんとに弱い訳じゃないって>コロ
ふみ> うーん、僕はこの詩は自分が弱いとか強いとかより、相手の気持ちになれるかってとろこが問題だと思うんだけど…。
taki> 自分と他人の関係性もあらわしてるね>ふみ
kiku> 「鈍感」てところにそれがあるよね>ふみ
コロ> 人間は鈍感でいいっていうのが僕の立場だから
TOMO> 『自分の弱さや汚さを認めないまま、弱いままでイイ!』って、開き直ってるヤツらがイヤなんでしょ?>コ
コロ> 嫌とかじゃなくて自分がそう思うだけ。他人や世間一般は関係ないよ>TOMO
ダン> 敏感な奴ばっかりだったらストレスに耐え切れなくて今よりもっと殺人、強姦が多発するだろうしね。
taki> でも、そこで「優しさ」とか出して欲しくない。陳腐だから>ダン

コロ> 野島さんが伝えようとしてる、真実みたいなものがコロには見えない。
ダン> つよいのが行き過ぎると「聖者」の社長さんみたくなっちゃうぞ!って言う意味じゃない?>コロ
taki> 「よわさを無視して、強くなれない」ってことじゃないのかな?伝えたいことは>コロ
singo> 私が感じ取れるのは、あれが精一杯です>コロ
コロ> コロは「なりたいかい?」って聞かれたから「なりたいです」って思った。それだけかな…?>ダン
ふみ> 僕は励ましの詩だと思いました
hello> 私は野島氏の意志を感じた。
ふみ> どんな意志ですか?>hello
hello> 「つよい」奴等に負けないぞ、っていう。
ふみ> なるほど>hello
hello> ちょっと半分つよい人をけなすような言い方してるところが>ふみ
taki> どうだろう?俺は自己への問いかけみたいに取ってるけど、他者への意志を皆は感じる?
ふみ> けっこう否定する内容が多いですよね>野島伸司詩集
hello> 否定、ってのは強い意志の現われ、と感じる>ふみ
taki> うん>hello<否定
singo> 私みたいのは、かなりの部分の拘りを捨てないと、先に進めないくらいです>ふみ
taki> みんなは、「詩」に対して懐疑的ではないの?おれだけかな?
singo> もちろん、私も懐疑そのものですよ。だから、自分なりに解釈してみました>taki
singo> 今回は惑わされないように、と(苦笑)
taki> ですよね。受り取かたが危険な要素が多分にあると思うんです>singo
TOMO> ”詩”と、”詞”はホント違うからなあ。 ”詩”は、極論すれば読む人の数だけ解釈あってもイイもんね>自分なりに解釈〜
kiku> 野島さんの詩は苦しかったり悲しかったりするけど、共感してしまう。
ふみ> 僕はこの詩は聖者のテーマそのままって解釈ですね。
TOMO> 俺もそうだと思う>ふみ

taki> うむ。じゃ、弱者が強者への第一歩。って解釈はどう?皆は?
singo> 私は私なりの共感のしかたを見つけました、今回の詩に。皆さんはどうだったのでしょうね。
singo> どういう風に同じ方向性を見られるか、自分のなかで何を確認しなでればいけないのか、と、解釈しました。
ふみ> 賢者になりたい(笑)>個人的結論
ふみ> 弱い立場の人の気持ちをわかってあげられる賢者に!
TOMO> 自分も含めた、”人間”って存在の”弱い部分、汚い部分”を踏まえた上で、闘う、”ステキな賢者”に、なりたい!!
singo> もちろん、先ほど書いたものは、私なりの解釈ですし、そういう賢者なら、私もなりたいです>ふみ
singo> そしてそれを持ちつづけられる人に。
singo> いつかみんなが賢者になれるように。だぶんその順番が少し早いかそうでないかの違いだと、私は信じたいです。
コロ> 今はまぬけな義勇兵でいいです>結論
コロ> 道を探してる義勇兵です…
ダン> 少なくても臆病なのは悪いことではない。それを踏まえてどう生きるか?ですかな>結論
ダン> 「賢い」っていうのは自分の痛みにも他人の痛みにも敏感って事なのかもね。
taki> うん。同感>ダン
taki> 結論は、「強さを持ちたいのなら、目の前に見える強さに惑わされず、自分の弱さを認める強さをもて!それから強くなるんだ」ですね。
kiku> 私も「聖者」と通じてると思ってるから。「自分の弱さと向き合って大事にする」かな。


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